2008年07月19日

アボリジニへの旅 19 平成20年7月

白人入植者は、アボリジニの大地を、ヨーロッパのようにしようとした。
原生林は、伐採され、牛、馬、羊が、放たれ、穀物が、運び込まれた。

アボリジニを、襲ったのは、それだけではない。
今までにない、病気である。
伝染病は、確実に、人口を、激減させた。
さらに、継続的な殺人である。

生き残りの、アボリジニは、保留所に閉じ込められたり、施設に収容された。
そこで、与えられた、食事が、ヨーロッパの最も、粗悪なもの、小麦粉、砂糖、紅茶、ジャム、コンビーフの缶詰である。

現在でも、アボリジニたちの、病気は、栄養失調と、寄生虫によるもの。
心臓、肝臓、高血圧、癌、糖尿病である。

白人は、アボリジニの免疫の無い、病気を持ってきた。
天然痘、インフルエンザ、はしか、おたふく風邪、結核、水ぼうそう、などである。
それに、今は、エイズである。

アボリジニを、保留地に閉じ込めるというのは、一体、どういうことか。
理解が、出来ないのである。
それを、実行したのは、政府の役人、警察、福祉関係、そして、悪名高き、宣教師たちである。

扱いはほとんど囚人なみだったといわれています。この屈辱的な生活条件の中で一番むしばまれたのは、アボリジニの精神でした。土地を失い、自治を失い、伝統的生活から切り離され、施設に収容されている不安感や恐れが精神破壊を引き起こしました。宣教師や役人のもと、心と身体に不調和のストリスを感じたのです。また、管理者の暴力によるストレスにも悩まされたのです。
青山晴美

土地から、引き離されたアボリジニは、生きる希望を失ってゆくのである。

前回も書いたが、親子分離政策は、子供たちを、完全に狂わせた。
つまり、自分が属する文化を、根こそぎ否定され、家族との関係を築くことなく、過ごしたせいで、その、愛情と信頼をつくることが、出来なかった。
成長してから、それは、他者との関係に、大きく影響した。
悲劇というしかない。

ただ今、オーストラリアでは、約10万人のアボリジニが、自己同一性の喪失に、苦しんでいる。
私は、誰なのかという、問いである。

合法的誘拐は、宣教師たちが、親子分離をはじめてから、150年間も、続いたのである。

1970年代に、ようやく、政府は、その悪しき影響を考慮し、廃止した。

しかし、白人との、間に生まれた、アボリジニの問題もある。

60年代に、国家政策であった、同化政策に、翳りが出始めた。
白豪主義を続けることが、困難になり、多文化主義政策へと、移行しなければ、成り立たなくなってきたのである。

67年、国民投票により、アボリジニが、オーストラリア国民として、認められたというから、仰天する。
全く、逆ではないか。
アボリジニが、白人を認めるというのならば、話は、解る。その逆である。

現在、リンクアップ・アボリジナル・コーポレーションという、機関がある。
施設送りになったり、白人家庭で、育てられた、失われた世代の、アボリジニの肉親探しをする目的の、機関である。

2005年の調べによると、刑務所に入っている、アボリジニは、オーストラリア人に比べて、12倍である。
特に、アボリジニの女性が、急増して、この10年間で、二倍になっているという。
少年犯罪の割合も、オーストラリア人の20倍である。

差別と、偏見は、治まらない。

アボリジニの、自殺、他殺も、オーストラリア人の、二倍から、四倍である。

アル中、問題である。
アルコールが原因の死因が、35歳から、44歳の、年齢枠で、男性の34パーセント、女性の15パーセントである。

施設送りになった年代の後遺症と、言われる。

更に、そこから、三次的問題も、出ている。
家族、コミュニティからの疎外感、孤独感、生きることの、危機感である。

大多数の、白人は、それは、アボリジニの問題でるあとの、認識であるというから、驚く。
誰が、蒔いた種か。

多額の税金を投入して、アボリジニの生活空間を整え、生活向上を目指すが、結果的には、アルコール、ドラッグ中毒、犯罪に手を染める。

アボリジニは、現在オーストラリアの人口の、3パーセントに満たない。
その人々の健康状態改善が出来ないはずはないと、2007年四月に、アボリジニ・トレス諸島民社会正義委員会から、健康格差を無くす、キャンペーン運動の提起が始まった。

