2008年09月06日

ベトナムへ 6

ホーチミンで、衣服の半分ほどを、差し上げた。
残りの半分は、タイのパタヤで、差し上げたいと思っていた。
縫ぐるみは、ホーチミンで、ほとんど、なくなっていた。ゴミ袋一枚分の、分量だった。
別の、バッグに、少しだけ、残っていたのみ。

ここで、気の重いことを書く。
ホーチミンにて、サイゴン川で、慰霊の儀を、執り行おうと思っていた。
しかし、それさえ、間々ならない気分で、過ごしていた。

町の至る所、空気の違う場所が、多かった。
霊的空間である。

これは、私の妄想である。と、言っておく。
やたらに、疲れて、精神的に、動揺するのである。
これは、単なるものではない。単なるとは、通常の、幽霊が出るというようなものではない、ということである。

結局、慰霊の行為は、行わずに、タイに向かった。
しかし、バンコクからホーチミン、そして、日本に帰国する日、五時間という余計な時間があり、一度、空港を出て、サイゴン川で、慰霊した。
それは、後で、書く。

私は、衣服を街中で、差し上げつつ、あるカトリック教会に出た。
大きな教会である。
あえて、名前は、記さない。

ほとんど、霊の溜まり場となっていた。
重い空気が、教会を覆い尽くしている。
ルルドの聖母の祈りのコーナーも、その隣の、聖母のコーナーも、恐ろしく、空気が重い。
聖母のコーナーとは、聖母に、色々な名称をつけて、奉るのである。
無原罪の聖母とか、ルルドの聖母とか、である。

無原罪とは、聖母マリアには、初めから、原罪がなかったという、教会の、教義である。
聖母信仰は、新しい土地に、キリスト教を根付かせるために、縦横無尽に利用された。
日本では、聖母観音と言われるように、である。

聖堂には、入れなかった。
通常は、カトリック教会の、聖堂の扉は、いつも、24時間開いているものである。
開かれた教会である。
しかし、ホーチミンでは、危険が[危ない]ために、ミサ礼拝の時間以外は、閉じているのだろう。
どうしても、入りたい場合は、司祭館に申し出れば、聖堂に入ることが、出来る。

教会の上空に、多くの霊的存在が、集っていると、感じた。
しかし、私は、一切の霊的所作を行わなかった。
教会の上空を、天国と、思い込んでいるならば、致し方ないのである。

ベトナムには、その他、仏教も、イスラムも、中国寺院もある。
私のホテルの並びには、小乗仏教の寺院があり、毎朝夕、読経していた。
朝は、五時に鐘が鳴る。
その寺院も、自由に入ることは、出来なかった。
いかに、ドロボーさんが、いるかということだ。

また、カオダイ教という、習合宗教もある。不思議な国である。

これでは、慰霊の儀など、到底出来るものではないと、感じたのである。が、矢張り、最後の最後に、執り行った。そして、来る度に、それを、行おうと思ったのである。

ベトナム人の、信仰については、また別の機会に、書くことにする。
私も、まだ、調べつくしていないし、それについて、ベトナムの人と、話をしていない。

ただ、精霊信仰のようなものもあり、非常に不気味な、供え物で、精霊信仰のような行為をしているのを、見た。
鳥の丸焼きに、線香を幾本も立てて、その周囲に、水や、何やかにやと、奉っていた店もある。
ブラジルの、黒魔術のような感覚で、それを、見た。

そして、単に、線香だけを、家の前に、捧げているだけのものも、見た。
タイの、精霊信仰とは、違うものである。
タイの場合は、可愛らしいのである。楽しい感じがするのだが、ベトナムの場合は、少し違う。
重いのである。

また、多く見たのは、中華系の信仰である。
仰々しいのは、開店する店の前に、沢山の茶碗に、水やご飯、鶏肉、豚肉などを置いて、御祭りしているものである。
また、天神というものか、二体ほどの像の両側に、いつも、赤い電燈を点けている。
たまに、タイでも、見掛けるものである。

