2008年10月04日

もののあわれ284

供人「暮れかかりぬれど、おこらせ給はずなりぬるにこそはあめれ。はや帰らせ給ひなむ」とあるを、大徳「御もののけなど加はれるさまにおはしましけるを、こよひはなほ静かに加持などまいりて、出でさせ給へ」と申す。「さもある事」と皆人申す。君もかかる旅寝もならひ給はねば、さすがにをかしくて、君「さらば暁に」と宣ふ。



供人が、暮れかかりました。おおこりにならなくなったようでございます。それでは、お戻りいたしましょうと、言う。
上人は、御物の怪などが、加わっております。今晩は、ここで、静かに加持などされて、明日、お出まし遊ばしませと、言う。
供人も、もっともなことと、言う。
君は、こうした旅寝の経験が無く、何と言っても、興味をそそられて、では、明日の夜明けに、と、仰せになる。

おこらせ 給はずなりぬる
気分転換が、出来た。
具合がよくなったようだ。

暮れかかりましたし、ご気分も、良くなられたようですので、お戻りいたしましょう。
ところが、大徳、僧は、物の怪なども、関わっているようですし、今晩は、静かに、祈られて、云々という。

作者も、源氏という地位と、立場の人間に対する、それぞれの人の心模様を、描いているが、それは、当時の、上に対する態度である。


しかし、私は、紫式部の、描く、風景から、それを、見ようとしている。
日本人の心にあるもの、である。
貴族階級のみに、あるものではない。

源氏に対して、作者も、常に敬語を用いている。
そのような、立場のお方という、設定であるから、当然、敬語という書き方をする。しかし、それは、何も、源氏のみに、いえるのではない。
一般庶民も、その奥床しさ、心の動きに、もののあわれ、というものを、表現していたのである。

身分の低い者を、作者も、分けて書くが、それは、当時の身分の有り様を知るには、参考になる。
しかし、それは、参考になる程度のことである。

貴族社会に、おける、もののあわれ、ならば、源氏物語を、書く必要は無い。
万葉から、流れている、心情と、心象風景が、源氏物語の根底にあるとみて、私は、源氏を、探っているのである。



日もいと永きに、つれづれなれば、夕暮のいたう霞みたるに紛れて、かの小芝垣のもとに立ち出で給ふ。人々は帰し給ひて、惟光ばかり御供にて、のぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏すえ奉りて、行ふ尼なりけり。簾少し上げて、花奉るめり。中の柱に寄りいて、脇息のうへに経を置きて、いとなやましげに読み居たる尼君、ただ人と見えず、四十余ばかりにて、いと白うあてに、痩せたれど、つらつきふくらかに、まみのほど、髪の美しげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしき物かな、とあはれに見給ふ。




日も永く、する事もないので、夕方、深く霞みがかかっているのに、紛れて、あの、小柴垣の家に、お出かけなさる。
供人たちは、帰し、惟光だけを、連れて、覗かれると、先ほど見たのは、西向きの座敷に、仏を据えて、勤行する尼だったのだ。
御簾を、少し巻き上げて、花を供えるらしい。
中柱に、寄りかかって、脇息の上に経を置き、ひどく大儀そうに、読経している。
それは、並の人では、なさそうである。
四十過ぎで、色が白く、上品で、痩せてはいるが、顔立ちは、ふっくらして、目元、髪が、見た目にも、綺麗に切り揃えている。その、端も、長いより、かえって、親しみのあるものだと、感心して、御覧になる。

当時の尼は、髪を剃らず、肩の辺りで、切り揃えていた。
それを、表現し
あはれに 見給ふ
心を、動かされたのである。

何につけ、心を、動かされることを、あはれ、という。
形容詞が、動詞や名詞にまで、高まる。
それは、すべて、前後の言葉による。



清げなるおとな二人ばかり、さては童女ぞ出で入り遊ぶ。中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなれたる着て、走り来る女ご、あまた見えつる子供に似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えて、美しげなるかたちなり。髪は、扇を広げたるやうに、ゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。



