2008年10月20日

もののあわれ300

中将の君も、おどろおどろしう、様異なる夢を見給ひて、合はする者を召して問はせ給へば、及びなう思しもかけぬ筋の事を、合はせけり。夢「その中に違目ありて、慎ませ給ふべき事なむ侍る」と言ふに、わづらはしくおぼえて、源氏「自らの夢にはあらず。人の御事を語るなり。この夢合ふまで、また人にまねぶな」と宣ひて、心のうちには、いかなる事ならむ、と、思しわたるに、この女宮の御返事聞き給ひて、「もしさるやうもや」と、思し合はせ給ふに、いとどしく、いみじき言の葉尽くし聞え給へど、命婦も思ふに、いと剥くつけうわづらはしさまさりて、さらにたばかるべき方なし。はかなき一行の御返しの、たまさかなりしも、絶えはてにたり。




中将の君も、驚くしかない、異様な夢を見て、夢占いを召して、お尋ねになる。
及ぶこともない、考えも着かない、ストーリイである。
夢占いは、凶相もありまして、お慎みあそばねばならないと、言う。
事は、面倒と、思い、源氏は、私の夢ではない。ある人の、夢である。この夢が、事実となるまで、誰にも、申すなと仰る。
心の中では、どんなことであろうと、思う。
藤壺の宮の、懐妊の話を、聞いて、あるいは我が種か、と、思い当たりになり、いよいよ、切に、言葉を尽くして、逢瀬を、頼むのであるが、命婦は、考えても、恐ろしいことと、手に余る思いにして、全く、計らいようがないのである。
ほんの、一行の返事がきたが、それさえ、まるっきり、来なくなった。

中将の君とは、源氏のことである。
源氏の位が、中将である。

懐妊の、報せは、悪い夢の事だったのか。

及びなう思しもかけぬ筋の事
今度、生まれる御子が、即位あそばすという、占いの言葉である。

源氏が、人の御事を語るというのは、敬語であるから、源氏より、身分の高い方とは、帝であるゆえ、帝の夢と、嘘を言ったのだ。


とんでもない、展開になってきた。



七月になりてぞ参り給ひける。めづらしうあはれにて、いとどしき御思ひの程かぎりなし。少しふくらかになり給ひて、うち悩み、面痩せ給へる、はた、げに似るものなくめでたし。例の明け暮れこなたにのみおはしまして、御遊びもやうやうをかしき頃なれば、源氏の君も、いとまなく召しまつはしつつ、御琴笛など、様々に仕うまつらせ給ふ。いみじうつつみ給へど、忍び難き気色の漏り出づる折々、宮もさすがなる事どもを、多くおぼし続けけり。




七月になり、藤壺の宮が、参内された。
主は、お久しぶりで、愛しく、常にも増して、愛情は限りない程である。
少し、ふっくらとしているが、お元気とは、言いがたく、面痩せしている様子。
しかし、それは、それで、評判通りの、美しさである。
いつも通り、主は、朝から晩まで、藤壺方に、おいでになり、音楽なども、盛んになる時節なので、源氏の君も、ひっきりなしに、お呼びになり、琴や笛、その他、色々と命じられる。
源氏は、ひたすら、隠しておられるが、堪えきれない気持ちが、湧くこともあり、藤壺の宮も、さすがに忘れられない、思いを、それからそれと、思い出すのである。


琴とは、十三弦の、筝、七弦の、琴、きん、六弦の、和琴、わごん、四弦の、琵琶を、総称して、琴という。


微妙繊細な、部分である。
知る者は、二人か。
いや、命婦もいる。しかし、下の者である。

主は、知らない。しかし、いずれ、知ることになる。
だが、知らない振りを通す。
ここに、源氏物語の、また、あはれな様がある。

作者、紫式部は、物語の中に、タブーを取り入れて、絢爛豪華な、展開を繰り広げた。
何故か。

人の世の、あはれ、である。

物語そのものが、あはれ、であり、更に、人の世が、あはれ、に、満ちていると、感得している。

人の世は、また、人は、何と、あはれで、儚いものであるか。
この、あはれで、儚い人の世を、生きるとは、何か。
何ゆえに人は、生まれて生きるのか。
それは、文学のテーマであり、あらゆる学問のテーマである。
そして、哲学思想、宗教のテーマでもある。

生まれた瞬間から、死に向かって生きる、人の世の様。そこに、現れる様々な、相。

王朝という、舞台を使い、紫式部は、人生の、すべてに、問題提起をしたのである。
その答えは無い。

仏という、救いの教えも、実は、刹那のものである。
更に、それは、実に、不確かである。
しかし、現実は、確かにある。
そして、それは、不確かな、人の心に支配されるものである。

日本文学は、紫式部が、テーマとしたものを、追い続けてきた。
それは、現実を、赤裸々に観るというものだ。

その、現実直視を、総称して、日本の心は、もののあわれ、という、心象風景を、置いた。それは、目の前にある、もの、すべてが、あはれ、なのである。

あはれ、を、生きると、得心した時、すべての生き方が、肯定される。
それは、宗教的でもなく、観念的でもない。
与えられた場所で、生きる、生き続けると観念した、諦観した、人の生き様である。
それを、また、もののあわれ、という。
もののあわれ、は、世界で、唯一、神仏を超えた、物の見方、考え方である。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 154

緒の善男子よ、我が滅しぬる後に於て、誰か能く、この経を受持ちて読みそらんぜん。今仏の前に於て、自ら誓の言を説け。この経は持ち難し。もし暫くも持つ者あらば、我則ち歓喜せん。諸仏もまた然り。
法華経

諸々の、善男子よ、私の滅した後で、この経典を、受持ち、読むことである。
今こそ、仏の前において、その誓いの言葉を説け。この経典は、中々持つことが出来ない程、大切なものである。
これを、掲げるものあれば、私は、歓喜する。
そして、諸々の仏たちも、である。

釈迦の、究極の、遺言のように、日蓮は、それを、聞いた。
更に、正法として、掲げるのである。
日蓮にとって、正法こそ、重大なものである。
これこそ、正法である、と、信じ込んだ時、日蓮の覚悟が、決まった。

ところが、日蓮は、この、法華経というもの、大乗仏典の中でも、創作中の創作の、御伽噺であるとは、知らない。
とにかく、仏陀最期の教えであると、聞いた。

鎌倉仏教の、最初を、走り出した法然から、親鸞、そして、道元、この日蓮も、含めて、すべて、主観の何物でもない。
その、主観を、信仰というものに、置き換えただけである。