道端に、線香のみが、数本あるものもある。

自然に、身についた浮遊霊に対する所作であると、思う。
東南アジアは、浮遊霊の、宝庫ともいえる。
それらが、精霊として、扱われるのである。

私が感じたのは、それではない。
塊と、表現するのが、一番合っている。
空気の圧さを感じさせる、塊である。
これは、戦争犠牲者の霊であろうと、思う。

既存の宗教は、それの、清め祓いが、出来ない。
例えば、小乗仏教というか、仏教には、本来、死者のための、慰霊という行為は無い。また、キリスト教も、無いのである。

仏教は、仏になるための教えであり、キリスト教は、天国に入る教えである。

先祖崇敬、慰霊は、皆、民族宗教による。

小乗に支配される国では、人生をそのまま受け入れるという、諦観派である。
今の状態は、前世での、結果であると、考えるから、その現状を受け入れる。そして、布施をすることによって、来世を良くしようとする。
それが、タイでは、タンブンと言い、お寺に、寄進するのである。
貧しい人に布施をするより、まず、お寺に布施する。

ただ、救いは、タイは、福祉政策が無いゆえ、お寺が、それを、する。
少年僧の受け入れは、実に、見事な、福祉である。
寺に入れば、食べて、学べるのである。

ただし、女には、それが無い。
それで、ようやく、人々の懇願で、タイの寺でも、女子部を作るところもあるという。ただし、それは、少年僧の下に位置し、少年僧の予算の、余りで、行うという。

貧しい少女たちは、そこで、食べて、学ぶことが出来る。
しかし、予算が、足りない。
慧燈財団の小西さんが、その施設を視察した。
女の子たちに、何か足りないものがありますかと、尋ねると、バスタオルと、生理用品だと、答えたという。
そこで、小西さんは、160人分のバスタオルを、寄付したという。

ベトナムの、福祉政策は、どうかといえば、無いに、等しい。
これは、また、改めて、書く。

仏教の、供養という行為は、仏、菩薩、そして、生きている貴い人にするものである。
死者に対する、回向というものは、随分と後のことである。
つまり、死者に読経するという形は、仏陀滅後、1500年経てからである。

読経は、すべて、我が身の功徳のためである。
キリスト教の祈りも、神に対する、感謝と賛美である。イスラムも、然り。
道教、儒教も、様々ないみにおいて、現世利益が、主である。

死者に対する、所作は、後々、付けたしのように、行われるようになった。

イエス・キリストは、死者は、死者に任せるがよい、との、名言がある。
それより、神の国と、その義を求めよ、なのである。

確かに、因果応報、自業自得が、事の理であるから、死者の霊も、それに任せられる。だが、である。

それは、認識不足である。

死者の霊の存在の有無を論じるのではない。
在るものなのである。
その証拠が、地場の、磁気である。
宗教施設に出掛けて、具合の悪くなる人は、それを、体で、感じるものである。
霊感など、必要無い。それを、感じる人がいる。


posted by 天山 at 12:38| H20.09 ベトナムへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 36

人類史上、男と女の分化はおよそ対立というものの最もきわだった投影の一つであり、男性的・女性的という観念は初期の人類にとって対比対立のそもそもの原型にほかならない。
エーリッヒ・ノイマン 女性の深層


今では、男性的、女性的という象徴的表現を、誰もが受け入れるようになっている。

更に、心理学では、男性的なものを、意識、女性的なものを、無意識と、同一視する場合もあるほどだ。

これも、原初的状況である、男性的意識というものが、母性的無意識から、誕生するという局面から、発生しているという、驚きである。

心理学も、その、男性性というものを、母性から、発するものと、認識するのである。

母なるものとは、そういうことである。
すべては、母から生まれるのであり、父からではない。

旧約聖書の神という、意識が、父なるものということには、実に作為があるといえる。
男性原理により、支配を企むという、作為である。

更に、それから、派生した、キリスト教も、イスラム教も、男性原理としての、神の意識を、言うのである。
決して、母なるものを、重大視しない。

作為を、持って書かれたものは、すべて、男性原理である。
古事記なども、高天原を、治める、天照大神は、イザナギから、生まれでた。つまり、イザナミではなく、父から、生まれでたものである。
実に、作為がある。

だが、生物学でも、心理学でも、結果は、母なるもの、女性から、すべが始まることを、教える。

男の子は、母親に対する、最初の関係で、男性的・女性的という、対立原理を経験し、男性的なものが確立されて、男として、自己自身との同一性に至る。また、至ろうとする。そして、原初の母との、関係を放棄するのである。
しかし、矢張り母から出たものである。

男としての、同一性に至らない場合、男の子は、そのセクシャリティに戸惑う。
少年期の、一時期、男の子は、男でも、女でもない時期を、過ごす。
中性期間とでもいう、時期である。

