2008年10月15日

神仏は妄想である 174

その最後の日月燈明仏は、大ぜいの人びとに対して大乗無量義経を説かれ、そしてそれが菩薩の道の教えであることと、仏はいつでもその教えがひろまるようにと念じて守っていらっしゃることを説かれましたが、説法を終わられると、大衆の中にじっとすわって三昧におはいりになりました。
庭野

これは、小乗との、完全決別である。
大乗が、勝れているということを、言うのである。

菩薩という言い方は、大乗の言葉であり、小乗では、羅漢という。
羅漢より、菩薩が、勝れているというのである。
小乗否定である。

大乗の始まりは、釈迦仏陀を慕い、ストゥーバ信仰をしていた、在家の人々と、小乗の専門的知識を、持った僧たちとの、合体である。

小乗の僧たちは、教えの観念に、七転八倒し、釈迦の教えを、自分たちのために、使用した。在家の信者や、大衆に対する、行為行動をするという、感情が薄かったといわれる。

仏滅後、500年を経ると、そのような状況になっていたのである。
しかし、小乗は、陸路を通り、ビルマ、タイへ、そして、チベットへと、伝播していった。
現在も、東南アジアは、小乗仏教を持って、仏教という。


弥勒よ、そのとき、その集まりにたくさんの菩薩があって、法を聞こうと待ち望んでいましたが、この不思議な光を見て、みんなそのわけを知りたいと思いました。その中の一人に妙光という菩薩がありました。日月燈明仏は、やがて三昧から立ち上がって、妙光菩薩にむかって話かける形をとって、「妙法蓮華」という教えをお説きになったのです。
庭野

それは、六十万年の間、説法が続き、それを、また、聞いていたという。
六十万年でも、百万年でも、いいのだが、要するに、膨大な時間という意味である。
インド人は、そのような表現が好きである。


同じ名前で、おなじはたらきをなさる如来が、二万人も次々に出てこられるのですが、如来とは「真理から来た人」という意味ですから、絶対者すなわち仏というのと同じ意味です。つまり、仏の別名です。その仏が二万人も同じはたらきをし、同じ形でお出ましになるというのです。その最後の仏が「妙法蓮華経」という教えをお説きになった、そして、その説法は六十万年もつづいたのに、ほんの短いあいだのように思えた。―――こういう不思議な話が、どんな意味を含んでいるかは、おぼろげながらわかってもらえることと思います。
庭野

不思議ではなく、作為のある、作り話であるということ、だ。
つまり、法華経の正当性を、示す。
法華経こそ、仏陀の教えであるというもの、だ。

最後の仏が、法華経を説くというのである。
完全に、狙っているのである。
法華経第一主義である。

そして、この人は、仏を、絶対者であるとしている。
勿論、多くの仏がいるが、絶対者として、書くことは、それなりの、作為がある。
一神教的である。

法華経を、読み込み、理解を深めると、法華経による、大乗仏教こそ、仏教であると、確信する。
更に、小乗は、仏教にあらずという、極みに至る。
経典作者の、思う壺である。

私が、三蔵法師玄奘を、調べて、小説にした時、あえて、玄奘の辿り着いた、教えを書くことを、しなかった。ただ、玄奘の行為のみを、書き続けた。
実は、玄奘は、大乗のユガ経の教えを、求めていたことが、解っている。

行く先々で、小乗の僧たちに逢うが、その度に、大乗の経典を、学ぶ必要は無いと言われる。しかし、玄奘は、自分の疑問を、晴らすために、天竺に向かう。

天竺の、仏教最高学府、ラーナンダにて、小乗はもとより、大乗を学び、更に、外道の教え、バラモン等々の、インド哲学も、学び尽くす。

唐に帰国して、膨大な、経典の訳に取り掛かるのである。
その大半が、日本に来ている。

玄奘は、大局的に、仏の教えというものを、見渡していた。
小乗も、大乗も、見渡して、仏教というものを、解釈した。
そこでは、すべて、方便であるという、結論に行き着いた。
何故、経典の翻訳に、後の人生を、賭けたかというと、後世の人のためである。後世の人が、仏教を学ぶために、翻訳に賭けた。
本人は、はっきりと、自分は、学を求めていたが、禅定や、他の修行法を、為していないと、告白している。

その最後の様は、実に謙虚であった。
だが、唐では、法相宗という、宗派を立ち上げている。
ただし、当時は、宗派というものの、意識は薄い。どの派閥にいても、他の派閥の教えを、学ぶことが、出来た。それは、日本の仏教も、そうである。
空海によって、それが、制限された。
空海は、他の宗派の者は、許さないという、姿勢を取った。

さて、法華経である。
そのようにして、最後の教えと、絶対者である、仏が、説いたということである。


いよいよ入滅のときの近づくのをお知りになった釈尊は、後世の人類のために、八十年のご生涯に得られた中でいちばん大切な遺言をしておきたいと心をお決めになったことが、ここに最後の日月燈明仏の姿をかりてまざまざと表現してありますが、実伝によると、釈尊の肉体は、病気と老齢のために、非常に衰弱しておられたということです。
庭野

八十年の生涯ではない。
七十九年の生涯である。この、一年の差に、実は、重大な意味がある。
一年早く、亡くなっているのである。

さまざまと表現したのは、釈迦仏陀ではなく、後々の、創作者である。
実伝によると、云々とは、寝惚けている。
実伝ではない。

釈迦仏陀の、遺言は、真理の法を求め、我が身を、頼めという言葉である。
この世の法則の、あり様を、見て、我が身を頼むことであり、仏という妄想に、浸るなということである。

法華経を、深読みして、それが、真実だと、思う者、多数。
大乗の人は、方便として、法華経を説いたというのである。
たが、嘘も方便というのではない。
嘘は嘘である。
事実は、事実である。

真理の法というのは、この世の、つまり、宇宙の秩序と法則のことを言う。
そして、人生の、あり方である。
その、在り方は、百人百様であること。

絶対者を置いて、それに対して、座するということではない。

以後、勝手な解釈、勝手な、妄想にて、法華経が、一人歩きするのである。
法華経が、悪魔に好まれるというのは、どのようにでも、解釈して、好き放題に出来るからである。



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もののあわれ296

かの若草の生ひ出でむ程のなほゆかしきを、「似げない程と思へりしも、道理ぞかし。言ひ寄り難き事にもあるかな。いかに構へて、ただ心安く、迎へ取りて、明け暮れの慰めに見む。兵部卿の宮は、いとあてになまめい給へれど、にほひやかになどもあらぬを、いかでかの一族におぼえ給ふらむ。一つ后腹なればにや」など思す。ゆかりいと睦まじきに、いかでか、と深うおぼゆ。



あの、若草が生長するのが、見たいと、たまらないが、年が不釣合いだと、尼君たちが、考えたのも、最もなことである。
口説きにくいことである。
なんとか、工夫して、気楽に、邸宅に迎え入れ、一日中、相手にして、悩みを忘れたい物だ。
兵部卿の宮は、とても、品があり、洒落てもいるが、色艶があるわけではないのに、どうして、あの一族の、あのお方に、似ているのか。
同じ、皇后さまの、子供だからか。
なとど、考えられると、その縁に、親しみを感じて、切にと、思われるのである。


なほゆかしき
成長する様を見たいと言う。
ただ、なほゆかしき、という言葉を、現代語に訳すことは、無理である。
成長する様の、その過程を、なほゆかしき、と、表現する様は、微妙な、ニュアンスである。
日々に、少女が、女になる過程を、なおゆかしき、というのである。
ある意味では、実に、艶かしいのである。


