2008年10月20日

神仏は妄想である 154

緒の善男子よ、我が滅しぬる後に於て、誰か能く、この経を受持ちて読みそらんぜん。今仏の前に於て、自ら誓の言を説け。この経は持ち難し。もし暫くも持つ者あらば、我則ち歓喜せん。諸仏もまた然り。
法華経

諸々の、善男子よ、私の滅した後で、この経典を、受持ち、読むことである。
今こそ、仏の前において、その誓いの言葉を説け。この経典は、中々持つことが出来ない程、大切なものである。
これを、掲げるものあれば、私は、歓喜する。
そして、諸々の仏たちも、である。

釈迦の、究極の、遺言のように、日蓮は、それを、聞いた。
更に、正法として、掲げるのである。
日蓮にとって、正法こそ、重大なものである。
これこそ、正法である、と、信じ込んだ時、日蓮の覚悟が、決まった。

ところが、日蓮は、この、法華経というもの、大乗仏典の中でも、創作中の創作の、御伽噺であるとは、知らない。
とにかく、仏陀最期の教えであると、聞いた。

鎌倉仏教の、最初を、走り出した法然から、親鸞、そして、道元、この日蓮も、含めて、すべて、主観の何物でもない。
その、主観を、信仰というものに、置き換えただけである。

選択仏教と、言われるが、それは、多く中から、一つを、取り出して、それを、掲げて、意気揚々と、救いの道を説くということである。
その根拠は、主観のみである。

日蓮を、俯瞰する。

12歳の時に、安房の国長狭郡片海の漁師の子に、生まれた日蓮は、同じ郡内にある、清澄寺に、入る。
天台宗山門派に属する寺である。
最初は、稚児として、雑事をするために、入った。
成人すると、里に戻るか、出家して、本格的な、修行に進むかを、決める。

結果、日蓮は、出家を選んだ。
出家した、日蓮は、鎌倉、京、畿内へと、遊学の旅に出る。
ある人、荘園経営の実務を学ばせるために、寺の代表として、派遣したという。
それも、ありなんである。
しかし、それを、詮索している暇は、ない。

日蓮の、遊学は、30過ぎまで、続いた。
勿論、その間、仏教教学に、のめり込んでいる。
比叡山は、もとより、京、畿内の、寺を回り、熱心に、学んだ。

30の時に、新義真言宗の祖とされる、覚鑁 かくばんの、五輪九字明秘密釈を、書写したという。
それは、真言密教をはじめ、諸宗派の教学にまで、及ぶ。

ちなみに、この覚鑁は、撹乱している。その考え方が、である。私見である。

そして、その青年期、日蓮は、数々の神秘体験をしていると、いわれる。
これが、曲者である。

ある本によると、日蓮が、出家した時、虚空蔵菩薩に知恵を、授けてくれるように、願い、生身の菩薩から、知恵の大宝珠を、右の袖に受け取る、とある。
また、32歳の時、不動明王、愛染明王を、目の当たりにして、それを、図に描いて、弟子に授けている。

中世は、実に、このような、神秘体験というものが、多い。
勿論、それは、妄想であり、あるいは、邪霊の類の、遊びである。

それを、神仏との、交感という、アホがいるから、世話がない。

さて、問題は、寺社会の中で、知識を得ていた日蓮は、次第に、その世界から、逸脱してゆく。
それは、現実世界の有様である。

ここに、野心の芽生えがある。

当時の、寺社会とは、世間と、全く、隔絶されていた。
比叡山などは、すでに、地上の楽園の様である。
荘園経営の豊潤さに、学僧たちは、厚く保護され、特権階級並の、生活である。
あの、中世である。

信長が、比叡山、焼き討ちをしたのは、まさに、正しい。あれでも、手緩い。
皆殺しにしたが、逃れた者もいる。
討伐に、当たった秀吉は、逃げた者を、追わなかった。
それが、誤った。
キリシタンを、徹底して、正当防衛で、殺したように、徹底して、よかったのである。

