2008年09月08日

ベトナムへ 8

ホーチミンの市内を、歩いて驚くことは、交通状態である。
バイク軍団が、凄まじい。
信号が少なく、道路を、横断するに、決死の覚悟がいる。

バイク軍団と、車の様子を見て、向こう側に渡るのだが、走っている中に、身を置いて、歩くという、危険極まりない、横断である。
しかし、それも、次第に慣れてくると、スリル満点になる。

市民は、慣れているのか、平然として、車とバイクの走る道を横断する。
年寄りは、両手を上げて、渡る人もいる。

そして、ホーチミンの道路は、サーカスを見ているような、状況なのである。
何せ、一台のバイクに、家族全員が乗っていたり、大きな荷物を積んで、奥さんとおぼしき人が、後ろ向きに、その荷物を落とさないように、抱いている、という。

道路に面した、店先で、じっと、その様を見ていても、飽きないのである。

そんな中、シクロという、自転車のタクシーがある。
また、自転車で、手漕ぎのものを、始めて見た。

更に、屋台を横につけて走るバイクもある。
日本の法律では、違反だらけの、状態。

一時間も、歩くと、緊張感で、疲れる。
衣服を担いで、街中を歩き、時々、オープンカフェで、ココナッツジュースを飲んで休む。
浴衣などは、汗だくで、背中に、生地が、ぴったりと、くっついてしまう。

トイレは、タイと同じであるが、時に、驚くべきトイレがあったりする。
普通のホテル、レストランなどは、まだ、ペーパーも用意されているが、そんなものが、一切無いトイレもある。
要するに、大便は、水洗いである。
お蔭で、私は、その必要がなかったが、ペーパーを持参しても、流しては、いけないトイレもある。
手動の水洗トイレである。

泊まっていたホテルも、紙は、流さず、横にある、ゴミ箱に入れるタイプだった。
一度、無意識に、紙を落として、同行の野中に、怒られた。
しかし、尻を拭いた紙を、横の箱に入れるというのは、抵抗がある。

所違えば、常識も違うのである。

屋台のおばさんたちは、実に、親切で、持ち物に関して、よく注意された。
要するに、引っ手繰られるので、持ち物は、体から離してはいけないということ。
カメラなどは、首から下げるように言われる。

屋台で、物を食べている時も、荷物は、手から離さないようにする。
私は、そんなことはなかったが、ベトナム人が、ベトナム人に、引っ手繰られることも、多々あるという。

道路を歩く時は、荷物は、車道の方に持たないなど、色々と、気を使った。
それは、日本も、同じである。
いつ、どんな、不運があるか、解らないのである。

だから、無事であることは、実に、幸せなことである。

さて、ベトナム人は、笑わない。
特に、戦争体験者の年代は、笑わないのである。
いつも、厳しい顔付きをしている。
しかし、仁義というものがある。

こんな体験をした。
靴磨きの、少年が来た。しかし、私は、下駄を履いている。ところが、少年は、中々、去らないのである。
年は、18という。
色々、お互いに、だとだとしい、英語で会話していた。

靴磨きは、二万ドンである。
話をしていると、情が出て、肩を揉むことが出来るかと、尋くと、出来るというので、それじゃあ、肩を揉んでもらうことにした。

暫く、肩を揉んでもらうと、本物の肩マッサージが、やって来て、売り込むのである。
しかし、私は、断った。
少年に、二万ドンを渡そうとした。
二万ドンを出すと、横にいた、マッサージ師が、二万ドンでは、足りない、二十万ドンだと、言うのである。

いかにも、ボッタくりである。
何故、少年の貰う金に、注文をつけるのか。後で知るが、その分け前を貰うのである。

私が、二万ドンで、と少年に言っていると、横にいた、相当年配の男性が、一言、何か言った。すると、マッサージ師は、すごすごと、退散した。

様子では、止めろと、言った雰囲気だ。
ボルなとでも言ったのか。

戦争体験者の年齢である。
泊まっていたホテルの、オーナーも、そうだった。
挨拶しても、決して笑わない。
いつも、苦虫を潰したような、顔付きをしていた。
しかし、不機嫌なのではない。
そのように、なってしまったのだ。

