2008年09月07日

ベトナムへ 7

ベトナム共産党の、計画経済の話を書いた。
そして、それを、市場経済に移行するという、試みが、なされた。

ドイモイ、という、刷新経済である。
今までは、国が、丸抱えでやってきた、国民は、非常に戸惑ったはずである。
何せ、お金など、使用することがなかった人々である。

その混乱は、余りある。
1986年12月からの、市場経済の様を、俯瞰してみる。

確かに、ドイモイ政策が、軌道に乗り出すと、ベトナムは、少しつづ、インフレから脱し、市場経済システムが、うまく推移して、ある程度の体制が、整えられた。

1989年に、東西冷戦状態が、終結して、社会主義は、機能しなくなる。
市場経済を導入して、それを成功させるべく、歩むこと以外に道がないことを、知ることになる。

ベトナムは、カンボジアとの、和平の成功もあり、国際社会は、ベトナムに対する、経済制裁を解除して、国際社会への、復帰を促した。
それは、実に、良きことだった。
国際社会から、孤立しては、どうしようもない。
未だに、国際社会から、平気で孤立し、国民を、塗炭の苦しみに、追い込めている、アホな国もある。

勿論、共産主義を、掲げて、全体主義にある、国である。

最も、ベトナムの、経済を変容させたのは、アメリカとの、関係だった。

その前に、1991年に、中越戦争以来断絶していた、中国との国交を正常化している。

ベトナム戦争終結して、20年を経た、1995年7月、長い交渉の末に、アメリカとの、国交正常化が、成立した。
その直後、アメリカの承認を受けて、アセアンに加盟することが、許された。

これにより、国際社会に、完全復帰したのである。
最大のポイントである。

1996年以降は、インフレも、4,9パーセントと、安定する。
年間GDP成長率は、約7パーセント。
一度それが、下がったのは、97年の、タイからはじまった、アジア通貨危機の時である。

そして、21世紀に入ると、成長率7,5パーセントと、堅調な経済成長である。

一人当たりの、平均所得が、二倍以上になるという状況である。
ドイモイ政策の直後は、一人当たりの、GDPが200ドルだったのが、2006年の、20年後は、約600ドルになるという状態である。
20年で、三倍になるというのは、僥倖である。

ただしである。
世界の基準で見ると、年間200ドルというのは、一日50セントであり、一日一ドルという基準を満たしていない、極貧である。
それが、三倍になって、一ドル50セントになったというもので、貧しさは、極貧から、抜け出たということである。

ちなみに、日本の場合は、2006年の、一人当たりは、三万五千ドルである。
五十分の一の、GDPである。

国連開発計画が、毎年発行している、人間開発指数というもので見れば、日本は、大体、十位以内にあり、ベトナムは、2005年で、177カ国の105番目である。

しかし、国民の生活は、確実に、豊かになったといえる。
国民の生活を、ミクロ経済という。
全体経済を、マクロ経済という。
マクロでは、問題があっても、ミクロでは、改善されたと、考えていい。

ただし、である。

ここからが、ベトナムの大きな、問題である。

この、二十年間の経済を、俯瞰すると、発展、成長といっても、実際は、経済の根本を、築いていないというのが、実感である。

ベトナム自体が、新たなる産業を起こし、国際的に通用するような、物を生み出していないのである。
発展成長は、単に、外国政府からの、ODA、そして、国際金融機関の融資、外国企業の、直接投資などによるものであり、外国からの、支援や、投資によって、輸出額が、伸びているだけである。

その間、ベトナムがやったことは、石油、米、コーヒー、海産物、野菜、果物などの、一次産物の輸出だけである。

つまり、ベトナム経済の発展成長とは、幻想なのである。

経済成長著しいベトナムの、云々というのは、嘘なのである。

ベトナムには、実は、一次産物しか無いのである。

原油産出が、年間1200トン以上あっても、自国では、精製出来ず、シンガポールに輸出し、そこで、精製されたものを、輸入しているという、仰天。

そして、大規模な製鉄所が無いために、ほとんどの、鉄鋼製品を輸入しているのである。

産業化出来ないということは、蓋を開ければ、実は、何も無いということと、同じである。

これについては、戦争後遺症を、見なければならない。
実は、ベトナム戦争を、私は、語りたくないのである。
それには、大きな負い目がある。

私自身の問題ではない。
日本の、ベトナム戦争に対する、態度と、平和運動をした者どもの、怠慢やるせない、怒りの思いがあるからである。

例えば、あの頃、ベトナム戦争反対を掲げた世代は、今、何をしているのだろうか。
青春の思い出として、思い出しているとしたら、アホ、馬鹿、間抜け、もう一つ、ついでに、自害して果てろ、である。

平和行進など、誰でも出来る。
サルでも、犬でも、猫でも、出来る。
ベトナム戦争を終結させたのは、誰であろう。
ベトナム人である。

途中で、誰も止められなかった。
そして、それは、日本の太平洋戦争にも、行き着く問題なのである、私には。

最新兵器の、アメリカとの、戦いに、ベトナム人は、着の身着のままで、戦った。
特に、南で戦う民族戦線のベトナム人は、アメリカ軍から略奪したり、闇市の横流しされた武器を使うという、ゲリラ戦を、戦った。

それを、調べて、私は、反吐が出た。

アリと象の戦いと、言われたという。

それでも、ベトナムは、アメリカを大敗させた。
その、ベトナム人の、戦闘的能力は、どこから、くるものなのかと、私は、ベトナムに、ベトナム人に、非常に興味を持ち、更に、畏敬の思いに溢れた。

ベトナム人と、友人になれば、世界に怖いモノ無しであると、思った。

嫌でも、ベトナム戦争を見渡し、そして、日本が、ベトナムと、特に友好関係を結ぶことを、考える。

タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、インドネシア、マレーシアなど、東南アジア、東アジアとの、連携が、日本の存続に関わる、大事なのである。

そこまで、この、ベトナムの旅日記で、書こうと思っている。
ただし、これが最後のベトナムでははない。
最初のベトナムである。

足繁く、ベトナムに通い続ける覚悟があって、こうして、検証して、書くのである。


posted by 天山 at 12:38| H20.09 ベトナムへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月08日

性について 38

1926年の、カトリック神学辞典の中で、十戒の六番目の、戒律に対する違反として、色欲の罪が上げられる。
その中では、男色と獣姦と並び、遺精とオナニズムが大きな位置を占めている。

純潔というものに対する、罪は、細かく分類されて、外的罪と、内的罪とが、区別され、完遂された罪と、未完の罪とに、分けられた。

更に、完遂された罪の中でも、自然に合ったものと、自然に反するものとに、分けられた。
遺精と、オナニズムは、自然に反するものである。
ここでは、遺精は、マスターベーションを意味する。
オナニズムは、婚姻における、生殖の義務から、逸脱とされた。つまり、中絶性交である。

批判を、加えずに、キリスト教の経緯から、その罪の有様を見ると、教団の創成期の頃は、周囲の状況から、キリスト教は、諸々の異端と、対決しなけばならなかった。

そのために、使える哲学的道具をすべて駆使するということになる。
古代教会における禁欲運動の、エンクラティス主義、グノーシス派、マニ教は、人間を、神と、悪とに、引き裂かれた犠牲者と考えた。それを、キリスト教も、採用した。

しかし、そうすれば、この世を拒否し、否定することしかなくなるのである。

初期の、キリスト教の神学者たちは、悪の根源を説明することが、要求された。
そこでは、プラトンの、イデア論が、採用されることになる。
また、古代ストア学派も、参考にされた。

それから、数世紀を経て、人間の体というものに対する、議論がはじまる。

紀元5世紀になると、アウグスティヌスによって、人間の罪は、その体にあり、人間は罪を持つが故に、その性的本能を支配できないものであると、される。

この場合の、悪とは、性のことである。
ここで、性は、悪であるとの、徹底した決定がなされたといえる。

西洋キリスト教の、原罪いという意識は、端的に、性を中心とされた。
実に、聖アウグスティヌスの、悲観的見解に、陥ってしまったのである。

かくして、人間の本性が性的快楽を恥じるものであることは疑いようもない。そうであればこそ、生殖器をそのただ一つの衝動に服従させ、意志の権威から引き離す、この情熱の激しさを見れば、最初に不服従の罪を犯した人間に対する罰がいかなるものであったかは十分に察しがつく。身体の中でもとくに、最初の大罪によって汚された人間の本性がはびこるこの部分に、罰が与えられねばならなかった。
アウグスティヌス

