2008年08月21日

性について 21

もう少し、女のエクスタシーについて、書く。

エクスタシーに達した時の、顔の表情は、左右対称になるというものである。
大脳の目覚めた意識で、作られる表情は、けっして、左右対称には、ならない。

筋肉の自動運動に、移行してゆく、性交中の興奮期以降の段階では、自動運動が強いる、左右対称の筋肉運動に逆らって、口を歪めたり、身をよじるという左右非対称な動作が、出来ないと、多くの実験結果で、解っている。

エクスタシーに入る直前でも、それに近づいている場合は、筋肉が自動に動き出しているゆえに、右側だけ、左側だけが、収縮するということは、無いのである。

だから、女が、体をこわばらせて、口をへの字にしても、左右のどちらかに、傾いていれば、嘘である。
体を突っ張り、爪を立てている場合も、同じである。

ただ、それは、エクスタシーに達する前の、女の表現方法であるといえる。

エクスタシーの最中に、顔を片方にしかめたり、体を捩ったり、アーと、声を上げるのは、偽物である。

矢張り、それは、エクスタシー前の、女の表現であるといえる。

エクスタシー前に、感じて、体を、エビのように、張るなどの反応は、あくまで、その手前の表現であるということ。

日向野春総氏は、性交中の、脳と、体の変化を調べるために、次の四点を、行ったという。

脳波、脈波、発汗作用を調べるGSR、そして、筋電図である。

筋電図を測定することで、興奮期から、絶頂期へと続く、女の体の状態、筋肉の緊張と弛緩の繰り返しが、もたらす、膣の締まり具合や、体の固さ、重さが、どのように変化するのかが、解る。

興奮期に入ると、全身の筋肉が緊張、弛緩を繰り返す。
そして、絶頂期に至る前には、その度合いが強くなり、爪を立てる、足に力が入るという、動きがある。

それで、解ることは、興奮期の中ほど、絶頂期、エクスタシーに近づくと、柔らかかった肌が、固くなる。首筋が、張る。膣が締まる。さらに、正常位でも、体が重く感じられるのである。

興奮期の間、筋電図は、ゆるやかな波を描きつつ、大きくふれている。
ところが、絶頂期、エクスタシーに近づくと、突然、振幅が小さくなる。つまり、筋肉の弛緩である。

この時期になると、膣も緩み、表情も、固くなく、腑抜けたようになる。

要するに、すべての、性的動作が終わるのである。

男も、射精直前なると、筋肉の緊張が解けて、射精後には、完全に脱落する。
これに、同調するように、女の筋肉も、突然弛緩する。
そして、15,6間の、エクスタシーを迎える。

これが、一緒にイクということである。

ところが、ここで、男が射精しない場合は、女の膣が緩くなった、締りが無いということになる。
もう少しのところで、膣の締り具合が、緩くなると、男は、惜しく思う。

実は、女は、エクスタシーに達していると、共に、エクスタシーを感じられる相手であるということが、証明されているのである。
膣の緩みは、男を愛している証拠なのである。

膣も、弛緩するからである。
それは、男の精液を、受け入れるプールが、子宮の入り口が広がって、出来るということである。
女の体は、セックスの後では、妊娠を求めるのである。

これが、自然なのである。

商売で、セックスをする女の体は、いつまでも、緊張しているから、膣も、締まっている。それは、愛情ではなく、商売だからである。

ここで、少し主旨を替えるが、女が男を、受け入れるということについて、言う。

女の体は、男を受け入れるように、出来ていると、思うのは、誤りである。
矢張り、異物を、体に入れるという感覚があるのである。

男が、それを理解するには、アナルに挿入されることで、少しは、理解出来る。
アナルに、挿入される痛みを感じて、また、異物を挿入されるという感覚を、感じて、女のこと、その心理的な気持ちも、理解出来るのである。

女が、股を開くということは、実は、大変な勇気なのである。
相手を本当に、信じる、信頼する、愛情を持つからこそ、股を開けるのである。

現在、当たり前のように、性行為を行う年齢が、低くなっているという。
援助交際などと、マスコミなどで、アホな報道をしているが、要するに、売春であり、成人前の、女は、子供である。

買う大人の、男の精神年齢も、低いが、それを、許す社会も、精神年齢が、低いということである。

特に、幼児、児童買春は、死刑を宣告してもいい、重罪である。

自分の性的満足を得るために、社会の宝、いずれ、子供を生むべき、母親を、壊しているのである。
重罪であろう。

刑が軽すぎる。

高校生程度の、年齢までは、女は、性欲というものを、感じないのが、普通である。
それより、精神的成長を求めるのである。
だから、良い母親になる。

しかし、お金という、化け物によって、それが、揺るがされるという、馬鹿馬鹿しい事態である。

男も、どうしても、相手が欲しいと思うならば、高校生程度までは、同性愛で、やり過ごせばいいのである。
それは、歴史を見れば、歴然として、理解するだろう。

高校生での、性体験者は、九割に達するという。
勿論、それを、悪いとは、言い切れない。個人差があるからである。

だが、重大なことを言う。
女が低年齢で、性に溺れると、そこから、一生抜けられない。
男は、一度沈み込んでも、抜けられるが、女は、抜けられない。
淫乱は、生涯続くのである。

それも、個人的嗜好であれば、いたしかたないが、それを、望まないのに、強制的に、性に溺れる事態を、他によって、引き起こされた場合は、悲劇である。

セックス依存症の、女性の相談も、多く受けたが、最早、相手が、誰であろうと、構わないという程になる。
悲劇である。

数知れない男と関係し、数知れない、堕胎をした女は、手の施しようが無い。

助けを求められたが、あまりに無残であった。

女が、性を誤ると、それが、生涯に渡って続くということである。

自由恋愛という言葉の元に、女も、男と同じように、性の自由を持つのであると、意気を上げていた時期も、あるが、結局、性の処理は、女がするのである。

性差ということを、知らない不幸である。
自由というが、何によって自由なのかを、考えない、アホ、馬鹿である。

貞操観念などは、最早無い時代であるが、無くてもいいが、男がを知る、理解するには、知識と、教養が必要である。

更に、性を、見つめてゆく。



posted by 天山 at 00:00| 性について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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