2008年06月07日

タイ旅日記 7 平成20年6月

この旅の、後半である。

チェンマイ市内のホールにての、チャリティコンサートである。


旧市街地、お堀の中にあるホールであり、ホテルから、徒歩5分という、近さである。

4:30入りするまで、私はホテル周辺にいた。


午前中に、タイマッサージを終えて、楽譜を見て、歌詞を覚えた。

実は、一番覚えにくいのが、自分の作詞のものである。

さくらの歌、という歌詞が、また、覚えずらい。

三番まであるのだが、最後の、はらりはらり、とか、ゆらりゆらり、とかの、言葉が、こんがらかるのである。


月の光に照らされて、桜の花びら散るよ、はらりはらり ゆらゆらと

それが、三番まであるから、困る。

一番と二番と三番と、どうなってるんだという、歌詞である。


結局、私は、その歌を、扇子を広げて、歌詞を見て歌った。


40曲ほどある、自分の歌詞の歌は、本当に大変である。


カウンターテナー藤岡宣男は、よく歌ってくれたと思う。そして、今、現在は、辻知子や、森本まり、が、歌う。


勿論、名曲ばかりである。

自画自賛しないでは、いられないのである。


さて、そのホールでは、二度目であるから、慣れたものである。

最初から、伴奏を流して貰い、それを、一度通しただけである。

リハーサルでは、あまり、力まないことである。


ところが、私の場合は、リハーサルで、力尽きて、本番が、とっても良くなることがある。力が抜けて、音程が安定するのだ。


私の歌は、音程が、不安定なところが、いい。

ビブラートが好きで、振るわせる。

だが、それを、少し控えている。

歌は、好みである。

声楽家ではないから、好きなように歌える。


声楽家の歌は、あれは、歌というより、楽譜である。楽譜を読んでいる。

歌は、心である。

しかし、心というのは、実に、難しい。

だから、適当に歌うのである。


その場、その場の、瞬間芸術である。


声楽家の歌で、本当によいと思えたのは、藤岡宣男のみである。


ベルカント唱法というのは、骨格であるから、日本人には、合わない。合わせると、変になる。だから、日本の声楽家は、皆、頭が変になった。

何せ、常識というものを、知らないという、馬鹿者が多い。


胴長短足で、欧米人の真似をするという、滑稽さである。

ホント、憐れである。


日本語の歌を、彼らに歌わせると、よくよく、程度が、解る。

日本語になっていないのだ。


私の方が、日本語である。

日本語の語感を、忘れた、声楽家であるから、おしまい、である。

死んだ方が、マシである。


さて、ホールにて、準備万端となった。


お客様が、すでに、来ている。

日本人、タイ人、何と、欧米人もいる。

およそ、50人である。

タイ人の中には、日本語を、学んでいるという、チェンマイ大学の学生もいた。


最初は、タイ王様の、歌である。

皆、起立する。


そして、私は、日本の国歌の、変わりに、荒城の月を、舞ながら、歌った。

アカペラである。


滝廉太郎は、五線譜に、作曲したが、この曲調は、まさに、大和楽である。


はアるウこウろウのオ

こウろウのオは、こウろゥオろオとなる。


まあ、それは、いい。


二度目であるから、二度目の人もいる。

少し、緊張する。


日本歌曲といわれる歌を、続けて歌う。

歌曲とは、ドイツで言えば、リートである。フランス歌曲、イタリア歌曲である。

何のことは無い、歌である。

歌曲と言うほどのものではない。

翻訳が、拙かった。


ここで、日本の歌について、論じたいところだが、次に続ける。


二部の最初は、野中のイダキである。

アボリジニの、民族音楽である。これが、また、ウケた。

ブーウブーゥ、と、鳴る音である。

私は、控え室で、聞いていた。

とても、良いのである。


民族音楽は、聴こえない音を出すからいい。

聴こえない音。それは、体で聴く音である。

耳には、聴こえない音を、出す。それが、いい。

以下省略。


四曲、童謡を歌った。


童謡は、いい。

簡単な作詞、単純なメロディーである。

だから、どうにでも、歌える。


ほとんど、今は、歌われない歌である。

何故か。

マスコミである。

金になるものしか、歌わせない。


どこの言葉か、知れない歌詞の歌を、流す。

テレビを見ない私も、何度か試して、今時の歌を聴いたが、解らないのである。

どこの言葉なのか、である。


私は、その時、老いというものを、感じた。

解らないということは、老い、なのであろう、と。


しかし、不完全勃起は、しない。だから、悩む。


すべてが、終わり、私は、着替えて、受付に出たが、お客様の、ほとんどは、帰った。