キリスト教の第一世代が、体験した、この性の悲劇は、その後の、キリスト教の、底流を流れるものになる。


単なる、一人の聖職者の、思いつきでの、悪と性と、罪と性と、さらに、罰などが、語られるという、悲劇である。
ちなみに、アウグスティヌスは、聖職者になる前は、さんざんに、彼の言葉で言えば、不道徳な生活に、堕落していたのである。

更に、加えておけば、新約聖書における、パウロの思想が、悪イコール性というものとして、決定されている。

新約聖書の中で、イエスは、肉からきたものは、肉であり、神の霊によって、生まれ変らなければならないと、言う。
勿論、それは、イエスキリストの言葉ではない。
それぞれの、聖書作家の属する、団体の、思想である。

ただし、精子の存在は、その頃は、知らない。

精子の存在が、明確にされたのは、17世紀後半である。
ハム、レーウェンフック、ハルトゼッカーによって、ほぼ同時に、発見されたのである。

更に、卵巣の発見である。

だが、精子と卵子による、受精の発見は、1875年まで、待たなければならなかった。

キリスト教だけではなく、宗教というもの、全般に渡り、人間の行動に関する禁止要綱を、次々に設ける。
そして、その最も重要視にされるのが、性なのである。
何故か。
要するに、良く解らないからだ。
そして、その欲望を抑えてしまえば、簡単に、支配することが、出来るということである。

その、蒙昧に、瀕して、今でも、宗教というのが、在るという、不思議である。

人間存在の、本源的、根本的な意味に寄与する、性というものを、悪とか、罪に、結びつけるという、傲慢は、計り知れないのである。

マスターベーションの、西洋での、幕開けは、何とも、悲劇的であり、そこからまた、更に、悲劇が、起こるという、悲劇である。

自然に反する行為、マスターベーション行為をめぐる騒動は、婚姻における性についての、古典的見解を見る必要がある。

秘蹟、子孫、信頼が、アウグスティヌスが、言う、結婚の目的である。
キリスト教は、精神性の、重要な要素を、強調していた。

生殖に関することは、単に自然に対する侮辱だけではなく、神の創造行為に対する冒涜なのである。

こうして、精液は、崇められ、その体液を、一滴たりとも、無駄にしないことが、最も重要な関心事となるのである。

中世の贖い一覧表には、驚くべきことに、性交体位まで、細かく忠告するという。
女性器への、正しい精液の拡散を害する、恐れがある、体位を罪とするのである。

後背位や、女上位は、大罪。
更に、性交後、女は、小便をするな。
肛門や、口を使用する行為は、思い罪が課せられる。

ところが、まだまだ、手ぬるいと、夫婦の寝室に土足で上がりこむ程の、性行為に対する、干渉を繰り返すのである。

それは、17,8世紀に、最高潮に達する。
またそれは、20世紀の初頭に至っても、続くことになる。

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神仏は妄想である 159

「立正安国論」にみられる日蓮の抱いた疑惑そのものは必ずしも新しいとは言えない。・・・
そこに古代風の「鎮護国家」にむすびついた一種の「神国思想」がみられる。また内乱を通しての犠牲者と、そこに生ずる無常観は当時の誰しも抱いたところである。或いはなぜ天災地異がくりかえされるのか。鎌倉の大地震や、疫病飢餓の発生を深く憂えているが、これも当然のことだ。内乱と天災と疫病と、歴史とは恐怖の歴史だとい実感に立っていることは、いずれの出家にも共通している。
亀井勝一郎


文応元年、1260年、日蓮、39歳の時、北条時頼に、立正安国論を、提出している。

その中で、驚くべき日蓮の、稚拙さは、誤った神仏を拝むからであるという、ことだ。
国家が、題目を選択して、皆、題目を唱えれば、国家安泰であるという、実に、飛躍した、病ともいえる、提言である。

日蓮は、歴史を、お勉強する暇が、なかったといえる。

正しい教えこそ、国を救うという、鎮護国家と、国家が、奨励する、正しい教えを言う。
それは、国会戒壇である。つまり、国の戒壇を法華経に置けということである。

この、無茶苦茶な、言論に、果たして冷静に、対処できるだろうか。
様々な問題を抱えて、日夜、様々な方法を指示しなけばいけない、為政者が、真っ当に、受け入れることが、出来るだろうか。

空海と、比べると、非常に、稚拙で、劣る行為である。
空海は、決して、そのような方法ではなく、既成事実として、着々と行為した。
天皇の目の前に、寺を建てる。
私には、これだけの、力がありますと、内外に、広告宣伝するという、やり方である。

どちらが、大人か、一目瞭然である。

さて、私が、思うに、何故、念仏宗、特に法然を攻撃し、更に、道元禅を、攻撃したかである。

浄土宗は、釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏と思ひて、教主を捨てたり。禅宗は、下賎の者、一分の徳有て父母を下ぐるがごとし。仏をさげ、経を下す。これ皆本尊に迷へり。
日蓮 開目抄

モンゴルが襲来した時、真言宗、その他の、祈祷が全く無意味であると主張した。
ただ、法華経によってのみ、国難を救うことが出来るというのである。

日蓮は日本国の棟梁なり。予を失うは日本国の柱を倒すなり。只今に自界反逆難とて、どうしうちして、侘国侵逼難とて、この国の人々他国に撃ち殺さるるのみならず、多くいけどりにせられるべし。建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏、長楽寺等の一切の念仏者、禅僧が寺搭をば焼きはらひて、彼らが頸を由比の浜にて切らずば、日本国はほろぶべし。
日蓮 撰時抄

このような、言葉を見れば、躁病的誇大妄想と、いえる。


まさに狂信独善の人という以外にないが、ただここで見のがしえない一事がある。それは実際に頸を切られそうになったり、流刑に処せられたのは日蓮自身であり、彼を迫害したもののなかに、徒党を組む念仏者が多かったということである。狂信独善の人のようにみえる背後に、実は日蓮の信仰の秘密がある。
亀井勝一郎


法華経の信仰は、何によって、身証されるかという、問題である。
それは、受難を、もたらすものでなければならなかったという、秘密である。

法華経に書かれる言葉は、法華経を広めるには、難が降りかかるという、実に、驚くべき詭弁がある。

迫害に耐えることによって、法華経の真実が、現れるという、信仰である。
別の言い方をすれば、マゾである。

日蓮は、躁病的誇大妄想の、自作自演を演じたということである。

今になってみれば、この、日蓮の無作法、病的行為を、皆々、やや肯定し、意志の人などと、持ち上げているが、生業である。

亀井勝一郎も
すべての信仰のめざしている「無私」を、彼も決して忘れなかった。
と、言うが、違う。

本当に、そうならば、日本国のために、勝手に、祈り、その安泰を願うはずである。
我、日本国の棟梁なりと、言うならば、何故、黙々と、日本国のために、祈らないのか。

俺を、認めろ。俺を、認めろと、言うのである。

私は、戦争犠牲者の追悼慰霊行為を、行っているが、そこでは、多くの人、淡々として、出来ることを、している人が大勢いることが、解った。
彼らは、世に訴えるより先に、行為行動している。
現地の人との、触れ合いで、日本兵が、お世話になったことを、身を持って、行為し、感謝している。
私は、それを、見る、聞く度に、明るい気持ちになる。
世に主張せずに、淡々として行為する者、その者こそ、日本国のために、行為しているのであると、観るのである。

日蓮は、何をしたのか。
何一つ、実績あるものを、為していない。
飢餓にある人々を、救ったのか。
死者を葬ったのか。

あの時代、黙々と、死者を、弔った無名の僧たちがいる。
そこから、葬儀が、僧侶に手になるという、事実がある。

私は、日蓮という、誇大妄想の、宗教家より、無名の、僧たちの、悲しみを、釈迦仏陀の、教えを、実行する者として、受け入れている。

様々な、問題を抱えた、為政者に対して、更なる混乱を、巻き起こし、自作自演で、迫害されたり、流されたりして、故に、日蓮の、仏法は、正しいなどと、ほざく様、だだ、見苦しいのである。

