2008年10月30日

もののあわれ310

君御許よりは、惟光を奉れ給へり。「まいり来べきを、内より召しあればなむ。心苦しう見奉りしも、静心なく」とて、宿直人奉れ給へり。女房「あぢきなうもあるかな。たはぶれにても、もののはじめに此の御事よ。宮聞し召しつけば、侍ふ人々のおろかなるにぞさいなまむ。あなかしこ。物のついでに、いはけなくうち出で聞えさせ給ふな」など云ふも、それをば何とも思したらぬぞあさましきや。




源氏の君から、惟光をお遣わしになった。
源氏の口上は、伺うはずとのころ、宮中からのお召しゆえ。お気の毒だと、拝見したご様子も、気がかりで、とのお言葉である。泊り番の者を、遣わしてお伝えする。
乳母は、情けないことです。ご冗談であったかもと思い、ご縁組のこと、早々に、このようになされること、宮様の、お耳に入りましたら、お付きする者どもの、不行き届きと、お叱りを受けましょう。何卒、うっかりと、お口にしないで遊ばしませ、などと言うが、その、乳母の言葉を、何とも思われないのである。

もののはじめに此の御事
結婚後、三日は、通うのが、礼儀である。しかし、源氏は、来られず、宿直人を遣わすのは、妾に対する対応であるという。
それを、このようにされると、訳した。




少納言は、惟光にあはれなる物語りどもして、少納言「あり経て後や、さるべき御宿世のがれ聞え給はぬやうもあらむ。只今は、かけてもいと似げなき御事と見奉るを、あやしう思し宣はするも、いかなる御心にか、思ひよる方なう乱れ侍る。今日も宮わたらせ給ひて、「うしろやすく仕うまつれ。心幼くもてなし聞ゆな」と宣はせつるも、いとわづらはしう、ただなるよりは、かかる御すき事も、思ひ出られ侍りつる」など云ひて、この人も事あり顔にや思はむ、など、あいなければ、いたう嘆かしげにも言ひなさず。丈夫も、いかなる事にかあらむ、と心得がたう思ふ。



少納言、乳母は、しみじみと、惟光に、お話をする。
そして、何年か経て後、結局は、ご一緒になられる、運命で、どうしょうもないことでも、ありましょう。
でも、今のところは、まるっきり、お似合いではない、御事と、拝します。
それに、普通ではないこと。どうした、思し召しであろうかと、考える筋も、ありません。
今日も、宮様が、いらして、心配のないように、お世話をいたせとのこと。考え無しの、扱いはするなとのことです。
などと言って、この方も、何かあったという風に、思いはしないかと、変な感じがするのである。だが、大して困っているようでもない。
惟光は、どういう事なのかと、考えてしまう。

乳母も、戸惑いつつ、どうしていいのか、対処に困っているのである。
若君と、父宮の関係と、源氏と若君の関係である。

若君が、成長したならば、そのような、男女の関係にも、なるでしょうが、今は、まだ、若く、早いのではとは、思いつつ、はて、どのようにしたらいいのかと、戸惑う。
それを、見て、惟光も、考え込むのである。




参りて有様など聞えければ、あはれに思しやらるれど、さて通ひ給はむも、さすがにすずろなるここちして、かるがるしうもてひがめたると、人もや漏り聞かむ、などつつましければ、ただ迎えへてむとおぼす。




源氏の元に、戻り、有様を報告する。
源氏は、可愛そうにと、思われるが、それではと、出向いて行くのも、憚られる。
身分に相応しくない行為である。
物好きな振る舞いと、それを聞いた人は、思うだろう。
いっそのこと、引き連れて、来ることがいいのではないかとも、思う。

すずろなるここちして
憚られる。
躊躇する気持である。



御文はたびたび奉れ給ふ。暮めれば例の丈夫をぞ奉れ給ふ。「さはる事どものありて、え参り来ぬを、おろかにや」などあり。少納言「宮より明日俄かに御迎へにと宣はせたりつれば、心あわただしくてなむ。年頃の蓬生をかれなむも、さすがに心細う、侍ふ人々も思ひ乱れて」と、言少なに言ひて、をさをさあへしらはず。者縫ひいとなむけはひなどしるければ、参りぬ。




お手紙は、度々差し上げる。
暮れると、惟光を、お遣わしになる。
源氏は、差し支えがあり、参上しないのを、疎遠であると、思われるかもしれないが、などとしるしてある。
乳母は、宮様から、明日、急にお迎えにと、仰せがありました。
気が急きまして、長年住み慣れた草深い家を出ますのも、矢張り心細く、皆々も、落ち着かなくてと、言葉少なく、相手になる雰囲気ではない。
縫い物などをしている様子などが、解り、惟光は、帰って来た。


源氏も、どのようにしたらよいのかと、思案している。
人様の子である。
その、自分の振る舞いは、実に、無謀であるが、結局、源氏は、若君、略奪に、行動するのである。

何とも、スリリングな展開である。
物語の、面白さでもあるが、今なら、未成年者、拉致であり、犯罪になる。
だが、当時としても、尋常ではないこと。
ある意味では、ゆゆしきことである。

色好みの、究極である、行為であろうか。
好みのままの、女性を自らの手で、作り上げるという。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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