2008年06月12日

タイ旅日記 12 平成20年6月

新郎を迎えた皆は、道端で、祈りを上げて酒を飲み、そして、いよいよ、新婦の家に、新郎を連れて行く。


私たちも、その歩みに従った。

シンバルと、太鼓の音が、鳴る。

ゆっくりと、皆が新婦の家の道のりを、歩く。


新郎が、新婦の家に到着すると、舞台に、座る。

いよいよ、結婚の儀式が、始まる。


長老たちに、酒が回されて、その盃を持ったまま、祈りが、始まる。

皆、手を合わせて、それが終わるのを、待つ。


祈りが終わると、それぞれの盃の酒を、新郎新婦が、飲み交わす。

日本の三々九度のようである。

これから、新郎は、酒を、飲み続けるのである。

それが、延々と繰り返される。


今度は、注がれた酒を、飲み干すのである。次々と、人が入れ替わり立ち代りと、舞台に上がり、新郎は、盃を、交わす。


この舞台を見て、私は、古神道の、結界を思い出していた。

四本の柱は、注連縄で、囲ってあるのだ。

実に、不思議な光景である。


私たち、列島の民族も、大昔は、このように儀式を、執り行っていたのであろうと、推測した。

緊張感と、緩やかな、規制である。

祈りの時でも、お喋りしている人もいる。

誰も、何も規制しないのである。

要するに、変に真面目くさっていないのである。


新郎新婦は、酒を飲み交わすと、互いに手を洗う儀式をするという。

私は、テントの張られたテーブル席で、それを、待ったが、新郎の酒の酌み交わしが、中々終わらず、時計を見つつ、気を揉んだ。

それを、見てから、チェンマイに戻りたいと思った。


出発予定時間の、四時が近くなる。

野中が、私の側に来たので、最後の写真を、撮る。

丁度、女の子たちのグループがいて、彼女たちとの、記念撮影である。

そして、二人の男の子である。

ところが、一人の男の子が、写真撮影を、嫌がる。


野中が、言う。

あの子は、頭が良くて、何でも良く出来るという。しかし、口が利けない子だという。

私は、その子を見るために、立ち上がった。そして、彼に、近づく。すると、その子は、逃げる。

日本語で、私は、あなたの味方になりたいと、言う。


私と、野中は、その子を、追い掛けた。

その子と一緒にいた男の子も、説得している。

一緒に、写真を撮ろうと、言っている。


結局、彼が、何故写真を撮られるのが、嫌なのかが、解った。

非常に強い美意識である。

今日の、自分の姿は、みすぼらしい。そして、髪も、きちんとしていない。


女の子たちが、寄って来て、彼の髪型を直し、服を調えている。

私も野中も、彼の中にある、あるモノを見た。

洗練された、美意識である。


頭脳明晰、読み書きなどに優れて、何でも、すぐに覚える。

耳も聞こえる。

何故、話さないのか。

それが、理解出来た。


私たちとの、出会いで、彼は、生き方があることを、知るべきだと、思った。彼の生きる世界は、別の場所で、多々ある。

世界は、動いている。

カレンの村から、世界に、羽ばたいてもいいのだ。


彼と、友達が、写真に、収まった。

野中が言う。

この子、凄い美人だよ。

その通り、美人である。


匂うが如くに、少年の美しさがある。そして、彼は、それを、自覚している。

その、自覚こそ、彼を生かすものになるはずである。


自分の、みすぼらしさを、嫌悪するという、心の高まりは、彼を、いつか天才にすると、私は、思った。


さて、新郎新婦が、手を洗うという儀式が、始まらず、五時に近くなり、私は、小西さんに、そろそろと、言った。

戻る時間である。

名残惜しいが、これで、最後ではない。これが、始まりである。


私たちは、儀式の席から、離れて、家に戻った。

そして、急いで、帰り支度をした。

私は、赤い絽の着物を脱ぎ、タイパンツと、Tシャツにした。

カレンの村にいる間、私は、すべて、浴衣と、着物で過ごした。

私の、礼儀作法である。


その日の朝、少しの時間を、田圃で過ごした時、皆に混じって、田植えをした時も、浴衣を、まくって、稲の穂を植えた。

この村の人と、仲良くすることから、これからの、活動が見えてくると、思った。


次に来た時、あら、しばらくだねーと、言われたい。


