2008年06月11日

もののあわれ211

姉なりし人亡くなり、また人のおとと失ひたるが、かたみにあひて、亡きが代りに思ひ思はむといひけり。文の上に姉君と書き、中の君と書きかよひけるが、おのがしし導き所へ行き別るるに、よそながら別れ惜しみて

北へ行く 雁のつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして

姉を亡くした人、また、妹を亡くした人、互いに、代わりにと、思い、手紙には、姉君と書き、相手は、中の君と、書く関係になったが、それそれが、別々の土地に行くことになり、別れることになった。それを、惜しんで、作る歌。
紫式部は、姉を失い、相手の方は、妹を、失ったのである。

北へ行く、雁の翼に、言伝てて下さい。今まで通りに、手紙の、上書きを絶やさないで下さい、と。

春に、北へ飛ぶ、雁に乗せて、手紙を下さいという。
雲の、うはがき かき、たえずして
雲の上を行く、雁のように、やめないで下さいというのだ。

返しは西の海の人なり

行きめぐり たれも都に かへる山 いつはたと聞く ほどのはるけき

返す人は、西の海に行く人

お互いに、離れ離れになり、それぞれの国々を、回りますが、いずれは、都に戻ります。
でも、あなたの、行かれる所は、山々が多く、遠く離れるということが、身に沁みます。
いつ、お逢いできるのかと、心細く思います。

いつ、はたと聞く ほどの はるけき
いつまた、あなたに、会えるのか、あまりにも、遠い所で・・・
いつ、はたと聞くほどの、はるけき
である。

姉を失い、親しくなった、友人とも、別れるという。
侘しく、寂しい気持ちに、溢れたであろう。

逢うは、別れの、はじめなり。さよならだけが、人生さ。
そのように、思われる、人生というものを、早くから、知ることになる。

生別死別と、人生は、何と、別れの多いものか。
さらに、日々、出会いと、別れが、繰り返される。

昨日まで、親しかった友人と、少しの誤解や、勘違いで、別れることもある。
少しの、拘りで、どれほど、多くの人に、別れることか。

それで、知ることは、人は、私は、本来、孤独な者であるということだ。
決して、一緒になることの出来ない存在が、人である。
それぞれが、そうして、絶対孤独というものを、持って生きている。

私も、孤独、相手も、孤独な存在であると、気付けば、また、新たなる、関係が、築かれるはずであるが、そう、やすやすとは、いかない。

こちらを、理解して、欲しいと、思えば、あちらも、そう思っているはずである。
しかし、理解したと、思ったことが、実は、更に誤解であるということも、ある。
こうして、人間関係というものは、実に、不安で、不安定なものである。

そこに、現れてくるのが、共通に、拝むもの、宗教である。
信仰により、多くの、ズレを、誤魔化すことが、出来る。
神や仏を、想定して、ゆるやかな、生ぬるい人間関係を、作ることが、出来る。
しかし、それが、堕落だとは、思わない。
孤独感の、堕落である。

もののあわれ、というものには、拝む対象は、無い。
ただ、もののあわれ、というものが、あるというだけである。
つまり、絶対孤独の中に、身を置くことのみが、もののあわれ、というものを、更に、深めるのである。

そして、その、心象風景は、千差万別であり、百人百様である。
何と、限定することのものは、無い。

それが、日本の伝統であり、精神の、在り処である。

津の国といふ所よりおこせたりける

難波潟 むれたる鳥の もろともに 立ち居るものと 思はましかば

津の国というところから、文を寄こしたのだ。
津の国とは、現在の、大阪府である。

難波の干潟に、群れている水鳥のように、あなたと、寝起きが出来たらいいのに。

あなたと、一緒にいたいという。
もろともに、立ち居るものと
すべてを、あなたと共に、過ごしたい。

筑紫に肥前といふ所より文おこせんたるを、いと遥かなる所にて見けり。その返り事に

あひみむと 思ふ心は 松浦なる 鏡の神や 空に見るらむ

筑紫の肥前という所へ、文を送る。随分遠い所です。その、返りに

あなたに、逢いたいと、思うこの心は、そちらの、松浦に、まします、鏡の神様が、空から、見ているでしょう。

鏡神社は、現在の佐賀県唐津市鏡である。
鏡神社に鎮座する神をいう。


返し、またの年もてきたり

行きめぐり あふを松浦の 鏡には 誰をかけつつ 祈るとかしる

返しが、翌年にきた。

遠い国を巡り、都で、再び会える日を、待ち望み、鏡の神に、誰のことを、心にかけて、お祈りしているのか、おわかりですか。

あふを松
逢うを待つに、かけているのである。

祈る、という言葉が、すでに使われている。
拝むという、姿勢と、違う。

拝むは、対象とする、神様にであり、祈るは、誰かを、想定して、願うのである。

祈りは、いのり、であり、い、のる、と、分ける。
い、宣る、のである。
意、宣る、となる。

宣ることは、のりごと、となり、宣の言となり、祝詞となる。

最後に、祝いの言となるというのが、面白い。
いわい、意を、意、なのである。

これは、言霊の真髄である。

ただ、意を尽くす言で、意が、行われるという、言霊思想である。
つまり、言は、事を成すのであり、言葉にすることは、成ることなのであるという。

言挙げすることは、とても、大変なことだった。
言葉にすることは、実現になるからだ。

それを、言霊信仰というが、違う。
伝統である。

信仰と、伝統を、明確にしないと、多くの誤解を、生ずる。

祝詞を上げるというと、宗教のことになる。
祝詞は、伝統である。
宗教は、信仰が元の、崇拝であり、依託である。それは、崇拝するものが、主体で、崇拝する者が、従である。

祝詞は、こちらが、主体である。
だから、神も祈られて、神に成るという、考え方がある。
日本人の神は、唯一絶対の存在ではない。
私の延長にある、先祖の延長にあるものである。
断絶していない。

天照大神というのは、先祖の総称であり、また、尊称であるという、思想は、日本のみである。

それは、伝統であり、宗教ではない。

神道は、ただ今宗教と、認識されていいるが、宗教の概念には、入らない。しかし、時代性であるから、宗教法人という、国の認定する、形になる。
しかし、古神道になると、伝統であり、宗教とは、全く関係無い。

伝統と、言うほかは無い。

それぞれの、民族には、それぞれの伝統がある。
それを、西洋の宗教の概念に、貶めて、土着の宗教、土着の信仰と、断定する。
それは、民族の伝統であり、宗教として、断定すると、誤る。

伝統を、宗教と、判断し、我こそ正しい宗教であると、その民族の伝統を、破壊して、争いを起こしてきた。
微妙繊細なることを、理解出来ない、欧米や、アラブの民族は、実に、野蛮であることが、解る。