日蓮の言い方で、日蓮を評すれば、彼は、インド魔界の、バラモンの神々の系列を汲むモノが、指導して、日本を、混乱させるために、送られた者であると、言う。

日本には、あのような、破壊的な人物は、生まれない。
新しい時代を、切り開くために、織田信長という、破壊者を、生んだが、全く、それとは、意を異にする。

織田信長が現れなければ、日本の歴史は、実に遅れたであろう。
近代を、拓いたのである。
そして、役目を終えると、50を前に、死んだ。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベトナムへ 8

ホーチミンの市内を、歩いて驚くことは、交通状態である。
バイク軍団が、凄まじい。
信号が少なく、道路を、横断するに、決死の覚悟がいる。

バイク軍団と、車の様子を見て、向こう側に渡るのだが、走っている中に、身を置いて、歩くという、危険極まりない、横断である。
しかし、それも、次第に慣れてくると、スリル満点になる。

市民は、慣れているのか、平然として、車とバイクの走る道を横断する。
年寄りは、両手を上げて、渡る人もいる。

そして、ホーチミンの道路は、サーカスを見ているような、状況なのである。
何せ、一台のバイクに、家族全員が乗っていたり、大きな荷物を積んで、奥さんとおぼしき人が、後ろ向きに、その荷物を落とさないように、抱いている、という。

道路に面した、店先で、じっと、その様を見ていても、飽きないのである。

そんな中、シクロという、自転車のタクシーがある。
また、自転車で、手漕ぎのものを、始めて見た。

更に、屋台を横につけて走るバイクもある。
日本の法律では、違反だらけの、状態。

一時間も、歩くと、緊張感で、疲れる。
衣服を担いで、街中を歩き、時々、オープンカフェで、ココナッツジュースを飲んで休む。
浴衣などは、汗だくで、背中に、生地が、ぴったりと、くっついてしまう。

トイレは、タイと同じであるが、時に、驚くべきトイレがあったりする。
普通のホテル、レストランなどは、まだ、ペーパーも用意されているが、そんなものが、一切無いトイレもある。
要するに、大便は、水洗いである。
お蔭で、私は、その必要がなかったが、ペーパーを持参しても、流しては、いけないトイレもある。
手動の水洗トイレである。

泊まっていたホテルも、紙は、流さず、横にある、ゴミ箱に入れるタイプだった。
一度、無意識に、紙を落として、同行の野中に、怒られた。
しかし、尻を拭いた紙を、横の箱に入れるというのは、抵抗がある。

所違えば、常識も違うのである。

屋台のおばさんたちは、実に、親切で、持ち物に関して、よく注意された。
要するに、引っ手繰られるので、持ち物は、体から離してはいけないということ。
カメラなどは、首から下げるように言われる。

屋台で、物を食べている時も、荷物は、手から離さないようにする。
私は、そんなことはなかったが、ベトナム人が、ベトナム人に、引っ手繰られることも、多々あるという。

道路を歩く時は、荷物は、車道の方に持たないなど、色々と、気を使った。
それは、日本も、同じである。
いつ、どんな、不運があるか、解らないのである。

だから、無事であることは、実に、幸せなことである。

さて、ベトナム人は、笑わない。
特に、戦争体験者の年代は、笑わないのである。
いつも、厳しい顔付きをしている。
しかし、仁義というものがある。

こんな体験をした。
靴磨きの、少年が来た。しかし、私は、下駄を履いている。ところが、少年は、中々、去らないのである。
年は、18という。
色々、お互いに、だとだとしい、英語で会話していた。

靴磨きは、二万ドンである。
話をしていると、情が出て、肩を揉むことが出来るかと、尋くと、出来るというので、それじゃあ、肩を揉んでもらうことにした。

暫く、肩を揉んでもらうと、本物の肩マッサージが、やって来て、売り込むのである。
しかし、私は、断った。
少年に、二万ドンを渡そうとした。
二万ドンを出すと、横にいた、マッサージ師が、二万ドンでは、足りない、二十万ドンだと、言うのである。

いかにも、ボッタくりである。
何故、少年の貰う金に、注文をつけるのか。後で知るが、その分け前を貰うのである。

私が、二万ドンで、と少年に言っていると、横にいた、相当年配の男性が、一言、何か言った。すると、マッサージ師は、すごすごと、退散した。

様子では、止めろと、言った雰囲気だ。
ボルなとでも言ったのか。

戦争体験者の年齢である。
泊まっていたホテルの、オーナーも、そうだった。
挨拶しても、決して笑わない。
いつも、苦虫を潰したような、顔付きをしていた。
しかし、不機嫌なのではない。
そのように、なってしまったのだ。

笑えない、人生を送ってきたのである。

ベトナム戦争体験者である。

戦争の後遺症を見渡すと、戦争は、未だに終わっていないというのが、現状である。
アメリカ軍が使用した、枯葉剤の影響は、今も、脈々と続いている。
これについて、書くことは、一冊の本になってしまう程、今も、その被害に苦しむ、多くの人がいる。

日本の原爆症に似る。

それを、見れば、アメリカが、キリスト教の国だとは、到底考えられないのである。
原爆や、枯葉剤を用いることが、出来る国であるということ。
これを、忘れてはならない。

更に、七十代から、九十代の、身寄りの無い高齢者が、30万人いると、言われる。
戦争によって、配偶者、子供たちが、死んでしまったのである。
その高齢者も、戦争犠牲者である。

更に、その人々の政府の対応も、戦争の後遺症があり、南ベトナム政府であった、南ベトナム解放民族戦線であった、北ベトナム側にいたかで、大きく違う。

ベトナム戦争とは、世界の人が認識する言葉であり、ベトナムでは、坑米救国戦争である。
そのもの、ズハリ、アメリカから、国を救う戦争である。

ベトナム戦争の定義は、人により、多少の違いがある。

広く定義する人は、1954年から1975年とする。
フランスが大敗して、ジュネーブ協定により、ベトナムから撤退する1954年を起点とする。

アメリカが、フランスに次いで、戦争を継続したと、考える。
そして、最後のアメリカ人が、サイゴン陥落により、ヘリコプターで、脱出する、1975年4月30日を、終わりとする。

フランスとの、戦いを、第一次インドシナ戦争とし、そして、次のアメリカとの、戦いを、第二次インドシナ戦争とする。その戦争をベトナム戦争という人もいる。

もう一つの、見方は、1960年、アメリカが、軍事顧問団を派遣して、実質的に、戦争への関与を始めた年から、73年とする。

南と北の、内戦の場に、アメリカが、介入してきた時期のみを、ベトナム戦争と定義するものである。

いずれにせよ、63年から、72年までの、10年間、アメリカ軍が、軍事行動を起こしたのである。

アメリカ軍の最大の介入時期は、68年で、その時は、50万人の兵士が、投入された。

そして、アリと象の戦いになる。

戦争は、膨大な数の犠牲者と、国土が荒廃する。
北の民族戦線側が、勝利して、国際社会が、ベトナムと、認定したのである。

しかし、ベトナムの不幸は、続く。

その後の、カンボジアとの、戦いである。

その意味付けは難しい。
ベトナム人は、カンボジアでの、ポル・ポト派による、人民の虐殺を止めるための、ヒューマニズムに基ずく行動であるとの、認識がある。

それは、国境地帯に住むベトナム人の、農民も、巻き込まれて、多数殺された事実もあるからだ。
ポル・ポト派は、何百万という人の命を、奪った。
残虐極まりない、その様である。
共産主義という、名の元に、殺戮の限りを尽くした。

ナチスドイツの、残虐を言うならば、共産主義という、名において、どれ程の、人の命が、無意味に、虐殺されたことか。

だが、国際社会は、ベトナムの行為を、カンボジア侵攻と、認定した。

これは、私の感情論であるが、それならば、あの、悪魔のポル・ポトの行為を、世界は、ただ、黙って見ていたということになる。
もし、時代が違えば、国連主導で、多国籍軍を派遣していたのではないか。

