2008年07月27日

神仏は妄想である 147

禅というものを、見るために、老荘思想を見ている。

さて、老荘思想では、無為自然というものを、掲げていると言った。
それでは、その方法は、どんなものだろうか。

実は、人為や努力を捨てれば、すぐに自然の姿になるという、考え方なのである。
驚く。
自然の境地に達するために、坐禅のような、行為などは、言われていない。

ただし、荘子の中に、それに近いものとして、心斎と、坐忘というものがあると、以前書いた。

心斎とは、心を清浄にするというものである。
耳、目の感覚を退け、心の働きを止める。心身を、空虚にすること。
それは、相対差別を無くすということ。知の働きを止めて、心を無にすることにより、すべてを、ありのままに、受け入れるという、境地である。

坐忘とは、座ったまま、一切を忘れる。
心斎の、方法と同じである。

ところが、その方法について、荘子は、実に淡白で、それ以上の言葉が無いのである。

坐禅を言う禅宗とは、全く、その意識を、別にする。
要するに、それは、方法を云々するより、その後の、心境を言うものである。
すでに、坐禅というものを、超えている。
ただし、研究家たちに言わせると、不案内だと、言う。

坐禅という、練達自然を明確にし、自然の境地に達するために、修練や、工夫をするということは、六朝時代の、仏僧からである。

老荘思想は、逍遥遊という、行為を実に大切にする。
それを、仏僧は、遊びの替わりに、精進して、努力し、無為自然ではなく、有為自然を強調した。つまり、それが、老荘思想と、仏教家たちとの、違いである。

自由な、遊びの境地に達するには、身命も、惜しまない、精進が必要であるとは、仏教家が、考えそうなことである。
つまり、簡単なことで、辛く苦しい、努力というものを、好む人であるということ。
要するに、仏教の人は、マゾなのである。我が身を痛めるものを、好むのである。

さて、老荘思想と、仏教の、基本的共通点がある。
それは、老荘の、無の思想と、仏教の空の思想である。

無と、空とは、その内容、意味については、違いはあるものの、基本的方向に関しては、一致する。
六朝時代は、老荘の、無の思想から、仏教の、空の思想を、理解するものだった。
仏典も、多く、老荘思想の言葉から、翻訳されたと、考えてよい。

また、そのような、仏教を、格義仏教と呼ぶ。

しかし、老荘と、仏教の相違点があった。
それは、無や、空に達するために、精進、努力が必要であるかということだ。

そこでは、こんなことが、言われた。
高い精神を備えた人は、なにものにも、束縛されない、自由な心境を持つのである。しかし、仏僧たちは、世俗の営みから、離れているとはいえ、戒律などの、教えに、束縛されている。それは、真の意味の、高士、こうし、つまり、精神の自由な人ではないという。

老荘が、理想とする、虚無の自然に達するには、ただ、人為を捨て去ればよい。
無為が、そのまま、自然である。
しかし、仏教は、無為の自然に達するために、血のにじむような精進が必要とされた。

中国で、残りえた、仏教の、禅宗と、浄土宗は、共に、老荘思想に負うところが、多い。

最も、老荘に近い考え方をしたのは、親鸞である。
人為を捨てれば、自然になる。
易行としての、念仏を、勧めた親鸞である。
それ以外の、方法は無いという、親鸞である。

浄土宗も、老荘思想の、全盛期の時に、起こったものであるから、大いに、老荘に、助けられ、影響を受けた。

浄土三部経の一つ、大無量寿経が、漢訳されたのは、三世紀のはじめから、四世紀にわたる。その時代は、老荘思想の、時代でもあり、その経典の中に、老荘思想の言葉が、多く用いられたということが、考えられる。
その中でも、大無量寿経は、自然という言葉が多い。

これは、老荘の影響であろう。
親鸞が、後に、自然法爾という言葉を、使うようになる。
それは、その経典からの影響であり、また、老荘思想の影響でもある。

大無量寿経の中の、三毒五悪段と呼ばれる部分であるが、実は、そのサンスクリット語の、原文が存在していないのである。
それは、極めて、純粋な漢文調である。
外国文を翻訳したとは、思われないような、調子なのである。

この部分は、中国人が、解説として書いたものを、誤って原文、本文に、紛れ込んだと、研究家たちは、見ている。

さらに、他の箇所の、自然というものと、その箇所の、自然というものとは、意味合いが、違っているというのだ。

浄土宗の、大成者といわれる、道綽の「安楽集」には、善力自然、正念自然、解脱自然という言葉が、多く、その弟子の善導なども、「西方寂静、無為の楽は、畢竟逍遥して、有無を離れたり」などいう言葉があり、まさに、老荘思想からの、ものであろと思われる言葉である。