甚だしいのは、精霊信仰、アニミュズムと型に嵌めて、理解しようとする。
心的所作であり、信仰ではない。
限りなく、信仰に近いが、それは、心的所作なのである。

この、微妙繊細さを理解することである。



posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイ旅日記 11 平成20年6月

昼近くになり、私たちは、結婚する妻の家に、向かった。

その家は、おじいさんの家のすぐ側である。


すでに、人が集い、婿のお兄さんが、舞台で、酒を酌み交わしていた。

舞台といっても、地面に、蓆を敷いたものである。


その、四隅に、柱をつけて、その柱に、豚の首を下げている。

丁度、私たちが、言った時に、豚の解体が、行われていた。


私は、普段見ることが、出来ないものだから、じっと、それを、見ていた。


頭を取られた豚は、胴体である。それを、どんどん、細かく、切り刻んで、一つの袋に入れる。

それを、女たちが、また、小さくして、揚げ物や、生肉を刻んで、野菜と混ぜて、料理を作る。

その、混ぜ合わせたものを、食べようとした時、小西さんに、止められた。

生肉の、豚は、危ないのである。


小西さんは、それを食べて、中毒を起こしたと言う。

それで、私と、野中は、食べるのを、止めた。


新婦はいるが、新郎は、まだ、いない。

新郎を待つ。


その間に、私は、例のおじさんに、連れられて、耳の聞こえなくなった、おじさいんの家に、連れて行かれた。

そして、私に、耳を見てくれというのである。


耳が遠くなった、おじいさんである。

もう、しょうがいないと、思いつつ、私は、手当てをした。

耳と、頭の後ろに、手を当てた。

おじいさんは、それを、温かいと言う。

言葉が、解らないが、そう言っているのである。


私は、日本語で、少しつづ、良くなりますよと、言った。

気休めである。

しかし、おじいさんは、真剣に、聞いた。


少しして、また、おじさんが、今度は、また私の手を取り、自分の家に、連れてゆくのである。


少し歩いて、そのおじさんの家に行った。

その、おじさんの家であることは、すぐに解った。

二人の子供に、私に、ご馳走するために、マンゴーと、梨を木に登らせて、取っていた。

それを、私は、窓から、見ていた。


おじさんは、私のために、マンゴーの皮を剥き、小さく斬って、皿にのせて、私の前に置いた。


熟した、マンゴーは、美味しかった。


そして、昨夜、手当てをした、右足を出して、やはり、痛むという。

私は、再度、右足に手を置いた。

リンパが瘤のように、張っている。


これは、リンパ癌の、疑いがあると、思った。

しかし、言わない。


その時、小西さん夫婦が、やって来た。


私は、それを、小西さんに話した。

この痛みは、単なる疲労の痛みではない。リンパが腫れていると。


私は、痛み止めと、抗生物質を持っているので、それを、差し上げようと、思った。

眠られないほど、痛いと言うのである。


昨夜は、確かに、痛みが、治まったが、それは、一時的なことだった。


私は、この村にも、医療が必要だと、思った。


昔なら、癌でも、そのまま、亡くなる。

そして、原因不明である。

それで、良かった。しかし、今、現在の状態では、治る見込みがある。


後で、小西さんの家に、薬を取りに来るようにと、告げて、貰った。


何とも、不思議な、縁である。

おじさんは、私を、全く信じているのである。


小西夫婦と、私は、また、結婚式の場に戻った。

しかし、中々、新郎が来ない。


そんな中で、一人のイギリス人の女性と、会った。彼女も、この村に滞在していた。

彼女は、少数部族を研究し、それを、保護する仕事をしている。

野中の英語を通して、話した。


以下、その内容である。


彼女は、ケルト民族の子孫である。

お祖父さんの、そのお祖父さんの代に、ケルトの文化が、キリスト教、カトリックによって、禁止された。言葉も、禁止されたという。

私は、日本の古代の文化と、ケルト文化は、共通していると、言った。

彼女は、どんなところですかと、尋ねる。


言葉です。

文字が、無かったと、言われていますが、話し言葉があったということは、文字もあったのです。

そして、文字は、神であるから、多く使わなかったと言うと、彼女は、涙を流さぬばかりに、感動していた。


結果、彼女は、私に、あなたに師事して、日本の文化を、学びたいと言った。

お互いに、連絡先を、交換した。


メールにての、やり取りで、付き合うことになった。


これも、出会いである。


シンバルと、太鼓が鳴った。いよいよ、新郎の登場かと、思ったが、これから、新郎を皆で、迎えに行くという。


私たちは、皆の後に続いて、新郎を迎えに行くことにした。

しかし、時間は、迫っていた。

もうすぐ、三時になるのである。

あと、一時間しかない。


誕生と、結婚と、葬儀が、大切な行事であると、小西さんが言った。

一生に、二度とないのである。


結婚式は、三日続くと言う。

豚、四頭を使うのである。そして、牛、一頭である。

男たちは、皆、飲み続ける。


私たちは、皆の後ろについて、新郎を迎えに出た。

道の真ん中で、新郎を迎える。

シンバルと、太鼓が、派手に大きな音を立てた。

新郎が、車で来た。そして、降りて、皆の前に姿を、現した。


実に、大袈裟である。

だが、大袈裟であって、いい。彼は、これで、一生、妻の家に入るのである。

シンバルと、太鼓が、大きな音を立てた。


私たちは、道端に、敷かれた舞台を、見ていた。

そこで、祈りが、行われた。

長老たちが、ぶつぶつと、伝来の祈りを、唱える。


そして、酒の回し飲みである。

私たちは、それを、見ているだけである。その中には、入れない。


ただ、私の前にも、盃が、差し出された。

彼らの好意である。

それを、一気に飲む。


御目出度い席に、参加して、私は、ただただ、感激である。

posted by 天山 at 16:16| タイ旅日記  平成20年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

神仏は妄想である 91

スターリンとヒトラーは極端な悪行をそれぞれ、独善的かつ教条的なマルクス主義と、ワーグナーふうの狂乱の色合いをもつ、正気の沙汰ではない、非科学的な優生理論の名のもとにおこなったのである。宗教戦争は実際に宗教の名のもとで戦われ、それは歴史上おそろしいほど頻繁に見られる。一方、無神論の名のもとで戦われたいかなる戦争も、私は思い浮かべることができない。なぜそうなのか? 戦争が経済的な強欲、政治的な野心、民族的ないし人種的な偏見、深い不満や復讐心、あるいは国家が向かうべき方向に関する愛国的な信念によって推進される、ということは確かにあるだろう。しかし、戦争をおこなう動機としてより妥当な候補といえるのは、自分たちの宗教が唯一本物であるという不動の信念なのである。そしてこの信念を補強するものこそ、すべての異教徒やライヴァル宗教の信奉者に対して公然と死罪を宣告し、神の戦士はまっすぐに殉教者の天国に行けると露骨に約束する、聖典にほかならない。
ドーキンス

ヒトラーが、その残虐行為を単独で実行したわけではないことを、私たちは、ここで、思い出さなければならないと、ドーキンスは言う。
つまり、兵士や、その上官は、キリスト教徒だったというものである。

実際、ドイツ国民のあいだに根付いたキリスト教信仰こそ、私たちがまさに論じている仮説―――すなわち、ヒトラーがおこなった宗教にかかわる発言が偽りのものであったのではないかと疑われることーーーを支える土台の一部にちがいあるまい。つまり、ひょっとしたらヒトラーは、キリスト教に対してなんらかの共感を、形だけでも示さなければならないと思ったのかもしれない。
ドーキンス

ここで、問題なことは、時のローマ法王ピウス12世が、ナチスに反対する態度を取ることを、執拗に拒んだということである。
そのことは、現代のカトリック教会にとって、実に深い困惑になっている。