しかし、歴史を見ると、ベトナムは、カンボジア侵攻によって、11年間、国際的孤立を招き、経済は、疲弊した。

「この国際社会という中には、中国の意図と観点が大きく影響している。中国が「ヴェトナムを懲罰する」と称して中越戦争を起こした理由として、カンボジアへのヴェトナム群の進出を「侵攻」と認定しなければならなかった。中越戦争は中国のイニシアティブと米国の承認のもとに、ヴェトナムを叩くための戦争だった。大国の横暴という非難を避けるための自己正当化の理由として、ヴェトナムの行動は断じて「侵攻」でなければならなかった。だが、中国サイドの解釈を許すような傲慢さが、ヴェトナム戦争に勝利した当時のヴェトナム共産党指導部にあったと思う」
と、ヴェトナム新時代の著者、坪井善明さんの記述である。
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2008年09月09日

性について 39

11世紀の、グレゴリウス教会改革に先立つ時代にあって、全般的に罰は、厳しいものだったが、淫らな思いや、マスターベーションは、一番軽い罰が適用されていた。

だが、一般の人々に対する、個人的な性的行為に、教会が、果たして、何事か、管理することが、出来たのかということは、不明である。
信者の多くは、教育の無い農民が主である。

キリスト教、この場合は、カトリックが、結婚を解消できないものとして、定着させる。
それは、教会の、七つの秘蹟の一つとされる。
しかし、それに関しても、どの程度の、強制力があったのかは、不明である。

よって、確実なことは、聖職者に関することである。

1050年頃に、教皇に提出された、改革草案の中に、ピエール・ダミアンが残した、情報がある。
自然に反する悪徳が、癌のように、聖職者たちを蝕んできた、というものである。

一つないし、集団で行われるマスターベーション、太股による男色ないし完全な男色、・・・
それが、八人とか十人とかで行われてきたことは周知の事実である。

西洋の、マスターベーションの歴史を俯瞰してみると、マスターベーションというものが、多くの人々に、盛んになりだしたのは、19世紀になってからである。
それ以前は、マスターベーションも、実に曖昧模糊としている。

つまり、マスターベーションというものも、歴史的社会性というものが、影響する。

聖職者たちの他に、一般信徒の、情報もある。
男性のマスターベーション、女性のマスターベーション、手によるマスターベーション、道具を使用したマスターベーション、相互にするマスターベーションなどである。

しかし、聖職者たちの、マスターベーションの方が、確実であったということが、解る。

一般信徒の生活の中に、入り込んで、その性的行為を見つけ出すことは、大変である。

聖職者たちは、修道院という、場所での生活である。
男性は、男のみ、女性は、女のみである。
更に、当時の、修道院は、食べるに困る者なども、入るのであるから、性的行為は、乱れて当然である。

宗教修行の場所は、宗派問わず、そういう行為に、溢れている。
一時的、男色行為などは、当たり前であろう。

ロシア正教などは、三割が、同性愛者であると、断言できるのである。

同性愛を禁止する宗教の、内の中は、それで溢れているのである。

同性間の、タガが、外れると、それは拡大する。

マスターベーションの、歴史において、サミュエル・オーギュスト・ダヴィド・アンドレ・ティソー博士をおいて、他には、いない。

その過激思想は、20世紀の初頭に至るまで、凄まじい影響力を与えた。
聖職者と、医療関係者によって、熱烈に擁護され、支持された。

若い良心を毒し、精神分析の発見に至るまで、その当初は、ウィーン学会まで、口ごもるほどであった。

ティソーの、その思想の有害性には、異論を挟む余地がない。

神に対する罪であった、マスターベーションが、ティソーによって、医学的に有害であり、更に、社会規範ないし、美学に抵触するものとなった。

18世紀に、病気とされた、マスターベーションは、個人と社会双方の死を意味するものとなると、オナニズムの歴史のデュシェは、言う。

1754年に刊行された、ティソーの最初の、種痘の正しさという著作は、天然痘の種痘の有効性を主張するものだった。

貧民にも、尽くし、ローザンヌの神様と呼ばれたほど、もっとも名の知れた医師であった。

彼の、オナニズムは、天然痘と同じように、災禍と、見なされた事実は、絶大である。
その、著作は、オナニアについてーーーマスターベーションによって引き起こされる病気についての論考、である。

この本は、1760年から、1842年まで、30回以上版を重ねた。

1764年に出たフランス語の、序文である。
私がここで記述しようと思ったことは、マスターベーションによって引き起こされる病気についてであり、マスターベーションの罪についてではない。そもそもそれが自殺行為であることが論証されるなら、もうそれだけで罪の証明は十分ではあるまいか。
こうした事柄においては、理性によって納得させることに過大な期待を寄せるべきではなく、むしろ、集めるのが追いつかないほどの実例によって恐怖を与えることのほうがましである。

ティソーは、1715年に出版されたオナニアという匿名のものに、ベッカーズ博士という名を与え、加えて、オナニアは、罪、悪徳、そしてその恐るべき結末に対する強烈な呪詛の書である。それが罪であるのは、この行為が精液の喪失によって生殖を損ない、もって、人間そのものを損ない、ひいては、種の破壊につながるゆえんである、と書く。

そこで、掲げられた、項目である。
すべての知的能力の衰弱
体力の完全な衰退
合併症としての激しい苦痛
顔面の膿庖
その第一原因である生殖器官自体の障害
腸機能に破綻をきたすケース
である。

彼は、何の根拠もない、精液の喪失における、去勢と同じ影響を掲げた。

その一つ一つの事例は、省略するが、何の目的で、それを書いたのか、不思議である。
悪魔憑きとでも、言い得る、その姿勢は、如何ともし難い。

私が、悪魔憑きという理由は、その後、聖職者、医学者だけではなく、思想家たちにまでも、大きな影響を与え、更に、その影響は、第二次世界大戦後になるまで、定説として、続いたことである。

1965年の、アメリカ、ジュンソンによる、言葉が出るまで、続いたのである。

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ベトナムへ 9

ここで、一度、ベトナムから、離れることにする。

ホーチミンでは、三泊した。その後、私たちは、バンコクに向かった。
ボッタクリのタクシーではない、正規の運賃を支払う、タクシー乗り場が、ホテルの並びにあった。

8ドルが、相場だと知っていたので、前日、予約をして、確認した。
確かに、空港までは、8ドルである。
そこには、運転手ではない、何の役目なのか、必ず、受付の者がいた。特に、事務所がある訳ではない。

もしかしたら、政府関係の、旅行者向け担当の、職員かもしれないと、思った。
その人に、8ドルを支払うと、それで、オッケーである。

バンコクまでは、一時間半の飛行機の旅であるが、出国手続きが必要だ。

私たちは、ホテルを九時過ぎに出た。
丁度、車や、バイクの込み合う時間帯を、空港に向かった。
海外では、兎に角、早め早めに、行動するようにしている。何が起こるか、解らない。

比較的スムーズに車は、進んだ。といっても、大変な道路事情である。
カーレースのような、運転に、感心して、乗っていた。

一時の飛行機であるから、11時までに行けばよい。
しかし、車は、10時前に到着した。

次の時は、路線バスを利用しようと、思っている。何せ、3000ドンである。
15000ドンが、一ドルであるから、25セントということになる。
また、路線バス乗り場も、知ったので、それで空港まで行くことにする。

ホーチミンの、タンソンニャット空港は、こじんまりとしている。日本の地方の、空港のようである。

まだ、登場手続きが始まっていないので、空港内の、唯一の、オープンカフェに入り、コーヒーを頼む。
何と、8ドルである。
とんでもない、料金で、驚いた。

しかし、空港は、どこも値段が高い。
私は、どうどうと、買い置きの、果物などを、取り出して、そこで食べることにした。そうそう、ヨーグルトも、あった。

私の旅の楽しみは、地元のスーパーや、商店で、買い物をすることである。
時に、それらを、すべて食べられないで、日本に持ち帰ることもある。
しかし、それは、違法である。
果物などの、生ものは、持ち込み禁止。