ちなみに、キリシタンを、許していたら、今頃、日本は、ローマ法王が、指揮する国になっていた。
アメリカの言いなりになる日本などというものではない。
伝統を破壊され、とんでもない、国になっていた。

勿論、今も、伝統を破壊され、アメリカ左翼、アメリカ左派のような、へんてこりんな、識者が、嘘八百を、泡を吹いて言う国になったのであるが。


そのような、環境で、仏教を、お勉強して、どうなるのかは、見ての通りである。
糞の役にも立たない、仏の道が、一丁出来上がりで、現実の世界とは、何の関わりもない、坊主の、やりたい放題である。

里には、女を幾人も、囲い、セックス三昧。修行三昧では、ない。セックス三昧である。
さらに、稚児遊びの、甚だしさといったら、無い。
僧兵などは、里の貧しい子を、稚児にして、その、性欲のために、窒息死するのも、平然としていた。
書くのも、嫌になる、体たらくである。

すでに、あの頃から、仏教は、堕落し、今に至っては、堕落を通り越し、アホ、馬鹿、間抜け、糞ったれ、もう一つおまけに、自害して果てろ、である。

当時、現れた、本覚思想というものを、見れば、唖然呆然である。

地獄界は地獄界ながら、餓鬼界は餓鬼界ながら、ないし仏界は仏界ながら、なにひとつ改めることなく、そのままの姿で悟りの相を示している、と説かれるのである。決して万象が一つの根本真理に帰すのではない。本門の教えでは、迷妄の衆生がそのままとりもなおさず実相であり、邪見を抱いた衆生がそのまま仏の当体なのである。
源信 作 三十四箇事書

この世は、本質的に、悟りの世界である。
それを、地獄としか、見ることができないのは、その人間の悟りの境涯が、低いからであると、平然という。
呆れる。

要するに、何とでも、言える、解釈する世界が、宗教というもの。

日蓮も、その影響を、受けて、最初の著作、戒体即身成仏義には、

法華の悟りをえるとき、我らの色心生滅の身がそのまま不生不滅の存在となる。国土も同様である。この国土をはじめ、馬牛や六畜までみな仏である。草木月日もみな聖衆なのである。
と、ある。

21歳の、日蓮の悟りは、道元の、それと同じく、目の前のもの、すべて、仏である。
何から、何まで、仏であると、妄想した。

こういうのを、仏病、という。
今も、仏病に罹っている、仏教の、僧、信徒である。

この世の、存在は、あるがままの、形で、仏の悟りを表しているのだと、釈迦仏陀が、聞いたら、泡を吹き、気絶する。




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もののあわれ300

中将の君も、おどろおどろしう、様異なる夢を見給ひて、合はする者を召して問はせ給へば、及びなう思しもかけぬ筋の事を、合はせけり。夢「その中に違目ありて、慎ませ給ふべき事なむ侍る」と言ふに、わづらはしくおぼえて、源氏「自らの夢にはあらず。人の御事を語るなり。この夢合ふまで、また人にまねぶな」と宣ひて、心のうちには、いかなる事ならむ、と、思しわたるに、この女宮の御返事聞き給ひて、「もしさるやうもや」と、思し合はせ給ふに、いとどしく、いみじき言の葉尽くし聞え給へど、命婦も思ふに、いと剥くつけうわづらはしさまさりて、さらにたばかるべき方なし。はかなき一行の御返しの、たまさかなりしも、絶えはてにたり。




中将の君も、驚くしかない、異様な夢を見て、夢占いを召して、お尋ねになる。
及ぶこともない、考えも着かない、ストーリイである。
夢占いは、凶相もありまして、お慎みあそばねばならないと、言う。
事は、面倒と、思い、源氏は、私の夢ではない。ある人の、夢である。この夢が、事実となるまで、誰にも、申すなと仰る。
心の中では、どんなことであろうと、思う。
藤壺の宮の、懐妊の話を、聞いて、あるいは我が種か、と、思い当たりになり、いよいよ、切に、言葉を尽くして、逢瀬を、頼むのであるが、命婦は、考えても、恐ろしいことと、手に余る思いにして、全く、計らいようがないのである。
ほんの、一行の返事がきたが、それさえ、まるっきり、来なくなった。

