2008年06月15日

タイ旅日記 15 平成20年6月

今回の旅の、顛末も、これで終わる。


夜中の一時過ぎに、空港に着いた。

まだ、チェックインまで三時間ある。一階の、ロビーに降りた。


24時間体制の空港である。

煌々と明かりが、眩しい、空港内である。


野中は、疲れで、ベンチで寝ていた。

私は、一階に出来た、空港で働く人たちの、食堂に入った。

色々な店がある。屋台である。


まず、入り口で、チケットを買う。しかし、幾ら買えばいいのか、解らないので、店を見に回る。

麺類を選んで、その料金を見る。

45バーツの、ラーメンに似たものにした。

入り口に戻り、45バーツのチケットを買う。それを持って、店に行き、チケットを出して、丼を指差した。


女の店員は、すぐに、目の前で作ってくれる。

それを、持って席を探した。

深夜であるが、結構な人がいる。


味は、薄い。要するに、自分好みの味にして食べるように、調味料が、置かれてある。

しかし、私は、そのまま、食べた。

日本のラーメンの半分の量である。


食べ終わり、そのまま、外に出て、タバコをふかした。

今度は、あの、若者はいない。


野中の所に戻り、私も、椅子に横になった。

少しうとうとするが、眠られるものではない。

何度も、トイレに立った。そして、何度も、タバコを吸うために、外に出た。


警備員、職員の人と、何度も顔を遭わせているちに、挨拶するようになった。

これで、言葉が出来れば、もっと、コミニケーションが取れるのにと、思いつつ、タイ語は、難しいと、諦める。


一度は、挑戦したが、兎に角、頭が悪いので、覚えられない。暮らすと、覚えると、言い聞かせて、いずれ、暮らしてやると、思う。


3:30、掲示板を見ると、チェックインが、開始された。

私は、野中を起こして、荷物をカートに入れて、いざ、と、エレベーターに向かった。

四階が、出発ロビーである。


すでに、他のお客さんが、並んでいた。

アメリカの飛行機会社は、検査が、厳しい。

いつもと、同じことを、尋ねられる。


荷物を預けて、出国手続きをする。

そして、搭乗口に向かう。


時間があるので、アイスクリームを食べることにした。

矢張り、館内は、森閑としている。

いつもの、店に立ち寄る。

いつもの、アイスクリームを注文する。


そこで、少し時間を潰す。

それじゃあ、行くかと、立ち上がり、向かいに出来た、新しい店を見て、アラ、アイスクリームの値段、こっちが、安いよと、大声で、言う。

これ、おばんさん化である。


今度は、こっちにしようと、野中に言いつつ、歩く。


再び、手荷物検査である。

搭乗口に入る前に、再度、検査がある。

そして、更に、搭乗口の部屋に入る前に、もう一度、検査である。

だんだんと、苛立ってくる。


何度、みせりゃあいいんだと、怒鳴りたくなるのを、我慢する。


液体物云々である。

アメリカの会社は、実に、丁寧に調べる。

中には、鞄の中を、すべて曝け出して見せている人もいる。


実は、来る時、係官に、鞄の中に液体物は、ありますかと、尋ねられて、あるかもしれないし、無いかもしれないと、言った。

出して下さいと、言うので、どこにあるか、解らないと言うと、見せてくださいと、言う。

鞄を開けて、少し、洗顔用具の液体を出す。

これだけですか。

袋に入れてください。

無い。

すると、係官は、袋を持って来た。


悪いと、思いつつ、時間を引き延ばした。

しかし、さずかに、引き下がらない。

結局、液体物は、それだけである。


野中が、それを見ていて、もう、機内に持ち込まないで、預ける荷物に入れてよー、と言う。


そうすることにした。


私の好きな、ガルーダーインドネシアは、アメリカから、危ない会社に指定されていた。

だが、私は、検査が少なくて、大好きなのだ。

落ちたら、死ぬだけでしょう。

テロに遭って、落ちる。いいねー、そんな風に、死にたいよー


また、その評判があるのか、客が少ない。

それで、私は、座席を占領して、ぐっすり、眠られるのだ。


機内に入り、扉が閉まるのを、待つ。

