2008年08月01日

神仏は妄想である 102

凡ての他力門の教えは、罪の場から始められる。しかも罪という観念は、何も抽象的な概念ではない。それ故他人の罪悪を挙げて、詰るがごときなまやしさいことではない。自分自らの現下の罪に、一切の注意を集めることである。罪とは「我が罪」ということに外ならぬ。自分の罪以外に考える余地を残さぬ時が、始めて罪なるものがまともに考えられる時なのである。
柳宗悦

上記、真っ当な感覚だろうか。
キリスト教の原罪という、罪意識も、実に、妄想であり、支配する者のために、あるような、教義である。
それは、アグスチヌスという、教父といわれる者に、よって成った、観念である。教父とは、教えの親という意味であり、カトリック教義の産みの親である。
以前に、キリスト教の時に書いたので、もう一度、読み直してほしい。

この罪意識を、持つことによって、信仰が深まると、考えるところが、病である。

何故、それほど、自虐的に、ならなければならないのか。

さらに、こうも、続ける。
それ故罪の意識は、自分が誰よりも罪深い者だという懺悔を伴うものでなければならぬ。この世にどんな悪逆な者がいようとも、自分の方がそれにも増して罪深い者だということが気付かれる時、始めて罪の意識が真実なものになるのである。

これを、多くの宗教家を、はじめ、識者、仏教擁護者、浄土門帰依者等々、さらに、評論、作家などの、仏教の太鼓持ちが、語るという、愚劣である。

何故、そんなに、我が身を責めることが、必要なのか。

原罪という観念に至っては、我知らずの、生まれたことに、対する罪意識である。
これは、健康的なことなのか。

果たして、仏陀は、そのようなことを、言ったのか。そのように、教えたのか。

生まれながらに、罪ある者という、その考え方は、一体、どこから出てくるものなのか。

太宰治の、生まれて済みません、では、ないだろう。
ただでさえ、人間が生きることは、苦悩である。
これさえも、私の観念である。

それに加えて、更に、自らを罪人だと、責めよというのか。

長年、宗教に関わって真っ当に生きる者、この罪意識によって、病むのである。無用の病である。

更に、この罪意識を、深めて、ある地点に達すると、顛倒が起こるという。
その自分に、見切りをつけて、全き、懺悔に至るのである。
そして、世界の光景は、一転して、我を捨てるという。
そこに、その捨てた時に、無限大なるものが、開ける。それが、弥陀の世界、弥陀の本願である、救いであるというのだ。

後に、禅宗の時にも、考えるが、兎に角、自分を捨てることだと、解くのだ。

心理学から、見れば、この自分を捨てるというのは、俗に言われる、客観性というものなのであろう。いや、彼らは、それ以上の境地だといううだろう。
そして、その境地の、解らない者には、解るわけがないとも、言うだろう。

よくよく、考えて欲しい。
人間が、本当に、客観的になれるものだろうかと。
客観的に、物を見るという場合も、主観の内にあるのである。
つまり、自分の意識から、逃れて、外の意識になることは、出来ない。そし、それが、出来るというなら、それは、精神疾患である。

人間は、絶対主観の、何物も持たないのである。

境地という、境地は、単なる妄想である。

勿論、何事かを、知るという、瞬間がある。
その、瞬間に、悟りという言葉を、当てはめるならそれでもいい。
しかし、瞬間に知ることは、更にまた、瞬間に知ることを、続ける。

禅で言う、大悟という、境地があるというが、もし、本当に、そのような、大悟があれば、精神疾患というしかない。

つまり、宇宙と、一体に成ったとか、真理と、同体になったとかいうことである。
勿論、我が内に、宇宙的な働きがあると、感じることはある。だが、それが、宇宙との一体感云々ということになれば、妄想と言うほかはない。

仏陀が、悟った時に、仏陀の自我は、地球を越えて、宇宙に飛び出し、さらに、銀河系を、抜けて、さらに、宇宙を越えて行く。そして、大宇宙と一体になったという、アホがいるが、確かに、そのように、比喩として、語られることは、理解するが、だから、それが、何だというのか。

仏陀は、それで、ハイおしまいとならなかった。
仏陀は、人々に、生活指導を始めたのである。

すべては、心が作り出すものに、左右されている。
まず、その心の整えることが、大切である。
静かに、息を吸い、静かに、考えるべきだ。
心を、整えるということは、息を整えることである。
そのように、実際的な、ことを、教えたのである。

宇宙と一体になる等々の、お馬鹿な話はしなかった。
また、大乗仏典にあるような、誇大妄想も、言わないのである。

一体、このちっぽけな、人間というものに、何が出来るのか。
この人間は、生きるということを、徹底的生きることなのである。そして、徹底的に生きるとは、何かということを、問い続けて、仏陀は、生活指導をしたのである。

その良い例が、難行苦行というものを、捨てた。

自分を、自虐するものを、捨てた。
更に、自分の心を、自虐する思いを、捨てよというのである。

自分が、自分を苛めて、どうする。

それが、日本にての、浄土門になると、罪悪感を持て、懺悔することによって、世界が一転して、仏の世界が、広がるということになる。
これは、仏陀の教えの、変節である。

堕落である。

兎も角、そこまで、追い詰めて、追い詰めて、もうどうすることも出来ないという、状態に至って、救いの道が、見いだせるというのは、洗脳である。
自分を捨てて、弥陀の本願に頼るしかないという、その、根性は、どこからのものか。

更に、その弥陀というもの、人間の頭で、捏ね繰り回して、作り上げた妄想の存在である。

これを、迷いと言わずして、何を、迷いというのか。

親鸞に帰依する、知識人は、多い。
あれは、誤魔化しである。

親鸞は、愛欲の大海に溺れ云々というが、直訳すれば、セックスしたくて、セックスしたくて、たまらないというのである。
それなら、セックス三昧で、いいではないか。
ところが、親鸞の、偽善は、そんな罪深い者であるからこそ、弥陀の本願があるという。

何故、親鸞は、僧などやめて、一般人として、普通の生活をしなかったのか。
それは、名利の大山に迷いというのである。
つまり、有名に成りたいのである。

アホか。

そのような者だからこそ、弥陀の本願があるのだと。
いい加減にしろ、というだ。

私は、罪人、セックスしたいし、有名にもなりたいし。
なら、そうしたらいい。
しかし、僧として、妻を持って、周囲を、仰天させて、更に、僧を続けるという。然、有名にはなるし、妻も得られて、セックス出来るし。

更に、働かず、自分のこと、罪深さを、語り語りと、信者を集めて、一派をなしたという、結果。

さて、親鸞に帰依する者の、顔が見たいものである。
更に、面白いのは、その親鸞の行状に、激怒した、僧僧僧たちが、今は、皆、セックスしたいからと、妻を持つのである。

それが、日本の仏教である。

仏陀曰く。
僧、修行者は、女の膣に、ペニスを入れるな。

終わっている。
何が。
日本の仏教、僧たちである。
最後の砦の禅宗まで、今では、セックス三昧である。

その点、空海は、頭がいい。
女に触れるな、しかし、稚児に触れるのは、いい。
穴は穴でも、別の穴は良い。
稚児経にて、稚児の愛し方を、指南する。
空海の作なのか、どうかは、知らないが、その位の、度量は、空海にはある。