中将の君とは、源氏のことである。
源氏の位が、中将である。

懐妊の、報せは、悪い夢の事だったのか。

及びなう思しもかけぬ筋の事
今度、生まれる御子が、即位あそばすという、占いの言葉である。

源氏が、人の御事を語るというのは、敬語であるから、源氏より、身分の高い方とは、帝であるゆえ、帝の夢と、嘘を言ったのだ。


とんでもない、展開になってきた。



七月になりてぞ参り給ひける。めづらしうあはれにて、いとどしき御思ひの程かぎりなし。少しふくらかになり給ひて、うち悩み、面痩せ給へる、はた、げに似るものなくめでたし。例の明け暮れこなたにのみおはしまして、御遊びもやうやうをかしき頃なれば、源氏の君も、いとまなく召しまつはしつつ、御琴笛など、様々に仕うまつらせ給ふ。いみじうつつみ給へど、忍び難き気色の漏り出づる折々、宮もさすがなる事どもを、多くおぼし続けけり。




七月になり、藤壺の宮が、参内された。
主は、お久しぶりで、愛しく、常にも増して、愛情は限りない程である。
少し、ふっくらとしているが、お元気とは、言いがたく、面痩せしている様子。
しかし、それは、それで、評判通りの、美しさである。
いつも通り、主は、朝から晩まで、藤壺方に、おいでになり、音楽なども、盛んになる時節なので、源氏の君も、ひっきりなしに、お呼びになり、琴や笛、その他、色々と命じられる。
源氏は、ひたすら、隠しておられるが、堪えきれない気持ちが、湧くこともあり、藤壺の宮も、さすがに忘れられない、思いを、それからそれと、思い出すのである。


琴とは、十三弦の、筝、七弦の、琴、きん、六弦の、和琴、わごん、四弦の、琵琶を、総称して、琴という。


微妙繊細な、部分である。
知る者は、二人か。
いや、命婦もいる。しかし、下の者である。

主は、知らない。しかし、いずれ、知ることになる。
だが、知らない振りを通す。
ここに、源氏物語の、また、あはれな様がある。

作者、紫式部は、物語の中に、タブーを取り入れて、絢爛豪華な、展開を繰り広げた。
何故か。

人の世の、あはれ、である。

物語そのものが、あはれ、であり、更に、人の世が、あはれ、に、満ちていると、感得している。

人の世は、また、人は、何と、あはれで、儚いものであるか。
この、あはれで、儚い人の世を、生きるとは、何か。
何ゆえに人は、生まれて生きるのか。
それは、文学のテーマであり、あらゆる学問のテーマである。
そして、哲学思想、宗教のテーマでもある。

生まれた瞬間から、死に向かって生きる、人の世の様。そこに、現れる様々な、相。

王朝という、舞台を使い、紫式部は、人生の、すべてに、問題提起をしたのである。
その答えは無い。

仏という、救いの教えも、実は、刹那のものである。
更に、それは、実に、不確かである。
しかし、現実は、確かにある。
そして、それは、不確かな、人の心に支配されるものである。

日本文学は、紫式部が、テーマとしたものを、追い続けてきた。
それは、現実を、赤裸々に観るというものだ。

その、現実直視を、総称して、日本の心は、もののあわれ、という、心象風景を、置いた。それは、目の前にある、もの、すべてが、あはれ、なのである。

あはれ、を、生きると、得心した時、すべての生き方が、肯定される。
それは、宗教的でもなく、観念的でもない。
与えられた場所で、生きる、生き続けると観念した、諦観した、人の生き様である。
それを、また、もののあわれ、という。
もののあわれ、は、世界で、唯一、神仏を超えた、物の見方、考え方である。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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