2008年11月11日

もののあわれ322

源氏「いかなるやうぞ。いとかかる事こそまだ知らね」と、いとものしと思ひて宣へば、いとほしと思ひて、命婦「もて離れて、似げなき御事とも、おもむけ侍らず。ただ大方の御物づつみのわりなきに、手をえさし出で給はぬとなむ見給ふる」と、聞ゆれば、源氏「それこそは世づかぬ事なれ。物思ひ知るまじき程独り身をえ心に任せぬ程こそ、さやうにかがやかしきも道理なれ。何事も思ひしづまり給へらむと思ふにこそ。そこはかとなく、つれづれに心細うのみ覚ゆるを、同じ心に答へ給はむは、願ひかなふ心地なむすべき。何やかやと世づける筋ならで、その荒れたるすのこに佇ままほしきなり。いとうたて心得ぬ心地するを、かの御ゆるしなくともたばかれかし。心いられし、うたてあるもてなしには、よもあらじ」など、語らひ給ふ。




源氏は、一体、どうしたことだ。今まで、こんなことは、あったことがないと、大変、不快そうであるので、命婦は、気の毒に思い、お話にもならない、不釣合いな、ご縁と申し上げたことは、ありせん。ただ、何事にも、むやみに、物恥ずかしくされるので、お手も、出さないのだと、思いますと、申し上げる。
源氏は、それこそは、世づかぬことなれ、情が無いと言うだと、言う。
物心つかない頃とか、我が身を思う通りに出来ない頃ならば、恥ずかしがるのも、解るが、もう、万事において、分別がついていると思えば、言うのだ。
どうしたわけか、何も手がつかず、先も短い気がする。こちらと、同じような心境なら、お返事を下されば、願いも叶うと思うが。
何やかやと、色恋沙汰ではなく、ただ、あの荒れた、すのこ、縁の所で、しばらく、お話がしたいのだ。
何とも、おかしな、気持がするが、姫のお許しがなくても、お前が、何とか、段取りを、つけてくれないか。
やきもきさせたり、酷い仕打ちは、しないだろうなと、お頼みになる。


さやうにかがやかしきも道理なれ
道理とは、物事の、ことわり、である。
かがやかしき、とは、恥ずかしい、赤面するという意味。

その荒れたるすのこに佇ままほしきなり
すのこは、ぬれえん、濡れ縁である。
建物の周囲に、設けられてある。縁側。
男の訪問を、最初は、すのこにも、座らせないのが、礼儀である。



なほ、世にある人の有様を、大方なるやうにて聞き集め、耳とどめ給ふ癖のつき給へるを、さうざうしき宵居などに、はかなきついでに、さる人こそとばかり聞え出でたりしに、かくわざとがましう宣ひ渡れば、なまわづらはしく、女君の御有様も、世づかはしく、由めきなどもあらぬを、なかなかなる導きに、いとほしきことや見えむ、なんど思ひけれど、君のかうまめやかに宣ふに、聞き入れざらむも、ひがひがしかるべし。父親王おはしける折にだに旧りにたるあたりとて、おとなひ聞ゆる人もなかりけるを、まして、今は浅茅わくる人もあと絶えたるに、かく世にめづらしき御気配の漏りにほひ来るをば、なま女はらなども笑み設けて、「なほ聞え給へ」とてそそのかし奉れど、あさましう物づつみし給ふ心にて、ひたぶるに見も入れ給はぬなりけり。



なににせよ、このお方が、世の女の話を、よそ事のようにして、聞いていらして、実は、深く耳に留めている癖が、ついているとは、知らずに、座が白ける様子から、話題を探していた、宵。
ふっとした、話のついでに、「こういう方がおいででと、だけ申し上げたのに、このように、改まり、何度も、催促されるので、いささか、煩くもあり、また女君の様子も、付き合い上手ではなく、なまじ、手引きをして、お気の毒な事が起こるかもしれないと、思う。
でも、君が、これほど、真剣におっしゃるのに、知らぬ顔も、出来ないし、意地が悪いと、思われる。
姫の御父上様が、ご存命の時でさえ、時世に取り残されたところだからと、お訪ねする人もいなかったのだから、今では、更に、荒れ果てたお邸を、訪れる人はいないので、このような、世にも、稀な、お方のお手紙を拝見すると、なっていない女房なども、笑顔になり、これは、お返事なさいませと、お勧めするが、姫は、大変な恥ずかしがりやで、全然、読むこともしないのである。
と、作者は、命婦の心境を、語る。

浅茅わくる人もあと絶えたるに
荒れ果てた邸に、訪ねる人である。

なま女
つまらない、未熟な女房のこと。




命婦は、「さらばさりぬべからむ折に、物越しに聞え給はむ程、御心につかずは、さても止みねかし。また、さるべきにて、仮にもおはし通はむを、とがめ給ふべき人なし」など、あだめきたるはやり心はうち思ひて、父君にも、かかる事なども言はざりけり。



命婦は、それでは、都合の良い時に、襖越しに、お話をなさつてください。
お気に召さなければ、そのまま、おやめ下さい。
それとも、また、ご縁があり、暫くの間なり、通いになりましても、咎める人もいません。
などと、浮気で、調子に乗る女ゆえに、ふと、そう思い、父である、兵部大輔、だゆうに、も、何も話さなかった。


とがめ給ふべき人なし
後見人が、いないという。
要するに、干渉する人がいないのである。

命婦一人の思いと、作者の思いが、綴られる。

作者は、命婦を、あだめきたるはやり心はうち思ひてと、言う。
何事にも、調子に乗る女と、言うのである。

女が、女に対しては、実に、厳しい目を向けるのである。

それが、この、段の面白さでもある。

いつの世も、女が、女を見る目と、品定めする目は、厳しいものがある。

命婦は、姫が、控え目であり、更に、超不細工であることを、知っているのであろう。
それで、源氏に対しても、程々にと、意見するのであるが、源氏は、気づかない。
見ないうちは、解らないのである。




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2008年11月12日

もののあわれ323

八月廿余日、宵過ぐるので待たるる月の心もとなきに、星の光ばかりさやけく、松の梢吹く風の音心細くて、いにしへの事語り出でて、うち泣きなどし給ふ。いと良き折かななど思ひて、御消息や聞えつらむ、例のいと忍びておはしたり。月やうやう出でて、荒れたるまがきのほど疎ましく、うちながめ給ふに、琴そそのかされて、ほのかに掻き鳴らし給ふ程、けしうはあらず。少し気近う今めきたる気をつけばや、とぞ、みだれたる心には、心もとなく思ひ居たる。人目しなき所なれば、心安く入り給ふ。命婦を呼ばせ給ふ。




