2008年09月20日

ベトナムへ 20

世界的に見ても、グローバル化が進み、世界が単一市場になると、貧富の差が激しくなる。

私の訪れた、ホーチミンは、急速な勢いにて、外資の導入が行われたことにより、他のベトナムとは、違う。
高級ホテルや、デパートは、欧米、日本と、何も変わらない。

しかし、中部の、農村地帯は、まだ極めて貧しい。
更に、その高原地帯の少数部族は、より深刻な貧しさである。
飢餓寸前の生活を送る人もいるという。

平等という言葉ほど、ベトナムに合う言葉は、無い。
それがあったから、ベトナムは、やってきたのである。

つまり、社会主義の精神が、ベトナム流に解された。
30年以上に渡る戦争である。
その間、庶民は、貧しさは、分かち合うもの、そして、そこから、相互に助け合う、扶助の精神が生まれたのである。

今は、具体的に書くことは出来ないが、ベトナムの人は、一部の人が豊かに成るよりも、全体が平等の方が理想だと、考えている。それは、今もある。
それが、ベトナムを救うのである。

同じ社会主義でも、他の社会主義とは、別物である。
国民レベルにおいて行われる、社会主義である。
支配する者の、社会主義ではない。それは、おおよそ、全体主義に陥る。更に、幹部のための、主義になる。

しかし、問題がある。
矢張り、戦争の後遺症である。
同じ民族が戦った内戦でも、あったということである。
家族でも、南と、北として、戦うこともあったという。

平等思想は、特に北に属する人に共有されるが、南の人とは、別物である。
地域による、政治的、社会的格差というものを、考えなければならない。

簡単に言う。
経済的に貧しい、北の社会主義が、豊かな、南の資本主義を破った戦争であり、北の人が、目にしたのは、サイゴンの、豊かさに溢れ、繁栄した街である。
そこに、北の幹部が大挙して、移住し、公的機関の職務に就いた。
そして、強制的に、社会主義の名の元、南の人を追い出して、自分たちのものにした。それは、勝者である行動である。

更に、悲劇は、社会主義の、最も悪い面である、旧南政府や、軍関係者を、再教育と、称して、強制収容所に入れて、何年間も、強制労働と、思想改造に、従事させたことである。

この行為は、南の人から見ると、占領軍同様に、見えた。
共産党という、占領である。
更に、北と、共に戦った、南ベトナム解放戦線は、戦争中は、その存在を主張したが、前後は、冷遇された。

これは、実に、共産党の悪趣味を見る思いであるが、解放戦線という組織は、実は、共産党の秘密党員で構成された、党の別部隊であったと、宣言したのである。
それは、共産党以外の、愛国主義を基盤にして、解放戦線に参加した南の人の、主体性を、否定したものである。

勝利に導いたのは、共産党であるという、喧伝である。

解放戦線に、参加した人々には、勲章以外、何の特典も、保障もなかった。
それは、勝利を独占する行為であり、その共産党の姿勢に、失望したのである。

更に、共産党は、南の政府関係者、主なる者たちの、子弟には、大学の入学資格を、認めなかった。
この、処置が、中国系の人、南政府関係者の家族たちを、ボートピープルとさせた。

南の人は、北の共産党が、南を征服したのであると、考えるようになるのである。
その、しこり、は、戦後30年を経ても、解消されていない。

しかし、南の政治的敗者である事実がある反面、経済的には、南の方が、急速に発展しているという事実。
その社会も、階層化が進み、利害関係も多様化しているのである。

全体から見ても、南は、北より、益々豊になり、その格差は、四倍から、六倍といわれる。

さて、そこで、ドイモイ政策という、市場経済を導入した、ベトナムは、政治的に、市場経済を主導できる状態ではないと、思われる。

問題は、頭の切り替えである。
共産主義による、共和制では、もはや、先に進まないのは、目に見えている。
民主化である。民主共和国である。

貧しさを分かち合う社会主義から、豊かさを競い合う資本主義への移行は、社会主義では、動きが取れない。

今、ベトナムは、社会主義時代の、生活保障が、廃止され、資本主義社会で、発達した、社会保障は、国家財政不足のために、全く導入されない。

つまり、粗野な資本主義であり、新しい風、新しい考え方を、取り入れなければ、成り立たないのである。

更に、である。
共産党員になる者が、激減しているのである。
特に、若い世代では、極端に少ない。
党員になると、特典、特権が、一杯与えられるというのに、である。

特に、都会の若者には、人気が無い。
当然である。
党の方針に、忠実に従うことを、求められる。
個人的な、自由な発言、思考が、制限される。
更にである、マルクス・レーニン主義、共産党の歴史などを、義務として、強制されて、学ばせられるのである。