笑えない、人生を送ってきたのである。

ベトナム戦争体験者である。

戦争の後遺症を見渡すと、戦争は、未だに終わっていないというのが、現状である。
アメリカ軍が使用した、枯葉剤の影響は、今も、脈々と続いている。
これについて、書くことは、一冊の本になってしまう程、今も、その被害に苦しむ、多くの人がいる。

日本の原爆症に似る。

それを、見れば、アメリカが、キリスト教の国だとは、到底考えられないのである。
原爆や、枯葉剤を用いることが、出来る国であるということ。
これを、忘れてはならない。

更に、七十代から、九十代の、身寄りの無い高齢者が、30万人いると、言われる。
戦争によって、配偶者、子供たちが、死んでしまったのである。
その高齢者も、戦争犠牲者である。

更に、その人々の政府の対応も、戦争の後遺症があり、南ベトナム政府であった、南ベトナム解放民族戦線であった、北ベトナム側にいたかで、大きく違う。

ベトナム戦争とは、世界の人が認識する言葉であり、ベトナムでは、坑米救国戦争である。
そのもの、ズハリ、アメリカから、国を救う戦争である。

ベトナム戦争の定義は、人により、多少の違いがある。

広く定義する人は、1954年から1975年とする。
フランスが大敗して、ジュネーブ協定により、ベトナムから撤退する1954年を起点とする。

アメリカが、フランスに次いで、戦争を継続したと、考える。
そして、最後のアメリカ人が、サイゴン陥落により、ヘリコプターで、脱出する、1975年4月30日を、終わりとする。

フランスとの、戦いを、第一次インドシナ戦争とし、そして、次のアメリカとの、戦いを、第二次インドシナ戦争とする。その戦争をベトナム戦争という人もいる。

もう一つの、見方は、1960年、アメリカが、軍事顧問団を派遣して、実質的に、戦争への関与を始めた年から、73年とする。

南と北の、内戦の場に、アメリカが、介入してきた時期のみを、ベトナム戦争と定義するものである。

いずれにせよ、63年から、72年までの、10年間、アメリカ軍が、軍事行動を起こしたのである。

アメリカ軍の最大の介入時期は、68年で、その時は、50万人の兵士が、投入された。

そして、アリと象の戦いになる。

戦争は、膨大な数の犠牲者と、国土が荒廃する。
北の民族戦線側が、勝利して、国際社会が、ベトナムと、認定したのである。

しかし、ベトナムの不幸は、続く。

その後の、カンボジアとの、戦いである。

その意味付けは難しい。
ベトナム人は、カンボジアでの、ポル・ポト派による、人民の虐殺を止めるための、ヒューマニズムに基ずく行動であるとの、認識がある。

それは、国境地帯に住むベトナム人の、農民も、巻き込まれて、多数殺された事実もあるからだ。
ポル・ポト派は、何百万という人の命を、奪った。
残虐極まりない、その様である。
共産主義という、名の元に、殺戮の限りを尽くした。

ナチスドイツの、残虐を言うならば、共産主義という、名において、どれ程の、人の命が、無意味に、虐殺されたことか。

だが、国際社会は、ベトナムの行為を、カンボジア侵攻と、認定した。

これは、私の感情論であるが、それならば、あの、悪魔のポル・ポトの行為を、世界は、ただ、黙って見ていたということになる。
もし、時代が違えば、国連主導で、多国籍軍を派遣していたのではないか。

