2008年10月13日

神仏は妄想である 172

妙法蓮華経とは、サッダルマ・ブンダリーカ・スートラという、梵語である。
これに帰依するというと、ナムという言葉が入る。

ナム・サッダルマ・ブンダリーカ・スートラとなる。
南無妙法蓮華経である。

このお経の題名ほど内容全体の深い意味を短いことばでいい表したものは、おそらく他にはないだろうと思います。
庭野日敬

この漢訳は、クマラジューである。

漢訳された、題目を、唱えて、何事かあると思う、その理屈が知れない。
愚かしくて、話にならないのである。

つまり、「法」と「仏」はおなじものであり、いいかえれば、「仏」と「仏のはたらき」すべてが「法」ということばで表されるのです。ですから、「法」というものはこの上なく尊く、とうていことばではいい表せないような深い意味をもっているので、「妙」ということばで形容してあるわけです。
庭野

妙である、法ということである。

蓮華とは、蓮の花のこと。
インドでは、この世で、最も美しいとされている、花であるという。

それは泥の中に咲きますが、しかも泥に染まらずいつも清らかです。このことは、「人間は俗世「泥」の中で生活しながら、それに染まることもなく、とらわれることもない美しい生活、自由自在な生活ができる」というこのお経の根本思想をそのまま表しているのです。
庭野

そのように、庭野さんは、認識するというのである。

この世を、どのように、捉えるかということである。

釈迦仏陀も、インド当時の、バラモン、そしてヒンドゥーの教えとなる、転生輪廻を受け継いで、この世、娑婆世界に生まれないことが、救いであると、説く。

要するに、消滅の思想である。
この世に、存在しないことが、最上の救い、幸せなのである。

この方は、俗世の生活に、どっぷりと、浸りきり、宗教法人として、最も、世俗的な、団体を、創設したのである。
一体、何を寝惚けたことを、言うのかと、思う。

言うことと、やっていることが、逆であろう。

美しい生活、自由自在な生活など、本人がしていないのである。
世俗まみれである。

そこまで、言うならば、そのように、生きれば良い。
しかし、それからが、大乗の理屈である。
衆生を救うというのである。
一人が、そのような生活をするのは、小乗である。
大乗は、救われていなくても、衆生を救うという、願を立てて、信仰するのである。そして、一人でも、仏、法の救いを、説いて回る。

日本人の、バランス感覚が、勝れている例を、上げる。

徳川時代後半の、富永仲基 とみながかなもと、である。
仏教の経典がすべて、釈迦の教えであると、信じられていた時代に、大乗仏典の膨大な経典は、釈迦本来の教えとは、直接関係のないことを、証明している。

釈迦の語る言葉は、弟子たちによって、種々に解釈され、更に、新しい解釈を、加えて、更に、当然のことに、新しい解釈が、加わり、それが、正しいという、風潮が出て来る。

このように、付け加えによって、原始仏教から、大乗仏教の諸派が、現れてきたという経緯を、理路整然と解き明かしたのである。

漢訳大蔵経などは、西暦初期の頃に、編まれたとされる。
つまり、千七百年もの間、貴ばれてきた、教義の基本文献を、疑うという発想が、日本には、すでに自然発生していたのである。

更に、徳川時代では、石田梅岩という者が、独自の倫理運動を、起こして、石門心学というものを、提唱している。

心学では、各人が心を持っている。その心を、磨くのが大事である。
心を高めるならば、神道でも、仏教で、儒教でも、何でもよいのだ、という。

つまり、教義、ドグマより、心を、上位に置くという、バランスである。

ちなみに、西洋史における、心学と似るのは、ルネサンスである。
説明は、省略する。

それは、共に、宗教よりも、人間というものを、大事にするというものであり、それこそ、ヒューマニズムという言葉の、本質なのである。

日本では、西洋より、早く、その人間主義、啓蒙主義というものが、起こったのである。

その、さきがけを、織田信長が、行った。
信長は、比叡山焼き討ちを、行った。1571年、亀元2年である。
そして、長島や、越前の一向一揆を討ち、最後には、本願寺を、攻め落とした。

