2008年07月01日

もののあわれ232

相撲御覧ずる日、内裏わたりにて

たづきなき 旅の空なる すまひをば 雨もよにとふ 人もあらじな

毎年、七月末、諸国から集めた力士の相撲を、宮中で、天皇が御覧になる。
相撲は、すまひ、と読む。

故郷から、遠く離れて、寄る辺の無い力士たちと、同じように、寂しい宮中へ、今夜の雨の中、私を訪ねてくれる人は、いないでしょう。

雨で、相撲が中止になっての、歌である。
相撲なく、また、寂しい紫の心境である。

返し

いどむ人 あまた聞こゆる ももしきの すまひうしとは 思ひ知るやは
雨降りて、その日御覧はとまりにけり。あいなのおほやけごとどもや。

相撲を競う人が多いとのこと。同様に、張り合う人が多いという、宮中の生活が、住みづらいと、解ってくれますか。

雨で中止になった、相撲は、公事である。
あいなのおほやけことどもや
あれこれと、つまらない行事であった。


初雪の降りたる夕暮れに、人の

恋しくて ありふるほどの 初雪は 消えぬるかとぞ うたがはれける

初雪の降る夕暮れ、人の、とは、同僚の女房である。

あなたを恋しく思い、過ごしています。そんな折から降る初雪は、知らぬ間に、消えてしまったのではと、疑いました。

恋しさに、日々の生活で、何が起きているのか、解らないという、気持ちである。
ありふる
月日を過ごす。

紫が、実家に戻っている間のことだろう。

返し

ふればかく うさのみまさる 世を知らで 荒れたる庭に 積る初雪

お返し

荒れた我が家の庭に、美しく降った初雪です。
その前に、憂さのみ勝る、世を知らで、とある。
生きていれば、住み辛い世の中であることが、もっと深く感じられるという。
しかし、それを知らずにいるという。
それは、家に籠もっているからである。

降れば、は、経れば、の、懸り言葉である。

いづくとも 身をやるかたの 知られねば うしと見つつも ながらふるかな

どこへ、この身をやったらよいのか。住み辛いと思っても、この世に生き永らえているのです。

この世に生きることを、憂きことと思い、何かに耐えている様子が、至るところの、歌に見える。
何故、このように、憂きの、気分を持つのだろうか。
一つには、仏教の、厭離穢土という、考えた方、そして、無常観である。
万葉の、命輝く、気分は無い。

この世を、うとうという感覚は、健康なものではない。
勿論、人生に一度や二度、厭世観を抱き、無常観に、浸ることもある。絶望することもある。しかし、平安期のそれは、不健康である。

丁度、浄土思想というものが、席巻していた時期である。
これから、風情という感覚、情緒が生まれたと考える人もいるが、心の影の観念を、植え付けられたといえる。

世間は、虚仮と観た、厩戸皇子、後に、聖徳太子といわれる者も、仏教に傾倒した、ひとりであり、それを、今日まで、理想化して考える人の多いことである。

何ゆえ、無用な無常観というものを、全面肯定したのか。
あたかも、それが、心の深みの如くに考えたということが、病理である。
自分の問題を、すべての、世の中の問題として、捉えた、自己顕示欲である。

彼の掲げた、理想の一つとして、成ってはいない。
和をもって貴し、と掲げたが、それ以後は、自分の子孫も、皆殺しに遭うという悲劇が、続く。

大王家に、取って代わる大国を目指した、蘇我馬子、その子、蘇我蝦夷、そして、孫の、入鹿は、中大兄皇子によって、殺害され、大化の改新が起こった。

厩戸皇子は、蘇我の血を引く者である。
同族争いの中心人物であった。
大王家と、蘇我家の間で揺れた心境をもって、世間は虚仮とは、顕示欲に、他ならない。

後に、人々から、祀り上げられて、拝まれるようになるが、本当のところは、作り話が多い。

推古天皇の際の、皇太子である。
あの頃から、日本が変質し始めたと、私は、考える。

今までの、日本の伝統を、すべて清算して、大陸の文化を持って、更に、仏教を持って国造りを始めたのである。と言っても、その手前で、斃れた。

その後、仏教は、天武天皇、天智天皇に引き継がれたが、何故か。
国教とされるまでに至るのは、何故か。

日本にもたらされた仏教は、大乗である。
大乗とは、仏陀の新しい解釈である。
さて、この話は、長くなるので、止めるが、平安期は、その、大乗の一つ、浄土思想が、貴族に、広がり、厭離穢土という、考え方が、席巻した。
実に、不愉快なことである。

それから、鎌倉に出来た、新しい、日本流仏教が、日本人の精神を、作ってゆく。
万葉を忘れた、日本人は、その頃から、いたのである。

仏教の言葉の世界に、翻弄され、それを、精神の深さであると、勘違いしたのである。
それから、今に至るまで、迷い続けている。

加えて、厭離穢土とは、欣求浄土を希求するものである。
生きている、この場を、厭い、生きていない、あの世を、希求するというのは、健康であろうか。

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神仏は妄想である 120

浄土門について、書いているが、矢張り、大乗仏教の、大元である、八宗の祖である、龍樹の論について、書くことになった。
以後、龍樹については、多々書くことになる。

龍樹が創作した、大乗菩薩道というもの、仏に至る道を、五十二にまで、分けている。
十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚である。
十地の一番最初を、初地という。四十一番目である。

これを、真っ当に聞いていたら、頭が、おかしくなる。
一体、仏陀の教えたものは、何で、あったのか。

十地の、最初の初地の位を得ても、すぐに脱落するほど、難しいという。つまり、難行ではないか。修行という言葉が、ここで出てくる。
修行である。
宗教家が好きな言葉である。

一般に、物事を習う時期を、修行する、という言い方をするのは、理解できるが、この、仏教の修行については、理解しにくいのである。つまり、その、判定を、誰がするのかということだ。

龍樹は、あろうことか、仏に至る道は、すべて、難行であるというのである。
そして、もう一つの道、易行道というものがあると、言う。
これが、念仏である。

信方便の易行、つまり、信心を手立てに、易行である。
これが、曲者である。
万人にとっての、菩薩への道は、これしかないというのである。
それが、阿弥陀仏の、念仏の教えだということになる。
それを、親鸞などが、教行信証などで書く。

南無阿弥陀仏で、仏になっていく道で、それを、無所得空という。
それを、仏陀の中道の道だともいう。

こうして、仏陀の実践が、堕落して行くのである。

これを、親鸞は、更に深めて言うと、ある。
親鸞は、龍樹の無所得空を、すべて阿弥陀の願力をそのまま受け止めた姿であると、解釈する。

無所得空とは、何も無いということではなく、妄念が無いということ。
妄念とは、煩悩具足の人間の、物思いである。
更に、親鸞は、自然法爾という言葉を使う。

妄念、我執の人間が、悟れる道は、阿弥陀の願力に、任せるしかない。だから、阿弥陀仏の仏智を、頂いて、念仏を唱えること、いや、それを聞くことによってと、更に深まる様子である。