トイレに立ちつつ、ボードを見て、手続き開始を、待つ。
二度目のトイレの時に、手続き開始の、点滅である。

ベトナム航空の、チェックインカウンターに向かう。
混雑していないのが、いい。
待つことなく、スムーズに手続きが進み、そのまま、出国手続きに向かう。

そこで、また、あの、ブーである。
荷物をベルトに乗せて、門をくぐる時に、ブーと鳴る。
面倒だが、着物の袖の物を、すべて出す。
しかし、腹を指摘された。
これは、脂肪だと、言いたかったが、言葉が解らない。

担当の女が、帯を取れと指示する。また、ここで、裸になるのか。
グアムの空港で、パンツ一貫になったことを、思い出した。
ここは、穏便に、穏便にと、静かに、帯を解く。

同行の野中が、ライターを袖に入れるから、ブーと鳴るのだと言う。
最初から、ライターを取り出して、籠に入れるべきだと、言う。
解った、解った。

私の場合は、声が大きいので、相手を威圧するらしいのである。
最初に、大声を出すと、相手は、怯む。
しかし、生来のもの。どうしようもない。
だが、兎に角、穏便を心がける。

驚いたとこは、出発ロビーには、日本人が多い。
皆、ホーチミンを通り、バンコクに向かう人なのである。
そして、韓国人である。

喫煙室に入ると、日本語と、韓国語が、耳に入る。
飛行機に乗り込むまで、一時間半を、私は、喫煙室に出たり入ったりを、繰り返した。

喫煙室というのは、実に、面白いのである。
密室で、多くの人が、タバコを吸う。そして、それぞれの会話である。
聞くともなく、聞いていると、しょうもないことを、話していたりする。

フリーツアーで、旅行している人もいるようで、何となく浮かない顔をしていたりする。
ただ、旅の疲れのみで、旅の楽しみを感じていないようである。
中年のおじさんが、一人旅なのであろう。バンコクの旅行案内を、真剣に見ている。
カップルは、倦怠感に溢れている。
旅の間は、セックス三昧で、それだけで、疲れるのだろう。

韓国人の、おじさんたちは、元気である。
缶ビールを飲みつつ、タバコを吸い、大きな声で、談笑している。

若者の、一人旅の姿を、あまり見なくなった。
それより、三十代の男の姿が、目立つ。
バンコクで、どこの売春宿にするかと、思案している風情である。

日本で出来ない遊びを、思う存分、バンコクで晴らす、そんな雰囲気。
と、それを、想像する私の、想像力も、貧弱である。

だが、証拠は、ある。
後で、バンコクの、スクンビット地区に、行くが、そこで、立つ、売春の女、レディーボーイから話を聞くと。日本のサラリーマンの、お客が多いという。
少しの時間しかない。その少しの時間を、立ちんぼの、女と、また、レディーボーイと、過ごすというのである。

彼女たちは、売春宿より、断然安い。
一時間の、ショートだと、1000バーツである。約、3300円。
二時間で、2000バーツ。約6600円。
女好きでも、レディーボーイを買う日本人が多いと、聞いて、驚く。

レディーボーイ曰く、だって、私たち、男なの体、知り尽くしているのよ。
そりゃあ、そうだ。元は、男である。

さて、いよいよ、飛行機に乗り込む。
客が、意外に少ない。これは、寝られると、思った。

日本と違い、すべてのお客が機内に入ると、出発である。
時間通りではない。
さっさと、飛び立つ。
私は、それが、気に入っている。もたもたするのは、嫌いだ。
はい、全員乗りました。よし、行くぞ。
そして、動き出す。

カンボジアの上を飛んでいる、と、私は、窓から、下の風景を見下ろす。
近いうちに、カンボジアにも行く。
王国であるから、いい。王様のいる国には、親近感が、持てる。

カンボジアは、ポル・ポトによって、知的階級が、皆殺しにされて、一番必要なことは、教育である。
勿論、貧しさは、また、格別であろう。
日本のボランティア団体も、多く活動している。
特に、学校建設である。

一時間半の、飛行時間であるから、忙しい。
お絞りが、出て、飲み物があり、食事である。

オチオチ、寝てられない。
三席に体を、横たえていると、乗務員に起こされる。
飲み物は、何。
えーと、オレンジジュース。
ビールや、ワインもある。
しかし、私は、飛行機の中で、アルコールを、飲みたいとは思わない。

食事が終わり、横になっていると、着陸の準備です、という、アナウンスが流れる。
と、聞える。ベトナム語であるから、解らないが、機体が、激しく揺れるので、下降しているのだろう。

落ちることなく、バンコク、スワナプーム空港に、到着である。

あー、懐かしい。
私は、この空港が、大好きである。
なんか、自分の物のように、思えるのである。ホント、お目出度い。

入国、そして、荷物を受け取り、市内へ出る。

ここからである。
今までの方法を、止めた。
そのまま、外に出ると、タクシー乗り場がある。そこには、決められたタクシー乗車の場所と共に、個別にタクシーを売り込む人たちで、ごった返している。
私は、あえて、そこを避けて、出発ロビーに上がり、そこから、外に出る。

そこには、客を乗せて、到着したタクシーがいる。
そのタクシーを捕まえるのである。
戻りの、客がいるというのは、彼らにとっては、実に得である。
そこでは、こちらの言い分が通る。

空港から、直接、パタヤに向かう。
1500バーツで、交渉した。だいたい、それくらいで、まずまずである。
普通の車で、タクシーではなかった。
安いと、1300バーツでも行く。
何でも、相場というものがある。
あまり、叩いても、気分が悪いことになる。

約4500円である。
パタヤまでは、一時間ほどかかる。
高速道路も含めての値段であるから、納得。

パタヤのことを、説明しつつ、旅を進めてゆく。

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2008年09月10日

性について 40

1965年、アメリカで、ジョンソンが書いた。

マスターベーションは身体に何ら害を及ぼすものではないし、精神病の原因になるものでもない。それは、後の結婚生活の中での性的な悦びを妨げるものではない。

ここに、はじめて、マスターベーションに関して、光が、射した。
いかに、蒙昧な認識が、まかり通っていたかである。

私は、その歴史を見て、唖然とした、呆然とした。
何ゆえに・・・
これ程まで、マスターベーションを血祭りに上げたのか。
その最初は、勿論、宗教である。
そして、最も、その宗教の中で、マスターベーションが、華やかだったかということも、である。

こういう、蒙昧を、糞でも、食らえという。

社会全体がこぞってマスターベーションの追及に血道を上げる、そこにある種の自己満足が伴っていた。描写する自己満足、そして、鞭打つという自己満足が。その執拗さの中に、改悛した大人たちの側からの声が、自分たち自身の古傷がより強く痛みをもって感じられるほどに、その言葉と方法がよりいっそう斬新なものになってゆくおとなたちの声が聞き取れはしないだろうか?
ジャック・デュシェ

更に、続けると

十九世紀の思想に染み付いた個人と社会の堕落という観念が目に見える形になったもの、それがマスターベーション行為の咎で、有罪とされた人間、死を宣告された人間の典型的なプロフィールに他ならないのだ。彼らを慄かせ、自分自身で恐がるために、見たと信じることを微に入り細に入り描写する、それはもはやほとんど除き趣味であり、時代の文化を映し出した幻想によって育まれた覗き趣味である。

それを、推し進めたのが、医学という名の、科学であるから、手が付けられない。

例えば、仏教思想は、すでに、医学、科学の、発見したものを、見ていたのだという、アホ、馬鹿、間抜けたちがいる。
事後預言のように、後で意味をつけて、仏教思想は、すでに・・・云々とやる、アホ。
般若心経を、科学で、論ずるという、アホ。

桃太郎でも、浦島太郎でも、何でも、科学で、解説出来るのである。
どんぐりころころ、どんぐりこ、という、歌でも、である。

話が、大きくずれたので、元に戻る。

さて、マスターベーションが、付帯現象でしかなく、その観察記録という、信憑性も、客観性もない、記録を見ると、今では、全く、原因とは、考えられないもの、例えば、身体的障害、知的障害、道徳的障害、などなと、きりがないのである。