ヒトラー体制は、無神論に源を持つ者ではないと、ドーキンスは、言う。
スターリンは、完全に無神論者である。
しかし、個々の無神論者は、悪事を起こすかもしれないが、無神論の名において、悪事を成すことはない。
スターリンが、その典型である。

更に、私見であるが、スターリンの主義は、宗教から生まれた子供である。
マルクス主義は、プロテスタントの、ガンビンの思想から生まれたものであると、私は、考えている。

サム・ハリスはこの一件に関しても、「信仰の終焉」において的の中心を射抜いている。

宗教的信念が危険なのは、その他の点では正常な人間を狂った果実に飛びつかせ、その果実が聖なるものだと思い込ませるところにある。次々に生まれてくる新たな世代の子供たちは、宗教上の信条というものは他の事柄であれば必須とされる正当化の手続きを踏むことをかならずしも求められないと教えられるため、文明の依然として、不合理の徒から成る軍勢に包囲されたままである。私たちはいまこの瞬間も、大昔の文献をめぐって自分で自分の身を滅ぼしつつある。このような、悲劇的なまでに愚かしいことが起こりうると、いったい誰に想像ができたことだろう?

逆の言い方をするなら、信仰のない世界をつくるために戦争に行く者がどこにいるのか、ということだ。
ドーキンス

随分と、ドーキンスの、神は妄想である、から、多くを引用してきた。

ここで、ドーキンスの著作と、お別れする。

宗教の、蒙昧は、限りない。
同じ、キリスト教でも、カトリックとプロテスタントの、宗教戦争を、見よ。
また、新興キリスト教と、各宗派の争いを見よ。

そして、同じ旧約聖書を、聖典とする、ユダヤ、キリスト、イスラム教の、争いを、見よ。
アメリカの、ブッシュは、中世の十字軍という、イメージを、持って、イスラムに立ち向かった。
呆れる。

更に、世界各地で、行われる、紛争、戦争の種は、その多くを、宗教に負う。
インドならびに、アジアでは、平和志向の仏教徒まで、戦うのである。
更に、ヒンドゥーも、然り。

インドネシアは、政府が、打ち上げた、一神教のみ、宗教としての活動を、許したが、それが、根本的、紛争の種になった。
一神教を、認めるということは、唯一本物であると、信じる様々な、宗教紛争の種を、植えたということである。

日本の場合は、宗教戦争というより、為政者と、宗教団体の争いがあった。
特に、門徒の一揆に、端を発した、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康たちの、戦いである。

それ以前は、比叡山の僧兵に、象徴される。
比叡山で、僧兵である。信じられないのである。
延暦寺とは、天台宗である。最澄の天台宗である。
法然の念仏を、迫害し、虐殺等を、行ったとは、信じられないのである。

そして、念仏と、題目宗との、争い。

戦国時代を、戦いの歴史と、見るが、その底では、日本でも、宗教に絡む争いが多くあった。

神道が、仏教を受容したように、仏教の派閥が、そのようなことが無いというのが、私は、不思議である。

最も、今現在は、宗派が、集って、傷の舐め合いから、談合をしている、状態である。
すぐに、先が見える、日本仏教の、愚か者どもが、既得権益を、守るべく、仏教の現代化などと、言うが、なんのことはない。
食って寝る場所の確保であり、教義の云々でもなんでもない。
ただ、安穏とした暮らしを、続けるために、談合するのである。

彼らが、この世に、地獄を、作っていることを、知らない。

何度も言うが、仏陀の、教えなど、日本の仏教には、毛ほども無い。

次に、それらを、ランダムに、そう、無造作に、取り上げて、徹底的に、叩き切る。

最澄、空海、法然、親鸞、日蓮、道元等々、何ほどのことは無い。
妄想、想像の、蒙昧の世界である。

日本仏教の、名僧、高僧等々、言葉遊びの、何物でも無いと、断ずる。
文学というなら、話は、解るが、宗教、更に、信仰させるという、傲慢極まりない、その姿勢を、私は、断罪する。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ212

近江の海にて、三尾が崎といふ所に、網引くを見て

三尾の海に 網引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも

みをのうみに あみひくたみの てまもなく たちいにつけて みやここいしも

琵琶湖の西岸、三尾の崎という所で、編み引くのを見て

三尾の崎で、網を引く漁師の、手を休めることなく、働く姿を見るにつけても、都が恋しい。

てま
手間隙である。
立ち居につけて
働く様。

そのような、風景を眺めていても、都が恋しいと、歌う。

また、磯の浜に、鶴の声々に鳴くを

磯がくれ おなじ心に たづぞ鳴く なが思ひ出づる 人やたれぞも

琵琶湖の浜で、鶴の鳴き声を、聞いて

磯の浜の、ものかげで鳴いている、鶴よ、私と同じように、誰を思い出しているの。

または、同じ心で、鳴いている鶴よ。


夕立しぬべしとて、空の曇りてひらめくに

かきくもり 夕立つ波の あらければ 浮きたる舟ぞ しづ心なき

夕立がきそうだ。空が曇り、稲妻が光る

空一面が、暗くなり、夕立を呼ぶ波が荒い。その波に浮いている、船は、不安なこと。
しづ心なく
不安とするだけではない。
心が騒ぐ。そわそわする。落ち着かないのである。

しづ心なく 花のちるらん
とも、歌われる。

静かな心ではないのである。
心が騒ぐことを、すべて、しづ心なく、といえる。

この、しづ心という、心象風景を、尋ねてみると、そこに、また、もののあわれ、というものの、姿が、現れる。

もののあわれ、は、しづ心のない心象風景も、いうのである。

しづ心と、対照的なものは、奥ゆかしさである。
奥ゆかしいことで、つまり、冷静沈着であることで、物事を、見つめ続けるのである。
平らけく、という、心象風景を、最も、貴んだのが、日本民族である。

平らけく、安らけく、とは、祈る言葉にもなる。

平和で、安らかであること。
これが、奥ゆかしさへと、通じる。

その、奥ゆかしさを、最も、それとして、たしなみとして、女性は、存在感があった。
男尊女卑と言われる時代さえ、女は、奥ゆかしさの、最もたるものであった。

男で、奥ゆかしい存在は、天皇である。
ここで、女の存在感というものが、解るというものである。

古代は、どこの民族にも、男尊女卑という、考え方があるが、それは、それぞれの民族によって、表現が違う。

聖書などの、場合は、家畜と同じような、男尊女卑であるが、すべての、男尊女卑が、そうだったのではない。

日本の場合は、礼法としての、男尊女卑である。

女は、控えている。
奥ゆかしくある。
つまり、いつも、冷静であれとの、教えである。

女の歴史は、差別の歴史であると、認識する者、大勢いるが、それも、一つの見方である。

差別の歴史ではなく、区別の歴史が、日本の歴史である。

女の生き方を、貴んだ歴史でもあるという。
ただし、一時期、例えば、戦国時代などは、悲惨である。
男の戦いの、道具として扱われた。
それから、昭和初期まで、女の地位は低く、見積もられた。

だが、一人の女のために、命を賭ける男もいた。
女を、守る男も、大勢いた。

女は、奥ゆかしくあれとは、女は、情の篤いものであるという、認識だ。
乱れるな。乱れれば、命が、危うくなるのである。
しかし、厚顔無恥であれというのではない。
深く、物事を見つめよ、というのである。