作者、紫式部は、男というものの、本性を見抜いていたのか。
男が、女を、思うが如くの、女に教育するということが、理想であると、見ていたのである。

ゆかしき、は、後に、奥床しい、という、大和言葉になる。



またの日、御ふみ奉れ給へり。僧都にもほのめかし給ふべし。尼上には、源氏「もてはなれたりし御気色のつつましさに、思ひ給ふる様をも、えあらはしはて侍らずなりにしをなむ。かばかり聞ゆるにても、おしなべてたらぬ志のほどを御覧じ知らば、いかに嬉しう」などあり。



翌日、お手紙を、差し上げた。
僧都にも、ご挨拶と、共に、頼みの事を、それとなく書きつけた。
尼君には、取り合っていただけなかったことに、気が引けて、考えておりますことを、十分に、お伝えできなかったことが、残念です。
重ねて、申し上げますことを、並々ならぬ、私の思いの強さと、思ってくだされば、どんなに嬉しいことか。などと、書いた。


ほのめかす
何となく、それと、解るように、語ることを、ほのめかす、という。
現在でも、使用されている言葉である。




中に小さく引き結びて、

源氏
面影は 身をも離れず 山桜 心のかぎり とめて来しかど

夜の間の風もうしろめたくなむ」とあり。御手などはさるものにて、ただはかなうおし包み給へる様も、さだ過ぎたる御目どもには、目もあやに好ましう見ゆ。「あなかたはらいたや。いかが聞えむ」と、思しわづらふ。尼君「ゆくての御事は、なほざりにも思ひ給へなされしを、ふりはへさせ給へるに、聞えさせむ方なくなむ。まだ難波津をだに、はかばかしう続け侍らざめれば、かひなくなむ。さても、

嵐吹く 尾上の桜 散らぬ間を 心とめける ほどのはかなさ

いとどうしろめたう」とあり。


中に、小さく、結び文にして、つまり、この形は、恋文の形である。

おもかげは みをもはなれず やまざくら こころのかぎり とめてこしかど

山桜の、美しい姿が、私の心から、離れない。私の心は、すべて、そこに置いてきました。

夜の間の風が、気がかりです。と、書く。
筆跡は、勿論、無造作に包んだ、その包み方も、年寄った方には、眩しいほどに、見えるものである。
尼君は、ああ、恐れ多い。何と、お返事を申そうと、思案に暮れる。
尼君は、お出かけ際の、お言葉には、ご冗談とも思いましたが、このように、お手紙を頂きまして、お返事のしようもありません。まだ、なにわづ、さえ、満足に書けませんで、折角の、お手紙も、如何にも出来ないことで、ございます。
それにしましても、

あらしふく おがみのさくら ちらぬまを こころとめける ほどのはかなさ

すぐに、嵐の吹く峰に、咲く桜です。その散らない間だけ、ご熱心では、頼りなくて・・・

いっそう、気がかりに、思います。と、書いてある。

まだ難波津をだに
連綿体という、書体の続き文字のことである。
それさえ、まだ、出来ないという。



僧都の御返りも同じさまなれば、口惜しくて、二三日ありて、惟光をぞ奉れ給ふ。源氏「少納言の乳母といふ人あべし。尋ねて、委しう語らへ」など宣ひ知らす。惟光「さもかからぬ隈なき御心かな。さばかりいはけなげなりしけはひを」と、まほならねども見し程を、思ひやるもをかし。



僧都の、返事も、同じようである。
残念で、二三日を経て、惟光を、使いに、立てた。
源氏は、少納言の、乳母という人がいるはず、それに逢い、細かに話し合えと、言う。
これ程に、抜け目のない心なのかと、惟光。
あれ程、子供っぽい様子だったのが。
明確ではないが、盗みみた時の事を思い出し、おかしくなる。笑いたくなるのである。

まほならねども見し程を、思ひやるもをかし
とは、作者の注釈であろう。
惟光の心境にかけて、作者の、感想である。

作者は、源氏を、突き放して見ている。
それが、また、面白い。
作者が、作り上げる、人物を、作者が、評すのである。

これ、作家の余裕である。

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2008年10月16日

もののあわれ297

わざとかう御文あるを、僧都もかしこまり聞え給ふ。少納言に消息して会いたり。委しく、思し宣ふさま、おほかたの御有様など語る。言葉多かる人にて、つきづきしう言ひ続くれど、いとわりなき御程を、いかにおぼすにかと、ゆゆしうなむ、誰も誰も思しける。御文にも、いとねんごろに書い給ひて、例の中に、源氏「かの放ち書なむ、なほ見給へまほしき」とて、


源氏
浅香山 あさくも人を 思はぬに など山の井の かけはなるらむ

御返し
尼君
汲みそめて 悔しと聞きし 山の井の 浅きながらや 影を見るべき

惟光も同じ事を聞ゆ。「このわづらひ給ふ事よろしくは、この頃過ぐして、京の殿に渡り給ひてなむ聞えさすべき」とあるを、心もとなうおぼす。



改まり、このようにお手紙を下さるのである。
僧都も、恐縮した旨を、申し上げる。
惟光は、少納言に申し入れて、面会した。
事細かに、君のご真意と、口上なさること、日頃の、様子などを話す。
雄弁であり、その人柄に相応しい話し方をするが、それは、少しばかり、無理がある。
どういう、つもりなのであるかと、ゆゆしうなむ、とんでもないことのように、思うのは、尼君だけではない。
ここでは、少納言とは、尼君のことである。
君の手紙も、惟光の、口上と同じで、とても、情けを込めて、書かれてあり、いつも、同様の、結び文であり、
源氏が、その、放ち書き物を、是非、拝見したいと、書いてある。

源氏
あさかやま あさくもひとを おもはぬに などやまのいの かけはなるなむ

とても深く、あなたを思うのです。どうして、私から、あなたは、離れるのでしょう。

これは、万葉集が出典である。
浅香山 影さえ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに


御返し
くみそめて くやしとききし やまのいの あさきながらや かげをみるべき

汲んでみて、後悔したと、聞きました、山井戸の浅いままで、こちらの影が、映せましょうか。真心を確かめてからに。

これは、古今集からの出典である。
くやしくぞ 汲みそめてける 浅ければ 袖のみぬるる 山の井の水

惟光も、この返事と、同じ口上である。
こちらの、病気がよくなれば、もう暫くして、京のお宅に、お帰りになります。その上で、お返事します。というのである。
心細く思われる。


源氏は、惟光を、使いに出して、手紙と共に、気持ちを、伝える。
その、惟光であるが、これまた、実に、雄弁なのである。
更に、源氏の手紙と、同じことを言う。


惟光について、私は、今まで、何も書いてこなかった。
惟光は、源氏の乳母の、子供である。
つまり、源氏と、同じような年、少し下であろう。

源氏に対して、忠臣を尽くす。
源氏の思いを、我が思いとして、行為行動するのである。

私は、これに、同性愛行為を見る。
源氏の、好色の行為に、忠実に、付き合い、更に、手引きまでする。
この、伝統は、武士道にまで、引き継がれる。

君と家臣の付き合いは、基本的に、同性愛である。

女色と、男色は、別物である。

ここまで、源氏の心を、汲んで理解し、そして、それを、成就させようとするのは、一心同体である。
忠実な、僕というより、情を交わした相手である。

小君という、少年もいたが、源氏は、小君に対しても、同性愛行為を、持って臨んでいる。寂しいから、と、一緒に寝るのである。

作者、紫式部は、それ以外に、触れないが、また、源氏物語、研究をする者は、それには、全く触れないが、それは、当然あるものであるとの、前提で、書いているのである。

そして、その、伝統ともいえる、男同士の関係は、江戸時代まで、続くのである。
しかし、明治期になり、西洋の、同性愛という、誤った、考え方、特に、キリスト教によるものであり、病気であり、罪であるとの、判定を、受け入れてから、誤解の誤解に至る。

