君は、さあ、少しも気のおけないところで、お話しましょうと、言う。
女は、でも、やっぱり少し変です。お言葉ですが、普通ではない、ご様子です。怖いような気がしますと、言う。
源氏は、微笑んで、頷き、そうですね、どちらかが、狐なんですよ、黙って化かされましょうと、言う。
なつかしげに言うので、女は、素直に、お言葉に従う。
さもありぬべく、思うのである。
世になくかたはなる事なりとも、ひたぶる従ふ心はいとあはれげなる人、と見給ふに、なほ、かの頭の中将のとこなつ疑はしく、語のし心ざま、まづ思ひ出でられ給へど、「しのぶるやうこそは」と、あながちにも問ひ出で給はず。けしきばみて、ふとそむき隠るべき心ざまなどはなければ、「かれがれに、とだえおかむ折りこそは、さやうに思ひ変はる事もあらめ。心ながらも、少し移ろふ事あらむこそ、あはれなるべけれ」とさへ、おぼしけり。
世になく、変なことだと、思っても、そのまま、従うのは、実に可愛いと、思うのである。
繰り返して、思うのは、あの、頭の中将の話である。
常夏という、女の性質かと、思うが、その性質を隠して、どうなるということではない。
無理に、聞くことはないと、思う。
突然、身を隠して、離れるということはないだろうと、思う。
長くいるならば、心変わりも、あろうが、自分は、そんなことはないから、大丈夫だ。
自分も、心変わりなどあれば、更に、面白いが、と、思うのである。
この辺りになると、源氏という男が、老練な恋のチャレンジーだと、思うが、それにしても、変わり身が、早い。
トントンと、話が進む。
少し移ろふ事あらむこそ あはれなるべけれ
少し、移ろいやすいと、面白いというのである。
そこでの、あはれ、の使い方である。
あはれ、とは、面白いとも、言うのである。
はづき十五夜、くまなき月かげ、ひま多かる板屋、残りなく漏り来て、見ならひ給はぬ住まひのさまも、めづらしきに、暁ちかくなりにけるなるべし、隣の家々、あやしきしづのをの声々、目さまして、隣人「あはれ、いと寒しや。今年こそなりはひにも頼む所すくなく、いなかの通ひも思ひかけねば、いと心細けれ。北殿こそ。聞き給ふや」など言ひかはすも聞ゆ。いとあはれなるおのがじじのいとなみに起き出でて、そそめきさわぐもほどなきを、女いと恥づかしく思ひたり。
八月十五日の夜。
中秋の名月である。
冴えた月光が、隙間の多い、家に差し込んでくる。
見慣れない、家の様子が、はっきりと見える。
それが、珍しい。その上、明け方近くであろう、隣の家々から、賎しい男どもの、声が聞こえる。
それぞれ、目を覚まして、いやいや、寒い。今年は、商売も不景気で、田舎の商いも、望めない。心細いことだ。北隣さん、聞いているかい。と、言う。
細々した仕事に起き出している。
女は、いたく恥ずかしいと、思うのである。
あはれ、いと寒しや
この、あはれ、は、感嘆符である。あはれ、と、嘆息したり、感動したり、するときも、使われる。
そぞめきさわぐもほどなきを
現代訳するより、そのままが、ぴったりする、表現である。
そぞめき、次第に、徐々に、と、訳せるが。
艶だち気色ばまむ人は、消え入りぬべき住まひのさまなめりかし。されど、のどかに、つらきも、憂きも、かたはらいたきことも、思ひ入れたるさまならで、わがもてなしありさまは、いとあてはかにこめかしくて、またなくらうがはしき隣の用意なさを、いかなることとも聞き知りたるさまならねば、なかなか、恥ぢかがやかむよりは、罪ゆるされてぞ見えける。
体裁屋の、気取り屋なら、気絶しそうな家である。
そんな、風景の中、のんびりした性格で、辛いこと、嫌なこと、気恥ずかしいことも、女は、気にする風でもなく、本人は、まことに、上品で、あどけなく、騒々しい隣の騒ぎを聞いても、よく解らず、恥ずかしいと思わない姿が、罪の無いものに、思えるのだった。
実に、面白い、庶民の生活振りである。
そんな、場所に、身分を隠して、女と二人で、居るという、源氏の姿を、想像する。
しかし、これは、始まりなのである。
この、何気ない風景の中に、当時の、不思議な、現象を、作者は、起こす。
ごほごほと、鳴る神よりもおどろおどろしく、踏みとどろかすからうすの音も、枕がみとおぼゆる。「あな耳かしがまし」と、これにぞおぼさるる。何のひびきとも聞入れ給はず。いとあやしうめざましき音なひとのみ、聞き給ふ。くだくだしき事の多かり。
ごろごろと、雷よりも、おどろおどろしく、踏み鳴らす、臼の音も、枕の下からかと、思う。
ああ、やかましい。と、その音である。
しかし、君も、何の音かを、知らないのである。
まったく、変な煩い音としか、解らない。
くだくだしき事が、多いのです。と、作者は、付け加える。
擬態語が、面白い。
ごろごろが、ごほごほ、である。
からうす
臼で、土中にある。それを、長い杵の端を、足で踏むのである。
私は、それを、カレン族の村で見た。
米を、脱穀する時に使うというものである。
当時の、生活の様、いと、おもしろい、のである。