念仏を唱えるのではない。念仏を聞くのである。
何やら、深まるように、聞こえるが、詭弁としか、言いようが無い。

賜りたる信仰という、境地に行った親鸞であるが、賜りたると言う程のものか。
阿弥陀仏というものは、架空の存在である。
しかし、更に、それをも、方便というであろう。

つまり、それが、迷いの実体である。

つまり、阿弥陀でなくても、何でもいいのである。
兎に角、心を悩ませ、どこか、深みに嵌まり込んでみたいのである。
悩みに悩むことを、好む。更に、自虐を好むのである。

そして、道徳である。
そのように、念仏することも、賜ったのであるから、それに、報恩感謝の心を持って生きることだとの、結論に至る。
仏に、感謝する、生き方である。

あのー
自然と、共生し、共感していた、日本人である。
今更、架空の存在に、帰依して、更に、それから、賜って、信仰させてもらって、念仏を唱えのではなく、聞くのであると、複雑にしなくても、いいであろうと思うが、彼は、そのようにしか、生きられなかった。

仏教という、いや、大乗教という、言葉の世界に、ことごとく、やられてしまった。
更に、浄土門の中でも、信に重きを置く者、行に重きを置く者と、区分けされる。
それが、派閥になり、流派になっている。
勿論、同じようなものであるが、本人たちは、真剣である。
目糞が、鼻糞を、何とかである。

親鸞の、教行信証は、教、行、信を、証するために、書かれた。
つまり、信を重く見たのである。

だが信ずるとは何を信ずるのであるのか。何かを信ずるとする限り、信じられるものと、信ずる己とが向かい合う。畢竟信ずる誰かがある限りは、人がまだ残るではないか。
柳宗悦

と、ここまで、深く考えることになる。

要するに、我と汝という、相対があるというのである。
結論は、相対の無い世界へ、至る道なのである。

不信の者をこそ最も深く相手としているのではないのであろうか。信じる力の如き、上根の者たることを語りはしまいか。もし信を得られずば往生出来ないというなら、幾ばくの人がその幸を受くるであろう。人間の信に頼るのは、まだ自力を認めてのことではないのか。信も一つの力だといえよう。その力に頼らずば往生がかなわぬなら、不信の者は、決して浄土に往けぬであろう。
柳宗悦

そして、行き着く結果は、元の木阿弥である。

我々が往生出来るのでもなく、また我々が他人を往生せしめるのでもない。衆生の往生は既に十劫の昔、阿弥陀仏が正覚を取られたその刹那に決定されているのである。信と不信と、浄と不浄とそんな差別に、往生が左右されるものではない。人間が往生するのであったら、信も必要となろう。浄もなくてはなるまい。だが、往生は南無阿弥陀仏の当体にあるのであって、人間の力に頼るのではない。その故に人間の善悪の如き、浄濁の如き、智鈍の如き、信疑の如き、何の差別が、弥陀の本願を妨げるであろう。
柳宗悦

往生するのは、南無阿弥陀仏の名号それ自らである。

それゆえに、法然は、口に念仏、親鸞は、ただ信に、一遍は、人の如何に左右されないと、言う。

菅原道真
心だに 誠の道に かないなば 祈らずとても 神や護らん

どうであろか。和歌一首で、彼らの、苦悩を、乗り越えている。

浄土門の行き着いた先は、南無阿弥陀仏が、南無阿弥陀仏を、南無阿弥陀仏するということである。

いい加減して、くれや。

何も口に唱えるものを、持たないという、境地に行き着かなかったのか。

人間、そのまま、生きていればいい。
糞して、寝ていればいい。
どうして、そこまで、行き着かないのか。

阿弥陀仏の存在を知らない者でも、すでに、救われていると、どうして、そこまでに、至らなかったのか。

私は言う。
この世に、生を受けて、更に、生きることが、できるということ、それだけで、十分である。それ以上のこと、僭越行為である。

お天道様は、必ず、東から昇り、西に沈む。
それで、いいではないか。

太陽を拝していれば、すべて、事足りる。

追伸
浄土門については、死ぬまでの暇つぶしの無い人には、学ぶに足る。

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アボリジニへの旅 1 平成20年7月

ケアンズから、夜八時に帰国した。
すでに、私の目は、紫外線により、日焼けしていた。肌ではない。目が、日焼けしたのだ。

目の疲れは、体全体の疲れになる。
兎に角、目は、心の窓だけではない。体の窓でもある。

横浜まで、バスに乗った。
夜の闇が、目に心地よい。

この旅の最初の、三日間は、ケアンズで、過ごした。
その時は、後悔した。
新興都市ケアンズは、アホ面である。街が、アホ面なのである。
更に、物価の高さである。

サイパンの旅も、そうだが、観光地とされる土地や、国に行く趣味はない。
ケアンズという、街にも、興味がなかった。
しかし、飛行機の、乗り継ぎのために、滞在することになった。
カンタス航空の、特別チケットが、手に入り、そのため、アーネムランドの、ゴーブという街に向かう飛行機の、乗り継ぎのためである。

バリ島から、ダーウィンへ、そして、ゴーブという方法もあるが、値段が高いのである。

バリ島に、滞在している間に、ダーウィンに行き、そこから、ゴーブに入ることを、次からは、考えている。

ゴーブという街は、アーネムランドの東側海岸に当たる。
アーネムランドとは、アボリジニを象徴する土地である。
北海道と、四国を合わせた大きさである。
オーストラリアの東北に当たる。
ちなみに、オーストラリアは、日本の、21倍の広さである。日本の、真南に当たる位置にある。現在の人口は、2000万程度で、人口の大半は、東海岸に集中する。

さて、ケアンズである。
私は、好きも嫌いもなく、そのままを、書くことにする。

兎に角、物価が高く、嫌になるほどである。
朝の六時過ぎに、ケアンズに到着して、安いゲストハウス、あちらでは、モーテルというが、それを、探すのに、一苦労であった。
エアポートバスには、私たちの二人だけである。
街中に、降ろされて、宿探しである。

ホテルは、日本と変わらない料金であるから、最初から、諦めていた。
案内書を見て、モーテルを回る。
街中の、モーテルは、満杯である。

朝のコーヒーと、サンドイッチを食べて、二千円以上に、最初、驚いた。
野中が、近くのモーテルに、出向いたが、十時にならないと、解らないと言われた。
それから、タクシーに乗り、街の近郊のモーテルに向かった。
矢張り、満杯である。
再度、タクシーに乗り、駅付近のモーテルに向かった。
タクシーは、千円以上である。日本なら、ワンメーターであろう、距離である。

結局、野中が、最初に出掛けたモーテルの、長期滞在用の、コンドミニアムのような、一泊、約六千五百円の部屋に決めた。
私たちには、とても、高い部屋である。
タイで、泊まるにしても、二千円前後のホテルか、ゲストハウスなら、千円程度からあり、それに比べると、実に、高いのである。