オーストラリア連邦政府は、2007年九月の、国連先住民族権利宣言の採択を否決した。
143カ国は、賛成、4カ国は、反対。その一つが、オーストラリアである。

しかし、2007年、11月の総選挙で、ハワード政権が倒れ、労働党が、政権を獲得し、ケビン・ラッドが首相に、就任する。
これにより、先住民族権利宣言が、採択さる、見通しが出来た。

ラッド首相は、アボリジニ政策に対して、正式謝罪したことは、国内外から、評価された。
しかし、問題は、これからである。

ちなみに、国連の人権憲章、国際人権規則では、
各民族集団は、それぞれの文化、経済、社会、法律に関わる慣習を持ち、それを決定する権利。
領土、領土から産出される、天然資源を管理する、自己決定権。
国際法では、先住民族の生得的権利として、民族の自治権、土地権を認める。


私は、アボリジニの特に、混血アボリジニの人たちの、精神的、文化的、社会的、規範を考える。
最も、苦しい立場に置かれているのである。

彼らは、都市に住む。
伝統的文化を失い、寄るべき所の無い、人々は、どのように、自己を整えてゆくのか。

更に、差別と、偏見に晒されて、貧しく、自分たちの社会を、作り出すことも出来ないのである。

良識ある、学者、特に、日本の女性学者たちが、優れた研究を行い、更に、提言をしている。

日本の伝統文化の中からの、アボリジニへの、理解のゆえであろうと、思われる。

オーストラリアを造るという、国家幻想を、今こそ、見いだす機会である。
それは、また、世界の問題でもある。

より豊かな幻想により、国家は、理想的になる。
オーストラリアの大地は、アボリジニの祖先の夢の現れである。
素晴らしい、神話であり、幻想である。

オーストラリア人は、進んで、アボリジニの文化を理解し、更に、参加出来る、お祭りに、参加して、長年の悪行の赦しを乞い、その、教えを受容することで、新しい、オーストラリアという、国家を、築くことが出来る。

それは、更に、他国にも、波及し、先住民族との和解により、国を、再構築するという、試みに、取り掛かるのである。

私は、理想を言う者である。

翻って、日本は、アイヌと、沖縄の琉球民族に対して、新たなる、関係を築くべく、行動を、始めることである。

薩摩藩による、琉球侵略は、あまりにも、無残であった。
その、謝罪も無い。
近隣諸国には、もう、いいと、言われる程の、謝罪をするが、自国の、それも、大きな世話になった、沖縄への、謝罪も無い。
勿論、今、薩摩藩などは無い。
しかし、それを踏まえて、考えるべきである。

そして、アイヌの人々の、悲しみである。
白人が、宣教師が、オーストラリアで、行ったように、和人は、アイヌを、どのように、扱ったのか。
言葉では、現しえない、屈辱を与えたこと、明々白日である。

極端なことを言えば、アイヌが、求めるならば、北海道を、アイヌに、差し上げてもよいという。
食料自給率200パーセントの、北海道は、十分、アイヌの自治を、可能にする。

この、旅日記も、終わる。

ただし、書きたいことは、まだまだある。

私は、無名の戦士である。
千年の日本のためにと、傲慢に言挙げして、行動している。

これは、私の幻想行為である。

この世に、幻想ではないというものが、一つとして、あろうか。

日本人の、極みは、
後は、野となれ、山となれ
なのである。

自然に、すべてを、お返しして、何も無くなるのである。
そして、自然の中に、隠れるのである。

皆が、速やかに、お隠れ遊ばすことを、私は、希望します。

お隠れ、遊ばす、共に、敬語である。
それを、付け加えて、終わります。


posted by 天山 at 17:07| アボリジニへの旅 平成20年7月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 138

信じるという行為は、一体、どんなものなのであろうか。
兎に角、信じて行えと、言う。
最初に、信から、はじまると、皆々、宗祖たちは、言う。
信じなければ、はじまらない。

ただし、法然は、疑いつつも、念仏するという。
それでも、阿弥陀の救いの手にある、というのだ。

結論から言えば、信じるという行為は、思い込みということに、尽きる。
思い込めば、信じることになる。

それは、道元を読めば、よく解る。

諸仏如来、ともに妙法を単伝して、あのく菩提を証するに、最上無為の妙術あり。これただ、ほとけ仏にさずけてよこしまなることなきは、すなわち自受三昧、その基準なり。
この三昧に遊化するに、端坐参禅を正門とせり。

