2008年09月03日

ベトナムへ 3

成田から、ベトナム航空に乗り、ホーチミンに到着したのが、現地時間で、午後二時半である。
日本時間では、午後12時半。
二時間、早い。タイと、同じである。

バンコクに向かう人が、このベトナム航空を使う。

私は、ホーチミン三泊の予定である。

速やかに、入国審査を終えて、ベトナム、ホーチミンに出た。
ベトナム空港の前から、タクシーに乗る。

荷物を持って出ると、必ず、タクシー、タクシーと、近寄って来る者あり。
ハウマッチ。
15ドル。

ちょっと、待って、と、向こうにいる、お姉さんのいる、タクシー乗り場に行く。
ハウマッチ。
8ドル。

何で、15ドルと、8ドルなの・・・
勿論、8ドルの方に乗る。

ベトナムでは、ドルと、ベトナムのドンが、両方使えるのである。
これがまた、私の頭を、こんがらかせるのである。
一ドル、15000ドンである。
つまり、日本円の百円が、約一万五千ドンなのである。

これで、私は、老化防止をする。

タクシーに乗り、知った風に、行き先を告げる。
初めての、場所である。
一泊、22ドルの部屋のある、ホテルの名を告げる。

22ドルは、約2200円である。
そのホテルは、無かった。というより、名が変わっていた。
ある、旅行雑誌に、出ていたホテルである。
しかし、何とか、そのホテルであるということで、探し当てた。

兎に角、二人で、泊まるダブルベッドの部屋が、空いていた。

東南アジアの国は、一部屋の料金である。
一人につきの、料金ではない。
一つの部屋についての、料金である。

日本の、ビジネスホテルの、シングルルームの広さの部屋だった。しかし、設備は、整っていた。
綺麗な部屋である。

しかし、後の、二泊は、他のホテルにしようと、思った。
もっと、安いホテルがあると。
その付近は、多くのホテル、ゲストハウスがある。

夕方の、ホーチミンである。

まず、用意するものは、水。
水を買うために、荷物を置いて、外に出る。
ホテルの前に、コンビ二がある。

ベトナム、ドンでの、買い物である。
空港で、一万円をドンに替えた。
約、150万ドン。

水は、五千ドンから、一万ドンまである。
一番安い、五千ドンの水を、二本買う。
そして、周囲の状況を見るのである。

コーヒーを飲むために、一件の店に入る。
ベトナムは、コーヒーの国であると、知ることになる。
ブラックコーヒー。
驚いた。
出てきたコーヒーの、味は、抹茶のようなもの。コーヒーのエキスのようなものである。
初めて、コーヒーのそのままを、味わった。
コーヒー本来の、甘さである。

非常に濃い。その濃い加減が、コーヒー本来の、甘さを引き出している。

私は、お湯を、貰った。お湯で、割るのである。
到底、飲めないのである。
濃すぎる。

ベトナムは、コーヒーの産地で、有名である。

茶の湯を、やっていたので、茶本来の味というものを、知っていたことが、幸いした。
苦味にある、甘味である。
そして、その、香り。
ベトナムでは、それが、当たり前のコーヒーなのである。

支払いの時、二人分で、三万ドン。約、200円である。

支払いの後で、私は、いつも、ドルに換算し、そして、日本円に換算した。ボケない、頭の体操である。

さて、ベトナムで、最初に食べたのが、フォーである。
米の麺による、スープ麺。
薄味で、実に美味しく感じた。
何も、味付けをせずに食べて、私は、十分だった。

最初は、レストランのような店で、食べたが、それからは、屋台、路上で店を出している所で、食べた。
一万ドン程度、つまり、75セント、約75円である。

朝の食事は、フランスパンと、玉子焼きで、二人で、八千ドン。
二人で、百円もしない、朝食である。

フランスパンは、どこにでも売っていた。
フランスの植民地時代に、ベトナムの食生活が、大きく影響を受けたのである。
一本の長さが、日本で売られているものより、半分である。
もう少し食べたいと、思う量だ。