選択仏教と、言われるが、それは、多く中から、一つを、取り出して、それを、掲げて、意気揚々と、救いの道を説くということである。
その根拠は、主観のみである。

日蓮を、俯瞰する。

12歳の時に、安房の国長狭郡片海の漁師の子に、生まれた日蓮は、同じ郡内にある、清澄寺に、入る。
天台宗山門派に属する寺である。
最初は、稚児として、雑事をするために、入った。
成人すると、里に戻るか、出家して、本格的な、修行に進むかを、決める。

結果、日蓮は、出家を選んだ。
出家した、日蓮は、鎌倉、京、畿内へと、遊学の旅に出る。
ある人、荘園経営の実務を学ばせるために、寺の代表として、派遣したという。
それも、ありなんである。
しかし、それを、詮索している暇は、ない。

日蓮の、遊学は、30過ぎまで、続いた。
勿論、その間、仏教教学に、のめり込んでいる。
比叡山は、もとより、京、畿内の、寺を回り、熱心に、学んだ。

30の時に、新義真言宗の祖とされる、覚鑁 かくばんの、五輪九字明秘密釈を、書写したという。
それは、真言密教をはじめ、諸宗派の教学にまで、及ぶ。

ちなみに、この覚鑁は、撹乱している。その考え方が、である。私見である。

そして、その青年期、日蓮は、数々の神秘体験をしていると、いわれる。
これが、曲者である。

ある本によると、日蓮が、出家した時、虚空蔵菩薩に知恵を、授けてくれるように、願い、生身の菩薩から、知恵の大宝珠を、右の袖に受け取る、とある。
また、32歳の時、不動明王、愛染明王を、目の当たりにして、それを、図に描いて、弟子に授けている。

中世は、実に、このような、神秘体験というものが、多い。
勿論、それは、妄想であり、あるいは、邪霊の類の、遊びである。

それを、神仏との、交感という、アホがいるから、世話がない。

さて、問題は、寺社会の中で、知識を得ていた日蓮は、次第に、その世界から、逸脱してゆく。
それは、現実世界の有様である。

ここに、野心の芽生えがある。

当時の、寺社会とは、世間と、全く、隔絶されていた。
比叡山などは、すでに、地上の楽園の様である。
荘園経営の豊潤さに、学僧たちは、厚く保護され、特権階級並の、生活である。
あの、中世である。

信長が、比叡山、焼き討ちをしたのは、まさに、正しい。あれでも、手緩い。
皆殺しにしたが、逃れた者もいる。
討伐に、当たった秀吉は、逃げた者を、追わなかった。
それが、誤った。
キリシタンを、徹底して、正当防衛で、殺したように、徹底して、よかったのである。

ちなみに、キリシタンを、許していたら、今頃、日本は、ローマ法王が、指揮する国になっていた。
アメリカの言いなりになる日本などというものではない。
伝統を破壊され、とんでもない、国になっていた。

勿論、今も、伝統を破壊され、アメリカ左翼、アメリカ左派のような、へんてこりんな、識者が、嘘八百を、泡を吹いて言う国になったのであるが。


そのような、環境で、仏教を、お勉強して、どうなるのかは、見ての通りである。
糞の役にも立たない、仏の道が、一丁出来上がりで、現実の世界とは、何の関わりもない、坊主の、やりたい放題である。

里には、女を幾人も、囲い、セックス三昧。修行三昧では、ない。セックス三昧である。
さらに、稚児遊びの、甚だしさといったら、無い。
僧兵などは、里の貧しい子を、稚児にして、その、性欲のために、窒息死するのも、平然としていた。
書くのも、嫌になる、体たらくである。

すでに、あの頃から、仏教は、堕落し、今に至っては、堕落を通り越し、アホ、馬鹿、間抜け、糞ったれ、もう一つおまけに、自害して果てろ、である。

当時、現れた、本覚思想というものを、見れば、唖然呆然である。

地獄界は地獄界ながら、餓鬼界は餓鬼界ながら、ないし仏界は仏界ながら、なにひとつ改めることなく、そのままの姿で悟りの相を示している、と説かれるのである。決して万象が一つの根本真理に帰すのではない。本門の教えでは、迷妄の衆生がそのままとりもなおさず実相であり、邪見を抱いた衆生がそのまま仏の当体なのである。
源信 作 三十四箇事書

この世は、本質的に、悟りの世界である。
それを、地獄としか、見ることができないのは、その人間の悟りの境涯が、低いからであると、平然という。
呆れる。

要するに、何とでも、言える、解釈する世界が、宗教というもの。

日蓮も、その影響を、受けて、最初の著作、戒体即身成仏義には、

法華の悟りをえるとき、我らの色心生滅の身がそのまま不生不滅の存在となる。国土も同様である。この国土をはじめ、馬牛や六畜までみな仏である。草木月日もみな聖衆なのである。
と、ある。

21歳の、日蓮の悟りは、道元の、それと同じく、目の前のもの、すべて、仏である。
何から、何まで、仏であると、妄想した。

こういうのを、仏病、という。
今も、仏病に罹っている、仏教の、僧、信徒である。

この世の、存在は、あるがままの、形で、仏の悟りを表しているのだと、釈迦仏陀が、聞いたら、泡を吹き、気絶する。


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2008年10月21日

もののあわれ301

かの山寺の人は、よろしうなりて、出で給ひにけり。京の御すみか尋ねて、時々の御消息などあり。同じ様にのみあるも、道理なるうちに、この月頃は、ありしにまさる物思ひに、異事なくて過ぎ行く。



あの山寺の人は、快方に向かって、山を出られた。
京のお住まいを捜して、時々、お手紙を、差し上げる。
しかし、いつも同じ内容の、返事であるのも、無理ないことと、思いつつ、この幾月は、昔以上の、苦しい物思いに、藤壺の宮のことばかりを、考えて過ごす。

返事というのは、あの少女のことである。
幼すぎて、話にならないということだ。

ありしにまさる
いつものようではない。
通常のものではない、という。

秋の末つ方、いともの心細くて、嘆き給ふ。月のおかしき夜、忍びたる所に、からうじて思ひたち給へるを、時雨めいてうちそそぐ、おはする所は六条京極わたりにて、内裏よりなれば、すこし程遠きここちするに、荒れたる家の、木立いとものふりて、木暗く見えたる、あり。



秋の終わりになり、何かたまらなく心細く、溜息が出る。
月の美しい夜に、秘密の愛人の所に、やっとのことで、出掛ける気になったが、時雨のように、雨が降ってきた。
出掛ける先は、六条京極付近である。
そこは、宮中より、少し距離がある。途中、手入れのしない、家の木立が、とても古びて、木暗く見えるのである。



例の御供に離れぬ惟光なむ「故按察使の大納言の家に侍り。ひと日物たよりにとぶらひて侍りしかば、かの尼上いたう弱り給ひにたれば、何事もおぼえず、となむ申して侍りし」と聞ゆれば、源氏「あはれのことや。とぶらふべかりけるを、なぜかさなむとものせざりし。入りて消息せよ」と宣へば、人入れて案内せさす。