しかし、歴史を見ると、ベトナムは、カンボジア侵攻によって、11年間、国際的孤立を招き、経済は、疲弊した。

「この国際社会という中には、中国の意図と観点が大きく影響している。中国が「ヴェトナムを懲罰する」と称して中越戦争を起こした理由として、カンボジアへのヴェトナム群の進出を「侵攻」と認定しなければならなかった。中越戦争は中国のイニシアティブと米国の承認のもとに、ヴェトナムを叩くための戦争だった。大国の横暴という非難を避けるための自己正当化の理由として、ヴェトナムの行動は断じて「侵攻」でなければならなかった。だが、中国サイドの解釈を許すような傲慢さが、ヴェトナム戦争に勝利した当時のヴェトナム共産党指導部にあったと思う」
と、ヴェトナム新時代の著者、坪井善明さんの記述である。


posted by 天山 at 12:39| H20.09 ベトナムへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 159

「立正安国論」にみられる日蓮の抱いた疑惑そのものは必ずしも新しいとは言えない。・・・
そこに古代風の「鎮護国家」にむすびついた一種の「神国思想」がみられる。また内乱を通しての犠牲者と、そこに生ずる無常観は当時の誰しも抱いたところである。或いはなぜ天災地異がくりかえされるのか。鎌倉の大地震や、疫病飢餓の発生を深く憂えているが、これも当然のことだ。内乱と天災と疫病と、歴史とは恐怖の歴史だとい実感に立っていることは、いずれの出家にも共通している。
亀井勝一郎


文応元年、1260年、日蓮、39歳の時、北条時頼に、立正安国論を、提出している。

その中で、驚くべき日蓮の、稚拙さは、誤った神仏を拝むからであるという、ことだ。
国家が、題目を選択して、皆、題目を唱えれば、国家安泰であるという、実に、飛躍した、病ともいえる、提言である。

日蓮は、歴史を、お勉強する暇が、なかったといえる。

正しい教えこそ、国を救うという、鎮護国家と、国家が、奨励する、正しい教えを言う。
それは、国会戒壇である。つまり、国の戒壇を法華経に置けということである。

この、無茶苦茶な、言論に、果たして冷静に、対処できるだろうか。
様々な問題を抱えて、日夜、様々な方法を指示しなけばいけない、為政者が、真っ当に、受け入れることが、出来るだろうか。

空海と、比べると、非常に、稚拙で、劣る行為である。
空海は、決して、そのような方法ではなく、既成事実として、着々と行為した。
天皇の目の前に、寺を建てる。
私には、これだけの、力がありますと、内外に、広告宣伝するという、やり方である。

どちらが、大人か、一目瞭然である。

さて、私が、思うに、何故、念仏宗、特に法然を攻撃し、更に、道元禅を、攻撃したかである。

浄土宗は、釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏と思ひて、教主を捨てたり。禅宗は、下賎の者、一分の徳有て父母を下ぐるがごとし。仏をさげ、経を下す。これ皆本尊に迷へり。
日蓮 開目抄

モンゴルが襲来した時、真言宗、その他の、祈祷が全く無意味であると主張した。
ただ、法華経によってのみ、国難を救うことが出来るというのである。

日蓮は日本国の棟梁なり。予を失うは日本国の柱を倒すなり。只今に自界反逆難とて、どうしうちして、侘国侵逼難とて、この国の人々他国に撃ち殺さるるのみならず、多くいけどりにせられるべし。建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏、長楽寺等の一切の念仏者、禅僧が寺搭をば焼きはらひて、彼らが頸を由比の浜にて切らずば、日本国はほろぶべし。
日蓮 撰時抄

このような、言葉を見れば、躁病的誇大妄想と、いえる。


まさに狂信独善の人という以外にないが、ただここで見のがしえない一事がある。それは実際に頸を切られそうになったり、流刑に処せられたのは日蓮自身であり、彼を迫害したもののなかに、徒党を組む念仏者が多かったということである。狂信独善の人のようにみえる背後に、実は日蓮の信仰の秘密がある。
亀井勝一郎


