2008年06月08日

もののあわれ208

紫式部という、名前は、宮仕えをした時の、女房としての、名前である。

当時の女性の名は、皇室以外は、単に女と、言われた。誰々の女、である。
女房の名前は、父や夫の官職の名によって、付けられた。

紫式部は、父の為時が、かつて式部丞、しきぶのじょう、であることから、名付けられた。
何故、紫が、ついたのかには、定説は無い。

紫式部は、世界最初の小説である、源氏物語において、不滅となった。
今年、2008年は、源氏物語、千年紀である。

私は、源氏物語の、自然、風景描写から、もののあわれ、というものを、見るため、その前に、彼女の歌を、読み、その伏線としたいと、思う。

紫式部集である。

和歌、歌の道は、当然の常識だった。
つまり、いつ、いかなる時でも歌を詠むという、教養である。
当然、紫式部も、早くから、歌を読んだ。なにせ、彼女は、頭脳明晰で、漢学者の父が、弟の、惟規、のぶのり、に、漢籍を教える傍で、聞いていて、先に覚えてしまうほどだった。更に、宮仕えの時に、中宮に、漢籍「白氏文集」を進講するほどだったのだ。
この、素養が、源氏物語にも、結実したと、思う。

源氏物語には、794首の歌が、作られているが、紫式部集には、他人の歌も入れて、114首である。
しかし、そこには、娘時代のものから、晩年に渡る歌がある。
作者の、生涯に渡る歌である。

物語で、有名だが、彼女の歌を読むことで、物語への、理解が、更に深まると思う。また、彼女自身が、感じていたものを、歌を読むことで、察することが、出来る。

最も、これ以上に、歌を作ったのであろうが、現存するものは、室町期以降のものである。
それらに、関しては、素人の私であるから、他を参考に。

私は、紫式部の歌にある、もののあわれ、というものを、見つめてゆく。

訳は、私の勝手な訳である。


はやうよりわらはともだちなりし人に、としごろへて行きあひたるが、ほのかにて、七月十日の程に月にきほひてかへりにければ

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし よはの月かな


幼い頃から、友達になった人に、年頃になって、逢うことができた。少しの時間だったので、顔も、よく見ることができなかった。七月十日の宵の月と、争うように、帰ってしまった。

折角、お逢いしたのに、あなたなのかどうかと、分からないうちに、お帰りになり、夜の月が、雲に隠れるように、心残りでした。

巡りあいと、月とは、深い関係がある。この関係を、縁語という。
素直な歌である。

雲隠れする、夜半の月のようにという、あたりに、ほのぼのとした、心情を感じる。


その人、とほき所へいくなりけり。秋の果つる日きて、あかつきに虫の声あはれなり

鳴きよわる まがきの虫も とめがたき 秋の別れや なしかるらむ

その人は、遠い親に任地に、行くのである。秋の終わる頃、まだ夜明け前の、暗いうちに。
虫の鳴き声が、あわれである。

力なく、鳴く虫の声も、遠くへ行く、あなたを、引き止められないのです。秋の終わりの、この時期です。私と同じく、悲しかったのでしょう。

虫の鳴き音と、私を、共感させている。
私の心を、虫の音が、代弁するのである。
これは、日本人に理解できる、心情である。

物に、心を、重ねて観るという、心である。

私の哀しみが、虫の音に、託される。
擬人法の、最初である。
つまり、虫の音に、私が同化する。

それは、虫の音に、思いを込めるともいう。
自然と、共生、共感して生きた、日本人ならではの、感覚である。
これが、もののあわれ、に結実する。


「筝の琴しばし」といひたりける人、「参り御手より得む」とある返り

露しげき よもぎが中の 虫の音を おぼろけにてや 人の尋ねむ

筝の琴を、借りたいという人が、参上して、手ほどきを受けたいと言う、その時に

露の多い、よもぎの中の、虫の音を、聞きに来る人がいるでしょうか。同じように、こんな私の所へ手習いに来たいというのは。

どうして、私の所などに、琴を習いたいと言って来るのでしょうか、という。
教えるほどの者ではないと、いう。
おぼろけ、にてや
朧である、つまり、どこにでもありそうな、虫の音を、わざわざ、聞くなんて、という、気持ち。いいかげんな気持ちということになるのか。
人の尋ねむ
わざわざ、尋ねてくる人がいるとは。
謙遜しているのである。