結果、日本文学の、大元である、漢字かな混じりの、源氏物語という、大作を書かせた。何も、紫式部一人のことではない。
文化の担い手は、女であるともいえる。
それが、名を残さずとも、男の働きの裏には、女の、奥ゆかしさがあったと、いえる。

区別を、差別と、心得違いしないことである。

しづ心は、男と、女では、違った。

男の、しづ心は、表に、つまり、花鳥風月に、女の、しづ心は、恋と愛に、つまり、情にあったのである。

歌道の中に、それが、証明されている。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイ旅日記 12 平成20年6月

新郎を迎えた皆は、道端で、祈りを上げて酒を飲み、そして、いよいよ、新婦の家に、新郎を連れて行く。


私たちも、その歩みに従った。

シンバルと、太鼓の音が、鳴る。

ゆっくりと、皆が新婦の家の道のりを、歩く。


新郎が、新婦の家に到着すると、舞台に、座る。

いよいよ、結婚の儀式が、始まる。


長老たちに、酒が回されて、その盃を持ったまま、祈りが、始まる。

皆、手を合わせて、それが終わるのを、待つ。


祈りが終わると、それぞれの盃の酒を、新郎新婦が、飲み交わす。

日本の三々九度のようである。

これから、新郎は、酒を、飲み続けるのである。

それが、延々と繰り返される。


今度は、注がれた酒を、飲み干すのである。次々と、人が入れ替わり立ち代りと、舞台に上がり、新郎は、盃を、交わす。


この舞台を見て、私は、古神道の、結界を思い出していた。

四本の柱は、注連縄で、囲ってあるのだ。

実に、不思議な光景である。


私たち、列島の民族も、大昔は、このように儀式を、執り行っていたのであろうと、推測した。

緊張感と、緩やかな、規制である。

祈りの時でも、お喋りしている人もいる。

誰も、何も規制しないのである。

要するに、変に真面目くさっていないのである。


新郎新婦は、酒を飲み交わすと、互いに手を洗う儀式をするという。

私は、テントの張られたテーブル席で、それを、待ったが、新郎の酒の酌み交わしが、中々終わらず、時計を見つつ、気を揉んだ。

それを、見てから、チェンマイに戻りたいと思った。


出発予定時間の、四時が近くなる。

野中が、私の側に来たので、最後の写真を、撮る。

丁度、女の子たちのグループがいて、彼女たちとの、記念撮影である。

そして、二人の男の子である。

ところが、一人の男の子が、写真撮影を、嫌がる。


野中が、言う。

あの子は、頭が良くて、何でも良く出来るという。しかし、口が利けない子だという。

私は、その子を見るために、立ち上がった。そして、彼に、近づく。すると、その子は、逃げる。

日本語で、私は、あなたの味方になりたいと、言う。


私と、野中は、その子を、追い掛けた。

その子と一緒にいた男の子も、説得している。

一緒に、写真を撮ろうと、言っている。


結局、彼が、何故写真を撮られるのが、嫌なのかが、解った。

非常に強い美意識である。

今日の、自分の姿は、みすぼらしい。そして、髪も、きちんとしていない。


女の子たちが、寄って来て、彼の髪型を直し、服を調えている。

私も野中も、彼の中にある、あるモノを見た。

洗練された、美意識である。


頭脳明晰、読み書きなどに優れて、何でも、すぐに覚える。

耳も聞こえる。

何故、話さないのか。

それが、理解出来た。


私たちとの、出会いで、彼は、生き方があることを、知るべきだと、思った。彼の生きる世界は、別の場所で、多々ある。

世界は、動いている。

カレンの村から、世界に、羽ばたいてもいいのだ。


彼と、友達が、写真に、収まった。

野中が言う。

この子、凄い美人だよ。

その通り、美人である。


匂うが如くに、少年の美しさがある。そして、彼は、それを、自覚している。

その、自覚こそ、彼を生かすものになるはずである。


自分の、みすぼらしさを、嫌悪するという、心の高まりは、彼を、いつか天才にすると、私は、思った。


さて、新郎新婦が、手を洗うという儀式が、始まらず、五時に近くなり、私は、小西さんに、そろそろと、言った。

戻る時間である。

名残惜しいが、これで、最後ではない。これが、始まりである。


私たちは、儀式の席から、離れて、家に戻った。

そして、急いで、帰り支度をした。

私は、赤い絽の着物を脱ぎ、タイパンツと、Tシャツにした。

カレンの村にいる間、私は、すべて、浴衣と、着物で過ごした。

私の、礼儀作法である。


その日の朝、少しの時間を、田圃で過ごした時、皆に混じって、田植えをした時も、浴衣を、まくって、稲の穂を植えた。

この村の人と、仲良くすることから、これからの、活動が見えてくると、思った。


次に来た時、あら、しばらくだねーと、言われたい。


最後に、私は、カレンの湧き水で、体を清めた。

清め祓いをした。

決して、日本では、水などを、かぶることはない。

いつも、銭湯に行き、そこで、清め祓いをする。お湯である。水でなければ駄目だなどとは、一言も、誰も言っていない。

お湯も、水である。

寒中に凍てつく水で、清めるという、偏狭な行為はしない。


車に乗り込み、奥さんと、お別れする。

奥さんと、娘さんだけが、見送る。


あっという間の、出来事だった。

車が、山々の中を走り、アスファルトの道に出ると、すぐに、チェンマイに着いた。


チェンマイですら、別空間に思えた。

今までの、あの風景、空間は、何だったのか。


チェンマイでの二時間あまりのうちに、元の感覚を取り戻す。

いつもの、時間感覚である。

インターネットカフェに入り、画面を見て、いつもの感覚に戻る。というか、戻す。


小西さんは、私たちを、また、迎えに来て、空港まで、送るという。最後まで、私たちの、面倒を見てくれるのだ。


次の準備のことが、早めに終わり、私たちは、オープン食堂に、向かった。

チェンマイカレーの店である。

辛いが、美味しい。そして、もち米で、カレーを食べるのが好きだ。

二人で食べても、300円程度である。


食べ終えて、待ち合わせの場所に行くと、小西さんも、少し早めに来ていた。

いよいよ、帰路である。

バンコクに一泊して、都会の喧騒に入り、そして、日本に戻る。


ここでは、おとうさんと、色々話し合ったことなどを、省略している。

実は、おとうさんと、日本の農業について、話し合ったのである。

日本の農業を説明すると、おとうさんは、例え話で、私たちに、話してくれた。

世の中と、隔絶されていようと、物事の本質が解る人には、現代の先端の文明化が、理解出来るのである。


自分たちの村で、食べる分だけ、米を作るという、考え方をする。そして、自然を大切にする農法である。

少し、彼らの、信仰や、農法について、書いて終わることにする。


空港で、チェックインをして、小西さんと、レストランで、話した。

名残惜しく思えども、また、再会するのである。

posted by 天山 at 16:16| タイ旅日記  平成20年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月13日