葉月、二十日過ぎ、夜更けまで出ない月が、待ち遠しい。
星の光だけが、冴え渡る。
松の梢を吹く風の音も、心細く、姫君は、昔のことなどを、語り、涙する。
命婦は、丁度よい折だと、お便りを、差し上げ、君は、いつものように、お忍びで、いらした。
月が、次第に登り、荒れた、まがきのあたりを、照らすのも、気味悪く思っていらっしゃるのではと思う。
命婦に勧められて、姫の弾く琴の音も、まんざらではない。
少しは、優しく、今流行りなところを、持たせたいと、浮ついた心から、命婦は、物足りなく思うのである。
人目の無い所であるから、君は、気兼ね無しに、お入りになる。
命婦を呼ばせた。


自然描写が、美しい。
非常に、微妙、曖昧な、風景描写である。

松の梢の吹く風の音心細くて
そこに、星の光ばかりさやけく、のである。
月は、出ない。

荒れたるまがき
竹や柴で、作った垣根である。
それが、見苦しいのである。
つまり、姫の境遇に、重ねられる。

こういう、情景を、後に、侘しいと、言うようになる。
そして、その、侘しさが、美の意識によって、侘びとして、茶の湯などに、生かされることになる。

侘びはまた、寂びを、伴うのである。
共に、自然が醸し出す、風情であり、それを、そのままに、少しの、手を加えて、美に、仕立て上げるという、感性の、細やかさは、言いようが無い。

人工的といわれる、寸前で、止まる。
その、止まるべき、程度を、美意識として、認識した。
自然無視の、姿勢ではない。
自然を、最大限に、生かし尽くすのである。

自然が、無ければ、この、日本の美も、美意識も無い。



今しも驚き顔に、命婦「いとかたはらいたきわざかな。しかじかこそおはしましたなれ。常にかう恨み聞え給ふを、心にかなはぬ由をのみ、いなび聞え侍れば、自ら道理も聞え知らせむ、と宣ひ渡るなり。いかが聞え返さむ。なみなみのたはやすき御ふるまひならねば心苦しきを、物越しにて、聞え給はむ事聞こ召せ」と言へば、いと恥づかしと思ひて、姫「人に物聞えむやうも知らぬを」とて、奥ざまへいざり入り給ふ様、いと初々しげなり。うち笑ひて、命婦「いと若々しうおはしますこそ心苦しけれ。限りなき人も、親などおはして扱ひ後見聞え給ふ程こそ、若び給ふも道理なれ。かばかり心細き御有様に、なほ世をつきせず思し憚るは、つきなうこそ」と、教え聞ゆ。さずかに、人の言ふ事は強うもしなびぬ御心にて、姫「答へ聞えで、ただ聞けとあらば、格子など鎖してはありなむ」と宣ふ。命婦「すのこなどは便なう侍りなむ。おしたちて、あはあはしき御心などは、よも」など、いとよく言ひなして、二間の際なる障子、手づから、いと強く鎖して、御褥うち置きひき繕ふ。



お出でになるのを、今初めて知ったような顔をして、命婦は、本当に困りましたことです。こういう方が、お出でになりました。いつも、ご返事がないと、小言を申されるのですが、私の一存ではと、お断りしますと、それでは、仔細は、私が言うと、かねがね仰っておいででした。
どう、お返事したものでしょう。
普通の人の、気軽な、お出ましとは違います。お気の毒ですから、襖を隔てて、あちらの、申し上げることを、お聞きくださいと、言うと、決まり悪いと、思い、姫は、お話など、出来ませんと、奥の方へ、引っ込んでしまうのも、うぶな様子である。
命婦は、微笑んで、いつまでも、お子様でいらっしゃるのが、気がかりでございます。
どんな身分の方でも、親御がいらして、お世話なさり、後見する間は、子供でいても、いいものですが、頼る人のいないご様子で、いつまでも、引っ込みじあんでは、おかしうございますと、教える。
とは、言うものの、人の言うことを、強く拒まない性格なので、姫は、お返事は、しませんが、ただ、お聞きするだけなら、格子に錠をして、お会いしますと、言う。
命婦は、縁側などは、失礼です。無理に軽々しいことを、考えるなんて、そんなことは、などと言いつつ、客間との間の、襖に、命婦が、自ら、錠を下ろして、座布団を、用意する。


しかじかこそおはしましたなれ
姫に、話たことを、省略するという、描き方である。

奥ざまへいざり入り給ふ様
同時は、室内では、立って歩くことなく、膝行、いざって動いた。
今では、茶室などで、そのようないざり方をする。

あはあはしき御心
軽率な、軽薄なという意味。

よも
よもしたまはじ、の、略である。
まさか、そんなことは、である。
ここでは、まさか、そんなことを、なさることはない、である。

御しとねうち置きひき繕ふ
敷物。綿のない座布団。

細やかなる、様子が、見て取れる。

姫の言葉である、ただ聞けとあらば、格子など鎖してありなむ、とは、姫のプライドであろうか。

お話を、伺えといえば、障子を隔てて、聞きましょうと、言うのである。

作者は、矢張り、姫にも、敬語を使っている。

この、物語の格調の高さである。

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2008年11月13日

もののあわれ324

いとつつましげに思したれど、かやうの人に物言ふらむ心ばへなども、夢に知り給はざりければ、命婦のかういふを、あるやうこそは、と思ひてものし給ふ。乳母だつ老い人などは、曹司に入り臥して、夕まどひしたる程なり。



姫は、大そう恥ずかしいようだ。
このような人に、受け答えするような、心得などは、少しも知らないので、命婦が、あるやうこそは、あるべきようにあるということを、知りぬいていると、姫は、任せきるのである。
乳母などの、老人は、部屋に引きこもり、うつらうつらしている、時間である。


姫にとっては、いや、命婦にとっても、大イベントである。
源氏の君を、迎え入れるのである。



若き人二三人あるいは、世にめでられ給ふ御有様を、ゆかしきものに思ひ聞えて、心げさうしあへり。よろしき御衣奉りかへ繕ひ聞ゆれば、正身は、何の心げさうもなくておはす。


若い女房二三人は、起きている。
世間で評判の、その様子を見たいと、皆、いそいそとしている。
命婦が、相当な衣装をもって、着替えさせ、繕うが、本人は、いっこうに、いそいそともせずに、いるのである。

ゆかしきものに思ひ聞えて
ここでいう、ゆかしきは、後の、床しいである。
奥床しいという言い方もある。
源氏の姿が、ゆかしいものと思う、その、ゆかしいとは、何か。
世間で評判の、姿は、なかなか目にすることのできないものである。
現代の、ゆかしい、という意味とは、違う。しかし、ゆかしい、という言葉は、この頃から、使われていたということだ。

この場合は、目にすることが、出来ない、珍しさである。
更に、高貴でなければならない。
手の届かない、高貴な、御姿という意味である。
それが、変転してゆく様が、面白い。



男は、いとつきせぬ御様を、うち忍び用意し給へる御気配、いみじうなまめきて、「見知らむ人にこそ見せめ、何の栄あるまじきわたりを、あないとほし」と命婦は思へど、ただ、おほどかにものし給ふをぞ後やすう、さし過ぎたる事は見え奉り給はじと思ひける。「わが常に責められ奉る罪さりごとに、心苦しき人の御物思ひや出で来む」など、やすからず思ひ居たり。