法華経の信仰は、何によって、身証されるかという、問題である。
それは、受難を、もたらすものでなければならなかったという、秘密である。

法華経に書かれる言葉は、法華経を広めるには、難が降りかかるという、実に、驚くべき詭弁がある。

迫害に耐えることによって、法華経の真実が、現れるという、信仰である。
別の言い方をすれば、マゾである。

日蓮は、躁病的誇大妄想の、自作自演を演じたということである。

今になってみれば、この、日蓮の無作法、病的行為を、皆々、やや肯定し、意志の人などと、持ち上げているが、生業である。

亀井勝一郎も
すべての信仰のめざしている「無私」を、彼も決して忘れなかった。
と、言うが、違う。

本当に、そうならば、日本国のために、勝手に、祈り、その安泰を願うはずである。
我、日本国の棟梁なりと、言うならば、何故、黙々と、日本国のために、祈らないのか。

俺を、認めろ。俺を、認めろと、言うのである。

私は、戦争犠牲者の追悼慰霊行為を、行っているが、そこでは、多くの人、淡々として、出来ることを、している人が大勢いることが、解った。
彼らは、世に訴えるより先に、行為行動している。
現地の人との、触れ合いで、日本兵が、お世話になったことを、身を持って、行為し、感謝している。
私は、それを、見る、聞く度に、明るい気持ちになる。
世に主張せずに、淡々として行為する者、その者こそ、日本国のために、行為しているのであると、観るのである。

日蓮は、何をしたのか。
何一つ、実績あるものを、為していない。
飢餓にある人々を、救ったのか。
死者を葬ったのか。

あの時代、黙々と、死者を、弔った無名の僧たちがいる。
そこから、葬儀が、僧侶に手になるという、事実がある。

私は、日蓮という、誇大妄想の、宗教家より、無名の、僧たちの、悲しみを、釈迦仏陀の、教えを、実行する者として、受け入れている。

様々な、問題を抱えた、為政者に対して、更なる混乱を、巻き起こし、自作自演で、迫害されたり、流されたりして、故に、日蓮の、仏法は、正しいなどと、ほざく様、だだ、見苦しいのである。

日蓮の言い方で、日蓮を評すれば、彼は、インド魔界の、バラモンの神々の系列を汲むモノが、指導して、日本を、混乱させるために、送られた者であると、言う。

日本には、あのような、破壊的な人物は、生まれない。
新しい時代を、切り開くために、織田信長という、破壊者を、生んだが、全く、それとは、意を異にする。

織田信長が現れなければ、日本の歴史は、実に遅れたであろう。
近代を、拓いたのである。
そして、役目を終えると、50を前に、死んだ。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 38

1926年の、カトリック神学辞典の中で、十戒の六番目の、戒律に対する違反として、色欲の罪が上げられる。
その中では、男色と獣姦と並び、遺精とオナニズムが大きな位置を占めている。

純潔というものに対する、罪は、細かく分類されて、外的罪と、内的罪とが、区別され、完遂された罪と、未完の罪とに、分けられた。

更に、完遂された罪の中でも、自然に合ったものと、自然に反するものとに、分けられた。
遺精と、オナニズムは、自然に反するものである。
ここでは、遺精は、マスターベーションを意味する。
オナニズムは、婚姻における、生殖の義務から、逸脱とされた。つまり、中絶性交である。

批判を、加えずに、キリスト教の経緯から、その罪の有様を見ると、教団の創成期の頃は、周囲の状況から、キリスト教は、諸々の異端と、対決しなけばならなかった。

そのために、使える哲学的道具をすべて駆使するということになる。
古代教会における禁欲運動の、エンクラティス主義、グノーシス派、マニ教は、人間を、神と、悪とに、引き裂かれた犠牲者と考えた。それを、キリスト教も、採用した。

しかし、そうすれば、この世を拒否し、否定することしかなくなるのである。

初期の、キリスト教の神学者たちは、悪の根源を説明することが、要求された。
そこでは、プラトンの、イデア論が、採用されることになる。
また、古代ストア学派も、参考にされた。