勿論、それを、予想して、日本円を、持っていったが、信じられないほど、お金がかかった。

私は、毎日、スーパーに買い物に出掛けた。二食は、部屋で、食べるつもりだった。

和食の店で、安い定食を食べても、二千円である。
たぬき蕎麦が、千二百円。

沢山お金を持っての、観光旅行ではない。
追悼慰霊の旅である。そして、子供服支援である。

美味しくて、安い、日本米の、おにぎり屋さんを、見つけて、ホント、良かった。
一個、120円程度である。
丁度、オーストラリアドルが、高くなっている時期であり、想像以上の、出費であった。

ケアンズの街で、感じたことは、仕事をしている人の多くは、日本人、韓国人、中国人である。
勿論、オーストラリアの人もいるだろうが、私の見たところは、大半が、アジア系である。

また、観光客も、日本人、韓国人が多かった。
タクシー運転手は、働く人も、観光客も、日本人が少なくなったと言う。ということは、以前は、もっと、日本人がいたということである。

あの、新興の街に来て、一体何をするのであろかとの、疑問が、湧いた。
旅行案内を見ると、ダイビングや、世界遺産を見るというものがあり、確かに、観光地としての、目玉はある。

実は、私は、ケアンズの、アボリジニの文化を紹介する、ジャプカイ・アボリジナル・カルチュラパークには、出掛けようと、思っていたが、止めた。
理由は、オーストラリアの、アボリジニ政策を、知ったからである。

ケアンズの三日間は、アボリジニの理解に、当てた。
これから、追々と書くが、凄まじい、独善の侵略と、同化政策である。

その、パークで、見られるものは、オーストラリアが、勝手に解釈した、アボリジニの文化だと、気付き、そんなものを、見ても、単なる、お昇り観光客と、同じであると、気付いた。
それより、早く、アーネムランドに行くことだと、思った。

ケアンズの季節は、冬である。
ところが、朝晩は、少し冷えるが、日本の初夏を思わせる、気候である。
何とも、気持ちがよい。

ただし、日差しは、体に毒であるから、注意だった。
紫外線が、日本の七倍である。
サングラスと、日焼け止めが、必要だ。
私は、浴衣を着て過ごしていたので、サングラスをかけた。といっても、いつものメガネに、乗せるものである。
しかし、それを、時に忘れる。

目が、日焼けするという、感覚になるのである。

スーパーに行き、インターネットカフェに行き、部屋で、アボリジニについての、本を読む。特に、今回は、日本人女性の、学者の本が、有意義だった。

私は、旅の間、本を読む趣味はない。
本など、読んでいられないのが、旅であるが、サイパンの時も、追悼慰霊以外の時は、本を読んだ。それほど、何も興味が、持てなかったのである。

そして、マッサージである。
旅の、唯一の楽しみは、マッサージである。
しかし、料金が高い。
最初に、出掛けたマッサージは、何と日本人経営の店である。
フットマッサージ、30分、30ドル、約三千円である。

それから、安いマッサージを探した。
ナイトマーケットの中にある、韓国人の若者が多く働く、マッサージ店を、見つけた。
10分単位である。千円。
しかし、組み合わせると、安くなる。
フットと、全身45分で、25ドル。

片言の英語で、話すと、経営者は、中国人だと、言う。
ワーキングビザで、働きに来ているという。
そこに、二度行った。
後は、高くて駄目。

和食の店も、一度行ったきりである。回転寿司もあるが、入らなかった。
シーフードを食べたいと思ったが、レストランの料金が、また、高い。
店の前で、客引きをしていた、日本人女性に、この値段高いねーと、言うと、ハーフにして、注文することも、出来ると、言われた。
後で来ると、言ったが、結局行かずに、ナイトマーケットの、屋台の料理を買い、部屋で、食べた。
それは、皿の大きさで、値段が決まるというもの。好きな皿の大きさを選び、それに、料理を、好きなだけ乗せるというもの。詰め放題のような感覚である。
私は、11ドル程度の皿を選んだ。中間の大きさである。

しかし、それなのに、私は、食べ過ぎていた。
スーパーで、買う物、多く買うと、一つについて、安いので、多く買う。
すると、捨てるのがもったいないので、食べる。
そうして、食べ過ぎになったのである。
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posted by 天山 at 17:07| アボリジニへの旅 平成20年7月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月02日

神仏は妄想である 121

神仏は妄想である、を、書いているが、私は、信仰を否定するものではない。
信仰とは、神仏が無くても、あるものである。
更に、信仰とは、極めて個人的情緒にあるもので、他が、侵すことが、出来ないものである。
言えば、それは、一人の人間の尊厳であり、それを、侵すことは、大罪である。

この世に罪というものが、あれば、それは、個人の心を、侵すことである。

一応、浄土門を終わるが、まだまだ、仏教については、書く。その所々に、繰り返すことがあるかもしれない。

罪とは、個人の心を侵すことであり、それは、心を有する、肉体を侵すことである。
肉体を侵すとは、殺すことである。
仏陀の、殺生を戒めたのは、それである。
すなわち、心は、肉体である。肉体を、離れて心は、無い。
心身という言葉は、真実である。

これは、このエッセイに余計なことであるが、法然について、最後に、私が彼を尊敬する、行為を言う。

まず、鎌倉時代の精神の幕開けを、万人平等を掲げ、更に、既成仏教が、言わない、女人往生と言い、女性も、男性と、同じ位置に置いたことである。
これは、画期的なことである。
今で言えば、男女平等を説いたのである。
人間として、同じく尊いものであると。

そして、法然は、一切、政治に関与しなかったということである。

流罪を受けた時、法然は、それを、朝恩であると言う。
勿論、皮肉もあるだろうが、決して、激して、批判することなく、恩として、受けるという。念仏禁止令が、発せられて、四国に、流される。その、四国に、念仏を伝えることが出来るのである。これは、恩である。
勿論、それは、禁止令を犯すことであるが、それは、馬耳東風である。

念仏を広めることは、朝廷への、反逆であるが、法然は、いずれの時、それが、解除されることを知っている。
そして、時代は、その通りになった。

天皇という存在を否定することもなかった。何となれば、天皇も、阿弥陀の救いの一人であり、大切な、救われる一人である。

政治は、関わらぬという、姿勢は、この、法然からの、宗教家の有り様であると、見る。
法然は、宮廷政治の中枢にいた者からの帰依を受けている。政治的に、敵対する者をも、法然は、当然の如くに、受け入れ、念仏を伝えている。

更に、天皇家も、例外ではない。
後白河天皇、高倉天皇、後白河の姉である、上西門院、式内親王を、含めて、多くの皇女や女御たちを、教化してきたのである。

更に、平家一門からも、信任を得て、更には、それを、滅ぼした、源頼朝にも、慕われたのである。
これは、宗教家、心を、扱う者の、面目である。

いつでも、政治に口を差し入れることが、出来た。しかし、そのようなことは、一つも無い。一切、政治とは、関わらぬ姿勢を、貫く。

彼は、人の心を相手にする者であるとの、明確な、自覚があった。

そして、私が、最も評価するのは、寺の一つも、建てなかったことである。

宗教家は、人の心を扱うのであり、その他一切は、持たない。
持つはずが無い。

その一点でさえ、法然の真実が、解る。
私が、法然を、評価するのは、それである。

人は、無いものでも、在ると、信じて生きなければならない時がある。
どんなに、苦しい時でも、生きること。そのために、方便があってよい。もし、それが、念仏であるとしたなら、それを、否定する何物も無い。