最後に、私は、カレンの湧き水で、体を清めた。

清め祓いをした。

決して、日本では、水などを、かぶることはない。

いつも、銭湯に行き、そこで、清め祓いをする。お湯である。水でなければ駄目だなどとは、一言も、誰も言っていない。

お湯も、水である。

寒中に凍てつく水で、清めるという、偏狭な行為はしない。


車に乗り込み、奥さんと、お別れする。

奥さんと、娘さんだけが、見送る。


あっという間の、出来事だった。

車が、山々の中を走り、アスファルトの道に出ると、すぐに、チェンマイに着いた。


チェンマイですら、別空間に思えた。

今までの、あの風景、空間は、何だったのか。


チェンマイでの二時間あまりのうちに、元の感覚を取り戻す。

いつもの、時間感覚である。

インターネットカフェに入り、画面を見て、いつもの感覚に戻る。というか、戻す。


小西さんは、私たちを、また、迎えに来て、空港まで、送るという。最後まで、私たちの、面倒を見てくれるのだ。


次の準備のことが、早めに終わり、私たちは、オープン食堂に、向かった。

チェンマイカレーの店である。

辛いが、美味しい。そして、もち米で、カレーを食べるのが好きだ。

二人で食べても、300円程度である。


食べ終えて、待ち合わせの場所に行くと、小西さんも、少し早めに来ていた。

いよいよ、帰路である。

バンコクに一泊して、都会の喧騒に入り、そして、日本に戻る。


ここでは、おとうさんと、色々話し合ったことなどを、省略している。

実は、おとうさんと、日本の農業について、話し合ったのである。

日本の農業を説明すると、おとうさんは、例え話で、私たちに、話してくれた。

世の中と、隔絶されていようと、物事の本質が解る人には、現代の先端の文明化が、理解出来るのである。


自分たちの村で、食べる分だけ、米を作るという、考え方をする。そして、自然を大切にする農法である。

少し、彼らの、信仰や、農法について、書いて終わることにする。


空港で、チェックインをして、小西さんと、レストランで、話した。

名残惜しく思えども、また、再会するのである。



posted by 天山 at 16:16| タイ旅日記  平成20年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ212

近江の海にて、三尾が崎といふ所に、網引くを見て

三尾の海に 網引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも

みをのうみに あみひくたみの てまもなく たちいにつけて みやここいしも

琵琶湖の西岸、三尾の崎という所で、編み引くのを見て

三尾の崎で、網を引く漁師の、手を休めることなく、働く姿を見るにつけても、都が恋しい。

てま
手間隙である。
立ち居につけて
働く様。

そのような、風景を眺めていても、都が恋しいと、歌う。

また、磯の浜に、鶴の声々に鳴くを

磯がくれ おなじ心に たづぞ鳴く なが思ひ出づる 人やたれぞも

琵琶湖の浜で、鶴の鳴き声を、聞いて

磯の浜の、ものかげで鳴いている、鶴よ、私と同じように、誰を思い出しているの。

または、同じ心で、鳴いている鶴よ。


夕立しぬべしとて、空の曇りてひらめくに

かきくもり 夕立つ波の あらければ 浮きたる舟ぞ しづ心なき

夕立がきそうだ。空が曇り、稲妻が光る

空一面が、暗くなり、夕立を呼ぶ波が荒い。その波に浮いている、船は、不安なこと。
しづ心なく
不安とするだけではない。
心が騒ぐ。そわそわする。落ち着かないのである。

しづ心なく 花のちるらん
とも、歌われる。

静かな心ではないのである。
心が騒ぐことを、すべて、しづ心なく、といえる。

この、しづ心という、心象風景を、尋ねてみると、そこに、また、もののあわれ、というものの、姿が、現れる。

もののあわれ、は、しづ心のない心象風景も、いうのである。

しづ心と、対照的なものは、奥ゆかしさである。
奥ゆかしいことで、つまり、冷静沈着であることで、物事を、見つめ続けるのである。
平らけく、という、心象風景を、最も、貴んだのが、日本民族である。