それから、数世紀を経て、人間の体というものに対する、議論がはじまる。

紀元5世紀になると、アウグスティヌスによって、人間の罪は、その体にあり、人間は罪を持つが故に、その性的本能を支配できないものであると、される。

この場合の、悪とは、性のことである。
ここで、性は、悪であるとの、徹底した決定がなされたといえる。

西洋キリスト教の、原罪いという意識は、端的に、性を中心とされた。
実に、聖アウグスティヌスの、悲観的見解に、陥ってしまったのである。

かくして、人間の本性が性的快楽を恥じるものであることは疑いようもない。そうであればこそ、生殖器をそのただ一つの衝動に服従させ、意志の権威から引き離す、この情熱の激しさを見れば、最初に不服従の罪を犯した人間に対する罰がいかなるものであったかは十分に察しがつく。身体の中でもとくに、最初の大罪によって汚された人間の本性がはびこるこの部分に、罰が与えられねばならなかった。
アウグスティヌス

キリスト教の第一世代が、体験した、この性の悲劇は、その後の、キリスト教の、底流を流れるものになる。


単なる、一人の聖職者の、思いつきでの、悪と性と、罪と性と、さらに、罰などが、語られるという、悲劇である。
ちなみに、アウグスティヌスは、聖職者になる前は、さんざんに、彼の言葉で言えば、不道徳な生活に、堕落していたのである。

更に、加えておけば、新約聖書における、パウロの思想が、悪イコール性というものとして、決定されている。

新約聖書の中で、イエスは、肉からきたものは、肉であり、神の霊によって、生まれ変らなければならないと、言う。
勿論、それは、イエスキリストの言葉ではない。
それぞれの、聖書作家の属する、団体の、思想である。

ただし、精子の存在は、その頃は、知らない。

精子の存在が、明確にされたのは、17世紀後半である。
ハム、レーウェンフック、ハルトゼッカーによって、ほぼ同時に、発見されたのである。

更に、卵巣の発見である。

だが、精子と卵子による、受精の発見は、1875年まで、待たなければならなかった。

キリスト教だけではなく、宗教というもの、全般に渡り、人間の行動に関する禁止要綱を、次々に設ける。
そして、その最も重要視にされるのが、性なのである。
何故か。
要するに、良く解らないからだ。
そして、その欲望を抑えてしまえば、簡単に、支配することが、出来るということである。

その、蒙昧に、瀕して、今でも、宗教というのが、在るという、不思議である。

人間存在の、本源的、根本的な意味に寄与する、性というものを、悪とか、罪に、結びつけるという、傲慢は、計り知れないのである。

マスターベーションの、西洋での、幕開けは、何とも、悲劇的であり、そこからまた、更に、悲劇が、起こるという、悲劇である。

自然に反する行為、マスターベーション行為をめぐる騒動は、婚姻における性についての、古典的見解を見る必要がある。

秘蹟、子孫、信頼が、アウグスティヌスが、言う、結婚の目的である。
キリスト教は、精神性の、重要な要素を、強調していた。

生殖に関することは、単に自然に対する侮辱だけではなく、神の創造行為に対する冒涜なのである。

こうして、精液は、崇められ、その体液を、一滴たりとも、無駄にしないことが、最も重要な関心事となるのである。

中世の贖い一覧表には、驚くべきことに、性交体位まで、細かく忠告するという。
女性器への、正しい精液の拡散を害する、恐れがある、体位を罪とするのである。

後背位や、女上位は、大罪。
更に、性交後、女は、小便をするな。
肛門や、口を使用する行為は、思い罪が課せられる。

ところが、まだまだ、手ぬるいと、夫婦の寝室に土足で上がりこむ程の、性行為に対する、干渉を繰り返すのである。

それは、17,8世紀に、最高潮に達する。
またそれは、20世紀の初頭に至っても、続くことになる。

posted by 天山 at 00:00| 性について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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