いつも通り、お供する惟光が、なき、あぜち大納言の家でございます。先日、ついでに見舞いましたら、あの尼君は、酷く弱って、何も手がつきませんと、少納言が、申していましたと、申し上げる。
源氏は、気の毒なこと。
お見舞いすべきだったのに、どうして報告しなかったのか。入って、案内を、請えと、仰るので、供を邸に入れて、申し入れさせた。


あはれのことや
憐れみの感嘆である。
それは、嘆きのことも、哀しみのことも、慈しみのことも、あはれ、なのである。

あはれは、自由自在である。
天地自然、人事全般に渡り、あはれは、広がる。



わざとかう立ち寄り給へる事、と言はせたれば、入りて、供人「かく御とぶらひになむおはしましたる」と言ふに、おどろきて、女房「いとかたはらいたき事かな。この日頃むげに、いと頼もしげなくならせ給ひにたれば、御対面などもあるまじといへども、帰し奉らむはかしこし」とて、南の庇ひきつくろひて入れ奉る。



わざわざお出かけになりましたと、口上を述べさせたので、内に入り、供人は、わざわざお見舞いに、おいで遊ばしましたと言うと、女房たちは、驚き、どうしたらよいのか。ここ数日、すっかり弱りまして、ご対面は、できますまいが、でも、このまま御帰ししては、恐れ多いと、南の庇を、片付けて、お入れ申し上げる。



女房「いとむつかしげに侍れど、かしこまりをだにとて。ゆくりなうもの深きおまし所になむ」と聞ゆ。げにかかる所は、例に違ひて思さる。



女房は、まことに、取り散らかしたる所でございますが、せめて、お見舞いの、お礼だけでもと、存じまして。知らずとはいえ、陰気なお座敷で、恐れ入りますと、申し上げる。
いかにも、このような席は、勝手の違う思いがする。


ゆくりなうもの
ゆくりなく、という、不意に、しかしそのようにある如くという、たゆたう言葉である。
実に、繊細微妙な言葉である。
おまし所
御座所である。源氏を座らせる場所である。客間になる。



源氏「常に思ひ給へ立ちながら、かひなき様にのみもてなさせ給ふに、つつまれ侍りてなむ。悩ませ給ふ事を、かくとも承らざりけるおぼつかなさ」など聞え給ふ。



源氏は、いつも、思い立ちながら、参っても、詮無いことと、気が引けまして。
ご病気も、知らず、気になりますことです。と、仰る。

つつまれて侍りてなむ
何も力にならないのである。
訪れても、詮無いことである。
つまり、何も出来ないのだが。

いつも、気にかけていましたが、こちらに来ても、何も出来ることがないのです。
まして、病気であるとは。知らずとは言え、本当に気がかりになります。

このように、相手に対する様に、もののあわれ、というものを、観るのである。
人に対処する様にも、もののあわれ、という風景がある。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第7弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月22日

もののあわれ302

尼君「みだり心地はいつともなくのみ侍るが、限りの様になり侍りて、いとかたじけなく立ち寄らせ給へるに、自ら聞えさせぬこと。宣はする事の筋、たまさかにも思しめし変わらぬやう侍らば、かくわりなき齢過ぎ侍りて、必ずかずまへさせ給へ。いみじう心細げに見給へ置くなむ、願ひ侍る途のほだしに思ひ給へられぬべき」など聞え給へり。



尼君は、気分のすぐれないことは、いつもと、変わりません。今わの時になりまして、恐れ多くも、立ち寄りくださいましたのに、お礼も、申し上げられないとは。
仰せられた、あの事は、万一、思し召しが、変わりませんでしたら、この何も知らない年頃が、過ぎましたら、是非、お目をかけてくださいますように。
心細い、有様を見残して参りますが、願います、往生の障りに、思われるでしょう。と、申し上げる。

限りの様
臨終のことである。
死期が近いというのである。

たまさかにも
もし、変わらないようであれば。
源氏が、若草を、迎えたいという、話である。




いと近ければ心細げなる御声、絶え絶え聞えて、尼君「いとかたじけなきわざにも侍るかな。この君だにかしこまりも聞え給ひつべき程ならましかば」と宣ふ。あはれに聞え給ひて、源氏「何か、浅う思ひ給へむ事ゆえ、かう好き好きしき様を見え奉らむ。いかなる契りにか、見奉りそめしより、あはれに思ひ聞ゆるも、あやしきまで、この世の事には覚え侍らぬ」など宣ひて、源氏「かひなきここちのみし侍るを、かのいはけなうものし給ふ御ひと声、いかで」と宣へば、女房「いでや。よろづ思し知らぬ様に、大殿ごもり入りて」など聞ゆる折りしも、あなたより来る音して、若君「上こそ。この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ。など見給はぬ」と宣ふを、人々、いとかたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞ゆ。



床が、すぐ近くなので、元気のない、尼君の声が、とぎれとぎれに聞こえる。
尼君は、まことに、恐れ多いことです。せめて、この姫が、私に代わり、お礼を申し上げることが、出来ればと、と仰る。
あはれに聞え給ひて、この場合は、可愛そうに思いということになるのか。
源氏は、いえいえ、浅はかな心で、こんなお恥ずかしいことを、申しましょうか。
前世からの、縁でしょう。
出会った時から、可愛らしい方と、思いました。
不思議なほど、この世の縁だとは、思われません。と、仰る。
そして、かひなきここちのみし侍る、とは、折角来たのですから、とでも訳す。
あの、無邪気な声を、是非、聞かせていただきたいと、仰る。
女房が、いえいえ、もう。何も解らないようで、よくお休みになっていますと、申し上げていると、あちらから来る足音がして、若君が、おばあさま、あの、お寺にいらした、源氏の君が、おいでになったのですか。どうして、教えてくださらないのと、仰るのを、女房たちが、いたたまれない気持で、お静かにと、申し上げる。


あなかま
あな、かまし、である。
やかましい
転じて、お静かに、である。



若君「いさ、見しかばここちのあしさ慰めき、と宣ひしかばぞかし」と、かしこき事聞き得たりと思して宣ふ。いとをかしと聞い給へど、人々の苦しと思ひたれば、聞かぬゆうにて、まめやかなる御とぶらひを聞えおき給ひて、帰り給ひぬ。「げにいふかひなのけはひや。さりとも、いとよう教へてむ」とおぼす。



若君は、だって、源氏の君を、見たら、気持悪いのが、直ったと、仰ったからなの、と良い事を耳にしたと思い、言う。
君は、おかしいと、思いつつも、女房たちが、困っている様子なので、聞かない振りをして、丁寧な、お見舞いの言葉を、仰せになり、お帰りになった。
なるほど、まだ幼い様子だ。ひとつ、立派に、教え込むと、思うのである。



