2008年10月05日

神仏は妄想である 164

鎌倉仏教の祖師たちは、日蓮をはじめとして、法然、親鸞、道元と、経典の勝手な解釈、勝手な妄想により、新宗教を立てたということ、明確である。

「独自の読み」といえば聞えはいい。だが実態は主観に基づいた顕示欲の何物でもない。先にも述べたが、私たち日本の思想を論ずる際に、しばしば、いわゆる新仏教をその代表としてとりあげてきた。だが、これまであげた例から知られるように、彼らの理論はその根本において、現代人の目からすれば、到底容認しえないような飛躍と恣意に満ちているのである。
佐藤弘夫

佐藤氏は、本覚論と、新仏教の関係が、異質であるといっても、その自己の主観に基づいて、典籍を自由に読み替え、論理のギャップ、すなわち、矛盾を信念によって、埋めようとする姿勢は、同じものではないかという。

中世自体が、異様な雰囲気を、醸し出す時代である。
極端な、主観主義が、まかり通ったのである。
であるから、彼ら、新仏教の始祖たちは、堂々と、主観と、信念で、押し通したのである。

中世は、偽書まみれである。
ここでは、それを、取り上げている暇は、無いが、その偽書を根拠として、鎌倉仏教の発生もあると、言う。

一つだけ、オマケに、書く。
本覚讃と呼ばれる、中には、繰り返し理容された、詩句が多い。
その中で、最も、愚かしい詩句である。

女人は地獄の使なり よく仏の種子を断つ
外面は菩薩に似て 内心は夜叉のごとし

女は、地獄の使いである。男を誘惑して、仏になるための、種を断つというのである。
凄まじいばかりの、女性蔑視、男性中心主義である。

その反面、大寺院の僧たちは、妻子を持つという、愚劣ぶりであるから、手に負えない。
親鸞が、妻帯する以前から、本音と、建前として、本音は、妻を持ちセックス三昧を繰り返していた僧たちも、数多い。
親鸞は、それに比べて、まだ、真面目に、女犯に、取り組んだのである。

この、根拠なき、偽書などを、日蓮も、日蓮遺文に、よく引用しているのである。

偽作された、片言隻語は、数多くあり、中世では、当たり前だった。
その、偽作された言葉が、独り歩きして、当然の時代だというから、驚く。

何故、中世は、そんな時代になったのかは、学問としての、仏教の書物が、平安期まで、どんどんと流れてきて、それを、咀嚼するのに、時間がかかったが、中世、おおよそ、12世紀から、一般的に仏教が広がり、学問というより、信仰に重きが置かれてきたからである。

大陸から、もたらされた、情報では、追いつかなくなったのである。
更に、伝統的、官寺の仏教は、大衆に応えることが、出来ないレベルだったということもある。

実存的レベルでの、救済という、言葉を使う研究家もいる。
救済を、大衆が欲したのか。
それが、問題である。

大衆は、教えられて、救済があるということに、気づくのである。
それは、余計な妄想であった。
しかし、当時の時代性が、求めたと、考えることにする。

そこで、仏教の原点に立ち返ろうとした、仏教者たちが、膨大な教学体系を飛び越えて、ストレートに、本仏に向かったと、分析するのだが。
要するに、直接、仏に尋ねるという、とんでもないことを、思いついたのである。
勿論、妄想である。

そして、我は聞いた仏の声と、言葉をということになる。

更に、中世、平安後期になると、中国に出掛ける留学層もいたが、初期の頃とは、打って変わる。
学ぶだめではなく、由緒ある、遺跡を巡礼して、そこで、仏に逢うことだった。
平安初期まで、続いた、学ぶための、仏教が、信仰を強固にするための、ものになっていった。

中世は、異常事態が発生したということである。

一つだけ、象徴的な言葉を、紹介する。
垂迹という、言葉である。
本地垂迹などといわれて、例えば、天照大神は、大日如来の、化身であるという、考え方である。
本地が、どこで、垂迹が、どこかという、テーマが、目白押しだった。
それは、空海から、はじまる、考え方である。
いずれ、書く。

中世は、この、垂迹思想が、花盛りであった。
神仏混合の、真っ只中の、時代だった。
神に、読経するのも、当たり前である。
その神の後に、仏がいるのである。

古来からの、神々は、他界の仏が、衆生を浄土に導くために、顕現した、垂迹であると、考えたのである。
それは、なんと、仏像などの、モノにも、当て嵌められた。

仏像信仰も、当然容認された。
それ自体が、仏の化身なのである。

しかし、そのこと自体も、鎌倉仏教の始祖たちは、否定した。
仏に直結する、我が教えなのである。
当然、既成仏教界からは、迫害を受けるのである。

国の仏教から、大衆、民の仏教へと、変転する様である。
ここの、時代性を見つめて、彼らを検証しなければ、本当の意味で、理解出来ないと、共に、現代には、それは、終わった思想であるということである。
更に、私が言うように、神仏は、妄想でなのである。

鎌倉仏教の始祖たちが、作り上げた、仏の観念や、救いの観念は、すでに、無いものである。
彼らが、信じきった、仏典や、その他諸々の、偽書から、作り上げた、教えなるもの、最早、その核心が、誤りであることが、解ったのである。

ファンタジーであった。
一見に値する、思想ではあろうが、別段、特別に知ることもない。
文学として、評価するのであり、宗教、信仰として、受け入れるべきものではないのである。
ホント、お疲れ様でした、という、ところである。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第4弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ285

