2008年06月14日

タイ旅日記 14 平成20年6月

バンコク、スクンウィットは、人種の坩堝と言われる。

私たちは、深夜を過ぎて、その街に到着した。


やはり、タクシーは、公的機関の乗り場でも、ボルのである。

結局、高速料金と、手数料という、名目で、500バーツほど、払った。

だが、声を掛けてくる、タクシーの勧誘では、これが、倍の1000バーツ以上になる。


帰りのタクシーは、メーターで、180バーツほどだった。

それでも、タクシー運転手に、声を掛けて、ハウマッチとか、タオライカップと、尋ねるのである。

野中が、もう、交渉に疲れて、私がした。


ゲストハウスは、一泊600バーツである。明日の、夜12時までだと、二日分になると言われて、とりあえず、一日分を払った。


チェンマイで、買った、パンと、水を飲んで寝た。

もう、どこにも、出掛ける気力は無い。


どうして、ここに来たか。

それは、格安航空券と、時間待ちのためである。

そして、この喧騒を、もう一度だった。


イスラム圏の人々、インドや、アフリカの人々、よく解らない人々を見るためである。


至る国の料理もある。

私が好きなのは、インドカレーの店である。

一人で頼んで、とんでもない量を出されて、驚いたが。


朝、私たちは、路地のタイ人向けの、出店に行き、お粥を食べた。

私は、エビ、野中は、魚である。

丁度よい量であり、朝の食事にぴったりである。


向かいの、出店の、オレンジジュースを買って、お粥の出来上がりを、待った。

オレンジジュースは、搾り立てである。

甘くて、美味しい。


さて、私たちの、お粥が出た。

箸もつけてくれたが、スプーンで食べる。


日本人とは解らないかと思いきや、解るのである。

隣の店のおじさんが、豚足の揚げたものを、見せて、どうだと言う。

朝から、豚足は、無理だし、私は、食べられない。

笑顔で、断る。


一杯、40バーツ、約130円程度である。

そのまま、水を買い、ホテルに戻った。


野中は、自分の取材のために、出掛ける。

私は、夜の12時まで、何をするかを、考える。


まず、199バーツの、フットマッサージをすることにする。

その辺りで、一番安い店である。

しかし、他の店も、覗いて、料金と、内容を確かめる。

前回、イサーンから来た、女の子にしてもらって、上手だったので、矢張り、安い店に行くことにした。


その子は、いなかった。辞めたのか、店を変わったのか、尋ねる言葉が、出ない。

新しい、女の子が、ついた。

何処の出身と、尋ねると、ノーンカーイという。イサーンではないか。矢張り、出稼ぎである。家族は、皆、ノーンカーイにいるという。


フットマッサージである。

巧い。

一時間コースであり、私は、昼ごはんを食べた後、その子に、タイマッサージをしてもらおうと思った。


少し、ぶっきらぼーであるが、巧いので、いい。

英語は、少し、日本語は、全然解らない。それが、いい。私の英語が、通じるのである。


帰りに、また、昼過ぎに、来ると言っうと、オッケーと答えた。

次は、タイマッサージでと言う。


一度、ゲストハウスに戻り、足を洗って、すぐに、インド料理の店に出掛けた。


店の前のケースに入っている、カレーを指差して、チキンカレーと、野菜カレーを選んだ。そして、ご飯である。


ありがとう、を繰り返す、ボーイが、相手をしてくれた。ただし、ありがとうが、喧しい。それに、イントネーションが、変なのだ。


テーブルの上にある、水のボトルから、勝手に水をコップに、注いで飲んだ。

中々、持ってこない。

漸く、カレーが運ばれて、驚いた。

二人分もあるものが、二皿である。そして、大盛りのご飯。

見るだけで、胸が、一杯になる。


まず、チキンカレーから、手を付けた。

旨い。

そして、野菜カレーである。

辛くて、旨い。

ご飯と、交互に食べる。

しかし、量が減らない。


ついに、食べるのを諦めて、持って行くことにした。

テイクアウトだったか・・・と、思いつつ、一人のボーイに声を掛けて、小さな声で、テイクアウトと言った。

ボーイが頷いて、カレーの皿を持った。

ご飯もと、私が言う。


ボーイは、それを、小さなビニール袋に詰め始めた。

その時である。

最初のボーイが、そのボーイと、何か言い合った。

私のカレーのことかと思いつつ、見ていると、別なことらしい。


二人の争う声が、響いた。

一人の、タイ人の、ボーイが、中に割ってはいる。

今にも、殴り合いになりそうなのである。

皆、汗を流して、仕事をしている。

忙しいのだ。


私のカレーを持っていったボーイが、私を見て、精一杯の、笑顔である。

その顛末を見ていたので、私は、笑顔が作れない。


清算する時も、そのボーイを呼んだ。

そして、その時、彼に、チップを渡そうと思った。


170バーツである。

おつりの出ないようにと、財布を確認しつつ、チップの額を考える。

えーと、彼が、私の紙幣を、決めてくれた。

そして、受け取り、去ろうとしたので、私は、20バーツ三枚を出して、チップと、言った。彼は、スッとそれを、受け取った。

スマートである。

これで、少しは、気が収まればいいと思った。


全部で、230バーツ、約800円程度である。


それから、一時間ほど、ベッドで、休んだ。

夜の飛行機だと思うと、眠ることが出来ない。飛行機で、眠らなければと思うのだ。

少し、うとうとした。


時計を見ると、三時である。

再度、マッサージ店に行く。

歩いて、3分程度の路地である。


先ほどの女の子がいた。

笑顔がないのは、イサーンの人の特徴である。

客は、誰もいない。私だけである。

奥のブースに案内された。

普通は、着替えを渡されるが、私は、そのままが、マッサージの姿である。

そのまま、そこに寝ろという感じである。


マットに、寝ていると、女の子が来た。

足から始める。

タイマッサージの特徴は、足である。徹底的に足を揉む。

足が楽になると、体も楽になる。

力も強い。満足である。

これなら、オイルマッサージでも良かったと、思う。


次に来た時、オイルマッサージをすると言うと、彼女は、そけっなくオッケーと答えた。

普通なら、いつ来るのとか、何とかかんとか言うが、無愛想である。

しかし、それが、また、いい。


一時間を終えて、料金を払う。

またね、と言うが、ウンと頷くのみ。

本当に、また、来てやろうと、思った。

外に出ると、酷い音である。


スコールだ。


見る見る街の中が、水で溢れる。

傘も無く、さて、どうするか。

目の前の、インターネットカフェに入ることにした。そこで、雨宿りである。


約、30分ほど、自分のホームページを見ていたが、雨が止まない。

しょうがなく、料金を払い、外に出た。

走るしかない。

私は、軒先を走って、ゲストハウスに戻った。

それでも、びしょびしょに、濡れた。


すぐに、服を脱ぎ、シャワーを浴びて、窓から外を見た。

水かさが増して、街中は、水で溢れている。

水を漕ぐように、人が歩く。


私は、そのまま、ベッドで眠った。

野中が帰る、夜の九時まで、寝ていた。


いよいよ、帰り支度である。


野中は、スコールで、足止めされて、遅くなったという。

二人とも、疲れのせいか、口数少なく、帰る準備をした。



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2008年06月15日

もののあわれ215

文散らしけりと聞きて、「ありし文ども取り集めておこせずは、返り事書かし」と、言葉にてのみいひやりたれば、みなおこすとて、いみじく怨じたりければ、正月十日ばかりのことなりけり