マスターベーションは、素人目にもすぐ見てとれる。顔色は蒼白くくすみ、目は窪み、周りには隈ができ、表情には、羞恥と悲哀と不安が混然となって現れている。
ガルニエ

更に、
衰弱し、生気を失い、身体的にも精神的にも虚弱になった人たちをどれほど見たことだろうか。
と、続くのである。

西洋骨相学のガルの考え方を、取り入れた、モレルという、有名な変質理論の中にも、マスターベーションは、人間性を密かに侵し破壊する災禍の一つに数えられる。ペストにも戦争にも、天然痘にも、いや、同様の病気が一塊になっても、この致命的な悪習のもたらす惨状には太刀打ちできないと、言う。

それらが、聖書による、権威で、基礎づけられるという、仰天である。

ちなみに、旧約聖書の中には、夢精を対象にした、清めの規則について書かれているが、マスターベーションに関する、記述は、無い。

更に、新約聖書の中にも、無い。
カトリックの教義の元となる、パウロの書簡の中にも、不道徳に関することは、書かれていても、マスターベーションについては、明確な、記述は無い。

ただし、欲望に身を任せることの、一つに、マスターベーションを当て嵌めると、それは、不道徳になる。

パウロは、男と男が、淫らなことをするという、行為を罪であると、書くが、マスターベーションについての、言及は無い。

何事も、罪とか、やってはいけないという事は、多くの人が、やっていたということであり、男と男が、淫らなことをするという、風習があったということである。

無知蒙昧の、一端を、ランダムに書いてみると、まず、マスターベーションは、インポテンツの恐れあり。
ひ弱で、虚弱で病弱な子供が出来る。
死が、堕落した自慰者の不可避的な末路となる。
これは、お馬鹿としか、言いようが無い。自慰が、死ぬに結びつくのではなく、誰もが、死ぬ。

十九世紀の、精神医学というものは、知的障害者を、堕落した人間であると、判断した。
そこで、過度のオナニズムが、原因であると、言われた。

ただ、中には、フランスの医師、アルノー・ド・ヴィルヌーヴのように、長く溜まった精液は、毒になるとして、健康のために、マスターベーションを勧めた者もいる。
これは、極めて、稀なケースである。

性的機能の不充足、禁欲が、精神異常の原因となるとも、考えた者もいる。

ただし、多数は、過度のマスターベーションによって、卒中、咳、微熱、過剰発汗、栄養失調、肺結核、あらゆる精神病を経て、死に至るという、考え方であった。

精神異常の他に、更に、細分化された、障害の原因にもされた。

真性てんかん、幻覚、妄語、ヒステリー様痙攣、心臓、肺、生殖器官。
面白いのは、陰茎と、陰嚢の肥大、陰唇と陰核は、長くなる。
自慰者の特徴は、しゃがれ声である等。

1855年に、パリにて行われた、裁判があった。
女性教員が、折檻で、生徒の一人を殺したというものである。

死んだのは、五人のイギリス人少女の、一番年長の少女だった。

内容は、悪い習慣に染まっており、それを矯正するために、折檻したというものである。
悪い週間とは、勿論、マスターベーションである。

日本では、女の子の、マスターベーションの報告より、圧倒的に、男の子の、オナニズムが、多数である。
西洋は、女も、性的快楽を、思う存分に楽しむという、民族性を、感じる。

自慰者の救済のために、互いに協力し合うという、驚きの事実もある。
監視し、躾、治療するというのである。


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ベトナムへ 10

パタヤ
バンコクから、高速道路に乗ると、約一時間少しで、着く。
昔、私が出掛けた時は、三時間ほどかかった、記憶がある。
その、昔出掛けた時、それほどの歓楽街とは知らず、ただ、滞在していた、三日間、散歩を楽しんでいた。

その時、日本からのツアー客のおじさんたちが、夕方になると、ホテルロビーに集い、皆で、出掛けていたのは、集団売春に行くためとは、後で知る。

ビーチ沿いに、色鮮やかな電灯をつけて、女たちが、客を呼ぶ姿は、今も変わらない。
そこで、女と交渉して、一夜を買うということも、知らなかった。

ただ私は、タイという国に行ってみたいという気持ちだけで、バンコク、パタヤへの、フリーツアーに、申し込んだ。

今、まさか、こんな活動をするために、パタヤを、訪れるとは、全く知らない。

1960年代、ベトナム戦争に従軍していた、アメリカ兵の、保養地、娯楽地として、拓かれた町である。

今では、日本人のみならず、欧米人にも、人気のアジアを代表するリゾート地としてある。

そして、ゲイ天国、更に、レディーボーイ天国である。
ゲイが遊ぶなら、パタヤである。また、レディーボーイが、普通にいる。

私は、二年前に、ある人の付き合いで、パタヤに来ている。
バンコクと、パタヤで、一週間滞在した。
それが、タイ国王在位、60周年記念式典の日に、バンコクにいた。
天皇陛下と、同じ日程だったと、後で知る。

バンコクのホテルロビーで、その式典を見ていた。
以前の、タイ旅行記にも、書いた記憶がある。

チャオプラヤー川での、式典の様も、丁度通りすがりに見た。
市民は、王様の黄色のシャツを着て、バンコク市内は、黄色で、埋まっていた。

その式典の際、国王は、つねに、天皇陛下の隣で、親しくお話していたという。
国王は、天皇に、特別の思い入れがある。
その一つに、今は、当たり前になった、淡水魚である、鯛に似た魚を、昭和天皇が、国王に贈った。国王は、それを、増やし、川に放流して、それが、今タイの国民の上質な蛋白源になっているという。

バンコクの、スワナプーム空港に、飾られる、その時の記念写真でも、天皇皇后陛下は、前列、国王と、王室の、次に並ぶ。
私も、その前で、写真を撮ってきた。

丁度、その場に、空港の清掃職員たちが、地べたに座り、休んでいた。
私が、写真を撮るのを、見て、皆、微笑んでいた。

良く私が、タイの人に、キングオブ、プーミポン、ジャパニーズ、エンペラー天皇、ベストフレンドと言っている。
変な英語だが、内容は、通じる。

タイに行き、国王の歌が流れると、起立し敬意をはらい、国王のことを、好きだと言うと、必ず、嬉しそうに、ありがとう、と言われる。

バンコク、スクンビットのナナ駅近くの、屋台連合のような、場所で、朝七時頃、コーヒーを飲んでいると、皆、出店の準備で、大忙しである。
そんな時、国王の歌が流れる。
私たちは、起立して、それを、聞いている。

そんな私たちに対して、その屋台の皆は、現地の人と同じように扱う。いや、それ以上に、親切にしてくれる。

色々と、話はあるが、先に進まないので、省略する。

唯一言、軍事力の無い、権威というものが、平和を、もたらす。
それを、私は、ゆるやかな、王制という。
天皇は、その存在の象徴である。日本の象徴だけではない。
無形の権威というものの、象徴である。
その、権威の幻想は、国家幻想として、非常に有効に生かされるものである。

老荘が、言う、道にある、無用の用とは、無形の権威のことである。
私は、そのように、解釈している。

さて、今回、パタヤに行くというのは、遊びたいからだ、と言えば、納得するであろうから、遊びに来たと言う。

一つは、衣服支援であり、一つは、トランスジェンダーの、施設見学と、その、取り組みを知りたいということである。

衣服支援は、ベトナムで、半分程、差し上げた。
残りを、パタヤである。
縫ぐるみは、数点残っていた。別のバッグににも、忍ばせていた。

縫ぐるみは、ビーチで働く人の、子供たちに差し上げた。
一人の子に、上げると、その親が、まだ、あすこにいると、言うので、ビーチに行くと、幼い子が、一人いて、差し出すと、すぐに受け取った。その横に、眠っていた、幼児の横に、一つを置いた。
その親は、手を合わせて、お礼を言う。

パタヤでも、縫ぐるみは、売られている。
キティーちやんも、ドラエモンも、ある。だが、すべて、大型であり、あれは、男が女に、プレゼントして、セックスのきっかけにするようである。

縫ぐるみが、友好の物になるとは、全く考えなかった。
やってみなければ、解らない。
それらは、すべて、私が、ゴミの日に、拾い集めたもので、その一つ一つを、選別して、バッグに押し込んだものである。