生きるために、体を売る人、遊女にも、救われると説く、法然の心情を、私も理解する。
生きるために。
それこそ、宗教家が、負うべき問題であり、それこそ、多くの人に寄り添う、行為であろう。
生きること。

往生を信じて、生きられるのならば、私は、それを、否定しない。それどころか、それで、生きられるならば、大いに、念仏するべきである。

生まれたからには、生きねばならない。
どんな、方便を使っても、生きることである。
それが、生まれた者の、真実である。

この世に、真理というものがあるならば、生まれた者は、生きることなのである。

予が遺跡は諸州に遍満すべし。故は如何となれば、念仏の興行は愚老の勧化なり。されば念仏を修せんところは、貴賎を論ぜず、海人魚人が苫屋までも、みなこれ予が遺跡なるべし。
弟子の、法蓮房が、老いた法然を見舞いに、訪れた時に、古来の先徳、つまり、坊さんは、皆、その遺跡、多くは、寺などがあるが、何も無いのである。どこを、遺跡にしたらよいのですかとの、尋ねに、こうして、答えるのである。

念仏というものを、通して、法然は、生きるということを、生きたという点で、私は、評価する。
そして、その、自らの、テリトリーの、明確さである。

心を扱う者、それ以上の僭越行為を成さない。

一人の人間の心を扱うのである。
それ以外の、何に、関与するというのか。

その当時も、天台座主の、慈円は、念仏宗の多くの数に、それを、自分の配下につけるべくの、行動を取る。
法然の、考え方を、徹底批判したのであるが、あまりにも、多くの人が集うのである。それを、天台の支配下に置くべくの行動を取る。

権力志向である。

日蓮になると、国の政治に、口を挟むという、誇大妄想である。

私は、法然を、宗教家の、見本としてもいいと、考えるのである。
それを、引き受けた、親鸞も、寺を持たない。
一遍に至っては、結果、残すものは、南無阿弥陀仏である。
見事な、生き様である。

一切、この世の物という、物を持たない。
故に、後世に残るべき、生き方である。

万人平等、政治に関与せず、建物を、残さない。

これは、宗教の、基本的姿勢である。
彼らの、残すべきものは、その、心である。
法然は、自らの、書き物も、残さない。
法然に関する書き物は、その周辺の者の、手による。

悟るということより、塵一つ残さない行為行動こそ、真っ当な感覚である。

私は、神仏は妄想である、を、書いているので、これ以上の、彼らの生き方には、触れない。

何が、評価できるのか、そして、何を批判するのか。
私の問題は、それである。

信仰とは、極めて、個人的な情緒であると言った。
それは、侵してならない、領域である。

子供が、宇宙を見て、円盤を信じているならば、それを、どうして、否定することか。
それを、信じて、彼が、その謎を解くべく、学びを始めるのであれば、誰が、それを、止められよう。
止めることは、罪である。

罪というものが、あるならば、そういう行為である。
それ以外に、罪と、呼ぶものは無い。


posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第3弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ233

日記歌

これは、古本にあるのみ。
紫式部日記の歌にないものを、抜き出したものである。

三十講の五巻、五月五日なり。今日しもあたりつらむ提婆品を思ふに、阿私仙よりも、この殿の御ためにや、木の実もひろひおかせけむと、思ひやられて

妙なりや 今日は五月の 五日とて いつつの巻に あへる御法も
たえなりや きょうはさつきの いつかとて いつつのまきに あへるみのりも

法華経は、八巻で二十八品である。これに、開経と結経二巻を加えた、三十の経巻を、一日、一巻、または、二巻、講ずることである。

その中でも、提婆品は、最も、尊ばれ、それの、講じられる日は、盛況であったという。

それは、仏陀に、法華経を説いたといわれる、仙人である。
仏陀は、それを得るために、木の実を採り、水を汲み、蒔きを拾うなどして、阿私仙に仕えたと、その経にいう。
その日は、それに因んだ、行事が、執り行われる。

尊いことだ。今日は、五月の五日である。丁度、五巻が講じられることになった、法華経も、今日の行事も。

法華経は、誰が書いたのか、不明である。
仏陀の滅後に、多くの人が、それなりの、考えで、経典を書いた。特に、大乗といわれる、経典は、数多い。

池の水の、ただこの下に、かがり火にみあかしの光りあひて、昼よりもさやかなるを見、思ふこと少なくは、をかしうもありぬべきをりかなと、かたはしうち思ひめぐらすにも、まづぞ涙ぐまれける

かがり火の 影もさわがぬ 池水に 幾千代すまむ 法の光ぞ
かがりびの かげもさわがぬ いけみずに いくちよすまむ のりのひかりぞ

池の水が迫っている。
御堂の丁度、この下にあって、篝火と御灯明が光っている。
その輝きは、昼をも、思わせるもの。
物思いが、少なければ、風情に酔うだろう。
わずかに、我が身のことを、考えるにつけて。

篝火が、静かに写る池の水。
仏の法は、幾千年と、澄んで、宿ることでしょう。

仏の法の光を宿した、土御門殿の、栄光を祝うものである。

おほやけごとに言ひまぎらはすを、大納言の君

澄める池の 底まで照らす かがり火に まばゆきまでも うきわが身かな

おほやけごと 
表向きのこと、である。
私事は、隠して。
大納言とは、女房である。道長の妻倫子と、義理の兄弟である、源扶養の女。

澄み切った池の底まで、照らす篝火が明るく、眩しく恥ずかしいまでに、我が身の、不幸せを思います。

まばゆく
こちらが、恥ずかしくなるほど、輝く光である。
現代の、まぶしい、とは、別物である。

五月五日、もろともに眺めあかして、あかうなれば入りぬ。いと長き根を包みてさし出でたまへり。小少将の君

小少将と、眺め明かして、それぞれが、菖蒲の長い根を、紙に包んで、贈り合うのである。
菖蒲は、健康、凶を祓うといわれる。

すべて、世の辛さに、泣けて、菖蒲の行事の過ぎた今日まで、残った、この根のように、今日も、泣く音が、絶えません。どう思われますか。

返し
なにごとと あやめはわかで 今日もなほ たもとにあまる ねこそ絶えせね

お返し

頂戴した、菖蒲の根が長く、懐に、包みきれません。
今日もまた、何のために、泣くのでしょう。
涙で、袖を、抑えきれず、泣く音が、絶えません。

当時は、涙を流すということ、当然の有様だったと、思える。
涙もろいのである。
心を、外の風に、そのまま、当てているような、ものである。
故に、多く、泣く。

あやめはわかで
あやめ、とは、条理とか、節目の意味で、根と、音は、係り言葉である。
わかで、とは、節目の立つ判断が出来ないという。

何が何か解らぬが、悲しいこと、泣けることどもある、という。

当時の常識的、心情と思えば、理解できる。
人の世は、儚いのであり、無常であり、哀れなのである。
それが、底辺に流れている。

歌は、それを、表現する。また、歌によって、昇華するのである。

たもとにあまる ねこそ絶えせね
自分の袂には、溢れるほどの、涙である。それが、絶えないのである。
仏の法は、それからの、救いと、見る。

そのように、仏教によって、新しい観念が、生まれたのである。
当時は、そのようだった。

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アボリジニへの旅 2 平成20年7月

イギリス人は、アボリジニを、動物より、少しマシな、生き物と、認識した。
裸族である。
その、裸であること、野蛮であると、認識するが、はたして、野蛮なのか。

私の、泊まる、モーテルの前は、ビーチである。
しかし、浅瀬で、有明海のように、暫くは、干潟である。

その街側に、プールがある。
案内書には、一度は、行くべきだと、書かれている。
そこで、見た風景は、白人の、裸体である。
白人の裸体を、あのように見たのは、初めてである。