男君は、まことに、限りなく美しい姿で、目立たぬように、注意していたが、すみずみまで整えて、目のある人には、見せたいほどである。
ものの見栄えの無い所なので、命婦は、お気の毒だと、思うが、姫君は、おっとりとして、いらしっしゃるから、心配ない。出過ぎたことは、しまいと、思っていた。
自分が、いつも、責め立てられる責任を逃れようして、手引きし、姫君の、物思いの種に、ならないかと、心配するのである。


物語で、男と女が、逢う場面では、皆、男、女と、書くだけである。
そこでの、身分には、触れない。
ここにも、紫式部の、意気がある。
粋とも、いうか。

命婦が、わが常に責められ奉る罪さりごとに、というのは、源氏が相手である。奉ると、敬語をつける。
いつも、源氏に責められて、責任を負わされるというのである。
それは、女に逢う手引きのこと。
源氏の横暴である。お前が悪いのだ、早く逢わせろ、なのである。



君は、人の御程を思せば、ざれくつがへる、今やうのよしばみよりは、こよなう奥ゆかしうとおぼさるるに、いたうそそのかされて、いざり寄り給へる気配、忍びやかに、えびの香いとなつかしう薫り出でて、おほどかなるを、「さればよ」と思す。年頃思ひわたる様などを、いとよく宣ひ続くれど、まして近き御答へは絶えてなし。源氏「わりなのわざや」とうち嘆き給ふ。




君は、姫君の身分の高さを知り、洒落た今時の、気取り屋よりも、さぞ奥床しいと、予想していた。
女房たちに、勧められて、いざり寄る様子は、物静かで、心ほぐれる、衣被香、えびの香が、漂い、いかにも、おっとりとした風情である。源氏は、やっばりと、思うのである。
久しい以前から、思い続けているということを、言葉巧みに、告げる。
手紙でさえ、返事が無いのだから、口からの言葉も、全く無い。
困ったことだと、お嘆きになるのである。


こよなう奥ゆかしう
とても、奥床しいという。
ここでは、現代に使われる、奥床しさという意味で、受け取る。

えびの香いとなつかしう薫り
衣からの、香が、懐かしく、薫るという。

これは、現代文に、訳す事が出来ない情景である。

懐かしいとは、しみじみと、切々と、と、訳してみるが、懐かしい薫りという言葉に、適わないのである。

旅先で、風景を見て、懐かしく感じる。
それは、切々と、風景が心に、迫ってくる。
どこかで、見た風景だと、思う程、心が、その風景に引き付けられる。
それを、懐かしいと、言う。

初めて逢う人にも、懐かしい気持というものがある。
知っていた人のようである。
それを、懐かしいという。なつかし
大和言葉の、骨頂である。


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2008年11月14日

もののあわれ325

源氏
いくたびぞ 君がしじまに 負けぬらむ 物な言ひそと 言はぬ頼みに

宣ひも捨ててよかし。玉だすき苦し」と宣ふ。女君の御乳母子、侍従とて、はやりかなる若人、いと心もとなう、かたはらいたし、と思ひて、さし寄りて聞ゆ。

侍従
鐘つきて とぢめむ事は さすがにて 答へまうきぞ 旦はあやなき

いと若びたる声の、ことにおもりかならぬを、人づてにはあらぬやうに聞えなせば、程よりはあまえて、と聞き給へど、めづらしきに、源氏「なかなか口ふたがるわざかな、

言はぬをも 言ふに勝ると 知りながら おしこめたるは 苦しかりけり

何やかやと、はかなき事なれど、をかしき様にも、まめやかにも、宣へど、何のかひなし。




源氏
幾たび、あなたの、沈黙に、根負けしたことでしょう。
黙れと、おっしゃらないので、つい、また、申してしまいます。

いっそのこと、嫌だと、はっきりと、仰ってください。どっちつかずでは、苦しいものですと、言う。
姫君の、乳母の子で、侍従と呼ばれている、才走った若い女房が、返歌のないのを、もどかしく思い、きまりが悪いと、姫の方に、寄り、代わって、申し上げる。

侍従
鐘を打って、お話を、やめることは、できませんし、そして、お返事も出来ないとは、どういうことでしょう。

若々しい声で、身分を思わせることなく、姫自身であるかのように、申し上げる。
身分のわりに、馴れ馴れしいと、お聞きになるが、源氏は、珍しい返事に、かえって、何も申せません。

源氏
何もおっしゃらないのは、仰る以上とは、知っていますが、でも、黙っていられることは、辛いことです。

何やかにやと、とりとめないことで、戯れのようにも、真面目であるかのようにも、仰ってみるが、反応は無い。


鐘つきて
八講論議の時、磐という、楽器を打つと、問答を止めて、無言の行をする。
それを言うのである。
今で言えば、講義を聞いて、その後で、沈黙して、黙想するということ。

つまり、言うことは、言わぬことよりも、深い思いがあるというのである。

をかしき様にも、まめやかにも
戯れのようにも、真面目に対処するようにも、ということ。

まめやか、という言葉も、よく使われる。
今でも、まめに、とは、小まめに、気を使う、細々しくという行為になる。



いとかかるも、様変わり、思ふ方異にものし給ふ人にや、とねたくて、やをら押し開けて入り給ひにけり。命婦「あなうたて、たゆめ給へる」と、いとほしければ、知らず顔にて我が方へ往にけり。この若人ども、はた、世に類なき御有様の音聞きに罪許し聞えて、おどろおどろしうも嘆かれず。ただ思ひも寄らずにはかにて、さる御心もなきをぞ思ひける。



こんな風にここに居るのは、おかしいことだと思う。
相手は、特別な考えを持っているのかとも、思い、癪に障る。
そっと、襖を押し開けて、中に入った。
命婦は、あなうたて、あらあら、油断させてしまってと、姫君が、気の毒で、知らぬ顔をして、自分の部屋に戻ってしまった。
若い女房達も、世に類ないご様子と、評判ゆえに、お許しして、大袈裟に嘆く者は、いない。
ただ、思いかけず、不意のことで、まさか、そんな考えはないだろうと、案じたのである。



源氏は、姫の部屋に入ったのだ。
無礼な行為であるが、源氏の君であるということで、女房達も、許している。
ルール違反をしているのである。



正身は、ただ、我にもあらず、恥づかしくつつましきより外の事またなければ、「今はかかるぞあはれなるかし。まだ世慣れぬ人の、うちかしづかれたる」と、見許し給ふものから、心得ずなまいとほしと覚ゆる御様なり。何事につけてかは御心のとまらむ、うちめかれて、夜深う出で給ひぬ。命婦は、いかなら、と、目さめて聞き臥せりけれど、知り顔ならじ、とて、「御送りに」とも、声づくらず。君も、やをら忍びて出で給ひにけり。