勿論、差し上げるものであるから、清め祓いをしてある。

さて、問題である。
15年ほど前、パタヤで、とんでもない事件があった。
五十代になる、日本人の男が、幼児を数名部屋に、連れ込み、性的暴行を行ったというもの。
幼児の、叫び声に、近所の人が駆けつけると、幼児を犯そうとしていたという。
即座に、警察である。
その場で、逮捕された。

貧しい子供たちに、物を上げたり、食べ物を与えたりして、性的行為をする者、多々あり。
児童買春ではない。
幼女、児童暴行である。

まだある。
今度は、女である。
日本では、教師をしていた女が、浜辺で、物売りをしている、少年を、ホテルの部屋に連れ込み、犯したというもの。
女が、少年を犯すというのは、どんなことか、想像するが、勃起させて、自分の膣に入れたのでろあうと、想像する。

パタヤでの、日本人に対する、感情は、最低最悪になった。

売春で、生活を立てている、真っ当な、売春という、仕事がある。
そうではなく、全く、性的対象にならない、幼児、児童を、性的対象にするという、稚拙である。

それが、私の心に、記憶として、沈んでいた。
それが、今回の、衣服支援の主旨である。
つまり、名誉挽回である。

着物を着て、バッグを持って、パタヤを回った。
現地の人に、手渡したかったのである。

最初は、スラムに向かった。
一つ、スタッフが覚えていた、バラック小屋が立つスラムに向かったが、着いてみると、スラムは、見事に、アパートが立ち並んでいたのである。
きっと、政府の指示により、そのように、スラムを変えたのであろう。

住む家が、そのようになると、住む人の気持ちも、変わる。
経済的に、以前と、同じでも、気持ちが違う。

小屋のような、雑貨屋さんの、ベンチで、休み、さて、どうするかと、考えた。
スタッフが、タイ語で、その店のおばさん、あいるは、おばあさんに、子供の衣服があるが、必要ですかと、尋ねた。
すると、おばさんは、必要だと言う。

それでは、と、スタッフが、取り出し始めたが、私は、シャツを三枚だけにした。
これでは、私の主旨が違う。
私は、一人一人に、差し上げたいのであり、支援をしてくれた人にも、手渡しで、差し上げると、言っていると、スタッフに言った。

幾人かの、子供が、お菓子を買いに来た。
そこで、私は、彼らに、シャツを取り出して、日本語で、プレゼントと言って、差し出したが、受け取らない。

アパートに住むようになり、少し意識が変わったのだろう。
しかし、アパートから出て来る、女は、厚化粧して、何の商売をしているかは、解る。
子供たちの、衣服も、決して、粗末なものではない。

私は立ち上がり、戻ることにした。

そこを、抜ける時、一人の男の子がいた。
父と母もいた。
私は、子供用の、ズボンを取り出して、必要でいすかと、母親に尋いた。
母親は、頷く。
私が、それを差し上げると、バイクに跨り、出掛ける前だった、父親が、コープクンカップ、ありかとうと、言う。

物を差し上げるということが、どんなに大変なことか。
くれてやる、のではない、差し上げるのである。

支援は、至難である。
どんなに、貧しくても、生きる尊厳という、プライドがある。

アイアム、ジャパニーズ
私は、差し上げる度に、そう言う。
勿論、着物を着ているから、当然、日本人であることは、解るだろう。しかし、あえて、私は、日本人ですと言う。

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2008年09月11日

性について 41

それでは、19世紀の、精神分析を開始した、フロイトを見ることにする。

フロイトは、初めて、子供のセクシャリティを発見した。

幼児の旺盛な、セクシャリティ、多形倒錯的なセクシャリティの、発現があり、五歳くらいから、思春期に至るまでの、潜在期となる。
この間に、子供は、知的、道徳的に著しい成長を遂げて、セクシャリティに関する、すべてのことを、抑圧するという。

その抑圧は、フロイト以前は、性生活、セクシャリティは、生殖能力と混同され、更に、性というものが、思春期から始まるものと、されていた。

勿論、フロイトは、幼児のセクシャリティが、成人と同じような形で、発現するというのではない。

幼児の、性衝動は、多種多様で、発現は、うつろいやすい。
厳密な意味では、エロティックなものとは、いえない。

それを、前提にして、幼児にも、性感帯たる性質を備えているという。
そうした刺激は、まず、口腔領域、次に肛門領域に移り、さらに、身体全体にまで、広がる。

口は、口唇的性器である。
おしゃぶりが、性的能力の、発見への道を拓き、肛門部位を、制御する練習が、マスターベーション的なものと、見なされた。

これら、性的刺激の最初の諸形態は、前性器帯と、呼ばれるものである。
口と、肛門という、消化器の、両極に関わる。

人間は、考える葦ではなく、人間は、考える、管なのである。

口唇期、肛門期、その次が、性器である。
性器が、支配的な役割を、演じる、男根期が、続く。

ここに至り、マスターベーションを、免れることが、出来なくなる。

1905年に、刊行された、セクシャリティの理論に関する三つのエッセー、とともに、マスターベーション、1910年のウィーン精神分析学会での十四の議論と、題された、論文は、マスターベーションを、精神分析学から、捉えようとした、新しい試みである。

三つのエッセーで、子供のセクシャリティを、擁護し、マスターベーションが、重要な位置を占め、自己性愛的快楽の、特権的な表現であると見なしている。

子供の、オナニズムは、子供に普遍的に見られる、性活動の一つに他ならないということである。

この、基本概念を維持しつつ、思春期のマスターベーションと、それに、伴う空想の問題にまで、広げてゆく。

フロイトによれば、男根期は、同時に、エディプス・コンプレックスの時期でもある。
そこには、去勢不安が、隠される。
性器に手を触れる、子供に対してされる、脅迫によって、誘導される不安である。

何らかの、混乱により、この、コンプレックスの解消が、妨げられると、この時期を、越えて、マスターベーションが持続すると、考えた。

フロイトが、提示した、マスターベーションの、三つの段階である。

幼児のマスターベーション
性的充足のための、すべての自己性愛的活動がある。
小児のマスターベーション
四歳くらいからはじまり、すでに明確に、性感帯に固定される。
子供の第二期、四年目くらいに、はじまるマスターベーションを、尿道性愛的なものと、見なしている。
この期間は、フロイトが、後に、男根期として、記述することになる。

尿道性愛と、男根性愛とは、非常に密接に関連しあうのである。
子供の、遺尿は、マスターベーションと、同じものと、解釈される。
フロイトは、夜尿は夢精に対応すると、言う。

さらに、肛門括約筋の収縮に付随した、快感の性化と、マスターベーションの快感とが、大便を漏らす子供と、肛門粘膜の快感とが、関連づけられてゆく。

思春期のマスターベーション
子供のオナニズムと、関連するが、潜在期によって、隔てられ、性の発展段階は、潜在期によって、二つに、分けられる。
男根期と、思春期に、確立される、本来の意味での性器体制の二つである。

思春期には、それまでの、部分的性感帯の優位の下に、服従して、部分衝動は、最終的快感の達成のために、協力するとなる。
思春期の、マスターベーションは、小児期の、マスターベーションの、延長にあると、いう。

更に、フロイトは、マスターベーションに伴う、空想に、とりわけ重要性を、認めた。
神経症患者の多くが、その障害の原因を、思春期のマスターベーションに、起因する傾向があることに、注目したのである。

この、空想に、大きな問題がある。
その、有害性も、その空想にあるとしたのである。
マスターベーションという行為、以前に、その空想に、注目したといえる。

それは、他の方法では、不可能な、エディプス願望の、現われである、近親相姦的空想を想像して、満足せしめる行為であり、それは、後に、性的不能症の原因となるなど、すべての、想像の産物をして、強烈な罪悪感の、源流になるというものである。

今では、フロイト流も、一つの見方として、冷静に判断できる。
この、空想力が、芸術にまで、高まるということを、知らない。
すべて、病理として、扱ったのである。

日本の、精神分析も、欧米から、見習ったものであるが、そのまま、使用することに、無理があった。
一時期、それだけに、絞って、判断しようとしたが、破綻した。
それは、たった一つの方法だったのである。

