2008年07月25日

もののあわれ255

さて、かの空蝉のあさましくつれなきを、この世の人にはたがひておぼすに、おいらかなましかば、心苦しきあやまちにてもやみぬべきを、いとねたく、負けてやみなむを、心にかからぬ折りなし。かやうのなみなみまでは思ほしかからざりつるを、ありし雨夜の品定めののち、いぶかしく思ほしなるしなじなあるに、いとどくまなくなりぬる御心なめりかし。

さて、あの空蝉が、呆れるまでに、冷淡だったことを、世間の人とは違った者と、思うが、おとなしかったならば、気の毒と思い、あれ一度で、やめられただろうが、思うようにならなくて、しゃくに、障って、こちらの負けで終わるのが、気になって、忘れられないのである。
このような、身分の女には、思いなどかけなかったが、あの、雨夜の品定め以降、知りたくなった、階級がいくつかあり、それで、いっそう、開き直った君である。


中流の身分の女に、興味を持たせるような、話だった。
皇子であれば、身分の違う女との、付き合いは、実に慎重でなければならない。が、源氏は、次々と、身分の低い女との、かかわりを持つのである。


うらもなく待ち聞えがほなる方人を、あはれとおぼさぬにしもあらねど、つれなくて聞き居たらむ事の恥づかしければ、先づこなたの心見はてて、とおぼすほどに、伊予の介のぼりぬ。


一途に、お待ち申しているらしい方がを、あはれ、と思わないではないが、空蝉が、心を動かさないで、聞いていたと思うと、たまらなくなるので、まず、空蝉の、心を見定めてから、と、思っている、矢先に、伊予の介が、上京した。

あはれとおぼさぬにしも あらねど
可愛そうだと、思わないではないが。


先づ急ぎ参れり。船道のしわざとて、少し黒みやつれたる旅すがた、いとふつつかに心づきなし。されど、人も卑しからぬすぢに、かたちなどねびたれど清げにて、ただならず気色よしづきて、などぞありける。国の物語りなど申すに、「湯げたはいくつ」と問はまほしくおぼせど、あいなくまばゆくて、御心のうちにおぼし出づる事もさまざまなり。物まめやかなるおとなをかく思ふも、げにをこがましく、うしろめたきわざなりや。「げに、これぞなのめならぬかたはなべかりける」と、馬の頭のいさめおぼし出でて、いとほしきに、つれなき心はねたけれど、人のためはあはれとおぼしなさる。


まず、急ぎ、源氏の元に、伺った。
船旅のせいか、少し日焼けし、くたびれた旅の衣服は、とても不恰好である。
だが、生まれも、相当な家柄で、顔立ちも、年配ではあるが、綺麗で、人並みすぐれている。その感じも、様子ありげである。
任地の話なども、湯桁は幾つと、尋ねたくなるが、何やら照れくさく、お心の中に、思い出すことも、多々ある。
実直な、老成人を、このように考えるのも、いかにも、愚かしい居心地の悪いものである。
いかにも、これが、並々ならぬ、不埒なこと、というべきだ、馬の頭の忠告を思い出して、伊予の介が、気の毒で、空蝉の冷淡な心は、憎いが、夫のためには、感心なことであると、考え直した。

空蝉は、伊予の介の妻である。
その、妻に、好色の思いを抱き、何度も、アタックしたのである。
源氏も、少しばかり、心苦しいのである。


「娘をばさるべき人に預けて、北の方をばいて下りぬべし」と聞き給ふに、ひとかたならず心あわただしくて、君「今一たびはえあるまじき事にや」と、小君を語らひ給へど、人の心を合わせたらむ事にてだに、かろにかにえしも紛れ給ふまじきを、まして似げなき事に思ひて、「いまさらに見苦しかるべし」と思ひ離れたり。