閉ぢたりし 上の薄氷 解けながら さは絶えねとや 山の下水

私の文を、人に見せたというので、「すべての、文を返してください」といった。使いの者に、口上で述べさせると、皆返すとは、絶交なのだと、怨む言葉を言う、正月十日あたりの頃

氷で、閉ざされていた、谷川の薄氷が、解けるように、打ち解けましたのに、山川の流れが、絶えるように、これで、仲が切れればいいと、言うのですね。

解けながら、とは、結婚した仲であろうと、想像する。
そんな中で、手紙を人に見せたことに、返してとは、言うが、絶交するということではないと、夫の怒りを、なだめるという、少し、複雑な心境である。

彼女の、文が、名文なのだろう。きっと、自慢したかったのかもしれないと、憶測するが。

夫婦で、文を交換するという、関係である。
当時の、結婚観を見る。

すかされて、いと暗うなりたるに、おこせたる

東風に 解くるばかりを 底見せる 石間の水は 絶えば絶えなむ
こちかぜに とくるばかりを そこみせる いしまのみずは たえばたえなむ

すかされて
私の歌になだめられて、大変暗くなってから、歌を贈られた

春の東風に、解けた仲なのに、底の見える浅い石間の流れのように、浅い心のお前との仲が、切れるなら切れるがいい。

東風に解ける
礼記による。正月になると、東風によって、氷が解けるとされた。

石間の水
石と石の間を、流れる水。

男の方が、強い口調である。


「今は物も聞こえじ」と、腹立ちければ、笑ひて、返し

言ひ絶えば さこそは絶えめ なにかその みはらの池を つつみしもせむ

お前には、もう、何も言うまい、と、腹を立てているのを、笑い、返す

もう、文も出さないと、おっしゃるなら、そのように。
どうして、あなたの、腹立ちに、遠慮などするものですか。

今度は、こちらも、強気である。
笑ひて、とは、余裕がある。

みはらの池
腹と、はらを、掛けた。

つつみ、とは、池の堤を、掛けたのである。
遠慮することを言う。

夜中ばかりに、また

たけからぬ 人かずなみは わきかへり みはらの池に 立てどかひなし

夜中に、また、返事かきた。

立派でもなく、人かずの身分でもないが、腹の中では、波が沸き返るように、腹がたつ。
しかし、立てどかひなし、お前には、勝てない。


しかし、喧嘩ばかりしているのではない。
次の歌は、仲睦まじいものである。
桜を瓶に立てて見るに、とりもあへず散りければ、桃の花を見やりて

折りて見れば 近まさりせよ 桃の花 思ひぐまなさ 桜惜しまじ

桜を、瓶に挿して、見るが、散ってしまい、次に、桃の花を挿して見る

折って近くで見ていれば、見優りしておくれ、桃の花。散った、桜に未練はありません。


返し

ももといふ 名もあるものを 時の間に 散る桜には 思ひおとさじ

返しには

桃は、百、百年という名をもっている。いくら桜でも、すぐに散るような花。
桜に思いをかけないほうが、いい。

結婚、間もない頃の、やり取りである。

最初の歌は、作者が、桃に、桜を、夫の関係した、女性を言うのであろう。
妻なら、一層良く見える妻でありたい。
人の気持ちを、考えない女など、未練を持たないでしょう、という。
なんとも、微笑ましい。

思ひまぐなき 桜惜しまじ
私の気持ちも、思わず、散ってしまう桜に、未練はない。
つまり、夫に、他の女のことを、未練に思うなと、問い掛けている。

女心である。

夫は、
散る桜には 思ひおとさじ
と、言わせた。
いくら、桜といえど、散ってしまう花より、見落とすことはないよ、桃の花に、ということになり、桃の花は、彼女のことである。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 94

私はここで、大体私の立場を述べておく方がよいであろう。今までの著者と違う点が幾つか見いだせると思うからである。私はこれから南無阿弥陀仏の意味を述べるのであるから、必然この六字の念仏に立つもろもろの宗派について記さねばならない。これらのものを総称して念仏宗とか、あるいは浄土門とか呼びならわしている。
それ故私はこの一篇で、仏教の多くの流れのうちから浄土門、即ち念仏による浄土往生を説く宗門について語るのである。・・・・・そこでどうしても法然、親鸞、一遍の三祖師のことが重要な題材となってくる。それに浄土門の最も徹底した思索がこれらの人々によって成されたのであるから、どうあってもこの三大上人のことを差し置くわけにはゆかぬ。そうしてこのことは必然的に、法然によって建てられた浄土宗、親鸞によって築かれた真宗、一遍によって始められた時宗のことを述べることになる。この三宗こそは、日本における念仏門を最もよく代表する。
柳宗悦

しかし、柳は、それいずれもに、属する者ではない。
それらの、宗派を引き離して考えたくない立場であると、言う。
解説、手引きとしては、常に客観的と、いってよい。

信者というのは、愚かであるから、浄土宗の信者は、真宗より、こちらが上とか、真宗信者は、浄土宗を超えたものであるとか、色々と、アホなことを言うのである。

宗教の、アホさは、同じ経典を、戴いても、派閥が違うと、実に、反目する。
それでいて、宗教者会議とか、世界宗教者云々といって、会議を、開き、嘘八百の、平和的云々の声明を出すという、茶番である。

それは、すべての宗教に言える。
実に、救われない者こそ、宗教であると、私は言う。

三人の、始祖の中で、一番、真っ当な感覚は、「我が化導は一期ばかりぞ」と言った、一遍である。

この時のみの、化導であると、言い切る心意気は、正に、見事である。
現在の時宗は、ほとんど、無いに等しい。
柳も、一遍により、日本浄土門の結末があるという。

一遍は、捨て聖、すてひじり、である。
実に、真っ当な、求道者であった。
たった一人の教えこそ、宗教という、極めて個人的な情緒の産物であり、それを、そのままに、行為するのが、宗教家の、面目である。
また、信者もそうである。
そこには、絶対孤独の境地がある。
私が、唯一、納得するのは、そこである。

法然という礎の上に、親鸞の柱、一遍の棟が建てられているので、法然なくして親鸞も一遍もなく、また親鸞、一遍なくして法然もその存在の意味が弱まる。一人格が法然より進み、親鸞より一遍へと移るのは、時代的展開であり、内的推移である。それ故法然は彼自らを親鸞に熟さしめ、更に一遍に高めしめたといってよい。三者はこれを異なる三者に分かつことが出来ぬ。
柳宗悦

さて、浄土門の、別名は、他力信仰である。
他力があれば、自力がある。

日本の仏教は、この、二つの道で、実に反目し、議論を尽くしたが、私に言わせれば、同じものである。
行き着くところは、同じ場所である。
その場所は、誇大妄想という、場所である。