例えば、フロイト流に、言えば、口唇期が、一生続く人もいる。また、男根期が、肛門期が、一生続く人もいる。

飛躍するが、ウォシュレットという、トイレの機能が、ついて、肛門感覚が、退化してしまったということに、気づく人は、少ない。

あれは、非常に、機能として、賛美されるものだが、使用を始めると、肛門が、鈍化して、肛門に、最初に水をあてないと、便意が、起こらないという人が出てくる。

五十代からの年齢の人は、特にそうである。
更に、一見、清潔に思えるが、全く逆である。

肛門には、それなりの、菌があるゆえに、菌から守られるという。それを、綺麗にするのであるから、非常に、他の菌に、弱くなる。

更に、直腸の動きを、鈍化させるので、直腸癌にも、かかりやすくなるのである。

便をするわけではないが、肛門に、水をあてて、ストレスを解消する人もいる。つまり、肛門性愛の変形である。

慣れると、肛門の中に、水が入るようになり、一種の肛門性交のような、具合になり、その、快感が、たまらなくなる。
要するに、アナルセックスの、変形である。

入れる快感と、排泄する快感を、味わうことが出来るのである。

東南アジアの国々で、便の後で、左手で、尻を拭くというのとは、根本的に違うのである。

posted by 天山 at 00:00| 性について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベトナムへ 11

パタヤでのホテルは、日本から予約していた。
インターネット利用の場合は、割引になるということで、一泊だけを、予約したが、思わぬほどに、格安だった。
一泊、700バーツが、400バーツで、泊まれるのである。
約、1300円である。更に、朝食付である。
それならと、ホテルは、そこに決めて、三泊することにした。

ノース・パタヤと、サウス・パタヤの真ん中辺り、中心の少し奥に入った場所である。
そのまま、西に歩くと、ビーチに出る。
ただし、ビーチには、一度だけ、支援物資を担いで行ったのみ。
物売りが、煩いので、一切行かない。

朝は、ホテルの朝食で、十分で、昼、夜の食事を、近くの、食堂でする。
現地の人の、食堂である。

昼は、麺類を食べた。
好きな麺を指差して、ポークと言えば、豚肉が入り、チキンと言えば、鶏肉が入る。本当は、シーフードにしたいが、庶民の店には、無い。
40バーツ程度である。130円程度。

今回は、屋台の果物を、よく買って食べた。
スイカ、パイナップルが、美味しい。
そして、焼きとうきびと、紫芋の焼き芋である。
果物は、10バーツで、焼き芋などは、20バーツ。

衣服のバッグを持って、汗だくになり、喉が渇いて、路地の屋台に行き、スイカと、パイナップルを、食べた。
両隣に、麺類と、お惣菜の屋台があった。
一人の女の子が、お手伝いで、小さなビニール袋に、タレを入れて、ゴムで縛っていた。

そこで、私が、女の子に合う、可愛い服を取り出して、スタッフに、タイ語で、必要ですかと、言わせた。
すると、傍の母親が、声を上げて、喜んだ。
女の子も、それを、持って笑みを浮かべる。
いい光景である。

スタッフが、この辺りに、子供たちは、いますか。
日本から、子供の服を持ってきて、必要な人に、上げていますと、タイ語で言うと、何と、いるという。
どこに。
ここに。

ここ。
そう、ここ。私の子供は、男の子が、四人いますと言う。
つまり、男の子の物が、欲しいと、いうこと。
そこで、私は、四本のズボンを出した。
大きさは、どうか。
丁度いい。コープクンカー、ありがとう、と、何度も言う。

こんな所で、支援するとは・・・

屋台で、物売りする人は、女性が多い。それで、家計を支える。場合によっては、女手一つで、子供を育てている。

母親は、感謝の気持ちを、言葉では足りないようで、手を差し出してきた。
握手をした。すると、女の子も、手を差し出す。
その前に、手を合わせて、お礼を言うのである。

私は、日本人です、と言うと、両側のおばさんたちも、解る解る、ジャパニーズスタイルと、着物を指す。

暫く、立ち話をした。
果物が、甘いとか、名前の知らない果物の、説明を受けたりと。
その大半は、解らない。タイ語である。

ズボンを差し上げた母親は、私に、スイカをもう一つと、勧めてくれたが、もう大丈夫と、断った。
次も、又来ますと言って、歩き始めた。

気温は、それほど高くないが、物を持って歩くと、汗だくになる。

そこは、サウス・パタヤの方面になり、少し町外れになる。
しかし、その小路を歩くと、バーが多い。
こんな場所に、バーがあるよと、スタッフに言うと、そうだそうだ、この辺りだよ、ゲイタウンはと、言う。
よくよく、看板を見ると、良いボーイの店とか、男の何とかという、看板が多い。

つまり、地元のゲイの集う場所なのである。
ボーイズタウンである。
街中の、ゲイバーではない。つまり、男の子たちを、売る店ではなく、地元のゲイの出会いの場所なのである。
街中には、ゲイ・ショーパブもあり、男の子たちが、パンツ一つで、舞台で踊り、指名を受けるのを待っているバーもある。

私も、一度、そこに飲みに出たいと思っていた場所である。
しかし、結局、夜になると、疲れて、一度も、出かけなかった。

だが、昼間は、男の姿より、女の方が多い。
準備のための、掃除などをしているのだろうか。
中には、食事をしている女もいる。

オープンにしているので、椅子の腰掛けようと思えば、腰掛けられそうである。

しかし、その周辺は、夜になると、テーフルと椅子を出して、本格的ゲイスポットになるようである。

パタヤは、ゲイと、レディボーイのことを知らないと、面白くない町である。

さて、余談だが、パタヤでは、世界のレディボーイ大会が、行われる。
今、マスコミに出ている、はるな愛という、レディボーイは、そこに出て、四位になったが、実は、日本人で、特別賞を取ったレディボーイがいる。

私と同じ、北海道出身で、今は、故郷に帰って、ブログで、色々と書いている。
それは、スタッフが、調べていた。
まだ、レディボーイの存在が、知られていない時期の、快挙を成し遂げた、レディボーイであるとのこと。

その、スタッフが、いよいよ、レディボーイの施設への、侵入を果たすために、苦心惨憺して、レディボーイを演じることになったが、どういう訳か、その気になって、パタヤでは、私と同行する以外は、レディボーイとして、通したのである。

やれば、やれるものである。
勿論、顔立ちなどに、ある程度の要素が必要であるが、元から、色白なので、うまく化けることが出来たのである。

しかし、最初は、放任していたが、一度、その化粧に、私は、つい、アンタ、それなら、レディボーイではなく、吉本になってしまうよと、言った。
レディボーイの前に、お笑いだと、言った。
それは、彼の心を、傷つけたらしく、部屋に戻ってすぐに、顔を洗い、化粧を落とした。

悪かったと、思い、私が、化粧の伝授をした。
実は、私は、北海道にいた頃、テレビに十年ほど出ていて、おおよそ、化粧の仕方を知っていた。

出演する前に、スタイリストから、化粧されるのである。
私は、男用の化粧が嫌で、いつも、女性ベースにしてもらっていた。
男用の化粧は、顔が少し黒っぽくなるのである。

それで、女性ベースの化粧法を、少し知っていた。
また、カウンターテナーの藤岡宣男が、出演前に、化粧をしていたのを、見ているので、自然に覚えたのである。

知っているのに、何で早く教えてくれないと、怒りつつ、彼は、私の言うとおりに、化粧をした。
すると、何と、自然な化粧で、美しい女の子の顔になったのである。
成功である。

私の教訓。
いつも、自然に化粧をするように。そして、肌のために、潤いを忘れないこと。
絶えず、顔を気にすること。
そうして、話していると、センセイ、もしかして、本当は、化粧したいんじゃないの、である。

これで、私が美しくなったら、世の中の人は、どうなるの。
子供、産めないだけで、何でも出来る人になるよ、と、大声で、答えた。

力むことはないのだが、疲れが、出始めていたのである。

スタッフは、自信を取り戻し、翌日、レディボーイの福祉施設に、一人で、出掛けた。
そして、半日、戻って来なかった。
posted by 天山 at 12:40| H20.09 ベトナムへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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