綺麗な、女房が二人ほどと、そして、女の童が出たり入ったりして、遊ぶ。
その中に、十くらいの、白い下着に、山吹の重ねの、着慣らしたものを着て、走ってきた、女の子は、大勢の子供たちの中でも、比べ物にならないほどで、今から、成長した後の姿が、思いやられる、可愛らしい器量である。
髪は扇を広げたような、末広がりで、豊かに、ふさふさしていて、顔は泣いて、真っ赤にしている。

山吹などの なれたる着て
山吹色の着物で、袷の着物である。
袷とは、裏地がついている、秋冬物の、着物である。

いみじく 生ひ先見えて
おいさきみえて
成長した後の姿が、想像出来るのである。

それは、他の子供とは、明らかに違う容姿である。

この、女の子が、藤壺に似ているのである。
実は、藤壺の兄の、蛍兵部卿 ほたるひょうぶきょう の、娘である。
母親を早く亡くし、祖母である尼に、引き取られていた。
源氏は、まだ、そのことを、知らない。

物語は、こうして、面白く展開する。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 163

日蓮は、多くの著作、書簡を残している。
遺文の数を、言えば、日蓮は、中世の仏教者では、群を抜いている。

青年期から、晩年期まで、途切れることなくある。
しかし、その中には、日蓮のものではない、偽物が、かなり多くある。
つまり、日蓮の名を語り、書いたのである。

はっきりと、偽書というものと、真偽が実に曖昧なものも多い。
三大秘法抄のように、日蓮宗や、研究家によって、論争が続いているものもある。

日蓮に関する、大量の遺文は、本覚思想が背景にあったといわれる。
本覚思想は、平安期半ばから、室町期なかけて、比叡山を中心にした、独自の思潮である。
それは、天台宗で、展開された思想であり、天台本覚という場合もある。

本覚思想は、万人の成仏の可能性を強調する、大乗仏教の、人間の到達する、理想は仏であり、さらに、仏とは、衆生を救済するという、思想である。

人の中には、仏の種があり、それを、全面開花させることであるという。
本覚思想とは、仏を最終的な到達地点とするのではなく、仏と、あるがままの人間を、初めから一体化して、捉えるものである。

人間が、そのまま、仏であるという、思想であり、それは、仏として、自己の本性を自覚するために、心を仔細に観察するという、観心、かんしん、というものを、重く見た。

それは、学問の知識や、教義ではなく、内的な体験を重んじるということになり、更に、信仰の核心は、文字化されない。故に、師から弟子へと、密かに、口伝、口決されることだと、された。

要するに、禅化である。

これが、日蓮遺文に、大きく影響を与えたと、いわれる。
真偽が、はっきりしない、遺文ほど、口伝尊重の色合いが、強いのである。
そして、そこには、本覚思想を主流とした、論調が流れている。

日蓮の、研究家たちは、文証と、理証を重んじ、膨大な経典を引用しつつ、整然と論を進める、日蓮の思想は、主観と、恣意による本覚思想とは、立場を異にするものだと、判断される。
それを、日蓮の文献主義と、本覚思想の主観主義と、分ける。

それは、日蓮に限らず、親鸞も、道元も、文献を持って、その思想を説いた。

更に、日蓮は、現証というものを、置いた。
仏法を判断するには、文証と、理証と、現証ということだ。

だが、ここで、日蓮を、検証すれば、果たして、文献主義であったのかという、疑問が、湧く。

それは、専修唱題である。
口に、法華経の題目を唱えることで、救いに至るという思想である。

法華経は、二十八品によってなり、前半部分と、後半部分に分けられて、後半部分を、本門と呼ぶ。
前半の、内容は、釈迦の悟りが、語られるという、他の経典と同じ調子である。
しかし、後半になると、様相が一変する。

