力になる人、どうしたらと、相談できる人も、いない。
法師などは、こんな場合は、力になる人と、考えてもよいが。
あれほど、強がっていたが、まだ、お若い方ゆえ、むなしく死んでしまったことを、御覧になると、堪え切れず、じっと抱きしめて、あがきみ、生き返ってくれ。いといみじき目な見せたまひそ、と、思う。
しかし、冷え切った体は、気配もの、うとくなりゆく、のである。
いといみじき目な見せたまひそ
酷い目にあわせないでくれ。
うとく なりゆく
疎ましくさえ、思われる。遠くに、去ってしまった、感覚である。
右近は、ただあなむつかしと思ひけるここち、みなさめて、泣きまどふさまいといみじ。南殿の鬼の、なにがしのおとどをおびやかしけるたとひをおぼしいでて、心強く、源氏「さりともいたづらになりはて給はじ。よるの声はおどろおどろし。あなかま」と、いさめ給ひて、いとあわただしきに、あきれたるここちし給ふ。
右近は、怖いという気持ちが、消えて、泣きうろたえるのである。
何とも、なだめようがない。
源氏は、南殿の、鬼の、某大臣を、脅した話を、思い出し、気強くなった。
源氏は、いくらなんでも、このまま、亡くなるということは、あるまい。夜の声は、大袈裟に響く。
静かにと、たしなめるが、まことに、慌しい成り行きとなり、茫然自失である。
このところを召して、源氏「ここにいとあやしう、物におそわれたる人の悩ましげなるを、ただ今、惟光の朝臣の宿る所にまかりて、急ぎ参るべきよし言へと仰せよ。なにがしアジャリ、そこにものするほどならば、ここに来べきよし忍びて言へ。かの尼君などの聞かむに、おどろおどろしく言ふな。かかるありき許さぬ人なり」など、みの宣ふやうなれど、胸ふたがりて、この人をむなしくしなしてむ事の、いみじくおぼさるるに添へて、おほかたのむくむくしさ、たとへむかたなし。
滝口を呼んで、源氏は、ここに、いとあやしう、物の怪に襲われた人がいる。今すぐに、惟光の朝臣の宿所に行き、急いで来るようにと、隋身に言いつけよ。惟光の兄の、アジャリが、そこにいるならば、ここに来るようにと、こっそり申せ。あの、母の尼君の耳に、入らぬように、仰々しくは、言うな。忍び歩きを、喧しく言う人だから。
と、言いつつ、胸が一杯で、この女を、このまま、亡くしてしまったら・・・と思う。
加えて、辺りの、気味の悪さである。
この巻の、マライマックスであるが、淡々として、筆が進む。
女が死ぬという、大事である。
しかし、源氏は、おろおろするばかりである。
若気の至りの行為であったが、その、結末としては、あまりに、気の毒である。
物の怪に、憑かれて、死んだということは、なにを意味するのか。
そして、その、物の怪の正体とは、である。
それらが、また、順々と語られるのである。
今度は、回想風になってゆく。
しかし、その前に、源氏の姿である。
夜中も過ぎにけむかし、風のややあらあらしう吹きたるは。まして松のひびき木ぶかく聞えて、けしきある鳥のからごえになきたるも、ふくろふはこれにやとおぼゆ。うち思ひめぐらすに、こなたかなたけどほくうとましきに、人声はせず。などて、かくはかなき宿りはとりつるぞ、と、くやしさもやらむかたなし。
夜中も過ぎたようである。
風が、少し強く吹き出した。
まして、松風の様は、茂ったさまの響きである。
異様な鳥が、生気の無い声で鳴く。フクロウとは、この鳥なのかと、思わせる。
色々と思ってるみるに、ここもかしこも、人気もなく、不気味で、人の声も聞こえない。
どうして、こんな所に、泊まったのか。そう思うが、誰のせいにも出来ない。
かくはかなき宿りは とりつるぞ
どうして、こんな宿を取ってしまったのか。泊まったのかと、自問自答する。
後悔するのである。
右近はものもおぼえず、君につと添い奉りて、わななき死ぬべし。またこれもいかならむと、心そらにて捕らへ給へり。われひとりさかしき人にて、おぼしやるかたぞなきや。灯はほのかにまたたきて、母屋のきはに立てたる屏風のかみ、ここかしこのくまぐましくおぼえ給ふに、ものの足音ひしひしと踏み鳴らしつつ、うしろより寄りくるここちす。「惟光とく参らなむ」とおぼす。ありか定めぬ者にて、ここかしこ尋ねける程に、夜のあくるほどの久しさは、ちよを過ぐさむここちし給ふ。
右近は、正体もなく、君にぴったりと、添ったままである。
震えて死にそうである。
女ばかりか、この女も、どうなるか、解らないと、上の空で、つかまえている。
自分一人が、醒めていて、途方にくれる。
灯は、微かにして、母屋の境に立てた、屏風の上、その他あちこちが、暗いのである。
何か、足音が、ミシミシと踏み鳴らし、後から、寄って来る感じがする。
惟光よ、早くと、思う。
お使いが、あちこちと、探している間と、夜の明ける間の、長いことは、千夜を過ごすような気持ちである。
われひとり さかしき人にて おぼしやる かたぞなきや
自分一人が、さかしき人、賢い人であるが、ここでは、しっかりしている、と読む。
自分だけが、その状況を、明確に意識し、認識しているのである。
それだけに、恐怖もまた、強いのである。
一体、何事が、起こったのかという、奇怪な気持ちと、事後の収拾である。
もう、手出しが出来ないのである。
ちよを過ごさむ
千代を、過ごすような気持ちである。
この夜の、出来事は、源氏を、しばし、悩ませることになる。