神仏は妄想である 92

前回まで、ドーキンス氏の「神は妄想である」という、著書から、多く引用して、書いた。

次に、仏教、そして、また、新約聖書について、書くつもりだが、再度、私の立場を、書く。

私は、主イエスと、書かれる聖書と、キリスト教、すべてのである、それと、何の関係も無いものだと、考えている。

ナザレのイエスは、キリスト教の主イエスキリストであるというのは、後世の人の勝手な、思い込みであるし、勝手な解釈である。
仏陀も、そうすると、そういうことになる。

ナザレのイエスが、私の神と、呼んだ方は、自分の守護神であり、いつも、傍について、指導をしていたのである。

単純に言えば、イエスは、ユダヤ人であり、ユダヤ教の中での、革命を、起こしたのである。世界宗教など、何ほどの意識もなかった。

新約聖書に書かれている、イエスの言葉は、それぞれのセクトの、考え方から成った、イエスの言葉である。

私の中では、私のイエスがいる。

イエスの墓が、見つかったという、「キリストの棺」という本が、少しばかり、キリスト教国で、話題になったが、それ以上にはならない。何故か。
最早、真実など、どうでもいいのである。

妄想を、信じ込んでいれば、それでいいのである。

学問と、宗教の違いである。

事実より、妄想を、信じるのであるという、この世の、真実が、よく解るというものである。

いずれ、新約聖書の、セクトの人々が書いた、言葉を、検証するが、そのように、作られたものほど、有り難がるのである。
誰も、イエスが、糞して、小便をしていたと、思いたくないというのと、一緒である。
イエスも、人間であった。
人間である、イエスを、神の子として、認定したのは、後世の人々である。

更に、宗教として、レベルが低いのは、思い違い、心得違いを、起こしているということである。
何より、聖書を、神との契約と、考えるのであるから、終わっている。

取引というのが、一神教の特徴である。
こうしたから、神は、こうしてくれるというのである。

私は、カトリック信徒でもあるから、特に、その、教会の嘘は、解る。
クリスチャンは、自己本位の人が多い。
それは、教会の教えが、そうだからである。
しかし、自己本位などというと、とんでもないと、言うだろう。その逆だと、信じ込んでいる。

神本位であると、全く信じ込めるというのも、終わっているが、レベルが低い証拠である。

私の、霊学の立場は、イエスと、主イエスとの、差が甚だしいということである。

ただし、信者になるというのは、個人の極めて個人的情緒であるから、私は、決して、それを、犯すことはしない。
尊重する。

それは、私と、同じように、自分のイエスというものを、抱いている人も多いと、思うからだ。

仏に至る道も、八千の法門というが、それぞれ、人間には、無限の道がある。

仏に成るという言葉は、方便である。

私の霊学からは、人間は、人間であるということで、善しとする。
何も、仏というものに、限定する必要は無い。
きっと、理想的人間、それを、仏というのであろう。

肉体を、持っている人間が、仏になる必要は、さらさら無い。
何故、肉体があるのかということに、気付くべきである。

更に、多く、人は死ぬまでの、暇を潰さなければならない。ゆえに、まあ、仏の道でも、目指しましょうかということであり、それを、人に強制したり、ましてや、教えを説く必要は無い。
説くというのは、布教である。

宗教団体は、信者を、兵士に仕立てて、新会員獲得を、目指す。人を引き入れれば、徳が得られると、教える、宗教は多い。
商売である。
人が多くなれば、金が集まるからである。

最初から、組織を作ろうとして、努力したという、仰天する、告白をする、宗教指導者もいるほどである。

教えを、広めるという、堕落に陥る様を、感得できないほど、宗教的感覚というのは、何かに、麻痺させるのである。

自分一人で、行っていれは、事足りる。

仏陀も、そのまま、死ぬことを、考えたが、梵天という、魔界のモノが、現れて、その、悟ったものを、人々に、教え広めよと言う。
そして、語り始めたのであるが、それで、収まらず、仏教という宗教に、発展した。

今、仏教の混乱は、甚だしい。
また、仏教誕生の地は、仏教が、廃れて、久しい。

アホな、偽の仏教である、日本の仏教が、逆布教するという、驚きである。

イエスと、同じように、私の仏陀は、生き方指導の方である。
霊的に、高いレベルにあろが、なかろうが、生き方指導者として、素晴らしいと、考える。

ちなみに、仏陀は、仏教で言うところの、仏にはなっていない。仏典に、仏陀自身が、明確にしている。
それを、知らない仏教者たちの、親の顔が、見たいものである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ213

塩津山といふ道のいとしげきを、賤の男のあやしきさまどもして、「なほからき道なりや」といふを聞きて

知りぬらむ ゆききにならず 塩津山 よにふる道は からきものぞと

塩津は、琵琶湖の北。北陸へ向かう要港である。
その道に、草木が生い茂っている。そこを、身分の低い男たちが、誰も、みすぼらしい格好をして、「ここは、難儀な道だ」というのを、聞いて

男たちは、荷物を運ぶ者たちである。

それらに、歌を通して言う。

あなたがたも、分かったでしょう。いつも行き来していても、塩津山は、世渡りの道として、辛いものだということを。

からきものぞ
辛いものだ。これは、からいと、塩のからい、とを、掛けている。
駄洒落の歌という者もいる。

兎に角、世の中に生きることは、いすれにしても、からい、辛いものだという。

みづうみに、おいつ島という洲崎に向かひて、わらはべの浦といふ入海のをかしきを、口ずさみ

おいつ島 島守る神や いさむらむ 波も騒がぬ わらはべの浦

現在の、近江八幡市の付近にある、奥津島神社の辺りを洲崎という。入海とは、入江のこと。その風景が、美しいのだ。それを、口にして

おいつ島を、守っている神様が、静かにと、言うのだろうか、わらはべの浦は、波も立たずに、静かにして、美しい。

いさむらむ
いさめる、のである。注意する。命令する。

この歌は、帰路の歌である。
少し、ワクワクしているのであろう。

暦に、初雪降ると書きつけたる日、目に近き日野岳といふ山の雪、いと深く見やらるれば

ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる

暦に、初雪が降るとある。この暦は、当時の男たちが、用いたもので、陰陽道からの、吉凶などが、書かれてあるものだ。
日野岳とは、越前の国府にあった武生市の東南にある山。
その山の、雪が、とても、深く見られた時。

こちらでは、日野岳に、群れ立つ杉を、埋め尽くす雪が降るが、都でも、今日は、小塩山の松に、雪が、降っているのだろうか。

都は、どうなっているのだうか、という、懐かしみの情である。

兎に角、情報を得るには、時間がかかる、時代である。
一年を過ぎて、都の情報を、得るのも、不思議ではない。

人間感覚が、現代とは、全く違う。
それが、また、ひらがな、という文字によって、表現されると、大和言葉、そのものになる。
大和言葉の、優雅さは、時間感覚とも、関連するようである。

焦りが無い。
ひらがなで、表現すると、漢字で、表現するのとでは、現代でも、語感が、変わる。それは、目でみた、感触も、変わるということ。

天の川を、テンノカワと、読むか、あまのかわ、と読むかで、語感が、違う。

暫く、大和言葉について、語ることがなかったが、和歌は、すべて、大和言葉が、基本である。
どんなに、漢語に強い人も、和歌を詠む時は、大和言葉になった。
それは、ひらがなによる。
万葉集は、漢字の音の、当て字により、記録されたが、音はあったのである。
実は、文字もあった。
しかし、記録されない。
神代文字である。何故、神代文字が、使用されなかったのか。
厩戸皇子、聖徳太子といわれる者の、策略である。そして、蘇我馬子から、蝦夷、入鹿の、三代による。