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もののあわれ263

御車入れさせて、西の対に、おましなどよそふほど、高欄に御車ひきかけて立ち給へり。右近、艶なるここちして、来しかたの事なども、人知れず思ひ出でけり。預かりいみじくけいめいしありく気色に、この御ありさま知りはてぬ。


御車を引き入れて、西の対に、ご座所などを、設ける間、高欄に、ながえ、を、持たせて、車を立てる。
右近は、味な気がして、過去のことなども、思い出したことである。
留守役が、懸命にお世話をする様子に、君が、どなたであるか、解ってしまった。


ほのぼのと物見ゆるほどに降り給ひぬめり。仮りそめなれど、きよげにしつらひたり。預り「御ともに人もさぶらはざりけり。ふびんなるわざかな」とて、むつまじき下家司にて、殿にも仕うるまつる者なりければ、参り寄りて、預り「さるべき人めすべきにや」など申さすれど、源氏「ことさらに、人来まじき隠れ家、求めたるなり。さらに、心より外に漏らすな」と、口がためさせ給ふ。御かゆなど急ぎ参らせたれど、とりつぐ御まかなひうちあはず。まだ知らぬ事なる御旅寝に、「おきなが川」と契り給ふ事より、ほかの事なし。


ほのぼのと、物が見える時間に、車を、お降りになった。
間に合わせだが、さっぱりとした、ご座所が、設けてある。
留守役は、お供に、誰もいませんが、不都合なことですと、言う。
下家司の、大臣宅にも、出入りする者なので、お傍近くに、来て、しかるべき人を、お呼びしましょうかと、右近を通して、申し上げる。
源氏は、誰も来ることのない場所を、選んだのだ。絶対に、誰にも、言うなと、右近に、口止めを命じる。
お食事などを、急いで、差し上げるが、給仕するのも、揃わないのである。
今までにない、外泊である。
「おきなが川」永久に、語り合うという意味。
と、誓うより、他にないのである。

契り給ふ事より
誓うと、契るとの、二つの意味であろう。
語り合うとは、情交することでもある。
物語するというのは、男女の仲では、情交することである。


日たくるほどに起き給ひて、格子、手づから上げ給ふ。いといたく荒れて、人目もなくはるばると見どころなく、木立いとうとましく物古りたり。け近き草木などは、ことに見どころなく、みな秋の野らにて、池もみくさにうづもれたれば、いとけうとげになりにける所かな。べちなふのかたにぞ、曹司などして住むべかめれど、こなたは離れたり。源氏「けうとくもなりにける所かな。さりとも、鬼なども、我をば見ゆるしてむ」と宣ふ。


日も高くなった頃に、お起きになって、格子を、ご自分で、お上げになる。
庭は、とても荒れて、人影もなく、広々と見渡されて、植木は、気味悪く、古色を帯びている。
間近の、前栽の草木などは、別に見栄えもなく、一面は、秋の野原である。
池も、水草に埋もれて、なんとも、恐ろしい雰囲気である。
離れ屋の方には、部屋を構えて、住んでいる人もいるらしいが、こちらは、離れている。
源氏は、なんとも、恐ろしい場所だ。でも、鬼でも、私なら、許してくれそうだと、言う。


いとけうどげになりにける
大変、恐ろしい雰囲気である。

廃墟のような、所である。
この巻に、相応しい場所を、作者は、用意した。


顔はなほ隠し給へれど、女のいとつらしと思へれば、「げにかばかりにて隔てあらむも、事のさまにたがひたり」とおぼして、

源氏
ゆう露に ひもとく花は 玉ぼこの たよりに見えし えにこそありけれ

露の光りやいかに」と宣へば、しりめに見おこせて、


光ありと 見し夕がほの うは露は たそがれ時の そらめなりけり

と、ほのかに言ふ。をかしとおぼしなす。げに、うちとけ給へるさま、世になく、所がらまいてゆゆしきまで見え給ふ。源氏「尽きせず隔て給へるつらさに、あらはさじ、と思ひつるものを。今だに名のりし給へ。いとむくつけし」と宣へど、女「あまの子なれば」とて、さすがにうちとけぬさま、いとあいだれたり。源氏「よし。これもわれからなめり」と、恨み、かつは語らひ、暮らし給ふ。


顔は、隠していらっしゃるが、女が、それは、酷いと思っている。
こんなことになっても、隔てを置くのは、変なことだと、

源氏
夕露に、ほだされて、堅い蕾が、紐を解いて、顔を見せる花は、道の通りに、逢った縁なのです。

露の光は、どうだと、おっしゃると、流し目に、見て、


光り輝くと、見ました、夕顔の上に置く露は、暮れ方の、見誤りでした。

と、微かに言う。
それも、良いと、思う源氏である。
場所が、場所ゆえ、いっそう美しく見える。
源氏は、いつまでも、隠しているのは、酷すぎる。顔は見せまいと、思っていたが、この上は、名前を、言いなさい。とても、気味が悪いと、言う。
女は、海女の子ですと、答える。
それでも、言うなりに、ならないのが、甘えているのである。
源氏は、しょうがない、これも、自分のせいだと、思う。
恨んだり、話し込んで、その日が、暮れた。


男と女の関係に、身分も、名前も、どうでもいいのである。
しかし、当時は、それは、タブーである。
あえて、紫式部が、この巻を書くのは、何故か。
人生の、一場面に、そういうこともある。
一夜限りの、契りを結ぶ者もいる。
恋とは、そういうものである。そして、更に、説明は、無い。
説明できるような恋など、恋というものではない。
恋とは、セックスであると、何度も書いた。
セックスというものを、どう認識するのかである。
性というものを、どのように、取り扱うのか。

それを、単なる欲望、煩悩として、扱うものだろうか。
私は、それは、恵みであると、古代の人と共に、思う者である。
それに、悩み、煩悶するという様を、迷いというのであれば、そのように、考えることが、迷いである。

万葉が、無ければ、源氏物語も、無かったのである。

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性について 1

性について、書くと、決めてから、一週間を経て、書き始めることにした。

戸惑いがあめのは、終わりのないものになるのではないか、という、不安である。
これで、お終いという、お話ではない。
延々と続くのが、性であろう。

古来から、性については、多くの人々が、書いてきた。今も、そうである。
私の、少ない書籍の中にも、性について、扱ったものが、多々ある。
生物学、心理学は、ともかく、様々なタイプの、性についてが、ある。

どれを、取り上げて、性を、書き始めても、いいと、思われる。
私は、素人だから、ランダムに、気の向くままに、書くことにする。

何故、性を書くのかと、言われれば、性は、死と共に、人間の、最大のテーマである。

ただし、性を書くのであり、性行為についてを、書くのではないということである。
性行為に、関して書いても、それは、性を、語るためのものである。

性とは、何か。
終りの無い旅を始める。

性の歴史は、人間の歴史である。

最初に、旧約聖書の、レビ記から、引用する。
「女と寝るように男と寝る者は・・・
必ず殺されなければならない。その血は彼らに帰するであろう」
故に、今でも、同性愛者を、死刑にする国がある。