またの日も、いとまめやかにとぶらひ聞え給ふ。例の小さくて、

源氏
いはけなき 鶴の一声 聞きしより 葦間になづむ 舟ぞえならぬ

同じ人にや」と、ことさら幼く書きなし給へるも、いみじうをかしげなければ、やがて御手本にと人々聞ゆ。少納言ぞ聞えたる。「とは給へるは、今日をも過し難げなる様にて、山寺にまかり渡る程にて、かうとはせ給へるかしこまりは、この世ならでも聞えさせむ」とあり。いとあはれと思す。



その翌日も、ねんごろに、お見舞いを申し上げる。
いつも通り、小さな結び文にして、同封した若君あてのものには、

いはけなき たづのひとこえ ききしより あしまになづむ ふねぞならぬ

幼い、鶴の一声を聞いてから、そちらへと行こうと思いつつ、葦の原を行き悩む舟は、たまらない思いです。

同じ人を、思い続けます。

幼女に、恋文を送るという。
そのように、子供向けに、お書きになったものも、大変に見事であり、女房は、これをそのまま、手本にいたしませと、侍女たちに言う。
少納言が、お返事しました。
お見舞いいただいた、尼君は、今日一日も、持ちそうにない状態です。
山の寺に、引き移りますところ、このように、お見舞いいただきましたお礼は、あの世にて、申し上げるでしょう。と、ある。
君は、深く、あはれ、と思う。
この場合の、あはれ、とは、切ない、気の毒、様々な、情の思いである。

いとあはれ
大変に、あはれ、である。
あはれ、に込める心のあり様である。




秋の夕べは、まして心のいとまなく、おぼしみだるる人の御あたりに、心をかけて、あながちなるゆかりも、尋ねまほしき心も、まさり給ふなるべし。「消えむ空なき」とありし夕べ、思し出でられて、恋しくも、また、見ば劣りやせむ、と、さすがにあやふし。

源氏
手につみて いつしかも見む 紫の ねに通ひける 野辺の若草

これは、原文のまま、もののあわれ、というものを、書き表すのである。

秋の夕暮れは、ひとしお、物思いのやむことなく、恋焦がれるお方から、心は離れない。
少しの縁でも、尋ね求めたいと思う気持も、今まで以上に強いものである。
「死に切れない」と尼君が、詠んだ夕方が、思い出される。
若草の君を、恋しくも思い、また、一緒にいれば、その不足、欠点も、見えるであろうと、思い、不安にもなる。

我が物と、早くと思う。紫草、藤壺の君に、縁のある、あの若草の君を。

若草の君という、存在を、取り払い、源氏の心境のみを、取り出してみる。
そこには、もののあわれ、というものの、心象風景が、広がる。

これが、後に、新古今にも、受け継がれる、あはれ、となるのである。

更に、日本人の、心の原風景となる、物思いともなる。

秋の夕べは、まして心のいとまなく
心をかけて、あながちなるゆかりも、尋ねまほしき心も

西行にも、それは、受け継がれる、歌詠みに、受継がれる。

もののあわれ、というものの、その、原風景が、源氏物語にある、所以である。
更に、それは、万葉集、万葉の時代、そして、それ以前の、意識曖昧な、時代からの、日本人の、微妙繊細な、心の風景であると、私は言う。

古事記、日本書紀よりも、なお、日本の心を、尋ねるならば、万葉集に、ありと、私は言う。

神世の時代とか、神話の時代というが、私は、人の心の時代という。
心の、原風景の時代である。
勿論、それは、縄文期からのものである。

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2008年10月23日

もののあわれ303

十月に、朱雀院の行幸あるべし。舞人など、やんごとなき家の子ども、上達部殿上人どもなども、その方につきづきしきは、皆選らせ給へれば、親王達大臣よりはじめて、とりどりのざえども習ひ給ふ。いとまなし。



十月に朱雀院へ行幸あそばす、予定である。
その御宴の舞人なども、身分の高い名門の君達、そして、かんだちめ上人たちなどでも、その道に名のある方は、残らずに、選ばれたので、親王方大臣をはじめとして、それぞれの特技を練習なさる。
そのため、余暇もない。




山里人にも久しくおとづれ給はざりけるをおぼし出でて、ふりはへつかはしたりければ、僧都の返り事のみあり。「たちぬる月の廿日のほどになむ、つひにむなしく見給へなして、世間の道理なれど、かなしび思ひ給ふる」などあるを見給ふに、世の中のはかなさもあはれに、うしろめたげに思へりし人もいかならむ。幼き程に恋ひやすらむ、故御息所に後れ奉りしなど、はかばかしからねど思ひ出でて、浅からずとぶらひ給へり。少納言、ゆえなからず御かへりなど聞えたり。




北山の、尼君などにも、しばらくお会いしていなかったと、お気づきになり、わざわざ使いを、差し出した。
すると、僧都の返事のみである。
先月の二十日頃に、とうとう、むなしく、亡くなりました。人の世の定めながらも、悲しいことです。などと、記してある。
それを、御覧になり、人間の無常を、しみじみと、思われて、尼君が、気がかりに思っていた、あの若君も、どうしていようと、思う。
幼き年頃ゆえに、恋い慕っているであろう。
なき母君に先立たれたことなど、朧に思い出して、心を込めて、お見舞いをされた。
それに対し、少納言は、心得のある、お返事を、申し上げるのである。

亡き人を、言葉にする時に、
つひにむなしく見給へなして、世間の道理なれど、かなしび思ひ給ふる
と、言う。
遂に、空しく亡くなりました。それは、世の中の定めの通り、悲しいことでございます。

世の中のはかなさもあはれに

儚いことが、更に、あはれ、と感得する。
あはれ、に、託される思いの、交々である。

何故、私が、もののあわれについて、を、書くか。
それは、あはれ、に、すべてを託すという、日本の心の原型、原風景を、取り戻すためである。
それを、大和心とも、大和魂とも、言う。

うしろめたげに思へりし
尼君の心を、源氏が、察するのである。

人の心を、推し量り、察する、微妙たゆたう、心のあり様を、また、もののあわれ、という、心象風景が、支える。

これは、民族の精神の根幹とも、言うべき、心象である。


本当に、惜しくも、大和魂という、あり様が、歪曲されて、利用されたこと、返す返すも、悔しいものである。
これは、相対的、たゆたう心であり、排他的でも、非寛容でもない。
在るものを、すべて、受け入れて、その、調和を図るというものである。

それを、体系づけて、石田梅岩などは、石門心学などを、立ち上げた。
それは、心を磨くためならば、仏教、儒教、道教、神道など、一切問わない。すべては、心であるとする、思想である。

