2008年07月11日

神仏は妄想である 130

道元が、宋に渡り、天童山景徳寺の如浄から、伝え受けたものは、止観打坐、である。

典座教訓の中に、道元が、宋に渡り、最初に出合った二人の老いた、典座との対話を書きとめている。

若き道元が、夏六月に、炎天下の中で、笠もつけずに、汗を吹くこともなく、ひたすら、仏殿の前で、苔を乾している老僧との会話である。

道元
お幾つですか。
典座
六十七
道元
どうして、助手を使わないのですか。
典座
彼は、私ではない。
道元
あなたは、真面目すぎる。日差しも強い。どうして涼しい夕刻にしないのですか。
典座
いったい、何時を待てばよいのだ

つまり、今という、その時、以外に無いというのである。

道元は絶句する。
禅は、私がすることである。他の人に代わってするものではない。

もう一人の、大衆に食を供養するため、身を粉にして、働く典座との会話

道元
そのお年で、どうして、坐禅弁道せず、古人の話頭を、研究せず、典座となって、労働ばかりするのですか。
典座
外国の学生さん。君は、まだ弁道を知らん。まだ学問を心得ぬ。

道元は、絶句する。
弁道とは、己が、仏道を行ずることであり、それは、自己を忘れるという行為に至る。

後に、道元は、このように、書く。
仏道をならふというは、自己をならふなり。自己をならふとは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せられるといふは、自己の心身、および侘己の心身を脱落せしむるなり。

理解というものが、あるならば、身証に他ならないと、観た。

つまり、行為にしか、理解は、成り立たない。
頭で、理解するのではない。行為によって、心身が、理解することなのである。

道元が、徹底したことは、戒律に生きるということであった。
煩悩具足の凡夫のもつ無拘束性などは、絶対に許されないのである。
念仏宗の、あの、ていたくらくなどは、欄外であった。

その、有り様は、今までの、日本仏教にないものである。
仔細な、規則作法である。

それは、手足の爪の切り方から、トイレでの作法、顔や体を洗う作法、楊枝の必要と、その意味にいたるまで、仔細に書かれる。
生きるとは、戒律に生きることを、貫いた。
そして、それが、仏に続く道である。

道元の文は、名文であるといった。
それは、その文の難解さではない。
言い表し得ぬことを、言うのである。
信仰生活とは、言語の絶えるものである。
それを、あえて語る時、どのようなことが、起こるのか。

また、翻訳の困難にも、直面したはずである。
そして、理解するとは、如何なることか。
そのために、道元は、規則作法を徹底させた。
行為によって、理解するという、道を取った。

仏という、妄想の存在を、目の前に置いて、それに、向かって生きる時、自分が考える理想の生き方というものを、徹底して考え抜くのである。
勿論、道元は、釈迦につながる唯一の道、また、それこそが、釈迦の、唯一の法統であると、信じた。

正法眼蔵は、幾重にも奥深く錯綜している言葉の密林のようなもので、伝え難い秘密に敢えて表現を与えようとしている苦行そのものの表現と言ってよい。
亀井勝一郎

道元から、みれば、甘ったるいような、念仏宗の、流浪のような、信仰の姿は、許し難いものになる。

法然、親鸞、一遍の、無寺院主義も、道元には、堕落であった。
修行すべき、道場が、必要なのである。
寺院ではない。道場である。
そして、道元にとって、釈迦に至る道は、唯一、出家である。

また、臨済宗、曹洞宗とい、宗派名も、嫌った。
宗派ではない。
いえば、釈迦への道である。
この、徹底さが、道元の生きる道である。
人は、生きるようにしか、生きられないのである。

浄土門が、自己に深く深く入り込んでの、信仰だったが、道元は、自己を否定し、否定する、信仰であった。
否定した後に、万法に証せられる。つまり、仏の家に、我が身を投げ入れるという、境地に至る。
それは、道元の創作的人生である。

それを、演じきったという意味では、評価出来るものである。

ただ、道元が誤ったのは、ダルマの禅の法統であったということだ。
それを、仏陀の道と、混合させた。
ダルマの弟子たちは、インド禅以前の教えと、認識していたのである。

ダルマの言う仏と、仏陀の言う仏とは、何か。
全く別物であることもある。
禅は、仏教というより、禅教という、一つの単独宗教であれば、よかったのである。
何故、仏教という枠に納まったのか。

更に、中国では、経典の偽書が、多く出回った。
それの真偽を巡り、禅とは、関係のない、学問学者が、それに参加した。
また、偽書とするばかりではない。
創作である。つまり、文学として、評価することは、出来るが、それが、宗教信仰に、云々が、有り得るのか。

しかし、仏典のすべては、創作活動の賜物である。

人は、自ら創作した、想像の、あるいは、妄想の、観念の中に生きるものである。

それを失えば、生きる格を失う。
宗教は、その妄想の、最もたるものである。
そのように、思い込み、そのように、信じ込むという。
そして、生きることは、それで足りるということだ。

つまり、夢を見て生きているものである。
奇想天外な夢の中を生きるのである。
そして、それは、正しい。神話なくして、人は、生きることが出来ないのである。
ただし、これからの、神話は、排他的ではなく、調和的、戦闘的ではなく、平和的でなければならない。

ホント、ご苦労さんである。



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アボリジニへの旅 11 平成20年7月

オーストラリアに、移住した人々は、どのようなことを行ったかである。
その行為は、一言、野蛮である。

アボリジニを、野蛮というが、言う彼らの行為の方が、もっと野蛮である。
土地の奪い合いによる、戦いである。

しかし、アボリジニに対する暴力を、彼らは、正当化する、屁理屈を持っていた。
社会進化論と、偽の科学である。さらに、ダーウィンの、進化論などを利用するもの、等々である。

タスマニアの政府委員会では、野蛮人の生活をほんの少しでも、考慮することは、価値のないことである。
そして、ある牧場主は、アボリジニを殺すことと、野生の犬を殺すことは、同じことである。
アボリジニは、野獣に似ているので、殺すのが適切である。
激しい、人種差別は、先住民から、土地を奪う、実に便利な口実になったのである。

初期の、移住者たちは、人間の中で、最低の知能と文明しか、持たず、獣に近いものとして、残虐行為の限りを尽くした。

白人と、アボリジニとの関係が、二世代目を迎えた、1850年代は、さらに、悲劇的である。

これから、キリスト教の、アボリジニ対する、独善の限りを尽くした、赦されない、行為を、書く。

キリスト教は、アボリジニの精神的破壊を、推し進めたのである。

アボリジニをキリスト教徒にするために、宣教師たちは、教団施設に収容することを、思いつく。
18世紀後半から、19世紀初頭にかけて、欧米では、福音主義運動というものが、起こる。
それが、また、偽善的で、植民地的侵略や、奴隷状態に置かれる、先住民を、悲劇から救い、キリスト教徒のすることだという、独善行為である。

白人の暴力から、救う避難所を与え、アボリジニを異教徒として認識し、その文化を、理解することなく、破壊するという行為である。

最も、悪行は、アボリジニの、儀式、伝承、その精神性を、破壊するという行為である。

この精神は、今も変わらずにある。
一方で、物理物質的支援を続け、一方では、その精神性を、破壊するという行為である。
これほど、不純な行動は、無い。
しかし、知能の低い、キリスト教徒には、それが、解らないのである。
我らは、正しいと、信じている。
これを、手のつけられない者と言う。

キリスト教宣教師の、アホ、バカ、間抜け振りを現すものに、布教に当たり、アボリジニが、キリスト教の恩恵を受けるに値する者か、否かを議論したということである。

呪いの好きな、旧約聖書の中に、ハムの呪いというものがある。
ノアの箱舟の記述にある。
箱舟から出た、ノアの息子たちは、セム、ハム、ヤフェトである。
この三人が、世界の人の大元であると、考える。

ハムには、カナンという息子がいた。

ノアが、葡萄酒を飲んで酔っ払い、天幕の中で、裸で寝ていた。
それを、ハムが、二人の兄弟に告げると、二人の兄弟は、着物を持ち、後ろ向きに歩いて、父の裸を覆う。
二人は、父の裸を見なかった。
それだけである。

