2008年10月31日

もののあわれ311

君は大殿におはしけるに、例の女君とみにも対面し給はず。物むつかしくおぼえ給ひて、あづまをすががきて、「常陸には田をこそ作れ」といふ歌を、声はいとなまめきて、すさび居給へり。参りたれば、召し寄せてありさま問ひ給ふ。しかじかなむ、と聞ゆれば、口惜しう思して、「かの宮に渡りなば、わざと迎へ出でむも、すきすぎしかるべし。幼き人を盗み出でたりと、もどき生ひなむ。その先に、しばし人にも口固めて、渡してむ」とおぼして、源氏「暁かしこにものせむ。車の装束さながら、隋身一人二人仰せおきたれ」と宣ふ。承りて立ちぬ。




君は、大臣邸に、おいでになったが、いつも通り、女君は、すぐに対面されない。
面白くない気分で、和琴を掻き鳴らし、常陸で、田作りする私を、仇し心を疑って、という、歌を、色っぽい声で、口ずさんでいる。
惟光が、参上した。
召し寄せて、様子を聞かれる。
このようなことにと、申し上げると、残念に思い、あの、父宮のご殿に引き移った後で、迎えるというのも、色好みの、技に、思われるだろう。
小さな人を、盗んだと、非難される。宮邸に、引き移る前に、しばらくは、皆に口止めして、連れて来ようと、思い、源氏は、朝早く参る。車は、そのままにして、隋身と、一人を用意させておけと、仰る。
お受けして、惟光は、さがる。

いよいよ、幼女、略奪である。

あづまをすががきて
東琴、和琴のことである。
それを、すががきてとは、奏法である。
演奏するということ。
すががきて
楽器を演奏することを、そのように言った。




君、「いかにせまし。聞えありて、すきがましきやうなるべき事。人の程だに、物を思ひ知り、女の心かはしける事とおしはかられぬべくは、世の常なり。父宮の尋ね出で給へらむも、はしたなうすずろなるべきを」と思し乱るれど、さてはづしてむは、いと口惜しかるべければ、まだ深夜深う出で給ふ。




君は、どうしたものか。世間に知れると、色好みのゆえだと、言われる事だ。
せめて、相手が、物のわかる年で、心を合わせての事と思われるならば、世間には、普通にあること。
父宮が、探し出した場合は、きっと、きまり悪く、変な気持であろう。と、逡巡する。
しかし、今、取り逃がしてはと、残念と思うだろう。
まだ、夜の深いうちに、お出でになった。

私は、この部分の、いろいろな分析や、解釈を、取らない。
物語は、面白いか、面白くないかである。
ただ、それだけである。
わくわくドキドキ、でいい。
作者も、そうであろう。




女君、例のしぶしぶに、心もとけずものし給ふ。源氏「かしこにいとせちに見るべき事の侍るを、思ひ給へ出でてなむ。立ちかへり参り来なむ」とて出で給へば、侍ふ人々も知らざりけり。わが御方にて、御直衣など奉る。惟光ばかりを馬に乗せて、おはしぬ。


どうして、源氏の妻は、このような態度なのか。
いつも、源氏を気に食わないのである。
悪妻という存在に仕立てているのである。
これも、物語の、面白さを、引き出す。

女君は、いつもの通り、気が進まない。打ち解けもしない。
源氏は、邸に、是非とも、しなければならないことが、あるのを、思い出しました。
すぐに、帰って来ますと、言い、お出かけになった。
侍女たちも、知らない。
お部屋で、直衣などを、お召しになる。
惟光だけを、馬に乗せて、お出になった。


かしこに
源氏の邸のことである。
当時は、別に自分の家を持つのである。
通い婚である。
源氏の住まいは、二条の院である。

現代小説ならば、この当たりは、スピードアップ、早いテンポであるが、この、古典では、なかなか、感じ取りにくい。
しかし、惟光を、一人馬に乗せるというから、急いでいる。
源氏は、車に乗り、惟光を、馬である。
普通なら、惟光は、歩いて、御供する。

つまり、同じスピードで、向かっているということだ。

しかし、源氏は、自分の行為を、
はしたなう すずろなるべきを
と、考えているということである。

今流で、言えば、やばいねー、顔を合わせたら、どんなことになるか。
幼い娘を、拉致同然で、連れ去るという、行為を、その親ならば、どのように、思うか。しかし、相手は、帝の、子である。
身分が高いということで、見逃すしかない、のである。

当時の、身分制度を、知らなければ、理解出来ない、ところである。
それにしても、無謀である。

源氏の心を、衝き動かすものは、何か。
紫式部は、また、何に衝き動かされて、この、展開に至ったのか、である。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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