2008年10月19日

神仏は妄想である 179

仏教以前のインドについて、俯瞰する必要がある。

大乗仏典の、根拠無き、誇大妄想を知る上でも、必要だと、思えるからだ。

インドは古来幾多の民族の活動舞台となり、そこで多数の民族の文化が栄えたのであるが、インド文化形成の主動的地位を占めて来たものはアーリヤ人である。インド人の用いる主要な文化語はほとんどすべてアーリヤ人の言語に由来するものである。
中村元 インド思想史

ここで、アーリヤ人の言語に由来する、ということが、重要である。

それでは、アーリヤ人の前は、どうだったのか。
西暦前3000前より、発生し、それから、前2000年にかけて、インドには、インダス文明が起こり、その文明の担い手、つまり、ある一民族が一定の都市計画の元に、都市を建設していたということである。

この文明は、広く、西暦前1500年頃まで、続いたと言われる。

インダス文明とは、何か。
この文明の文字の解明が、未だされていないという。
ただ、後世のインド民間信仰と密接な関係があると、推測される。
それは、地母神である、シヴァ神の像の原型らしいもの、性器崇拝、樹神、動物崇拝が、確認されている。

特に、牝牛が、崇拝の対象だった。それは、今でも、続いて、インドでは、平然と、牛が、街中を、闊歩している。

更に、禅定、沐浴も、行われていた。
しかし、寺院や、祭壇などは、無い。祭具というのも、見つからないようである。

アーリヤ人とは、信仰を異にしていたことは、確かである。

アーリヤ人が、インドに侵入して来た時、インドには、ムンダ族という、民族が北部インドに、生存していたことが、確認されている。

現在も、ムンダ族は、インド奥地に生存しているが、一般インド人よりも、生活程度が、低く、差別待遇を受けている。

さて、アーリヤ人の、敵対者は、ドラヴィダ人であった。
しかし、鉄を使用した、アーリヤ人に征服されたのである。

この、ドラヴィダ人は、守護神として、女神を崇拝し、性器崇拝、蛇神、そして、樹木崇拝も、行っていた。
この、習慣が、実は、インドに後々まで残ることになるのである。

アッサム、ベンガルの一部、ナーガランドには、蒙古系の種族が住み、彼らも、一般インド人とは、異なる習慣を持つ者である。

アーリヤ人は、西洋人と同じ祖先に由来する、人種である。
原住地は、コーカサスの北方地域であったとする、説が有力である。

彼らは、遊牧民として生活していた。
家畜の名称に関して、インド・ヨーロッパの諸言語に、類似性が認められるという。
ただし、穀物の名称には、それが無い。

西方に向かった者は、ヨーロッパに定住して、諸民族となる。
東方に向かった者は、西トルキスタンに数世紀定住して、その一部が、東南に進み、イラン人となる。
東南に進んだ者は、西北インドに入り、五河地方を、占領した。インド・アーリヤ人である。これが、西暦前、13世紀末といわれる。

その彼らが、前1000年頃までに、リグ・ヴェーダの、宗教を起こしたのである。
リグ・ヴェーダは、インド・ヨーロッパの、最古の文献である。
インド、最古の文献とも、言われる。

リグとは、讃歌、ヴェーダとは、知恵、転じて、バラモンの聖典となった。

アーリヤ人は、野蛮である。更に、武器と、戦術に勝れて、原住民である、ドラヴィダ人らを、征服し、駆逐してしまうのである。

原住民は、アーリヤ人の下に、隷属し、インドにおける、最下の、位置に置かれた。
だが、まだ、今に至る、カースト制までには、至らなかった。

当時の、アーリヤ人は、血縁関係、言語、宗教の、自覚はあったが、部族間の、政治的統一性は、無い。
つまり、統一国家なるものは、存在しない。

さて、リグ・ヴェーダである。
今日に至るまで、それは、暗唱によって、伝えられるという、驚異である。
前、1000年から、800年頃に、編纂されたというが、作製は、1200年から、1000年である。

アーリヤ人は、家庭の祭壇に、供物を捧げ、更に、大規模な、祭祀を行っていたという。

リグ・ヴェーダの宗教観は、多神教である。

神々の多くは主として自然界の構成要素・諸現象あるいはそれらの背後に存すると想定された支配力を神格化して崇拝の対象としたのである。
中村元

天神、太陽神、暁紅神、雷神、暴風神、風神、雨神などなど。
これらの、神々に対して、神話が発達することにより、それが、擬人化されて、独自の性格、性行が、与えられ、次第に、自然現象とは、関連なく、固定されていった。

例えば、インドラとは、理想的戦士である。後の、帝釈天と呼ばれるもの。
サラスヴァティーとは、西北の河の名前であるが、女神と、崇められて、財と富みの神とされた。後の、弁財天である。

更に、定住することによって、自然界の、関係はなくなり、抽象的観念による、神観念が、起こったのである。

抽象的観念である。

これが、後に、宗教という、観念を生むことになる。

要するに、人間の勝手な観念である。
この抽象的観念に、おいて、人生を意味付けするという、思考法が、現れた。
それが、宗教観念である。

私の指摘は、そこにある。

抽象的観念による、宗教とは、抽象的である。

何一つ、確定したものは、無い。

リグ・ヴェーダの後に、哲学思想の、萌芽である。
当然、変だと思う人が、現れる。

無いものを、在るとする、考え方を、おかしいと思う人である。

空想の産物を、崇拝しては、おかしいと、気づくのである。

一気に、飛躍すれば、空想の神や仏というものを、崇拝するのは、おかしいと、気づく人である。
つまり、妄想であると、気づく人である。
私も、その一人である。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第4弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ299