酔いから醒めたノアが、言う。
カナンは、呪われよ。
奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ、である。

セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。神がヤフェトの土地を広げ、セムの天幕に住まわせ、カナンはその奴隷となれ。

実に、意味不明であるが、呪いである。

よって、ハムは、アフリカを中心とする、人類の先祖とされ、アボリジニも、アフリカと、結び付けて考えたという、お粗末さである。
黒い肌の人は、罪を犯した報いとして、奴隷となるように、運命づけられているという、ものである。

ハムは、父の裸を見たから、呪われたのか。そして、その息子のカナンに、呪いがかけられるという、不思議である。
カナンを末の息子と、呼んでいる。孫であるが、そう呼ぶのである。

兎も角、19世紀の、宣教師たちは、アボリジニを、キリスト教徒にすること、文明化すること、と、目的を定めた。

アボリジニの文化、言語、儀式等などは、すべて、否定されたのである。

大陸の南半分は、1850年代にヨーロッパ人に、占領されていた。
それから、開拓者たちは、いよいよ、北へと、押し寄せることになる。
それは、アボリジニから、土地を奪い、アボリジニを殺すことだった。

白人の、持ち込んだものは、伝染病と、アルコール、そして、アボリジニ女性に対する、強姦である。
アボリジニの、人口激減の有様である。

1900年代に入ると、アボリジニは、壊滅する、人種と見なされる。

フロッドシャム司祭の言葉。
アボリジニは消えつつある。伝道の仕事は、死に行く人種の枕元で、困難を取り除いてやることだけだ。

ここには、アボリジニは、死ぬ運命であるから、キリスト教徒に改宗させることで、せめて、死後、天国に行くことができるようにと言うのである。

旧約聖書の神が、最も嫌う傲慢さと、偽科学の、考え方である、自民族中心主義、エスノセントリズムというものが、ある。

更に、その傲慢極まりない行為に、拍車をかけたのが、アボリジニ親子の分離政策である。

その前に、再度、アボリジニの、精神文化を言う。

その、世界観は、実に知的レベルの高いものである。
包括的で、全体的であり、関連的である。それは、人間と、他の生命や、自然は、分離しないというもの。
多種多様な、生き物は、すべての自然の有様と、共にある。
人間の有様は、その行為自体に、時間と空間を超えた精神的、宇宙的秩序の表現であるとされる。
それらを、儀式や、歌、儀礼、ドリーミングという方法によって、親から子へと、伝えられる。また、それぞれの、グループ内で、伝えられる。

排他的、キリスト教の考え方とは、雲泥の差がある。
キリスト教では、平和を求められないが、アボリジニの考え方では、平和を、求められるのである。

キリスト教徒が、祈る平和は、自民族の平和であり、異民族、異教徒の平和は、無い。
根本から、違うことが、解る。
しかし、今に至っても、キリスト教徒の頭の程度は、進化しないのである。
これ程、愚かで、野蛮な人種も無いものである。

彼らは、早々に、彼らの妄想する、天国に行くべきであると、私は考える。
または、地球の外で、布教活動をして、堂々と、その、偏狭極まりない、教えというものを、広めるとよい。

私の、慈悲の思想から言えば、
糞して、死ね、というところである。
posted by 天山 at 17:07| アボリジニへの旅 平成20年7月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月12日

もののあわれ242

皆しづまりたるけはひなれば、かけがねを試みに引きあけ給へれば、あなたよりは鎖さざりけり。凡帳を障子口には立てて、火はほのぐらきに、見給へば、唐櫃だつ物ども置きたれば、乱りがましき中を、分け入り給へれば、ただひとり、いとささやかにて臥したり。なまわづらはしけれど、上なるぬ押しやるまで、求めつる人と思へり。

源氏は、女房たちが、皆寝静まった頃に、掛鉄を外して、引いてみると、障子は、開いた。
向こうからは、掛鉄が、かかっていなかったのである。
そこには、凡帳が立ててあり、仄かな灯の灯りで、物が見えた。
衣装の箱などが、乱雑に置かれてある。
源氏は、その中を、分け入り、歩いて行った。
小さく、一人の女が寝ていた。
なまわづらはしけれど
やましく思いつつ、である。
顔を覆った、着物を、源氏が手で引きのける。
女は、先刻呼んだ、女房の中将が来たと思った。

この時、源氏は、十七歳の夏である。

人妻との、関係を持つ瞬間である。

いとささやかにて臥したり
その女に、源氏は、恋を賭ける。

昔の、十七歳は、今の、二十七歳と、思えばよい。

私は、万葉の時に、恋とは、人生、そのものであると、言った。そして、恋とは、そのまま、性であると、言った。
私の言う、セックスは、性器セックスではない。
情の交わり、心の交わり、心身共に、触れ合う交わりである。

和泉式部のセックスは、契りて、と言う。

人と、触れることにより、我にあるもの、我にある、心の様を見いだすのである。
万葉は、そのような時代であり、さらに、紫式部は、それを、もって、物語を書くのである。

人が求めえるものは、人の情けであろう、という。
それ以外に、何を求めるというのだろう。また、求め得られるというのか。

紫式部は、細に渡り微に渡り、恋を描くのである。
性器セックスを、描くのではない。
それは、本居宣長も、そのように読んだ。

恋というものに、まつわる、悲しさともいうべき、人のあはれ、というものを、描くのである。


源氏「中将めしつればなむ。人しれぬ思ひのしるしあるここちして」と宣ふを、ともかくも思ひ分かれず、ものにおそはるるここちして、「や」とおびゆれど、顔にきぬのさはりて、音にもたてず。源氏「うちつけに、深からぬ心のほどと見給ふらむ、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心のうちも、聞え知らせむとてなむ。かかる折りを待ちいでたるも、「さらに浅くあらじ」と、思ひなし給へ」と、いややはらかに宣ひて、鬼神もあらだつまじきけはいなれば、はしたなく、「ここに人」とも、えののしらず。


源氏は、あなたが、中将を呼んでいらしたから、私の思いが通じたと、思いました、と言いかけた。女は、何者かに、襲われる様子で、驚く。
「や」というつもりなのだが、顔に夜具がかかり、声にならない。
源氏が言う。
うちつけに、深からぬ心のほどと見給ふらむ、ことわりなく
突然のことのように、思われるでしょうが、違います。
前から、あなたを、思っていました。
それを、聞いていただきたいと、この機会を、待っていたのです。
さらに浅くあらじ
深い縁である、というのか。前世の縁というのか。
いずれにせよ、女を、口説くための、言葉である。

未だに、男は、女を口説くのに、深い縁だという。
一度限りの関係でも、である。

源氏は、柔らかい口調で言う。
当然である。女を、口説くのに、無粋な態度ではいけない。
鬼神、神さまでも、この方には、寛大な態度で、接するだろうという、美しさであるという。
知らぬ人が、こんな所へとも、言えないのである。
罵ることが、出来ないのである。

源氏の美しさは、格別である。
美とは、許される存在なのである。

紫式部は、自分の顔を人に見られるのが、事のほか嫌だった。
その歌を、読むと、解る。

その、紫式部が、源氏を、女に勝る美しさと、描いたのは、何故か。

美は、鬼神さえも、黙らせる程の、力があるというのである。
美、というものに、適うモノは無いのである。
紫式部が、源氏の老いさらばえた姿を書くことなく、未完にした、訳である。

紫式部が、追求した、美、というものを、人は、未だに求めて、さ迷うのである。


心地はたわびしく、あるまじき事と思へば、あさましく、女「人たがえにこそ侍るめれ」と言ふも、息のしたりなり。消えまどへる気色、いと心苦しく、らうたげなれば、「をかし」と見給ひて、

女は、情けないと思うのである。
あるまじき事
つまり、そんな、ふしだらなことが、あってはならないのである。

女は、人違いでは、と言う。
それも、息よりも、低い声である。
消え惑える様子の女。
心苦しく、うらたげなれば、とは、可憐な姿か。
兎も角、男心を、曳き付ける様子である。