只管打座 しかんだざ
坐禅宣言によって、延暦寺の弾圧を、受けて、京都郊外の、深草に身を寄せた、道元が、正法眼蔵のエッセンスともいえる、弁道話を、書いた。
道元、三十三歳のときである。

まず「諸仏如来」ですが、過去の具体的な悟りをひらいた先人、古人たちの誰彼だけを指すのではありません。過去・現在・未来の仏はもちろんですが、また修行によって正覚(正しい悟り)を得て、すでに仏となったものすべては、すでに絶対的な境地に達しているわけですから、もはや個々の仏や先師を指すのではなく、同時に悟りの境地、まだ、修行をしている者たちのうちに秘められた、悟りをも含めていうのです。
栗太勇

ひたすら仏の心そのままに、自ら成ったというとき単伝といいます。ただ伝える、伝わるのではなく、親密にして不断の相続をいいます。だから自らが、仏祖そのままの真の自己になりきってはじめて、単伝したことになります。だから、その悟りの境地は、先の諸仏如来と重なり、それはすなわち妙法ということです。
栗太勇

ところが、こういう話になる。

しかし、諸仏から妙法を単伝したとき、すでに受ける修行者の側もまた、真の自己に徹底し、悟りの境地にいなければならない。それを「唯仏与仏」―――仏だけが仏にしか伝えられないーーーといいます。

唯仏与仏 ゆうぶつよぶつ
ただ仏が、仏にという。
実に、馬鹿バカしいのである。

正法は、悟りをひらいた者と、悟りをひらいた者との、間でしか、伝えられないという。

アノクタラサンミャクサン菩提という、最高の境地を、悟りという。
それは、解放された、自己の世界である。

ここまで、思い込むと、幸せである。
悟りを開いたと、思い込むことである。

中国禅の、発祥は、インド、天竺から来た、達磨によって、成ったと書いた。
インド禅は、ヨガである。
仏陀の、坐禅は、八正道の一つ、正定である。
正定とは、正しい注意と、訳される。

正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念そして、正定である。
正しく見て、正しく思い、正しく行い、正しく、修行する、正しく記憶し、正しい注意である。

その、正さというものは、仏陀在世当時は、仏陀が指導した。
それで、問題はなかった。
それ以後は、どうなったか。

八を、更に、三つに、分けて、戒、定、慧、とする。

戒は、習慣、習性という原意を持つ。
八正道の中の、正しい言葉、行い、生活態度、努力は、いずれも、習慣づけられなければ、ならない。
その後で、正しい教えを記憶する。心を静かに、一点に注意する修行となる。それが、定、つまり、坐禅である。

定とは、原語で、アディチッタといい、すぐれた心という意味である。
ものを正しく記憶し、ものを洞察する力を得ようとするのである。

戒と、定の上に、はじめて、正しい、物の見方、観察と、思念が、得られる。

ところが、道元は、一足飛びに、定に向かうという。
そして、それが、唯一の正法というのである。
すると、正法と、名乗りを上げた、日蓮などから、禅天魔と、言われるという有様である。
勿論、どっちも、どっちである。

唯一と、名乗ると、必ず、堕落する。
正法である。これが、仏陀の唯一の教えである。
そうして、仏を、奉り、戦ってきた。
更には、それを、正法を、汚す行為に対しての、戦いであると、言うのである。
最も、争いを嫌った仏陀の教えを、戦うという言葉で、信者を、鼓舞させるという、仰天である。

仏陀の教えに、勝ち負けはない。
仏陀は、その土地の気候風土に、合った方法で、正しく生きるということを、実践したのである。

彼が、ここにしか、生きる方法は無いと、考えることは、何も問題はない。しかし、これこそ、仏陀の教えであり、唯一の方法であると、言うから、おかしくなる。
気持ちは、解る。
自分が、納得して、良いと思ったものを、人に勧めたくなる。


