2008年10月28日

もののあわれ308

いみじう霧渡れる空もただならぬに、霜はいと白うおきて、まことの懸想もをかしかりぬべきに、さうざうしう思ひおはす。いと忍びて通ひ給ふ所の、途なりけるを思し出でて、門うち叩かせ給へど、聞きつくる日となし。かひなくて、御供に声ある人して、うたはせ給ふ。

「朝ぼらけ 霧たつ空の まよひにも 行き過ぎ難き 妹が門かな」

と、二返りばかりうたひたるに、よしばみたる下仕をいだして、

「立ち止まり 霧のまがきの 過ぎうくは 草のとざしに さはりしもせじ」

と云ひかけて入りぬ。また人も出で来ねば、帰るもなさけなけれど、明け行く空もはしたなくて殿へおはしぬ。




すっかりと、霧がかかる空も、いつもとは違う風情である。
その上、霜が白く置いて、後朝ならば、深く感じ入るだろうに。
子供相手では、何か、物足りないのである。
車は進む。
ふと、人目を忍んで、通った所が、道筋にあったことを、思い出し、供人に、門を叩かせた。
しかし、聞きつけて来る者は、いない。
しかたなく、供人の声の張る者に、歌わせた。

あさぼらけ きりたつそらの まよひにも ゆきすぎかたき いもがかどかな
明け方の、霧の立ち込める空は、どこかと解らぬが、お前の家は、矢張り、目立って、通り過ぎることは、出来ない。

と、二度ほど、歌わせた。心得たる、女が奥から現れて、

たちどまり きりのまがきの すぎうくは くさのとざしに さはりしもせじ
お立ち止まりになりまして、霧のかかる、この家が、お通りなり難ければ、草で作った、儚い戸、お入りになる、邪魔は、したしません。

と、言うなり、中に入った。

それっきり、出て来ない。
帰ることも、つまらないが、さりとて、明け行く空の下では、具合が悪いのである。
そのまま、邸に戻ることにした。


まことの懸想もをかしかりぬべき
本当の、後朝 きぬぎぬ、の別れである。つまり、情を交わして、帰る道である。
相手が、子供だから、そんな、気分でもないのである。




をかしかりつる人の名残恋ひしく、ひとりえみしつつ臥し給へり。日高う大殿籠起きて、文やり給ふに書くべき言葉も例ならねば、筆うちおきつつすさび居給へり。をかしき絵などをやり給ふ。



若君の様子が浮かび、一人思い出して、笑いつつ、お休みになる。
日も高くなり、起きて、後朝の文を書くことも、書くべき歌も、いつもとは、違うので、筆を置いて、思案する。
そして、面白い絵などを、遣わすことにする。



何とも、優雅な遊び心である。
毎日、毎日、この時代の、貴族たちは、恋に明け暮れていたようである。
平安期の、貴族社会は、退廃そのものである。

その一つに、浄土思想がある。
弥陀の救いを求めて、それで、安心するという。
生活の心配は無い。
後は、ただ、恋に遊ぶのである。

そんな中で、一人、目覚めていたのが、紫式部である。
この、平和、太平の世に、書くという、意欲は、ただ事ではない。
ここに、日本の精神史の、ポイントがある。

一人、凄まじい教養を持ちつつ、人の世の常なる儚さの中にあり、よるべない心の有様を、見詰めていた。
夫亡き後、我が子の成長を見つつ、じっと、何物をかを、見詰めていた。
彼女も、浄土信仰に、傾倒していたようだが、それはそれであった。
漢籍も、和歌も、そして、貴族たちの、趣味をも、見つつ、一体、彼女が、何に目覚めていたのか。

物語を書いたことにより、藤原道真に中宮彰子の、女房に取り立てられて、漢籍などを、講義している。
それは、物語後である。

独り身の内にあり、紫式部が、見たものとは、何か。
それは、もののあはれ、というものである。
その総称として、物語に表現を託した。
すべては、空言である。
空言ではあるが、それは、彼女には、現実でもあった。

物語の中に描かれる物語は、当時の、世の中、特に宮廷と、貴族社会にある、話を、元にしている。
現実を、物語として書くという行為は、何か。
そして、それは、世界では、まだ、誰も行っていなかった、散文の形式である。
日本の、女房文学は、世界の女房文学でもあった。

後々に、源氏物語の作者が、複数であるということを、私も、考察する。
だが、それは、紫式部という、一人が、負っている。
複数であっても、紫式部が代表するのである。

つまり、芸術作品は、誰のものでもなくなるという、定めというものを、見ることにする。
まして、千年を経れば、それは、国民の宝であり、作者は、その象徴である。

さて、藤原の世が過ぎて、平家が立ち、そして、源平合戦へと、進む。
その後は、鎌倉時代、武家社会の到来である。
束の間の、平安である。太平である。その中で、描かれた物語である。

歴史は、怒涛の如くに、突き進む。
大化の改新からの、飛鳥、奈良の、動乱期を過ぎて、ほんの束の間である。

未来は、すべて、歴史に隠されてある。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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