現代文に、翻訳する者、それぞれである。

男に、寝ているところを、襲われるということ、当時は、当たり前のことである。
更に、それは、一種の喜びともなる。
ただ、しかし、目の前の人は、あまりに、美しい。

源氏「たがふべくもあらぬ心のしるべを、思はずにもおぼめい給ふかな。好きがましきさきには、よに見え奉らじ。思ふ事少し聞ゆべきぞ」とて、いと小さやかなれば、かきいだきて、障子のもと出で給ふにぞ、求めつる中将だつ人、きあひたる。源氏「やや」と宣ふに、あやしくてさぐりよりたるにぞ、いみじくにほいみちて、顔にもくゆりかかるここちするに、思ひよりぬ。あさましう、こはいかなることぞ、と、思ひまどはるれど、聞えむかたなし。


源氏は、違うわけがないではありませんか、と言う。
恋する私の、思いが、充ちて、あなただと思い、来ました。
あなたは、知らぬ顔をされる。
普通の、好色の男がするような、ことはしません。少しだけ、私の心の内を、聞いてくだされば、いいのです。
小柄な女を、かき抱き、障子の前に出て来ると、先ほど、呼ばれていた、中将の女房が、向こうから来た。
「やや」と、源氏が言うと、不思議に思い、探り寄って来た。
その時、源氏の、香を焚きこめた衣服の香りが、顔に吹きかかる。
中将は、これが、誰であるかを、知った。
そして、何事かも、知った。
しかし、どうなることかと、心配するが、何も言えないのである。

この顛末は、実に、巧いのである。
紫式部の筆である。

おろかならず、契り慰め給ふこと、多かるべし。

ありしながらの身にて
男と女の契りの関係である。

性の交わりを、現代文に訳す、作家の多くは、この、紫式部の筆を、再現できずに終わる。
大和言葉である。
そのままにして、読むことである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 131

禅は、ボダイ・ダルマの渡来にはじまる。

達磨と、書かれて統一された。

この、ダルマには、二つの顔がある。
一つは、六世紀のはじめに、北魏の首都である、洛陽にやって来た、風変わりな、外国僧である。
もう一つは、禅の、始祖としての、中国僧の顔である。

互いに、矛盾する、顔が、弟子たちによって、絡み合い、固有のイメージと発展する。

ボダイ・ダルマの最古の記録は、550年頃、洛陽近郊にある町の、首長であった、楊衒之、ようげんし、が、編纂した、洛陽伽藍記である。
この本は、かつて、洛陽に甍をつらねた、1367箇所の寺院が、北魏末の、あいつぐ天災戦火で灰燼となったことを、悲しみ書かれたものである。

その中で、ダルマは、洛陽随一の、永寧寺の条に、神異な姿を現すのである。

ダルマの伝記の、もっともまとまっているものは、唐の貞観19年より、十年を経て、完成する、続高僧伝である。655年。

この本は、ダルマと、集った弟子たちの、対話を、断片的に、集録したものである。
続高僧伝は、これが、素材であったという。のちに、禅の思想と、歴史が、発展して、本自体は、低い評価しか得なくなる。

その中に、ダルマの言葉を記録した、本が流布していると、書かれる。それが、敦煌文書の、二入四行、である。

敦煌本が、発掘されて、続高僧伝は、評価を逆転させることになった。

この本は、現存最古の、禅の語録とされるのである。

二入四行では、ダルマは、三蔵法師として、呼ばれている。経律論の、三蔵を中国に伝えた、インド僧である。
これまで、達磨三論、小室六問などが、読まれたが、二入四論も、その中に入っている。

大半は、唐の、中期に、ダルマに託して、つくられたものである。
中でも、達磨無心論は、代表的なものである。
後で、それを、読むことにする。

ダルマに、はじまる、中国禅は、大乗禅、最上禅、如来清浄禅、頓悟禅などと、呼ばれる。

そのころ、ボダイ・ダルマなるものがあり、教化を旨とし、江洛の人々を、導いた。その大乗壁観の説は、功徳もっとも高く、人々は帰依して市をなした。しかし、言葉は難解で、よく判るものが稀であった。その信仰をおしはかってみると、絶対否定の心があとに残り、その主張をよく考えてみると、功徳のねがいは完全に超えられている。
続高僧伝

ダルマの教えは、容易に人に受け入れられなかったという。
哲学的、観念的であった。

仏陀滅後、千年を過ぎている。
仏陀の教えも、当時の、バラモンなどに、影響されている。つまり、禅というものも、仏教に影響されて、出来た、新宗教である。

仏教を母とするであるから、当然、目指すは、仏という、境地である。
だが、それは、実に、今までの、仏というものの、捉え方と、異なるのである。
私は、そう思う。

600年代とは、玄奘三蔵法師が、天竺に渡り、そして、帰国して、唐の太宗に保護されて、経典の翻訳に、没頭していた時期である。
ダルマの、出現は、そのすぐ、後である。
それ以後、中国仏教は、花盛りとなるのである。

ちなみに、日本人として、玄奘に師事した僧は、唯一、道昭である。玄奘の、法相宗を、日本に持ってきた。

ダルマの教えは、こうである。
二入とは、理入と、行入があり、行入は、さらに、四つに分けられる。
入、とは、悟りのことである。

第一の、報怨行は、すべての苦しみの元は、前世の悪行によるものと、思い、耐えて、怨みの念を抱かぬ行。
第二の、隋縁行は、ものは、すべて因縁であり、無我であると、観じて、一時的な感情に、動かされない行。
第三の、無所求行は、貪着の心を捨てる行。
第四の、称法行は、一切皆空の理を信じて、善行を行じて、しかも、これに囚われない無心に、徹する行。

ダルマの、行為は、般若の実践であった。
般若とは、透徹した智慧のことである。
普通の、知恵が、物を覚え、ものを、比較して価値を追うのに対して、般若は、つねに、心を空にする実践である。
坐禅は、その方法である。

ここで、感じるのは、南インドの、龍樹の考え方である。
般若は、知恵、そして、空という、考え方、龍樹を思い出す。
ダルマも、南インドの出である。

いずれにしても、心の乱れを前提にして、坐禅ははじめて有意義となる。手段を目的視すると、本来自由な心をみずから縛ることとなる。それは、坐禅の目的に反する。したがって、坐禅の実践には、どうしてもそうした心の本質論が前提される。こうして心をどうみるかによって、坐禅の仕方はおのずから二つに分かれる。心の散乱、動揺に対処するものと、本来清浄のところに立つものとの二つである。前者を小乗、後者を大乗に擬してよいであろう。ダルマが理入と行入の二つを分ける真意が、そこにある。理入にもとづいて、行入の一つ一つを有意義ならしめようというのである。
柳田聖山

大乗の坐禅は、心の哲学とその独自の実践をもとめる。そして、ダルマを始祖とする禅の思想は、そうした要求に沿って展開してゆく。
柳田聖山

ダルマは、いつも、壁に向かって坐禅したという。
これを、壁観という。
心を、壁の如く、木石の如くなるように、心を内に向けるものである。
坐禅とは、我の内を観る行為である。

これは、実に、インドの伝統行為であると、思う。
インドという地の有り様を、もって、出来上がった行為である。

実に哲学的であり、仏陀もまた、そのような風土の中で、あることに、気付いた一人である。

龍樹も、仏は、方便だった。
禅というのも、仏というものは、方便だった。

その、哲学を語るための、方便としての、仏である。
兎に角、中国禅が、ダルマから、出たということである。

それが、我が日本に、伝えられる。
更に、それが、生成発展し、大和心が、加味されて、禅という、新しい宗教形態が、生まれる。
仏というものの、境地を目指して、である。

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アボリジニへの旅 12 平成20年7月

アーネムランド、ゴーブにて、詠む歌

風乾く ただ今ゴーブは 冬という されど椰子の木 夏の如くに

二十歩の 街の中心 タウンという 我が故郷の 町よりも小

アボリジニ 焚き火して 食う男たち 昔を偲ぶ 伝承(つたえ)にありて

聖地から、戻って、街に向かう時に、三人のアボリジニの男たちが、焚き火をしているのを見た。
ヨーと手を挙げて、挨拶し、近づくと、一人の男は、眼が不自由だった。
私たちを、誰か知らないと、思い、私は、日本人です。今、聖地で、祈りましたと言った。
すると、一気に顔が和らぎ、私たちを、受け入れる。