姫自身は、ただ、無我夢中で、恥ずかしく、きまりが悪いはがりである。
君は、これがいい。こんなのが、可愛いのだ。初心な人として、育てられてきたのだから、当然だと、大目に見るが、変である。何となく、気の毒に、見える姫の様子である。
何事につけてか御心のとまらむ、こんな状態では、君の心を捉えることが、できないだろう。
君は、酷く、失望して、夜の暗いうちに、お帰りになった。
命婦は、どんな状態かと、目を覚まして、横になったまま、聞き耳を立てていたが、お帰りを、知らぬこととして、見送りをということも、指図しない。
君も、黙って、こっそりと、出て行かれた。

うちうめかれて
つい、失望の声を上げて。
うち 呻く、のである。
君は、失望の声を上げてと、訳してもいい。

それは、追々と理解することになる。
何故、失望したのか。姫の様子にある、何か、言い知れないものである。

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2008年11月15日

もののあわれ326

二条の院におはして、うち臥し給ひても、なほ「思ふにかなひ難き世にこそ」と思し続けて、軽らかならぬ人の御程を、心苦しとぞおぼしける。


二条の院に、お帰りになり、お休みになっても、理想通りの女は、いないと、誰、彼を思っても、身分いやしからぬ、姫君ゆえに、気の毒に、思われた。



思ひ乱れておはするに、頭の中将おはして、中将「こよなき御朝寝かな。故あらむかし、とこそ思ひ給へらるれ」と言へば、起き上り給ひて、源氏「心やすき独寝の床にてゆるびにけりや。内裏よりか」と宣へば、中将「しか。罷で侍るままなり。朱雀院の行幸、今日なむ楽人・舞人定めらるべき由、よべ承りしを、大臣にも伝へ申さむとてなむ、罷で侍る。やがて帰り参りぬべう侍り」と、忙しげなれば、源氏「さらば、もろともに」とて、御粥、強飯召して、客人にも参り給ひて、引き続けたれど、ひとつ奉りて、中将「なほいと眠たげなり」と、とがめ出でつつ、中将「隠い給ふ事多かり」とぞ怨み聞え給ふ。事ども多く定めらるる日にて、内裏に侍ひ暮し給ひつ。




思い悩んでいるところに、頭の中将がやってきた。
ひどい、朝寝ですね。訳がありそうだと、中将が言う。
君は、起きて、気楽な独寝のため、気を許していた。御所からかと、言う。
中将は、そうです。今、退出してきたところです。
朱雀院の、行幸、今日は、その楽人や舞人を、決定すると、昨夜、承りましたが、父の大臣にも、伝えようと思い、退出したのです。すぐまた、参内せよとのことです。と、急ぎの様子。
源氏、それでは、一緒にと、御飯や、強飯を、お取りせよになり、頭の中将にも勧めて、車は、二台並んでいるが、一台に同乗されて、中将は、まだ、眠そうですねと、咎めつつ言う。
隠していらっしゃることが、沢山あるのですねと、お怨み言を言う。
多くのことが、取り決められる日で、一日、御所にいらした。



御粥は、現在のご飯である。
ひとつに奉りて
乗るという、最高敬語である。

二人は、仲が良い。
とがめ出でつつ
咎めることを、言いつつである。

隠い給ふ事多かり
隠していることが、多いのでしょう。

中将は、何を隠しているのか、知りたいのである。
それほど、源氏のことを、思う。

義理の兄弟とはいえ、随分、軽い口をきくのである。
源氏の身分は高いし、しかも、義兄である。
どうしても、ここに、二人の関係の深さを感じる。




かしこには文をだに、と、いとほしくおぼし出でて、夕つ方ぞありける。雨降り出でて、所狭くもあるに、笠宿せむ、と、はたおぼされずやありけむ。かしこには、待つ程過ぎて、命婦も、いといとほしき御様かな、と心憂く思ひけり。正身は、御心の中に恥づかしう思ひ続けて給ひて、今朝の御文の暮れぬれど、なかなか、咎としも思ひわき給はざりけり。




常陸の宮には、後朝、きぬぎぬの手紙だけでもと、思い出せば、気の毒で、夕方になり、手紙があった。
丁度、雨が降り出して、立ち寄ろうとも、思わなかったのである。
あちらでは、後朝の、文が来る時刻が過ぎたので、命婦も、残念だと、悲しく思っていた。
姫本人は、きまり悪く思いつつ、朝来るはずの手紙が、夕暮れになって、届いても、怒ることもない、心境である。

姫が、怒らないのは、それを、知らないということもある。
そんなにことは、初めてのことで、誰も、教えなかった。

男が、女の元から、帰ると、文が、すぐにやってくる。
後朝の文の礼儀である。



源氏
夕霧の 晴るるけしきも まだ見ぬに いぶせさ添ふる 宵の雨かな

雲間待ち出でむ程、いかに心もとなう」とあり。おはしますまじき御けしきを、人々胸つぶれて思へど、「なほ聞えさせ給へ」と、そそのかしあへれど、いとど思ひ乱れ給へる程にて、え形のやうにも続け給はねば、「夜更けぬ」とて、侍従ぞ例の教へ聞ゆる。



源氏
夕霧は、晴れず、あなたは、やさしくない。
そこにこの、雨です。私の気持は、いぶせさ添ふる、滅入るばかりです。

晴れ間を待っていますが、いつになるのでしょう、とある。
お越しにならない様子と、知り、皆は、たまらない気持である。
でも、お返事をと、口々に勧めるが、姫は、益々と、煩悶する様子で、型通りの、返事もできないようであるから、夜が更けてしまいますと、侍従が、いつものように、教える。


結婚の初めは、男は、三日続けて、来るのが、礼儀であるから、皆が、焦ったのである。

つまり、結婚と、同じ扱いに考えたのである。

源氏は、姫との、関係で、余りにも、姫が、気の毒と、思ったのは、秘め事を知らなかったといえる。
何が、どのようなことが、交わりなのかと、知らないという、様子だったのだ。
源氏は、それで、気の毒に思い。さて、どうしたのであろうか。
その行為を、知らない女を、前にしたとき、男は、どうするのか。

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2008年11月16日

もののあわれ


晴れぬ夜の 月待つ里を 思ひやれ 同じ心に ながめせずとも

口々に責められて、紫の紙の、年へにければ灰おくれ古めいたるに、手はさすがに文字強う、中さだの筋にて、上下ひとしく書い給へり。見るかひなううち置き給ふ。いかに思ふらむ、と思ひやるも、安からず。
「かかる事を悔しなどは言ふにやあらむ。さりとていかがはせむ。我はさりとも心長く見はててむ」とおぼしなす御心を知らねば、かしこにはいみじうぞ嘆い給ひける。





晴れない夜の、月を待つ、私の心を、知ってください。
焦がれる思いは、同じではないとしても。

口々に促されて、紫の紙の、年が経て、古くなっているものに、文字は、さずかに、力強く、中古風の書であり、上と下を、揃えて、お書きになった。
しかし、君は、御覧になり、面白くなくて、そのまま、下に置かれた。
姫君は、どう思っているのかと思うと、心が穏やかではない。
こういうことを、悔しいと、言うのだろうか。だからといい、どうしようもないこと。自分は、それでも、気長に、最後まで、面倒を見ようと思う。と、考えた。
その心を知らず、あちらでは、大変、嘆いていたのである。


