2008年07月22日

もののあわれ252

引き入れており給ふ。惟光が兄のあざり、婿の三河の守、娘など、わたりつどいたる程に、かくおはしましたる喜びを、またなき事にかしこまる。あま君も起きあがりて、尼君「をしげなき身なれど、捨てがたく思ふ給へつることは、ただかく御前にさぶらひ御覧ぜらるる事の、変わり侍りなむ事を、くちをしく思ひ給へたゆたひしかど、忌む事のしるしに、よみがへりてなむ、かく渡りおはしますを、見給へ侍りぬれば、今なむ阿弥陀ぼとけの御ひかりも、心ぎよく侍たれ侍るべき」など聞えて、よわげに泣く。

車を、門に入れて、お降りになる。
惟光の兄の、あざり、大弐の娘婿の三河の守、娘などが、寄り集まっていたところへの、ご光栄のお礼を、一同、恐縮して、申し上げる。
尼君も、起き上がり、なんの惜しくもない、我が身ですが、出家したのは、唯一つ、このように、御前に、参上して、お目かけ頂けないでしょう。それを、残念に思います。
ためらいつつ、受戒のしるしにより、生きて返りました。このように、お出であそばすことを、拝み申しましたから、もはや阿弥陀様の、お迎えも、心残りなく、お待ち申せましょう。などと、申し上げて、弱弱しく泣く。

かく おはしましたる 喜び
このように、来て頂いたことの、喜びである。
また なき事に かしこまる
無上な喜びに、恐縮するのである。
忌むことのしるし
出家したこと。しるし、とは、効験である。

くちをしく思ひ給へ たゆたひ しかど
残念に思う。たゆたひ、という言葉が、出る。
残念だという、以上の、表し得ない思いを、たゆたひ、という。

この、たゆたひ、する心は、もののあわれ、というものに、通じる。
たゆたひ、たゆたふ、心である。


君「日ごろおこたりがたくものせらるるを、安からず嘆きわたりつるに、かく世を離るるさまにものし給へば、いとあはれにくちをしうなむ。命ながくて、なほ位たかくなど見なし給。さてこそここの品々の上にも、さはりなく生まれ給はめ。この世に少し恨み残るは、わろきわざとなむ聞く」など、涙ぐみて宣ふ。

源氏は、このところ、病が、思わしくないと、毎日、心配していました。
このように、世を捨てた姿で、いられるので、淋しく、残念です。
長生きして、私が、出世するところを、見てください。
それならば、上品、上生にも、やすやすと、生まれ変わるでしょう。
この世に、思いが残るのは、悪いことと、聞きます。
などと、涙ぐんで、おっしゃる。

いと あはれに くちをしう なむ
実に悲しいことである。残念だ。
しかし、この、訳は、どうしても、腑に落ちない。
矢張り、原文のままに、読むことである。

心の、襞の、すべてを、あはれ、という言葉に託すのである。

口惜しく、とは、悔しいとか、残念であるという意味だが、くちをしう、という語感は、それを、超える。
不可抗力に、対する心得である。

人生には、抗えないものがある。
どうしょうもないものである。その、どうしょうもないものを、どのように、受け取るか、受け入れるのか。そこに、妙味がある。
当時は、浄土信仰が、盛んである。
阿弥陀の世界、極楽という、死後の世界に、生まれるべくの、様々な、試みの一つに、出家という、形があった。
それは、貴族のものである。
当時の、仏教は、まだ、庶民とは、隔絶されていた。


かたほなるをだに、めのとやうの思ふべき人は、あさましうまほに見なすものを、ましていとおもだたしう、なづさひ仕うまつりりけむ身も、いたはしう、かたじけなく思ほゆべかめれば、すずろに涙がちなり。子どもは、いと見苦しと思ひて、「そむきぬる世の去りがたきやうに、みづからひそみ御覧ぜられ給ふ」と、つきじろひ目くはす。

ごく普通の子でさえ、乳母になると思うと、可愛がるものである。それはそれは、立派になると、思うものである。
この、君のように、お側にお仕え申した自分まで、鼻高く、大事なものだと、思われてくるらしく、むやみに、涙を流す。
子供たちは、見苦しいと思い、この世に、心が、残るように、自分から泣くとはと、それを、また御覧に入れるとは、と、つつきあって、目配せする。