出発準備が整いました。という、アナウンスを聞くと、すぐに、周囲を見渡し、開いている座席を探す。

四席空いていると、すぐに、そちらに移る。

そうすると、体を横にして、眠られる。


今回も、空いていた。

すぐに移り、席を確保して、安心である。


矢張り、食事の時以外は、眠っていた。

飛行機の、揺れが、眠りを誘う。


10年ほど、飛行機に乗られない時期があった。

パニック障害である。

これには、色々と説明がいるが、省略する。


入国を済ませて、荷物を引き取ると、すぐに、バスのチケットを買う。

15分ごとの、バスであるから、便利である。

それで、横浜に到着して、旅が終わる。


二週間後は、オーストラリアである。

そして、それが、終わると、10月後半まで、日本にいる。


10月後半は、再び、タイに、10日間の、旅をする。

次は、ゴールデントライアングルの、追悼慰霊をする。そして、ビルマのタチレクに入り、再び、追悼慰霊をして、子供服支援をする。


ただ、小西さんから、子供たちに、お金を上げることは、止めた方がいいと、言われた。それは、背後に、大人がいるということである。

ストリートチルドレンを使い、金を集める者もいるのである。


物乞いする、彼らに、商売を教えようと思ったが、浅はかだった。


物資が、一番である。それも、彼らが着る物である。

さらに、沢山上げても、大人に取られることもあるという。


支援というのは、大変なことである。


その背景にあるものを、把握して、考えてやらなければ、ならない。


またまた、勉強になった、旅である。



posted by 天山 at 16:16| タイ旅日記  平成20年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 94

私はここで、大体私の立場を述べておく方がよいであろう。今までの著者と違う点が幾つか見いだせると思うからである。私はこれから南無阿弥陀仏の意味を述べるのであるから、必然この六字の念仏に立つもろもろの宗派について記さねばならない。これらのものを総称して念仏宗とか、あるいは浄土門とか呼びならわしている。
それ故私はこの一篇で、仏教の多くの流れのうちから浄土門、即ち念仏による浄土往生を説く宗門について語るのである。・・・・・そこでどうしても法然、親鸞、一遍の三祖師のことが重要な題材となってくる。それに浄土門の最も徹底した思索がこれらの人々によって成されたのであるから、どうあってもこの三大上人のことを差し置くわけにはゆかぬ。そうしてこのことは必然的に、法然によって建てられた浄土宗、親鸞によって築かれた真宗、一遍によって始められた時宗のことを述べることになる。この三宗こそは、日本における念仏門を最もよく代表する。
柳宗悦

しかし、柳は、それいずれもに、属する者ではない。
それらの、宗派を引き離して考えたくない立場であると、言う。
解説、手引きとしては、常に客観的と、いってよい。

信者というのは、愚かであるから、浄土宗の信者は、真宗より、こちらが上とか、真宗信者は、浄土宗を超えたものであるとか、色々と、アホなことを言うのである。

宗教の、アホさは、同じ経典を、戴いても、派閥が違うと、実に、反目する。
それでいて、宗教者会議とか、世界宗教者云々といって、会議を、開き、嘘八百の、平和的云々の声明を出すという、茶番である。

それは、すべての宗教に言える。
実に、救われない者こそ、宗教であると、私は言う。

三人の、始祖の中で、一番、真っ当な感覚は、「我が化導は一期ばかりぞ」と言った、一遍である。

この時のみの、化導であると、言い切る心意気は、正に、見事である。
現在の時宗は、ほとんど、無いに等しい。
柳も、一遍により、日本浄土門の結末があるという。

一遍は、捨て聖、すてひじり、である。
実に、真っ当な、求道者であった。
たった一人の教えこそ、宗教という、極めて個人的な情緒の産物であり、それを、そのままに、行為するのが、宗教家の、面目である。
また、信者もそうである。
そこには、絶対孤独の境地がある。
私が、唯一、納得するのは、そこである。