特に、アラビア・イスラム圏である。
西洋も、キリスト教により、死刑を、行っていた時期もある。

新約聖書、パウロの、ローマ人への手紙には
「女との自然な関係を捨てて、互いに情欲の炎を燃やし、男は男に対して恥ずべきことをなす」
と、書かれている。

つまり、それは、こういう行為、同性愛行為が、実に、多かったことを言うのである。

ユダヤ、キリスト、イスラム教では、何故、それほどまでに、執拗に、同性愛というものを、排除しようとしたのか。

矢張り、それが、多かったためである。
そして、もう一つは、教義である。

それらの、宗教以前に、何が行われていたのか。
同性愛というものを、その、恐るべき、生殖能力を、神に捧げるという、古代信仰によるものである。
つまり、神のみ使いいである、神官に、それを、捧げたことから、始まると、思われる。

それは、聖書の教義、同族の結束を砕くものになった。
その、結束の元とは、偶像崇拝という、言葉に置き換えられる。

それほど、聖書の中に、禁止項目として、載ることは、それが、広く行われて、さらに、流行していたと、いうことである。

人類が、宗教の芽生えを、感じはじめた頃である。
神々は、自分たちと、近い存在であり、しかし、自分たちより、力の強いものであるという、単純な意識である。
そして、その神たちは、男女両性であった。
男も女も、両性の神を崇めていた。
しかし、そのうちに、両性の神が、それぞれに、分かれて、それぞれの、性の偶像となり、男は、男神を、女は、女神を、拝むのである。

神の住まいと、される、神殿にて、同性の神が、礼拝され、巫女と、神官が、神を引き寄せる役目を、帯びる。
更に、巫女も、神官も、神と、近いものという意識が、芽生え、彼らに、捧げるもの、それが、性となった。

世界の至るところに、見られる、男性器、女性器の、崇拝が、行われる。
それは、しかし、偶像なのであり、聖書の神は、偶像を嫌った。
純粋な、一神教の信仰とは、相容れないものとなった。

聖書は、子を、もうけるためだけの、性を、正当化する。
他の目的の、性は、乱用であり、罪悪であるとの、意識を、持つことになる。

非宗教である、政治の法律でも、聖書の解釈に、則り、同性愛を、禁止するということで、それは、確定した、罪になった経緯がある。

さて、何故、私が、これを、最初に取り上げるのかは、性、というものの、本来の姿を、見るためである。

性は、性行為にのみ、あらず、ということを、言うために、これを、最初に取り上げた。

最初、人は、性と、生殖を、結び付けては、考えなかった。
全く、別物であった。

そこから、性について、が、はじまる。

更に、突飛だが、単細胞動物の、ゾウリムシを、言う。
一番下等な、動物といわれる。
分裂による、生殖を、行うものである。

しかし、時に、有性動物のように、二匹が、結びつくことがあるという。
その時、ゾウリムシは、水の中に、ホルモンのような液体を出し、互いに相手を、引き寄せる。
それが、生殖行為である。

ウニ、ヒトデのような、無脊椎動物は、どうか。
性の区別は、ある。
その生殖は、植物のようである。
雄と、雌が、接触しない。
成熟すると、それぞれが、生殖液を、放ち、それが偶然に、結びつくのみである。

魚は、どうか。
雌の、卵の上に、雄が、精液を、振り掛ける。
接触は、しない。

雄と、雌が、接触して、生殖行為を、行うのは、ミミズのような、環形動物から、はじまる。
ミミズは、雄雌の同体であり、二匹が、互いに逆方向に、接触して、それぞれが、精子を交換するというものである。



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2008年08月02日

神仏は妄想である 103

さて、浄土門について書いている。

私は、法然という人間を見る。
彼の最も、肯定したい思想は、専修念仏というより、女人往生である。
つまり、男女平等を、宣言したことである。

時代性と、時代精神は、念仏を必要としたことは、その時代、歴史を眺めると、解る。

下界は保元、平治の乱後の政情不安が年ごとにつのり、山上の宗門では宗徒僧兵が権力争いに明け暮れている。そこへ自然災害も加わった。記録を覗いても、承安三年には延暦寺と、興福寺の僧兵が戦い、平家が軍勢を繰り出してこれを鎮圧する。翌年は大風が洛中に吹き巻いて家屋の倒壊が続出。これにともなって飢餓状態が全都にひろがった。
人災天災に苦しむ庶民大衆に救いの手をさしのべねばならない。他力門、易行念仏をひろめることで心に安定を与えるのである。
寺内大吉 法然讃歌

修行僧としての、問題意識である。
念仏を称えて、活動した聖は、数多くいた。
民衆の中に入り、様々な福祉に、手を染めた者、多数。

それは、個々人の活動であった。勿論、その後を慕い、師弟の関係を持つ者もいただろうが、明確に、宗教団体として、活動するという意識は無い。
私は、それらを、否定する何物も、持たない。

私が、ここで、取り上げるものは、宗教団体としての、宗教である。
個人的な活動に、その人の信仰が、関わっていても、何の問題もない。
それは、極めて個人的なことである。私は、それを、情緒と、呼ぶ。

さて、ご多分に漏れず、仏教も、女人は、救い難しと、言う。

過去の諸仏典はすべて女人往生をまともに取り上げようとはしていない。女性の死後は冥府をさまよって定着できる場所がない。「六趣」という暗黒の世界を放浪する。六趣とは、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の巷を指す。この「人間界」とは幽鬼や幽霊がさまよう世界である。
寺内大吉

冥府とは、死後の世界である。

旧約聖書にも、女は、家畜と同じであるという観念であるが、仏教もまた、人間の数には入れないのである。

中国僧の、道宣は、南山律師と呼ばれた名僧である。596年から667年の人である。
その言葉に、「十方世界に女人がある処そこは地獄である」と、断定するのである。
これが、当時の仏教の、女性に対する認識だったと、思えばよい。

法然は、弥陀の本願四十八の第三十五願は、女人の往生が主になるといわれる
「たとい我れ仏を得たらんに、その女人にあって我が名字を聞き、歓喜信楽して菩提心を発し、女身を厭い、寿終の後未だ女像たらば正覚を取らじ」とある、それを、否定したのである。

上記を訳すと、女の命が尽きて、往生を遂げる時に、我が名を称え、喜んで、菩提心、つまり、悟りたいと思う心を、起こし、なお、女の身であるなら、自分は仏にならないという。女の身を、男の身に変じて、救うというのだ。

それを、否定した。女は女の身のままで、往生するという。
法然は、弥陀の本願を信じたが、この一点に、法然の、オリジナルがある。
だから、私は、法然を、否定しない。
単に、盲目とした信仰ではない。
実に、偉大な、問題意識である。

女人往生するというのは、画期的であり、既成仏教との、決別である。

空海というのも、オリジナルを数多く生んだが、法然も、そうである。
もう一人は、道元である。
あとは、その他大勢である。

犯しては、いけない、仏典の、無量寿経の箇所に、疑いありとは、素晴らしい業績である。

念仏往生は、男女を問わず、死に望んで、来迎する諸仏諸菩薩も男女に差別なく及ぶ。第二十願では、十方の衆生が、南無阿弥陀仏の名号を聞き、思いを浄土に懸け、この仏と結縁した者は、必ず極楽往生を遂げると、誓うのであると、言う。