我はさりとも心長く見はててむ
それでも、私は、姫を、気長く、面倒みようと思う心が、好色、好き者の、根性である。
はい、さようなら、ではない。
最後まで、面倒を見ることが、好色者の、粋なのである。


姫の書がもまた、源氏を、うんざりさせた。
当時の女性の、書は、流し書きである。
ところが、姫は、力強く、しっかりと、昔風に、書いたのである。

これでは、恋心も、冷める。



大臣、夜に入りて罷で給ふに、ひかれ奉りて、大殿におはしましぬ。行幸の事を興ありと思ほして、君達集まりて宣ひ、おのおの舞ども習ひ給ふを、その頃の事にて過ぎ行く。物の音ども、常よりも耳かしまがしくて、方々いどみつつ、例の御遊びならず。大篳篥・尺八の笛などの、大声を吹き上げつつ、太鼓をさへ高欄のもとにまろばし寄せて、手づからうち鳴らし、遊びおはさうず。御いとまなきやうにて、切におぼす所ばかりこそ、ぬすまはれ給へ、かのわたりには、いとおぼつかなくて、秋、暮れはてぬ。




左大臣が、夜になって、退出されるのに、つられて、君も、大臣邸にいらした。
行幸の楽しさを期待して、若様方が、集まって、お話をされ、めいめいの舞の、数々を習うのを、その頃の仕事にして、月日が過ぎてゆくのである。
楽器の音なども、いつもより、喧しく、皆様、競争での、練習である。
いつもの、音楽の催しとは、違うのである。
大篳篥、おおひちりき、尺八の笛などが、大きな音を立てて、高く吹き上げ、太鼓までも、高欄の傍にころがして、若様方自身が、打ち鳴らし、合奏する。
この有様であるから、君も、暇を見つけられず、是非にと思う所だけは、何とかして、都合をつけて、お出かけになるのだが、あの姫君の所は、ご無沙汰のままである。
そうして、秋が、終わってしまった。

太鼓は、本来、楽人が叩くものだが、今回は、貴族も、縁側近くで、叩くのである。
合奏は、舞のための、音楽である。




なほ頼み来しかひ無くて、過ぎ行く。行幸近くなりて、試楽などののしる頃ぞ、命婦は参れる。源氏「いかにぞ」など、問ひ給ひて、いとほしとはおぼしたり。有様聞えて、命婦「いとかうもて離れたる御心ばへは、見給ふる人さへ心苦しく」などね泣きぬばかり思へり。心にくくもてなして止みなむ、と思へりし事を、くたけていける、心もなくこの人の思ふらむをさへおぼす。



姫君の方としては、頼みにしていたことが、そのままに、月日が過ぎてゆく。
行幸が、近くなり、試楽、音楽会などて、騒いでいる頃に、命婦が、参上した。
源氏が、どんな様子かと、お尋ねになる。
気の毒ではあると、思っている。
姫君の様子を、申し上げて、命婦は、こんなにまで、捨てておかれましたら、お傍の者さえ、辛いことです。などと、泣かんばかりの様子である。
床しい人と、思わせる程度で、止めようと、思っていたのであろうと、命婦の気持を、思う。
その計画を、駄目にしたのは、思いやりが無いと、命婦は、思っているだろうと、思う。
そこまで、源氏は、気にする。


御心ばへは
その心の有様である。


心にくくもてなして
心にくくと、思えばである。

くたいてける
くたしての音便であり、計画を駄目にした。
予想を台無しにしたのである。
砕いてしまった、とも言える。

思ふらむをさへおぼす
相手の思うことを、想像するのである。


正身の、物は言はでおぼしうづもれ給ふもいとほしければ、源氏「いとまなき程ぞや。理なし」と、うち嘆い給ひて、源氏「物思ひ知らぬやうなる心ざまを、懲さむと思ふぞかし」と、ほほえみ給へる、若う美しげなければ、我もうち笑まるる心地して、「わりなの、人に怨みられ給ふ御齢や、思ひやり少なう、御心のままならむも道理」と思ふ。この御しそぎの程過ぐしてぞ、時々おはしける。

その心の有様である。




本人が、物も言わずに、塞ぎ込んでいる様を、思うにつけ、気の毒で、源氏は、あまりに、幼い姫君の、心根を、懲らしてあげようと、思うと、笑って言う。
そのお顔が、若々しく、可憐で、命婦自身も、つい、微笑んでしまいそうになる。
女に怨まれるのも、仕方のない年頃。女に同情がなく、我がままをなさるのも、無理が無いと、命婦は、思う。
源氏は、この行幸の、忙しい準備の時期を、過ぎてから、時々、通うようになった。

いとかうもて離れたる御心ばへは
特に、離れた心、つまり、女を、振り向きもしない心。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月17日

もののあわれ328

かの紫のゆかり尋ねとり給ひては、そのうつくしみに心入り給ひて、六条わたりにだに、かれまされり給ふめれば、まして荒れたる宿は、あはれにおぼしおこたらずながら、もの憂きぞわりなかりける。所狭き御物恥を見あらはさむの御心も、殊になうて過ぎ行くを、また「うち返し見まさりするやうもありかし。手さぐりのたどたどしきに、あやしう心得ぬ事もあるにや。見てしがな」と思ほせど、けざやかにとりなさむも眩し。



あの紫、藤壺のゆかりの姫君を、手に入れてからは、その人を、可愛がるのに、夢中で、六条あたりにさえも、次第に足が遠のくのである。
まして、荒れ果てた、宮邸の事は、可愛そうだと、常に気にかけているものの、何とも、気が進まないのは、仕方のないこと。
むやみに、恥ずかしがる人の、正体を見極めようという、気持も、格別に思わずに、日が過ぎてゆく。
それとは、別に、うち返し見まさりするやうもありかし、反対に、見直すところも、あるのでは。いつもは、暗闇の手探りだから、変に、おかしなところもあるのだろう。きちんと、見たいものだ、とも、思う。
だが、はっきり見る手立てるのも、きわりが悪いのである。


けざやかにとりなさむも眩し
けさやか
はっきりと、明確に。
とりなさむも眩し
取り成すことは、眩しい、つまり、気恥ずかしい、きわりが悪い。



うちとけたる宵居の程、やをら入り給ひて、格子の間より見給ひけり。されど、自らは見え給ふべくもあらず。凡帳など、いたく損はれたるものから、年経にける立処変らず、おしやりなど乱れねば、心もとなくて、御達四五人居たり。御台・秘色やうの唐土のものなれど、人わろきに、何のくさはひもなくあはれげなる、罷でて人々食ふ。隅の間ばかりにぞ、いと寒げなる女房、白き衣のいひしらず煤けたるに、きたなげなるしびら、引き結ひつけたる腰つき、かたくなしげなり。さすがに櫛おし垂れて挿したる額つき、「内教坊・内侍所の程に、かかる者どもあるはや」と、をかし。