簡単に言うならば、彼らは、政治の世界に介入したからである。
宗教が、政治の世界に介入すると、どうなるのかは、イスラムを、見れば解る。

信長は、世界にさきがけて、それを知る者だった。

政治に関与せず、発言も行動もせず、教えだけを、伝える、宣教師を、保護したことは、有名である。

信長の前で、宣教師と、最もキリシタンを、嫌った日蓮宗の、僧、日乗とが、宗論論争をして、負けた時に、刀で、宣教師に切りつけた。その時、信長は、宗教論争は、議論で、行うべきで、武器を、用いるべきではないと、止めている。

これで、解ることは、一神教に似る宗教は、他の一切の、宗教を認めず、それらを、消滅させようとする。
それが、激しくなれば、民族浄化などという、惨劇になる。

信長は、宗教が、政治に介入しない限り、どんな宗教が、何を言っても、構わないという、姿勢を、いつも、示した。

一向一揆などは、信仰集団が、大名を追い出し、領地を、支配しようとした。そんなことを、宗教に許せば、日本は、戦国時代のままで、いなければならない。
信長は、それを知っていた。
更に、それに続く、秀吉、家康も、そうである。
それに対しては、実に、バランスがよく、日本の宗教に対する、態度、対応、処置が、そこで、決まったといってよい。

政治に関与しなければ、為政者は、宗教に寛容であるという、実に理想的な、為政者の見本を、示したといえる。

つまりそれは、宗教に対する、相対化を、日本人は、身につけていたということである。

心学に、戻れば、心が一番なのである。
そのために、どんな宗教を、各人が信仰しても、良いとする、実に、理想的な、宗教観である。

それが、日本の宗教に対する態度である。
神棚を儲け、仏壇に拝しても、何も問題がないのである。

西洋史と、共に、それらを、検証すると、よく解るが、それは、このエッセイの主旨ではないので、省略する。

宗教の相対化、つまり、啓蒙主義とも、言われるものを、日本人は、自然に身につけていたということである。

政治に関与する、絶対的権威は、認めないという、思想である。
更に、日本には、天皇という、無形の権威が存在したことが、理想的だった。
何度も言うが、国家幻想を、支える、天皇という、無形の権威である。

天皇は、実に、政治に関して、無力に帰して、武家社会に、政治を、任せたのである。
こんな、王室、皇室の存在は、世界のどこにも、無い。
武器を、持たない、王など、どこにも、いない。

現在、日本の天皇は、テンノウという、世界語になり、海外では、大変敬意を、払われる存在である。
それほどの家系は、世界のどこにも無いからである。

鎌倉仏教からの、新興宗教の開祖や、それ以後の教祖や、代表などなどは、妄想、妄語の存在であり、世界からは、相手にされない。
ただし、金を使い、ばら撒いて、世界の何者という、恥知らずもいるが。




posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第4弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ293

ひじり、御まもりに独鈷奉る。見給ひて、僧都、聖徳太子の百済より得給へりける金剛子の数珠の、玉の装束したる、やがてその国より入れたる箱の唐めいたるを、透きたる袋に入れて、五葉の枝につけて、紺瑠璃の壷どもに、御薬ども入れて、藤桜などつけて、所につけたる御贈り物ども、ささげ奉り給ふ。君、聖よりはじめ、読経しつる法師の布施ども、まうけの物ども、様々に取りに遣したりければ、そのわたりの山がつまで、さるべき物ども賜ひ、御読経などして出で給ふ。




上人は、お守りに、トツコを差し上げる。
それを、御覧になり、僧都は、聖徳太子が百済から、手に入れた、金剛子の数珠の玉で装飾してあるのを、百済から入れてきた、唐風の箱に収めたまま、すかし織りの袋にいてれ、五葉の松の枝に結び付けて、それからまた、紺瑠璃の壷に、色々な薬を入れて、藤や桜の枝に結びつけて、そのほかに、土地柄に相応しい、贈り物を、色々と、献上される。
君は、上人をはじめ、読経した法師への、布施の品や、帰京のための、品々を、色々と、京に、取りにやらせたので、その辺りの、森人にまで、相応の物を、差し出され、読経などして、ご出発された。