裸は、野蛮なら、彼らの方が、余程、野蛮である。

紫外線も、なんのその、体を日に当てて、焼くのである。
美人も、ブスも、色男も、不男もである。

私は、一カップ、400円程度の、アイスクリームを食べつつ、それらを、見て回った。
そして、笑った。

バイキングの子孫を、王室として、認知している、彼らである。
この、オーストラリアも、王室の所有と、相成った、過程がある。
勝手に、イギリス王の物であるという、宣言である。

原住民の、アボリジニを、野蛮であるとは、笑わせる。

どんだけー、の、歴史である。
イスラム帝国、インド、中国の歴史から見ると、彼らは、未開の人種である。
追々書くことにする。

勿論、私は、白人を嫌ってはいない。
不男になる前の、白人男性は、少年というか、素晴らしい、美形である。
不男になっては、お仕舞いであるが。女性も、同じである。

他人の土地に、土足で上がり込んで、好き放題の歴史は、反吐が出る。
日本が、侵略した、侵略したと、お詫びするが、イギリスは、一度か、お詫びを、しただろうか。
皇室が、イギリス王室と、仲良くするのは、どうでもいいが、真似だけは、しない方がよい。
ゴキブリのように、他国、大陸に、進出したのである。
大義名分も、あったものではない。

そして、キリスト教である。
あれは、一掃しなければ、世界に、平和は無い。
独善の、最もたるものである。

カトリック、プロテスタント、然り。
文明人は、キリスト教徒たれと、今でも、アボリジニを、支配するのである。

書いたついでに、言えば、彼らは、悪魔の手下である。
聖書の神は、悪魔、悪霊と、すでに、証明されている。

アーネムランドに、行き、ミッション系が、アボリジニの、ボランティア、お助けをしていると、聞いて、反吐が出た。

彼らが、アボリジニにしたことが、どんなことか、このエッセイにて、書く。

ワンカップ、400円のアイスクリームは、とても旨い。
貧乏人の私は、これがタイなら、50円なのになーーーと、思う。
どういう訳か、少し前から、アイスクリームが好きになった。というより、昔の感覚を思い出したのだ。
酒を飲むようになると、自然、甘いものを、食べなくなる。
この頃、甘いものが、美味しい。つまり、糖尿であろうと、思う。

美食をしていると、糖尿になるのではない。体質である。しかし、私の家系に、糖尿病の人はいない。
ただし、そういう気があるということは、ある。

さて、スーパーでは、ハムなど、量り売りのものを、買った。
どういう注文の仕方がいいのか、解らず、ワンハンドレットグラムと、言ってみた。
最初の、店員は、ボーイである。少し、イケメン。
通じた。
翌日は、おばさんである。通じた。
そして、三日目は、別な、ボーイである。
通じた、通じたついでに、彼は、私に話しかけてきた。
日本人か。そうだ。観光か。そうだ。楽しいか。楽しい。
みたいな、会話である。

質問することは、出来るが、相手の英語が、聞き取れないという、愚かしいことになる。

子供でも、質問すると、ペラペラと、喋る。しかし、その意味が、解らない。
場所を、尋ねる。すると、丁寧に教えてくれる。しかし、解らない。うんうんと、頷く。そして、その、手の先を見て、その通りに、歩いてみる。
その、連続だった。

しかし、英語は、学ぶ必要は無い。私にとっては。

英語教育は、中学生くらいから、すればよい。
本当に必要になると、覚える。
それで、食わなければいけなくなると、幾つになっても、覚える。その必要がないから、覚えない。
日本語の出来ない者が、英語をしっかりと、身につけることなど出来ない。

しょうもない会話程度の英語など、覚えても、どうしようもない。
ただ今、日本語を、覚えると、世界の書物が、読むことが出来る。翻訳が、素晴らしいのである。
世界で、一番である。翻訳されるものが。

英語など、身につけるより、余程良い。

英語を学べばバカになる、という本を書いた、薬師院仁志という方の、言葉を引用をする。

英語圏以外の国では、一部を除いては英語は通じない。

自由というのは、すべての者に選択の機会が平等に保障されてはじめて成り立つものである。たとえば、自動車を買うか買わないか、買うとしたらどの自動車を買うかは、消費者の自由だというのが建前になっている。たが、現実には、そんな自由など存在しない。各人の経済力が選択の自由を無効にしているのである。

日本人が、英語が下手なのは、
最大の原因は、我々日本人が英語を必要としていないことにある。
という。

外国語が出来なくても生活が成り立つのは強者の印である。国全体がそうならその国は強国である。

外国語に依存せずとも生きてゆけるという日本の状況は喜ぶべきことなのだ。さらに言えば、英語に支配された国々がアメリカ化への防御壁を失っている一方、母語が安定している国は、自分たちの社会を自分たちで考える可能性を持っているとさえ言える。われわれは、莫大なカネと時間と努力とを要する英語公用語化を考えるよりも、日本語で成り立つ社会を維持し発展させることを考えた方が得策なのである。

勿論、英語通訳という仕事もあり、英語で、生活出来る人もいる。
それは、特技である。

兎に角、日本人は、まず、日本語なのである。
しっかりした、日本語が出来ない者の、英語は、聞いていられない。
実に、下らないのである。

ただし、私のように、日本語英語で、図書館ある、どこに。などということになる。
しかし、通じる。

あんた知ってる、スーパー、どこに。平然として、尋ねる私に、彼らは、優しい。
酒、どこにある、店。
すると、丁寧に、答えてくれる。
不自由しない。

一番は、発音が、通じないことである。
イントネーションが、違うのである。
サンキユウ、ではない、キューなのである。聞こえない音がある。

でも、どうでもいい。
旅行者であるから、彼らが、理解しようとする。
まして、相手が商売をしているならば、必死に、こちらの言い分を聞いてくれるのである。
ということで、私の英語は、楽勝である。

ただし、深い話になると、同行の野中を呼ぶ。
通訳されるというのも、快感である。
その間に、考えることが出来る。

オーストラリアの人は、実に、話し好きである。
どうでもいいことを、延々と、話している。

延々と、行列が出来ていても、世間話を続けるバカもいるのである。

一つ質問して、延々と話をはじめた人もいる。勿論、こちらは、意味が解らない。
オッケーと、言われて、オッケーと、答えて、別れる。
それを、見ていた野中が、意味解ると、訊く。解らないと、平然としている、私である。