無いものを、在ると、信じるのである。
妄想以外の何物でもない。
だが、それを、否定しない。
時代性と、時代精神による。

法然の、選択本願念仏集を、読むと、彼が、実に、お勉強したことが、解る。
三十年間を、学びに尽くした。
法然は、鎌倉時代の人と、いわれるが、鎌倉幕府が成立した時、法然は、六十歳である。
平安末期の人であった。
平安期とは、言わずと知れた、阿弥陀信仰の盛んな時期である。

だが、平安期の、阿弥陀信仰は、貴族や、その女房たちの、アクセサリーのようなものであった。
更に、抑鬱気味の時代である。
その、不安感を、鎮めるものとしての、阿弥陀信仰である。

法然は、その、偏狭だった、阿弥陀信仰を、一般に開放したと言ってよい。
更に、我が身のことである。

ここで、法然、親鸞共に、自虐的性格であることを言う。
つまり、末法という時代にある我と、戒定恵という、僧侶としての、器ではないという、自覚。
簡単に言う。
私は、駄目人間だという自覚。
親鸞にいたっては、どうしても、セックスがしたいと、その欲望を、抑えられないのだという、自虐が、こんな者でも、救われるという、念仏の教え、浄土門の教え、法然の教えに、ただ、任せるのだという、徹底した諦め。それを、後で人は、他力の甚深なる教えと、称えるのである。

一人で、やっているうちは、良かったが、それを、人に説くなと、言う。
ところが、親鸞は、それを、人に説いた。そして、信者まで、現れた。
そして、言うことが、親鸞は、弟子一人も持たない。皆、同行者だと言う。
それも、思索の深さとして、理解されている。

どうして、女を、二三人引き連れて、山に籠もり、セックス三昧の、日々を過ごさなかったのか。どうして、浄土宗から、さらに、浄土真宗という、教団にまで、いったのか。
ちなみに、最初は、浄土新宗であった。
お解りか、新である。つまり、新しいと、つけて、呼んだのである。
後に、真と、直した。

ここに、親鸞の迷いがある。
自虐趣味の、告白本、歎異抄は、文学的価値の、実に、高いものであるが、それは、弟子の唯円の筆である。

その子孫の、蓮如も、セックス好きで、多くの女に多くの子を産ませた。そして、浄土真宗という、教団を、強固なものとしたのである。
時の、為政者と、渡り合うような行動も取るという、宗教家というか、政治家でもあった。
彼の著作も、文学的価値の高いものであるが、果たして、宗教という、情緒にあるものか、疑問である。
真宗王国を、作らんとした、野心は、どこからのものか。

島崎藤村も、自らの罪深いことに、嘆き、破壊という、小説を書いた。
しかし、彼らは、自らの罪深いことに、嘆き、宗教を、作ったのである。
この、様を、迷いと、言わず、何と言うのか。

そして、その迷いを、多くの人に、共用させた。

知らないことを知るということは、知識である。
宗教の教えは、知識を、出ることはない。それを、知恵、更に、仏の知恵、涅槃の境地などと、アホなことを言うのである。

要するに、人間を、何故か、超えたところにあるような、物言いをするのである。
それが、彼らの手なのである。
いつまでも、信徒を、縛り付けて、搾取するという、手である。

勿論、彼らも、涅槃の境地、仏の知恵などという、境地など、知らない。知るはずがない。知るというならば、妄想である。
何故なら、そんなものは、無いからである。
空の思想ではない。
無いものなのである。