焚き火には、スーパーで買ったと思える、牛肉を、焼いていた。
肉を切るものは、缶を壊して作ったものである。
器用に、それで肉を切る。
私たちの水を少し欲しいと言うので、ボトルのまま、差し上げた。
すると、缶の中に水を入れ、その中に、肉を小さく切って、入れ、それを、焚き火の上に置いた。

少しばかり、そこに、いたが、別れて、街に向かった。

仕事なく、やることなく、飼い殺しにされている様である。
政府の、支援金で、生活するという。

時々に、道端で、アボリジニの人々に出会った。
ヨーと、挨拶すると、誰もが、挨拶を返す。

新しき 学説出たる 人類の 祖先はここの アボリジニになると

民族の すべての特徴 備えたる アボリジニなり 歴史覆る

オセアニア アジアに近き ゆえなれば アジアと共に 歩めかしとぞ

発見されたから、古いとされる。
見いだされないものは、無いものである。
それが、考古学の限界である。

今どこか さらに眠れる 古きもの それありて知る 歴史ゆえに

歴史も、人の創造である。

さて、アボリジニを苦難の極みに、導いた、独善、傲慢な、宣教師たちの、有様を言う。

宣教師たちは、アボリジニの大人を、改心、改宗させることの、難しさを知り、スムーズに、キリスト教徒にすべく、子供に注目する。
そして、強制的に、親から子供を手放すように仕向けたのである。

子供たちは、遠く離れた、教団施設に、送られることになる。
サリン事件の、あの教団を、思い出させる。

これは、アボリジニの、完全崩壊に、結びつく。
世代から世代へと、受け継がれるべき、伝承の子供たちが、いなくなるのである。

子供たちは、全く異質の、文化的環境に置かれ、アボリジニの儀礼、儀式、伝承を、学ぶことが、できなくなったのである。

教団ごとに、運営される生活は、多少の違いがあっても、キリスト教という、枠の中、ヨーロッパの文化という、枠の中に入れられて、更に、洗脳されることになる。
子供たちは、アボリジニと、ヨーロッパの文明の、中で、隔絶されるのである。
つまり、どちらにも、属せないという、悲劇である。

アボリジニの若者は、英語を話し、西洋の服を着て、西洋文化を、善と教えられて、そのように、行動する以外に道はなかった。
それを、見た、アボリジニの長老たちは、絶望した。

重要な、親族関係のつながりが、崩壊することになる。それは、アボリジニの根本的な、崩壊である。

更に、食生活である。

宣教師が、配布する、小麦粉と、紅茶が中心になり、狩猟採取民としての、バランスの取れた、食生活が、崩壊したのである。

宣教師から、配布される食料によって、白人に依存する生活が、当たり前となる。
自然と一体となって、生きていた、アボリジニが、その伝統から、切り離されてゆくのである。

イギリス人が、紅茶を飲むのは、その、劣悪なイギリスの水のせいである。彼らの飲む水は、泥水のようであり、臭いのである。これを、誤魔化すために、紅茶を用いた。
茶の歴史には、そんなことは、書かれていない。
インドからの、茶葉を、紅茶にしたのが、イギリスだというが、それは、苦肉の策だったのだ。

その、食生活が、いかに、不健康なものであるか。
キリスト教精神も、不健康であるが、それも、実に、不健康を、もたらした。
紅茶に、砂糖を、たっぷり入れて飲むようになり、それが、今、多くのアボリジニを、糖尿病にしている。

砂糖の加減が、解らなかったのだ。

若者たちの、指導者が、宣教師になったことは、アボリジニの長老たちの、資格も、剥奪することになる。

アボリジニを、絶滅から、救うという名目で、アボリジニの文化を、破壊するという、キリスト教の神、本来の、姿を、現したといえる。

怒りと、嫉妬と、呪いの神である。
人間を、追い詰めて、追い詰めて、そして、赦しを与え、支配するという、手口は、悪魔のやることである。

更に、それは、白人入植者たちの、土地獲得を、有利に進めることにもなったのである。
要するに、宣教師たちは、アボリジニの子供を、飼ったのである。

今、現在も、このキリスト教の、布教精神が生きていて、同じ事を、様々な土地、国で、行う。
彼らの言う、アガペの、無償の神の愛という、お説が、いかに嘘であるかが、解る。
やり取りなのである。要するに、取引である。
決して、無償ではない。
助けます、しかし、神を信じなさい。そして、我々と、同じように、生きることなのですというのである。

イギリスの食事は、今でも、世界的に、最低の食事である。
イギリス料理などというものは、無い。

フランス料理は、ベトナム、ラオスによるもの。
中華料理は、日本の、会席料理によるもの。
イタリア料理は、おおよそ、イタリアによる。
アラビア料理は、アラビアによる。

実際、欧州という土地は、また、イギリスも、豊穣ではない。
彼らが言うところの、文化、文明などは、ほんの少しの間のことである。
中国、インド、アジア各国、日本などの、文化、文明の、足元にも、及ばない。
ただし、中国の場合は、共産党が、悠久の歴史を、抹消して、善しとしているから、アホも程が過ぎるが、目も当てられない状態である。その、漢字文化は、日本にて、花開いている。

インドの、現在の貧しさは、イギリス統治が、原因である。
何もかも奪い、産業革命なるものを、為したのである。
あれは、イギリスが、起こしたのではない。植民地から得た、財によって成ったのである。

歴史を、書きなおすべきである。特に、日本の教科書の、世界史を、書きなおす必要がある。

次に、私は、これからの、オーストラリアの国としての、取り組みを、検証する。
今、オーストラリアは、国の神話を、求めて、さ迷う。
その神話造りには、アボリジニが、欠かせないのである。
今年の新年に、政府が、アボリジニに、正式謝罪したのは、大きな訳がある。

国家を、造るものは、精神である。その精神の、大元に、神話が必要不可欠である。
つまり、国家幻想を、持たない国は、続かない。
ソ連が、崩壊したように、神話と、国家幻想を、もてない国は、崩壊する。

ここで、一つ余計なことを、言う。
国家幻想は必要だが、宗教による、妄想は必要ないということである。
国家、国境を超えて、宗教は、それぞれ独自の、妄想を、人々に与えて、その教線を、広げる。

国家と、違うのは、国家を造る、民族の神話的幻想であり、宗教は、対立を生むもの以外の何物でもない。
民族と、宗教が、手を組むと、どんなことになってきたかは、歴史が、教える。

民族の伝統としての、宗教的情操ではない。
私が言うのは、宗教として、単独の、妄想を、掲げることと、民族が結び合うことである。
それは、独善になり、他を、排斥して、善しとする。

ユダヤ教は、ユダヤ人の宗教であるが、これが、ユダヤ教のみ、取り出して、世界を、裁いたとしたら、どういうことになるかは、見ての通りである。
ユダヤ人が、伝統として、その民族の情操にあるものとの、意識にある、ユダヤ教であれば、何の問題も無い。
しかし、彼らは、唯一の神から、選ばれた、民族であると考え、それを、世界に押し付けようとする時、どんなことになるか。

更にである。
唯一の神を奉ずる者として、活動する、キリスト教が、行う、世界の判定は、世界を混乱に陥れるだけである。

更に、その、キリスト教も、一枚ではない。
カトリック、プロテスタント、英国教会、ギリシャ正教、等々。

もう一つ、唯一の神を、奉ずるイスラムである。
そのイスラムが、徐々に、世界に侵食している様、ありありと見える。
そして、それは、政治的行為も為す。
宗教と政治が、結びつくと、どのようなことになるかは、見ての通りである。

西洋の中世を、見れば解る。


posted by 天山 at 17:07| アボリジニへの旅 平成20年7月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月13日

もののあわれ243

源氏

つれなきを 恨みもはてぬ 東雲に とりあへぬまで 驚かすらむ
つれなきを うらみもはてぬ しののめに とりあへぬまで おどろかすらむ

女、身のありさまを思ふに、いとつきなくまばゆきここちして、めでたき御もてなしも何ともおぼえず、常はいとすくすくしく、心づきなしと思ひあなづる伊予の方の思ひやられて、夢にや見ゆらむと、そら恐ろしく、つつまし。