日本の男同士の関係を、西洋の、同性愛という、観念で、取り入れて、伝統を、壊したのである。

以後、それは、変形し、変質し、更に、戦争により、歪なものになり、とんでもない観念を作り上げた。
武士道というものの中には、男色、男同士の恋愛が、欠くことのできないものであると、断定しているのである。

その関係を、書く事のない、武士道は、偽物である。

何も、同性愛性交を言うのではない。
西洋は、性交のみに、焦点を当てる。話にならない。野蛮な彼らの、考えることである。しかし、同性愛性交は、西洋の方が、激しいという、アホらしさ。

命を、預ける関係を築く、日本の武士道である。
更に、それは、由緒ある、伝統なのである。
性交ではない。情緒なのである。
日本における、男性同性愛における、基本的、関係軸は、情操、情緒として、考えなければ、理解出来ないものである。
すべては、キリスト教による、西洋思想が、潰してしまったのである。

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神仏は妄想である 175

巧みな方便。
中央公論 大乗仏典

方便品第二
法華経

方便とは、正しい手段という意味である。
嘘も方便は、嘘であり、本当の方便は、本当である。

腐っても鯛であり、腐ってサンマにならない。
方便とは、臨機応変である。相手に合わせて、説明するという行為になる。
それは、正しいことを、伝える手段であるということだ。

しかし、では、正しいと判定するものは、何か。
この世に、正しいというものが、あるのか。
事実としてのものはあるが、正しいという、価値判断の出来るものは、あるのか。

太陽は、正しいのか、正しくないのかを、考えない。
太陽は、在って在るものである。

宗教の蒙昧は、正しいという判断を、妄想に委ねるのである。
正しいと、信じ込めば足りる。

正さというものも、相対であり、その都度変化する。すると、それは、正しくないという。変化すると捉える方が、正しいと、諸行無常というが、教えは、相対化しないのである。

だが、そこで、方便という、実に巧みな、技を使い、撹乱させる。

仏は、すべてのものごとのほんとうの姿をはっきりと見とおしておられる方ですから、その智慧は非常に奥深くて、かぎりないものです。たいへんむずかしくて、その智慧を習うことはなかなかのことです。一切の声聞「学習主義者の修行者」やびやくし仏「縁覚すなわち体験主義者の修行者」などがとうてい知ることのできるものではありません。
庭野

平然として、書くが、これが、法華経の最大の罠である。
つまり、声聞や、びやし仏などは、とうてい知ることの出来ないものであるというのは、小乗の修行者のことである。

小乗の修行者、つまり、初期仏教団の否定である。

シャーリープトラよ、正しいさとりを得た尊敬されるべき如来たちが深い意味を秘めて語られことばを知ることは、容易ではない。それはなぜであるか。如来たちはみずから明証である法を、いろいろ巧みな方便と知見によって、すなわち原因や理由や喩えや根拠やことばの解釈や教理の設定によって、説き明かすからである。

そして、それはそれぞれに応じた巧みな方便を用いて、それぞれがちがったことに執着している衆生たちを解脱させるためである。

シャーリープトラよ、正しいさとりを得た尊敬されるべき如来たちは、偉大なる方便と知見との最高の境地に達せられている。

彼らは執着なく、障害のない知見を有し、仏陀としての十の力、四つのおそれなき自信、十八の仏陀に特有な性質、五つの機能、五つの能力、七つのさとりを助ける部分、禅定、解脱、三昧、等至という、未曾有の特性をそなえ、種々の教えを説くのである。

中略

シャーリープトラよ、如来が知る法を、如来こそが如来に対して説かれるのである。あらゆる法をすべて、シャーリープトラよ、如来こそが説くのであり、あらゆる法をすべて如来のみが知るのである。
大乗仏典

そして、世尊が、延々と、詞を述べるという、段取りである。

たとえ、お前のような賢者たちで十方の世界が満ちており、またそれ以外に私の声聞たちがいて、そのものたちで同じように全世界が満ちているとして、彼らのすべてがいま一つになって、善逝の知を考察したとしても、これらすべてが総がかりになっても、私にある無量の仏陀の知をそのまま知ることはできない。
大乗仏典

この、知ることが出来ない。わからないであろう。
つまり、小乗の否定なのである。

更に、仏陀の言葉に疑問を、投げ掛け、ついには、そこを立って去ってしまうという、小乗の皆々、それを、仏典は、こう書く。

そこで、世尊は、尊者シャーリープトラが三たびにわたって説法を懇願するのを知って、尊者シャーリープトラにこう言われた。
いまや、シャーリープトラよ、お前は三たびまでも如来に懇願した。このように懇願しているお前に、どうして私が説かないであろうか。だから、シャーリープトラよ、正しく聞きなさい。よく心のうちに思いなさい。私はお前に説くであろう。
大乗仏典

世尊がこのことばを告げられるやいなや、そのとき、その集会にいた、思いあがっている増上慢五千人の、比丘、比丘尼、信男、信女が席を立って、世尊の両足を頭にいただいて敬礼して、その集会所から去っていった。なんとなれば、思いあがったものはその昔の善くない行為のために、まだ得ていないものを得たと思い、まだ理解していないものを理解したと思っているからである。彼らは自分に欠陥のあることを知らないで、その集会所から出ていった。世尊はまた、無言でそれを許された。
大乗仏典。

要するに、シャーリープトラ、つまり、仏陀の、智慧一番の弟子といわれた者を、出汁にして、更に、初期修行者たちを、このように扱うことで、小乗の者たちを、判定したのである。
それは、彼らは、思いあがり、得ていないものを、得たと思い、理解していないものを、理解したと、思っている。
自分の欠陥を知らないという。

このような、でっち上げの話に、小乗の修行者たちを、当て嵌めて、断定したのである。

徹底した、小乗の否定である。

大乗仏典は、小乗の否定により、成り立つ。
それが、特に、法華経の特徴であるといえる。

法華経を、読み込み、理解したものは、すべからく、仏教とは、大乗であり、小乗は、仏教ではないという、蒙昧を言う。
小乗を、否定して、大乗が成り立つという、矛盾を、感じないのである。
小乗を、否定すれば、大乗も、否定される。
なんとなれば、小乗の教え、行為があって、大乗という、新しい考え方があるのである。

ところが、こうなってしまえば、大乗のカラクリが読めて、その魂胆が、どのようなものであるかが、よく解るのである。

初期、釈迦仏陀の弟子たちも、自分たちの下に置くという、大乗の者である。

そして、とんでもない、壮大な物語、法華経を創作した。

更に、である。
実に、くどい。
繰り返し、繰り返し同じ言葉を重ねる。

舎利佛よ、いままで述べたことをひっくるめていえば、普通の人間では想像することもできない、いままで誰も達したことのない最高の真理を、仏はすっかり悟られたのです。
庭野