心を、教理の上に置いたのは、正に、大和心を、知っていたのである。
日本人は、排他的ではない。
ただ、村社会の、排他性を持って、それを、解釈すると、誤る。

天皇による、政治を、見ればよいのだ。
すべてを、容認して、和して、和えてとも言う、そうして、調和を貴びて、政治を行うのである。

和え物とは、日本人の、最大の特徴である。
それは、欧米には無い。
彼らは、和えることが、出来ない。それは、一神教の教義を見ても、よく解るのである。
同じ神を、拝まない者は、異邦人、異教徒として、認識し、平等ではない。
同じ人間ではないと、殺傷するのである。


もののあわれによる、大和魂は、世界平和の思想として、掲げられるものである。
それは、曖昧微妙にして、和えることが、出来る思想であるからだ。

何よりも、人間主義である。
ヨーロッパのルネサンスというのは、人間主義と言われるが、日本は、最初から、人間主義、そして、心主義である。
勿論、主義として、掲げるものではなく、行為として、成り立つものであった。

行為の中にこそ、言葉の世界が、潜んであるというもの。
語り尽くさないのである。
理屈ではなく、行為にあるものを、こそ、貴んだのである。

行為に適う言葉は、無い。
百の言葉より、一つの行為が、この人の世を、定めるのである。

天地が、揺らいでも、我が言葉は、変わらないというのは、天地が、揺らげば、我が言葉が、揺らぐということである。
日本人は、言葉より、行為を先に立てるのである。

言霊の思想は、それゆえ、揺るぐことは、ないのである。


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2008年10月24日

もののあわれ304

忌など過ぎて、京の殿になむ、と聞き給へば、程経て、自らのどかなる夜おはしたり。いとすごげに荒れたる所の、人少ななるに、いかに幼き人、恐しからむ、と見ゆ。例の所に入れ奉りて、少納言、御有様など、うち泣きつつ聞え続くるに、あいなう御袖もただならず。



忌なども、終わり、京の邸に帰ったと、お聞きになったので、しばらくして、ご自身で、お暇な夜に、お出でになった。
とても、凄いと思えるほど、荒れている邸で、住む人も少ないため、どんなに、幼い人は、怖がっているのかと、思う。
先日の席に、お通しして、少納言は、尼君の、臨終の様子を、泣きつつ、申し続けるのである。
源氏は、いつしか、袖も絞るほどに、涙を流すのである。

忌 いみ
忌中を過ぎてということ。
物忌みなどという、言葉もある。

ここで、私の独断の説を言う。
いみ、意味という言葉の、意味とは、何か、である。

意味があるという時、人は、これをすると、こういう、結果が、あるということを、意味が在るという。
また、意味の無い人生は、無いという時の、意味とは、何か。
言葉では、計り知れない意味というものを、言葉で、語り尽くすということは、戦後から、特に強くなった。

無意味とは、何も、結果が、現れないこと。
Aから、Bという、結果があることを、意味という。
無意味とは、何も結果が無い。

この意味づけを、行うことを、哲学するといい、また、意味付けを、思想とも、言う。
しかし、日本には、伝統として、意味のあることは、無いのである。
つまり、無意味なのである。
ただ、行為のみがある。
行為に、意味を、見出す必要は無い。

究極を言えば、人生には、意味が無いとも言える。
意味を求めて、妄想の思想に染まる人の多いこと。

生きるということで、すでに、生きるという、行為を為しているのであり、それ以上を詮索しないのである。
意味を見出せば、意味に捕らわれ、意味に拘る。
意味自体に、実は意味が無いのである。
これが、日本の思想であり、更に西洋の思想というものとは、隔絶し、乖離するのである。西洋思想によって、日本を解釈しては、誤る。

人は、無意味を生きていると、言えば、今時の人は、恐れおののくだろうが、実は、人生には、意味が無いのである。

日本の伝統は、あるがままの、自然に沿い、自然に添って生きること、それ自体で、善しとしたのである。

それを、精神的遺伝子に持っているのである。

例えば、政治を見る。
民主主義であり、選挙によって、議会制民主主義というものを、描いているのだか、それは、アメリカ型の、政治を、真似ているだけで、何も、変わっていないのである。

それは、日本には、革命というものが、歴史に一つも、見えないということからも、解る。
大化の改新や、明治維新は、革命ではない。

身内の争いと、端的に言う。

政治家も、選挙に受かると、それで、政治家であると、思いこむ。
実は、日本人の政治というのは、まつりごと、という言葉で、表されるように、奉り事なのである。
その、主は、天皇である。
天皇の政、奉り事を、継承してきた民族である。

ゆえに、どんなに政治が、乱れても、革命は、起きないのである。
潜在的に、そのようになっている。

お上の考え方から、今もって、抜けていないし、抜けられなくていいのである。
であれば、天皇親政を行うのが、最も理想的なのである。

現在の政治形態を、不満に思っても、諦めるのである。
それが、潜在性の、政治感覚なのである。

諦めるとは、単なる、捨ててしまうのではない。
お上に、お任せするのが、一番良いと、潜在的に思うのである。
だから、政治が、政治家が、今もって、成長、成熟しない。

その良い例が、世襲である。
世襲を、容認する程、日本人は、アメリカ型の民主化というものが、理解出来ないでいる。

戦わずして、和を、貴ぶのは、日本の伝統であるから、一番理想的な、政治形態が、天皇陛下の、お心に、お任せして、粛々と、従うというのが、最も、理想的なのである。

逆に、共産主義などの、革命などは、起こりえないし、成功したならば、日本人という民族は、いなくなる。滅びるということである。

政治家による、政治より、官僚による、政治が、日本では、当然の如くにある。それは、天皇親政のままであることだ。
しかし、現在の官僚は、明治期の官僚と違う。それが、大きな問題なのである。
大臣が、変わっても、特別、大きな違いは無いのは、官僚政治だからである。
それ以上の、政治は、また、無いのである。

だが、象徴天皇を、政治の主にすると言えば、この日本の伝統を、理解出来ない、あるいは、知らない者が、騒ぐのである。
その、騒ぎは、時代と、逆行するというだろう。
実は、それが、時代の最先端を行くのである。

日本の天皇が、欧米諸国に、敬意を表されるのは、その歴史と伝統である。
また、共産国にても、天皇に対する敬意があるという、驚きである。

天皇が、任命する、上院議員と、国民が選挙で、選ぶ下院議員で、日本の政治を、行うと、理想的である。
最後の、承認を天皇が、行えば、国民は、粛々と従うのである。
今の、状態と、何ら変わらないのである。
今も、へんてこりんな、政治に、粛々と従っているのである。