娘を、適当な人に、片付けて、北の方を連れて、任地に下るつもりであると、言うのを、聞いて、源氏は、せめて、もう一度逢えぬものかと、小君に、相談してみるが、向こうが、同意しても、簡単には、忍びに行くのは、難しい。
まして、女は、身分が違うと、二度も、逃げたのである。
改めて、また、そんなことは、みっともないと、全然気付かないであろう。


さすがに、絶えて思ほし忘れなむことも、いと言ふかひなく憂かるべき事に思ひて、さるべき折々の御いらへなど、なつかしく聞えつつ、なげの筆づかひにつけたる言の葉、あやしくらうたげに、目とまるべきふし加へなどして、あはれとおぼしぬべき人のけはひなれば、つれなくねたきものの、忘れがたきにおぼす。いま一方は、ぬし強くなるとも、変らずうちとけぬべく見えしさまなるを頼みて、とかく聞き給へど、御心も動かずぞありける。


とは言っても、まるっきり、お心から、お忘れになったらば、これも、お話にならないのである。
適当な場合の、返事などは、嬉しいことを、申し上げて、無造作に、書き流す、返歌も、意外なまでに、可憐でもあり、お目につくところもあり、お心を、ひかれずにはいられない様子。
無情な、しゃくにさわる、と、思っても、忘れられないのである。
もう一人の方は、夫が出来ても、前と同じように、靡くであろうと、見えた素振りを、頼みにして、その、結婚話は、耳にされるが、お心は、動かないのである。


人の心模様が、入り組んで、解りにくい場面である。

もう一方というのは、娘の方である。
人違いをした相手であろう。

次第に、物語の、主人公、源氏の、好色の様が、理解されてくる。
恋愛小説というより、エロ小説に近づくが、それは、浅い読みである。

紫式部は、源氏を、すべての男の、総体として、描くのである。
そして、それにまつわる、女たちである。
その、やり取りに、雅の目を向ける。

更に、なお、この物語には、戦というものがない。
一切、戦に関することに触れていないのである。
宮廷での、男女の機微を描くことにより、紫式部の観たもの、観えたものとは、何か、である。

色好みに、生きる、源氏に、生きるということの、総体を、観たのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 145

あれほど、
六朝時代、隋、唐において盛んだった、中国仏教も、宋以後になると、禅宗と、念仏しか、残らなくなる。

念仏は、簡単であり、誰もが出来る。
そして、もう一つの、禅宗は、中国人の思考に合っている、または、屁理屈を好む中国人に合っていたということになる。

他の宗派は、今、日本に残るだけである。

禅宗は、インドの仏教ではないということを、言う。
それは、教義である。
その中心的、教義は、信じられないかもしれないが、不立文字、教外別伝、以心伝心、見性成仏である。

真理は、言葉や文字によっては、伝えられない。
真理は、心の本姓を体験的に直観することで、把握する。つまり、この、直感なるものが、悟りなのである。

不立文字については、仏典でも、それに近い情景は、書かれているが、それが、すべてではない。
インドでは、そんな、教えは無い。
それでは、どうして、不立文字、言葉や文字に出来ないという、考え方が、現れたのか。
実は、それを、言い出したのは、荘子である。

禅者は、荘子に頭が上がらないだろう、きっと。または、知らんふりをするのみか。

実は、真理という言葉を、使うのも、中国仏教、日本仏教では、好まれる。それからして、胡散臭いのである。

荘子は、事実という。
ありのままの、事実を、言葉にすれば、ありのままの、事実、自然が、損なわれるからである。

ありのままを、表現しようとすると、それ自体、ありのままではなくなる。
つまり、言葉によって、それが、限定されるのだ。
無限であるはずのものが、言葉によって、限定され、有限化されるということになる。

言葉で、捉えられた事実は、言葉の枠内に、留まる。

「これが真理だ」といったとたんに、その真理は虚偽との相対におちいり、その相対性のために有限化される。このようにして人間の言葉は、無限なるべき真理を有限化し、絶対不可分であるべき真理を二つに分け、相対化するという、致命的な欠陥をもつ。そこに、「弁ずるは黙するにしかず」「至言は言を去る」「知る者は言わず、言う者は知らず。故に聖人は不言の教えを行う」という、荘子の言葉が生まれる。
森三樹三郎 「無」の思想