釈迦仏陀の弟子、舎利佛を、登場させて、語らせるという、手である。
普通の人間、最高の真理。

読み流していれば、気づかないが、普通の人間とか、最高の真理という言葉、実に、曖昧であり、模糊である。
曖昧模糊という。

最高の真理というものもあるのだろう。
普通の人間ではない人間も、いるのだろう。

延々と、くどく、反復して、書き進める経典の、真実とは。
単なる、小乗の否定であり、大乗の肯定である。

得ていないのに、得たと思い、理解していないのに、理解したと思うという。
確かに、多々そういう人はいる。
私も、その一人である。
しかし、私は、得たとは、思わない。理解したとも、思わない。
知らないことは、知らないのである。
そして、知らないことが、多いと、知る者である。

自己否定を、徹底的にさせて、弱ったところに、教義を、埋め込むという、宗教の、手口は、十分に解った。
信じ込めば、事足りる。
信じさえすれば、思うツボである。
そして、骨まで、しゃぶられる。

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2008年10月17日

もののあわれ298

藤壺の宮、悩み給ふ事ありて、まかで給へり。上の、おぼつかながり嘆き聞え給ふ御気色も、いといとほしう見奉りながら、かかる折りだにと、心もあくがれまどひて、いづくにもいづくにもまうで給はず。内にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らして、暮るれば王命婦を責めありき給ふ。いかがたばかりけむ、いとわりなくて見奉るほどさへ、うつつとは覚えぬぞわびしきや。



藤壺の宮は、ご病気になられて、お下がりになっている。つまり、里にいるということである。
上とは、帝である。
帝が、気がかりになって、嘆いていることを、源氏は、本当に、いたわしいことと、見ている。
せめて、こうした時にでも、藤壺にお会いしたいと思うのである。
心もあくがれてまどい、とは、心も上の空になって、憧れるのである。
他の女性のところへは、どこにも、参らない。
宮中にても、自宅でも、昼は、ぼんやりとして、物思いに沈み、日が暮れると、藤壺に、逢わせて欲しいと、王命婦を責め立てる。
命婦は、どのように手続きをしたのか、大変無理な状況で、藤壺に逢わせる段取りを取ったが、それが、現実になることなのかと、源氏は、酷く辛い思いをしている。


この段は、非常に難しいところである。
誰が、誰の思いなのかと、迷う。

しかし、名文である。
うつつとは覚えぬぞわびしき
現実とは、思えないので、辛いのである。
しかし、原文の方が、説得力がある。



宮もあさましかりしを思し出づるだに、世と共の御物思ひなるを、さてだにやみなむ、と深うおぼしたるに、いと心憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させ給はぬを、などかなのめなる事だにうちまじり給はざりけむ、と、つらうさへぞおぼさるる。



藤壺も、思いもよらないことだった。
かつての、密会のことを、思い出して、常の悩みとしてあったので、あのことだけで、終わりにしたいと、思うのである。
しかし、こうして、また逢ってしまったことを、辛く感じていると、共に、お怒りの、様子でもあるが、藤壺は、情が細やかで、心曳かれるほどの、可愛らしさである。
だが、源氏には、気を許さず、思慮深く、こちらが、恥じ入る程に、立派な様子である。
やはり、普通の方とは、違うと思うが、源氏は、もう少し、平凡な風情があってもいいのにと、思い、恨めしい、気持ちになる。

つまり、源氏は、少し平凡に、色事に対して、寛容になってもと、思うのである。
源氏の勝手な、思いである。

相手は、父の帝の寵愛する、宮である。

逢うということは、契るということである。
つまり、関係するということ、である。



何事をかは聞え尽くし給はむ。くらぶの山に宿も取らまほしげなれど、あやにくなる短か夜にて、あさましうなかなかなり。

源氏
見ても又 逢ふ夜まれなる 夢の中に やがて紛るる 我身ともなが

と、むせかへり給ふ様も、さすがにいみじければ、

藤壺
世語りに 人や伝へむ 類なく うき身を醒めぬ 夢になしても

おぼし乱れたる様も、いと道理にかたじけなし。命婦の君ぞ、御直衣などは、かき集め持て来たる。



どれだけのことを、源氏は、申し上げることが、できるのかと、思う。
夜明けの来ない、暗部の山に、宿りたい気持ちである。
しかし、あいにく、夏の夜である。
短い夜で、呆れるほど、夜の明けるのが、早い。
そのため、かえって、思いが、増すのである。

くらぶの山とは、近江国甲賀群の歌枕であり、いつまでも、夜が明けないで欲しいという意味である。

源氏
みてもまた あふよまれなる ゆめのうちに やがてまぎるる わがみともがな

お会いしても、また、いつお会いすることが、出来ますか、解りません。
いっそ、この夢のようなままで、消えてしまいたいものです。
死んでしまいたい。

源氏が、涙にむせいでいる、様子に、さすがに、気の毒に思う。

藤壺
よがたりに ひとやつたへむ たぐひなく うきみをさめぬ ゆめになしても

世の中の、語り草として、伝えるのでしょう。この上もなく、辛い身を、いつまでもさめない、夢の中に消してしまっても。

思い乱れている、藤壺の宮も、ごもっともな様子。
畏れ多いことです。
命婦の君は、源氏の、衣装を集めて、持って来ているのである。

命婦は、源氏の帰りを、促すのである。

父、帝の寵愛する、藤壺の宮との、密会である。
非常に、緊張感のある、場面である。
何を語る。
語るという言葉にある、色好みである。
語り尽くすとは、情を重ねるのである。
父の妃に、思い焦がれる様。恋という。

しかし、この後、藤壺は、その結果に、振るえ慄くのである。

源氏の、子を宿してしまう。

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神仏は妄想である 177

只今、法華経を読んでいる。

大乗仏典である。
そこには、小乗仏教との、区別化を徹底して行っている。
小乗では、救われないのだということを、繰り返し言う。
それを、あたかも、釈迦仏陀の教えのようにである。
全くの、創作である。

更に、インド魔界の神々も、取り入れて、ごちゃまぜにして、仏の最高位を、言う。
そのための、理屈の世界は、甚だしい程のものである。
それを、また、勉強して、その気になるという様、呆れて、物も言うことが、出来ない。

言葉の、定義を、知れば、知ったと思い込む。

すべての物事の、現象は、性質があり、相、性、体、それらの、働きを、力、作、どういう原因、因、どういう条件で、縁、どういう結果、果、を生み、結果の後の、報、が残る。
この法則によらずに、ないものはない。
相、性、体、力、作、因、縁、果、報、そして、それらを、ひっくるめて、本末くきょうとう、というのである。

十如是が、展開して、三千大世界が、登場するというのである。
一念は、その三千世界に、至るのである。

これは、言葉遊びである。

哲学というのであれば、一つの哲学である。
しかし、これが、宗教、つまり、拝む対象となることが、おかしい。

人間は、このような、理屈がなくても、生きられる。

確かに、釈迦仏陀は、因果の法を、教えた。しかし、それが、大切なことではなく、心を、いつも、一定の静かさに保ち、静かに息をして、静かに、心の動きを、見詰めて、生きることを、指導した。
それが、いつの間にか、とんでも、屁理屈の世界に、展開されているという、始末である。