神代、かみよ文字に関して、書くことは、また、膨大なことになるので、今は、省略する。

聖徳太子は、すべて、漢字と、仏教思想により、国造りを行おうとした。
何故か。
自ら、仏教を講義し、また、書も書いた。
大乗仏教の、日本流布は、聖徳太子から、はじまる。

実は、古事記以前に、日本史を編纂していた。それを、蘇我家が、保存していた。しかし、入鹿が、討たれた時、蝦夷が、屋敷に火を放ち、燃やしてしまう。

聖徳太子と、蘇我氏は、グルであったが、太子の息子一族は、入鹿によって、皆殺しにあう。一族が、自害したのであるが、結果は、入鹿の討伐による。

ある時から、太子と、馬子の間に、国造りに対する、考え方が乖離してゆくのである。
太子は、大王家を、馬子は、蘇我の王国を、である。馬子の、願望を実行するのは、孫の入鹿である。
大王家とは、天皇家である。

聖徳太子の、行動は、不明な点が多すぎるのである。最初は、蘇我家側の人間だった。
しかし、途中から、変質する。何故か、不明である。
大乗の精神を、もって、国造りを開始しようとするという、解釈もある。つまり、仏教国である。それは、馬子も、望んだこと。宗教を、押さえれば、人心を、把握できる。
宗教というもの、そういうものである。
支配しやすくするための、方法が、宗教である。

私見である。
太子は、自分の出生に、苦悩していた。
罪の意識である。存在そのものが、罪であるという意識。救いを、仏の教えに求めた。その精神性と、馬子、蘇我家の野心との乖離である。

同じく仏教を立てて、であるが、それぞれの、意味合いが、乖離してゆく。
太子は、内に、馬子は、外に。
しかし、いずれにせよ、誤りであった。

何故なら、日本は、かんながら、唯神の、国である。
ここで、神という文字を使うと、一神教の神の、概念に、受け取られるが、違う。
仏という、超越者を置かない。皇祖皇宗に続く、祖先の霊位を、カミと、する国である。
太子は、その間を、埋めることが出来ずにいた。
また、それは、宗教ではなく、伝統である。
日本は、宗教を置く国ではない。伝統の国である。
これを、見誤ると、すべてが、狂う。

その迷いの、象徴するものは、推古天皇の、伊勢神宮行幸である。
はじめて、天照大神のおわします、伊勢神宮に詣でる。
大和朝廷は、九州の王朝である。富士王朝から、引き継ぐのである。
本来は、宇佐八幡へ行幸するが、伊勢への、行幸は、何かに動かされたとしか思われない。

今は無き、富士王朝の回帰である。
それはつまり、天皇家の回復である。正統であろうとする、働き。

天武、天智によって、国造りが成されたが、仏教は、捨てず、混合とした。
苦肉の策である。
何故なら、天皇とは、祭祀する者である。
祭祀する者が、仏教を受け入れるという、複雑な心境である。
以後、天皇が、仏教に帰依するということが、当たり前に成る。

色々な、考え方があるが、今は、この辺で、止めておく。

万葉集の、はじまりである、舒明天皇が、すべてを知っていた。しかし、舒明天皇は、何も語らず。
その息子たち、天武天皇、天智天皇によって、日本が造られてゆくことになる。
舒明天皇の意思が、二人の息子によって、具現化された。

さて、
舒明天皇こそ、蘇我家の傀儡天皇となるべくの、天皇だった。
その、苦悩は、余りある。

もし、大王家が、破壊され、蘇我王国になっていたら、今の日本の形は、無い。
すんでのところで、祖先の霊が動いたとしか、思えないような、歴史の展開である。

万葉集、第一の名歌は、舒明天皇の歌である。
この天皇の、祈りがあったればこそ、今の日本がある。

寄り道しました。
もし、私に、許されるのなら、神代文字について、いつか、書きます。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイ旅日記 13 平成20年6月

カレン族の村、トゥンルアン村について、少し書く。


農業を中心とした、自給自足の生活が基本である。

さらに、この村は、カレン族の、伝統が生きており、他のカレン族の村から、それを学びに来るといわれる。


自給自足の生活というものを、現代の日本人は、想像も出来ないと、思える。

唯一、文明の利器は、電気のみである。


米を主食にして、野菜、香草を採り、川では、小魚、カニなどを捕る。そして、農作物は、トウモロコシ、キャッサバ、トウガラシ、レタス、キャベツ、ナス、大豆、更に、果物では、柿、梨、梅を栽培している。

