2008年08月28日

性について 28

人間の性の大脳化に関して、書き続けてきた。
まだ、それは、足りないが、またの機会に、それを、書きつつ進める。

さて、もう一つの、性の見方は、進化の過程である。

祖先たちは、地球環境の厳しい中を、種の保存を図るために、様々な繁殖の過程を、経てきている。

例えば、350万年前の、女である、ルーシーは、身長一メートル、体重27キロ、二十歳。
月経の血を垂れ流していたであろう。
衣服をまとい、排卵を隠蔽するようになるには、数百万年を要したはずである。
進化は、緩やかに、行われた。

その、350万年間に、50パーセント、アップするという、進化である。
それは、厳しい冬を、生き残るために、体積を大きくしたといえるのである。
体積が大きければ、体表面積対、体積の比は、小さくなる。
耐熱放射や、放散を小さくすることができる。

そして、厳しい環境で、一番弱いのは、子供である。
そうして、母と子が、生き延びるためには、オスとの、共同生活である。
それも、特定のオスとの、関係が、重要になる。

オスに取り入れられるということは、生存する確率が高くなるということ。
子供が、生まれた後で、特定のオスを、引き止めておく必要を、感じた、メスは、どうするのか。
更に、外敵から、子供と、身を守るために。

食べ物を得るためにも、オスは、必要だった。
メスは、生存するために、オスよりも、試行錯誤を繰り返したというのが、私の考えである。

要するに、メスは、賢いのである。
賢くなければ、生きられなかった。それが、今も、メス、女たちに、遺伝によって、受継がれていると、考える。

女が、アホなら、子供は、育てられないのである。

オスが、狩りに出掛けた時に、他のメスのところに、立ち寄られて、そこに、いついてしまえば、元もこもない。
オスが、戻ってくるためには、今の言葉で、言えば、性的魅力が、なければならないのだ。

媚を売る。
メスは、最初、オスに媚を売ることで、その子供と、我が身を、生存させてきた。

オスとは、メスさえその気なら、いつもで、交尾が出来るという、不思議な、体質になっていた。

他の、動物にはない、性交の欲望である。
何故、そのように、進化したのかを、どんな学者も、言わないのである。

精子は、常時作られている。
いくら交尾をしても、枯れることはない。
何故か。

これが、メスに悲劇になったと、私は言う。

つまり、いつでも、交尾が出来るオスに対処しなければならなくなったのである。
排卵期とは、別に、季節も、問わず、子育て中でも、メスは、オスが、求めれば、それに、応じなければならない。
メスの、不運である。

オスは、いつも、精子をばら撒くチャンスを、狙う。
この生理的欲求を、何故、オスは、身につけるようになったのか。
大脳化である。

サルの場合は、大脳化の発達が、遅れて、オスが、その気でも、メスは、撥ね付けることが出来る。人間だけが、撥ね付けることが、出来なくなった。

大脳化は、進化の過程でも、重要である。

メスが、オスを、常時、受け入れるという事態になると、それに対応した、脳の発達が必要となった。

後で、男の脳と、女の脳の違いについて、検証するが、脳が、巨大化するにつれて、快感という、感覚も、発達したといえる。

単に、生理的欲望を、満足させるというだけではなく、幻想的、欲望というものが、芽生えてきたと、思える。
大脳化、脳の巨大化ゆえである。

更に、進化は、今まで、背面にあった、性器が、前面に移動したということである。
これは、実に、大きな進化である。
性器を、互いに、見ることができるという、状態である。
その、性器を、見るという行為に、人は、オスとメスは、欲望を燃やすことになったといえる。

更にである。
体が、巨大化すると共に、性器も、巨大化してきたのである。

オスは、ペンシルタイプのペニスを支えるために、必要だった、小さな、陰茎骨、バクラムが、消滅する。
それゆえ、ペニスが、膨れるようになったのである。

この過程で、直立二足歩行が、定着し、性器が巨大化して、対面性交が可能になり、単純だった、オーガズムが、複雑に多様化していった。
そして、オスの性感にも、影響が、現れた。というより、性感を、高めていったといえる。

繁殖戦略の、要に、メスがオスを、選ぶことにより、オスとの間に、血縁関係を作るということである。
番、つがい、という関係である。
母と子のように、純粋に、生物的絆で、結ばれてはいないが、子供の父としての、文化的意識の芽生えが、生ずる。

実際は、オスとメスは、他人であるが、子供を通して、血縁という意識と、親という意識、それは、文化的意識であるといえる。それが、芽生えてきた。
ただし、以前、紹介した、トリブリアンド島の、原住民のように、性交と、妊娠出産に、因果関係を、認めなかった民族もいるということである。

父と、子供は、他人であるという、実に面白い、報告だった。

現代日本社会も一時期、父親の復権などと、言われていたが、さて、どうなったのか。
父と子供の、付き合いが、著しく低下し、父親不在の家庭が、当たり前になっていた時期がある。

特に、都会では、それが顕著である。
つまり、いよいよ、家庭というものが、新しい時代に適応する、新しい家庭の、あり方を模索する時期に入ったということである。

例えば、父子家庭というのが、多くなったことは、あまり知られてない。
女性の自主独立の求めから、母親が、子供を夫の元において、家を出るというもの。

連れ子を持った同士の、結婚、更に離婚から、友人同士が、子連れで一緒に生活する、更に、父子家庭の、父親が、子連れで、一緒に生活するなど、あらゆる、家庭の形が、表れる時代になってきた。
もう一つ、オマケに、同性婚のような、家庭。
何でも、ありである。




posted by 天山 at 00:00| 性について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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