女房たちと、寛いでいる宵の頃、源氏は、そっと、姫の寝殿に入って、格子の間から、内を覗いてみた。
しかし、姫からは、見えるはずがない。
凡帳などは、酷く痛んでいるものの、長年置いてある場所は、変わらず、動かしていないので、姫は、見えず、物足りないが、女房が、四、五人いる。
お膳には、青磁らしい舶来物が見えるが、不体裁で、料理など、風情もなく、粗末なものを、くさはひもなく、おかずもないのである、御前から下げて、食べている。
隅の方で、酷く寒そうにした女房が、白い着物の、言いようもなく煤けたものに、汚れた、しびら、上着を、結び付けている、腰恰好は、ぎこちなく、見苦しい。
それでも、櫛だけは、垂れ加減に挿している。その額の有様は、内教坊や、内侍所に、こんな者たちがいると、おかしく思う。


姫の貧しい生活を、源氏は、見た。
見られている者たちは、まさか、貴人である、源氏に見られているとは、知らないのである。



かけても、人のあたりに近うふるまふ者とも、知り給はざりけり。女房「あはれ、さも寒き年かな。命長ければ、かかる世にも逢ふものなりけり」とて、うち泣くもあり。女房「故宮おはしましし世を、などてからしと思ひけむ。かく頼みなくても過ぐるものなりけり」とて、飛び立ちぬべくふるふもあり。様々に人わろき事どもを憂へあへるを、聞き給ふもかたはらいたければ、たちのきて、ただ今おはするやうにてうちたたき給ふ。



貴人が近くにいることを、知らずにいるのである。
女房は、本当に、寒い年だこと。長生きすると、こんな辛い目にも、遭うものですと、泣く女房もいる。
宮様が、いらした時代を、どうして、辛いと、思ったでしょう。こんな心細いことでも、暮らせば、暮らせるものでしたと、飛び上がりそうなほど、震えている者もいる。
それらの、みっともない様、話し合いを聞いているのが、いたたまれなく、そこを、離れて、今丁度、来たかのように、見せかけて、格子を叩く。



「そそや」など言ひて、燈とりなほし、格子放ちて入れ奉る。侍従は斎院に参り通ふ若人にて、この頃はなかりけり。いよいよあやしう、ひなびたる限りにて、見ならはぬ心地ぞする。いとど、うれふなりつる雪、かきたれいみじう降りけり。空の気色烈しう、風吹き荒れて、大殿油消えにけるを、燈しつくる人もなし。かの物におそはれし折おぼし出でられて、荒れたる様は劣らざめるを、程の狭う、人気の少しあるなどに慰めたれど、すごう、うたていざとき心地する夜のさまなり。をかしうも、あはれにも、やうかへて心とまりぬべき有様を、いとうもれすくよかにて、何の栄なきをぞ、口惜しうおぼす。




女房が、それそれと、言って、燈火を明るくして、格子を開けて、お入れする。
侍従は、斎院にも、奉仕している女房で、この時は、こちらにいなかった。
それゆえ、ますます、みすぼらしい、田舎じみた女房ばかりで、君の目には、勝手が、違うように、見える。
女房たちが、心配していた雪が、降ってきた。
空の様子が、酷くなり、風が吹きすさんで、燈火が、消えてしまった。
それを、点ける、女房もいない。
源氏は、あの、物の怪に襲われた時のことが、思い出されて、荒れている様は、同じだが、邸の構えが狭く、人気があるということで、気を落ち着けていた。
不気味で、嫌な感じがする。
寝付かれない夜である。
しかし、それはまた、それなりに、面白いとも、風情があるともいえる。
普通と違うという家である。
ただ、姫が、引っ込み思案で、無愛想なので、張り合いがないのを、残念に思うのである。

かのものにおそはれし折おぼし出でられて
夕顔の時の、物の怪に、襲われた夜のことを、思い出して。

やうかへて心とまりぬべき有様
訳するのは、難しい言葉である。
様かへて、心とまりぬべき有様
心とまりぬべき
心がひかれる

普通と違う印象を受けるという、感覚である。が、原文の持つ、微妙な感覚は、訳せない。

いとうもれすくよかにて
これも、難しい。
いと うもれ すくよかにて
大変、埋もれ、健よかにてと、変換しても、意味が違う。
姫が、そのようであることを、張り合いがないと思うのである。

大変引っ込み思案で、潤いや優しさに欠けて、取りえもない。
すくよかに、は、形容動詞という、すくよかなり、の、連用形となる。
健よかという意味もあり、無愛想という意味、そして、けわしい、という意味もある。

文法を解読してゆくと、面白みが、欠けるので、省略してゆく。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第8弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月18日

もののあわれ329

からうじて明けぬる気色なれば、格子手づからあげ給ひて、前の前栽の雪を見給ふ。踏みあけたるあともなく、遥々と荒れ渡りて、いみじうさびしげなるに、ふり出でて行かむ事もあはれにて、源氏「をかしき程の空も見給へ。尽きせぬ御心の隔てこそ理なけれ」と、怨み聞え給ふ。



やっと、夜が明けた。
源氏は、格子を自ら上げて、庭の植え込みの、雪を御覧になる。
人が踏み分けた跡もなく、一面荒れていて、大変寂しげである。
姫君を、振り捨てて、帰るのも、可愛そうだと、思われて、趣のある、空の様子でも、御覧下さい、あなたの、いつまで続く、お心の隔ては、理解できませんと、怨みこどを、申し上げる。



あはれにて
この場合は、可愛そうである。

風景描写の、遥々と荒れ渡りて、いみじうさびしげなるに、とは、実に、それを見る者の、心の様を、重ねる。
つまり、人の心と、風景が、同化するのである。
風景は、心の姿になっている。
私は、それを、驚く。
自然が、対立したものではなく、我と、同じく、また、一緒のものであるという、共感である。




まだほり暗けれども、雪の光に、いとど清らに若う見え給ふを、老人ども笑み栄えて見奉る。老女「はや出でさせ給へ。あぢきなし。心うつくしきこそ」など教へ聞ゆれば、さすがに、人の聞ゆる事をえいなび給はぬ御心にて、とかう引き繕ひて、いさすがに、人の聞ゆる事をえいなび給はぬ御心にて、とかう引き繕ひて、いざり出で給へり。見ぬやうにて、外の方をながめ給へれど、後目はただならず。「いかにぞ。うちとけまさりのいささかもあらば嬉しからむ」と、おばすも、あながちなる御心なりや。




まだ少し、暗い様子の中で、雪の光によって、源氏の君が、たいそう美しく若々しく見える。
老いた女房達が、にこにこして、申し上げる。
早く、お出ましなさいませ。あぢきなし、趣がありません。女は、可愛らしいのがいいです、などと、教えて上げるので、さすがに、姫も、逆らえない様子で、身支度をして、源氏の元に、膝で移動して、出られる。
源氏は、それを、見ない振りをして、外を眺めているが、後目、それは、しり目、つまり横目は、尋常ではない。
いかにぞ、どんなにか、姫の姿を拝見するようになってから、すぐれたところがあれば、嬉しいと、思う。
おばすも、あながちなる御心なりや、とは、作者の思いである。
それは、源氏の勝手な、思いである、というのだ。