身のうさを 嘆くにあかで あくる夜は とり重ねてぞ ねも泣かれける

ことと明かくなれば、障子口まで送り給ふ。内も外も人さわがしければ、ひきたてて別れ給ふほど、心細く、隔つる関、と、見えたり。


この前の文では、源氏が、もう、女と、付き合いが出来ないことを、嘆くというシーンがある。そして、泣くのである。
そして、歌を詠む。

あなたが、取り合ってくれないという、つれなさ。
すでに、夜が明ける。私は、大いに嘆く。

女は、身の有様を、考えて、身分の違う、源氏との関係を、戸惑い、それを、喜ぶことができないでいる。
更に、愛情のもてない、夫の伊予の国を、思い、複雑な気持ち。
この人との付き合いを、続けるという、夢を、一瞬でも、思うことは、恐ろしいことであった。

身の憂さを、嘆くと共に、夜が明ける。
思い出しても、それは、悲しいのである。

次第に、明るくなり、女を、送る源氏である。
奥の方の人も、こちらの、縁の人も、起き出している。

心細く、隔つる関、と、見えたり。

別れの、言葉である。
隔つる関、なのである。
関は、別れの、際である。

越すに越せない、大阪の関、とは、よくいったものだ。

恋は、関によって、隔てられ、峠を越えることによって、成就する。

あなたと越える峠道
いつかいつかと、待ち望み
この日を夢見て生きてきた

と、演歌となる。

四方山話も、昔は、物語すると、言った。
物語は、面白くなければ、いけない。
小説の登場であるが、矢張り、物語である。それも、面白くなければいけない。

悲しくて、面白い。楽しくて、面白い。
この、面白いものとは、もののあわれ、の、一つの心象風景である。


月は有明にて、光をさまれるものから、顔けざやかに見えて、なかなかをかしきあけぼのなり。何心なき空の気色も、ただ見る人から、艶にも、すごくも、見ゆるなりけり。人知れぬ御心には、いと胸いたく、「ことづてやらむよすがだになきを」と、かへりみがちにて、出で給ひぬ。

有明の月とは、夜が明けても、出る月である。
残月ともいう。
朝の光に、すべてのものが、照らされる。
なかなかをかしきあけぼの
不思議な、面白い、夏の朝である。
何心なき空の気色
何心なき、とは、実に、微妙な表現である。言えば、我のみ知る心持である。
それは、身に染む、いや、心身に沁みる、風景である。
更に、言伝さえ、出来ない相手なのである。
その方法が無いという、虚無感。
そして、去って行く。

何心なき空の気色、とは、様々な場面で、私たちは、経験する。
何も、恋ばかりではない。
人と人の関係の中で、それを、感じる場合もあり、物や風景の場合もある。

何かしら、所在無き、心の様。
しかし、深い思いに充ちる。

悲しみが、深ければ深いほど、所在の無い心の様に、なってゆくこともある。
この、何心、とは、何か。
それを、捜し求めて、紫式部は、物語を描くのである。

深い思いを、言葉に出来ない、それが、もののあわれ、の、一つの風景である。

それを、何心と、言う。
正に、残月に、掛ける、残心、ざんしん、である。

残心を、名残とも言う。
名残の雪、名残の月、名残の花、名残の思い。
ありとあらゆるものに、通じるもの、それが、もののあわれ、というものである。

なかなかをかしきあけぼのなり
これを、現代文にするのは、ひじょうに難しい。
だから、私は、原文を読むしかないという。

外国語を、翻訳で読むというものとは、全く別物である。
大和言葉の、その、有様を、読むのである。

艶にも、すごくも、見ゆるなりけり
何を見たのか。
朝の風景である。
その、風景に、託す思いというものを、日本人は、長い間、培ってきたのである。
目の前の風景は、心、そのものであった。

私は、オーストラリアの、アボリジニの、精神を伝え聞いて、仰天した。
今、目の前にある風景、自然は、先祖の夢なのであるという、物の見方である。

先祖の夢が、今、目の前にあると、思いつつ、生活するという、その、民族の精神の高さである。

感動というより、絶句した。

それ、大和心ではないか。
それこそ、大和心ではないか。

先祖の夢が、今、目の前にあるという。その心こそ、大和心、大和魂の、そのものである。

私は、伝承と伝統こそ、守らなければならない、唯一のものと、考える。
私は死ぬ。
しかし、私の思いは、自然に現れる。
素晴らしい。
言葉が無い。
故に、言挙げしない。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 132

畢竟じていわく、居士の悟道するか、山水の悟道するか。たれの明眼あらんか、長舌相・清浄身を急著眼せざらん

ちょうぜつそう しょうじょうしんを きゅうぢゃくせざらん

このくだりは、まさに道元ならではで、朱筆ものです。
結局、居士は悟って山水と一致してしまった。とすると、悟ったのは居士なのか。悟った居士の姿が、もし山水そのものと一致するならば、居士が悟ったというよりも、山水が悟ったのだというほうが正しいのではないか。
栗太勇

こういうのを、悟り病という。
更に、言葉遊びという。

人間が悟ったという瞬間には、山それ自体、川それ自体が己の姿を表しているのであって、もはや人でもなく、山水でもない。煌々と輝く真実そのものがむき出しになる。
ならば、山水そのものが悟ったと言ってもいっこうに差し支えない。
栗田勇

悟りとは、真実の姿をあきらかにするという、妄想である。

この世に、真実など、あろうかう。
事実があるのである。

更に、このような、自然との一致などということ、今更である。
万葉集を、読めば解る。

一体、何ゆえに、このような、迷いに陥るのか。
それは、病である。
気の病なのである。

この、禅の言葉に騙されて、皆々、その気になっている様は、実に滑稽である。
つまり、知ったと勘違いするのを、知ったと、思い込むのである。
禅というものは、実に、愚かな、世界である。

そこに、真実だとか、仏だとかを、入れ込むと、一丁上がりである。
アホらし。

み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間なくぞ 雨は降りける
その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如 隈もおちず 念ひつつぞ来る
その山道を
天武天皇御製

み吉野の、耳我り嶺に、止む時もなく、雪が降る。
間断なく雨が降る。
その雪が止む時もなく、その雨が絶え間なく降り続くように、山道を、思いに沈み、ひたすらに、歩いて来たことである。

思いつつぞ来る
これを、迷いと、禅者は、言うだろう。
生きるということは、この、思いつつ来る、行くことである。
雪にも雨にも、一体となり、思いつつ、行く、来るのが、生きるということであろう。
つまり、人生の捉え方である。

禅の、捉え方には、作為がありすぎる。

渓声山色の功徳によりて、大地有情同時成道し、見明星悟道する諸仏あるなり

十二月八日、明けの明星を見て、釈迦が、悟り、仏陀となるのである。

それに、真似て、空海は、明けの明星が、口に飛び込んできたというから、魔界関与である。

道元は、修行者として、最も、理想的な、坐禅というものを、行為した。
それは、釈迦の教えたものである。
そして、その坐禅は、出家者がするものであり、在家、つまり、一般の人のするものではなかった。
釈迦は、一般の在家というか、在俗の人には、それを、勧めていないのである。

釈迦の教えの、八正道という、物の見方、考え方がある。
その最後に、正定というものがある。
しょうじょう、である。
それは、出家者のものである。
それほど、正定は、難しいことである。

道元も、弟子たちのために、教えを書いたのであろう。
今、しかし、それを、一般の者たちが、読む。

私も、それで、批判する。

しかし、釈迦が、仏陀となった、悟りというものを、誰も、知ることは出来ない。
極めて個人的な、情緒である。
更に、大乗仏教では、その仏陀を神格化して、ついに、神様のように、扱い、対立させて、仏陀、そして、仏という存在を、置いた。
一神教と、変わらない。
だが、こうも言う。
仏と、仏と、釈迦という仏陀は、違うのであると。
数多の仏が、永遠の仏陀として、存在する。
釈迦も、その一人である。