君はいとあはれと思ほして、君「いはけなかりける程に、思ふべき人々の、うち捨ててものし給ひにけるなごり、はぐくむ人あまたあるやうなりしかど、したしく思ひむつぶるすぢは、またなくなむ思ほえし。人となりてのちは、限りあれば、朝夕にしもえ見奉らず、心のままにとぶらひまうづる事はなけれど、なほ久しう対面せぬ時は、心細くおぼゆるを、さらぬ別れはなくもがなとなむ」など、こまやかに語らひ給ひて、おしのごひ給へる袖のにほひも、いと所せきまでかをりみちたるに、「げによに思へばおしなべたらぬ人の御宿世ぞかし」と、あま君をもどかしと見つる子ども、皆うちしほたれけり。


源氏は、大変あはれに、思い、小さなうちに、可愛がってくれるはずの人を、多く亡くした。その後、お心を継いで、大切にしてくれたのは、大勢いたが、睦まじく、甘えることが出来たのは、お前だけである。大人になり、身分に縛られ、朝に夕に、お逢いも出来ず、思うように、訪ねることは、出来ないけれど、今でも、長く逢わない時は、心細い気持ちがする。逃れられないような、別れなど、なくてあればと、思う。など、しんみりと、話しかけ、涙をお拭きになる、その袖の匂いも、部屋中に、香る。
こんな方の、乳母になるとは、大変な、幸運であると、非難ぎみで見ていた、子供たちも、皆、涙にくれる。


源氏の、心の、有り様が、手に取るように、解る、ところである。

おし のごひ給へる 袖の にほひも いと 所せきまで かをり みちたるに
風景描写と、同じように、紫の、筆が、冴えるのである。
静かに、払う涙の袖の、匂いが、部屋の中に、充ち満ちるのである。

源氏の、優しい心の様が、情景描写に映るのである。

源氏を、好色と呼ぶが、このような、場面は、多々ある。
紫式部が、描きたかったものは、何かと、考えて、読み込めば、このような、人の心と、情景が、それを、映すのであるということ、日本人の感性ではないかと、思える。

人となりて のちは 限りあれば
大人になってから、時間があれば

子供は、まだ、人ではないという、認識である。

自分の身分というものも、十分に理解している。
身分に、縛られるのである。
これも、大きな壁であった。

皇太子にもなれるべき、美しき人の、物語に、好色という、雅を、もって、物語を、書くという、紫式部の、天才的才能の筆は、そのまま、もののあわれ、というものに、突き進んでゆくのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 142

道元は、矢張り、日本人である。
それは、和歌をみれば、一目瞭然である。

何度も言うが、仏教は、日本人の感性によって、新しく拓かれたといってよい。

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり
本来の面目を詠ず

当たり前のことである。
その当たり前のことの中にある、真実を歌う。
真実とは、事実のことである。
春は花、夏はホトトギス、秋は月、冬は雪。
すべて、自然の現象である。

波も引き 風もつながぬ 捨小船 月こそ夜半の さかいなりけり
なみもひき かぜもつながぬ すておぶね つきこそやわの さかいなりけり
正法眼蔵を詠ず

波も引いてしまった。風も動かそうとしない小船がただ一つ捨てられている。小船は、もう難破してどうしようもない。捨ててこその極地である。そういう何もない無残な風景を照らして、ただ月だけが煌々と輝いている。今度は逆に、そのような風景全体が月の存在を明らかにしている。すべてがなくなってしまった風景に、月だけが残っている。その月が全世界を照らして満たしている。すなわち仏法が満ち足りている。
栗太勇

月の光を、仏法に見立てるという。
皆、そのような解釈をする。
しかし、これが、和歌のみの解釈だと、月は月である。そこに、仏法などいう、観念は無いのである。


しずかなる 心の中に すむ月は 波もくだけて 光とぞなる
坐禅の工夫の意を詠ず

波が砕けてもその一つ一つの、波の中に、それぞれが、月の光を映して、飛沫の数だけ、光がある。月の形は、なくしても、光という、月の本来の姿は、壊れることがない。
坐禅も、そのようなものであると、言うのだ。