うちに僧都入り給ひて、かの聞え給ひし事まねび聞え給へど、尼君「ともかうも唯今は聞えむかたなし。もし御心ざしあらば、いま四五年を過ぐしてこそは、ともかうも」と宣へば、さなむ、と、同じさまにのみあるを、ほいなしとおぼす。御消息、僧都のもとなる小さき童して、

源氏
夕まぐれ ほのかに花の 色を見て けさは霞の 立ちぞわづらふ

御返し
尼君
まことにや 花のあたりは 立ち憂きと 霞むる空の 気色をも見む

と、よしある手のいとあてなるを、うち捨て書い給へり。



奥に、僧都が入り、あの仰せを、お言葉のままに、伝える。
尼君は、もし、愛情がありましたら、もう、四、五年を経てからなら、なんとか、お返事も、出来ましょうと、おっしゃる。
僧都は、そうであるか、と、自然に申し上げる。
源氏は、飽足りないが、お手紙を、僧都の所の童に、持たせた。

源氏
ゆふまぐれ ほのかにはなの いろをみて けさはかみすの たちぞわずらふ

薄暗い、夕暮れに、少しばかり、美しい花を見ました。今朝は、立ち帰る気持ちが、しません。

尼君の、お返事
まことにや はなのあたりは たちうきと かすむるそらの けしきをもみむ

本当に、花のところが、立ち去りにくいのかと、ご様子を見ています。

と、筆使いのある、筆跡での、上品ではあるが、素早く、無造作に、書き流したものである。



御車に奉る程、大殿より、人々「いづちともなくておはしましにける事」とて、御迎への人々、君達など、あまた参り給へり。頭の中将、左中弁、さらぬ君達も慕ひ聞えて、君達「かうやうの御供は仕うまつり侍らむと思ひ給ふるを、あさましくおくらせ給へること」と怨み聞えて、君達「いといみじき花の陰に、しばしもやすらはず立ち帰り侍らむは、飽かぬわざかな」と宣ふ。岩がくれの苔の上に並み居て、かはらけ参る。落ち来る水の様など、ゆえある滝のもとなり。



お車に、お乗り遊ばすところに、大臣家から、人々が、どこへとも、仰らずに、お出かけ遊ばした、とあって、お出迎えの人々、ご子息たち、その他の人々が、おいでになった。
頭の中将、左中弁、その他の、若殿たちも、後を慕い申して、来た。
君たちは、このようなお供は、是非、勤めさせていただきたい。お見捨て遊ばすのは、酷いことですと、言う。
また、君達は、こんなに、美しい花の木陰に、少しも休まずに、帰りましては、心残りです、と言う。
岩陰の苔の上に、居並び、お酒を召し上がる。
流れ落ちる水の様など、趣きある、滝の下である。

ゆえある滝のもとなり
風情ある、趣あるという。

皆が、源氏を迎えに来たのである。
そして、口々に、お供をしたかったと言う。
源氏は、それに答えない。



頭の中将、懐なりける笛取り出でて、吹きすましたり。弁の君、扇はかなう打ち鳴らして、「豊浦の寺の西なるや」と謡ふ。人よりは異なる君達なるを、源氏の君いといたううち悩みて、岩に寄り給へるは、類なくゆゆしき御有様にぞ、何事も目移るまじかりける。



頭の中将は、懐にあった、笛を取り出して、吹き始める。
弁の君は、扇を軽く打ち鳴らして、拍子をとり、豊浦の寺の西なるや、と謡う。
お二人共に、勝れた若殿なのだが、源氏の君が、ひどく気分が勝れない様子で、岩に、寄りかかって、おいでになるのが、またとないほどに、心配なほど、美しいご様子なので、他の人などは、目を向けられないのである。


類なくゆゆしき御有様
いつもにない、美しさである。
作者は、このように、漠然とした表現で、源氏の美しさを言う。
それは、読む者の、想像に任せられる。
現代小説ならば、ここを、徹底的に指摘されるだろう。
源氏の姿が、見えないと。
しかし、ここで、源氏の姿が見えないことが、源氏物語の、核心である。

ここで、読者が、如何様にも、参加できるようになっている。

主人公は、美しいのであり、その美しさは、書き得ないのである。
つまり、読者の美しさに、賭ける。読者の美意識に、賭けるのである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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