法然という礎の上に、親鸞の柱、一遍の棟が建てられているので、法然なくして親鸞も一遍もなく、また親鸞、一遍なくして法然もその存在の意味が弱まる。一人格が法然より進み、親鸞より一遍へと移るのは、時代的展開であり、内的推移である。それ故法然は彼自らを親鸞に熟さしめ、更に一遍に高めしめたといってよい。三者はこれを異なる三者に分かつことが出来ぬ。
柳宗悦

さて、浄土門の、別名は、他力信仰である。
他力があれば、自力がある。

日本の仏教は、この、二つの道で、実に反目し、議論を尽くしたが、私に言わせれば、同じものである。
行き着くところは、同じ場所である。
その場所は、誇大妄想という、場所である。

無いものを、在ると、信じるのである。
妄想以外の何物でもない。
だが、それを、否定しない。
時代性と、時代精神による。

法然の、選択本願念仏集を、読むと、彼が、実に、お勉強したことが、解る。
三十年間を、学びに尽くした。
法然は、鎌倉時代の人と、いわれるが、鎌倉幕府が成立した時、法然は、六十歳である。
平安末期の人であった。
平安期とは、言わずと知れた、阿弥陀信仰の盛んな時期である。

だが、平安期の、阿弥陀信仰は、貴族や、その女房たちの、アクセサリーのようなものであった。
更に、抑鬱気味の時代である。
その、不安感を、鎮めるものとしての、阿弥陀信仰である。

法然は、その、偏狭だった、阿弥陀信仰を、一般に開放したと言ってよい。
更に、我が身のことである。

ここで、法然、親鸞共に、自虐的性格であることを言う。
つまり、末法という時代にある我と、戒定恵という、僧侶としての、器ではないという、自覚。
簡単に言う。
私は、駄目人間だという自覚。
親鸞にいたっては、どうしても、セックスがしたいと、その欲望を、抑えられないのだという、自虐が、こんな者でも、救われるという、念仏の教え、浄土門の教え、法然の教えに、ただ、任せるのだという、徹底した諦め。それを、後で人は、他力の甚深なる教えと、称えるのである。

一人で、やっているうちは、良かったが、それを、人に説くなと、言う。
ところが、親鸞は、それを、人に説いた。そして、信者まで、現れた。
そして、言うことが、親鸞は、弟子一人も持たない。皆、同行者だと言う。
それも、思索の深さとして、理解されている。

どうして、女を、二三人引き連れて、山に籠もり、セックス三昧の、日々を過ごさなかったのか。どうして、浄土宗から、さらに、浄土真宗という、教団にまで、いったのか。
ちなみに、最初は、浄土新宗であった。
お解りか、新である。つまり、新しいと、つけて、呼んだのである。
後に、真と、直した。

ここに、親鸞の迷いがある。
自虐趣味の、告白本、歎異抄は、文学的価値の、実に、高いものであるが、それは、弟子の唯円の筆である。

その子孫の、蓮如も、セックス好きで、多くの女に多くの子を産ませた。そして、浄土真宗という、教団を、強固なものとしたのである。
時の、為政者と、渡り合うような行動も取るという、宗教家というか、政治家でもあった。
彼の著作も、文学的価値の高いものであるが、果たして、宗教という、情緒にあるものか、疑問である。
真宗王国を、作らんとした、野心は、どこからのものか。

島崎藤村も、自らの罪深いことに、嘆き、破壊という、小説を書いた。
しかし、彼らは、自らの罪深いことに、嘆き、宗教を、作ったのである。
この、様を、迷いと、言わず、何と言うのか。

そして、その迷いを、多くの人に、共用させた。

知らないことを知るということは、知識である。
宗教の教えは、知識を、出ることはない。それを、知恵、更に、仏の知恵、涅槃の境地などと、アホなことを言うのである。

要するに、人間を、何故か、超えたところにあるような、物言いをするのである。
それが、彼らの手なのである。
いつまでも、信徒を、縛り付けて、搾取するという、手である。

勿論、彼らも、涅槃の境地、仏の知恵などという、境地など、知らない。知るはずがない。知るというならば、妄想である。
何故なら、そんなものは、無いからである。
空の思想ではない。
無いものなのである。

