2008年10月21日

もののあわれ301

かの山寺の人は、よろしうなりて、出で給ひにけり。京の御すみか尋ねて、時々の御消息などあり。同じ様にのみあるも、道理なるうちに、この月頃は、ありしにまさる物思ひに、異事なくて過ぎ行く。



あの山寺の人は、快方に向かって、山を出られた。
京のお住まいを捜して、時々、お手紙を、差し上げる。
しかし、いつも同じ内容の、返事であるのも、無理ないことと、思いつつ、この幾月は、昔以上の、苦しい物思いに、藤壺の宮のことばかりを、考えて過ごす。

返事というのは、あの少女のことである。
幼すぎて、話にならないということだ。

ありしにまさる
いつものようではない。
通常のものではない、という。

秋の末つ方、いともの心細くて、嘆き給ふ。月のおかしき夜、忍びたる所に、からうじて思ひたち給へるを、時雨めいてうちそそぐ、おはする所は六条京極わたりにて、内裏よりなれば、すこし程遠きここちするに、荒れたる家の、木立いとものふりて、木暗く見えたる、あり。



秋の終わりになり、何かたまらなく心細く、溜息が出る。
月の美しい夜に、秘密の愛人の所に、やっとのことで、出掛ける気になったが、時雨のように、雨が降ってきた。
出掛ける先は、六条京極付近である。
そこは、宮中より、少し距離がある。途中、手入れのしない、家の木立が、とても古びて、木暗く見えるのである。



例の御供に離れぬ惟光なむ「故按察使の大納言の家に侍り。ひと日物たよりにとぶらひて侍りしかば、かの尼上いたう弱り給ひにたれば、何事もおぼえず、となむ申して侍りし」と聞ゆれば、源氏「あはれのことや。とぶらふべかりけるを、なぜかさなむとものせざりし。入りて消息せよ」と宣へば、人入れて案内せさす。



いつも通り、お供する惟光が、なき、あぜち大納言の家でございます。先日、ついでに見舞いましたら、あの尼君は、酷く弱って、何も手がつきませんと、少納言が、申していましたと、申し上げる。
源氏は、気の毒なこと。
お見舞いすべきだったのに、どうして報告しなかったのか。入って、案内を、請えと、仰るので、供を邸に入れて、申し入れさせた。


あはれのことや
憐れみの感嘆である。
それは、嘆きのことも、哀しみのことも、慈しみのことも、あはれ、なのである。

あはれは、自由自在である。
天地自然、人事全般に渡り、あはれは、広がる。



わざとかう立ち寄り給へる事、と言はせたれば、入りて、供人「かく御とぶらひになむおはしましたる」と言ふに、おどろきて、女房「いとかたはらいたき事かな。この日頃むげに、いと頼もしげなくならせ給ひにたれば、御対面などもあるまじといへども、帰し奉らむはかしこし」とて、南の庇ひきつくろひて入れ奉る。



わざわざお出かけになりましたと、口上を述べさせたので、内に入り、供人は、わざわざお見舞いに、おいで遊ばしましたと言うと、女房たちは、驚き、どうしたらよいのか。ここ数日、すっかり弱りまして、ご対面は、できますまいが、でも、このまま御帰ししては、恐れ多いと、南の庇を、片付けて、お入れ申し上げる。



女房「いとむつかしげに侍れど、かしこまりをだにとて。ゆくりなうもの深きおまし所になむ」と聞ゆ。げにかかる所は、例に違ひて思さる。



女房は、まことに、取り散らかしたる所でございますが、せめて、お見舞いの、お礼だけでもと、存じまして。知らずとはいえ、陰気なお座敷で、恐れ入りますと、申し上げる。
いかにも、このような席は、勝手の違う思いがする。


ゆくりなうもの
ゆくりなく、という、不意に、しかしそのようにある如くという、たゆたう言葉である。
実に、繊細微妙な言葉である。
おまし所
御座所である。源氏を座らせる場所である。客間になる。



源氏「常に思ひ給へ立ちながら、かひなき様にのみもてなさせ給ふに、つつまれ侍りてなむ。悩ませ給ふ事を、かくとも承らざりけるおぼつかなさ」など聞え給ふ。



源氏は、いつも、思い立ちながら、参っても、詮無いことと、気が引けまして。
ご病気も、知らず、気になりますことです。と、仰る。

つつまれて侍りてなむ
何も力にならないのである。
訪れても、詮無いことである。
つまり、何も出来ないのだが。

いつも、気にかけていましたが、こちらに来ても、何も出来ることがないのです。
まして、病気であるとは。知らずとは言え、本当に気がかりになります。

このように、相手に対する様に、もののあわれ、というものを、観るのである。
人に対処する様にも、もののあわれ、という風景がある。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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