2008年08月20日

性について 20

男の、エクスタシーは、射精である。
そして、それに至る、ペニスの摩擦が、快感である。
実に、簡単なもの。

しかし、マスターベーションにより、射精をいつも、遅らせている、つまり、摩擦の快感を、長い時間に渡り楽しんでいると、セックスでの、摩擦が、物足りなくなり、遅漏、ちろう、という状態になり、または、膣では、射精出来ないになることもある。

射精に至る楽しみ方も、色々あるので、実に個人差が激しい。

それでは、女の方はというと、実に、エクスタシーに達するのは、複雑である。

神経科医の、日向野春総さんという方が、エクスタシーに関する、医学的測定をしたレポートがある。それを、紹介しつつ、女のエクスタシーを見ることになする。

注目すべき、ポイントは、眼球の動きである。
女がピークに達し、脳波に、シータ波が現れると、眼球の動きが、二秒、ないし、三秒止まる。

もし、その瞬間に、女が、目を開けていると、放心して、一点を見つめる表情になる。瞳孔が開くのである。

つまり、これは、何も見ていない。二人の世界に浸りきっているということ。

眼球は、目が覚めている時も、たとえ熟睡している間も、ゆっくりと、時には早く動いている。
レム睡眠という睡眠の状態の時になると、昼間のように、目まぐるしく動く。
しかし、エクスタシーの時は、眠ってもいないのに、その動きが止まる。
興味深いのは、エクスタシーに達していない、興奮期や、単なる演技の場合は、こうした現象は、起こらない。

これは、自律神経系の麻痺、前頭葉の麻痺であろうと、いわれる。
男には、決して、そんなことはない。

二、三秒でも、神経経路がオーバーヒートして、瞬間的に、死人と同じようになっていると、考える。
つまり、快楽の中の小死である。

男の射精時には、そんなことはない。
セックスに没頭していても、意識は、ある。
瞬間の死も無い。
それは、長い間に培われた、男の性、さが、である。
この場合の、性、さがとは、そのように、仕組まれたという、性質のことである。
外敵などを、意識して行うセックスなのである。

男は、射精をしつつ、動くことも出来るのである。

さらに、女は、その間、呼吸も止まる。
死人であるから、当然である。

興奮期から、絶頂へ昇りつめると、つまり、シーター波が現れると、呼吸が止まる。
その時に声を出したのは、一割程度だという。

興奮が高まり、呼吸が大きくなる時に、自然に出る声が、よがり声である。
男は、あえぎ声や、呼吸の乱れに、気を取られて、女が感じていると、思うが、実は、一瞬の静かさに、なった時に、エクスタシーに達しているのである。

大声ばかりを上げる女は、ヒステリー体質であると、思っていい。
または、演技である。

さらに、殊更、声を上げるというのは、他に、欲求不満を抱えているとみてよい。

止まった呼吸が、そのあと反動のように、息を吹き返す。
そして、次第に普通に戻る。
その時、男は、ペニスを抜いてはならない。
男の射精に、余韻は、無いが、女は、その後の、余韻があり、それが、愛情を深くする。

男と、女の、性感の感性については、驚くほど、違いがある。
理解という言葉の意味は、それを、知る、知るように努めることである。
それぞれの、違いを、理解することが、愛情というものである。

女は、体で、愛情を感じるものである。
その一つに、汗がある。
汗は、感じた深さに比例するのである。

実は、この汗は、嘘をつかないのである。
眼球の動き、呼吸の停止は、手馴れた女になると、演技で、出来るが、汗だけは、演技で、出ないのである。

脳波と、発汗作用の、関係は、実験によって、示された。

女に、オナニーをしてもらう。
陰唇が、充血して熱く開き、分泌物も出る。つまり、濡れるのである。
呼吸も、乱れ、心拍数も多少増える。
ここまでは、セックスと同じである。
ところが、オナニーの場合は、発汗が無い。
その時、シーター波は、出ない。シーター波が現れて、エクスタシーを感じて、全身の発汗が、起きるのである。

その、汗は、薄く膜を張ったような、汗である。

発汗作用は、温熱性発汗と、精神性発汗がある。

温熱発汗は、通常の汗である。
精神性発汗は、感動、驚き、恐怖などによる。
それは、全身ではなく、手のひら、足の裏、わきの下など、局部に出るものである。

嘘発見器は、それを、利用したもの。

発汗作用について、大事なことがある。
発汗中枢は、脊髄にあり、上位中枢は、視床下部に位置して、ここで他の自律神経系と、連絡している。

エクスタシーの発汗は、実は、温熱でも、精神性でも無いのである。

エクスタシーによる、発汗は、視床下部にある性中枢と、発汗中枢が、非常に近い位置にあるため、性中枢の興奮が、発汗中枢を刺激するという。
エクスタシーの汗は、脳がかく汗なのである。

つまり、女の性は、脳による。それは、体全体によると、考える。

男の、射精は、どこかの、トレイでも、行えるが、女のエクスタシーは、そういう訳にはいかないのである。

全身に、うっすらと膜を張るように出る汗が、つまり、エクスタシーの汗が続けば、続くほど、シーター波も、ゆったりと安定した、波を見せる。
それは、エクスタシーが、深いということである。

発汗が長く続き、大量の汗をかくほどに、女のエクスタシーが深いのであり、その時、男は、しっかりと、抱きしめることである。
そして、女の体が、ひんやりと感じたならば、最高のセックスをしたということが、言える。

膣からの、液を、愛液というが、それは、膣の汗である。
それにより、感じていると、勘違いする男が多い。

それは、エクスタシーの前段階のものである。

セックスにおける、女は、演技派である。
よがり、のけぞり、わめき、爪を立て、膣を濡らしても、全身に汗をかいていないなら、演技であり、それで、女も、イッたと思うならば、勘違いである。

女も、エクスタシーを知らない者、多々あり。

更に、セックスには、全人格が、投影される。
一人の女を満足させ得ないで、多数と、交わる、俗に言う、千人斬りなどと、豪語する男は、オナニーを女の体で、しているようなものである。

一人の女に、すべての女を観る男こそ、女を愛する男と、言える。

女に飽きるという男は、潜在性、同性愛を持つ。
勿論、本人には、そんな意識は、もうとう無い。
俺は、女好きな男だと、信じている。信じる者は、騙されるのである。
つまり、自分を騙しているのである。



posted by 天山 at 00:00| 性について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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