殿におはして、泣き寝に臥し暮し給ひつ。御文なども、例の御覧じ入れぬよしのみあれば、常の事ながらもつらういみじう思しほれて、内へも参らで、二三日籠りおはすれば、またいかなるにか、と、御心動かせ給ふべかめるも、恐ろしうのみ覚え給ふ。



お邸にお帰りになって、泣き伏しつつ一日中、寝ているのである。
お手紙なども、いつも通り、お目通ししないということを、命婦から言ってきたので、いつもながらに、辛く、絶望的な気分になるのである。
参内もせず、二三日外出しないので、また、主が、どうしたのかと、心配されるだろうと思うと、それも、恐ろしいことと思うのである。

恐ろしうのみ覚え
憂鬱な気分と、解釈した方が、いい。



宮も、なほいと心憂き身なりけり、と、おぼしく嘆くに、悩ましさもまさり給ひて、とく参り給ふべき御使ひしきれど、おぼしも立たず、まことに御ここち例のやうにもおはしまさぬは、「いかなるにか」と、人知れずおぼす事もありければ、心憂く、いかならむとのみ、おぼし乱る。暑き程はいとど起きも上がり給はず。



藤壺の宮も、やはり、辛い、悲しい、我が身であったと、悲嘆にくれ、病気も進み、早く参内せよとの、お使いが度々あるが、そんな気にはならない。
ご気分が、いつものようでないのは、どうしたことかと、密かに考えるのである。
辛くなり、どうなることかと、煩悶する。
暑いうちは、なお更、起き上がることも出来ない。


暑き程はいとど起きも上がり
暑さに負けて、今までより、辛い状態である。



三月になり給へば、いとしるき程にて、人々見奉りとがむるに、あさましき御宿世の程、心憂し。人は思ひ寄らぬ事なれば、この月まで奏せさせ給はざりける事、と驚き聞ゆ。わが御心一つには、しるう思し分く事もありけり。



三ヶ月になったので、はっきり解る。
皆々、見かけては、不審に思うのは、情けないと、運を嘆く。辛い。
皆は、思いもよらないことで、この月まで、奏上されないとは、と、驚くのである。
ご自分だけは、はっきり解る事であった。


要するに、妊娠したのである。
懐妊である。それが、誰の子であるかも、でもある。




御湯殿などにも親しう仕うまつりて、何事の御気色をも、しるく見奉り知れる、御乳母子の弁、命婦などぞ、「あやし」と思へど、かたみに言ひ合はすべきにあらねば、なほのがれ難かりける御宿世をぞ、命婦は「あさまし」と思ふ。内には、御もののけの紛れにて、とみに気色なうおはしましけるやうにぞ奏しけむかし。みな人もさのみ思ひけり。いとどあはれに限りなう思されて、御使ひなどのひまなきも、そら恐ろしう、物をおぼす事ひまなし。




御湯殿などでも、御傍近く、お世話して、どのような様子なのかと、はっきりと知る乳母子の弁、それに命婦などは、変だと、思うが、お互いに、話し合うべきことではないと、やはり、どうしようもなかった、運というものを、命婦は、嘆き、呆れ果てる。
主上には、御もののけのせいで、急には、懐妊とは、見られなかったと、奏上したらしい。
誰も、誰も、そうと、ばかりに思ったのである。
主は、いとどあはれに限りなう思されて、つまり、ひとしお愛しいと、思う。思われて、御使いなども、間なく、暇なく、見える。が、それも、何やら、恐ろしく、宮は、煩悶が絶えない。

乳母の子、弁は、何も知らない。
命婦は、知っている。
そして、藤壺は、煩悶している。

恐ろしく
現代の、恐ろしいではなく、気が重い、憂鬱なことである。

この、藤壺の懐妊から、源氏物語というもの、源氏という男を、分析する、研究が多い。
そして、父、帝と源氏の関係などから、物語の、それこそ、文低にあるものを、察しようとする、試みである。

だが、当時としては、珍しいことではない。
ただ、相手が、帝と、その息子と、帝の寵愛する姫との、関係である。
物語として、それが、最大の山場ではない。

物語全体に、流れる、もののあわれ、というものの、心象風景である、問題は。

事件は、それに、付随するものである。

私は、名訳を心がけてはいない。
この、物語に、流れる、もののあわれ、というものを、見詰める、観るために、訳しているのみである。
世に、多くの名訳がある。
それで、不自由しない。

当時の、湯殿は、今で言えば、シャワー室のようなものである。
お付の者が、湯を掛けるのである。

そして、病気は、物の怪の仕業と、考えられた。
物の怪とは、目に見えない、気の働きである。
物の怪の、気に、祟られるという、ものである。これに、対処したのが、加持祈祷である。その、効果のある、僧を、皆、徳のある者として、讃えた。

空海の、密教は、その、ツボに嵌ったものである。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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