それを、追々書いてゆく。

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タイ旅日記 15 平成20年6月

今回の旅の、顛末も、これで終わる。


夜中の一時過ぎに、空港に着いた。

まだ、チェックインまで三時間ある。一階の、ロビーに降りた。


24時間体制の空港である。

煌々と明かりが、眩しい、空港内である。


野中は、疲れで、ベンチで寝ていた。

私は、一階に出来た、空港で働く人たちの、食堂に入った。

色々な店がある。屋台である。


まず、入り口で、チケットを買う。しかし、幾ら買えばいいのか、解らないので、店を見に回る。

麺類を選んで、その料金を見る。

45バーツの、ラーメンに似たものにした。

入り口に戻り、45バーツのチケットを買う。それを持って、店に行き、チケットを出して、丼を指差した。


女の店員は、すぐに、目の前で作ってくれる。

それを、持って席を探した。

深夜であるが、結構な人がいる。


味は、薄い。要するに、自分好みの味にして食べるように、調味料が、置かれてある。

しかし、私は、そのまま、食べた。

日本のラーメンの半分の量である。


食べ終わり、そのまま、外に出て、タバコをふかした。

今度は、あの、若者はいない。


野中の所に戻り、私も、椅子に横になった。

少しうとうとするが、眠られるものではない。

何度も、トイレに立った。そして、何度も、タバコを吸うために、外に出た。


警備員、職員の人と、何度も顔を遭わせているちに、挨拶するようになった。

これで、言葉が出来れば、もっと、コミニケーションが取れるのにと、思いつつ、タイ語は、難しいと、諦める。


一度は、挑戦したが、兎に角、頭が悪いので、覚えられない。暮らすと、覚えると、言い聞かせて、いずれ、暮らしてやると、思う。


3:30、掲示板を見ると、チェックインが、開始された。

私は、野中を起こして、荷物をカートに入れて、いざ、と、エレベーターに向かった。

四階が、出発ロビーである。


すでに、他のお客さんが、並んでいた。

アメリカの飛行機会社は、検査が、厳しい。

いつもと、同じことを、尋ねられる。


荷物を預けて、出国手続きをする。

そして、搭乗口に向かう。


時間があるので、アイスクリームを食べることにした。

矢張り、館内は、森閑としている。

いつもの、店に立ち寄る。

いつもの、アイスクリームを注文する。


そこで、少し時間を潰す。

それじゃあ、行くかと、立ち上がり、向かいに出来た、新しい店を見て、アラ、アイスクリームの値段、こっちが、安いよと、大声で、言う。

これ、おばんさん化である。


今度は、こっちにしようと、野中に言いつつ、歩く。


再び、手荷物検査である。

搭乗口に入る前に、再度、検査がある。

そして、更に、搭乗口の部屋に入る前に、もう一度、検査である。

だんだんと、苛立ってくる。


何度、みせりゃあいいんだと、怒鳴りたくなるのを、我慢する。


液体物云々である。

アメリカの会社は、実に、丁寧に調べる。

中には、鞄の中を、すべて曝け出して見せている人もいる。


実は、来る時、係官に、鞄の中に液体物は、ありますかと、尋ねられて、あるかもしれないし、無いかもしれないと、言った。

出して下さいと、言うので、どこにあるか、解らないと言うと、見せてくださいと、言う。

鞄を開けて、少し、洗顔用具の液体を出す。

これだけですか。

袋に入れてください。

無い。

すると、係官は、袋を持って来た。


悪いと、思いつつ、時間を引き延ばした。

しかし、さずかに、引き下がらない。

結局、液体物は、それだけである。


野中が、それを見ていて、もう、機内に持ち込まないで、預ける荷物に入れてよー、と言う。


そうすることにした。


私の好きな、ガルーダーインドネシアは、アメリカから、危ない会社に指定されていた。

だが、私は、検査が少なくて、大好きなのだ。

落ちたら、死ぬだけでしょう。

テロに遭って、落ちる。いいねー、そんな風に、死にたいよー


また、その評判があるのか、客が少ない。

それで、私は、座席を占領して、ぐっすり、眠られるのだ。


機内に入り、扉が閉まるのを、待つ。

出発準備が整いました。という、アナウンスを聞くと、すぐに、周囲を見渡し、開いている座席を探す。

四席空いていると、すぐに、そちらに移る。

そうすると、体を横にして、眠られる。


今回も、空いていた。

すぐに移り、席を確保して、安心である。


矢張り、食事の時以外は、眠っていた。

飛行機の、揺れが、眠りを誘う。


10年ほど、飛行機に乗られない時期があった。

パニック障害である。

これには、色々と説明がいるが、省略する。


入国を済ませて、荷物を引き取ると、すぐに、バスのチケットを買う。

15分ごとの、バスであるから、便利である。

それで、横浜に到着して、旅が終わる。


二週間後は、オーストラリアである。

そして、それが、終わると、10月後半まで、日本にいる。


10月後半は、再び、タイに、10日間の、旅をする。

次は、ゴールデントライアングルの、追悼慰霊をする。そして、ビルマのタチレクに入り、再び、追悼慰霊をして、子供服支援をする。


ただ、小西さんから、子供たちに、お金を上げることは、止めた方がいいと、言われた。それは、背後に、大人がいるということである。

ストリートチルドレンを使い、金を集める者もいるのである。


物乞いする、彼らに、商売を教えようと思ったが、浅はかだった。


物資が、一番である。それも、彼らが着る物である。

さらに、沢山上げても、大人に取られることもあるという。


支援というのは、大変なことである。


その背景にあるものを、把握して、考えてやらなければ、ならない。


またまた、勉強になった、旅である。

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2008年06月16日

神仏は妄想である 96

自力、他力の二道は、互いに異なることに意味はあるが、異なったままに一つに即することに、更にその威儀がありはしまいか。もし一つに即することがなくば、二つの道は中途に止まっているものとして、厳しく批判されてよい。私は何も自他二道が始めから同一だと主張するのではなく、異なることによってかえって一つに即する所以に、驚嘆を覚えるのである。
柳宗悦

自力、他力という観念は、どこからきたのか。
中国思想である。インド大乗思想では、まだ、未分化であり、まして、仏陀の教えに、自力も他力も無い。言えば、そんな観念は無い。
仏陀は、人は行為によって、成るものに成るという。仏になりたければ、仏として生きればよい。ただ、それだけである。

例えば、禅宗は、座禅によって、悟りを求める。
自力である。

他力は、弥陀の本願を信じて、ただ、信心による。
後で、弥陀の本願というものを、見る。

両者は、結果的に、同じところに行き着くものだという。

むしろ一つに即するための分化だと見るべきであろう。男女が分かれるのは、分かれたそのままがよいということではない。一つたるがための差異なのである。分化することに目的はない。まして対立し反抗するということに、意味があるのではない。分化することで結合があり、結合し得るのは分化があるからだといえるのであろう。一方を肯定することで他方を否定すべきではなく、お互いが相即されるために差異が要請されているのである。
浄土門に絶大な意義があるのは、その要請のためだといわねばならぬ。
柳宗悦

押しても駄目なら、引いてみな、である。
要するに、同じ穴の狢である。

柳氏の、文を、茶化すのではない。
その通りである。
仏教においては。

客観的に、見れば、自力も他力も、同じものである。
要するに、仏になるとか、悟るとか、往生するとか、救われるとか、と、いうことのためにである。
同じであろう。

いずれにしても、目的は、同じである。
どちらにせよ、性格であろうし、方法であろう。

問題は、それ以前のことである。

柳宗悦氏は、実に、有意義な活動をしている。
民芸品の、価値の再確認である。
それを、浄土門の、教えから、説いているのである。
それも、一つの価値付けといえる。

だが、
平凡な常識ではあるが、ひとわたり事実を語ってゆこう。日本の文化史の中で何が最も高い位を占めるか。何としても偉く深いのは、幾人かの仏徒たちの行跡である。仏教が培った高僧たちの言葉や行為である。あるいはまた妙好人の如き篤い信者たちの一生である。「妙好」とは白蓮華の意で浄い心を意味する。見渡しても彼ら以上の日本の姿は見えぬ。それらの人々のことを想うと、仏教がどんなに深いものであるか、または人間がどれだけの高さまで行き着けるものなのかが分かる。実にそれらの僧侶や信徒たちが現れたばかりに、日本の文化には千鈞の重みが加わる。もしそれらの人々がいなかったら、日本は何を中外に誇り得るであろう。
柳宗悦

上記、実に、認識不足である。
彼ら以上の日本は見えぬ。
日本は何を中外に誇り得るであろう。
何という、誤りか。

それでは、あの、シルクロードに、伝わった仏教が、何故、イスラムに取って代わられたのか。
仏教ではなく、日本人だから、仏教を生かせた、また、応用して、更に、精神的に高いものに、仕立てたのである。

仏教によると、思い込むのは、柳氏の自由であるが、全く違う。

更に、彼ら以上の日本は見えぬというのは、本人が見えないだけで、見ていないのである。

私には、万葉の時代の、素晴らしい日本人が見える。
更に、舒明天皇から、庶民に至る面々に、脱帽するのである。

さらに、
日本に仏教が伝わらなかったら、日本は精神的にどれだけの深みを持ち得たであろう。

仏教の前にはまだ薄い淡い影に過ぎまい。

と言う。

精神的深みを、どのように定義しているのか、解らない。
また、薄い淡い影とは、何か。

私の言葉で、言えば、万葉の精神の深みを、知ってのことかと、言う。
そして、薄い淡い影とは、たゆたう心、曖昧微妙な心である。これは、日本人の最大の特徴であり、精神の格調の高さである。

微妙繊細な、心が、もののあわれ、という、心象風景を、描いたのである。

柳氏は、仏教に関わる僧たちの、文学的著述に、没頭しているに過ぎないのである。

勿論、柳氏が、それを、精神的高さと、評価するのは、否定しないが、日本を、知らないと言える。

最も、勘違いしているのは、仏教によるのではなく、それが、日本人によった、からである。

仏教文学を、これだけ、高みに押し上げたのは、日本人だけである。

極めつけは、
わが民族に無限の自信を贈るのは、吾吾の歴史にそれらの人々の足跡を持つからである。
と言う。

私は言う。
我々の民族に無限の自信を贈るのは、万葉集や、源氏物語における、更に、和歌の歌道における、人間の道であると。

決して、人間を、超越したような、化け物を、置かなかったことである。

仏教、更に、それ以前の、インドバラモン等々のように、人間を超えたモノ、化け物を、主に、拝まず、崇めず、呪術を行わず、自然に、共生し、共存し、更に、自然を、カミの依り代、よりしろ、として、自然を、畏敬した心情である。