故に、第三十五願は、疑いありなのだ。

法然は、明確に、女人往生を掲げた。
これが、実に評価できる、オリジナルである。

ただし、弥陀の本願というものは、創作であることは、免れない。
それは、別にして、男女を等しく、扱うという、考え方に、法然の面目がある。

私は、それを、評価する。

しかし、歴史を眺めれば、女の人生は、まだまだ、苦難、苦渋の人生であった。
矢張り、男のために、男に従い、弄ばれて生きる道を、辿る。
それは、日本の場合、戦後まで、続いたのである。
長い道のりであった。

鎌倉仏教と、いわれるもの、法然のよって、始まったと、言ってよい。
そして、女性は、最初に、男女を平等に、扱った歴史的人物として、敬意を表してよい。

あの時代、35年もの、長きに渡り、仏法を学び、智慧第一と言われた、法然の、世界の中では、それ以外の方法しかなかったのである。
仏法という中での、思索である。

しかし、それを、現代に持ち込んで、更に、信仰を強要するものになったら、どうだろうか。それは、完全に誤りである。

その、法然の精神を、見るというなら、解るが、信仰として、信ぜよということは、僭越行為の何物でもない。

次に、阿弥陀如来というものの、その姿を、見ることにする。
あまりのことに、仰天する。
結局、ハリーポッター並の、とんでも、お話なのである。
ただ、その想像力には、感服する。

仏典が、書かれた当時の、ファンタジーであり、壮大なフィクションである。
人間の想像力というもの、ホトホト感心する。


posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ264

惟光尋ね聞えて、御くだものなど参らす。右近が言はむ事さすがにいとほしければ、近くもえ侍ひ寄らず。「かくまでたどりありき給ふ。をかしう、さもありぬべきありさまにこそは」と、おしはかるにも、「我がいとよく思ひよりぬべかりし事を、譲り聞えて、心ひろさよ」など、めざましう思ひをる。


惟光が、探し出して、御くだものなどを、差し上げる。
右近に会ったら、聞かれるだろうと思うと、気の毒で、お近くに、居候もできない。
こんなにまで、うろつき回るということ、実に、また、面白いのである。
我が君を、こんなに、熱中させるほどの、女かと、思われて、自分が、手に入れることのできたものを、お譲りしたという気持ちは、度量が広いと、呆れ返る、思いでいる。


めざましう思ひをる
これは、作者の感想である。
自画自賛していると、作者が、呆れるのである。
あたかも、本当の話のように、である。


たとしへなく静かなるゆふべの空をながめ給ひて、奥のかたは暗うものむつかし、と、女は思ひたれば、端のすだれをあげて、添ひ臥し給へり。夕ばえを見かはして、女もかかるありさまを、思ひのほかにあやしきここちはしながら、よろづの嘆き忘れて、すこしうちとけゆくけしき、いとらうたし。


譬えようもない、静かな夕方の空、目をやり、部屋の奥は、気味が悪いと思う女なので、君は、縁側に近い、御簾を巻き上げて、横になった。
夕映えに、映える顔と顔を、見合って、女は、思いがけないことと、思うが、辛さも、苦しさも、忘れて、少しづつ、大胆になってゆくところが、可愛いと思うのである。



たとしへなく静かなるゆふべの空
言葉が、見いだせないような、静かな夕空である。
思ひのほかにあやしきここちはしながら
このような、心境は、どんな心象風景なのだろうか。
思いもよらない、あやしき心地という。
怪しい、とも、妖しいとも、書く。

うちとけゆくけしき
気色という言葉は、心の様を言う。
風景の、景色ではない。
心の気色である。
しかし、風景の景色というものも、気色と書くのである。
つまり、目の前の、景色も、心の中に写る気色というものに、なって、はじめて、景色が、気色になるのだ。

二つの意味を、兼ねる時に、けしき、と書く。


つと御たかはらに添い暮らして、物をいとおそろしと思ひたるさま、若う心ぐるし。格子とくおろし給ひて、大殿油参らせて、源氏「名残なくなりにたる御有様にて、なほ心のうちの隔て残し給へるなむつらき」と恨み給ふ。



お傍に、一日中いる間、何となく、怖そうにしている様などは、子供のようで、いじらしいと思う。
源氏は、格子を、早めに下ろし、燭台に火を点させて、言うままになっているのに、名を言わないとは、ひどい、と、恨み言を言う。



「うちにいかに求めさせ給ふらむを、いづこに尋ぬらむ」と、おぼしやりて、「かつはあやしの心や。六条わたりにもいかに思ひ乱れ給ふらむ。恨みられむも苦しうことわりなり」と、いとほしきすぢは、まづ思ひ聞え給ふ。なに心もなきさしむかひを、あはれとおぼすままに、「あまり心深く、見る人も苦しき御有様を、すこしとりすてばや」と、思ひくらべられ給ひける。


宮中では、どんなにか、探していることだろうと、思う。
使者に当たった者は、どこを、探しているのだろうかと。
そのように、思えば、我ながら、変ではあると、思うのである。
六条の御方も、どんなに、案じておいでであろうか。
恨まれるのは、苦しいことだが、まず、六条の方を、思うのである。
目の前の、女が、何の躊躇いもなく、向かい合っているのを、見て、可愛く思う反面、あのお方を、お相手するのは、息苦しく、感じると思う。
それを、少し取り除けばと、思いつつ、目の前の女と、比較するのである。


うち、とは、宮中、つまり、天皇である。源氏の父帝のことである。
そして、その命を受けた者たちである。

隠れて、女と、一緒にいるという、妖しい思いを、楽しむのである。
しかし、それも、つかの間である。
物語は、一気に、妖しくなるのである。

もののけ、というものが、登場する。
それは、単なる、幽霊などではない。
女を、死に至らしめる、もののけ、である。

そこまで、至らしめるために、今までの、準備があった。
作者は、すでに、その結末を知って、ゆるやかに、物語するのである。

作者とは、語り手である。
紫式部は、語り手の、手法を持って、物語を書く。
以後の、小説、物語は、それを、手本とするのである。

また、多く、主語を省くという、物語の伝統を、築いたとも、言える。
心の様は、読み込んでゆけば、自然に理解出来るようになっている。
しかし、これは、日本文学の、特徴とも、言えるのである。

現代訳する時に、これは、誰の心境だろうと、思われる箇所、多々あり。
しかし、自然に、それが、理解されるのである。
それは、歌道の、教養のゆえである。

文学、とりわけ、日本文学とは、歌道の、学びが、必要不可欠である。


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性について 2

水棲動物には、挿入器官としての、ペニスは、無い。
故に、接触することはない、のである。

陸上の高等動物になって、昆虫でも、ペニスがある。
そして、雄と雌の、複雑な、接触が行われる。

空気中では、生殖液が、乾燥してしまうため、雌の体内に、精子を送り込むという、作業が必要になる。
これが、人間に続く、基本的な、性行為に、至るのである。

それでは、雄と雌を、強烈に曳き付けるものは、何か。
そのままでは、接触は、行われない。
人間以外の、動物は、性行為を、快適なものと、認識しているのか、どうか、解らないし、また、快適な、状態を維持しない、動物もいる。