尼君「何事ぞや、童女と腹立ち給へるか」とて、尼君の見上げたるに、すこし覚えたる所あれば、子なめりと見給ふ。女児「雀の子をいぬきが逃がしつる。ふせごのうちに籠めたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。此の居たるおとな「例の、心なしの、かかるわざをして、さいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづかたへか罷りぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。烏などこそ見つくれ」とて立ちて行く。髪ゆるやかにいと長く、めやすき人なめり。少納言の乳母とぞ人言ふめるは、この子の後見なるべし。



尼君は、どうしたのですか。
他の童と、喧嘩でも、しましたかと、言いつつ、尼君の、見上げた顔に、少し似たところがある。源氏は、尼の子供なのだろうと、思われる。
女子は、雀の子を、犬君が、逃がしたと、言う。籠の中に入れていたのにと、残念がるのである。
そこにいた、女房が、あの、心なしの、つまり、アホの、とか、お馬鹿なという意味で、こんなことをして、また、叱られると、困ったものだ。どこへ、行きましたか。とても、可愛くなりましたのに、烏などに見つけられては、大変ですと、言い、立って行く。
髪は、ゆったりとして、長く、器量も悪くない女である。
少納言の乳母と、皆が言うが、この子の、世話役なのだろう。



尼君「いで、あな幼なや。言ふかひなうものし給ふかな。おのがかくけふあすにおぼゆる命をば、何ともおぼしたらで、雀慕ひ給ふほどよ。罪得る事ぞと常に聞ゆるを、心憂く」とて、「こちや」と言へば、ついいたり。つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、かんざし、いみじううつくし。ねびゆかむさまゆかしき人かなと目とまり給ふ。さるは、限りなう心をつくし聞ゆる人に、いとよう似奉れるがまもらるるなりけり、と思ふにも、涙ぞ落つる。



尼君は、ああ、なんて幼いこと。しょうがないこと。
私が、今日、明日と、知れない身の程になっているというのに。
雀を追いかけているとは・・・
罪になりますよと、いつも、言うのに。困りますよ。と、言う。
さあ、ここへと、言うと、傍に膝をついた。
顔立ちは、とても、あどけなく、眉の辺りが、朧で、子供らしく、掻き上げた額ぎわや、髪の具合が、大変可愛らしい。
大きくなる姿を見ていたい人だと、源氏の目が止まる。
それは、実は、深い思いで思慕する、あのお方に、とてもよく、似ているので、目が離せない。
と、気づくと、涙が、こぼれるのである。

まもらるるなりけり
いつの間にか、じっと見つめているのである。

その、似ているお方とは、帝、つまり、父の后である。
それを、思い、女童を見て、涙するとは、恋とは、このように、感傷的にさせるものであると、この頃からの、心境である。

恋によって、今まで、気づかなかったものや、事に、思いを馳せるように、なる。

この、恋の心の、様々な動きから、人間は、多くの心模様を知ったと、解釈するのが、大和心である。
そして、もののあわれ、というものの、原型と、考える。



尼君、髪をかき撫でつつ、「けづる事をもうるさがり給へど、をかしの御ぐしや。いとはかなうものし給ふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿におくれ給ひしほど、いみじう物は思ひ知り給へりしぞかし。唯今おのれ見棄て奉らば、いかに世におはせむとすらむ」とて、いみじく泣くを見給ふも、すずろに悲し。幼なごごちにも、さすがにうちまもりて、伏目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪つやつやとめでたう見ゆ。



尼君は、女の子の髪を、手で撫でながら、言う。
櫛を入れるのを、嫌がるけれど、いい、御髪だこと。他愛無くおいでなのが、気がかりで、たまりませんよ。
これくらいになれば、こんなではない人もいるのです。
亡くなった姫様は、十ばかりで、殿様に、先立たれましたが、その時分でも、ちゃんと、お解りになりましたよ。
今日にも、私が、見捨てたら、どうして、暮らすというのでしょう。と、言いつつ、泣く。
それを見て、源氏も、悲しい気持ちになるのである。
子供心にも、さすがに、悲しい気持ちになり、尼を、じっと、見つめ、伏目になって、うつむくと、顔にかかった、髪が、つやつやとして、見事と、思えるのである。



いとはかなうものし給ふこそ あはれにうしろめたけれ
現代文に、訳すのが、ためらわれる、箇所である。

いと はかなうものし 給ふこそ
あはれに うしろめたけれ
はかないことと、気づかずにいる。それは、大人の世界では、頼りなげに見えるのである。
それが、あはれに、気がかりなのである。

子供が、大人になる、過程で、一つ一つと、何かを棄ててゆく。
成長とは、子供の世界を、捨ててゆく行為なのである。

だが、それは、捨てているようで、しっかりと、心の中に、仕舞っておくということも、出来る。
子供心は、潜在意識に、隠されるのである。

あはれ、とは、子供心への、憧憬の名残とも、いえる。
あの、無心に生きる心への、憧れである。
すべてに、感動した、あの幼い心、こそ、もののあわれ、というものの、原風景であったと、気づくのである。


源氏物語が、すでに、すべての小説、文学を書き込んでしまったという、考え方が出来る。故に、作家は、何度か、源氏物語に、戻るという。
勿論、作家が皆々、源氏物語を、求めるという訳ではないが、ここには、すべてが、書き尽くされたと、感じ取る力が、作家には、必要である。
文学は、永遠であるが、そのテーマは、繰り返されて、時代に合わせて、語られる。
しかし、人間がいる限り、人間のテーマは、変わらない。
変わりようがない。ただ、変容するだけである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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