国体を、意識して、政を、行う天皇に、承認されることは、未来の日本にとって、実に、良い事である。
政治家は、今の時代しか、見えない、見ないからである。
しかし、天皇は、2668年の、歴史と、伝統を持って、未来を、見詰めるから、国にとって善いことを、最優先して、決定するのである。

最も理想なのは、天皇は、金に目が眩むことがないという、ことも、その一つである。

私は、そう思うのである。

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2008年10月25日

もののあわれ305

少納言「宮に渡し奉らむと侍るめるを、故姫君の、いとなさけなく憂きものに思ひ聞え給へりしに、いとむげに児ならぬ齢の、まだはかばかしう人のおもむけをも見知り給はず、中空なる御程にて、あまたものし給ふなる中の、あなづらはしき人にてや交り給はむなど、過ぎ給ひぬるも、世とともに思し嘆きつるも、しるき事多く侍るに、かくかたじけなきなげの御言の葉は、のちの御心もたどり聞えさせず、いと嬉しう思ひ給へられぬべき折節に侍りながら、少しもなずらひなるさまにもものし給はず、御年よりも若びてならひ給へれば、いとかたはらいたく侍り」と聞ゆ。



少納言は、宮様のお邸に、お移しするとのことですが、亡き尼君は、なき姫君が、辛く悲しいものと、思った邸へ、まるっきり子供でもなく、さりとて、大人でもない、まだ不安定な年頃では、大勢の姫君の、中での、なぶられ者になりはしないかと、気にして、嘆いて、おりました。
その通りと、思われますことが、多々あります。
このような、恐れ多い、かりそめのお言葉を、後々の、思し召しまでも、考えませんで、まことに、嬉しいことではありますが、ご本人が、釣り合いのとれますような、ふうではなく、お年よりも、子供じみた、お育ちですので、まことに、困りました。と、申し上げる。

実に、難しい、というか、面倒な、話である。と、共に、文章である。
現代訳にするには、面倒臭いのである。

中空なる御程にて
中途半端であるので、ということになる。
子供でもなく、さりとて、大人でもなく、微妙な年頃で、そのー、あのー、云々というのである。

故姫君とは、尼君の娘で、若君の母のこと。

これで、当時の、やり取りの様が、解るというもの。
物言いは、優雅であろう。
時間も、たっぷりある。
情報は、極端に少ない。

源氏物語を理解するということは、あの当時の時間感覚に、立ち戻るということである。

一日、24時間という、現代の感覚では、とうてい想像がつかない。
当時の時間感覚は、現代の、24時間の、倍の時間感覚であろうと、思われる。

私は、源氏物語を、書き写しながら、いかに、生き急いでいるかと、思うのである。
このように、人と会話をしたことがない。




源氏「何か。かう繰り返し聞え知らする心の程を、つつしみ給ふらむ。そのいふかひなき御有様の、あはれにゆかしく覚え給ふも契りことになむ、心ながら思ひ知られける。なほ人伝ならで、聞え知らせばや。

あしかわの 浦にみるめは 難くとも こは立ちながら かへる波かは

めざましからむ」と宣へば、少納言「げにこそいとかしこけれ」とて、

寄る波の 心も知らで 若の浦に 玉藻なびかむ 程ぞうきたる

わりなきこと」と聞ゆる様のなれたるに、少し罪許され給ふ。源氏「なぞ越えざらむ」と、うち諳じ給へるを、身にしみて若き人々思へり。




源氏は、何かと言う。
これは、いえいえ、とか、なんのなんの、とか、大そうなことではないという、意味。
こんなに、重ね重ねて、説明した思いを、なぜ、遠慮されるのか。その、子供じみた様子を、可愛く思う、懐かしく思うのも、特別の縁であろう、と言う。
ここでの、契り、とは、宿縁のような意味合い。
男と女が、契るのは、セックスすることである。和泉式部も、端的に、契りて、と言う。
我ながら、つくづくと、縁の深さを、感じたのです。
矢張り、じかに、申し上げたい。

あしかわの うらにみるめは かたくとも こはたちながら かへるなみかは
若の浦の藻は、少なくても、寄せたままで、返る波ではない。
若君に、お会いできずに、帰れない、帰れようか。である。

あしわか、とは、若い葦のはえている和歌の浦で、若君のこと。
波は、源氏である。
みるめ、とは、見る目と、藻を、懸けるのである。

酷すぎるだろうと、源氏が言うと、少納言は、まことに、恐れ多いことです、と

よるなみの こころもしらで わかのうらに たまもなびかむ ほどぞうきたる

寄せる波の、思いも、知らずに、若の浦の、玉藻が、なびいて、浮いたことと、思いましょう。
ご真意も、確かめずに、仰せに従えましょうか。

困りますことです、と、申し上げる。
その様子は、心得たもので、許す気にもなる。
源氏は、逢わずにおかぬ、という言葉を、若い女房たちは、身に染みて、思うとある。
何故、身に染みて、思うのか。

少納言は、男女の、やり取りを、知り尽くしている。
そのやり取りは、見事である。

源氏も、引かない。
少納言も、うまく対応する。

逢わずにおかないと、源氏は、言う。

女房たちは、源氏の好色に、うずうずする程の、思いなのである。

凄いわーという、ことである。
少女のうちから、育てようとしている。
ある種の、憧れもある。
そこまで、男に、思われたら・・・
本望であろう、女としては、である。

勿論、今の時代であれば、犯罪行為になるのであるが。

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2008年10月26日

もののあわれ306

君は、上を恋ひ聞え給ひて、泣き臥し給へるに、御遊びがたきどもの、女童「直衣着たる人のおはする、宮のおはしますなめり」と聞ゆれば、起き出で給ひて、若君「少納言よ。直衣着たりつらむはいづら。宮のおはするか」とて、寄りおはしたる御声、いとらうたし。源氏「宮にはあらねど、また思し放つべうもあらず。こち」と宣ふを、はづかしかりし人と、さすがに聞きなして、あしう言ひてけり、とおぼして、乳母にさし寄りて、若君「いざかし、ねぶたきに」と宣へば、源氏「今更に、など忍び給ふらむ。この膝の上に大殿籠れよ。今少し寄り給」と宣へば、乳母の「さればこそ、かう世づかぬ御程にてなむ」とて、押し寄せ奉りたれば、何心もなく居給へるに、手をさし入れてさぐり給へれば、なよよかなる御衣に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに探りつけられたる程、いとうつくしう思ひやらる。手をとらへ給へれば、うたて例ならぬ人の、かく近づき給へるは恐ろしうて、若君「寝なむと言ふものを」とて強ひて引き入り給ふにつきて、すべり入りて、源氏「今はまろぞ思ふべき人。な疎み給ひそ」と宣ふ。