泊まったホテルは、9月23日公園の近くで、有名なベンタイン市場にも、歩いて10分の場所で、ホーチミンの中心部である。
旅行誌では、フアングーラオ通り付近となる。

そこは、ホテルや、ゲストハウスが、混在している。
三泊の予定だったので、翌日からは、もっと、安いホテルを探し、二泊することにした。

ただ、小路を歩いて、とんでもない場所にも、ホテルがあることを、知った。
庶民の、買い物通りのような場所に、突然、ホテルがあるというもの。

細い路地に、所狭しと、肉や野菜、生活必需品が、売られていた。
観光客は、決して行かない小路を、私と、スタッフは、歩いた。

勿論、着物を着ているから、日本人と、すぐに解る。
ベトナム人は、笑わないと、知った。
特に、戦争体験者の世代は、ニコリともしない。
その、彼らに、微笑みをもたらしたものが、縫ぐるみであったという、驚き。

同じ路を通ると、私に手を上げたり、微笑む人が、現れた。
インターネットカェフに入ると、お姉さんが、何と、私の持ってきた、縫ぐるみを、二つ持ち上げて、私を歓迎した。
小さな、二つの縫ぐるみを、私の知らないうちに、持っていた。

一変に、無くなった時、彼女も、手を出していたのだろう。

それから、物売りのおばさんたちが、また、親切にしてくれるのである。

ホーチミンの人は、何かあると、必ず、二三人が、寄って来るようになった。
言葉は、解らないが、色々と説明してくれるのである。

ベトナムには、二度と行きたくないという人もいる。その気持ちも、解る。笑わないベトナム人は、怖いのである。
しかし、それも、打ち解けると、変わる。
ただし、二三日の旅では、それ以上を知ることはない。
だが、人間である。
タクシー運転手が言う。
良い人もいる。悪い人もいる。
どこも、同じである。

縫ぐるみと、衣服を街中で、配ったことで、次に行く時は、私を知る人がいるというのが、楽しみである。

ある小路の前で、衣服の大きなバッグを持った私に、やーというように、声を掛けて、案内する、屋台のおばさんがいた。
案内した先は、小路の中にある、小さなホテルである。
私が、ホテルを探していると、思ったようだ。
そんな、親切は、考えられないという、ベトナム人である。だが、矢張り、人情は、健全にある。

私の活動を見ていた、屋台のおばさんたちは、実に親切にしてくれた。



posted by 天山 at 12:36| H20.09 ベトナムへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

性について 33

割れ目を、閉じてしまえば、出口がなくなる。
ペニスは、どうして、作られるのか。

尿路の形成についても、女の構造の、基本仕様なのである。

ミュラー管は、膣、子宮、卵管を作る。
そして、ミュラー管と、平行に走る、ウォルフ管は、男では、精管になるが、女では、無用である。

だが、一つだけ、用途がある。
それが、尿路の形成である。

ウォルフ管の開口部に近い場所に、そこから別の分岐路が奥へと陥入をはじめ、通路を形成する。
これが、尿路、尿道である。

この、通路は、膀胱という、貯水槽を作り、上へ伸びて、後に、腎臓となる細胞になる、地点まで、達する。

膀胱から、腎臓までの、尿路を、輸尿管という。

さて、この女の、ウォルフ管は、尿道との、分岐以降は、使用用途がないゆえ、退縮していく。

男の場合は、精管になる。

尿路は、精管から派生し、出口付近では、尿路は、精子の通り道として、使用される。
尿路が合流した、女のウォルフ管の出口は、割れ目になって、外に通じる。男の場合は、割れ目を、肛門の側から、縫い合わせて、膣口を閉じたゆえに、左右の、大陰唇を閉じ合わせた、陰嚢、玉袋を作ったのである。

そして、男の場合は、ウォルフ管を完全に縫い合わせると、尿も、精子も、出るところが無くなるので、尿と、精子の出る通路が出来る、細い空洞を残しつつ、割れ目を閉じていったのである。

このとき、使用された、組織は、女の小陰唇である。
小陰唇は、柔らかい、海綿状の組織で出来ている。
その、網目の毛細血管に、血液が流れれば、海綿体は、膨張して、大きくなる。
それが、ペニスである。

さて、内部に、細い管を作りつつ、小陰唇を左右に、縫い合わせると、三角形の突起に、突き当たる。

小陰唇を縫い合わせた、棹は、最後に、三角形の突起を拾い上げて、その先に、乗せた。そして、その下に、通路を空けた。テストステロンの作用が、これらの企画に、影響を与えて、細胞の増殖を促進し、造形を太く、長くした。
これが、ペニスである。