それが、第二次成長が、著しくなり、男性としての、機能が、発達して、自分が、男であることに、目覚める。気づくのである。
女ではないと。

しかし、その過程で、どうしても、違和感を持つ男の子もいる。
トランスジェンダーといわれる、男の子たちである。
勿論、女の子にも、ある。

トランスジェンダーについては、別に、詳しく書くことにする。

男の、変化は、女のそれとは別に、実に大きな差異が存在する。
少年から、青年、成人、そして、老年に至る、肉体的変化は、精神的な変化が、伴う。
女の、発達の推移とは、明らかに、異なるのである。

性ホルモンによる制約は心的な制約と密接につながっているのである。
エーリッヒ・ノイマン

母親との、原初の関係から、身を引き離して、それに対する、客観的認識に至ることにより、初めて、男性的といわれるものが、自己発見と、自己確立を達成する。
これが、うまくいかない場合は、母権的な近親相姦の段階で、去勢されると、いわれる。

意識の発達における最初の段階というものは、そもそも女性的なものから男性的なものが、母親から息子が、離脱することにほかならない。
エーリッヒ・ノイマン

これにより、男は、深い孤立感というものを、抱くようになる。
孤立感は、自我の目覚めである。
男は、自分が、孤独な存在であることに、気づくのである。

母からの、分離が、男の成長であり、男の孤立感を深め、更に、孤独感に至るのである。
だが、逆に、この孤独感が、男を、生きようとさせる原動力にもなるといえる。

それでは、女は、どうか。

女性においては自己発見は始めから存在している。なぜなら、女性にあっては自己発見と本源的関係とは一致することができるからである。
ノイマン

女は、本源的関係の中に留まり、その中で、自己を発達させ、自己に到達できる。
つまり、生きやすいのである。
自己疎外という感覚も、抱くことがない。

男が、この状態に置かれることは、去勢の危機に晒されるが、女は、それでいいのである。

女性における根本的状態が、自己発見と本源的関係との一致である以上、女性は初めから、自然のままなる全体性と完結性に恵まれているのに対して、男性はこれが欠けているのである。
ノイマン

男の中にも、女性性があり、女の中にも、男性性があると、発見したものは、ユングである。

その、男性性と、女性性というものも、母性というものから、生まれている。
生む力のあるものは、母性なのである。
つまり、母性からは、逃れなれないのが、人間の、セクシャリティであると、いえる。

母性からの分離が、男性であり、母性との、同一性が、女性である。

肉体的にも、心理的にも、完全な男というものは、存在しないと、早々に結論づけておく。

それでは、男性性は、何によって、支えられるのか。
私は、それは、マスターベーションであると、言明する。

マスターベーションにより、男性性は、回復する。
この、エッセイは、性について、である。
性から見た、男性性というものを、掲げるならば、それ以外に無い。
女が、唯一、理解できないものは、射精感覚である。
それが、また、男の唯一の、頼みの綱でもある。

射精感覚を、追及して、男が、築き上げたものとは、何か。
それが、人類史を、創ったとも、いえる。

射精感覚が、無ければ、男は、すでに、この世に、いなかったと、いえるのである。


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神仏は妄想である 157

日蓮の、絶対主観主義は、まず、念仏宗に、向けられる。
この、現実を見ずに、極楽往生という、妄想の世界を求めている念仏宗は、何事かということである。
法然に対する、罵詈雑言は、甚だしい。

さらに、苦悩に喘ぐ人々を助けることのない、本覚思想も、何物でもない。

そして、何を思ったのか、法華経を流布することによって、この現実世界を、変革するというのである。
それの、端的な方法が、題目である。

おかしいでしょう。
念仏などしていて、この現実世界を救えるか、と言いつつ、それと、同じように、題目を唱えて、この世に、浄土を、建設するというのである。

念仏は、死後の世界で、日蓮は、この世に、浄土である。
違うように、見えるが、彼の行動を見れば、実は、同じことなのであるが・・・

だって、日蓮は、何も、していないのです、よ。現実世界に。

その前に、法華信仰でも、その行を唱題するという行為は、平安期から、持経者と呼ばれる、民間の布教者たちによって、行われていたのである。
それは、下賎な人とも言われる人々に、広められていた。
簡単な、方便の行と言われて、正統的な、仏教からは、度外視されていたのである。

それを、日蓮は、取り入れた。

面白いのは、日蓮の、法華経の読み方である。

法華経は、釈迦が、仏滅後に、衆生を救うために、この経典を、地湧 じゆ、の、菩薩に、授けたとある。
しかし、末法の、それも、何も知らない衆生が、出来ることは、知れている。
仏が、万人の成仏を願い、この経典を授けたと、信じれば、どのうよにすれば、いいのだろうかと、考える。最も、易い方法である。