源氏の姿を、雪の光に、いとど、清らに若うみえたまふを
雪の光に、照り映える源氏の姿を、美しく、若々しいと、表現する、作者は、しかし、源氏を、直視させない。
あくまでも、読者の、想像に任せる。
それは、この物語に、流れるもの。
何故、源氏の容姿を、描かないのか。
つまり、この物語は、嘘ですということだ。しかし、嘘ですという、作者の、策略が、読者には、あたかも、事実の物語のように、思わせるという。

これが、現代の、文学賞の選考会だと、主人公の顔が、見えない。主語が無い、文章であり、実に、未熟な作品であると、判断、判定されるであろう。
日本の文には、主語が無いというのが、当たり前で、いかに、欧米の文法というものに、侵されたかが、解るというもの。

日本文は、日本の伝統に則り、理解するものであり、欧米の文法で、解釈することが、誤りの元である。
正しさの問題ではない。


えいなび給はぬ御心にて
え いなび 
否である。
え、ではない、御心となる。
え、とは何か。
あいうえお、の、え、の意味は、留めと動き。留める、そして、行為する。一音の意味である。
留まり動くのではない。つまり、姫は、おっとりしているという、訳になるが、原文のイメージは、原文の方が、よい。

文法では、否を、ぬ、で打ち消し、え、では、不可能という意味になり、実に、複雑に、面倒な、解釈になり、ここで、文法というもので、やられる。
物語が、面白くならないのは、この、文法解釈である。
迷路の中に、沈没する。

いなび、を、ぬ、で、打ち消し、その前の、え、で、不可能という意味になっていて、そこで、何がなんだか、解らないが、暇な学者は、姫が、おっとりとしていると、訳すという、段取りである。

だから、私は、文法を、切り捨てて、進む。

文法を、お勉強することを、否定するのではない。
分析を好きな人は、大いに、お勉強するべきである。

後目とは、横目である。
源氏は、まだ、姫の顔を、見ていないのである。
いつも、暗闇の中で、交わるからである。

次に、いよいよ、姫の容姿が、語られる。
その、批評は、凄まじい。
女が、女を判定するのが、いかに、酷いものか。
ここまで、書くかという、程の、散々さである。

源氏の容姿と、比べると、天地の差である。


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2008年11月19日

もののあわれ330

まづ、居丈の高く、を背長に見え給ふに、「さればよ」と胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、御鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗り物と覚ゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたる事、ことのほかにうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、大方おどろおどろしう長きなるべし。痩せ給へる事、いとほしげにさらぼひて、肩の程などは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ。



姫君は、まず、座高が高く、胴長に見えるので、源氏は、矢張りと、がっかりする。
続いて、ああ、見苦しいと、見えるのは、鼻であった。
思わず、鼻に、目が止まる。
普賢菩薩の乗り物にある、象のように思えるのだ。
鼻は、あきれるぼと、高く伸びて、先の方が、少し垂れて、赤く色づいているのが、とても、嘆かわしいのである。
特に、嘆かわしいのは、肌の色。雪も恥ずかしいほど、白く、青く見えるほどである。
額が、大変広いのに、まだ、その下が、大変長くありそうな顔は、おおかた、甚だしく長い顔なのであろう。
その、痩せていることといったら、気の毒なほどに、骨が目立ち、肩のあたりは、痛々しいほど、衣の上に見えるのである。

凄い、表現である。
ここまで、言うかというほど、書いている。
作者は、女であるから、女に対しては、容赦しない物言いである。
作者の周囲に、このような、女がいたのであろうか。

胸つぶれぬ
胸がドキドキする。
酷く驚くのである。

あな、かたは
あな、は、感動である。かたは、は、不体裁である。見苦しいという意味。

鼻の様子で、色づきたる、赤く色づいていることから、この段の、末摘花という、名になった。


「何に残りなう見あらはしつらむ」と思ふものからめづらしき様のしたれば、さすがにうち見やられ給ふ。頭つき髪のかかりはしもうつくしげに、めでたしと思ひ聞ゆる人々にも、をさをさ劣るまじう、うちぎの裾にたまりて、ひかれたる程、一尺ばかりあまりたらむと見ゆ。着給へる物どもをさへ言ひたつるも、物言ひさがなきやうなれど、昔物語にも、人の御装束をこそ先づ言ひためれ。



源氏は、何故、見てしまったのかと、思うものの、めったに見られない様なので、つい、自然と、見てしまうのである。
頭髪、髪のかかり具合は、源氏が、可愛らしいと、思う人々、女達からも、劣らない様子で、うちぎの、裾にたっぷりと、たまって、その先に引かれた髪も、一尺ほどもあまっているのかと、見える。
お召しになっているものまで、あれこれ言うのも、物言いが、意地悪だが、昔物語にも、女の、お召し物のことを言うのだからと。

うちぎ
内に着るもの。何枚か重ねて着る。女の平常の上着にもなる。

着給へる物どもをさへ言ひたつるも
作者のいい訳である。
作者の気持が、多分に入り込むのである。



ゆるし色の理なう上白みたる一襲、名残なう黒きうちぎ重ねて、上着にはふるき皮衣、いと清らにかうばしきを着給へり。古代の故づきたる御装束なれど、なほ若やかなる女の御よそおひには、似げなうおどろおどろしき事、いともてはやされたり。されど、げにこの皮なうて肌寒からまし、と見ゆる御顔ざまなるを、心苦しと見給ふ。なにごとも言はれ給はず、我さへ口とぢたる心地し給へど、例のしじまも試みむと、とかう聞え給ふに、いたう恥ぢらひて、口覆し給へるさへ、ひなび古めかしう、ことごとしく、儀式官のねり出でたるひぢもち覚えて、さすがにうち笑み給へる気色、はしたまうすずろびたり。いとほしくあはれにて、いとど急ぎ出で給ふ。


薄紅の、白ちゃけた、単衣を、ひと重ね、その上に、以前は、何色だったのか判らないな、黒ずんだ、うちぎを重ねて、上着には、ふるきの皮の綿入れで、大変美しく、香の薫りが染み込んだものを、着ている。
古風で、由緒ある、衣装だが、やはり、若々しい女の衣装としては、不似合いで、仰々しいのであり、特に目立つのである。
しかし、それがなければ、肌寒いであろうと、思われる。
姫君のお顔の様子を見て、源氏は、気の毒に思われるのである。
源氏は、何も言うことが出来ず、自分までも、無口になってしまうのだが、いつもの、姫の、だのんまりを試してみようと、あれこれと申し上げるが、姫君は、大変恥じらい、口を覆ったままで、その様までも、田舎じみて、古めかしく、大袈裟で、儀式官が、歩き出した時の、その肱の張り具合が、思い出され、さすがに、微笑む様子も、ちぐはぐで、落ち着かない。
源氏は、気の毒と、かわいそうで、急ぎ、帰られるのである。