三角形は、チンチンの、亀頭である。

これが、女から男へと、カスタマイズされた、明々白日な、証拠である。

すなわち、生命の基本仕様は、女であるということ。
そして、それゆえ、女の方が、完全であるということ。
男は、不完全なものであるという、生物学的検証である。

人類の、進化の過程と、合わせて、考えると良い。

どこの、地域でも、長寿は、女である。
男より、五年から、十年以上長い。つまり、生命力が強いのである。

そして、それは、精力が強いということである。

一人の男が、二人の女を相手に、セックスをすると、とんでもなく、疲れる。
しかし、女は、三人相手にしても、たいしたことはない。

サンピーという、乱交があるが、その常識的関係は、男一人と、女二人である。

経験者からの、話を聞くと、体力だけではなく、精神的にも、気を使い、大変であるという。勿論、個人差があるから、楽しむ男もいる。

一日、別々の時間帯で、三人の女と、セックスは、出来るが、同時にするということは、大変な労力である。

何を言いたいか。
女の方が、強いということである。
セックスも、である。

更に、後で、性差による、脳の働きを見るが、そこでも、女の能力は、男より、現実的で、優っている。

では、男は、すべてにおいて、女より、劣るのかといえば、そうではない。

男は、その弱さゆえに、言葉という、観念を作り上げ、更に、欲望の強い女に、媚を売りつつ、支配者として、立ったという、歴史的事実がある。

ただし、権力者となった、男たちは、実に、男を愛したという、事実がある。
何ゆえか。
女は、信用出来ないからである。

女の操という、考え方は、後々のこと。
男は、女の膣に、飲み込まれてしまうという、恐怖をいつも、持ち続けていた。

女は、魔物だとは、宗教の愛好者がよく言うことである。
女の膣にかかれば、男の気など、いくらでも、抜くことが出来る。それを、智慧のある男は、知った。

知るということで、男は、女と、距離を置いた。

女を恐れるあまりに、少年を愛し続けた、男たちも、大勢いる。
宗教愛好者は、女を恐れて、いつも、少年の、お尻を使用していたのである。

更に、女色、にょしょく、にょじき、と言って、それを、罪と定めたのも、女の膣が、怖いからである。

女の膣の、感触を、ペニスで覚えた男は、そこから、離れられなくなる。
そして、捕らわれ、拘り、自縛する。

強きものは、女。
弱きものは、男。

女の解放か、はじまった、今、女が、男を買う、求める。
私のアドレスには、毎日、百件程の、あなたを、買いますという、案内が来る。
童貞募集というものまである。

セレブな人妻、経営者、その他大勢の、女たちが、男を漁り始めた。
男は、無料でいいですよ。
女の会員が、維持しています。

そこで、男たちは、どうしているか。
セックスは、御免だ。
ごく普通の男は、そのように思う。
少し、知能の低い男が、やって、金をもらえるぜ、と、チンチン立てっぱなしで、励むという。

兎に角、セックスペットがあれば、いいというから、時代である。
ついに、男が、女の、セックスペットにされるという事態である。

更に、である。
決して、女は、セックスペットの男の、子供は産まない。
精子バンクから、優秀な男の精子を買う。

あれ程、励んで、射精しても、それが、結果にならない、セックスを男が、繰り返すと、狂う。

この、進化を、誰が、どのように、導くのか、非常に興味がある。

しまいに、男は、いらない。
女だけで、子供を産むという、時代、世紀が登場する可能性もある。

精子を、複製して、子種をいつも、キープするという、女の作戦である。

posted by 天山 at 00:00| 性について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 152

道元は、深草安養院に、31歳から、34歳の、三年間にわたり過ごした。
その時に、道元の跡を継ぐ、三歳年上の、懐奘 えじょう、が、日本達磨宗の門人を引き連れて、入門する。正法眼蔵隋聞記を、著した。

1233年に、同じ地の、興聖寺に、僧堂を設けて、約十年、指導しつつ、正法眼蔵を書く。

しかし、比叡山の迫害が、激しくなり、越前、志比の庄の、寺に移る。

寛元元年、1243年、道元、44歳の年、吉峰寺で、執筆に励むのである。

そして、現在の、永平寺の土地に、新しく、伽藍を建てる。
寛元二年、七月、吉祥山大仏寺が開堂する。

ここで、厳格な、禅林の規則を定めて、寛元四年、六月、大仏寺を、改め、永平寺とする。

永平寺知事清規という、生活規則を、作る。

しかし、道元は、仏陀を知らないゆえに、厳しい修行を、続ける。
仏陀は、中道の心を説いた。
それは、出家者にもである。
偏った、修行は、するな。
疲れさせたり、行過ぎるなと、教えた、仏陀を知らない故に、健康を、害する。