人間だけが、明確に、性行為に、快楽が、付くのである。

これが、性の、正体なのであるが、話を続ける。

雄と、雌を、強力に、曳き付けるものは、匂いである。
すべての、動物の、性的欲求を、刺激するのは、匂いであるということ。

蛾や、蝶などの仲間は、何十キロ離れた場所からでも、雌の匂いを、知る。
雌犬の、膣にある、分泌腺からも、何マイルという遠くの犬に、それを、知らせるものがある。
この、匂いを、雄犬が、嗅ぐと、狂うように、興奮する。
だが、人間は違う。

ここである。
他の動物との、大きな違いである。
それを、進化というのか、私には、解らない。

人間は、臭覚でも、触覚でも、聴覚でもないのである。
人間の、最大の、性的興奮は、視覚である。

つまり、人間の性の、刺激は、視覚によるといえる。

ということは、性というものは、視覚によると、言えるのである。
性の前に、視覚という、働きがある。

しかし、それを、語る前に、再度、原始のヒトに、戻らなければならない。

性というものを、認識する以前の、ヒトの、歴史である。

それの、手掛かりは、未開部族にある。

これから、暫く、人類学者、性科学者の、論文を、見ることにする。

ポリネシアのトロブリアンド諸島の、原住民たちは、性交と、妊娠の間に、因果関係があることを、全く知らなかった。
性の欲望が、種族保存の本能であるという、説は崩れる。

原住民は立派な婚姻制度をもってはいるが、子供の出生に男があずかることを全くしらない。彼らにとって父という言葉は明瞭な定義があるけれど、その定義は全く社会的なものにすぎない。父は母と結婚し、母と同じ家に住み家族の一員となる男を意味する。
未開人の性生活 マリノウスキー

更に、驚くのは、
父はトマカバすなわち「見知らぬ者」より正確には「よそ者」の意味で呼ばれたりしている。この表現は、相続の問題を論じたり、あの種の行為に筋をとおそうとする時や、あるいは争いごとで父の地位が下がってしまった場合などにさいしての会話に、しばしば用いられる。

私は、暫し考え込んでしまった。

生殖が、妊娠と関係ないと、考えた場合は、関係あると、考える人たちとは、その、性に関する考えたから、あらゆる秩序が、全く違う、常識で、考えられ、行為されることになる。

これは、性というものを、考える上で、実に、参考になる、考え方である。

性と、生殖を別にすると、性行為の、乱れが起こるなどという、考えは、起こらないのである。
もし、今、文明社会という中に、性は、生殖と、別ものだとすると、どのようなことになるであろうか。
性の乱れ、甚だしく、収拾がつかなくなるであろう。
性が、生殖、妊娠と、結びつくから、抑制が、働くのである。

ここで、考え方を、実に、柔軟にしなければ、いけないことが、解る。

父が、こちらの、観念では、測れないとして、彼らの生活を見ると、今までにない、新しい、社会が、見えてくる。

これは、私には、開眼というようなものである。

性というものの、捉え方で、父や、母に対する観念が違うということ、当たり前であるが、驚きになる。

私がここで用いる「父」という言葉は、われわれの場合と異なって、法的、道徳的、生物的などの各種の意味内容をもっているのではなく、トロブリアンド社会での特殊な意味にとらなければならない。混乱を避けるために、父という単語のかわりに原住民の「タマ」を使い、また「父関係」のかわりに「タマ関係」といった方がよいと思われるが、実際にはあまりに不便である。そこで以後「父」という単語にぶつかった場合には、英語の字引にあるものとしてではなくて、原住民の生活の諸事情に照らして解釈すべきであるということを忘れてはならない。
マリノウスキー

ここで、私は、思考の柔軟性というものを、事実知った。
違うモノを、理解する時、その言葉自体の観念も、柔軟にして、切り替えることであると。

これは、異質なモノ、例えば、イスラム社会などを、理解する時にも、必要である。

私の常識は、私のモノであり、他者のモノではない、という、当たり前のことに、気付くのである。

故に、実に、学ぶべきなのである。
知らないことは、無いことであるから、出来る限り、学ぶことにより、異質なモノ、違うモノを、理解し、柔軟な姿勢に、立って、理解というものを、必要とするということ。
これは、国際化といわれる、世界に対処するためには、必要不可欠である、心構えとなる。

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2008年08月03日

神仏は妄想である 104

阿弥陀仏の姿を、見る。
観無量寿経に出ている、その姿は、背丈が、六十万憶なゆたごうがしゃゆじゅん、という、想像を絶する高さである。
平仮名で書いた部分は、漢字であり、すべて、長さを表す語であるから、とてつもなく、大きい。大きいというより、想像だに出来ない。

ちなみに、なゆた、那由他とは、一千憶の数単位で、恒河沙、こうがしゃ、は、ガンジス河の砂粒の数である。
それを、由旬、ゆじゅん、の区分で、一千億倍の長さに並べただけの高さということになる。

インドの、壮大な数の想像である。

この、身体の容積は、眉間にある、白いホクロだけでも、スメール山五つの大きさである。

その身体は、八万四千の毛穴でおおわれ、全毛穴から、まばゆい光を放っている。
その光は、どんな微小な物も、隅々まで照らし出すという。
光を浴びて、浮かび出た、微小な物は、一粒一粒が、仏の姿に、変化する。

寺内大吉氏は、これを、以下のように、分析する。

突然、純粋なエネルギーの塊が誕生し、想像を絶する輝きが空間を満たす。この火の玉の宇宙が広がって冷却し、数分後には最初の物質粒子が溶鉱炉の中で凝結する金属粒子の滴くとなって現れる。

これは二千余年を経た現代の物理学者ジャストロウの「宇宙創成のすべて」からの引用である。

更に、続けて
散り散りになっている粒子は集合して、まず原子核となり、ついで原子になった。初期の宇宙を満たしていた高温度、目もくらむような輝きも弱まって、冷たい水素のおだやかな雲となる。水素雲の中では、巨大な銀河が形成され、それぞれの銀河の中では次々とおびただしい数の星が誕生する。これらの星の多くは惑星に囲まれている。そんな惑星の一つである地球上には生命が発生し、長い発展の歴史をたどって人類が出現した。

大多数の学者が 正しいと認める宇宙創世から進化への壮大な物語は、およそ二百億年に始まる。科学は聖書と異なり、この偉大な創成の原因を何も説明していない。宇宙の空間と時期とが始まって以来、そこで起こったすべての出来事は、最初の原因はわかっていないが、何かがもたらした壮大な結果なのである。

寺内氏は、
浄土の経典は科学書ではない。だが生命の本質を宇宙という大自然と直結してとらえている点で近代科学に近似するのであろう。しかし、科学が「わかっていない」という「この偉大な創成の原因」を浄土教は明確に教え説いている。
と、言う。

阿弥陀仏も、最初は、最初は、小さな惑星上の、微粒子の一粒に過ぎなかった。つまり、法蔵菩薩である。
それが、誓願が、満たされて、法蔵は、阿弥陀仏となり、一粒だった生命の核が、視界を絶する大きな姿に変身し、強烈な光を全身から、発するというのである。

ここから、
仏との対面において、ちっぽけな生命が巨大に広がってゆく。また、単なる生命の消滅であった「死」を超えて、仏の世界に往って生まれる「往生」という永遠性が与えられることになる。
と、寺内氏は言う。

さて、如何にも、最もらしいが、経典と、科学を結びつけて、云々するというのは、よくあることで、単なる、事後預言と、変わらない。
如何様にも、後で、解釈できるということである。