現成公案にある
人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおおきなるひかりにてあれど、尺水の水にやどり、全月も弥天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。

人が悟るとは、水に月が映るようなものだ。
水に映っても、月は月であり、水は水である。
水が月を写しても、そのために、波紋を起こすことはない。

心の中に、大いなるものを、映すことができる。
それを、悟りという。
全宇宙をも、映すことが出来るのである。

どんな、小さな露でさえも、月の光を映すことが出来る。
誰もが、心に、仏という、月の光を映すことができると、いうものである。

実に、美しい表現である。
これが、日本の伝統の歌道である。
道元は、それを、用いて、仏というもの、悟りというものを、言う。

つまり、言葉にして言うのである。
そして、それは、実は、言葉にならないものなのであるとも、言う。
それを、不立文字という。
言葉、文字を立てないのである。
しかし、随分と、文字を立て、言葉を立てている。


こうして道元の歌をみてくると、絶対的坐禅の境地とは何か、という問題に突き当たる。私はそういう境地に達しているという自信はありませんが、それを科学的に処理すると、脳波を測るという方法があるそうです。すなわち、ふだん人間が起きているときには、ぺター波というのが出ているのだそうです。ところが、何かに熱中したり集中しているときには、すなわち我を忘れている状態のときには、アルファ波が出るという。
栗太勇

坐禅をしなくても、絶対禅という、境地に達するという。
つまり、日常生活の内にある、行動も、坐禅と同じことになるというもの。

坐禅をしていても、していなくても、そのような、境地でいるということ。

これは、つまり、心の在り方である。
心の在り方を、作るという意味での、坐禅である。

ここに、どうして、仏という、観念を持ち出すのか。
それが、時代性であり、時代精神である。

道元は、時代性に生きたのである。

実際、中国禅というものを、尋ねてみると、そこには、インド禅ではなく、中国、老荘思想というものが、大きく関与している。大きな影響を与えている。
仏典の翻訳には、老荘思想の言葉を持ってして、訳されたという、経緯がある。
当然、それでは、老荘思想が、大きな影響を与える。

中国の禅家は、また、老荘思想も、学んでいた。
つまり、実は、禅思想は、老荘思想との、関係で、成り立ったものだと、思えるのである。

それについて、少し見てみることにする。

ただし、老荘思想には、仏という観念は無い。
老荘思想により、仏という観念に、結びつけた経緯とは、何か。
何故、仏という観念を、持つに至ったかである。

中国禅とは、一枚岩ではなかったのである。
インド禅から、中国禅に至り、そして、日本禅へと、伝えられ、日本独自の、禅というものが、出来上がる。
勿論、道元の存在がある。

道元が、歌道である、和歌を詠むということ、矢張り、日本の伝統から、逃れられなかったのである。
私は、そこに、救いを観る。
仏法に、救いを観るのではなく、歌道というものに、道元の救いを観るのである。

ちなみに、である。
私見を言う。
仏を、月光に、投影するのが、仏教の得意技である。

月光とは、本来、太陽の光を反射しての、光である。
太陽の光ではない。
そこに、仏教の陰性がある。

太陽を奉ずる、日本の伝統である、古神道は、陽性であるが、どうも、仏の教えとは、陰性を、帯びる。


釈迦の、釈迦族という民も、実は、日の子という、意識があった。
それが、何故か、月光に、移行している。
誰の、思惑か、または、策略か。

月の光は、実は、狂いの光である。
月は、夜の輝きであり、それは、潜在しているものが、表に表れるものである。
狂いにある者は、月の光によって、その狂いを、益々と、表す。

夜の月の光は、実は、電気のない時代は、夜の最高の明かりであった。故に、仏を、月の光に喩えた。
何故、昼間の太陽を、見ないのか。

昼は、薄暗い部屋で、坐禅をするのでろあう。

太陽の光、つまり、お天道様を、拝することが、出来ないのは、病んでいる証拠である。

日差しの強い、インド周辺の地で、仏陀も、太陽を配することの、難しさを、知っていたのである。
自然、その光を、反射する月の光を、拝することで、太陽を拝することに、替えたと、思える。

仏陀も、憐れである。
西に、落ちる太陽の光を、拝したという。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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