それでは、どのような姿勢が理想なのか。
そこで、荘子は、非言非黙、のみが、残される姿勢だという。

非言非黙とは、何か。
それは、言葉を用いながら、言葉に囚われないという姿勢である。
これが、禅の奥の手になるのである。

荘子は、言葉は、手段である。
ものの、そのままの姿を捉えたなら、言葉は、いならくなるのである。
言葉を捨てても、いいのである。
この、荘子の、思想は、禅の語録にも、多く登場する。
勿論、荘子曰くなどとは、言わない。それこそ、禅、である、という風に。

更に、以心伝心は、孔子なども言うものであり、何も、禅の得意技ではない。
それについての、説明は、省略する。


仏典に、拈華微笑というお話がある。
実話ではない。創作のお話である。
あたかも、本当のように書く。

釈迦が、集った大衆を前に、一枝を手にして、一同に見せた。
誰も、その意味が解らない。
その時、摩訶迦葉だけが、その意味を悟り、微笑んだ。
そこで、釈迦は、仏法の極意、正法眼蔵を、迦葉に伝授したという。

実在の仏陀は、決して、そのような、説教はしない。
しかし、禅宗は、この、拈華微笑というお話を、それそこ、禅宗が、釈迦の教えに基づくものであると、いう。証明されたという。
創作のお話であると、言った。そのなると、創作でも、何でもいいのである。
こじつけられれば、いいのである。

以心伝心、教外別伝とされる、教義のようなものになる。

さて、創作の仏典と言ったが、その後、この経典は、全くの出鱈目、つまり、偽書、偽作されたものと、判定された。
つまり、インドには、そのような、教えがないために、それを、作り上げたというのである。しかし、今も、平然としている、禅宗、いや、仏教の面々である。

これでも、解る通り、何でもいいのである。
都合の良いことであれば、嘘でも何でもいいのである。

信徒を、騙すためには、何でもする。

大梵天王聞仏決疑経、という。
呆れる。

次に、大嘘の、教義である、仏性である。
見性成仏という、教えは、人の心には、仏が在るという、思想である。
天台も、そう言う。
悉皆仏性である。

仏性論という。
大乗仏教という、偽の、仏教の掲げる、耳障りの良い、教義である。
誰にも、心に仏が在るというものである。

これも、実は、中国思想には、元々あった、考え方の一つである。
例えば、孟子の、性善説である。
荘子も、本性自然という。
ただし、自然であり、仏ではない。
しかし、自然を、仏と、入れ替える手である。

自然に、仏そのものが、現れていると、道元は、繰り返し言うが、荘子の説とは、知らなかったのだろう。
すでに、言う人がいたのである。
しかし、自分が、発見したように、書くというのが、真面目な、道元の性格である。

それを、また、真剣に、受け止めて、道元は、云々かんぬん、そうして、こうだ、ああだという、知った風な、禅病に憑かれた者、禅家である。

荘子の、自然は、仏教の言う、仏という感覚に近いものである。
物みな、自然であるとき、それぞれが道である。
すべてに、道というものがある。
それれを、そのまま、仏に、入れ替えると、禅の出来上がりである。

仏教は、人間の煩悩というものを、特に強調する。
禅も、そうである。
そこで、坐禅の意味が、煩悩から逃れ、我の内にある仏性に目覚めるめに、坐禅が、唯一の方法であると、説く。
その行為を、有為自然という。

それは、自然を求める不自然な姿でもある。
浄土門から見れば、明らかに、それは、自力の技である。

それでは、荘子は、どうしたか。
無為自然なのである。

坐禅と、近い言葉、坐忘や、心斎というものであるが、それは、行為ではなく、自然になった時の、心境を表すものである。
つまり、不自然な姿は、必要ないである。

そのために、荘子の思想を、もう少し眺める必要がある。
次に続ける。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。