そこには、何も、超越したモノは無かった。
決して、自然を、超えるという、傲慢な思想はなかったのである。

文字に迷うのが、宗教である。
更に、言葉に迷うのが、宗教である。

南無阿弥陀仏という、六文字というが、なむあみだぶつ、とは、音では、七つである。

日本には、一音に意味があり、ウーと、唱えれば、呼び出しの音霊であり、オーと、唱えれば、送り出しの、音霊となった。

文字の観念に、陥らなかった、民族である。

文字の羅列を、尊ぶのは、構わないが、それで、日本に、深い精神の云々が無いとは、無知である。

最初に、柳氏も、言う。
教学の言葉の、羅列で、得意になる、学者、僧の面々を。

仏教の堕落の甚だしさは、文字による、言葉による。

不立文字という、言葉に出来ない教えとして言う、禅宗さえ、溢れる程の、言葉を使う。
徹底して、言葉遊びをするのである。

それが、精神の深さというものか。
いずれ、禅宗にも、触れるが、最も堕落したのは、禅宗である。
仏陀の、教えを、言葉遊びに始終させたのである。
一本の草木を、育てることもせずに、座禅して、言葉遊びをして、のうのうと、生きていたのである。
働くことも、せずに、信徒から、布施を貰い、乞食を名乗ることなく、悟り済ましているという、傲慢極まりない、その、生き様は、唾棄すべきものである。

その修業というもの、農民や、漁民に生き方に、比べれば、天と地の差がある。
もし、極楽という世界があるならば、勿論、無いのだが、極楽行きは、間違いなく、農民、漁民である。

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もののあわれ216

花の散るころ、梨の花といふも桜も、夕暮れの風の騒ぎに、いづれと見えぬ色なるを

花といはば いづれかにほひ なしと見む 散りかふ色の ことならなくに

花の散る頃、梨の花か、桜の花か、解らぬような花が、夕暮れの風によって、さらに、どちらかと、区別がつかない。

桜も、梨の花も、花である。美しくない梨の花と、見るものだろうか。風に散り乱れる花の色は、違わない。

いづれかにほひ
にほひ、とは、美しさを言う。
匂いという言葉は、香りとされるが、それ以前は、姿の美しさを言う。
紅匂う、くれないにおう、などというのは、紅のように、美しいということになる。

なし
無しに、梨をかけた。

遠き所へ行きし人の亡くなりにけるを、親はらからなど帰り来て、悲しきこと言ひたるに

いづかたの 雲路と聞かば 尋ねまし つらはなれたる 雁がゆくへを

人の死を悲しむ、歌である。
親兄弟と共に、遠い所へ行った人。つまり、姉妹の約束をした友人のことである。
親、同胞、はらから、が、帰りて、哀しみを言う。

どちらの、雲路だったと、聞いたら、探しに行くのですが。
親子の列から、離れた、あの雁の行くへを。

雲路
雲の中にある、道である。
そんな道は無いが、あると、想定する。
死者の行くへを、雲路にあると思う心が、懐かしい。

群れして、飛ぶ雁の姿に、亡くなった人を、列から、離れた雁と、なぞらえている。

亡き人は、いづかたへ、行くのだろうか。
死別の哀しみは、また、悲しいものである。

去年の夏より薄鈍着たる人に、女院かくれたまへるまたの春、いたう霞みたる夕暮れに、人のさしおかせたる

雲の上の もの思ふ春は 墨染に 霞む空さえ あはれなるかな

昨年の夏から、薄墨色の喪服を着ていた人、つまり、作者である。
夫、宣孝を亡くし、喪に服していたのだ。
その年の、春、東三条院詔子が亡くなった。
その日は、大変、霞のかかった夕暮れだった。
ある人が、使者に、持たせて来た、歌である。

帝が、喪に服して、哀しみにくれるこの春の、夕暮れは、喪服の色に、霞んで、空まで哀しみに、感じられる。

お悔やみの歌である。

あはれなるかな
どうしょうもない、言い表しえない気持ちを言う。
あはれ、は、心境の極地である。

喜怒哀楽の、すべての、極地を、あはれ、という。

結婚、三年を過ぎて、夫を、亡くしたのである。まだ、作者は、三十五前後であろう。幼い子、一人を残している。
源氏物語が、いよいよ、書き始められる時期である。
夫を、亡くした哀しみ、憂き世の思想である。
この世は、住みづらい、憂き世なのであるという確信。

なんとも、救い難い心境の中で、物語への、着想が、進んだと思える。
998年に結婚し、1001年に、夫と死別、そして、1005年、中宮彰子の所へ、出仕することになる。
これは、物語の作者として、認められたからだと、言われる。

物語は、女の慰みものとされた時代である。しかし、源氏物語は、男にも、読まれた。
それは、画期的なことであった。

上記の歌の
返しに

なにかこの ほどなき袖を ぬらすらむ 霞の衣 なべて着る世に

取るに足らない、私のような者が、夫の死に、哀しみ暮れているでしょうか。
国中の人が、喪服を着ている時です。

ほどなき袖
狭い袖の意味だが、この場合は、自分の哀しみを、謙遜して言う。
霞の衣
喪服のこと。

源氏物語の中でも、霞の衣を、喪服の意味に用いている。

帝の喪に、事寄せた、お見舞いの歌であるから、非常に、身を低くして、答えた歌になっている。

当時、帝は、仰ぐお方である。
その、お方の喪と、自分の喪とは、別物である。

なにかこの ほどなき袖を
このような、身分の者の、袖の涙など、帝の涙に比べたら、ということになる。

それは、当時の礼儀作法である。

自分の哀しみを、それによって、突き放すことが出来た。
しかし、悲嘆に暮れる心は、彼女に、物語への、情熱を生む。
この世は、住みにくい所という意識は、憂き世の意識である。以後、彼女は、この、憂き世の思いと共に、生きることになる。
書くことで、救いを得ようとするのか。

歌ではなく、散文という形に、彼女が、目覚めたところのものを、見つめてみたい。
それが、いつしか、もののあわれ、というものに、向かっていた。
歌道にあるところの、もののあわれ、というものを、物語という形で、見つめ直すのである。

散文作家ならば、一度は、源氏物語というものの、有様を、考えるという、物語を書くのである。
そして、それは、更に、世界の小説の最初であった。

更に、驚くべきことは、未完なのである。
結末が無い物語である。
それ、文学の原点ではないか。

つまり、書き切れなかったのである。
何をか。
もののあわれ、というものを、である。

いつまでも、その姿を、求め続けてゆくものであることを、源氏物語は、伝える。

つまり、もののあわれ、というものは、完成したものではなく、いつも、いつも、書き続けられる、心象風景なのである。

書き加えられ、書き加えられて、終わることのないもの、それが、もののあわれ、というものの、正体である。

日本人は、いつまでも、もののあわれ、について、思索を、迫られる。
そして、その姿勢こそ、日本人なのである。
民族の、テーマが、もののあわれ、というものなのである。

如何に、神仏の、救いがあろうと、その心底には、この世の姿と、格闘する、もののあわれ、というものを、見つめ続けてゆかなければ、ならない。
大袈裟に、言えば、それが、民族の根本原理である。

