2008年08月26日

性について 26

性行為、特に、男女における性行為とは、基本は、子作りである。
妊娠を、目的にされるもの。
そして、それが、自然なものであるといわれる。

依存は無い。
しかし、今、現在、そして、更に、性というものが、グローバル化した時代と、時代性である。
様々な、性行為の型がある。

それは、人間の大脳化ゆえのこと。

ただし、性行為において、シータ波が持続するという、エクスタシーを得る性行為といえば、矢張り、基本は、男女の、行為となる。

例えば、マスターベーションとか、オーラルセックス、つまり、局所による、射精行為、または、女に対する行為でも、シータ波の獲得は、得られていない。

感じる脳が、性行為のポイントなのである。
つまり、下半身と、脳が、完全に一致する行為でなければ、エクスタシーというものを、得ることが出来ないのである。

だから、男女の場合の、理想的な、セックスは、子作りが、前提にあって、最高のセックスとなる。

さて、しかし、この時代性である。

昔、私が受けた相談の中に、次第に増えたものが、アナルセックスだった。
要するに、彼氏が、非常に興味を持つのだが、どう対処したらいいのかというもの。

肛門性交といえば、即座に、ゲイセックスを思う人がいる。
尻を犯すというものだ。

ところが、男女の間でも、アナルセックスは、行われる。
それでは、女の場合の、アナルセックスというものは、どんなものか。

肛門も、粘膜である以上、重要な性感帯であると、いえる。
会陰部から、肛門と、愛撫に対して、非常に敏感な部分である。

肛門が、感じるのは、出入り付近であり、直腸まで入ると、何の感覚も無い。
だが、肛門の筋肉と、膣の外輪筋は、つながっていて、肛門括約筋が収縮すると、膣の周囲の、外輪筋も収縮して、あたかも、性器を刺激されているように、錯覚する。

女の中に、マスターベーションをする際に、肛門、クリトリスへの刺激をする者がいる。肛門が、性器、そして、唇に次ぐ、第三の性器になりうるのである。

相談の結果は、嫌なことは、逆効果であるから、断るべきであるとしたが、中には、それを受け入れて、試みた、者もいるが。
人それぞれ。
中には、あまりの快感に、吠えたという女もいた。が、それ以後は、怖くなって、止めたという。あまりの、快感に、死ぬ思いをした。更に、このまま行くと、とんでもない、性行為を、求める女になってしまうのではないかという、恐怖で、抑止したのである。

セックスの最中、後背位の場合、膣にペニスを挿入して、更に、指で、アナルを刺激、または、指を出し入れすることが、出来る。それにより、快感が倍化することもある。

膣とアナルの、筋肉は、8の字になっていて、両方の穴の刺激であるから、相乗効果を、生むのである。


さて、それでは、男の場合は、どうか。

男の直腸は、女と違い、前立腺というものが、ある。
出入り口と、前立腺刺激による、快感がある。
それが、女と違う。

受身の男は、終わらない快感というものを、感じることが出来る。
また、その刺激に対して、射精することもある。

いずれ、男娼の歴史にも、触れることになるが、肛門性交の、歴史は、人類の歴史と、同じほど、長い。

実に、多数の女と、性行為をしていた男が、何かのきっかけで、男娼と、関係することにより、女の膣の感覚とは、また、違った、味わいに、驚いたという、男がいる。

それは、男のアナルも、それぞれで、全く持って、名器と呼べる者もいる。
膣と、同じで、中は、見えない。
入れてみなければ、解らない。

刑務所などの、異性との、触れ合いがない、場所にいると、男が男を犯す行為ということが、発生する。
それが、男女のセックスの代用であったが、そのまま、それが、その男の、性向になる場合も、多々ある。

娑婆に出て来た男が、女では、満足しないと、ボーイバーで、ボーイを買うという。

アナルセックスを、男女のセックスの代用として、堂々と、展開する部族もいる。
アフリカの部族の中では、子供をある程度、産み終えると、膣を、閉じて、つまり、縫ってしまい、それ以後は、アナルセックスが、主になるところもある。

九州の、ある地域は、お稚児どん、という、風習があり、少年がある程度の、年齢になると、他家に擬似養子に出される。
その家の、新しい父親と、そのような関係になることは、実に多く、矢張り、アナルセックスが、主である。

実際、今でも、その風習があるというが、誤解があっては、ならないので、地名は、書かない。

ただ、その風習により、伝統を、伝え、育てているのである。
それは、また、民俗学の分野になる。

その地方の、女の出身者は、男同士の関係に対して、ある程度の認識があり、その関係を、嫌悪するということはない。それはそれ、これはこれ、と、分けて考えるのである。

ある、日本の建設会社が、未開の地に、建設作業に出た。
皆、男であるから、自然、そのような関係を結ぶ者も出たという。
擬似セックスを、行うが、矢張り、それにより、目覚める男もいて、以後、男との、関係を、続ける者もいたという。

昔、同じ新聞の、コラムに原稿を書いていた縁で、南極越冬隊に出掛けた方にお会いした時、それとなく、尋ねてみたことがある。

それなりの、用具、つまり、大人のオモチャなどの備品もあるというが、それを使用したことはないし、また、男同士の関係も、見当たらなかったという。

その人が言うには、朝目覚めて、南極の自然を、見ているだけで、通常の感覚を超えてしまうというのだ。
つまり、その場にいるだけで、脳内に、快感物質が、出るのであろうと、思う。

射精をしなければ、精液は、自然消滅する。
目の前の、自然の様に、感動して、我が身の、性欲も、忘れるという、体験を、一度は、してみたいものである。

これが、宗教などの世界で、言われる、シータ波の出る、悟りの境地と、考えてもよいと思う。

脳が、満足すれば、体も、満足するということである。

脳が、満足しななければ、いつまでも、繰り返し、行為を続けるということである。

つまり、性行為の代用は、別のものでも、あるということだ。




posted by 天山 at 00:00| 性について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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