「仏門におおくの門あり、なにをもてかひとえに坐禅をすすむるや」
「この仏門の正門なるをもてなり」

仏の門には、おおくの方法があるが、何故、坐禅なのかと問う。
これが、仏門の正門だからだと、答える。

そして、極めつけが、
おおよそ心に正信おこらば、修行し、参学すべし。しかあらば、しばらくやすむべし。むかしより法のうるおいなきことをうらみよ

もし、心に信じる心が、起これば、修行し、勤めよ、そうでなければ、止めよ、と言う。

まず、信じて行うこと、からである。
つまり、思い込めである。
思い込み程、強いものはない。

このような考えたのは、多く、大乗仏教による。
であから、大乗仏教の、成り立ちを、再度見なければならない。

道元にしろ、日蓮にしろ、インドに行かず、中国止まりであり、日蓮は、日本にて、法華経を、掲げた。
すべての、大乗仏典が、創作したもの、されたものだとは、知らず、である。
それらが、作られた物と、知っても、そのように、思い込むものだろうか。

これによらなければ、救いは無いとか、仏の道ではないと、言い切る何物を、持っているのか。それは、ただ、思い込みの、一点である。
正しく見る、一点ではない。
誤って見る、一点である。

一神教と、同じ心境になるのである。
つまり、宗教の最も、未熟な姿である。

宗教が、神仏を掲げているうちは、宗教に、進歩、発展は無い。
宗教を、超えるものは、伝承と、伝統である。
宗教は、伝統を作らずにきた。
それらは、皆々、人の頭で捻り出された、ゴミのような、言葉の数々である。

名文の、道元であるから、特に、それを、残念に思う。
ただし、勿論、彼は、自らが言う言葉を、実践したという点では、尊敬に値する。
自らの言葉の、実践も無い物ども、多く、仏の教えの、提灯持ちをし、書くのである。

痛くも、痒くもない、場所にいて、仏を、語る者どもを、私は、皆殺しにしたいと、思う。
人の心を、翻弄し、迷わせ、金を得るのであるから、地獄行きである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ249

小君ちかう臥したるを、起こしたまへば、うしろめたう思ひつつ寝ければ、ふとおどろきぬ。戸をやをら押しあくるに、老いたるごちの声にて、「あれはたぞ」と、おどろおどろしく問う。わづらはしくて、小君「まろぞ」と、いらふ。老女「夜中にこはなぞありかせ給ふ」と、さかしがりて、とざまへく。

近くに寝ている、小君をお起こしになると、気にかけて寝ていたので、すぐに、起きた。
妻戸を、そっと開けると、年老いた女房の声で、そこにいるのは、誰と、仰々しく問う。
厄介だと、まろぞ、と、小君が言う。
この夜中に、どうして、お出歩きなさる、と、世話やき顔で、出て来る。

うしろめたう思ひつつ
気にかけて、という気持ちを言うが、源氏物語の、面白さの、一つである。
そして、また

さかしがりて、とざまへく
余計な世話を焼くように、出て来るというのである。

その有様、目に見えるようである。

いと憎くて、小君「あらず。ここもとへ出づるぞ」とて、君を押しいで奉るに、暁ちかき月くまなくさしいでて、ふと人の影みえければ、老女「またはするは誰ぞ」と問ふ。老女「民部のおもとなめり。けしうはあらぬおもとのたちだちかな」と言ふ。たけ高き人の、常に笑はるるを、言ふなりけり。

腹が立って、小君が、何でもない。ちょっと、外へでるだけ、と言い、源氏を押し出すと、暁近い月の光が、照りて、人影が見えた。
すると、老女は、もう一人の方は、誰と問う。
民部さんですね、ほんに見事な背です、と、老女が、勘違いして言う。
背丈が、高いので、いつも笑われている人のことを言う。

おい人、これをつらねてありきけると思ひて、老女「今、ただ今、立ち並び給ひなむ」と言ふ言ふ、われも此の戸よりいでてく。

老女は、小君が、その女房と連れ立っていると、思い、すぐ、すぐです。若君も、同じくらいの背になります、と言い言い、自分も、その戸口から、出て来る。

このような、余計な書き込みが、実に、面白い。
いるいる、こういう、人は、今の時代もいるものである。

わびしけれど、えはたおかしかへさで、渡殿の口にかいそひて、隠れ立ち給へれば、このおもとさし寄りて、老女「おもとは今宵はうへにやさぶらひ給ひつる。おととひより腹を病みて、いとわりなければ、しもに侍りつるを、人ずくななりとて召ししかば、よべまうのぼりしかど、なほ、え堪ふまじくなむ」と、憂ふ。