題目、それだと、直感的に、悟ったと、言うが、思い付きであろう。
念仏も、あるし、ね。

日蓮が、佐渡に流された時、更に、その考えを深めて、とんでもない、妄想を起こす。

つまり、仏が、授けた法とは、実は、法華経ではなく、その題目だったというのである。

それでは、ここで、法華経について、書きたいところだが、それをすると、膨大な量になるので、後にする。

日蓮の、思い込みは、自分が、法華経の地湧の菩薩だと、信じたことである。
勿論、それまでも、我が、我がという意識、自己意識肥大は、十分にあったが、受難を受けて、さらに、精神的に、変調をきたしたのである。

例えば、あの、鎌倉時代である。
時の執権北條氏に、念仏攻撃を超えて、それを、許している、幕府の過ちを正すと、立正安国論を提出するというのであるから、仰天である。
心ある、学者は、宗教レベルを超えて、念仏のような邪悪な宗教を、野放しにする、鎌倉幕府に、訴えるという、行為である、と書くが、そんなものではない。あまりに、道を外している。要するに、狂気である。

とても、通常の神経ではない。
その時代の、身分感覚から見ても、信じられない行為なのである。

その、提出した後で、すぐに、念仏宗が、日蓮を、襲う。
それは、幕府の誰かが、目を通して、とんでもないことを、書いていると、念仏宗に、教えたのであろう。

ここで、何故、日蓮が、幕府に対して、そのようなことが、出来たのかという、問題に、ズレた、感覚の者が、日蓮の出生の秘密があるという。
それは、やんごとなきお方の、落胤ではないかというものである。

漁師の息子などではない。実は、日蓮は、公家の血を引くもの、など等の説である。
故に、幕府は、無視出来なかった、云々である。

事後預言ならば、何とでも言える。

仏法の、良し悪しを、正しく判断し、正法をもって、国を安泰にすることこそ、幕府の役割である。との、忠告は、気違い沙汰である。

それは、地獄に落ちる行為であると、高々と宣言するという様。
時代が、違えば、病院行きである。

中世はみだりに他宗を誹謗することはタブーの時代だった。まして権力批判など問題外である。一時期アウトローとみなされていた法然流の専修念仏も、この時期には体制仏教の一翼を担っていた。その根絶を主張し、幕府の怠慢を言葉鋭く糾弾し、北條時頼や後鳥羽院が地獄へ堕ちたと公言する日蓮は、客観的にみれば明らかに許容される一線をふみ超えていた。日蓮がみずから望んで嵐の中に突入していくのである。
佐藤弘夫 偽書の精神史

それを、法難というから、呆れるのである。
日蓮は、仏陀の教えを知らない。
自業自得、因果応報。
中道の心。
戦うのではない。戦う場所から、逃れるのである。それが、仏陀である。

仏教の中で、日蓮宗系は、兎に角、戦うとい言葉が好きである。
仏陀の、教えを知らない。
しかし、正法である、仏法であると、言う。
こういうのを、手がつけられないと、言う。

日本政府は、どこかの、無人島を、日蓮宗系の人々に、開放し、そこで、好きなだけ、題目を上げて、意気揚々と生活できるように、すると、いい。
そこでこそ、仏法の国であると、認めて、日蓮島として、特別地区に指定すると、いい。

日蓮を見ていると、信じるという行為の、最極端を見るようである。

伊豆に流罪の前後から、法華経の行者であると、名乗るようになり、更に、激しく、すべてを、批判した。いや、非難である。

法華経は、最高の法である。
その、正法を、信奉する、我が、何故、このような、受難を受けなければならないのか。
すると、法華経には、なんと、自分のことが、書かれているではないか。

つまり、仏滅後に、この経典を、実践する者、三類の強敵が、現れて、様々な試練が、降りかかるというものである。

私は、何度も、信仰とは、極めて個人的な情緒であるゆえ、それに対して、否定することは、無いと、言った。
しかし、盲信、狂信、という、逸脱した、勿論、信仰は、一度、逸脱して、冷静な意識に戻るものであるが、それを、続行させる意識とは、病である。

法華経とは、ファンタジーである。
当時、書かれた時代の、ファンタジーである。

真理とか、真実などというものは、星の数ほどある。
唯一とか、正法とかは、信じる人のみに、通じることである。

正気に戻れ、と、言う。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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