また、バナナ、マンゴーなどは、自生しているのである。


農作業は、基本的に、機械を使用しない、人手である。そのため、村人は、一致協力体制である。

労働力は、労働力で、お返しするという、相互扶助の精神に溢れる。

田植え、稲刈りは、村人総出で行う。

私も、一緒に田植えをしてみたが、30分ほどでも、腰が、大変だった。


しかし、現金が必要にものも多い。

基本的には、お金に依存する生活ではないが、タイという国に住んでいる以上は、必要なものもある。

電気代、衣服、バイク、車、そして、教育費、最低限の農薬などである。


村では、レタスなどを、売って現金を得る。

ただし、蓄えるための、お金ではないということ。

これからの問題は、いかに、このままの生活を維持してゆくかである。

近代化の波が、寄せてこないということは、無いのだ。


私が、見た限りでは、何も必要が無いように見えた。

きっと、電気がなくても、大丈夫である。

自然にあるもので、十分に生活が出来る。つまり、最も、強い生活力を持っていると、いえる。

理屈ではない、「あるがまま」の生活を続けてゆくことは、幸せであるという以外に、無い。


さて、仏教が、約300年前に入ってきて、仏教信仰もあるが、最も基本的なものは、伝統行為である。

それを、精霊信仰と、呼ぶが、私は、あえて、伝統行為と言う。

精霊というものを、広げると、山川の神、水火の神、その他、多くの自然精霊ということになる。

これは、学術用語である。


古代から、人は、自然の恵みと、その厳しさの中で生きてきた。

当然、自然に感謝し、自然を畏怖する。そこに、また、祈りの姿勢が、現れる。当然である。

自然との、共生、共感である。

それは、伝統行為である。


すべの存在に、霊が宿る。


家代々の祈りを、伝承して、祭りの時に、それを、唱える。家々で、別の祈りの言葉が、伝えられるという。

統一された、祈りの言葉はないのである。

何と素晴らしいことか。

つまり、それを、宗教形態の団体とするような真似ではなく、自然発露としての行為に、高めるのである。


司祭は、いない。

皆、男は、司祭になる。

年老いると、長老として、務めるのである。


要するに、職業司祭はいない。


邪馬台国といわれた、一部地域の部落が、日本にもあったが、単に発見された地域のことである。

多く、そのような、部落はあった。

邪馬台国といえば、何やら、大袈裟な物言いになるが、大陸の国に、発見されたことを、単に喜んでいるだけである。


そんな、部落が、大勢あったと、考えるべきである。


カレン族の村が、沢山あるようにである。


部落が、部落同士で、影響を与え合い、更に、結婚などを通して、交流を深めたはずである。

今でも、カレン族には、夜這いの風習がある。

それは、セックスをするのではない。

親の元で、気に入った男と、娘が、話をするというものである。

そして、父親が、その男を、気に入らない場合は、何と、男が帰った後で、木の実を潰すための、鉢を棒で叩くのである。

コンコンコン、コンコンコンと、響く。

それを、聞いて男は、アア駄目だと、諦めるのである。

しかし、そんなに耳がよいのだろうか。

遠くに帰る、男の耳だけに、響くのか。

だが、父親が、それをすると、男は、二度と家に来ないという。


それとも、それを聞いた誰かが、その男に教えるということも有り得る。


さて、儀式を見た私は、その緊張感と、弛緩の、微妙な感覚に、驚いた。

単に、緊張するばかりではなく、リラックスして、儀式を行う。

祈りの間に、私語をする者もいると、言った。

あまり、儀礼に拘らないのである。しかし、儀式は、する。


酒の回し飲みというのが、最大のポイントである。

同じ盃を、酌み交わすとは、戦いの前の、武士と同じである。

命の盃とも、いえる。


それで、村の男たちは、一体になる。

そして、女たちである。

儀式の際には、遠巻きで、眺めている。

料理を作り、男たちの、儀式を、助ける。


これは、差別であろうか。

当に、区別である。

女系であると言った。女たちは、男たちを、尊重し、また、男たちは、女たちを、尊重する。


伝承の、仕来りを教えるために、山に七日間、男の子たちを連れて、籠もるという。

それも、強制ではない。希望する者にのみ、伝える。希望すれば、年齢は、関係ない。


小西さんの、義理のおとうさんが、その役目であると、聞いた。

その、おとうさんの、剣舞を見せて貰った。

結婚式の中で行うが、私たちが、見られなかったらと、おとうさんは、結婚式の前に、家の中で、見せてくれた。

無音の中で、舞う、剣の舞である。

儀式の中では、音を出す場合もあるという。


長年に渡り、伝承されてきた、剣舞である。

大振りの、舞は、しなやかで、威風堂々として、威厳に満ちたものである。


先に、お弟子さんに、見せてもらったが、矢張り、年輪である。

歳を取ることが、重んじられる。


さて、食事をする際に、テーブルなどないゆえ、床に置く。

それを、囲んで食べる。

女は、その中に入らない。


食べ残したものは、すべて、豚、鶏、犬などが、食べる。

私が、バナナの皮を、捨てると、豚に上げてくださいと、言われた。


何一つ、無駄なものはない。


豚肉を、脂で揚げていた、おばさんが、私に一つと、差し出した。熱くて、受け取れない。すると、一人のおばんが、バナナの皮を、持ってきてくれた。

そうか、皿もいらないのか。


もち米も、バナナの葉に包んで、ふかすのである。

それを、開けて食べる時の、嬉しさはない。


そろそろ、書き止める。

色々と、あった。帰国してからも、色々と、思い出した。

あの、暗闇の夜の夜。

言葉にすれば、嘘になると思いつつ、矢張り、あの闇は、貴重である。

抱かれる闇。

恐ろしくない闇。

光を神と、呼ぶが、闇というものも、神であったと、私は、深く反省している。


闇をも、神と思わせる、夜の闇の闇である。


あの、伝承を破戒しようとする者が現れれば、私は、命を賭けて戦う。


posted by 天山 at 16:16| タイ旅日記  平成20年6月 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

もののあわれ214

降り積みて、いとむつかしき雪を掻き捨てて、山のやうにしなたるに、人々登りて「なほ、これ出でて見えたまへ」といへば

ふるさとに かへるの山の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし

降り積もった、うっとおしいほどの雪を、掻き分けて、山のように積もった雪の上を、登り、「さあ、こちらに来て、御覧なさい」といわれれば

故郷に、帰られるという、あの、かへる山の雪ならば、見ましょうが・・・

雪に閉ざされた世界の中で、都が恋しく、雪山など、見たくないのである。
不機嫌である。

心やゆくと
進んで、行く。

年かへりて、「唐人見に行かむ」といひたりける人の、「春は解くものといかで知らせたてまつらむ」といひたるに

春なれど 白嶺のみゆき いやつもり 解くべきほどの いつとなきかな

越後へ、下った前年に、宋の人が、七十名ほど、若狭に漂流した。それを「見によこう」と誘う人が、「春には、雪が解けるように、私の心に、打ち解けてください」というのである。後に、紫式部の夫になる、人物である。

春になりましたが、こちらの山の雪は、いつ解けるものか、わかりません。
暗に、自分の心の、打ち解けない様子を言う。


近江の守の女懸想すと聞く人の、「ふた心なし」と、つねにいひわたりければ、うるさがりて

みづうみに 友よぶ千鳥 ことならば 八十の湊に 声絶えなせそ

近江守の娘に、言い寄るという噂のある男、「ふた心はない」と、常に言うのを、うるさく思う。

近江の海に、友を求める千鳥よ。いっそのこと、あちこちの、湊に声を掛けなさい。あちこちの人に、声を掛けなさい。

なかなか、面白い。
年頃の、娘の心境である。

この男との、関係が、もっと、面白くなってゆく。

歌絵に、海女の塩焼くかたをかきて、樵り積みたる投木のものに書きて、返しやる

よもの海に 塩焼く海女の 心から やくとはかかる なげきをやつる

書きのせようとする、歌の趣を表した絵に、海女の塩焼く姿がある。
切って積み上げた、薪で、藻塩を焼く、その薪に書いて、返事する。

あちこちの、海辺で、藻塩を焼く海女が、薪を積むように、色々な人に、言い寄る、あなたは、自分から、好きこのみ、歎きを重ねるのでしょう。

恋の歎きを訴えた歌に、返歌したものである。
しかし、このような、歌が詠める、言い方が出来るということは、ある程度、近い関係になっているようである。

女が、つれない歌を詠むのには、訳がある。
それが、次の歌である。

文の上に、朱といふ物をつぶつふとそそきて、「涙の色を」と書きたる人の返り事

くれないの 涙ぞいとど うとまるる うつる心の 色に見ゆれば
  もとより人の女を得たる人なりけり

文の上に、赤い物を、ぽとぽと落とし、「涙の色を見てください」と書く人への、返事。

あなたの、紅の涙だと聞くと、一層うとましく、思えます。
移ろいやすい、あなたの心が、この色で、はっきりと、解ってしまいます。

そして、相手は、しっかりとした、親の元から、妻を得ている男なのである。

これは、結婚前の歌である。

紫式部は、三十近くになって、三人の妻のある、藤原宣孝と、結婚している。宣孝は、四十五歳くらいである。

仲睦まじい頃もあり、一女賢子を産む。
他に、妻のある、宣孝であるから、紫式部は、夜離れ、よがれ、の寂しさを味わうことも、多々あった。

夜離れ、とは、夫婦生活である。
よがれ、という語感が、なんとも、不思議である。

今では、ヨガルという言葉は、セックスの際の、快感を得る時の、喘ぐことを言う。
または、方言としてあるのか。

当時、セックスすること、契りて、と、言うのみ。
セックスから、遠ざかることを、夜離れ、と言う。

現代小説などが、描く、セックス描写がない。つまり、セックスの技巧というものが、未成熟な時代である。
契ることで、それは、解消した。
しかし、その、契る、ということのために、その前後の、心の様が、実に、綾のように、動くのである。