建長四年、1252年から、具合が悪くなり、養生のために、京に上がる。

高辻西洞院の、俗弟子、覚念という者の、邸宅で、建長五年、八月二十八日、五十四歳にて、没する。
正式には、入寂である。

入滅ともいう。
滅とは、仏教では、安心の境地である。

最後の漢詩の、それを、ゲというが、その一節
活陥黄泉 である。
生きながら、黄泉に陥つ、というのである。

活陥成仏、ではない。
黄泉とは、我が国の、死後の世界である。

そして、辞世の句

また見んと おもいし時の 秋だにも 今夜の月に ねられやはする

またみんと おもいしときの あきだにも こよいのつきに ねられやはする

もう一度、見たいと思うであろう、秋の月である。
今宵の月に、ねられやはする、とは、何か。

ねられや は する
眠られる、のか、眠られないのか。
きっと、眠られるのであろう。
いや、文法では、ねられやの、や、とは、係助詞である。反語であり、疑問である。
すると、ねられようか、いや、ねられない、という意味になる。だから、月を眺めて、眠られないだろうと、言うのである。
眠られるだろうか、いや、眠られない。

この月を、眺めて、静かに、眠りに入りたいものである。そう思いたいが、どうも、迷いがある。ねられやはせず、だったのではないか。何故、やはする、と、なったのか
勿論、や、と、せず、となると、意味合いは、変になる反語の反語、疑問の疑問である。
しかし、詮索するのは、止める。

大和心に、抱かれて、道元は、我が人生、その戦いの人生を、見つめた。

母の胸に、抱かれたかっただろう。
早くから、親に死に別れて、どれほど、辛い思いをしたのか。

求めるところは、母の胸であり、あの、尊敬すべき、父である。

親の懐に、抱かれる、安心の境地は、事実である。

妄想の、存在は、そこにはない。

誰か知る
かの道元の
胸の内
作為を超えて
親の元へと

私は、道元の生き方を、尊敬する。
敬意を表する。

一筋という道を、見つめて、ひたすらに、生きた。
そして、我がために、書き続けた。
我が、読むべきものを、書き続けた。

一番の、読者は、私なのである。

私が、私に読ませたいが、故に、渾身の力をもって、書き続ける。

それを、大和心という、親心が、抱き寄せてくれる。
そこには、父あり、母がいる。

父と母の存在は、事実である。
これに、適うものなどない。

たとえ、アホでも、馬鹿でも、間抜けでも、親がいる。

道元を、死の世界へ、導いたのは、仏でも、勿論、神でもない。
父と母である。

仏への道を、一筋に、歩むべくして、歩み続け、最期の時は、父母の胸に抱かれて、逝くのである。
それは、信じるというものではない。
事実である。

今夜の月に ねられやはする
私見である。
道元の、月は、最後に、父母となった。
父と母の、傍で、眠りたい。
それで、いいではないか。

心理学という、未熟な学問があるが、それでも、相当な、人間の心の世界を、観るものである。
道元の、仏は、父母に、至ったのである。
あれほど、身を清く生きたのは、父母への、思慕である。
誰も、それに、気付かないほど、仏教、禅というものに、迷うのである。

道元の、著作に、一言も、父母のことが、無い。
何故か。
触れられない程、恋しい人であった。

孤児の、心境の解る者は、それを、知る。

実は、鎌倉仏教の開祖で、父母のことに触れたのは、親鸞のみである。
父母のために、念仏しないという、歎異抄の言葉である。
自分が、成仏したなら、真っ先に、父母を、救うでろあうという。
そこが、愚かである。
自業自得なのである。
誰も、救うことは、できない。また、仏にする事も、できないのである。
仏陀は、そう、言った。

法然も、道元も、日蓮も、父母のことは、言わない。
以下、他の、開祖も、言わない。

彼らの、仏の実在は、父母であった。
私は、それを、知る者である。

皆々、若い、青臭いのである。
それで、いい。

父母無くして、我の存在があったか。
木の股から、誰が生まれる。
人は、母の股から、生まれるのである。

仏陀も、女の股から、生まれた。

道元を、終わる。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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