研究者ならば、わかるが、すでに、終わった、主義を、学んで、どうするのか。
それは、宗教の教義や、誇大妄想の指導者が、行う方法である。

思考停止にするというのは、最大の悪である。

世界の情報が、手に入る時代、若者は、見抜いている。
キャリアとして、共産党に入ることは、将来的に、マイナスになるだろうと。
それは、終わったものである、という意識からだ。

また、南では、共産党に入ることは、一種の裏切り行為ともなる。
北は、南を、占領した敵だとの、意識であるからだ。

ここでは、これ以上、書くことは、出来ないが、共産党員の特典など書くと、驚くべき、実態が見えるのである。

共産国は、賄賂天国だと、言った。
ベトナムも、然り。

バンコクから、再度、ホーチミンに着いて、市内に出るため、入国することにした。
その時に、税関に出す用紙を提出する。
半券を貰う。
それを、出国の際に、提出する。

今回、スタッフの野中が、出国の際に、それを、見失った。
探していると、係員が、早く来いと、急かす。
賄賂を受け取る、チャンスと、見た。

半券が無い。
10ドルである。
どうでもいいような、半券である。それを、回収する作業に、必ず無くす人もいるとの、想定で、賄賂を得られるのである。

ベトナム、いや、共産国は、この手の、作業が多い。
日本では、お役所仕事とでも、言うか。

実は、その時、私は、スタッフを、怒鳴り散らして、その対応を見たいという、欲求に駆られたが、穏便にという、目標を立てたので、その場を去った。
待合室で、半券が出て来た時も、再度、行って、10ドルを、取り戻そうかとも、思ったが、いやいや、次のチャンスがあると、止めた。
これから、長い付き合いを、しなければならないのである。


posted by 天山 at 12:44| H20.09 ベトナムへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 50

女性解放、つまり、フェミニストとして、ベティ・ドットソンは、セルフ・ラブ、つまり、女性のマスターベーションを勧める。

相手が恋人であろとう、バスタブであろうと、ぬいぐるみのクマであろうと、張り型であろうと、指であろうと、舌であろうと、バイブレーターであろうと、オーガズムはオーガズムでありオーガズムでありオーガズムなのです。
ドットソン

そして、自分のマスターベーションを記述するのである。

ある晩、メークアップ用の鏡についている拡大鏡を使い、自分がマスターベーションしている姿をのぞいてみました。まさに絶景で、エロチックな映画をミニチュアスクリーンで見ているような感じではありませんか。そこでいつもと違う方法も試してみました。陰唇が濃い赤に変わり、興奮するにつれクリトリスが大きくなっていくのがわかります。ヴァギナに指を三本入れてマッサージするとますます潤い、愛液が光を浴びてきらきらと輝きます。最後には激しく手を動かし、イク寸前には意識がもうろうとした状態。オーガズムに達したとき、まぶたを閉じて映画の幕は降りました。

それから、彼女は、自分のマスターベーションの高まりゆく、過程を書き付ける。

女性の、マスターベーションの様子を、ここまで、書きつけたものを、私は知らない。
ポルノ小説ではない。あくまでも、実践であり、本当のことなのである。

更に、それを、公開して、女性にオーガズムをと、唱える行為は、女性解放、フェミニズムという、思想に裏付けられたもの。
それでなければ、ここまで、赤裸々に、自分のマスターベーションを語らない。そして、語らないことが、彼女以前の、女性たちだった。

それは、語らないこと。秘密であり、タブーだった。
女が、性の楽しみを、求めるということは、あらゆる意味で、画期的なことであり、すべての、タブーを破る行為でもある。