久遠実成の、仏というものがある。
釈迦も、その仏に向かう仏である。

道元は、更に、釈迦の悟りの、時、それを、禅では、機ともいう。
禅機である。

山も時なり、海も時なり、時にあらざれば山海にあるべからず

「有時」の「有」とは存在のことであり、「時」とは時間のことです。つまり「存在と時間」といえばドイツのハイデッカーの著作の名前とまったく同じです。彼やフランスのサルトルなど二十世紀の実存哲学者の思想を、道元は何百年の昔にすでに先取りしているのだから驚きです。

存在と時間などというとむずかしく聞こえますが、基本的には、時間というものは二つあるということです。一つは時計の針が指し示していく客観的、物理的な時間。もう一つは、おもしろさに時を忘れるというように、時計の針とは無関係な、主体的な時間というものがある。
栗田勇

松も時なり、竹も時なり、時は飛去するとのみ解会すべからず
道元

ところが道元は、飛躍的というか独特の考え方をしている。実は、時間についてあれこれ考えているわれわれ自身、実際は時のまっただ中に投げ込まれているのだということをまず言う。そういう観点でみれば、仏法といい、悟りという真実の法則は、皆、時が姿を現したものである。世の中のありとあらゆる現象は実は時間そのものが姿を現したものである、形をとったものであるという考え方が出てくる。
栗田勇

時は、流れるものではなく、様々な、在り方の根本であるという、考え方になるという。

山も、海も、時そのものであるというのだ。

このように、どんどんと、迷いの道に入り込むのである。

それならば、松尾芭蕉の言う、松のことは、松に、竹のことは、竹に聴けという、言葉の方が、実際的である。

もし、道元が、仏法に迷わずに、大和言葉で、その、思想を語れば、実に、有意義な、哲学、思想を、生むことが出来たと思う。

道元は、釈迦の唯一の教えとしての、禅と認識した。
それは、つまり、釈迦の悟りの、あの時を、求めたということである。
そして、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び、釈迦の、その時の、機を求めた。
それが、道元の著作のすべてである。
これは、確かなものなのであると、何度も、繰り返し、繰り返し、確認するために、飛躍的な、言葉の数々を吐いたのである。

釈迦の悟りの、ある機は、去ってはいない。今も、その時である。今も、その機である。
実に、真面目である。

道元の、本質は、生真面目なのである。
坐禅という、一つの修行方法が、とても、道元には、合っていたのである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アボリジニへの旅 13 平成20年7月

1976年、アボリジニ土地権利NT法、が成立する。

政府は、北部準州、ノーザン・テリトリー全域を、アボリジニの土地権の請求を認める法律を制定した。

この法律は、アボリジニの出自を持つ人を、アボリジニとし、伝統に従い、特定の土地を使用し、占有できる権利をもつアボリジニのために、北部準州が、その土地を貸すというものである。

ここで言うところの、伝統とは、部族、個人の持つ伝承と伝説、儀礼や信仰である。
今も語り継がれる、ドリーミングをもち、ドリーミングに登場する儀式を、行っていることが、条件である。

この法律により、北部準州の、アボリジニは、土地返還請求をはじめた。
現在、二割程度の土地が、アボリジナルランドとして、アボリジニの所有になっている。

このことは、アボリジニたちの、神話の力が、土地を返還する上で、必要不可欠となったことである。私は、画期的なことだと、考える。

それは、この法律によって、他の地域でも、土地返還請求が、出されるようになったからである。
その時、その土地に、まつわる、ドリーミングを語ることができ、聖地などを、正確に伝承していることが必要になる。
神話が、ただの神話に留まらず、かつての、自分たちの土地に関する、権利を主張することの出来る、手立てとなったのである。

この、ドリーミングは、説明するに、実に、難しいことである。
後で、少し、私が出掛けた、ゴーブ付近に住む、ヨォルングたちの、ドリーミングについて、考察するが、文字で、説明することの、限界を、感じるものである。

つまり、アボリジニの知的水準は、恐ろしく高いのである。

土地返還に関しては、また、実に難しい問題がある。
それは、先祖代々、その土地を、所有していたという、証明を、文化人類学的知識をもっても、語ることが必要なことである。

問題は、アボリジニのことを、非アボリジニの人に、理解させるという、とても、大変な作業をしなければならないことだ。

ここで、青山晴美氏の、アボリジニで読むオーストラリア、から、引用する。

このプロセスは、科学的で西洋実証主義的な考え方と方法論により証明されなければなりません。・・・・

アボリジニ文化のように歌や踊りや神話として伝承され、文字ではなく語りとして受け継がれ、目に見えない精神性を重んじてきた文化を、西洋の実証主義によって判断し証明することには根本的に無理があります。アボリジニ自身が文化を分析し裁判所で口頭証言をしても、「白人」の裁判官からは信頼するに足りないとして却下されてしまうことがあります。結果として、本来アボリジニ文化に備わっていない信念や情報が構築される可能性もあります。まさに、アボリジニ文化の意味は、オーストラリア社会の複雑な力関係によってつくりだされているのです。

アボリジニの、あらゆる面を破壊しておいて、今度は、それを、出せという、その勝手都合の良さを何と言うべきか、私は、知らない。

さらに、問題なのは、都市に住む、アボリジニである。
彼らは、おおよそ、混血児である。
白人との、混血を、パートアボリジニとされ、定義されるアボリジニの枠に入らないということになっているのである。

問題は、より複雑化していく。

これ以上になると、非常に専門的知識を、必要としなければならない。

先の、青山晴美氏の、引用をする。

アボリジニ文化の新しい解釈によって、アボリジニであること、すなわちアボリジニ性は、社会的に構築されるものとして理解されるようになってきました。・・・・

人のアイデンティティや文化は、自然発生的で、変容することのない本質的なものだという理解をやめなければならないという意見が、アボリジニ学のヨーロッパ系学者のあいだからだされました。本質主義は、似非科学に裏付けられたレイシズム(人種主義)や、アボリジニ虐殺を容認した政治体制、そしてオーストラリアを含む多くの植民地体制の土台になったともいわれて批判されはじめたのです。

それは、大変に良いことであるが、結局は、それも、ヨーロッパ主導の、考え方である。
それを、待つしかないという、不合理である。

220年に渡る、白人支配、植民地政策の果てに、原住民の、あり方が、問われるという、不幸である。

しかし、後戻りは、出来ない。
更に、オーストラリアは、新しく、進んで行かなければならない。

私が、祈りを捧げた、聖地ガインガルも、まだ、その土地所有が認められていない。
しかし、街は、それを容認して、その聖地の保護を形ばかりでも、行っている。

少しは、アボリジニに対する、敬意があると、感じる。
しかし、その聖地を、その周辺を、生きたアボリジニの所有にすることが、急務である。
その時、私は、一つ考え方ことがある。
それは、他者が、結局的に、その聖地を、聖地として、認識し、そのように扱うことで、所有権の請求に弾みがつくのではないかということだ。

他者とは、私のように、日本から出掛けてきて、アボリジニの聖地に、巡礼するというものである。
それを、既成事実にしてしまう、方法ということもある。
実は、その、付近のヨォルングたちの、ドリーミングは、実に、複雑で、理解困難であることが、解ったのである。

私が出向いた、アーネムランドの、ゴーブは、ノーザンテリトリーの中でも、特殊な地域である。
ヨォルングという、グループの行動範囲は、他のアボリジニより、広い地域になっている。
さらに、幸運なことは、他の地域、アーネムランド以外の、地域は、一般の入植者が入る前に、保護区として、指定されたことにより、南部では、当たり前だった、白人の、暴力、虐殺を経ていないのである。

彼らは、この地域で、20世紀に入る前まで、他との接触を持たずに、数家族単位の集団で、季節ごとに移動し、離合集散を繰り返して、狩猟採取の生活を送ることができたのである。

それは、つまり、複雑な、伝承を維持できたということである。

現在、約五千人のアボリジニが暮らす。

ただ、私が、衣服支援に出掛けた、イルカラという場所は、ゴーブの町から、20分程度の所にあったが、そこが、鉱山開発のために、アボリジニたちが、強制的に、移住させられた場所である。