従地涌出品では、釈迦の説法を聞くために、霊鷲山、りょうじゅうせんに、集った、弥勒をはじめとする、多くの菩薩たちは、仏滅後の世界で、法華経を護持して、布教する許可を求めた。
しかし、釈迦は、それを、許さなかった。
その時、地が裂けて、下から、四人の大菩薩に率いられた、無数の菩薩が現れた。

そして、説教の場が、虚空世界に移動した。
四人の大菩薩は、釈迦よりも、高齢で、立派に見えた。
釈迦は、それらの、地涌 じゆ、の、菩薩を、かつての、弟子たちであると、言う。

寿量品で、それが、説明される。
われ成仏してよりこのかた、またこれに過ぎたること、百千万億なゆたあそうぎ劫なり。これよりこのかた、われは常にこの娑婆世界にありて、法を説きて教化し、また、余処の百千万億なゆたあそあぎ劫の国においても、衆生を導き利せり。

つまり、釈迦は、久遠の昔から、成仏していて、それ以後、幾たびも生まれ、教化してきたというのである。
御伽噺も、ここまでくれば、立派なものである。

以前書いた、阿弥陀仏のことを、思い出して欲しい。
念仏門のところで、同じ年月の言葉が、出ている。

久遠実成 くおんじつじょう の仏という言葉が、出る。
ファンタジーである。

私の死後、世は乱れ、濁悪 じょあくの時代が到来する。
そうした、苦難の世には、遠い過去より、教化を受けてきた、地涌の菩薩だけが、その困難な任務に耐えられるというのである。

私が、法華経を悪魔の経典と、呼ぶ理由の一つであるのが、これである。
地涌の菩薩とは、経典作者の、誇大妄想であり、甚だしく、釈迦仏陀の、仏法を、歪めた。

更に、日蓮は、久遠実成の、釈迦を、一神教の神のように、絶対的存在として、掲げたのである。
更に、妄想逞しく、虚空世界で、釈迦が、地涌の菩薩に、授けたのが、法華経の題目であると、解釈した。
単なる解釈だが、それは、単なる妄想である。

そして、更に、布教を委託されたのは、また地涌の菩薩とは、我のこと、我の一門のことと、信じたのである。

しかし、研究家たちは、日蓮の、経典解釈には、明らかに、無理があるという。
私は、明らかに無理ではなく、完全に誤りだという。

仏滅後に、衆生救済のために、題目など、残したという証拠は、どこにも、見出せないのである。

それを、日蓮も気づいてか、魔境ともいえる、解釈の奥の手を、考えた。
それは、法華経の表には、出ない文である。
文底に、沈めたという。

呆れて、モノが言えない。

釈迦が、入寂して、二千年を経て、末法になり、法華経の弘通を、目指す、日蓮だげが、他に先駆けて、文底にある、題目を、拾い出すことが、出来たという。
勝手な解釈、勝手な妄想である。

ただし、それが、日蓮の唯一の、オリジナルである。
それも、念仏に刺激されてのことである。

法華経も、末法思想も、皆々、作られたものである。

だがもっとも根本の次元において、日蓮の立場は著しく主観的である。論理を超えた次元に自己の正当性の根拠を置く点において、日蓮の立場は本覚思想と意外に近いところにあった。そしてそこには、日蓮に仮託して遺文を偽作していた人々とも共通するものがあったのではなかろうか。
佐藤弘夫

全くの、主観であり、それ以外の何物でもない。
どこの、教祖にも見られる、自己申請であるから、話にならない。

更に、もう一つ、付け加えて言えば、物を書くという行為は、妄執である。
彼らの言葉で言えば、救われていない証拠である。
もし、救われているのであれば、物など書くことは無い。
行為にしか、それを伝える術は無いと知るのである。

天地が過ぎ去っても、私の言葉は、過ぎ去ることがない、とは、イエスキリストの言葉である。が、それは、イエスではなく、セクトの信仰する者たちの、言葉である。
あたかも、であるが、如くの言葉である。
人は、言葉というものに、騙されるのである。

自己洗脳という現場が、宗教の現場である。

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