上記の言葉を、もってして、世界のカラクリを、説明するのは、認めるが、そうではないこともあると、言っておく。
理屈の無い世界もある。

そして、仏の下に、インド魔界の神々を従えるという、狂いは、如何ともし難い。
神々の世界は、仏の下の世界であり、云々である。
それを持って、日本の神というものを、観念化した、仏教の誤りは、甚だしい。

日本には、彼らの言う神観念はない。

日本には、カムと呼ばれる、祖先霊の総称である、この世に実在した、この世に生きた、祖先の総称である、皇祖皇宗と呼ばれる、霊位を、カムとして、拝したのである。
その、カムは、隣の神々をも受け入れて、共に、奉ることを、許した。

神武天皇も、最初に皇位に就いて、地場にあった、諸々の、族たちの、奉るものを、すべて、奉って、政を、はじめられた。
政治を、そのまま、政、まつりごと、とするのは、日本のみである。

奉り事が、日本の政治である。
祖先霊の崇敬を、もってして、すべてが、はじまるのが、日本という国である。
そこに、理屈は、無い。

教義も無い。

その、祖先霊を、自然のもの、すべてに、自然を持って、自然を拝して、祖先霊への、崇敬を、行ったのである。

想像、妄想の神々とは、全く違うのである。
日本には、想像の神観念は皆無である。

そして、それが、伝統である。

もし、因果の法で、見れば、釈迦仏陀の、釈迦族は、釈迦仏陀の目の前で、滅ぼされている。何故か。これも、釈迦が、悟りを得ていない証拠である。

まだまだ、釈迦が、悟りを得ていない、証拠は、ある。

釈迦仏陀は、救いなどを、説いてはいない。
生き方指導をしたのである。何度も言う。

法華経が、魔境を作るのは、その屁理屈にある。
勿論、キリスト教の教義なども、魔境である。
宗教に、屁理屈がつくものは、すべて、魔境であり、それを、説く者も、魔界の者である。

大乗経典を、読んで気づくのは、この経を読めば、とか、この経を、人に伝えれば、とか、兎に角、経典の、読経と、人への推奨を説くのである。
経典に、功徳があるという、言い方は、大乗経典の特徴である。

正に、魔界からのものである。
人間に、あたかも、そうであるかのような、屁理屈を、教えて、その言葉に、絡めて、縛り付けるという、やり方は、魔物のすることである。

古代、太陽信仰の時は、そんなものは、一切無い。
意味の無い、世界を生きていても、十分に生きられたのである。

そこに、あえて、意味を、つけるという行為は、如何なることであるのか。

支配と、搾取以外の何物でもない。

インド仏教の保護者として、名高い、アシュカ王は、その後半は、滅びている。
更に、あの、シルクロードを席巻した、仏教信仰も、イスラムに乗っ取られている。

三蔵法師玄奘が、天竺に、旅した時代も、すでに、仏教が、退廃して、見るも無残になっていた。

何故か。
何ゆえか。
因果の法である。

一番知らなかったのは、仏教徒であるという、アホ振りである。
今では、インドでは、カースト制の下に、仏教徒は、置かれて、最下層の生活を、余儀なくされている。
それを、どのように、仏教徒、仏教愛好家たちは、見るのか。
因果の法であろう。

その、因果の法に照らして、日本を、見るがいい。
世界でも、有数の国になっている。
その、平和も、経済力も、豊かさも、である。
因果の法である。

祖先霊を、御祭りし、祖先霊を拝してきたゆえではないか。

それが、末法であり、仏の法が廃れた故であるという、屁理屈を、捏ねているのである。
悪あがきも、いい加減にである。

因果の法である。

更に、現象が、そのようになるのならば、その、現象学により、仏教の衰退を、分析するがいい。

中国仏教は、どうした。
因果の法である。
見る影も無い。

それでは、小乗仏教を保持した、国々は、どうか。
後進国として、あっても、仏教精神は、生き残っている。

因果の法である。

ビルマ、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア、小乗の国である。
あれほどの、共産主義に、襲われても、人々は、信仰を持ち続けて、生き抜いてきた。
因果の法である。

信教の自由の国、日本にて、大乗仏教などと、吠えても、知れたもの。
更に、未だに、法華経経典を、もって、その屁理屈を持って、仏法などという、アホ振りを晒しているのも、日本の新興宗教である。
つまり、原始信仰も、更に、真っ当な、感覚の、信仰さえも、持てないでいる。
精々、教祖の、悪魔憑きの霊能力の、下に付き添っているのである。

それが、導き出す霊界なるものは、魔界のことである。
つまり、インド魔界に飲み込まれているのである。

人生に意味など、無いのである。

物事のカラクリを、知っても、詮無いことである。

釈迦仏陀の言葉にも、病にある人に、病の説明をするより、手当てをせよという言葉がある。勿論、医療の知識を、持っている人に、手当てを受けることが、最良である。

実際、釈迦仏陀は、医療行為も、行っている。

百の言葉より、一つの行為であること、明々白日である。

意味の無い人生でも、十分に生きられるのが、人間の強さである。

花が咲き、花が散ることに意味は、無い。ただ、自然のあるがままに、委ねて、花は咲き、そして散る。人間も、同じことである。

神も仏も、人間の創造の産物である。
あるのは、祖先の霊位のみである。
実に、神仏は、妄想である。

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神仏は妄想である 176

やめよう舎利佛、これを説明してみても、わかるはずがない。なぜなら、仏がきわめられたその真理というのは、この世に類のない、普通の人間にはとうてい理解することのできないものであって、ただ仏と仏とのあいだだけで理解できる真理なのです。だから、仏にならなければわからないのです。
庭野日敬

仏典にさえ、このような、無明、蒙昧なことを、書くのである。
普通の人間には、到底理解出来ないという。仏と仏で、理解出来るというのである。

勿論、特別な世界のこと、専門的なことならば、専門家に適わないが、この真理という、主観的なものを、云々して、理解できるものではないという。
それでは、法華経を、掲げる人や宗派、団体の人々は、理解したのであろうか。

きっと、理解していると、思い込んでいるのであろう。

何せ、仏陀も、救えなかった人々を救うために、生まれてきた人であるという、仰天することを、言う人もいる。
この場合の、救うという言葉は、何を意味しているのか、解らない。
救いというものが、あるのだと、思い込むのであろう。

さて、続ける。

その真理とは、この世のすべてのものに通ずる真理です。すべてのものごとが「現象」としてそとに現れるときのすがたや性質(相、性、体)はどんなものか、それらのもっている力やはたらき(力、作)はどうであるか、その性質や力が互いに作用しあって変化してゆくのに、どういう原因(因)が、どいう条件(縁)によって、どういう結果(果)を生み、その結果のあとにどういうことがら(報)が残るかという法則です。また、その法則は、形あるものにも、ないものにも、一切のものにあるのであって、この法則によらずに存在しているものはひとつもないということ(本末究意等)です。
庭野

法華経の訳である。

如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究意等

十如是という。物事のカラクリであるという。

この十如是が、展開した「一念三千」という考えこそ、仏の述べられた「真理」そのものであるといえるのですが、いまここでそれを詳しく説明するのは、世尊もご心配なさったように、理解しにくいかもしれないし、理解に混乱を生ずるといけませんので、ずっとあとにまわし、そこで徹底的に説明することにいたします。
庭野

実に、解りやすく、説明している。

そして、学習主義の教え、体験主義の教え、更に、大衆を救うことによって、救われるという、行動主義の教え、それが、つまり、大乗の教えという。
それは、皆、方便であるということ。
仏の方便力の偉大さ、なのであると、いう。