それを、追々書いてゆく。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ215

文散らしけりと聞きて、「ありし文ども取り集めておこせずは、返り事書かし」と、言葉にてのみいひやりたれば、みなおこすとて、いみじく怨じたりければ、正月十日ばかりのことなりけり

閉ぢたりし 上の薄氷 解けながら さは絶えねとや 山の下水

私の文を、人に見せたというので、「すべての、文を返してください」といった。使いの者に、口上で述べさせると、皆返すとは、絶交なのだと、怨む言葉を言う、正月十日あたりの頃

氷で、閉ざされていた、谷川の薄氷が、解けるように、打ち解けましたのに、山川の流れが、絶えるように、これで、仲が切れればいいと、言うのですね。

解けながら、とは、結婚した仲であろうと、想像する。
そんな中で、手紙を人に見せたことに、返してとは、言うが、絶交するということではないと、夫の怒りを、なだめるという、少し、複雑な心境である。

彼女の、文が、名文なのだろう。きっと、自慢したかったのかもしれないと、憶測するが。

夫婦で、文を交換するという、関係である。
当時の、結婚観を見る。

すかされて、いと暗うなりたるに、おこせたる

東風に 解くるばかりを 底見せる 石間の水は 絶えば絶えなむ
こちかぜに とくるばかりを そこみせる いしまのみずは たえばたえなむ

すかされて
私の歌になだめられて、大変暗くなってから、歌を贈られた

春の東風に、解けた仲なのに、底の見える浅い石間の流れのように、浅い心のお前との仲が、切れるなら切れるがいい。

東風に解ける
礼記による。正月になると、東風によって、氷が解けるとされた。

石間の水
石と石の間を、流れる水。

男の方が、強い口調である。


「今は物も聞こえじ」と、腹立ちければ、笑ひて、返し

言ひ絶えば さこそは絶えめ なにかその みはらの池を つつみしもせむ

お前には、もう、何も言うまい、と、腹を立てているのを、笑い、返す

もう、文も出さないと、おっしゃるなら、そのように。
どうして、あなたの、腹立ちに、遠慮などするものですか。

今度は、こちらも、強気である。
笑ひて、とは、余裕がある。

みはらの池
腹と、はらを、掛けた。

つつみ、とは、池の堤を、掛けたのである。
遠慮することを言う。

夜中ばかりに、また

たけからぬ 人かずなみは わきかへり みはらの池に 立てどかひなし

夜中に、また、返事かきた。

立派でもなく、人かずの身分でもないが、腹の中では、波が沸き返るように、腹がたつ。
しかし、立てどかひなし、お前には、勝てない。


しかし、喧嘩ばかりしているのではない。
次の歌は、仲睦まじいものである。
桜を瓶に立てて見るに、とりもあへず散りければ、桃の花を見やりて

折りて見れば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなさ 桜惜しまじ

桜を、瓶に挿して、見るが、散ってしまい、次に、桃の花を挿して見る

折って近くで見ていれば、見優りしておくれ、桃の花。散った、桜に未練はありません。


返し

ももといふ 名もあるものを 時の間に 散る桜には 思ひおとさじ

返しには

桃は、百、百年という名をもっている。いくら桜でも、すぐに散るような花。
桜に思いをかけないほうが、いい。

結婚、間もない頃の、やり取りである。

最初の歌は、作者が、桃に、桜を、夫の関係した、女性を言うのであろう。
妻なら、一層良く見える妻でありたい。
人の気持ちを、考えない女など、未練を持たないでしょう、という。
なんとも、微笑ましい。

思ひまぐなき 桜惜しまじ
私の気持ちも、思わず、散ってしまう桜に、未練はない。
つまり、夫に、他の女のことを、未練に思うなと、問い掛けている。

女心である。

夫は、
散る桜には 思ひおとさじ
と、言わせた。
いくら、桜といえど、散ってしまう花より、見落とすことはないよ、桃の花に、ということになり、桃の花は、彼女のことである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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