2008年06月25日

もののあわれ226

たまさかに返り事したりける後、またも書かざりけるに

をりをりに かくと見えて ささがにの いかに思へば 絶ゆるなるらむ

夫の死後に、少しばかりの付き合いをしたが、深い関係にはならなかった、男からの、歌である。

時たまに、返事をしていたが、ある時からは、もう返事を書かなくなったところ。

事あるごとに、返事を下さると、思っていましたが、どうしたのでしょうか。お返事が途絶えてしまいました。

返し、九月つごもりになりにけり

霜枯れの あさぢにまがふ ささがにの いかなるをりに かくと見ゆらむ

返し。九月の末になった頃。

霜枯れの、浅茅に紛れ込んで、微かに生きている、小さな蜘蛛が、どんな時に、巣を作るというのでしょう。

つまり、未亡人の私が、どうして返事を書くというのか、という意味。

浅茅、あさじとは、茅のことである。ちがや。

男が、いかに思へばという。どういう、考えで、というのだ。
当然、返事があっていいだろうと、思っている。

紫は、自分のことを、霜枯れの、あさぢにまがふ、ささがに、と言うのである。
閉じこもっていて、物語を書いていたのであろう。
無用な、心の乱れを持ちたくないのであろう。

次は、また、夫の夜離れ、よがれ、を、嘆く歌である。

なにのをりにか、人の返り事に

入るかたは さやかなりける 月影を うはのそらにも 待ちし宵かな

訪れるはずの、夫が来ないのである。

入って行く、方角は、はっきりと解っている月の姿を、昨夜は、上の空で、待っていたのです。

入るかた
夫の出掛けた、女の所である。

待ちし宵かな
どれほどの、女たちが、このような気持ちを、抱いただろうか。


返し

さして行く 山の端もみな かき曇り 心の空に 消えし月影

月の目指す、山の端も、あたりの空が曇り、心も上の空になって、月は、姿を消してしまった。

男の、言い訳である。
お前の、機嫌がよくないからと、言うのである。

月を、自分に擬したのである。

また、同じすぢ、九月、月あかき夜

おほかたの 秋のあはれを 思ひやれ 月に心は あくがれぬとも

前の歌と、同じ気持ちである。

あなたに、飽きられた秋の頃の、悲しみを、思ってください。
今夜の月のように、美しい方に、心を奪われているのでしょう。

結婚生活が、二年余りである。
夫の、夜離れを、嘆くことがあったのである。

おほかたの 秋のあはれを 思ひやれ

深読みすると、秋に、飽きを、懸けている。

歌詠みでなければ、わからないような、歌である。

全く、別の意味に、受け取ることも出来る。

西行も、詠むような、歌である。

秋のあはれを、とは、秋という季節を、超えている。
単なる、夜離れの歌にしておくのは、もったいないのである。

おほかた、とは、大方である。大半が、秋のあはれを、思うのである。

大半の人生は、あはれ、なのである。
大半の人は、あはれ、を、生きるのである。

それを、思ひやれ、である。
月に心は あくがれぬとも、とは、別のモノに心奪われても、いつしか、本当の姿を、知ることになるのである。

本当の姿とは、あはれ、という、人間の姿である。

夫に対する、夜離れの歌ということで、読むだけでは、解らない。

その心の底辺に、流れるもの、それは、もののあわれ、である。

想像力逞しい女は、更に、夫の行動に悩んだであろう。
あれほどの、物語を書くのである。
それは、単なる夜離れに、尽きることなく、さらなる、人生の諸相に、辿り着いたことだろう。

いつも、いつも、秋のあはれを 思ひやれ、なのである。
そうすると、見えてくるものりがある。
そのために、歌を詠み、物語も書くのである。

あくがれいずる心も、実は、そこにある。
憧れは、最後に、ものあはれ、に、行き着くのである。




posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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