ふっと、思いついたような、気持ちが、歌になるという、時代である。

現代も、和歌や俳句を、作る、詠う人がいる。
そういう人は、いつも、題材を探して、色々なものに、心動かされる。
毎日が、新鮮であるはずだ。
心の中に、新たに生まれる風景を、楽しみにする。

心の中に、多くの、掛け替えの無い風景を、持つ人は、矢張り、心豊かな人といえる。
私も、旅先で、歌を詠む時は、実に楽しい。
ふっとした、感情の綾を、見逃さない。つまり、内省である。
静かに、我が心に、聴く時の、静けさがいい。

方違へにわたりたる人の、なまおぼおぼしきことありて帰りにけるつとめて、朝顔の花をやるとて

おぼつかな それかあらぬか あけぐれの そらおぼれする 朝顔の花

方違えというのは、凶の方位に行くために、その方位を吉に変えようと、一時的に、別の場所に一泊して、出掛ける行為を言う。
なおおぼおぼしきこと
何を言いたいのか分からないという意味。
そうして、帰って行った。
つとめて
朝早くである。
朝顔の花をやるとて
朝顔に、男の朝の顔を、掛けている。

よく解りません。それかあらぬか、とは、私と姉とに、色々と、話しかけて、つまり、色めいたことを、語りかけて、明け暮れとは、早朝である。そらおぼれ、とは、空とぼけた感じで、帰った、朝の顔が、朝顔のようで・・・
朝顔と、朝の顔である。
遊び心、十分である。

返し、手を見わかぬにやありけむ

いづれぞと 色わくほどに 朝顔の あるかなきかに なるぞわびしき

返しは、誰の筆跡か、解らないようである。
返歌が、贈られてきたのである。

いづれぞと
どちらの方から、贈られた花かと、考えているうちに、朝顔の花が、しおれてしまった。
なるぞわびしき
切ないことです。
色わく
筆跡を見分けるが、花の縁から、色わくという、思い。

筆跡を、見分けることを、色わく、といい、それを、花の縁に、掛けるという、余裕である。

なんとも、のんびりしていて、いいものだ。
まだまだ、物語への、道は遠い。
その、萌芽も見えないのである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 87

すぐれた歴史家は過去の発言を自分たちの基準で判定しないというのは決まり文句である。エブラハム・リンカーンは、ハクスリーと同じように時代の先を行っていたが、それでも、彼の人権問題に関する見方は私たちより後退した、人種差別主義者のもののように思われる。 ドーキンス

したがって、言わせてもらえば私は、白人と黒人の社会的・政治的平等をどんな形にせよ実現することに賛成ではないし、これまで賛成したこともない。黒人を有権者や陪審員にすることにも、公務員になる資格を与えることにも、白人との人種間結婚にも私は賛成しないし、賛成したこともない。そしてまた、さらに加えて言わせてもらうならば、白人と黒人のあいだには身体上の相違があり、そのゆえに、両人種が社会的・政治的平等の名のもとに一緒に生活する日などは永久に来るまいと私は信じている。そして、両者が平等な生活を送ることなどできないにもかかわらず一緒にとどまるのであれば、優劣の立場は存在せざるをえず、私はほかの誰にもまして、白人が授けられた優位な立場をもつことに賛成するものである。
リンカーン

奴隷解放をした、リンカーンであるが、驚くべき、差別を持っている。が、それが、時代精神である。

ゆえに、ドーキンスは

ハクスリーとリンカーンが現代に生まれて教育を受けたとすれば、自分たちのヴィクトリア朝的で慇懃無礼な物言いに、ほかの誰よりも真っ先に身の縮む思いをするのは彼ら自身だっただろう。私がこれらの文章を引用したのはひとえに、時代精神がいかに移ろいいくものかを示したかったからにほかならない。
と、言う。