たゆたう、曖昧で、微妙な、心象風景。
不安定で、今にも、消滅するかのように、思える心象風景である、もののあわれ、こそ、民族を、支える、心根なのである。
私は、そう思う。

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2008年06月17日

もののあわれ217

亡くなりし人の女の、親の手書きつけたりける物を見て、いひたりし

夕霧に み島がくれし 鴛鳥の子の 跡を見る見る まどはるるかな
ゆうぎりに みしまがくれし をしのこの あとをみるみる まどはるるかな

亡くなりし人の、女、むすめ、とは、亡夫の他の妻の娘のこと。
親の筆で、書き付けた物を、見て、歌を詠む。

夕霧に、島影の姿が、隠れた、をしの鳥の足跡を見て、途方に暮れる、子のように、亡くなった父の筆跡を見ながら、悲嘆に暮れている。

跡、筆跡の跡、足跡の、跡を、掛けている。

跡を見る見る まどはるるかな
跡を見つめ続けるのである。そして、まどはるる、かな、である。この悲嘆は、はるる、という、心境である。はるる、とは、遥かに思う。
その哀しみは、手の届かないほど遠い哀しみである。
我が哀しみも、手が届かないほど、遠いのである。

悲しいと、言っても、それは、千差万別である。
人間は、悲しみ、哀しみを、生きて歴史を、積み重ねてきた。

この、悲というものを、慈悲として、仏教は、象徴した。
この悲は、深い祈りになる。
それは、悲に、対する、共感という心的状態を生むのである。

実は、もののあわれを、漢訳すれば、慈悲になるのである。
慈は、慈しみである。
いつくしみ、それを、共感する心、つまり、もののあわれ、というものである。

悲しみを共感する心。
もののあわれ、の、一つの心象風景である。

同じ人、荒れたる宿の桜のおもしろきこととて、折りておこせたるに

散る花を 嘆きし人は 木のもとの さびしきことや かねて知りけむ
ちるはなを なげきしひとは このもとの さびしきことや かねてしりけむ
「思ひ絶えせぬ」と、亡き人の言ひけることを思ひ出たるなりし。

父が亡くなり、手入れの出来ない荒れた我が家でも、桜は、春を忘れず、美しく咲いた。
折りて、おこせる
その枝を、折り、歌を添える。

桜の花の散ることを、嘆いていた、あの方は、花の散った跡に残る、木のもとの、寂しさを、さらに、亡くなった後の、子供の寂しさを、知っていたのでしょうか。

残された者の、悲しみと、寂しさを、亡き人は知るのだろうか。
それは、誰にも、解らない。
死者は、語らない。
いつの世も、死者は、語らない。

昔の人は、「死人に口無し」と言った。
だが、語らない死者が、多くを語ることもある。
それは、残されたものを、見た時である。
更に、その生き方である。

死者の、生き様は、確定している。
揺ぎ無いものになっている。
これ程、確実なことはない。

生者は、いつも、不安定である。確定していない。
生とは、確定しない、不安定なことである。つまり、動いている。刹那も、留まることがない。
心とは、そういう、モノである。

大脳生理学でも、脳が心だと、言えなくなってきた。
行動を起こす、ほんの少し前に、つまり、脳が、指令を出す前に、行動が起こるという、実験結果が、出た。

脳が、心であると、唱えていた学者たちは、愕然とした。
一体、何があるのか。
脳でないとすれば、何が、動かすのか。
心とは、どこにあるのか。
未だ、不明である。というより、不明であるということが、証明された。

科学は、一秒たりとも、定説に留まらない。
仮説は、いつも、新しく提言される。そして、否定されたり、肯定されたりしつつ、進歩する。

霊学から言えば、心とは、水落の辺りにあるとする。
肉体の胸である。
丸みを帯びた球体である。

オーラ測定器が、出来たが、それは、微量な電流の色合いである。
次に、心を計るものが、出来るだろう。

今は、それ以上を言えない。

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神仏は妄想である 96

さて、法然は、日本で民衆に仏教、浄土門を説いた最初の、仏教家であり、それは、画期的な行動だった。
実に、それは、評価に値する。
あの、時代性を、考えれば、行き着くところ、当然である。
更に、法然は、知恵第一と言われたほどの、学識を、持っての、既成仏教との、決別という、行為も成した。

仏教は、最初、天皇、皇室のものであり、国家のものであった。そして、貴族に行き渡り、庶民には、手の届かないものだった。
鎌倉仏教の、衝撃は、余りある。

私は、法然の浄土宗という、宗派を、評価する。
そして、批判し、検証する。

まず、浄土門の、聖典と言われるものは、無量寿経、観無量寿経、そして、阿弥陀経である。浄土三部経と、言われる。
阿弥陀仏を中心とした、経典である。

法蔵菩薩が正覚を成じたその時、呼んで阿弥陀仏といわれ、阿弥陀如来とあがめられた。仏教での仏は基督教などでいう神とは多くの開きがある。仏とは「覚者」である。覚(さとり)を得ることが仏に成ることである。その仏で済度を行ずるものが如来である。如来は「如来る」とも「来るが如し」とも読め、「従如来生」(如より来る生ず)とも解き得ようが、この「如」は如来るもの、真実なるものであるから、「真如」とか「如如」とかいう言葉が生まれた。無上なるもの、無碍なるものを指すのである。
柳宗悦

無上なるもの、無碍なるものを指す、根拠は、上記の、経典である。
それを、信じる者は、それで、納得するが、それを、信じない者を、彼らは、無明にあるという。つまり、迷いにあるという。

覚者とは、悟りを得た者である。
一体、何をもって、悟りを得たというのか。
そのために、法蔵菩薩というものを、見ることにする。

柳氏の、案内で行く。

法蔵菩薩が成仏して阿弥陀如来と呼ばれるに至ったのである。このことは「大無量寿経」に述べられてあるが、いわば本生譚の一つである。釈迦如来にも本生譚があるが、つまり仏となる前世の譚で、仏と成ったのは由って来たる深い因の報いであるのを告げる。この因縁の物語こそ、なかなかに意味が深い。
柳宗悦

譚とは、ストーリィーである。
前世からの、お話である。
前世とは、科学で言えば、仮設に止まっている。
それは、証明されなければならない。
現在、確実に、前世調査というものが、科学によって、成されている事実がある。

今は、それに、触れずに、法蔵菩薩について書く。

経によれば、一日、ある国王が、世自在王仏の説法を聞かれ、翻然と省みるところがあり、その地位を捨て、国土を去り、一沙門となって、つまり、僧のようになって、名を法蔵と改めた。
行を積み、仏を讃え、覚を願う。
生死の苦の根を絶とうと求めた。
そのため五劫という、長い間苦慮し、思索し、徳行に励み、ついにもろもろの大願を起こすに至った。
いずれも、衆生を済度し、浄土に導こうとする切なる願いである。そうして、その願いが満たされないならば、成仏はせぬとまで、誓いを立てた。
いわゆる「正覚を取らじ」という強い決意である。
その、誓願は、四十八にも、及び、ひたすらに、仏土の具現を求めた。