若君は、お祖母様を慕い、寝床で、泣いている。
お相手する者が、直衣を着たお方が、お出でです。宮様が、お出でなのでしょうと、申したので、起き上がり、少納言、直衣を着た方は、どちら、宮様が、お出でなのですかと、言いつつ、近づいてくる声は、実に可愛いのである。
源氏は、宮様ではないが、お疎まれずに、されなくてもいい者です。さあ、こちらへ、と、仰る。
あの方だと、子供ながらも、知っていて、悪いことをしてしまったかのように、乳母にすり寄り、眠いので、行こうよと、仰るので、源氏は、今になって、どうして、隠れようとするのですか。私の膝の上で、お休みなさい。もう少し、傍にいらっしゃいと、言う。
乳母とは、少納言のことである。
こんな訳ですから・・・これ程、わけがわからない様子ですから、と、手で押しやると、押しやられるままに、無心に座っている。
凡帳ごしに、手を入れて、探ると、柔らかな着物の上に、髪がつやつやと、かかり、その裾がふさふさと、手に探り当てられ、さぞかし、可愛いと思われる。
手を掴まえたので、親しくない人が、近寄ってきたと、怖くなったのか、寝ようと、言う。
引き離して、引っ込むのである。
源氏は、今からは、私が可愛がって上げます。嫌がらないで、と言う。


はづかしかりし人
その人の前では、振る舞いが、許される人という意味である。

手をさし入れてさぐり給へれば
源氏と、若君のいる母屋の間に、御簾がかかっている。その間に、手を入れるのである。


なよよかなる御衣
着慣れたもの。仕立て卸したものではない、着物である。



乳母「いで、あなうたてや。ゆゆしうも侍るかな。聞えさせ給ふとも、さらに何のしるしも侍らじものを」とて、苦しげに思ひたれば、源氏「さりとも、かかる御程を、いかがあらむ。なほ、ただ世に知らぬ心ざしの程を、見果て給へ」と宣ふ。



乳母は、まあ、とんでもありません。滅相も無いことです。何を、仰っても、まるで、わかりませんと、困り果てて言う。
源氏は、幾らなんでも、こんな小さな方を、なんとかするものですか。
何度も申し上げますが、私の愛情を、よくよく見てくださいと、仰る。


乳母は、考え過ぎたのだ。
しかし、これは、幼女愛とでもいうのか。
今では、ロリコンである。



ゆゆしうも侍るかな
滅相も無いことです。

こんな、小さな子に、まさか、ということである。
紫式部も、飛んでいるものである。
しかし、当時は、そういうことも、あったということを、知る。
世界最初の、小説に、世界最初の、幼女愛が、語られるとは。

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2008年10月27日

もののあわれ307

あられ降り荒れて、すごき夜の様なり。源氏「いかで、かう人少なに心細うて、過ぐし給ふらむ」と、うち泣い給ひて、いと見捨て難き程なれば、源氏「御格子まえりね。もの恐ろしき夜の様なめるを、宿直人にて侍らむ。人々近う侍はれよかし」とて、いと慣れ顔に、御帳の内に入り給へば、あやしう思ひのほかにも、とあきれて、誰も誰も居たり。乳母は、うしろめたなうわりなしと思へど、あらましう聞え騒ぐべきならねば、うち嘆きつつ居たり。



あられが、激しく降り、凄い夜である。
源氏は、どうして、このような少ない人数では、心細い、暮らしを続けて行かれましょうか。と、泣かれて、とても、見捨てては、帰りにくい様子である。
源氏は、御格子を下ろしなさい。不気味な今夜の様子、お泊り番を、勤めよう。皆、傍に寄りなさい。と、仰る。
いつも、し慣れているように、御帳台の中に入りになる。
それは、大変驚くべき、振る舞いである。一同は、呆然とする。
乳母は、気が気でなく、ご無理なことと、思うが、声を荒げて、騒ぐわけにはいかない。溜息を、ついて御傍にいた。


御帳台とは、寝床、ベッドである。
そこに、源氏が入るというのである。
通常は、ゆゆしきことである。
しかし、皆、呆然として、従うしかない。



若君は、いと恐ろしう、いかならむとわななかれて、いとうつくしき御はだつきも、そぞろ寒げに思したるを、らうたく覚えて、ひとへばかりをおしくくみてわが御ここちも、かつはうたておぼえ給へど、あはりにうち語らひ給ひて、源氏「いざ給へよ。をかしき絵など多く、雛遊びなどする所に」と、心につくべき事を宣ふけはひの、いとなつかしきを、幼なきここちにも、いといたうもおぢず、さすがにむつかしう、寝も入らずおぼえて、みじろぎ臥し給へり。



若君は、すっかり、怖がり、どうなることと、身も震えている。
美しい肌も、何やら、寒そうである。
それを、源氏は、可愛く思い、単の衣を着せる。
その行為は、少し変だと思われるが、しみじみとした、お話振りで、こちらに、いらっしゃい、面白い絵もあり、お人形遊びも、出来ますよ。と、若君の、気に入るようなことを、仰る様子が、とても、優しい雰囲気で、子供ながらも、怖がらない様子。
しかし、落ち着かないで、寝られもしないで、もじもじと、横になっている。



若君が、裸であるということがわかる。
ひとへばかりをおしくくみて
肌着を、着せるのであるから、裸でいたということだ。

それに対して、源氏は、
かつはうたておぼえ給へど
と、自分のしていることを、思うと、大変なことをしていると、思うのである。

この辺りは、実に、色っぽいのである。
紫式部は、さらりと、書いているが、裸体の幼女に、源氏が、下着を着せるという行為である。

乳母を、はじめ、女房たちも、唖然某然である。
更に、相手が、身分の高い、源氏の君である。
何も、言えないのである。



夜ひと夜風吹き荒るるに、女房「げに、かうおはせざらましかば、いかに心細からまし。同じくは、よろしき程におはしまさましかば」と、ささめき合へり。乳母は、うしろめたさに、いと近うさぶらふ。風少し吹き止みたるに、夜深う出で給ふも、事あり顔なりや。



一晩中、激しい風が吹きまくるので、女房たちは、本当に、こうして、お出でいただかなかったら、どんなに心細かったことでしょう。お似合いの、お年頃だったらと、ひそひそ、話し合うのである。
乳母は、気にかかり、お傍に、控えている。
風が少し収まったので、夜の深いうちに、お出になる。
どこか、女の所から、お帰りするみたいだ。

事あり顔なりや
とは、作者の感想である。



源氏「いとあはれに見奉る御有様を、今はまして片時の間もおぼつかなかるべし。明け暮れながめ侍る所に渡し奉らむ。かくてのみはいかが。ものおぢし給はざりけり」と宣へば、女房「宮も御迎へになど聞え給ふめれど、此の御四十九日過ぐしてや、など思ひ給ふる」と聞ゆれば、源氏「たのもしき筋ながらも、よそよそにてならひ給へるは、同じうこそ疎うおぼえ給はめ。今より見奉れど、浅からぬ心ざしは勝りぬべくなむ」とて、かい撫でつつ、返り見がちにて出で給ひぬ。