タバコを買うのに、軽いものという意味で、ライトと、言った。すると、ボーイは、ライターを出した。
違う。
もう、それで、いいと、目の前のタバコを指差す。
そんなことは、いつものことである。

もう、それで、いいという、タバコは、一番安いものである。
タバコが、高いのにも、驚いた。
700円以上である。
空港で買った、マルボロは、千円以上である。
それでも、吸うのと、野中に訊かれて、はじめて、高いと、気付いた。

いつもそうであるが、私は、頭の体操で、日本円に換算することにしている。今回は、楽だった。一ドル、約百円である。

一番、大変なのは、バリ島である。
インドネシアルピアは、ゼロの数が多い。
一万ルピア、十万ルピア、時々、こんがらかる。

千ルピアをチップで、上げて、変な顔された後で、気付く。
あーー、十円以下だ、と。

一万円が、90万ルピア程度である。
えーと、えーと、と、何度も、円に換算することになる。
いっそのこと、一万円が、100万ルピアになると、話が早い。
10万ルピアが、千円である。
それなら、10万ルピアは、900円である。一万ルピアは、90円。千ルピアは、9円。
このように、楽しむことが出来る。

ところが、水が、3500ルピアと、言われると、また、考える。
えーと、3000が、27円で、500ルピアが、千の半分だから、9円の半分は、4,5円で、31,5円だという風に。疲れる。

ああ、ここは、オーストラリアである。

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2008年07月03日

もののあわれ234

九月九日、菊の錦を、「これ、殿の上、「いとよう老のごひ捨てたまへ」とのたまはせつる」とあれば

菊の露 わかばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ

九月八日から九日にかけて、菊の花を真綿で覆い、露と香りを移して、その真綿で、体を拭くという老いが、除けると考えられた儀式がある。
殿の上とは、殿様の北の方、道長の妻の倫子のことである。
老いを捨てたまえと、言われたことに。

菊の露で、体を拭けば、千年も寿命が延びると言われますが、私は、若返るほどに、少し袖を触れるだけで、千年の寿命は、花の持ち主である、あなたに、お譲りします。


水鳥どもの思ふことなげに遊びあへるを

水鳥を 水の上とや よそに見む われも浮きたる 世を過ぐしつつ

水鳥が、何も物思わず、遊ぶのを見て

水鳥の、楽しき様を、私に関係ないと、見ていられようか。
傍目には、私も、華やかな宮廷で、過ごしているように、見えるのです。

われも浮きたる
浮ついている。宮仕えに、浮ついて、日を過ごしているように、見えるという。


小少将の君の文おこせたまへる返り事書くに、時雨のさとかきくらせば、使も急ぐ。「空の気色も心地さわぎてなむ」とて、腰折れたることや書きまぜたりけむ。立ち返りいたうかすめたる濃染紙に

雲間なく ながむる空も かきくらし いかにしのぶる 時雨なるらむ

土御門殿への、一条天皇の行幸が、近づいた頃、里に出ていた、小少将の君からの、手紙への返事である。
時雨が、降り、空を暗くした。使いの者、返事を急ぐのである。
空模様が、怪しくなるのつけて、気持ちが落ち着かない。
返事の中に、腰折れ歌を書いてしまった。
腰折れ歌とは、第三句と、第四句の、続きの悪い歌である。
また、自分の歌を、卑下する場合もある。
折り返して、小少将の君から、紙の上と下の部分に、雲のたなびく形を、濃い紫に、染めてぼかしたものに。

物思いに沈んで、眺めている、空も、雲の切れ間なく、降り続く時雨は、あなたが恋しくて、耐えられない、涙のようです。

いかにしのぶる
如何に偲ぶる、である。また、しのぶる、とは、こらえるという意味でもある。

空模様と、心模様を、合わせている。

返し

ことわりの 時雨の空は 雲間あれど ながむる袖ぞ かわくよもなき

当たり前に降る、時雨の空には、雲の絶える間がありません。
あなたを思い、物思いする、私の袖は、乾く暇もありません。

少し、大袈裟なくらいが、丁度よいのである。

親しみの関係である。
恋歌ではないが、恋歌のような、気分にさせる。

大納言の君の、夜々御前にいと近う臥したまひつつ、物語りしたまひしけはひの恋しきも、なほ世にしたがひぬる心か

うきねせし 水の上のみ 恋しくて 鴨の上毛に さえぞおとらぬ

中宮の上臈女房、道長の妻、倫子の姪。
夜、中宮の御前で、宮仕えの、辛さを語るが、今の境遇に、順応してしまったことである。

中宮様の、御前で、あなたと一緒に過ごした時が、しきりに恋しく、一人いる、里の霜夜の冷たさに、鴨の上毛の、それにも、劣りません。

里に下がった時の歌である。

返し

うち払ふ 友なきころの ねざめには つがひし鴛鴦ぞ よはに恋しき
うちはらふ ともなきころの ねざめには つがひしをしぞ よはにこいしき

上毛の霜を、互いに払う、語り合う友もなく、独り寂しい夜中に、目覚めると、鴛鴦のように、過ごしたあなたが、恋しいことです。

鴛鴦、おしどり、である。
番の鳥のこと。

贈歌の鴨を、つがいの、おしどりにして、恋しさを歌うのである。

よはに恋しき
夜半である。夜の中、つまり、夜中である。

恋歌として、生かしてもよい歌である。

万葉の歌も、相聞歌が多い。相聞とは、恋歌である。
恋歌が、歌の基本にある。

日本の伝統には、恋というものが、厳然としてある。恋心を知らなければ、歌は詠めない。歌を詠むということは、恋を歌うということである。
恋とは、人生全般に渡る、心得であった。
恋とは、人生、そのものであった。

恋も、友情も、人の情けにある。
つまり、情けの歌なのである。
勿論、それは、もののあわれ、というものに、支えられてある。
情けの心象風景は、もののあわれ、なのである。

情を交わす、情をかける、情に流れる等々、皆、もののあわれ、というものによる。

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神仏は妄想である 122

法然によって、幕を開けた鎌倉仏教であるが、法然が、選択本願念仏集を、まとめた同じ年、建久九年、1198年、栄西は、與禅護国論を、著している。

国王大臣因って仏法を滅し、毒気深く入って、今にいまだ改めず、これすなわち仏法滅の妖怪、またこれ時代の妖怪なり。
與禅護国論

既成宗団と、院政に対する痛烈な批判である。
栄西も、法然と同じく、伽藍仏教を否定する。
それでは、方法を同じくしたかと言えば、違う。

根本は、時代苦と人生苦が彼らに何を迫ったかということだ。それぞれに人間の実態を凝視したあげくに、信心決定したわけだが、そのときの決断が大事である。「宗」があったのではなく、ます「決断」があったのである。つまり新しい試練の場をみずから設定したということだ。次の単純明快な掟を見失ってはなるまい。
「禅宗は戒をもつて先とす。禅苑清規はいわく、参禅間道は戒律を先となす云々」
亀井勝一郎 日本人の精神史