だが、その後、アメリカでは、セックスカウンセラー及び、セックスセラピストという、職業が、現れるのである。

マルチプル・オーガズム革命と、言われる。
略して、MO革命である。
それも、紹介することにするが、もう少し、ドットソンの、進展を見る。

70年代の終わりまで、わたしはマスターベーションでバイブレーターしか使ったことがありません。その後また、挿入のほうも試してみることにしました。シリコンの張り型にオイルを塗り、ヴァギナの入り口にあてがい、同時にバイブレーターでクリトリスを刺激します。ゆっくりとじらすように挿入しながら、ヴァギナの筋肉を締めたり緩めたり。イキそうになる直前、張り型を中に入れたまま、両足でぎゅっと締めつけます。両手でバイブレーターをつかみ、お尻に力を入れ、オーガズムへと駆けのぼります。

更に、驚くべきは、マスターベーションに、二時間をかけるということだ。

十五分間の小休止のあいだに訪れるさざ波のようなオーガズムも大好きでした。それでまた元気になるし、緊張感をやわらげてくれます。二時間にわたる儀式のしめくくりは大波のようなオーガズム。エロチックな想像にふけりながら、体のありとあらゆる部分を使って波に乗るのです。これぞ快楽主義の極地。大きな波がくるたびに、私は笑い、泣き、うめきました。三回か四回これがつづいたあとは、もうオーガズムを越え、エクスタシーの境地に入っていきます。そして10分後、ようやく夢の世界から現実の世界へと戻ってきます。

そして、彼女は、いつに、マスターベーションによる、瞑想法を獲得するという。

確かに、体力的にも、非常に興味深いものがある。
民族的な、体力なのかと、考える。
ここまで、徹底したマスターベーションの、行為には、脱帽する。

ただし、彼女は、単なる淫乱ではないということである。
淫乱と、彼女のオーガズム追及は、根本的に違う。
それは、彼女には、思想があるからである。

「よい子」になりたいと思うがゆえに、性欲は文字どおり見殺しにされがちです。抑圧が高じれば、性器で受ける感覚は脳へ伝わらなくなります。有名な心理学者、ウィルヘルム・ライヒは自著「オーガズムの機能」のなかでつぎのように述べています。「オーガズムとは、なんの抑圧もなしに性的エネルギーの流れに身をまかせること、つまり、無意識のうちに全身を快感に襲わせ、完全な性的興奮状態に陥ること」いいえて妙ですが、長いことわたしにはあてはまりませんでした。ご多分にもれず、わたしも完全なオーガズムに達することができなかったからです。

彼女は言う。

30代半ばまで、わたしは始終二日酔い、慢性的な筋肉痛、運動不足、栄養不良に悩まされていました。どれもエロチックな感覚の妨げとなるものばかりです。精神的にも罪悪感、恐れ、怒り、自己憐ぴんなどに駆られ、エロチックな思考どころではありません。心身ともにこのありまさでは、性的エネルギーの流れは食い止められてしまいます。オーガズムはしゃっくりみたいに小さなものしか得られませんでした。

彼女も、長年、性的抑圧に悩み続けたのである。
世の中全体の、性的なものに対する、抑圧は、自然、子供の頃から、覆いかぶさるのである。

彼女の言う、開放とは、無意識の解放でもある。
ライヒの言う、何の抑圧もなく、性的エネルギーに身を任せること。
それを、実行するには、今までの、観念を捨てつくすことなのである。

ただ、ここで、無意識の解放というのは、実に、難しく、人によっては、恐ろしいことである。
無意識とは、普段、表に出ないものであり、それは、夢などで、解消されるものである。それが、性によって、解放されたとすると、社会的にも、混乱が生じることもある。つまり、無意識の解放は、支配からの解放である。

教義や、社会システム、国家からの、解放も意味する。

これは、精神、心の解放であり、そのまま、主張になる。
性感の解放から、社会運動へと、発展することもある。

ゲイ運動を恐れるのは、何も、ノーマル、ヘテロセクシャリティの人ではない。
宗教や、国家であり、支配者、為政者たちである。
更に、差別主義者である。

たった一人の女の、オーガズムが、世の中を動かすこともある。
社会学の立場から、この、マスターベーションというものを、見つめてみたいという、欲求に駆られるのである。

posted by 天山 at 00:00| 性について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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