経に「法蔵菩薩、今すでに成仏して西方に在す。ここを去ること十億刹なり。その仏の世界を名づけて安楽界と日う」
阿弥陀経には「これより西方十万億の仏土を過ぎて世界あり。名づけて極楽と日う。その土に仏まします。阿弥陀仏と号す。今現にいまして説法したまふ」

極楽思想の、はじまりである。
ここで、劫とか、刹とかの、時間を計る言葉が出る。
膨大な、気の遠くなる時間である。

法蔵が、菩薩の位から、如来の位に入ってこのかた、十劫を経たと、経には、記してある。これを、「十劫正覚」という。

変だ。

如来にならないと、願をかけたではないか。
と、このように、仏典は、長ければ長いほど、矛盾が、続出する。

ここでよく問いを受ける。法蔵菩薩とは架空の人物ではないのかと。そういう菩薩を描いて何を意味しようとするのかと。ただの比喩に過ぎぬのなら、弥陀といい浄土といい、何の確実さがあろうかと。そもそもどうその物語を解したらよいのか。数々の質疑が集まるであろう。
柳宗悦

柳氏は、懇々と、架空であっても、その意味があると、続けるのであるが、省略する。

物語である。

面白いのは、

実は凡ての大乗経典は、その法の深き真を伝えようとするのである。たとえ外面的な歴史としては架空だといわれても、内面的な法の歴史としては、これより真実な説話はないともいえよう。
と、言う。

歴史を歴史たらしめるもの、それを「法」と名づける。
とも、言う。

内面的な法の歴史としては、これより真実な説話はないともいえよう。とは、一体、どういう意味として、受け取ればいいのか。

ドーキンスの、神は妄想であるの中でも、聖書を道徳の、手本とするという話で、どの部分を、誰が、何の基準で、計るのかという、話があった。
それと同じで、内面的な法の歴史として、誰が、何を基準として、決められるのか、ということになる。

全ての、大乗経典と、言う。
全ての、大乗経典は、そのように、書かれてあるということである。
これには、驚きであろう。

桃太郎や、浦島太郎のお話を、どう解釈しても、誰も、太郎たちを、崇拝し、信仰することはないが、何故、仏典になると、信仰するのか・・・

ここで言う、法とは、インド哲学の、ダルマという言葉から、きているのだろう。
法とは、真理である。宇宙の真理。

一体、誰が、宇宙の真理として、証明出来るのか。

彼を架空の人だというが、この架空なものより真実なものは考えられない。と、柳氏は、言うのである。

あるいはこれを人間の原素なるもの、本有なるものの姿と解してもよい。とも言う。

これは、ただ事ではない。
つまり、人間の本質的な、姿を、創作して、作り出した仏であり、それは、真実の姿であるということなのだ。
それを、別名、仏という、ということになる。

柳宗悦氏の、南無阿弥陀仏は、信じるということを、前提に書かれてある。
信じない者には、何の興味も、関心も、持たれないのである。

それは、人間は、仏を目指して、救われなければならないという、強迫観念を、持たせるというものである。

私の、提案である、何故、悟りという、観念が必要か、救われなければ、ならせないのかを、再度言う。

架空であるが、真実であるという物語の、阿弥陀仏を、信仰して、創作の極楽に、行くために、何故、念仏を唱えるのか。

次に、その理由を、見ることにする。

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2008年06月18日

もののあわれ218

絵に物の怪のつきたる女のみにくきかたかきたる後に、鬼になりたるもとの妻を、小法師のしばりたるかたかきて、男は経読みて物の怪せめたるところを見て

亡き人に かごとをかけて わづらふも おのが心の 鬼にやあらぬ

物の怪の憑いた、醜い女の姿を描いた、背後に、鬼の姿になった、先妻を、小法師が縛り、更に、夫が、お経を読んで、物の怪を退散させようとしている絵を見て。

妻に憑いた、物の怪を、夫が亡き先妻のせいにして、てこずっているということは、我が身の内にある、鬼に、苦しんでいるということでは、ないだろうか。

実に、冷静沈着な判断の歌である。

当時は、不思議な現象を、物の怪として、扱い、加持祈祷などをしていた頃である。
そんな中で、我が身のこころの内にあるものと、看破したということは、実に、冷静であり、真っ当な感覚である。
この、冷静さが、紫式部を、物語作家にしたのである。

我が心の内にある鬼。

心の鬼とは、疑心暗鬼である。
暗鬼、つまり、心の暗闇に存在する、鬼であり、他でもない、我が内にあると、観たのである。

人は、我の妄想を見て、何物かだと、思う。しかし、それは、我の妄想なのである。
紫も、浄土思想に、影響された者であるが、決して、その救いという、観念に流されなかった。

かごとをかけて わづらふも
理由をつけて、煩うが、それは、まさに、我自身であったという。
現代の宗教信者に、聞かせたいものである。

返し

ことわりや 君が心の 闇なれば 鬼の影とは しるく見ゆらむ

お返し

なるほど、言われる通りです。
あなたの心が、また、あれこれと迷い闇ゆえに、物の怪の疑心暗鬼の、鬼の正体を見破ったのでしょう。

これも、冷静な受け止め方である。
あなたも、闇なれば、とは、また、おもしろい。

鬼の影とは しるく見ゆらむ
鬼の影であると、はっきりと、見たのでしょう。

作者の、侍女の歌である。

さすがに、侍女も、鋭い。

絵に、梅の花見るとて、女の、妻戸押し開けて、二三人居たるに、みな人々寝たるけしきいたるに、いとさだすぎたるおもとの、つらづえついていて眺めたるかたあるところ

春の夜の 闇のまどひに 色ならぬ 心に花の 香をぞしめつる

梅の花を見ている絵を見る。
女が、二三人いて、眠っている様。
いとさだすぎたるおもと
年老いた女房であり、おもと、とは、身分ある女房への、敬称である。
その女房が、頬杖をついて眺めている様を、見て。