学習、体験主義は、小乗である。
行動主義が、大乗なのである。

衆生との、区別を、はっきりとつけて、更に、小乗の者を、増上慢として、裁くという、手法である。

大乗に言わせると、小乗の人は、解っていると、思っているという。
自分は、知っていると、思い込んでいる、それを、増上慢と、呼ぶ。
慢心一杯の者という、意味である。

大乗仏教は、多くの人によって、実に、巧みに教義が、練られていった。
それは、認めることが出来る。が、小乗を、否定しまっては、大乗も、否定することになるということに、気づかない。何故なら、小乗という、初期釈迦仏陀の、集団によって、起こったものであり、そこに、実在の釈迦仏陀がいたのであり、大乗経典の、仏なるものは、架空の、妄想の存在である。

どうして、このようなことになったのか。
それは、小乗の人々によるものでもあった。
その世界に、閉じこもってしまったが故に、釈迦仏陀の教えを、慕う、在家の信者の人々が、新しい釈迦仏陀の教え運動を、始めたのである。
そこに、一部、小乗の僧も、駆けつけた。

それからが、大乗のはじまりである。

釈迦仏陀の、教えを、飛躍させて、この法華経のように、壮大な物語を、創作する。更には、教義である。
それは、上塗りし、上塗りして、作られていった。
そこに、インド思想も、上塗りされて、とんでもない、誇大妄想に至ったという、経緯がある。

お話だから、何とでも、書ける。
更に、教義にしたいことを、経典にして、書く。
嘘の上塗りを、重ねて、ここまで来た。

釈迦仏陀の、言葉など、初期仏教経典に、僅かに、残るだけになった。
それも、寝惚けたような、言葉の羅列である。

それを、いいことに、大乗仏教は、それそれと、教義を上塗りし、とんでもない、菩薩や、如来を、作り上げて、堂々と、仏陀の教えと、掲げた。
そして、今、釈迦仏陀の地には、仏教というもの、廃れて久しい。

その、何とでも解釈のつく、大乗仏教を、もって、日本の仏教もある。ただし、仏教といえるのか、どうかは、解らない。
仏教というものが、そのようなものであれば、仏教なのであろう。

さて、仏教の定義とは、何か。
釈迦仏陀という、実在の、人物が、説いた人の、教えというならば、大乗仏教とは、言うことが、出来ない。
新興宗教である。

新興宗教仏教というのであれば、いたしかたない。

日本には、宗派、または、宗旨というものがある。

天台、真言から、浄土、法華、等々は、まさに、新興宗教である。
それ以前の、奈良の仏教がある。
南都仏教である。

南都の仏教、奈良の寺は、檀家を置かない。
故に、拝観料で、やっと、維持している様子。
葬式も、行わない。つまり、仏教の僧が、葬式を、取り仕切らなかったということが、わかる。

天台以降の、宗派は、今は、葬式専門である。
大乗の教えも、行わない、大乗仏教になって、久しい。

行動主義の、仏教と、掲げたが、行動も、しない。
安穏として、檀家、信徒、信者から、搾取して憚らない。

釈迦仏陀の、教えは、どこに行ったのかと、誰も問わない。

実は、大乗の者、大乗経典、その教え、教義が、嘘であると、薄々知っているのである。

阿弥陀仏など、いるはずがない。
南無阿弥陀仏などとは、嘘である。

南無妙法蓮華経と、唱えても、なんともならんと、知っている。
ただ、唱えると、そのテンポで、少し元気になったつもりになる。

真理の教えとあらば、仏典を、取り出すまでもない。

そのまま、真理の姿を、伝えるとよい。

ところが、それが、曲者で、宗教のデパートのように、仏教も使い、神道や、その他の、宗教の教義を使い、果ては、インド魔界の神々を、使い、様々な信宗教や、研究会を、立ち上げて、宗教経典を、盾に、新しい宗教を、興すという。

信徒、信者、会員は、皆々、喜んで、搾取されるという、カラクリである。

オウム真理教という、セクト、カルトの集団になることが、すぐに出来るという、寸法である。
宗教関係に、武器を、持たせると、騒乱が絶えないのである。
どんな、穏健な、宗教団体も、武器を、持たせたら、危ない。
何故か、それが一番だと言うのである。
他は、間違い。
人間の、盲点を衝くのが、宗教のカラクリであるる

盲点とは、一度信じると、信じ込んで、排他的、非寛容を、身につけるからである。

要するに、宗教は、人間破壊の何物でもない。
宗教で、救われる人以上に、宗教で、人間破壊される人の方が、圧倒的多数である。

何せ、こんな、私の、チンケなエッセイにさえ、命懸けで、挑む者がいる。
教祖、代表、教え親に、心酔して、我を忘れる。

あはれ、である。

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2008年10月18日

神仏は妄想である 178

「諸仏如来は菩薩を教化したもう」
と、おっしゃったのです。「仏は菩薩だけを教化されるので、声聞や縁覚は、仏の弟子ではないぞ」というわけですから、なんだか「仏は一切衆生を悟らせるためにこの世に出てきたのだ」ということばと矛盾があるようですが、よく考えてみると、そうでないことがすぐわかります。

中略

さて、「仏は菩薩を教化したもう」ということばの真の意味は、「自分だけ悟って、それでいいと思っているうちは、ほんとうの悟りではないぞ。ほかの大ぜいは悟っていないが、自分だけは悟っているのだという気持ちは、大ぜいと離れた気持だ。大ぜいと溶けあっていない、孤独な気持だ。まだ「我」の気持が残っていて、「諸法無我」の境地にはいっていない。だから、ほんとうの悟りではないのだ。自分も悟り。みんなも悟る。自分も救われ、みんなも救われる。みんないっしょに救われなければ、ほんとうに救われたことにはならない―― このことがわかったときこそ、ほんとうに悟ったといえるのだ。解脱したといえるのだ」ということなのです。
庭野

この、傲慢な考え方が、大乗仏教というものである。

声聞や、縁覚とは、小乗の人々である。
それらは、自分だけの、悟りと、救いを求めているというのである。
それこそ、宗教の基本なのであるが、それを、大乗は否定する。

あろうことか、皆を、悟らせ、皆を、救うというのである。

私も、他も、悟り、救われる道が、大乗であるという。
だから、余計なお世話、余計な、言動、余計な妄想を、吹き込むのである。

何度も言うが、大乗経典とは、釈迦仏陀の言葉ではない。
皆々、勝手に、創作したものである。

「我」の気持が、残っていて、諸法無我の、境地に至っていないという。
一体、人間を、何だと、心得ているのだろうか。

だから、あんたも、大乗仏典を信じて、悟りを得なさいと、勧めて、はいそうですかと、他の宗教の人が、返事をするだろうか。
また、私というものを、いつも、考えて行動している人、生きている人が、はいそうですかと、答えるだろうか。

実に、傲慢、偏狭、独善である。

そして、大乗の人は、小乗の、つまり、釈迦仏陀の、弟子まで、登場させて、従わせるという、架空のお話を、作るのである。

それとおなじように、自分が悟ろう、救われようとばかり思っているうちは、舎利佛のような大智慧者でも、仏の悟りのほんのすぐ近くまできていながら、その間にある小さいようで大きい溝がどうしても跳び越せない。ところが「大衆といっしょに救われるところにほんとうの救いがある」ということがわかったとたんに、パッとその溝が跳び越せるのです。
庭野