栄西が没したのは、建保五年、1215年である。その時、道元は、16歳である。
晩年の栄西の、室に入り、臨済禅の風に接していた。
道元は、後に、その時の思い出を、述べている。

栄西は、金で、大師号を望んだと言われるほど、権勢欲の強い人物だった。要するに、当時のブランドを、望んだといえる。
しかし、それは、何も栄西に限らない。空海も、天皇の直結としての、宗の野望を抱いたのである。

日蓮が、後に書く、護国論は、栄西に影響されたと、私は考える。

栄西は、門弟に対しては、実に厳格な教育を行った。道元は、それに、感じたはずである。

これから、私は、道元を書くに当たって、フランス文学者の、栗太勇氏の、道元の読み方、という本を使用する。
名文だからだ。
専門外の人が書くと、より、理解し易いのである。

道元というのは山のごとく、海のごとく、どこから取り付いてもとっつきようもないし、どこから入っても道がないというしろものです。しかし、いろいろ保留はつくが、とにかく座禅を組むこと、「只管打座」というものが最大のすすめです。ですから座禅をしないで「正法眼蔵」を読んでもしようがないという言い方もあります。
栗太勇

只管打座、しかんだざ、です。
座禅。

道元にとって、仏に成る道は、座禅以外にないのである。

最も長く道元が師事したのは、栄西の高弟である、明全和尚である。九年を過ごした。そして、宋への憧れ、それが宋へ渡る強い思いとなる。

当時、道元がいた、建仁寺には、宋から多くの僧侶たちが来ていた。そこでは、中国語の講義も、行われていた。
それを、見るにつけ、道元は、宋にての、学びを求めたであろうことは、想像に難くない。
しかし、時代は、すぐに、それを許さなかった。

将軍、実朝の暗殺、承久の乱、更に、後鳥羽上皇、順徳天皇の遠流などが、続く、騒然たる世の中である。

それが、収まり、道元は、師の明全と共に、宋に渡る。
1223年、24歳の春である。

ここで、道元の辿る道を、書いていると、神仏は妄想である、というエッセイの主旨が、損なわれるので、道元の思想と、信仰について、入ってゆく。

私は、道元の文学は、実存哲学の、最たるものであると、認める。世界的にも、見事なものである。それは、他の追従を許さない。

日本にいたころ、栄西を通じて道元が見ていた禅宗というのは、天台宗の一部門であり、坐禅にしても、加持祈祷、護摩を焚く、念仏を称えるといった修行の中の一つにすぎなかった。ところが、中国禅はそれ自体でひじょうに純粋なことに、道元は驚きます。日本では、ただ坐禅を組むというだけのことですが、中国では朝起きて顔を洗い、口をすすぎ、坐禅をする。その後、作業をし、また坐禅をする。さらに若干の自由時間を持ち、また坐禅を組むというように、朝から晩まできちんと時間割りが決められています。
栗太勇

天台宗は、デパートのような、仏教である。
鎌倉仏教は、皆、この天台宗から出たものである。
要するに、最澄である。
鎌倉仏教を見れば、最澄が伝えたものが、解る。だから、最澄に関しては、私は書かない。

鎌倉仏教は、選択、せんじゃく、仏教という。
つまり、多くの中から、一つを、取り出して、選択して、それを、信仰行為とするものである。

本来は、すべて、一つにあったものである。
その人の性格により、選択されてゆくのである。
元は、同じもの。

ただ、経典として、一環して、流れているのは、法華経である。
聖徳太子の時から、法華経に対しては、すべての、僧が、それを、真っ当な経典として、受け入れている。

壮大な物語であるから、何とでも、解釈の仕様がある。
そして、今に至るまで、それは、変わらない。
日蓮のように、法華経のみを、取り上げなくても、皆々、法華経に関しての、思索が多いのである。

大乗経典の、代表作である。

面白いのは、鎌倉仏教は、選択して、一つを、選ぶが、それぞれが、それぞれを、批判するということである。
道元は、念仏を、畑で蛙が鳴くようなものと言う。
日蓮は、念仏無限地獄、禅は、天魔だという。
すべてを、否定する様、実に幼稚であるが、私も、その仲間のようである。
しかし、私と、日蓮の違いは、信仰するものを、私は提示しない。これのみで、救われると言わない。
まして、宗祖などにはならない。
宗教というものを、作る、お馬鹿な真似はしないのである。

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アボリジニへの旅 3 平成20年7月

ようやく、ケアンズから去る日である。
チェックアウトが、朝十時である。
アーネムランド・ゴーブ行き飛行機は、夕方の六時である。

それまでの時間を、過ごすために、私たちは、バス乗り場の前にある、オーキッドプラザというビルの、二階に出た。
そこには、屋台の食べ物屋があり、私の好きな、おにぎり屋もあった。

食べきれなかった食料を持って、夕方、四時まで、過ごす予定である。

その辺りが、街の中心である。
繁華街である。
向かい側には、夜になると、開店するバーが、並んでいる。
私は、その一軒に、昨日出掛けた。

一番外れの、ゲイバーである。
ふらふらと、入ったバーであり、極々普通の店であった。ただ、内装が、凝っていて、豪華であった。
入ると、まず、一段階の部屋、そして、中の部屋、更に、奥の部屋があった。

私は、タイパンツと、Tシャツである。
店に入っても、何も言われない。
しばらく、店の中を見学して、ようやく、カウンターに行き、ウイスキーを注文した。勿論、メニューを見て、10ドルのウイスキーを示して、ウォーターと、加えた。
水割りという意味で、言うが、素敵なボーイさんは、シングルのウイスキーに、氷を入れて、私の前で、酒を計る小さなカップで、私を見ながら、水を少しづつ入れる。
オッケーオッケーと、言いつつ、私は、全部入れてもらった。それでも、水は、足りないが、もう、面倒で、それを、貰った。

適当に好きな場所に、座って飲む。
最初は、色々な椅子に、腰掛けてみた。
タバコが吸いたくなり、別のボーイに、ノースモーキングと、声を掛けると、ペラペラと、喋る。つまり、ここは、禁煙というのである。
私は、店から出て、外の席に座った。

そこで、タバコに火を点けた。
少しすると、警備のボーイが、何やら言う。
禁煙ブースだった。
そこで、グラスを持って、タバコを吸いつつ、水割りを飲もうとすると、また、警備のボーイが、何やら言う。
飲みながら、吸うなということだと思い、グラスを、テーブルに置いた。
そして、オッケーと、訊いた。
オッケーである。何か、決まりがあるのだろう。

ケアンズも、アルコールに関しては、結構厳しいものがある。
野中が、深夜出掛けて、ヨーロッパから来た、若者たちと、ビールなどを飲んでいると、警察が来て、ここは、飲む所ではないと、散らされたという。
一人の、ドイツ人の若者が、警察に、僕たちは、お金がない。店で、飲むような、金持ちではないから、ここで飲んでいると、勇気を持って言ったと、野中が、話していた。

警察は、騒ぐなよと、言って、その場は、収まったという。
アル中が多いのである。
実は、それには、訳がある。
アル中になるのは、大半がアボリジニたちである。
これについても、後で書く。