春の夜の、闇にまぎれて、花の美しさは、見えないが、色気を持たない、心の梅の、香りを、深く味わうことができた。

さだすぎたるおもと、の、心を観て、詠む歌である。

色ならぬ 心の花の
女の、盛りを過ぎて、色気を持たない、枯れた風情の、女の姿である。それに、心の花を、観ているのである。

心の花に 香をぞしめつる
しめつる、占めるのである。

心の花にこそ、香りが、充満している。

花は心 種は技なるべし
世阿弥が、語る。
風姿花伝

心を込めるから、良いのではない。
心を込めるためには、技である種を、持たなければならない。
技を極めてこそ、心の花というものが、十二分に表現できるのである。

もののあわれ、を、所作として、表現する際の、極意である。

いずれ、世阿弥の風姿花伝も、紹介する。

同じ絵に、嵯峨野に花見る女車あり。なれたる童の、萩の花に立ち寄りて、折りとるところ

さを鹿の しかならはせる 萩なれや 立ち寄るからに おのれ折り伏す

同じ絵に、女車、牛車である、なれたる童、物慣れた女の童が、萩の花の前で、佇み、それが、折て、垂れるのを見る。

牡鹿が、いつも、そのように慣らしているのか、童が立ち寄ると、すぐに、萩が、自ら折れ曲がり、頭を下げているようである。

童は、わらは、であり、女の召使のことである。
女の童、めのわらは、と読む。

鹿が、萩の花を、妻として、慕うという、歌が古来からあった。
それを、持っての歌である。

しかならはせる
そのように、という意味で、鹿の縁語とされる。
ならはせる
慣れさせるという、意味である。


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神仏は妄想である 97

一切の衆生を成仏せしめねばおかない、とする、法蔵菩薩、つまり、阿弥陀仏の、願が、念仏の、根本義である。

その、願が、無量寿経に書かれてあり、四十八の願がある。

ただし、法蔵菩薩は、もし、願が、成就されなければ、「正覚を取らじ」つまり、仏の位を得ないというが、阿弥陀如来となって、成仏しているという、不思議である。

正覚とは、悟りである。
仏の位の悟りという。

今日までこれら四十八個の中で、浄家が最も深く注意したのは、第十一、十七、十八、十九、二十、二十二などの願であって、概に百千の書物がその意味を解くに捧げられた。そのうちなかんずく重大な意味を持つのは第十八願で、一般に「念仏往生の願」と呼ばれるものである。
柳宗悦

たとえ、我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽して、我が国に生まれんと欲して、乃至十念せんに、もし生まれずんば、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんとばをば除く。

これが、第十八願である。

信楽とは、信じきる。
我が国とは、浄土。
生まれんとは、浄土に往生すること。
乃至十念とは、十度ばかりも、念仏を称えること。
五逆とは、五種の逆罪で、父を殺す、母を殺す、阿羅漢を殺す、仏身より血を流す、和合僧を破る、である。
正法とは、正しい仏法である。

ちなみに、法然が、浄土門に、目覚めたのは、中国僧、善導による。

一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず、念念に捨てざるは、これを正定の業と名づく。彼の仏願に順ずるが故に。
観経義疎 より
捨てざるは、とは、称名、念仏を怠らぬ意味。
正定の業とは、弥陀の誓願により、正しく浄土往生が定まるという意味。

仏願は、阿弥陀の大願で、特に十八願を言う。

情報の無い時代である。
仏典という、膨大な書物の中からの、取出しである。

法然は、この一説を、読んで、一心専念弥陀名号と、感涙の涙を流すのである。

罪深い、下品、げぼん、の者さえ、救われる。

称名という易行の道がなくば、凡愚の衆生が救われる術はない。それ故口称念仏の行を、その宗派の眼目とした。
柳宗悦

法然の、浄土宗の、誕生である。

一般庶民は、読み書きが出来ない。下品である。
このような、考え方をするという、時代性である。
さらに、凡愚という。
今の言い方をすれば、アホ、馬鹿である。

何も知らない者たちということになる。

アホ、馬鹿が、救われるのは、易い、念仏の方法しかないと、法然は、気付いた。

何度も言うが、一般庶民に、仏教が伝えられた、きっかけを、法然は、作った。
それは、当時の、既成仏教団を、やわらかく否定することにもなった。

他力本願である。
誰もが、救われる。

浄土に往生することを、救いと、考えた。

これが、親鸞、一遍へと、受け継がれる。

時代性と、私は言った。

法然は、平安後期の人である。
平安とは、抑鬱の時代である。
最澄、空海の、天台と、真言は、国の仏教であり、奈良の六宗は、庶民の手の届かない仏教である。

ただし、当時の僧たちは、色々な宗派を、学ぶことが出来た。自由に、行き来した。唯一、空海の、東寺だけは、他宗の者を、拒んだのみ。

女房文学といわれる、世界最初の小説、源氏物語や、女の日記文学の平安である。
貴族は、危機意識なく、退廃的な生き方を善しとし、アクセサリー的な、仏法の説法を、聞いて、漫然と、過ごしていた。

そして、時代は、武家の登場である。
源平合戦を過ぎて、鎌倉幕府という、武家政権が、誕生する。

誰もが、時代に不安を、抱く。
そこに、法然による、仏法の説法である。

溢れるほどの人が、集った。誰でも、法然の説法が聞ける。
当時の、娯楽である。
その、娯楽が、極楽浄土を、強制する、強迫の教えとは、知らなかった。

はじめて、庶民が、救いという言葉を、聞いた時、何を思ったのか。何も、思わない。救いという、言葉の意味が、解らないのである。

何故、往生しなければならないのか。
死んで、極楽に行くという、妄想を、教えられて、戸惑ったであろう。

極楽を、語るには、地獄を、語ることになる。
地獄は、恐ろしい場所である。
死んで、地獄に落ちると、言われる。

無知な人を、相手にするのである。
何とでも言えるし、何とでも、語れる。

法然には、そんな意識は、全く無かったであろうが、無知な人々を、洗脳したのである。

念仏さえ、称えれば、極楽に行けるというのである。
その、極楽の様を、経は、延々と語る。
法然は、それを、少しづつ、話して聞かせる。

その、語りは、娯楽のない当時、画期的な、娯楽になったと、思われる。
気持ちの良い、極楽の話が、聞けると、友人知人、お誘いあわせの上、どんどんと、人が集ったであろうこと、想像に難くない。

手の届かなかった、仏様の教えが、今、法然によって、語られる。

時代性と、時代精神が、満たされた時である。

その、時代性というものを、考えてこそ、法然の説法が、生きる。
それから、800年ほど、歳月が流れた。
さて、現代は、まだ、法然の説法を、求めるだろうか。

凡て仏教では法を中心にする。そうしてその法は単に静止する理体ではなく、自らを様々に顕示するから、その現れを様々な仏名で呼ぶのである。弥陀はまさにその一つであるが、この弥陀は歴史以後のものではない。以後のものであってはならない。それ故にく歴史をして歴史たらしめる力となるのである。それ故彼の動く世界は、実に衆生のさ中に在る。その衆生は現実の歴史に在るが、もし衆生をして衆生たらしめる法体を欠くなら、存在の意味が現れよう。衆生に働きかけるその法体を弥陀と呼ぶのである。働きなき理体なら弥陀ではない。・・・・それ故彼を離れるなら、私の存在はただ生まれて死ぬというに過ぎぬ。そんな私こそ歴史的意味に欠ける。
柳宗悦


ただ、生まれて、死ぬに過ぎぬ。
人間は、ただ、生まれて、死ぬに過ぎぬ存在ではないのか。

その、ただ、生まれて死ぬ存在として、耐えられぬから、弥陀という、想像の、産物を、作るのか。
ここのところを、深く検証する。

何故、意味を、求めるのか。
生きる意味意識は、架空の存在である、創作の、産物が必要であるのか。

確かに、過去から、現在、未来に、流れる、真理という、法の、中に、歴史というものがあると、捉える考え方があっても、いいと、思う。
それは、しかし、実に、極めて個人的な、物思いであろう。
哲学や、思想の一つとして、それを、容認するが、何故、それを、人に、教え、強制して、強迫するのか。

私は、宗教の誤りを、その、強制と、強迫に置く。


posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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