ワシントン、ジェファーソンその他の啓蒙主義的な人々が奴隷制を支持していたことは、もちろんよく知られてる。時代精神は移ろい、それはあまりにも容赦ないものであるため、私たちはときにそれを自明のこととみなし、その変化自体が現実の現象であることを忘れてしまう。
ドーキンス

時代精神という物の見方により、実に、明晰に見えるものがある。
そして、この時代精神というものを、持つことで、歴史を、より理解できるのである。

その、時代精神であったから、と、納得する事柄が、多い。
しかし、宗教における、時代精神というものを、考えれば、それには、全く、関知しない。

時代精神も何も、棚上げするか、無視して、今でも、700年前の、鎌倉仏教などを、奉じているという、形相である。

歴史があるというのと、伝統があるというのとは、別物である。

芸術活動も、時代精神に支えられてあるから、市川猿之助などの、新歌舞伎が、今では、当然のように、受け入れられている。
当時は、飛ぶ猿と、揶揄された、市川猿之助は、歌舞伎の古色蒼然とした世界に、新しい息吹をもたらした。
更に、世襲制を廃して、才能ある、若者を起用するという、新しい歌舞伎役者の、養成も画期的だった。

このように、何一つを、とっても、時代精神というものを、理解しなければ、解らないものが多い。

当時、限られた者の、仏教というものを、一般市民にまで、疑いを持っても念仏すれば、救われると、説いた、法然は、時代精神の、典型である。
その活動は、画期的なものだった。
鎌倉仏教の、幕開けをしたのは、実に、法然である。

僧兵を抱える比叡山や、高野山、そして、南都六宗の、既成仏教に対して、仰天するような、専修念仏を唱えた法然は、実に、時代精神の、最もたるものだった。

誰もが、その説教を聞くことが、出来た。
遊女も来た。武士も来た。更に、既成仏教に、疑問を持つ者も、集った。

いよいよ、大衆に、仏教が布教される、幕が開いたのである。

しかし、それを、今現代に、通用するかといえば、無理である。
時代精神が、移ろうものであるということに、気付くべきである。
その、時代ゆえに、必要であったものが、今も、必要であるとは、ならない。

「もろもろの知者たちの、沙汰し申さるる観念の念にも非ず、また学問をして、念の心をさとりて申す念仏にもあらず」一枚起請文 法然

無知文盲の人々に、その人々が思いつめた、生死の心に、語り掛けたという、法然の布教は、実に、時代精神である。

結果、既成の仏教団体の、有り様を否定するというまでに、高まった。当然、迫害が起こる。

しかし、今、法然を見つめれば、弥陀の本願という、無明に、迷ったものであり、心を深めて、更に心を見つめるという意味では、為るほどの、価値はあるが、それは、それで、終わった。

私が、法然を評価出来る事は、開祖にあるべき、自筆の書き物を、残さなかったこと。
そして、当時の、常識であった、加持祈祷、呪術、巫女や、行者や、修験道などの、病気治療や、現世利益的祈願を、排斥したことである。
迷信、宗教的習慣に、重きを置かない、一筋に、心の問題を、取り扱ったことにある。

信仰が、純化されたという、批評家もいる。

さて、それでは、現代の、浄土宗は、いかがであるのか。
伝統というものに、堕落した。
伝統とは、この場合は、言わないが、歴史が長いということでの、伝統という。

伝統とは、万葉集に象徴されるように、国民の、宝であり、なお、それが、今も、息吹をもっているということである。
古いが、いつも、新しいものである。

伝統に、堕落するというのは、その、教義という、教えに、単に無批判にして、唯々諾々として、既得権益をのみ、守るということをいう。

徳川家の菩提寺などということは、良い。
ただ、それは法然の、思想であり、宗教ではない、それが、色褪せているということである。

このことについては、いずれ、書くことにする。
時代精神ということについて、更に、ドーキンスと、進めてゆく。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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