ゴーブでは、もっと、厳しかった。
午後二時から、酒の販売を開始し、八時で、終わる。そして、酒を買うためには、許可書を得なければならない。
私は、面倒なので、酒を飲むのを、止めた。
三日間の禁酒だった。

最初、そのバーは、ゲイバーには、見えなかった。
男女のカップルも多かったからである。
しかし、再度店に入り、中の部屋に入り、二人の男の、カップルの様子を見て、理解した。
腕を絡ませて、キスをするのである。

しかし、誰も気にしない。
男女のカップルも、平然としている。
そこで、私は、店の入り口に立つ、警備のボーイに、訊きに出た。

ここは、ゲイバーと、訊いた。
イエス。
あんたは、ゲイ。
ノー。
この辺は、ゲイバーなの。
いや、ここだけ。

そして、私はまた、店内に入った。
今度は、たっぷりとした、ソファーに座り、観察である。

そして、驚いた。
ある、ブースには、垂れ幕がかかり、その中が見えない。しかし、次々と、女が、入って行くのである。
非常に興味があった。
その中を、覗きたいという欲求である。

暫く、その、幕を見ていた。
チャンスが来た。
ボーイが、物を運んで入るとき、その、幕を大きく開けた。
仰天した。
中には、女が、一杯なのである。

ホント、女だらけ。ゲイバーである。つまり、レズの皆様である。
それが、男同士などより、断然多い。
その中は、女で溢れているのである。
アラアラ、言葉無く絶句した。

どうりで、色々着飾った女たちが、続々と入って行くのであった。

何かの、パーティーでもない。
レズの多いケアンズという、イメージが、強く強くなった。

私は、水割りを飲み終えて、ほろ酔いで、モーテルに帰った。
ゆっくりと、歩いた。
もう、ウイスキーなどは、合わないと知った。
日本酒が、一番いい。

広場には、警察の車が、止まっている。
監視しているのだ。

多くの店の明かりも、消えて、街灯の明かりの中を、とぼとぼと、歩いた。

ケアンズ、最後の夜であり、もう、二度と来ない街である。

珍しく、野中が、すでに寝ていた。
私は、シャワーを浴びて、歌を書き付けた。

いよいよ、明日は、アーネムランドのゴーブである。
ほとんどの人は、知らない街である。
アボリジニ、イダキ、ディジュルドゥに、興味を持つ人のみが、聖地として、崇める街である。

これから、エッセイとして、オーストラリアの歴史、そして、アボリジニの問題を、書くことにする。
たが、焦らない。
ゆっくりと、順々に書いてゆく。
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2008年07月04日

もののあわれ235

師走の二十九日に参り、はじめて参りしも今宵ぞかしと思ひ出づれば、こよなう立ち馴れけるもうとましの身のほどやと思ふ。夜いたうふけにけり。前なる人々、「内裏わたりは、なほいとけはひことなり。里にては、今は寝なまし。さもいざとき沓のしげさかな」と、色めかしく言ふを聞く

年暮れて わがよふけゆく 風の音 心のうちの すさまじきかな

この部分は、紫式部日記にあり、宮仕えしたことの、唯一の証拠となっている。

作者が、はじめて宮仕えした日。
宮仕えを、辛いことだと思っていたが、今では、すっかり、馴れきっていることを、嫌な身であると思うのである。
宮中というところは、他とは、全く違っている。
里とは、実家を言う。ここでは、土御門殿にいた時のことである。

さもいざとき沓のしげさかな
寝付けないほど、沓の音がする。

色めかしく言ふを聞く
誰もが、沓の音を、煩いと聞いたのであろう。

今年も暮れて、私も老いてゆく。折から吹く、夜更けの風の音を聞いていると、心が、寒々として、寂しいことである。

心のうちの すさまじきかな
寒々とした心境を、すさまじきかな、という。
この、すさまじき、心の姿も、また、もののあわれ、である。

私も老いてゆくという、現実に、目を背けられない。
誰しも、抱く、老いへの、恐怖である。
それが、静まる時、心には、もののあわれ、というものの、心象風景が、広がる。そして、そこに、身を任せる時、もののあわれ、というものに、抱かれる。


源氏の物語、御前にあるを、殿御覧じて、例のすずろ言ども出できたるついでに、梅の下に敷かれたる紙に書かせたまへる

すきものと 名にし立てれば 見る人の をらで過ぐるは あらじとぞ思ふ

源氏物語が、中宮の前にあるのを、道長が見て、とりとめない冗談を話ていた。
梅の下に敷いてあった、紙に書かせて。

浮気者という、評判が立っている。そなたを見て、口説かずに、済ます人はいないだろう。

すきもの
様々な恋を描いた、源氏の作者であるから、好色な者と、冗談を言うのである。

をらで過ぐるは
梅を手折らずにということで、口説き靡かせないことはない。

とて、たまはせたれば

人にまだ をられぬものを 誰かこの すきものぞとは 口ならしけむ

書いて、歌を下さったので

人には、まだ、口説かれたことは、ありませんのに、誰が、そのような、評判を立てたのでしょう。


渡殿に寝たる夜、戸をたたく人ありと聞けど、恐しさに音もせで明かしたるつとめて

夜もすがら 水鶏よりけに なくなくも 槇の戸口を たたきわびつる
よもすがら いくなよりけに なくなくも まきのとぐちを たたきわびつる

渡殿に、寝た夜、戸を叩く人あり。しかし、恐ろしくて、誰かが、わからないため、夜を明かした朝

昨夜は、水鶏にもまして、泣く泣く、槇の戸口を、夜通し叩きあぐねた

これは、日記にもあり、道長の歌としている。

返し

ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆえ あけてはいかに くやしからまし

お返し

ただごとでは、あるまいと思われるほどに、戸を叩く水鶏なのに、戸を開けては、どんなに、悔しい思いをしたことでしょう。

とばかりたたく
と思うばかりに、叩く。

何故、戸を開けては、悔しい思いをするのか。

相手が、道長だと、知れば、開けない訳にはかないのだ。


題知らず

世の中を なに嘆かまし 山桜 花見るほどの 心なりせば

後拾遺集に載る、題しらずである。

山桜の花を見ている心のように、物思いのない心ならば、この世の中を、どうして、嘆こう。

花を愛でる心で、いたいものだ。
いつも、花を見ている心境でいたい。
そうすれば、この世の中の、憂きことを、忘れる、忘れられる。

これで、最後の歌になる。
私は、これを、書きつつ、いつも、紫式部が、世の中を、憂きものと、思う心が、不思議だった。
源氏物語という、雅を描いた作者が、何故、こうも、憂鬱なのかと。
しかし、憂きことは、世の習いなのである。

生きることを、憂きこと、と観たものである。
それも、一つの人生の、見方である。

もののあわれ、というものを、憂きとする、心境もあっていい。
もののあわれ、というもの、おおよそ、すべての、心境を、抱擁する。

世の中を なに嘆くかな 春桜 歌詠うほどの 心なりせば 天山

次に、源氏物語に、分け入って行く。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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