平らけく、安らけく、とは、祈る言葉にもなる。

平和で、安らかであること。
これが、奥ゆかしさへと、通じる。

その、奥ゆかしさを、最も、それとして、たしなみとして、女性は、存在感があった。
男尊女卑と言われる時代さえ、女は、奥ゆかしさの、最もたるものであった。

男で、奥ゆかしい存在は、天皇である。
ここで、女の存在感というものが、解るというものである。

古代は、どこの民族にも、男尊女卑という、考え方があるが、それは、それぞれの民族によって、表現が違う。

聖書などの、場合は、家畜と同じような、男尊女卑であるが、すべての、男尊女卑が、そうだったのではない。

日本の場合は、礼法としての、男尊女卑である。

女は、控えている。
奥ゆかしくある。
つまり、いつも、冷静であれとの、教えである。

女の歴史は、差別の歴史であると、認識する者、大勢いるが、それも、一つの見方である。

差別の歴史ではなく、区別の歴史が、日本の歴史である。

女の生き方を、貴んだ歴史でもあるという。
ただし、一時期、例えば、戦国時代などは、悲惨である。
男の戦いの、道具として扱われた。
それから、昭和初期まで、女の地位は低く、見積もられた。

だが、一人の女のために、命を賭ける男もいた。
女を、守る男も、大勢いた。

女は、奥ゆかしくあれとは、女は、情の篤いものであるという、認識だ。
乱れるな。乱れれば、命が、危うくなるのである。
しかし、厚顔無恥であれというのではない。
深く、物事を見つめよ、というのである。

結果、日本文学の、大元である、漢字かな混じりの、源氏物語という、大作を書かせた。何も、紫式部一人のことではない。
文化の担い手は、女であるともいえる。
それが、名を残さずとも、男の働きの裏には、女の、奥ゆかしさがあったと、いえる。

区別を、差別と、心得違いしないことである。

しづ心は、男と、女では、違った。

男の、しづ心は、表に、つまり、花鳥風月に、女の、しづ心は、恋と愛に、つまり、情にあったのである。

歌道の中に、それが、証明されている。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 91

スターリンとヒトラーは極端な悪行をそれぞれ、独善的かつ教条的なマルクス主義と、ワーグナーふうの狂乱の色合いをもつ、正気の沙汰ではない、非科学的な優生理論の名のもとにおこなったのである。宗教戦争は実際に宗教の名のもとで戦われ、それは歴史上おそろしいほど頻繁に見られる。一方、無神論の名のもとで戦われたいかなる戦争も、私は思い浮かべることができない。なぜそうなのか? 戦争が経済的な強欲、政治的な野心、民族的ないし人種的な偏見、深い不満や復讐心、あるいは国家が向かうべき方向に関する愛国的な信念によって推進される、ということは確かにあるだろう。しかし、戦争をおこなう動機としてより妥当な候補といえるのは、自分たちの宗教が唯一本物であるという不動の信念なのである。そしてこの信念を補強するものこそ、すべての異教徒やライヴァル宗教の信奉者に対して公然と死罪を宣告し、神の戦士はまっすぐに殉教者の天国に行けると露骨に約束する、聖典にほかならない。
ドーキンス

ヒトラーが、その残虐行為を単独で実行したわけではないことを、私たちは、ここで、思い出さなければならないと、ドーキンスは言う。
つまり、兵士や、その上官は、キリスト教徒だったというものである。

実際、ドイツ国民のあいだに根付いたキリスト教信仰こそ、私たちがまさに論じている仮説―――すなわち、ヒトラーがおこなった宗教にかかわる発言が偽りのものであったのではないかと疑われることーーーを支える土台の一部にちがいあるまい。つまり、ひょっとしたらヒトラーは、キリスト教に対してなんらかの共感を、形だけでも示さなければならないと思ったのかもしれない。
ドーキンス

ここで、問題なことは、時のローマ法王ピウス12世が、ナチスに反対する態度を取ることを、執拗に拒んだということである。
そのことは、現代のカトリック教会にとって、実に深い困惑になっている。