源氏は、まことに、お気の毒な様子です。
これからは、今まで以上に、少しの間も、気がかりです。
朝から晩まで、一人で寂しくしている所から、お連れいたします。
これでは、とても、暮らすことはできないでしょう。
よく、怖がらなかったものです。と、仰る。
女房は、宮様も、邸にお迎え申そうなど仰せになるのですが、こちらの、四十九日を済ませてからにと、考えております、と申し上げる。
源氏は、頼みにすべき、方ではありますが、別々に、お暮らしになっていたゆえに、若君にとっては、私と同じように、よそよそしく、感じられたのでしょう。
昨今の付き合いながら、本当のところ、私の方が、思いは深いものがあります。と、仰り、若君を撫で付けて、振り返り、振り返り、お出になったのである。

明け暮れながめ侍る所に渡し奉らむ
一人でも、大丈夫な所であろう。つまり、自分の所である。
つまり、一人で、寂しくない場所に、である。
このような、原文が、難しいと、感じる。

女房の言う、宮とは、若君の父親のことであり、源氏は、頼りにすべき方というが、自分の方が、一層、情けが深いのだと、言う。

女房たちが、若君が、それなりの年だったら、いいのにと、話すのである。
そうすれば、源氏に面倒を見てもらっても、大丈夫だと。しかし、この年では、どうすることも出来ないと、思っている。

ところが、源氏は、自分の所に、連れて行くということになる。

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2008年10月28日

もののあわれ308

いみじう霧渡れる空もただならぬに、霜はいと白うおきて、まことの懸想もをかしかりぬべきに、さうざうしう思ひおはす。いと忍びて通ひ給ふ所の、途なりけるを思し出でて、門うち叩かせ給へど、聞きつくる日となし。かひなくて、御供に声ある人して、うたはせ給ふ。

「朝ぼらけ 霧たつ空の まよひにも 行き過ぎ難き 妹が門かな」

と、二返りばかりうたひたるに、よしばみたる下仕をいだして、

「立ち止まり 霧のまがきの 過ぎうくは 草のとざしに さはりしもせじ」

と云ひかけて入りぬ。また人も出で来ねば、帰るもなさけなけれど、明け行く空もはしたなくて殿へおはしぬ。




すっかりと、霧がかかる空も、いつもとは違う風情である。
その上、霜が白く置いて、後朝ならば、深く感じ入るだろうに。
子供相手では、何か、物足りないのである。
車は進む。
ふと、人目を忍んで、通った所が、道筋にあったことを、思い出し、供人に、門を叩かせた。
しかし、聞きつけて来る者は、いない。
しかたなく、供人の声の張る者に、歌わせた。

あさぼらけ きりたつそらの まよひにも ゆきすぎかたき いもがかどかな
明け方の、霧の立ち込める空は、どこかと解らぬが、お前の家は、矢張り、目立って、通り過ぎることは、出来ない。

と、二度ほど、歌わせた。心得たる、女が奥から現れて、

たちどまり きりのまがきの すぎうくは くさのとざしに さはりしもせじ
お立ち止まりになりまして、霧のかかる、この家が、お通りなり難ければ、草で作った、儚い戸、お入りになる、邪魔は、したしません。

と、言うなり、中に入った。

それっきり、出て来ない。
帰ることも、つまらないが、さりとて、明け行く空の下では、具合が悪いのである。
そのまま、邸に戻ることにした。


まことの懸想もをかしかりぬべき
本当の、後朝 きぬぎぬ、の別れである。つまり、情を交わして、帰る道である。
相手が、子供だから、そんな、気分でもないのである。




をかしかりつる人の名残恋ひしく、ひとりえみしつつ臥し給へり。日高う大殿籠起きて、文やり給ふに書くべき言葉も例ならねば、筆うちおきつつすさび居給へり。をかしき絵などをやり給ふ。



若君の様子が浮かび、一人思い出して、笑いつつ、お休みになる。
日も高くなり、起きて、後朝の文を書くことも、書くべき歌も、いつもとは、違うので、筆を置いて、思案する。
そして、面白い絵などを、遣わすことにする。



何とも、優雅な遊び心である。
毎日、毎日、この時代の、貴族たちは、恋に明け暮れていたようである。
平安期の、貴族社会は、退廃そのものである。

その一つに、浄土思想がある。
弥陀の救いを求めて、それで、安心するという。
生活の心配は無い。
後は、ただ、恋に遊ぶのである。

そんな中で、一人、目覚めていたのが、紫式部である。
この、平和、太平の世に、書くという、意欲は、ただ事ではない。
ここに、日本の精神史の、ポイントがある。

一人、凄まじい教養を持ちつつ、人の世の常なる儚さの中にあり、よるべない心の有様を、見詰めていた。
夫亡き後、我が子の成長を見つつ、じっと、何物をかを、見詰めていた。
彼女も、浄土信仰に、傾倒していたようだが、それはそれであった。
漢籍も、和歌も、そして、貴族たちの、趣味をも、見つつ、一体、彼女が、何に目覚めていたのか。

物語を書いたことにより、藤原道真に中宮彰子の、女房に取り立てられて、漢籍などを、講義している。
それは、物語後である。

独り身の内にあり、紫式部が、見たものとは、何か。
それは、もののあはれ、というものである。
その総称として、物語に表現を託した。
すべては、空言である。
空言ではあるが、それは、彼女には、現実でもあった。

物語の中に描かれる物語は、当時の、世の中、特に宮廷と、貴族社会にある、話を、元にしている。
現実を、物語として書くという行為は、何か。
そして、それは、世界では、まだ、誰も行っていなかった、散文の形式である。
日本の、女房文学は、世界の女房文学でもあった。

後々に、源氏物語の作者が、複数であるということを、私も、考察する。
だが、それは、紫式部という、一人が、負っている。
複数であっても、紫式部が代表するのである。

つまり、芸術作品は、誰のものでもなくなるという、定めというものを、見ることにする。
まして、千年を経れば、それは、国民の宝であり、作者は、その象徴である。

さて、藤原の世が過ぎて、平家が立ち、そして、源平合戦へと、進む。
その後は、鎌倉時代、武家社会の到来である。
束の間の、平安である。太平である。その中で、描かれた物語である。

歴史は、怒涛の如くに、突き進む。
大化の改新からの、飛鳥、奈良の、動乱期を過ぎて、ほんの束の間である。

未来は、すべて、歴史に隠されてある。

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