2008年08月23日

性について 23

前戯や性交によって興奮期がうまくいき、安定したアルファ波が長く続くと、つぎにくる絶頂期のシーター波や、さらに絶頂期が終わったあとの速いベータ波も長く続く傾向がある。逆にいえば、性交後に安定したベータ波が現れず、すぐに眠気のシータ波がやってくるようなら、絶頂期のシータ波も短くかつ安定していなかった証拠になるわけだ。こんな場合はもちろん、エクスタシーを感じることもないし、深い満足感もえられない。
日向野春総

女が、エクスタシーに達したのであれば、全身発汗によって、相当の水分が失われて、喉が乾くはずである。
セックスの後で、女が、水物を摂るのは、オーガズムに達して、満足した証拠だろう。

更に、翌朝の、女の目覚めは、すっきりとした、爽やかな目覚めになる。
それは、完全な絶頂感を得て、ゆったりしたシータ波が長く続くと、その後の、脳波も安定し、熟睡することが、出来る。

実は、男も、行為の後で、実に、安定した心境になるものである。
すぐに、寝るということにはならないはず。
少しの、間をおいて、眠りに着く。
要するに、余韻である。
男にも、射精後の、そして、二人の満足感の、余韻というものがある。
それは、勿論、精神的なものである。

セックスの満足感は、生きる喜び、生きている喜びになる。

頭脳労働で、自律神経が、イカレている男は、残念ながら、性欲の処理が、ストレスのはけ口となり、女の体を使って、マスターベーションするのに、近いものがある。

それでも、女が喜んでいるのは、好意による。
ただし、好意は、いつまでも、続かない。

男は、一度目の、射精が、一番強いエクスタシーを得る。
二度目、三度目からは、それが、ガクンと落ちる。
しかし、女は、一度目から、二度目、三度目と、エクスタシーが深くなる。
逆なのである。

つまり、一晩に、何度も、射精するという、若さのあるうちはよいが、三十を過ぎると、何度も射精するということが、出来なくなる。
勿論、例外はある。

回数は、個人差である。
理想的なのは、前戯のテクニックで、女を十分に興奮させて、女がエクスタシーを、十分に満たせるようにすること、である。

長時間の勃起により、女を何度もイカせると、考える男たちも、多くいる。
確かに、それは、それで、いいが、個人差があり、一度のセックスで、一度の射精で、十分に満足するという人もいる。

長時間、勃起するという男は、実は、遅漏である。
イキたくても、イケないのである。
強ければ、いいというものではない。

遅漏の男の相談を、受けたことがあるが、実に辛いものである。
イケないのである。
時間がかかり過ぎて、疲れる。結局、射精しないで、終わる。
それは、マスターベーションも、そうである。
感覚が、鈍化している。生まれつきの場合は、どうすることも出来ない。
また、マスターベーションにより、そのようになってしまった、男もいる。

セックスは、個性である。
これが、一番良いというものは、無い。
パートナーとの、互いの満足感がいいならば、それで、問題は無い。ということは、セックスの良い相手に出会えたということは、人生の、喜びを得たということでもある。
それが、結婚後であれば、悲劇である。

だから、婚前交渉は、必要である。
ただし、何も知らない者同士が、一緒に、性生活を作り上げるという、形も、否定しない。

戦前までは、見合い結婚が、多数を占めた時代もある。
それでも、うまく夫婦関係を、築いたのである。
それは、互いに、探りつつ、性生活を築いたからである。

さて、統計的にみると、エクスタシーが、ピークに達するのは、三十代後半から、四十代である。
五十代に入ると、初老期になり、月経が止まり、脳の機能や、脳波が、子供返りをはじめる。
つまり、エクスタシーの質が低くなる。
ただし、だから、より充実した性生活も、考えられる。
別の形で、喜びの代償がある、というもの。

これで、解ることは、脳波も、年齢と共に、成長するということである。
10歳くらいの脳が、未分化な子供では、シータ波が、いつも、頭全体に出ている。
エクスタシーの、シータ波が出るというのは、特異的に出るから、いいのである。
いつも、シータ波が出ている子供は、本当の意味の、エクスタシーを感じる能力はない。

12歳くらいになると、肉体は、妊娠出来るようになる。しかし、それは、エクスタシーを伴わないセックスである。
中学生くらいから、脳波も、次第に成長する。
そして、二十歳を過ぎて、ようやく、安定した、成人の脳波が、出せるのである。

だから、脳波が、しっかりしない間の、セックスは、単なる興味であり、弊害がある。それは、本当のエクスタシーを感じない前に、ある程度の、快感で、終わるということである。

その、ある程度の快感を、エクスタシーと、思い込み、つまり、脳が思い込み、それ以上には、ならないのである。
それは、ある種の、悲劇である。

少女売春の事件を見るにつけて、その後の、少女の性生活を、思う。
少しの時間の差で、素晴らしい、エクスタシーを、体験出来なくなるのである。
簡単に体を、金に替えるという、愚かさは無い。
勿論、そこには、買う大人、男がいるのである。

一人の少女の人生に渡る、性を、破壊する行為である。
実に、罪深いものである。

更に言えば、十代、二十代の男の、セックスは、射精欲に支配されて、本当のセックスを味わう余裕は無いといえる。

何度も、射精して、めくるめくる感覚と、勘違いする様は、愚かである。
射精欲が、セックスの喜びであると、勘違いしたまま、男の人生を送ることになる。

もし、女を愛するならば、一人の女と、死ぬ程のセックスをして、女を、知り尽くすべきであると、私は、思う。

一人の女を、味わい尽くして、すべての、女を、知る。
それが、男の中の男である。

数の問題ではない。
質の問題である。

何人もの、女を通過して、これだと思う女と、出会うこともある。
それは、人それぞれである。

誰一人として、同じ人間はいない。
性の表情も、百人百様である。
実に、人生は、面白いものだ。




posted by 天山 at 00:00| 性について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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