ヒトラー体制は、無神論に源を持つ者ではないと、ドーキンスは、言う。
スターリンは、完全に無神論者である。
しかし、個々の無神論者は、悪事を起こすかもしれないが、無神論の名において、悪事を成すことはない。
スターリンが、その典型である。

更に、私見であるが、スターリンの主義は、宗教から生まれた子供である。
マルクス主義は、プロテスタントの、ガンビンの思想から生まれたものであると、私は、考えている。

サム・ハリスはこの一件に関しても、「信仰の終焉」において的の中心を射抜いている。

宗教的信念が危険なのは、その他の点では正常な人間を狂った果実に飛びつかせ、その果実が聖なるものだと思い込ませるところにある。次々に生まれてくる新たな世代の子供たちは、宗教上の信条というものは他の事柄であれば必須とされる正当化の手続きを踏むことをかならずしも求められないと教えられるため、文明の依然として、不合理の徒から成る軍勢に包囲されたままである。私たちはいまこの瞬間も、大昔の文献をめぐって自分で自分の身を滅ぼしつつある。このような、悲劇的なまでに愚かしいことが起こりうると、いったい誰に想像ができたことだろう?

逆の言い方をするなら、信仰のない世界をつくるために戦争に行く者がどこにいるのか、ということだ。
ドーキンス

随分と、ドーキンスの、神は妄想である、から、多くを引用してきた。

ここで、ドーキンスの著作と、お別れする。

宗教の、蒙昧は、限りない。
同じ、キリスト教でも、カトリックとプロテスタントの、宗教戦争を、見よ。
また、新興キリスト教と、各宗派の争いを見よ。

そして、同じ旧約聖書を、聖典とする、ユダヤ、キリスト、イスラム教の、争いを、見よ。
アメリカの、ブッシュは、中世の十字軍という、イメージを、持って、イスラムに立ち向かった。
呆れる。

更に、世界各地で、行われる、紛争、戦争の種は、その多くを、宗教に負う。
インドならびに、アジアでは、平和志向の仏教徒まで、戦うのである。
更に、ヒンドゥーも、然り。

インドネシアは、政府が、打ち上げた、一神教のみ、宗教としての活動を、許したが、それが、根本的、紛争の種になった。
一神教を、認めるということは、唯一本物であると、信じる様々な、宗教紛争の種を、植えたということである。

日本の場合は、宗教戦争というより、為政者と、宗教団体の争いがあった。
特に、門徒の一揆に、端を発した、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康たちの、戦いである。

それ以前は、比叡山の僧兵に、象徴される。
比叡山で、僧兵である。信じられないのである。
延暦寺とは、天台宗である。最澄の天台宗である。
法然の念仏を、迫害し、虐殺等を、行ったとは、信じられないのである。

そして、念仏と、題目宗との、争い。

戦国時代を、戦いの歴史と、見るが、その底では、日本でも、宗教に絡む争いが多くあった。

神道が、仏教を受容したように、仏教の派閥が、そのようなことが無いというのが、私は、不思議である。

最も、今現在は、宗派が、集って、傷の舐め合いから、談合をしている、状態である。
すぐに、先が見える、日本仏教の、愚か者どもが、既得権益を、守るべく、仏教の現代化などと、言うが、なんのことはない。
食って寝る場所の確保であり、教義の云々でもなんでもない。
ただ、安穏とした暮らしを、続けるために、談合するのである。

彼らが、この世に、地獄を、作っていることを、知らない。

何度も言うが、仏陀の、教えなど、日本の仏教には、毛ほども無い。

次に、それらを、ランダムに、そう、無造作に、取り上げて、徹底的に、叩き切る。

最澄、空海、法然、親鸞、日蓮、道元等々、何ほどのことは無い。
妄想、想像の、蒙昧の世界である。

日本仏教の、名僧、高僧等々、言葉遊びの、何物でも無いと、断ずる。
文学というなら、話は、解るが、宗教、更に、信仰させるという、傲慢極まりない、その姿勢を、私は、断罪する。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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