迷いつつも、押し返すことも出来ず、渡殿の口にもたせて、隠れて立っていられる源氏。
老女は傍に来て、あなたも、今夜は、お上にお控えでしたの。私は、一昨日から、お腹を悪くして、たまらないので、下がっていたのですが、人少ないとということで、お召しがあって、昨夜あがりました。やっぱり、こらえそうもない、と言い、苦しがる。

いらへも聞かで、「あな、腹腹。今聞こえむ」とて過ぎぬるに、からうじて出で給ふ。なほ、かかるありきは、かろがろしくあやふかりけり、と、いよいよおぼし懲りぬべし。

返事も聞かず、老女は、ああ、痛い、痛い。では、また後ほどと、言い捨てて、行ってしまった。
やっとのことで、外へ出た。
やはり、こういう隠れ歩きは、軽はずみなことだ、危険であると、ますます、お懲りになったであろう。

かかるありきは かろがろしくあやふ かりけり

これは、作者の書き込みである。
最後に、懲りたであろうと、言う。
ところが、懲りないから、物語は、続くのである。

事細かくの、情景描写である。
これが、源氏物語の、面白さであろう。

その先を、続ける。

小君御車のしりにて、二条の院におはしましぬ。ありさま宣ひて、源氏「幼かりけり」と、あはめ給ひて、かの人の心を、つまはじきしつつ恨み給ふ。いとほしうて、ものもえ聞えず。源氏「いと深う憎み給ふべかめれば、身も憂く思ひはてぬ。などか、よそにても、なつかしきいらへばりは、し給ふまじき。伊予の介に劣りける身こそ」など、心づきなしと思ひて宣ふ。

小君が、車に、同乗して、二条の院に、お着きあそばした。
有様を話す源氏。
子供で、しょうがない、と、非難するのである。
かの人の心を、爪弾き、しいしい、お恨みなさる。
お気の毒で、慰めの言葉もない、小君。

源氏は、深く嫌っているようだから、我が身まで、厭わしく思う。どうして、逢わずとも、やさしい、返事くらい、くれないのか。伊予の介にも、劣る、この身か、と言う。

心づきなし
面白くない
小君に、当たる源氏である。
子供と言って、おきながら、小君に、当たるという、源氏の幼児性である。

ありつる小チギをさすがに御ぞの下に引き入れて大殿籠れり。小君をおまへに臥せて、よろづに恨み、かつは語らひ給ふ。源氏「あこはらうたけれど、つらきゆかりにこそ、え思ひはつまじけれ」と、まめやかに宣ふを、いとわびしと思ひたり。しばしうちやすみ給へど、寝られ給はず。御すずり急ぎ召して、さしはへたる御ふみにはあらで、たたう紙に手習ひのやうに、書きすさび給ふ。

昨夜の、持ち帰った、小チギ、を、お召し物の下に、引き入れて、お休みになった。
小君を、お傍に、寝かせて、色々と、恨み言を言う。
また、相談するのである。
お前は、可愛いけれど、つれない人の縁つづきだから、とても、長続きしそうもない、と、真顔で、言う。
小君は、それをみて、辛く思う。

暫く、横になっていられたけれど、眠られないようで、硯箱を、急に取り出して、わざわざ、お遣わしになる、手紙としてではなく、懐紙に、筆習いのように、お書き流すのである。

小君に対する、源氏の甘えは、普通ではない。
ここが、また、面白いところである。
お前との関係も、このままだと、長続きしないと言うのである。
幼い人に、言う言葉か。

小君にとって、源氏は、天皇のお子である。
とてつもない、身分の高いお方である。
それに、お仕えするということ自体に、敬意を感じている。
何でも、絶対服従である。

更に、その、身分の低い小君を、源氏は、傍に寝せている。
話の出来るほど、近くに、共に臥すのである。

江戸時代まで、殿様の、子息には、小姓連中がついた。
その関係は、当然、同性愛行為があった。
それは、当たり前すぎて、書くことも無い。
それを、特別視して、書くことになるのは、同性愛行為を、意識してからである。

ここにも、源氏物語の面白さがある。

誰も、書かないので、私が書くことにする。

恋は、男女のものであるが、性は、男女のものだけではない。
更に、同性愛という、恋というものも、意識されるようになると、恋の形相は、また、深くなるのである。

それを、ギリシャの愛の思想との、相違を書いて、理解を、得たいなどとは、思わない。

世界、最初の小説には、何から何まで、書かれてあるのである。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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