インド人の、妄想を、科学で、解釈、当ててみた。
また、それにより、飛躍して、死を超えて、仏の世界に生まれる、往生という、永遠性が、与えられるというのである。

科学を持ち出して、撹乱させ、経典の真実性を、言うのである。

科学者が言う
そこで起こったすべての出来事は、最初の原因はわかっていないが、何かがもたらした壮大な結果なのである。
という言葉に、宗教は、それぞれ、自らの神を、当てる。

お粗末過ぎるのである。

実証の科学を、持ち出し、それに、裏付けられているという、その経典、聖典の数々である。

勿論、科学が、まだ、何も成しえない時には、何も言わないのである。
科学が、実証を始めると、科学が、計り知れないところに、つけ込んで、我らの、経典には、それが、書かれているということになる。

追伸。
JA・パウルスという著者による、数学者の無神論という本は、科学からの、無神論の提言であり、実に、真っ当な感覚の、論理である。
いずれ、それも、紹介する。

宗教とは、如何様にも、解釈できるし、如何様にも、語ることが、出来る。つまり、何でもありなのである。神や仏を、信じるためには、手段を選ばないのである。何故か。何故、そんなに、人を騙したいのか。
これこそ、仏教が言う、人間の無明である。
嘘でもいいから、兎に角、安心したいのである。

生きるに、不安だから、何でもいい、安心させるものが、あればいい。
鰯の頭も、信心からと、昔の人は、言う。
信心してしまうと、気が楽だ。
何かに、お任せして、それに乗って行けばいい。
正に、大乗仏教である。

要するに、阿弥陀仏を、宇宙であるというのである。
それが、たまたま、インドの数の思想というか、インド人の妄想を、そのように解釈したのである。

ちなみに、科学者が、般若心経を、科学で説くいう、本なども出ている位である。

どんな、ファンタジーでも、御伽噺でも、如何様にも、解釈出来るのである。
桃太郎でも、一寸法師でも、浦島太郎でも、である。

朝日新聞、15日夕刊に、花園大学教授である、佐々木閑氏の、エッセイがあった。

仏教には「お経」というものがある。釈迦が弟子たちに語った、悟りのための手引きだ。今も、インド語、漢文、チベット語など、いろいろな言葉で書かれたものが残ってる。・・
これがすべて釈迦の言葉ならいいのだが、残念なことに、実際にはほとんどすべてが、釈迦の死後、長い時間の中で大勢の人たちがつくりあげてきたものだ。お経というのは、「釈迦の教え」というスタイルをとりながら、その実は、教え切れぬ無名の著者が自分の思いを説き表していく、その千数百年間にわたる活動の集積なのだ。大乗仏教も、その流れの中で現れてきた新しい運動だ。

その膨大な量のお経を調べると、古いものと新しいものが区別できる。そこでそれを時代順に並べてみれば、一番古いところにくるものが、釈迦に一番近いということになる。それが釈迦自身の言葉かどうかは不明だが、仏教のおおもとであることは間違いない。私が惹かれるのは、その時代のお経である。

実は、このような「お経の歴史」が分かってきたのは近代になってからのことで、それ以前は、「お経は全部、釈迦の教えだ」と信じられていた。全部が釈迦の教えなのに、比べると食い違う点がいっぱいある。今ではあたりまえのことだが、昔の人は困ってしまった。

そこで一番気に入ったお経を選び取り「私はこれを信じる。これこそが本当に釈迦の言いたかったことだ」とそれぞれに主張した。どれを選ぶかは人の個性によるから、結果としていろいろな流派が現れた。・・・一口に仏教といっても、内実は千差万別ということが分かる。・・・その「お経の違い」を正しく理解して初めて、仏教世界の全体像が見えてくるのである。

以上である。

異色の、神学者である、田川建三氏は、それで、仏教の教義は、支離滅裂であると、いう。
聖書批判も甚だしいが、仏教の教義を、そのように、言う人は、また、少ない。

しかし、仏教家は、また、面白いことを言う。
仏に至る道、八万八千の門がある。
どれでもいいのである。仏に行き着けばである。

矢張り、鰯の頭も信心からである。信じてしまえば、また、信じさせてしまえば、何とかである。
更に、浄土門を、眺めて見る。

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もののあわれ265

よひすぐるほど、少し寝入り給へるに、御枕がみにいとをかしげなる女いて、怪「おのがいとめでたしと見奉るをば、たづね思ほさで、かくことなる事なき人をいておはして、時めかし給ふこそ、いとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかき起こさむとす、と見給ふ。ものにおそはるるここちして、おどき給へれば、燈も消えにけり。


宵過ぎる頃、少し寝入りなさった時、枕元に、美しい女がいた。
その女が、ご立派だと、思い申している私を尋ねることなく、こんな取りえの無い女を連れて、大切にしてること、見ていられません、たまりませんと、言い、傍の女を、引き起こそうとする。
そんな夢を見て、うなされる気持ちがして、驚き、起きると、燭台の燈も消えていた。


長い前段階があり、いよいよ、この巻の、本ストーリィーである。

ちなみに、霊的なもの、ここでは、怪しきもの、は、夢という、意識と、無意識の狭間で、揺れる意識に、コンタクトするものである。
その有様は、夢だとしか、認識することが出来ない。
しかし、本当は、その、たゆたう意識の、中で起こることである。
心理学では、自分が起こしていると、考える。



うたておぼさるれば、太刀を引き抜きて、うち置き給ひて、右近を起こし給ふ。これも、おそろしと思ひたるさまにて、参れよれり。源氏「わた殿なるとのい人おこして「紙燭さして参れ、と言へ」と宣へば、右近「いかでかまからむ。暗うて」と言へば、源氏「あなわかわかし」と、うち笑ひ給ひて、手をたたき給へば、山びこのこたふる声いとうとまし。


不気味に感じて、太刀をそっと引き抜いて、そっとそこに置く。
右近を呼ぶ。
右近も、怖がっているようである。
源氏は、渡殿にいる宿直を起こして、紙燭をつけて参れと、言えと、命じた。
右近は、どうして、参れましょう、暗くて、と言う。
源氏は、笑い、子供のようじゃと、言い、手を叩いた。
その音が、山彦のように、響くのが、実に、不気味である。

いとうとまし
大変、疎ましい、とは、嫌な気分であり、それが、更に、気味の悪いものに、思えるのである。



人え聞きつけで、参らぬに、この女君、いみじくわななきまどひて、「いかさまにせむ」と思へり。汗もしとどになりて、われかの景色なり。右近「物おぢをなむわりなくせさせ給ふ本性にて、いかにおぼさるるにか」と右近も聞ゆ。「いとかよわくて、昼も空をのみ見つるものを。いとほし」と、おぼして、源氏「われ人を起さむ。手たたけば、やまびこのこたふる、いとうるさし。ここにしばし近く」とて、右近を引き寄せ給ひて、西のつま戸に出でて、戸をおしあけ給へれば、渡殿の燈も消えにけり。