セックスというものも、進化したのであろう。
生殖という意味に、おかなかった、日本人のセックスは、芸術文化として、表現された。
単純に、生殖であるとする、アラブ、西洋の、一神教的、性の文化でない。
ギリシア神話も、セックスに関しては、日本の古代の、セックスに、まつわる、華やかしさは無い。

現代の、セックスの、生殖器を、テーマとするものではなく、セックスにまつわる、心模様に、風情という綾が、掛けられた。
色好みとは、それを、言う。
生殖器好みではない。

ポルノ小説と、純文学の、性小説とは、なんら変わらない。
江戸時代まで、恋と、通常の生活の、夫婦関係というものを、区分けして、考えていたのが、日本人である。
遊郭文化というものが、花開くのも、江戸元禄ではなく、長い年月をかけた、下地があったれば、こそだ。

平安期、妻を、多く持つ男は、沢山いた。
一夫多妻である。
それは、昭和初期まで、妾の、性文化として、残っていた。
それを、容認していた、時代が長い。
そして、女性の、地位向上である。

今は、女性の地位が、向上し、よい時代になったが、今度は、男が、セックスに興味が持てないという、逆転現象が起きている。
また、性に弱くなった、男たちである。

女性器の前で、佇む男たちである。
晒され過ぎたのである。

あれは、明るいところで、見るものではない。薄暗い、光の中で、微かに見えるのが、いい。
だからこそ、セックスが充実した。
不思議は、不思議として、残しておけば、良かったのである。
しかし、手遅れ。

この、病から、抜けるには、百年は、かかる。その間、女性の、受難、セックスに、まつわる受難は続く。
更に、セクシャルマイノリティーという、同性愛が、年毎に、生成発展している。

欧米の、アラブの思想は、これに、対処出来ないのである。ただし、制度は、日本より、進んでいる。しかし、思想としては、対処できない。だが、日本は、思想的には、十二分に、対処できる。
もののあわれ、というものがあるからだ。

愛に、何も捕らわれることは、無い。
制度たけが、遅れているのみ。
それも、時間の問題である。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 93

宗門の人、特に学識ある僧侶の書くものを見ると、述べてある真理が、深く教学に立ち入るにつれ、余りにも専門化されて門外の者には疎遠な感じを起こさせやすい。それに枝葉な問題に精細になると、とかく本質的なことが置き去りにされる。むしろ学問のための宗論で、活きた信仰とはかけ離れてしまう。宗学はそれ自身、立派な存在理由を持つとしても、それが知識の羅列に陥る危険は極めて多い。しばしば特殊な専門家の特殊な問題に終わりやすく、その煩瑣な宗論が、どんなに若い人々と仏教との間に、深い溝を作っているか分からぬ。
柳宗悦 南無阿弥陀仏 より

さて、仏教について、書くことにする。
最初は、浄土教から、始める。

しかし、その前に、結論から、書くべきだと、思っている。

上記、南無阿弥陀仏は、昭和26年から、27,28年にかけ、大法輪という雑誌に、連載されたものである。
広く、多くの読者を、曳きつけたようである。
現在も、上記のことが言える。

暇な坊主の、暇な、宗論研究は、実に、いい気なモノである。
時代は、切迫している。

仏教の専門書は、何を言うのか、よく解らないもの、多い。
さらに、教学なるもの、支離滅裂であることに、気付かない。
単なる、妄想である。

私は言う。

仏教の、悟りや、救いという、観念が、何故、必要なのであるかと。
何故、人間は、悟りが、必要なのか。
何故、人間は、救われなければならないのか。

そして、本当に、悟りとか、救いというものが、あるのか。

更に、万が一、悟って、救われても、私は言う。
人間は、孤独な存在である。
いや、絶対孤独が、人間の存在理由である。

宗教は、その、真理を、誤魔化し、更には、死後の世界までも、誤魔化しで、満たす。

これ程、罪深いものが、あろうか。

死ぬまでの、暇つぶしとは言え、何程の、価値があるというのか。


ただし、仏教の開祖、仏陀を、はじめ、それぞれの宗派の開祖たちの、活動に関しては、私は、敬意を、表するものである。
また、日本仏教の開祖たちにも、敬意を、表する。
それは、時代性と、時代精神が、求めたものだからだ。

また、文学としての価値は、思う存分にあると言う。

浄土教を、先に取り上げるのは、実に、日本人に、浄土宗系の信徒が多いということ。
そして、日本仏教の巨峰といえば、空海と、法然であると、思うからだ。

空海は、いずれ書く。
法然は、仏教に縁の無かった人々に、仏教というものを、提供した功績である。
更に、貴賎別なく、教えを説いたという、行為は、注目に値する。
法然によって、仏教が、一般化したと、言ってよい。

法然は、浄土宗を開いた。
そこからである。

南無阿弥陀仏を、唱えるだけで、救われると、説いたのだ。
救われる。
一体、何からの救いなのか。

これを、見つめつつ、進める。

さて、
柳の文を、続ける。

第二の仏教に関する書物の難点は、漢語による熟字や熟語が、余りにも多いことである。使用された経文のほとんどが一切が漢訳であるから、漢語の表現を用いずして仏教を語ることは容易ではない。のみならず、長い歴史の間には数多くの特殊な術語が培養された。それ故教学に詳しくなると、術語を豊富に知るから、それを誇示するような弊さえ見える。無学な者はそれに近づくことが出来ぬ。今の学生たちは漢字の素養が乏しく、近頃は進んで漢字の使用に制限を施すほどであるから、ますます仏書を読みづらいものにさせる。

ところが、ハウツー物の、仏教入門書などにより、読みやすくなったが、内容も、薄くなる。
薄くなるというのは、解った気にさせる、ということである。
般若心経などの、入門書なのか、エッセイなのか、論文なのか、知らないが、膨大な著書があるが、いい気なものである。
般若波密多 パンニャパラミーターという、知恵という言葉を、語っているのだろうが、知恵など知らない者が、知恵を語るという、仰天である。

語れないものは、語らない方が、いいのである。

仏教を平易に説くということは、それを民衆に近づけるためである。もとより平易は卑俗の意味であってはならない。いつだとて易しさは深さに支えられていなければならない。
柳宗悦

心の、より処を、求めて、般若心経などの、経文に、興味を示すのだろうが、あれを、マジに、読むということは、マジに、おかしくなるということである。

三蔵法師玄奘訳の、般若経の、心臓部であるが、あの、空観というものは、虚無の世界に引きずり込む。
つまり、深さを感じさせて、迷うのである。
その、迷いを、安心立命と、勘違いするのである。

仏教の、教学というものは、実は、それに、尽きる。
迷わせて、それを、安心と、思い込ませるのである。

仏法とは、別名、迷いである。

膨大な仏典というものがあるのは、迷いに迷うからである。
いくら、書き綴っても、終わらないことを、真理を語るのに、終わりが無いというのは、誤魔化しである。

真理とは、単純明快なものである。

太陽は、東から上り、西に、沈むのである。

日蓮は、たとい、日が西から出ても、法華経の揺らぐことは無いなどと、アホなことを言うが、太陽が西から出たら、どうなるのか。

強い信念は、強迫を生み、更に、誇大妄想に突進する。
宗教とは、実に、それである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。