大衆と、一緒に救われるという、妄想である。

大乗仏教の、誤りが、これで、解るのである。
人を、教化、きょうけ、しようとする、傲慢は、甚だしいのである。
仏弟子の、智慧第一の、舎利佛でも、悟りのすぐ近くに来ていながら、小さいようで、大きな溝があり、悟っていないという、作り事である。

これで、大乗仏教というものが、小乗仏教、初期仏教、更に、釈迦仏陀の、弟子たちさえも、否定していることは、明白である。

親を、否定して、子供が成り立つものか。

それを、もって、大乗は、悟らなくても、まず、布教であると、誰彼なく、教えを伝導していった、過程がある。
皆で、悟り、皆で、救われるという、おめでたさ、である。

それを、象徴する、この法華経が、心ある、霊能力者によって、悪魔の経典と言われる所以がある。

インド魔界の、神々を、守護に置き、悟りという名の、魔界の、世界に引きずり込むという、手はずである。

釈迦仏陀は、魔界の存在に、十分気づいていたが、それらに関しては、沈黙していた。必要ないことだからである。
つまり、心静かに、冷静に物事の推移を、見詰めていれば、自ずと、それらのことが、解ると、知っていたからである。

また、死後の世界に関しても、沈黙を持って対処した。
更に、成仏などという言葉も、使わない。
一切の、妄想を、嫌った。

今を、生きることに、専念することであると。

更に、屁理屈の言葉の世界も、嫌った。
初期仏典も、装飾してある。もっと、素朴なものだった。
言葉の羅列を、嫌った。

ここで、少し話を転じてみる。

釈迦族は、モンゴロイドである。
弟子たちの多くは、インドに、侵入してきた、アーリア人が多い。
この、アーアリア人たちが、バラモン、そして、カースト制の、ヒンドゥーを作り上げた。

大乗経典も、アーアリア人が大半である。
サンスクリット語が、ドイツ語に、翻訳されやすはずである。
言語体系も、似ている。

明治期から、徐々に、西洋の仏典訳が、入ってきた。
それは、特に、小乗系のもの、多数。
次第に、それに、影響を受け始めた、日本仏教と、仏教学者たちである。

それを、嘆く者がいるが、日本の仏典も、元は、漢訳である。
最初は、漢訳によって、仏教というものを、学んだ。

もし、明治期の、西洋からの、仏典による、揺らぎがあるとするならば、それよりも、大きなものは、宗教学である。

西洋の宗教学の定義により、すべての、宗教行為を、判断するという過ちを、犯したことである。

仏典の、訳に大差は無い。
宗教概念に、大差はある。

日本の伝統を、神道という、宗教の枠で、捉えたことである。
更に、古神道に至るまで、その宗教観念で、測ったことである。
これは、実に、過ちであった。

ユダヤ人のユダヤ教が、ユダヤ人の伝統である如く、日本の神道も、伝統である。

ユダヤ人の、自己統一性が、旧約聖書であるように、日本人の、自己統一性も、神道、及び、古神道である。

ユダヤ人は、ユダヤ教を、宗教ではなく、伝統としているはずである。

キリスト教は、その旧約聖書を、キリスト以後から、借用して、新約聖書を加えて、宗教を、立ち上げた。
そして、イスラムも、旧約聖書を、借用して、イスラム教を、立ち上げた。

大乗仏教は、小乗、初期仏教を、借用して、宗教を立ち上げた。

伝統は、所作を、もって、善しとする。
ユダヤ教人も、ユダヤの所作を、持って当たる。

日本の神道も、所作を、持って当たる。

ただ、神道のいう、魂振り、魂鎮めという、鎮魂法は、釈迦仏陀という、涅槃の境地と、同じである。
ただし、インド魔界の、霊的想念は無い。

釈迦仏陀、古神道も、所作によるという、明確さがある。
つまり、行為なくして、有り得ないということ。

言葉の羅列ではないのです。
行為、所作によるから、こそ、そこに、言葉に出来ない、意味を、意義を、そして、言葉を超えたものを、感得するのです。
それは、言葉に出来ないもの。

瞑想を、語る者が、いれば、嘘です。
悟りを、語る者がいれば、嘘です。
唯一を、語る者がいれば、嘘です。
真理を、語る者がいれば、それも、嘘です。

大乗仏典は、方便でと言いつつ、嘘八百を書いて、更に、名言、迷言を、沢山書いて、膨大な、妄想を、積み重ねて、今に至る。


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2008年10月19日

もののあわれ299

殿におはして、泣き寝に臥し暮し給ひつ。御文なども、例の御覧じ入れぬよしのみあれば、常の事ながらもつらういみじう思しほれて、内へも参らで、二三日籠りおはすれば、またいかなるにか、と、御心動かせ給ふべかめるも、恐ろしうのみ覚え給ふ。



お邸にお帰りになって、泣き伏しつつ一日中、寝ているのである。
お手紙なども、いつも通り、お目通ししないということを、命婦から言ってきたので、いつもながらに、辛く、絶望的な気分になるのである。
参内もせず、二三日外出しないので、また、主が、どうしたのかと、心配されるだろうと思うと、それも、恐ろしいことと思うのである。

恐ろしうのみ覚え
憂鬱な気分と、解釈した方が、いい。



宮も、なほいと心憂き身なりけり、と、おぼしく嘆くに、悩ましさもまさり給ひて、とく参り給ふべき御使ひしきれど、おぼしも立たず、まことに御ここち例のやうにもおはしまさぬは、「いかなるにか」と、人知れずおぼす事もありければ、心憂く、いかならむとのみ、おぼし乱る。暑き程はいとど起きも上がり給はず。



藤壺の宮も、やはり、辛い、悲しい、我が身であったと、悲嘆にくれ、病気も進み、早く参内せよとの、お使いが度々あるが、そんな気にはならない。
ご気分が、いつものようでないのは、どうしたことかと、密かに考えるのである。
辛くなり、どうなることかと、煩悶する。
暑いうちは、なお更、起き上がることも出来ない。


暑き程はいとど起きも上がり
暑さに負けて、今までより、辛い状態である。



三月になり給へば、いとしるき程にて、人々見奉りとがむるに、あさましき御宿世の程、心憂し。人は思ひ寄らぬ事なれば、この月まで奏せさせ給はざりける事、と驚き聞ゆ。わが御心一つには、しるう思し分く事もありけり。



三ヶ月になったので、はっきり解る。
皆々、見かけては、不審に思うのは、情けないと、運を嘆く。辛い。
皆は、思いもよらないことで、この月まで、奏上されないとは、と、驚くのである。
ご自分だけは、はっきり解る事であった。


要するに、妊娠したのである。
懐妊である。それが、誰の子であるかも、でもある。




御湯殿などにも親しう仕うまつりて、何事の御気色をも、しるく見奉り知れる、御乳母子の弁、命婦などぞ、「あやし」と思へど、かたみに言ひ合はすべきにあらねば、なほのがれ難かりける御宿世をぞ、命婦は「あさまし」と思ふ。内には、御もののけの紛れにて、とみに気色なうおはしましけるやうにぞ奏しけむかし。みな人もさのみ思ひけり。いとどあはれに限りなう思されて、御使ひなどのひまなきも、そら恐ろしう、物をおぼす事ひまなし。