人の耳には、入らず、誰も来ない。
この女は、ひどく震え、怯えて、どうしていいのか、解らない有様である。
汗も、びっしょりとかいて、正体もない様である。
右近が、むやみに怖がる性格です。どんな気持ちで、いられますやらと、言う。
とても弱々しく、昼間も、空ばかりを、見ていたのであると、思い、源氏は、私が、誰かを、起こす。手を叩くと、山彦が、響いて、うるさい。さあ、ここに来て、傍にいてくれ、と、右近を引き寄せる。
源氏は、西の妻戸に出て、戸を開けると、渡殿の燈も、消えていた。



風すこしうち吹きたるに、人は少なくて、さぶらふ限り、みな寝たり。この院の預かりの子、むつまじく使い給ふ若きをのこ、またうへわらはひとり、例の隋身ばかりぞありける。召せば、御こたへして起きたれば、源氏「紙燭さし参れ。隋身も弦打ちして絶えずこわづくれと仰せよ。人隠れたる所に心とけて寝ぬるものか。惟光の朝臣の来たりつらむは」と問はせ給へば、男「さぶらひつれど、おほせごともなし。あかつきに御迎へに参るべきよし申してなむ、まかで侍りぬる」と聞ゆ。


風が、そよめいているが、人は少なく、控えの者は、皆、寝ている。
この家の、留守役の子で、身近くお使いになる、若い男、そして、殿上童が一人、いつもの、隋身がいた。
お呼びに成ると、返事をして、起きてきた。
源氏は、紙燭をつけて来なさい。隋身も、弦打ちして、声をかけて、回れと、言う。
人気無しと思い、気を許し、寝る者があるか。惟光の朝臣が、来ていたであろうと、問うと、控えておりましたが、命もなく、明け方に、お迎えにまりると、申して、退出しました、と申し上げる。


さぶらう限り
全員ということ。

弦打ちして絶えずこわづくれ
弓の弦を弾き鳴らすことで、魔を祓うのである。
こわづくれ
声を出せ。名を言うとか、時刻を言う。

単なる夢のことで、これほどに、なるという、当時の感覚である。
夢というものも、一つの現実なのである。
単なる、夢では、終わらない。

感受性の違いである。
豊かに富んだものだった。



このかう申すものは滝口なりければ、弓弦いとつきつきしく打ち鳴らして、男「火あやうし」と言ふ言ふ、預かりが曹司のかたにいぬなり。内をおぼしやりて、「名体面はすぎぬらむ。滝口のとのいまうし今こそ」とおしはかり給ふは、まだいたうふけぬにこそは。


このように、申す者は、滝口の士である。
弓を、いかにも、それらしく鳴らし、火の用心と言いながら、留守居役の部屋の方に行く。
源氏は、その声に、宮中を思い出し、名体面は、済んだであろうか。滝口の、宿直、とのい、申しが、と推測する。
では、夜は、それほど、更けていないのである。
と、作者が、付け加える。


滝口とは、清涼殿の東北である。
御溝水の流れ落ちる場所にいる警備の、侍をいう。
蔵人所に属する者である。

宮中では、午後九時頃に、宿直の者が、名を名乗るのである。
その、名体面、つまり、名を名乗りあった後に、弓を鳴らし、更に名を名乗るのである。


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性について 3

トロブリアンド島の、父という観念が、全く違うということを、書いた。

性と、生殖が、結びつかないというだけで、このように、異質なものになるという、例である。

島の、結婚は、嫁入り婚である。
女は、夫の村に入り、夫の家に住む。
そこで、父は、子供たちにとって、親しい仲間であり、男は、進んで子供たちの面倒を見る。子供たちの、教育にも、携る。
同一家庭内での、子供たちと、円熟した慈悲深い男との情操関係を持ち、他方社会的には、母と、密接な関係をもち、家庭の主人たる、男である。

上記、性と、生殖が結びつくという、社会の父も、そのようである、が、子供が、成長すると、それが、生殖と結びつくという、社会とは、大幅に違ってくる。

父は、自分と同じ氏族に属する者ではなく、トーテム名称も異なる。
自分と、同じなのは、母であると、明確になる。
あらゆる、義務も、拘束も、プライドまでが、母との間に、結ばれて、父とは、分離していることを、知る。

更に、子供は、父とは、別な男、それは、母の兄弟に向けられる。
その、母の兄弟が住む村が、自分の村であり、そこの、財産や、権利が将来待っていることを、知る。

子供は、生まれた村で、よそ者扱いされることがあるが、母の兄弟のいる村では、自分の村であり、父が、そこでは、よそ者、扱いされる。

更に、進むと、父は、その権威と、助言などが、無視されるようになる。
父は、単なる男として、認識される、というのだ。

この、部族については、何度も、これから、このエッセイに登場することになる。

さて、性というものが、人間には、快感を伴うものであると、当たり前に信じているし、また、そのために、性を楽しむのが、当たり前である。
妊娠を、求める人より、性の快楽を、求める人の方が、圧倒的、多数である。

しかし、動物は、どうか。
皆、性の快感を、感じているのか。

全然、逆である。

命懸けの行為の場合もあり、とんでもない、苦痛を伴う種類もいる。

身近な例でいうと、犬の場合は、交尾の際は、肛門筋の痙攣による、生理現象が起こり、15から30分程に、わたり、雄雌が、つながっていなければならない。
人間は、その程度、楽しまなければ、早漏などといって、悩みになるが、犬は、苦痛である。

それでは、猫はどうか。
ペニスに、剛毛がはえているので、交尾後に、雄が、ペニスを引き抜こうとすると、雌は、苦痛を感じないわけにはいかない。

生殖本能で、快適気分を、味わう人間には、信じられない、動物の世界があるのである。

モグラは、膣に、厚い膜があり、塞がれている。
鋭いペニスでなければ、その膜を、破れない。
雄は、逃げ回る、雌を追い、雌の、膣の膜を、破って、ようやく、目的が達せられる。

ある種の、クモや、カマキリなどは、交尾の後で、雄が、雌に頭から、食べられるという、壮絶な性交渉である。

人間が、性交渉を、長引かせて、より、性を楽しむなどということは、他の動物には、見られないことである。

もし、動物たちに、知性が、あれば、人間の性交渉の、あり方を、笑うだろう。
何故、それほど、性行為に、拘るのかと。

結果、言えることは、人間の愛の行為、つまり、セックスをするという行為は、生殖本能とは、別なのである。
快楽の、欲求に、動かされているのである。

この、性行為を、愛の行為という、言葉に、私は、欺瞞を感じている。
誰の、策略か。
雄が、性を楽しむために、雌に、性の快楽とは、別に、心的満足感を、与えるように見せる、愛という言葉である。
嘘、でしょう。
ただ、セックスして、射精したい、だけでしょうとは、雌は、言えない。
雌も、それを、望むからである。

更に、複雑なのは、自分を、道具として扱っていると、思えても、相手に、好意、これが、曲者であるが、抱いていれば、雌は、体を、差し出すという、蒙昧。

私は、大人のオモチャの、製造元から、カタログを、取り寄せて、それらを、見渡すと、素晴らしい、マスターベーションの世界が、広がっているのである。
しかし、それでも、生身の相手を、求めるという、人間の性、この場合は、サガと、読む。
人間の、サガというものを、感じる。