逍遥とは、荘子の、逍遥遊篇からのもので、人為から、解放された、自由な境地を、表すものであり、荘子特有の、重い意味を持つ言葉である。

しまいに、自然は是弥陀国なり、というのである。
弥陀の浄土とは、実は、自然の境地そのものというのである。

親鸞の、教行信証には、「みだ仏は自然のやうを知らせむれうなり」という言葉かあり、全く、老荘思想である。

親鸞の、最後に、行き着いた境地というものも、老荘思想の、自然であり、それを、自然法爾というのである。
親鸞については、先に多く述べたので、今は、語らないが、このように、老荘思想は、実は、多くの仏教家に、影響を与えたということである。

別に、仏を、持ち出さずとも、老荘思想で、いいであろうと、思うが、仏教の中にある者、兎に角、修行が好きなようである。
勿論、一人で、勝手に、修行に酔うのは、一向に構わない。
好きにいたせ、である。
しかし、人に、強要するな、ということだ。

仏典というもの、いかに、適当で、あるかということ、よく、解ったのである。

まあ、死ぬまでの、暇を潰すというのには、もってこいである。
しようもない、言葉遊びを続けて、説教するという、仏教の、輩、ホント、うんざりする。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ257


咲く花に うつるてふ名は つつめども 折らですぎうき けさの朝顔

いかがすべき」とて、手をとらへ給へれば、いと慣れて、とく、

中将
朝霧の 晴れまも待たぬ けしきにて 花に心を とめぬぞと見る

と、おほやけ事にぞ聞えなす。をかしげなる侍ひ童の、すがた好ましう、ことさらめきたる、指貫の裾、露けげに、花の中にまじりて、朝顔をりて参るほどなど、絵に描かまほしげなり。


咲く花に、気が取られる。
ここままでは、帰れぬ、今朝の朝顔である。

どうしたものか、と、問い、手を取ると、慣れたもので、


朝霧の晴れるのを、待たずに、お帰りのご様子は、花に、心を留めていないと、お見受けします。

つまり、源氏の心残りを、人に語られたくないという、気持ちを、中将は、汲んで、返歌したのである。

中将は、主人のことにして、答えた。わざと、である。
愛らしい、小姓が、すがた好ましう、いる。
そのために、創ったな、指貫の裾が、露に濡れた風情で、植え込みの花の中に入り、朝顔の花を、折るところなどは、絵に描きたい様である。

露けげに 花の中にまじりて 朝顔ををりて参りほどなど
花々の中に、身を入れて、朝顔を、手折るという様子。
実に、清清しい様子である。
裾が、露に濡れるという、風情である。


おほかたにうち見奉る人だに、心とめ奉らぬはなし。物の情知らぬ山がつも、花のかげにはなほ休らはまほしきにや、この御光りを見奉るあたりは、ほどほどにつけて、わがかなしと思ふ娘を、「仕うまつらせばや」と願ひ、もしはくちをしからずと思ふ妹など持たる人は、「いやしきにても、なほ此の御あたりにさぶらはせむ」と、思ひ寄らぬはなかりけり。まして、さりぬべきついでの御言の葉も、なつかしき御気色を見奉る人の、少し物の心思ひ知るは、いかがはおろかに思ひ聞えむ。あけくれうちとけてしもおはせぬを、心もとなき事に思ふべかめり。


何の関係ない人でも、お慕いしない者はないであろう。
情緒を理解しない、樵でさえも、花の陰には、休みたいものであろかと、この君の、美しさを、見る人々は、身分に応じて、可愛がる娘を、宮仕えさせたいと、思い、あるいは、人前に出せると、思う妹がいれば、下っ端でも、この君の、屋敷に、お仕えさせようと、望まない者は、いない。
まして、中将のように、何かの時の、歌でも、お情けある、心で、仰せられたと、思うと、少しでも、理解する人は、いい加減に思ったりする訳が無い。
一日、この御宅に、くつろいで、いられるなら、と、思うと、胸躍ることであろう。