御湯殿などでも、御傍近く、お世話して、どのような様子なのかと、はっきりと知る乳母子の弁、それに命婦などは、変だと、思うが、お互いに、話し合うべきことではないと、やはり、どうしようもなかった、運というものを、命婦は、嘆き、呆れ果てる。
主上には、御もののけのせいで、急には、懐妊とは、見られなかったと、奏上したらしい。
誰も、誰も、そうと、ばかりに思ったのである。
主は、いとどあはれに限りなう思されて、つまり、ひとしお愛しいと、思う。思われて、御使いなども、間なく、暇なく、見える。が、それも、何やら、恐ろしく、宮は、煩悶が絶えない。

乳母の子、弁は、何も知らない。
命婦は、知っている。
そして、藤壺は、煩悶している。

恐ろしく
現代の、恐ろしいではなく、気が重い、憂鬱なことである。

この、藤壺の懐妊から、源氏物語というもの、源氏という男を、分析する、研究が多い。
そして、父、帝と源氏の関係などから、物語の、それこそ、文低にあるものを、察しようとする、試みである。

だが、当時としては、珍しいことではない。
ただ、相手が、帝と、その息子と、帝の寵愛する姫との、関係である。
物語として、それが、最大の山場ではない。

物語全体に、流れる、もののあわれ、というものの、心象風景である、問題は。

事件は、それに、付随するものである。

私は、名訳を心がけてはいない。
この、物語に、流れる、もののあわれ、というものを、見詰める、観るために、訳しているのみである。
世に、多くの名訳がある。
それで、不自由しない。

当時の、湯殿は、今で言えば、シャワー室のようなものである。
お付の者が、湯を掛けるのである。

そして、病気は、物の怪の仕業と、考えられた。
物の怪とは、目に見えない、気の働きである。
物の怪の、気に、祟られるという、ものである。これに、対処したのが、加持祈祷である。その、効果のある、僧を、皆、徳のある者として、讃えた。

空海の、密教は、その、ツボに嵌ったものである。


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神仏は妄想である 179

仏教以前のインドについて、俯瞰する必要がある。

大乗仏典の、根拠無き、誇大妄想を知る上でも、必要だと、思えるからだ。

インドは古来幾多の民族の活動舞台となり、そこで多数の民族の文化が栄えたのであるが、インド文化形成の主動的地位を占めて来たものはアーリヤ人である。インド人の用いる主要な文化語はほとんどすべてアーリヤ人の言語に由来するものである。
中村元 インド思想史

ここで、アーリヤ人の言語に由来する、ということが、重要である。

それでは、アーリヤ人の前は、どうだったのか。
西暦前3000前より、発生し、それから、前2000年にかけて、インドには、インダス文明が起こり、その文明の担い手、つまり、ある一民族が一定の都市計画の元に、都市を建設していたということである。

この文明は、広く、西暦前1500年頃まで、続いたと言われる。

インダス文明とは、何か。
この文明の文字の解明が、未だされていないという。
ただ、後世のインド民間信仰と密接な関係があると、推測される。
それは、地母神である、シヴァ神の像の原型らしいもの、性器崇拝、樹神、動物崇拝が、確認されている。

特に、牝牛が、崇拝の対象だった。それは、今でも、続いて、インドでは、平然と、牛が、街中を、闊歩している。

更に、禅定、沐浴も、行われていた。
しかし、寺院や、祭壇などは、無い。祭具というのも、見つからないようである。

アーリヤ人とは、信仰を異にしていたことは、確かである。

アーリヤ人が、インドに侵入して来た時、インドには、ムンダ族という、民族が北部インドに、生存していたことが、確認されている。

現在も、ムンダ族は、インド奥地に生存しているが、一般インド人よりも、生活程度が、低く、差別待遇を受けている。

さて、アーリヤ人の、敵対者は、ドラヴィダ人であった。
しかし、鉄を使用した、アーリヤ人に征服されたのである。

この、ドラヴィダ人は、守護神として、女神を崇拝し、性器崇拝、蛇神、そして、樹木崇拝も、行っていた。
この、習慣が、実は、インドに後々まで残ることになるのである。

アッサム、ベンガルの一部、ナーガランドには、蒙古系の種族が住み、彼らも、一般インド人とは、異なる習慣を持つ者である。

アーリヤ人は、西洋人と同じ祖先に由来する、人種である。
原住地は、コーカサスの北方地域であったとする、説が有力である。

彼らは、遊牧民として生活していた。
家畜の名称に関して、インド・ヨーロッパの諸言語に、類似性が認められるという。
ただし、穀物の名称には、それが無い。

西方に向かった者は、ヨーロッパに定住して、諸民族となる。
東方に向かった者は、西トルキスタンに数世紀定住して、その一部が、東南に進み、イラン人となる。
東南に進んだ者は、西北インドに入り、五河地方を、占領した。インド・アーリヤ人である。これが、西暦前、13世紀末といわれる。

その彼らが、前1000年頃までに、リグ・ヴェーダの、宗教を起こしたのである。
リグ・ヴェーダは、インド・ヨーロッパの、最古の文献である。
インド、最古の文献とも、言われる。

リグとは、讃歌、ヴェーダとは、知恵、転じて、バラモンの聖典となった。

アーリヤ人は、野蛮である。更に、武器と、戦術に勝れて、原住民である、ドラヴィダ人らを、征服し、駆逐してしまうのである。

原住民は、アーリヤ人の下に、隷属し、インドにおける、最下の、位置に置かれた。
だが、まだ、今に至る、カースト制までには、至らなかった。

当時の、アーリヤ人は、血縁関係、言語、宗教の、自覚はあったが、部族間の、政治的統一性は、無い。
つまり、統一国家なるものは、存在しない。

さて、リグ・ヴェーダである。
今日に至るまで、それは、暗唱によって、伝えられるという、驚異である。
前、1000年から、800年頃に、編纂されたというが、作製は、1200年から、1000年である。

アーリヤ人は、家庭の祭壇に、供物を捧げ、更に、大規模な、祭祀を行っていたという。

リグ・ヴェーダの宗教観は、多神教である。

神々の多くは主として自然界の構成要素・諸現象あるいはそれらの背後に存すると想定された支配力を神格化して崇拝の対象としたのである。
中村元

天神、太陽神、暁紅神、雷神、暴風神、風神、雨神などなど。
これらの、神々に対して、神話が発達することにより、それが、擬人化されて、独自の性格、性行が、与えられ、次第に、自然現象とは、関連なく、固定されていった。

例えば、インドラとは、理想的戦士である。後の、帝釈天と呼ばれるもの。
サラスヴァティーとは、西北の河の名前であるが、女神と、崇められて、財と富みの神とされた。後の、弁財天である。

更に、定住することによって、自然界の、関係はなくなり、抽象的観念による、神観念が、起こったのである。

抽象的観念である。

これが、後に、宗教という、観念を生むことになる。

要するに、人間の勝手な観念である。
この抽象的観念に、おいて、人生を意味付けするという、思考法が、現れた。
それが、宗教観念である。

私の指摘は、そこにある。

抽象的観念による、宗教とは、抽象的である。

何一つ、確定したものは、無い。

リグ・ヴェーダの後に、哲学思想の、萌芽である。
当然、変だと思う人が、現れる。

無いものを、在るとする、考え方を、おかしいと思う人である。

空想の産物を、崇拝しては、おかしいと、気づくのである。

一気に、飛躍すれば、空想の神や仏というものを、崇拝するのは、おかしいと、気づく人である。
つまり、妄想であると、気づく人である。
私も、その一人である。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第4弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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