実は、そのから、土地所有請求の、また、土地権利運動のはじまりの、場所ともなったのである。

この、保護区に入るには、政府からの、許可書が必要である。
それを、受け付ける前段階がある。
それは、アボリジニによる。
私たちの、請求が、即座に受理されたのは、衣服支援という、ボランティア行動だった。
本当は、追悼慰霊の行為が、私には、主なのであるが、それは、中々、理解されない。

日本人でも、理解しないことであるから、あちらの人が、理解しないのは、最もなことである。

私は、先の大戦で、アボリジニの方々も、犠牲になった場所があるという、情報を得て、オーストラリア行きを、決定した。
はっきり言えば、オーストラリアという国には、何の魅力も感じなかった。

私が、行くと、決めたのは、原住民の犠牲者に対して、一体誰が、その追悼慰霊をしたのかということが、問題だった。
ダーウィンには、戦争記念館があり、日本軍に攻撃を受けて、市民が犠牲になったと、大々的に、うたうが、アボリジニの犠牲者には、誰もが、無関心である。
当然であった。
激しい差別を受けていた訳であるから、彼らが、死のうが、生きようが、どうでもいいのである。

無視された存在である。

私は、日本人として、その良心として、アボリジニの犠牲者のために、追悼慰霊の儀を行うべくの行動だった。

そして、それを、調べることで、アボリジニの歴史を、知ることになり、愕然としたのである。

和人が、アイヌ民族にしたこと、それ以上のことが、解った。

そして、今年、オーストラリア政府の、アボリジニに対する、正式謝罪と、六月には、日本政府が、アイヌ民族に対して、先住民族と、認める、国会決議を、行ったという、象徴的、事柄があった。

沖縄への、追悼慰霊の儀を、考えていた時でもあり、それらが、私の中で、結びつき、実に、多くのことを、学ぶことになった。

勿論、それは、私の仕事でもなんでもない。
私の個人的、活動であるから、お金になることもなく、学者ではないから、適当なことを言って、生活の糧を、得ることもない。

ただ、心の命ずるままに、行動を開始した。
そして、今、後戻り出来ないことになっている。

私の、聖地での、祈りと、追悼慰霊の行為は、ヨォルングの人には、何の抵抗もなく受け入れられたのは、彼らの常識にあるからである。

追悼慰霊の儀を終わり、一人のアボリジニの女性が、野中に訊いた言葉が、スピリットは、どうなったのか、という言葉だった。
その通訳を、受けて、私の方が、驚いた。

私が、天に昇ったというと、その女性は、安堵の表情で、頷いた。
とても、印象的だった。

複雑な、ドリーミングのことについて、後で、説明するが、それは、私の理解では、大和心と、同じものだった。

今、目の前にあるものは、先祖の夢である、という、考え方は、私を、絶句させたのである。
posted by 天山 at 17:07| アボリジニへの旅 平成20年7月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

神仏は妄想である 133

生というは、たとえば人のふねに乗れるときのごとし。このふねは、われ帆つかい、われかじをとれり、われさおをさすといえども、ふねわれをのせて、ふねのほかにわれなし。われふねにのりて、このふねをもふねならしむ
道元 全機より


禅が、生き残るべきは、宗教という、看板を下ろし、哲学道場として、活動することだと思うのは、このような、名文を見ると、強く思う。


人生というのは、たとえば人が舟に乗っているようなものだ。この舟は確かに自分が帆を使い、自分が動かしているにはちがいない。しかし、おれが生きているのだ、おれがおれがと言うけれど、逆に言えば、いくら自分がかじを取っていると言っても、しょせんは人生という舟に乗せられているにすぎない。舟がなければ川におぼれる。舟に乗せられてはじめて自分が成り立っている。とすると逆に、本当は人間を操っているのは船だということもできる。だから厳密に考えると、舟のほかにわれというものはない。
栗田勇


もし、人生を、このように、突き放して、観ることが、出来れば、実に有意義である。
これは、禅的に言えば、主観の客観性である。


栗田氏の、案内でゆく。
この場合、舟というのは人生のことです。つまり、人間は自分の生命、人生をああしようとか、こうしようとか、何とか自分の意志で動かせるものだと考えがちですが、実際は、自分で自分の人生を左右できるはずもなく、生という舟に乗せられているにすぎない。したがって、自分で自分の人生を自由にすることなど、できないのだというわけです。


宿命論のような、他力のような、気分になる。
ところが、道元の、捉え方は、違う。


栗田氏は、続けて
しかし同時に、「われふねにのりて、このふねをも舟ならしむ」。考えてみれば、私が乗っているからこそ、舟が舟なのだ。言い換えれば、自分なんてものはない。生きているという中に、ただ自分は乗せられているのだけれど、この自分が、私が生きているという事実を除いて、人生というものの実体はない。


これでは、また、元に戻っているようであるが、違うらしい。

要するに、生というものは、巨大な、それこそ宇宙爆発、また宇宙消滅のようなタイミングの一つの現れなのだ。宇宙と自分との間に生というものはある。あるいは、その両方が含まれたところにある。


青年の主張である。
そしてそれは、哲学である。
人生を、どのように、捉えるのか。


ところが、道元の「生死」というところに、書かれるのは、
この生死は、すなはち仏の御いのちなり、これをいとひてすてんとすれば、すなはち仏の御いのちを失わんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、これも仏の御いのちを失うなり。
と、ある。


その生死は、自己の生死ではない。「私」が「私」の生を生きるのではなく、「私」が「私」の死を死ぬのではない。だから厭ひ捨てても、執着しても、失われるのは仏の御いのちである。
亀井勝一郎


結果、仏というものに、転化する。
これでは、逆転の、発想であるが、大逆転である。
主体的でありながら、主体性を取り除き、仏に至るという。

この、仏に、神という言葉を、あててみると、キリスト教になる。
これが、宗教の迷いである。
それを、迷いではなく、真理だと、信じてしまうのが、信仰というものである。


いとふことなく、したふことなき、このときはじめて、仏のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ、ことばをもて言ふことなかれ。ただわが身をも心をも、放ちわすれて、仏の家になげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもつひやさずして、生死をはなれ仏となる。
道元 生死より


美しい大和言葉である。
私も、若い頃、この言葉に、心酔した。
しかし、自我というものを、離れる、我というものを、突き放すという、行為によって、仏というものに、成る、成れると、思う心が、迷いである。

心を持ってはかるな、言葉を持って言うな
悟りや、救いについての妄想を完全に追い払うというのだ。
と、亀井勝一郎は、書く。

ところが、どうだろうか。
道元の、正法眼蔵は、全95巻もある。
よくよく、語ったものである。


一体、道元は、何を言いたかったのか。
仏と、仏で、向かい合っていれば、足りたものである。
しかし、何故、こうも、語るのか。
妄執である。
つまり、迷いである。

物を書くことによって、その、妄執から、逃れようとする。
書くという行為も、語るという行為も、妄執である。

仏陀は、語るが、実に易いのである。その多くは、例え話である。
道元は、中国思想の、中国禅の世界に入り、仏陀の本来の、目的、を、知らない。

もし、自分が、唯一の仏陀の法を継いで、それを、広告宣伝しなければならないと、考えたなら、京都から、離れずに、そこで、活動していたはずである。
都で、活動するのが、一番である。
しかし、失敗し、福井の田舎に、籠もる。

厳しい戒律、坐禅に生きるのである。
それで、良かった。
しかし、書くのである。
妄執である。それは、迷いである。

仏陀は、山に籠もらず、適度に、町から離れた場所で、行動した。
それには、意味がある。

少し、話は、逸れるが、仏陀の行動を、次に見る。
何度も言うのだが、日本の仏教は、中国を通してのものである。
特に、その思想は、漢語に訳された。

仏陀の、教えというものを、仏教、仏法というのなら、日本の仏教は、仏陀の、仏教ではなく、日本仏教であり、それは、創作である。

大乗になると、仏陀は、神格化されて、結果、各宗派の、開祖を、頼り、甚だしくは、その、開祖を、拝むという、真似までする。


考えるという、哲学の一つとして、あるのならば、理解するが、信仰するという、宗教という形にしてあるのは、実に、誤りである。
仏陀は、一言も、そんなことを言わないのである。