人間は、性なるものである。
それほど、性は、脳に、何か特別な、分野を、作ったとしか、言いようが無い。

だから、優れたマスターベーションの、道具があっても、それで足りないと、欲求する、そのモノを、見ることで、性を、より深く理解できると、思っている。

例えば、金で、手に入る、雌というモノがいる。
売春である。
しかし、中々手に入りにくい、雌を、手に入れようとする、その雄の行動は、何から、発するものなのかを、追求すれば、一つの手掛かりになる。

そして、もう一つは、同性愛の、性行為である。
それを、解明すれば、性というものの、姿が、現れると、思うのだ。

どうしても、人間という、相手を、必要とする、人間の性である。

更に、性衝動を、別のモノ、特殊性行為と、私は呼ぶ。
覗きや、露出、更に、大便小便、アナルへの、興味等々の、欲望を、解明すれば、性というものの、姿が、見えるだろう。

そして、それは、最期に、脳の働きに、行き着くのである。
性は、脳なのである。

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2008年08月04日

神仏は妄想である 105

鎌倉時代に、法然は、男女平等を念仏によって、掲げた。

さらに、驚くべくことは、男女の差だけではない。
上下、貴賎の別なく、人は平等だと、説くのである。
これはまた、画期的である。

当時の、身分差別の激しい時代に、人は皆、平等であると、説くのである。

法然の元には、多くの、罪人が、集った。
罪人とは、ドロボーを始めとして、卑しい者たちである。

さて、実は、ここで、人間の平等というものが、いつから、日本の歴史の上で、成されたかということである。

それは、万葉集である。
上は、天皇から、下は、庶民に至るまで、すべての人を歌の前に、平等であるとしたのである。
日本の、平等主義の歴史は、実に古いものである。
しかし、それが、忘れられた。
鎌倉時代に、万葉集を知る人も少ないのである。

法然は、元の日本の平等主義を、念仏を通して、伝えたといえる。

法然が、現代に生きていれば、宗門ではなく、確実に思想家として、人間平等説を唱えていたであろう。

更に、救いは、誰もが、平等であるという、思想である。

陰陽師の、阿波之介という者が、自分の怪しげな占いや祈祷により、多くの女を囲い、酒池肉林の生活をしていた時の、ある日、人生の無常を感じて、法然の説法を聞くようになる。

法然が、弟子たちに、尋ねた。
阿波之介の念仏と、私の念仏とでは、どちらが、尊いのかと、すると、皆、お上人の念仏ですと、答える。それに対して、法然は、
「日頃、申していることが、まだ解らないのか。唱える念仏に尊いも、卑しいもない。念仏とは、阿弥陀様、お助けくださいという、その、一念しかないのだ。」
と、答えるのである。

どんな者でも、平等に救われる。それは、人間平等説の、高らかな、宣言であった。法然を慕うもの、その、法然の思想に、共感するのである。

そして、それは、悪人正機という、教えに結実してゆく。
それは、悪人こそ、救われなければならないのであるという、画期的な思想である。

この、考え方は、親鸞によると、思われる人がいるが、それは、親鸞ではなく、法然の考え方である。それを、親鸞が、継いだ。というより、師の教えとして、伝えた。

親鸞の弟子の、唯円による、歎異抄という、書は、名文である。
私は、この書を、高く高く、評価する。
世阿弥の花伝書と、共に、漢字かな混じり文では、傑作中の傑作である。

それにより、親鸞の思想のように、考えられるが、それは、法然のものであった。

何度も言うが、法然は、30数年間仏法を学び、智慧第一と、言われた程の者である。
つまり、仏法とは、彼自身であり、それを、離れて、彼の思想は、成り立たないのである。

人間は、決して、客観的というものの見方は、出来ない。
あくまでも、主観の内にある、客観である。
自分の内にあるもの以外の、いかなる、考え方も、考えることは、出来ない。
法然に、神学の考え方をせよと、言うことは、出来ないのである。

さらに、私は、それを、時代性とか、時代精神と言っている。
その時、のみだから、また、その人だから、考えられた思想である。

弥陀の本願にまで、疑いを持ちつつ、弥陀に縋るという、考え方を、選択した、その法然の心の内に、私は、共感する。

男女平等、更に、人間平等、そして、更に、悪人も、善人も、同じく、弥陀の救いにあるという、当時としては、大変な思想を、展開したといえる。

織田信長によって、近代というものが、拓かれたというならば、法然によって、20世紀後半の、平等主義が、すでに、拓かれたという。

しかし、だからといって、弥陀の救い云々が、現実的であるかということは、別物である。

当時の救いの観念が、いつの時代にも、普遍的なものであるかといえば、違う。

私は、空也などの、ひじり、聖たちの、多く、一遍に至る、念仏行者の、活動や、行為は、念仏という、方便を通して、つまり、定義としての、ものだと、考える。

一つの、定義なくして、行動行為は、成り立たない。
念仏が、方便であるということは、弥陀の本願というものも、方便である。

方便とは、とりあえず、ということである。
弥陀の救いが、確実であるということを、前提にして、置く。

我なるものを、見つめる、一つの手立てとして、念仏を、方便とする。
法然は、信じた。それは、法然の長きに渡る、仏法という世界が、法然自身となっていたからである。

しかし、法然の思想を、取り入れるが、念仏により、救われるという、思想は、取り入れずともよい。

何故なら、方便だからだ。

何々と、仮定しての、思想であり、哲学であり、更に、主義であり、主張である。

この世に、確定したものは、何一つ無い。
科学で実証されたものも、確定しているのではない。それは、進化しているのである。
すべて、とりあえず、なのである。

人生は、その、とりあえず、の中を、生きるということである。

法然が、行き着いた、念仏は、生きている時の、念仏は、どんなに信心が、深くても、どうしても、「飾りがある」ということだった。

自己を観察することから、自己を、徹底して、観照するという、もの。
限りなく、客観というものに、近づけてゆくが、我を失う我など無いのである。
我という、主観にある、我のみが、我を認識する。

無我の境地というが、無我の境地を得れば、精神疾患である。
我を失わず、我というものを、ぎりぎりのところまで、突き放すという、心的状態を、無我というなら、理解する。

仏法というもの、実に、思索的であるが、魔境に陥るのである。
悟りとは、悟らないことである。

悟らずに、弥陀の本願に救われるという、教えは、ぎりぎりの、客観性である。
それ以上になると、アホになる。

悟りとは、理想的境地であり、決して、辿り着けない境地である。
そんな、悟りの境地というものは、無いからだ。

歎異抄で、唯円が、親鸞の独白を書く。
煩悩具足のわれらは、いずれの行にても生死を離るる事あるべからざるを、哀れみ給いて願をおこし給う本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみ奉る悪人、もともと往生の生因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、とおおせ候いき。

悪人は、成仏など出来ない。そして、その悪人とは、すべての人間のことである。すべての人間は、弥陀の願を頼み、往生するしか、ないのだという。

私は、そこまで、自分を悪人だと、意識するという、病理を突き止めたいが、それを、深みとして、受け取る仏教家たちである。

何度も言うが、何故、罪の意識を持ち、何故、弥陀に救われなければならないのか。
何故、往生しなければならないのか。

人類の歴史の中で、救済観というもの、いつから、持つようになったのか。
何ゆえに、それが、必要だったのか。

それは、きっと、この世を認識する言葉、厭離穢土であろう。
キリスト教などは、原罪という、妄想の罪意識である。
実に、宗教とは、救われないものである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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