ゆるし色
薄い紫、薄い紅色のことであり、濃い紫、濃い紅色の衣装は、帝の許しがいるものであった。
それゆえ、禁色、きんじき、と、呼ばれた。

一襲
ひとかさねと、読む。

黒豹の皮で作ったものを、ふるき、という。

もてはやされたり
もてはやす、とは、美しく見せる、引き立たせるという意味。
現在、もてはやすは、人が他人に対しての、行為であるが、ここでは、自ら、不釣合いが、目立つという、意味での、もてはやす、である。

はしたなう、すずろびたり
はしたなし、とは、中途半端である。体裁をなさない。
すずろぶ、とは、目的なく、理由もない、状態である。
関係が明確でなく、落ち着かない様子。
大袈裟な、身振りで、わずかに、微笑むことの、不釣合いである。
それは、滑稽である。

ここまで、作者は、姫君を、描くという。
当時の最悪の状態にある、姫君の、様子ということで、実に、学ばせられるものである。
ここまで、書かれれば、参ったと言うしかない。

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2008年11月20日

もののあわれ361

日たけ行きて、儀式もわざとならぬ様にて出で給へり。暇もなう立ちわたりけるに、よそほしう引き続きて立ちわづらふ。よき女房車多くて、ざふざふの人なきひまを思ひ定めて、皆さしのけさする中、あんじろの少しなれたるが、下簾の様などよしばめるに、いたう引き入りてほのかなる袖口、裳の裾、かざみなど、物の色いと清らにて、ことさらにやつらたる気配しるく見ゆる車二つあり。「これは、さらにさやうにさしのけなどすべき御車にもあらず」と、口ごはくて手触れさせず。いづかたにも若き者ども、えひ過ぎ立ち騒ぎたる程のことはえしたためあへず。おとなおとなしき御前の人々は、「かくな」などと言へど、えとどめあへず。




日も高くなっているので、外出の儀式も格式張らず、葵の上の一行は、お出かけになった。
物見車が、混雑して立ち並んでいる。
それらは、美しく並んでいるが、車の置き場に困っているようである。
立派な女房車が多く、車沿いの、人のいない空き地を見つけ、ここにと思い定めて、あたりの車を皆、退けさせる中に、網代車で、真新しくはないが、下簾の様子など、乗り主の、趣味が伺えて、乗り手は、車の奥に、ちらりと見える、袖口、裳の裾、かざみ、など、色合いも、こざっぱりとして、わざと目立たぬようにしている様子の、車が二台ある。
これは、全く、押し付け退ける車ではないと、言い張り、手を触れさせない。
どちらも、若い者どもが、酔い過ぎて、立ち騒いでいる時は、鎮めることなど、できない。
年配の、前駆の人々は、そんなことは、するなと言うが、とても、制しすることができない。


あんじろ
車の簾の中に掛けて、下に長く垂らす、白絹である。

よしばめる
教養が、現われる様である。




斎宮の御母御息所、「ものおぼし乱るる慰めにもや」と、忍びて出で給へるなりけり。つれなしづくれど、おのづから見知りぬ。男「さばかりにては、さな言はせそ。大将殿をぞ豪家には思ひ聞ゆらむ」など言ふを、その御方の人も交れれば、「いとほし」と見ながら、用意せむもわづらはしければ、知らず顔を作る。




これは、斎宮の御母、御息所が、物思いに乱れて、心の慰めにもなろうかと、こっそりと、出られた車である。
気づかれないようにしているが、自然に、御息所と解る。
男は、それくらいの車に、そんなことを言わせるな。大将様を御大家として、頼みにしているのだろう、などと言うのを、大将方、つまり、源氏方の、人々も、御供に交じっているので、御息所を気の毒と思いつつも、仲裁するのも、煩わしいと、知らぬ顔をする。





つひに御車どもたて続けつれば、ひとだまひの奥におしやられて、もの見えず。心やましきをばさるものにて、かかるやつれをそれと知られぬるが、いみじう嫉きこと限りなし。しぢなどもみな押し折られて、すずろなる車の筒にうちかけたれば、またなう人わろく、悔しう、「何に来つらむ」と思ふに、かひなし。「ものも見で帰らむ」とし給へど、通り出でむ暇もなきに、「事なりぬ」と言へば、さすがに、つらき人の御前わたりの待たるるも、心弱しや。笹の隅にだにあらねばにや、つれなく過ぎ給ふにつけても、なかなか御心づくしなり。



とうとう、大臣の車を、立て続けたので、お供の衆の車の後へ、押しやられて、何も見えない。
胸の痛みは、言うまでもないことである。
この、忍びの姿を、それと知られたくないが、この上もなく、悔しい気持である。
車を立てるために、ながえを乗せる、しじ、なども、皆押し折られて、轅、ながえ、を、他の車の、こしき、に、打ち掛けてあるため、体裁が悪く、それが残念で、何のために、出て来たのかと思う。
今更、詮無いことである。
何も見ずに、帰ろうとするが、抜け出す隙間もない時、行列が来たと、言うので、恨めしい方の、お通りを、このような形で、待たされるとは、と、女心の弱いことである。
ここは、笹の隈でもないからか、馬も止めずに、見向きもせずに、通られるにつけても、かえって、尽きぬ、物思いの、種となるのである。

葵の段の、車争いの部分である。
御息所は、非常に傷ついてしまうのである。



げに常よりも好み整へたる車どもの、我も我もと乗りこぼれたる下簾のすきまどもも、さらぬ顔なれど、ほほえみつつ、しり目にとどめ給ふもあり。大殿のは著ければ、まめだちて渡り給ふ。御供の人々うちかしこまり、心ばへありつつ渡るを、おしけたれたる有様、こよのうおぼさる。

御息所
かげをのみ みたらし川の つれなきに 身のうきほどぞ いとど知らるる

と涙のこぼるるを、人の見るもはしたなけれど、目もあやなる御様かたちの、いとどしういでばえを見ざらましかば、とおぼさる。




以前に話したように、いつもより、趣向を凝らした、数々の車の、下簾の、隙間、隙間にも、そ知らぬ顔をされながら、源氏は、にっこりとして、流し目に、御覧になることもある。
大臣家の、車は、はっきりと、解るので、真面目な顔をして、通る。
御供の衆も、敬意を表して、気をつけて、通るので、御息所は、惨敗したような気分で、我が身を、この上なく、哀れと、思うのである。

御息所
御祓の行われる今日、御手洗川で、お姿を遠くから、見たが、君の無情に、我が身の、不幸を、更に深く思い知らされる。

と、涙のこぼれるのを、人が見るのは、きまり悪いが、眩いばかりの、御姿の、常よりも、いっそう美しく、晴れ晴れとして、お引き立ちなのを、もし、見ずにいたなら、どんなにか、残念だろうかと、思うのである。

笹の隈にだにあらばにや
古今集
笹の隈 ひのくま川に 駒とめて しばし水かへ かげをだに見ん
からの、笹の隈、である。

みたらし川
み、と、影をのみ見、の、見を、かけている。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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