仏法とは、行為することである。
信仰することではない。仏陀は、一言も、信じよとは、言わない。

勿論、創意創作の、行為を、誤りだと言うのではない。
それを、信仰させるということが、誤りである。
だから、仏陀の、行為を、見ることにする。


posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ244

この程は大殿にのみおはします。なほ、いとかき絶えて思ふらむ事の、いとほしく、御心にかかりて、苦しくおぼしわびて、紀の守を召したり。


この頃は、左大臣家に、源氏はいた。
あれ以来、何も言わないことは、愛しく思われ、女のことを、憐れに思うのである。
それが、心にかかり、苦しくて、紀伊の守を、招いた。


源氏「かのありし中納言の子は、えさせてむや。らうたげに見えしを、身ぢかく使ふ人にせむ。うへにも我たてまつらむ」と宣へば、守「いとかしこき仰せごとに侍るなり。姉なる人に宣ひみむ」と申すも、胸つぶれておぼせど、源氏「その姉君は、朝臣の弟や持たる」守「さも侍らず。この二年ばかりぞ、かくてものし侍れど、親のおきてにたがへりと思ひ嘆きて、心ゆかぬやうになむ聞き給ふる」源氏「あはれの事や。よろしく聞えし人ぞかし。まことによしや」と宣へば、守「けしうは侍らざるべし。もて離れてうとうとしく侍れば、世のたとひにて、むつび侍らず」と申す。


源氏は、このあいだ見た、中納言の子供を、よこしてくれないか。可愛い子だったので、私の元で、使おうと思う。御所へ出すことも、私がしようと、言う。
それは、結構なことです。あの子の姉に相談してみましょうと、守が、答えた。
姉が、引き合いに出されただけで、源氏の胸は、高鳴った。
その、姉は、君の弟を、産んでいるのか、と、源氏は尋ねる。
いや、ありません。二年ほど前から、父の妻になっていますが、亡くなった父親が、望んだ結婚ではなく、不満らしいということです。と、守は、言う。
源氏は、可愛そうに。評判の娘だったようだが、本当に美しいのか、と、尋ねた。
さあ、悪くはないでしょう。年のいった、息子と若い継母は、親しくしないものだと、申します。私は、それに従い、何も、詳しいことは、解りません、と、紀伊の守は、答えた。

何気なく、源氏は、女のことを、守に、聞きだそうとしたのである。


さて、いつかむゆかりありて、この子いて参れり。こまやかにをかしとはなけれど、なまめきたるさまして、あて人と見えたり。召し入れて、いとなつかしく語らひ給ふ。わらはごこちにいとめでたく嬉しと思ふ。

五六日して、紀伊守は、その子を連れて来た。
こまやかにをかしとはなけれど
整った顔というわけではないが
なまめきたるさまして
艶な風情を備えた
あて人と見えたり
貴族の子らしい雰囲気である。

源氏は、傍に呼び、親しく話しかけた。
童心地に、源氏に、相手にされるのが、嬉しいのである。

いとなつかしく語らひ給ふ
大変、懐かしいように、話すというが、それを、懐かしいと、言う。
一つの、愛情表現である。

この子を、手元に、置くのは、その姉との、関係を持つためである。

源氏は、その子に、姉のことも、詳しく聞いている。
そして、早速、姉に手紙を持たせるのである。

みし夢を あふ夜ありやと 嘆くまに 目さへあはでぞ 頃もへにける
ぬる夜なければ

と、書く。

ぬる夜なければ
眠られない日々が続き、夢も見られないという。

夢で、逢うことを願うが、眠られずに、夢で逢うことも出来ず、嘆いている、この頃です。

めもおよばぬ御かきじまも、きりふたがりて、心えぬ宿世うち添へりける身を思ひ続けて、臥し給へり。

目もくらむほどの、美しい文字である。
涙で、目が曇り、何も読めなくなって、苦しい思いが、満ちる。この世の、運命を思い、臥すのである。

またの日、小君召したれば、参るとて、御返り請ふ。女「かかる御ふみ見るべき人もなしと聞えよ」と宣へば、うちえみて、小君「たがふべくも宣はざりしものを、いかがさは申さむ」と言ふに、心やましく、「残りなく宣はせ知らせてける」と思ふに、つらきこと限りなし。女「いで、およずけたる事は言はぬぞよき。さば、な参り給ひそ」と、むつかられて、小君「召すにはいかでか」とて参りぬ。

翌日、源氏から、小君、こきみ、が召された。
出掛ける時、小君は、姉に、返事を欲しいと言う。
あのような、お手紙をいただくような人は、いませんと、申し上げればよい、と女は言う。
間違いなくと、申されたのに、そんなお返事は出来ない、と小君が言う。

心やましく
疾しいのである。
残りなく宣はせ知らせてける
きっと、小君は、すべてを聞いているのであろうと、想像するのである。
つらきこと限りなし
そう思うと、源氏を、恨めしく思うのである。

そんなことを言うものではありません。大人が言うようなことを、子供が、言っては、いけない。お断りが、出来なければ、お屋敷に、行かなければいい、と、無理なことを、女は言う。
御呼びがかかったので、伺わないわけにはいかない、と、小君が言う。


君、召し寄せて、源氏「きのふ待ち暮らししを、なほ、あひ思ふまじきなめり」と、怨じ給へば、顔うち赤らめて居たり。「いづら」と、宣ふに、しかじかと申すに、源氏「いふかひなの事や、あさまし」とて、又も賜へり。

昨日も、一日待っていたのに、出て来なかったね。私だけが、お前を愛している。それなのに、冷淡だ、と、源氏が小君に言うと、小君は、顔を赤らめた。

お前は、姉さんに、頼む力がないのだ。返事をくれないとは。
そして、再び、文を、小君に、渡す。

この段で、私が、注目するのは、女との、橋渡しをする、小君という、少年に対する、源氏の思いである。

小君を、あこ、と呼ぶのである。
つまり、あこ、とは、我の子供という意味である。
それも、特に親しく思う、呼び方である。

この子をまつはし給ひて、うちにもいて参りなどし給ふ。わがみくしげ殿に宣ひて、装束などもせさせ、まことおやめきて扱ひ給ふ。

いつも、傍に置いて、御所へも、連れてゆくのである。
小君の、衣服を作り、親らしく、世話をしている。

源氏は、小君も、愛しているのである。
それは、女の、橋渡しだけではない。

ここに、今までの、源氏物語の、解釈の、不明を見るのである。
源氏は、女たらし、女好き、色好みの、最たる者としての、解釈である。

私は、違うと、言う。
当時は、もっと、性というものが、曖昧であった。
ここで、男性同性愛を言うのではない。

美しきもの、なまめきたるさま、それは、愛するものなのである。

ここで、訳を、愛するという言葉は、相応しくない。

あひ思ふまじきなめり
相思う交わりの関係である。

室町期になると、それが、明確に表現される。
世阿弥などは、将軍に寵愛された。勿論、当時の、能役者の、美少年は、皆、将軍と関係を、持っている。性的関係である。

それを、男性同性愛という、ひとくくりにすると、誤る。

美しいものは、あひ思ふまじきなめり、なのである。

島原の乱の状況を、書いた宣教師は、日本の武士が、女よりも、少年を性的対称にしている様を、驚愕を持って書いている。

男色とか、男に体を売る者を、陰間ともいう。
しかし、それは、微妙に違うのである。

これは、井原西鶴になると、もっと、明確になる。
色というものは、男も女も、知って、はじめて、解るものであるとするのである。

色好みとは、何か。
再度、考察する必要がある。

性別の、云々ではない。

隠棲する者たちも、少年と共に、あった。
何故か。

これを、見落とせば、色好みを、誤る。

源氏の女との、やり取りから、もののあわれ、というものを、観た、本居宣長の、一つの、欠陥は、それである。

紫式部は、美しきものということを、最重要課題にしている。

この、長い物語にある、もののあわれ、というもの、複合的、様々な要因によって、成り立っている。

私が、風景や、自然描写から、もののあわれ、というものを、観るというのは、それらも、含めてのことである。
風景、自然描写が、いかに、美しく描かれているか。

それは、人間の様を描く以上に、美しいのである。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第6弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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