何度も、作者は、源氏の美しさを、描く。
というより、美しさを、訴える。
何故か。
前回も、言った。
美は、救いであるから。

そして、その美は、この世に、求められないものである。
しかし、物語の中では、現し得るのである。
自らの、救いのために、源氏物語が、生まれたと、言ってもよい。

その、美しいものが、より一層、美しくなるのは、恋に、おいてである。


まことや、かの惟光が預りの垣間見は、いとよくあない見とりて申す。


本当、そうであった。
あの惟光が、引き受けた、覗き見は、よく様子を探っていた。それで、報告する。

惟光「その人とはさらにえ思ひえ侍らず。人にいみじく隠れ忍ぶるけしきになむ見え侍るを、つれづれなるままに、南の半蔀ある長屋に渡り来つつ、車の音すれば、若き者どもなどすべかめるに、この主しおぼしきも、はひわたる時はべかめる。かたちなむ、ほのかなれど、いとらうたげに侍る。


誰なのかは、はっきりと解りませんが、ひどく、人目を忍び、隠れ住む様子です。
ただ、する事もないゆえに、南側の半蔀の長屋に、やって来ては、車の音がすると、若い女どもが、覗いたりするようです。
主人と思われる、女も、こっそり来るようです。
器量は、はっきり見えませんが、とても、可愛いようです。


ひと日、さき追ひて渡る車の侍りしを、のぞきて、わらべの急ぎて、女童「右近の君こそ。先づ、物見給へ。中将殿こそこれより渡り給ひぬれ」と言へば、またよろしきおとな出で来て、右近「あなかま」と、手かくものから、右近「いかでさは知るぞ。いで見む」とて、はひ渡る。打橋だつものを道にてなむ、通ひ侍る。


ある日のこと、先払いして通る車がありました。
女の童が、急いで、「右近様、ちょっと、御覧下さい。中将さまが、ここをお通りあそばしています」と申すと、別の相当の女房が、出て来て、「静かに」と手で制します。
「どうして、そうだと、解るの。では、拝見」と、こっそり参りました。
打橋用のものを通路にして、行き来しています。


急ぎ来るものは、きぬの裾を物に引きかけて、よろぼひ倒れて、橋よりも落ちぬべければ、右近「いで此のかづらきの神こそ、さがしうしおきたれ」とむつかりて、物覗きの心もさめぬめり。君は、御なほし姿にて、御隋身どももありし。なにがしくれがしと数へしは、頭の中将の隋身、その小舎人童をなむ、しるしに言ひ侍りし」など、聞ゆれば、源氏「たしかにその車を見まし」と宣ひて、もし彼のあはれに忘れざりし人にや、と思ほしよるも、いと知らまほしげなる御気色を見て、惟光「わたくしの懸想もいとよくしおきて、あないも残る所なく見給へおきながら、ただ我がどちらと知らせて、ものなど言ふ若きおもとの侍るを、そらおぼれしてなむ、隠れまかりありく。

急いで、来るため、着物の裾を何かに引っ掛けて、よろけて倒れ、橋から落ちそうになりました。「ええ、この葛城の神様は、もう、危なっかしくこしらえたものだ」と、怒って、覗き見の気持ちが、なくなってしまったようです。
車の君は、御直衣姿で、隋身どもも、おりました。
だれそれと、一人一人の名を呼びましたのは、頭の中将様の、隋身や小舎人童たちで、それを、証拠にしていました」などと、申し上げると、源氏は、その車、確かに、頭の中将のものかどうか、見届けたかったと、おっしゃいます。
もしや、中将が、別れた後でも、可愛く思い、忘れられなかったのではと、思うと、内容を、知りたくなる様子が、解る。
それを、見て、惟光は、私の懸想も、うまくしてありまして、家内の様子も、何から何まで、知っていますが、同輩と思わせて、話しかける若い、おもと、女房の敬称、もおりますが、わざと、気付かぬふりをして、人目を忍んで行きます。


いとよく隠したりと思ひて、小さき子どもなどの侍るが、こと誤りしつべきも、言ひ紛らはして、また人なきさまを、しひて作り侍り」なと語りと笑ふ。君「あま君のとぶらひに物せむついでに、垣間見せさせよ」と宣ひけり。


とても、うまく隠したと、思っても、小さい子供たちがいまして、言い間違いをしてしまいそうになりますが、ごまかし、主人がいないふりを、無理します。
と、笑いながら報告すると、源氏は、尼君の、お見舞いに行くついでに、それを、覗かせよ、と、おっしゃる。


こと誤りしつべきも 言ひ紛らはして
うっかりと、主人に対する言葉遣いになりそうになるのを、言い紛らわすのである。

惟光は、源氏の癖を知りつつも、その希望の通りに、西隣の家を、観察していたのである。
頭の中将が、来ていると、知ると、源氏は、また、興味をそそられた。

色好みの源氏の癖。
どんな女なのかと、非常に興味が湧く。
特に、身分の低い女に、興味を持ち始めた頃である。
新しい女の存在に、ワクワクするのである。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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