実は、朝、熱を計ったら、微熱であり、コンサートが、終わったら、すぐにホテルに、戻ろうと思っていた。


お客様が、帰られたので、安心して、すぐに、ホテルに帰ることにした。


何せ、明日は、カレン族の村に、行くのである。

ダウンしていられないのだ。


小西さんに、挨拶して、野中と、早々に、ホテルに戻った。

着物は、汗だくになっていた。


もう、外に出て、食事をする意欲も無い。

野中に、パンを買って来て貰い、それを食べて、すぐに寝た。


そのまま、翌日である。




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2008年06月08日

神仏は妄想である 87

すぐれた歴史家は過去の発言を自分たちの基準で判定しないというのは決まり文句である。エブラハム・リンカーンは、ハクスリーと同じように時代の先を行っていたが、それでも、彼の人権問題に関する見方は私たちより後退した、人種差別主義者のもののように思われる。 ドーキンス

したがって、言わせてもらえば私は、白人と黒人の社会的・政治的平等をどんな形にせよ実現することに賛成ではないし、これまで賛成したこともない。黒人を有権者や陪審員にすることにも、公務員になる資格を与えることにも、白人との人種間結婚にも私は賛成しないし、賛成したこともない。そしてまた、さらに加えて言わせてもらうならば、白人と黒人のあいだには身体上の相違があり、そのゆえに、両人種が社会的・政治的平等の名のもとに一緒に生活する日などは永久に来るまいと私は信じている。そして、両者が平等な生活を送ることなどできないにもかかわらず一緒にとどまるのであれば、優劣の立場は存在せざるをえず、私はほかの誰にもまして、白人が授けられた優位な立場をもつことに賛成するものである。
リンカーン

奴隷解放をした、リンカーンであるが、驚くべき、差別を持っている。が、それが、時代精神である。

ゆえに、ドーキンスは

ハクスリーとリンカーンが現代に生まれて教育を受けたとすれば、自分たちのヴィクトリア朝的で慇懃無礼な物言いに、ほかの誰よりも真っ先に身の縮む思いをするのは彼ら自身だっただろう。私がこれらの文章を引用したのはひとえに、時代精神がいかに移ろいいくものかを示したかったからにほかならない。
と、言う。

ワシントン、ジェファーソンその他の啓蒙主義的な人々が奴隷制を支持していたことは、もちろんよく知られてる。時代精神は移ろい、それはあまりにも容赦ないものであるため、私たちはときにそれを自明のこととみなし、その変化自体が現実の現象であることを忘れてしまう。
ドーキンス

時代精神という物の見方により、実に、明晰に見えるものがある。
そして、この時代精神というものを、持つことで、歴史を、より理解できるのである。

その、時代精神であったから、と、納得する事柄が、多い。
しかし、宗教における、時代精神というものを、考えれば、それには、全く、関知しない。

時代精神も何も、棚上げするか、無視して、今でも、700年前の、鎌倉仏教などを、奉じているという、形相である。

歴史があるというのと、伝統があるというのとは、別物である。

芸術活動も、時代精神に支えられてあるから、市川猿之助などの、新歌舞伎が、今では、当然のように、受け入れられている。
当時は、飛ぶ猿と、揶揄された、市川猿之助は、歌舞伎の古色蒼然とした世界に、新しい息吹をもたらした。
更に、世襲制を廃して、才能ある、若者を起用するという、新しい歌舞伎役者の、養成も画期的だった。

このように、何一つを、とっても、時代精神というものを、理解しなければ、解らないものが多い。

当時、限られた者の、仏教というものを、一般市民にまで、疑いを持っても念仏すれば、救われると、説いた、法然は、時代精神の、典型である。
その活動は、画期的なものだった。
鎌倉仏教の、幕開けをしたのは、実に、法然である。

僧兵を抱える比叡山や、高野山、そして、南都六宗の、既成仏教に対して、仰天するような、専修念仏を唱えた法然は、実に、時代精神の、最もたるものだった。

誰もが、その説教を聞くことが、出来た。
遊女も来た。武士も来た。更に、既成仏教に、疑問を持つ者も、集った。

いよいよ、大衆に、仏教が布教される、幕が開いたのである。

しかし、それを、今現代に、通用するかといえば、無理である。
時代精神が、移ろうものであるということに、気付くべきである。
その、時代ゆえに、必要であったものが、今も、必要であるとは、ならない。

「もろもろの知者たちの、沙汰し申さるる観念の念にも非ず、また学問をして、念の心をさとりて申す念仏にもあらず」一枚起請文 法然

無知文盲の人々に、その人々が思いつめた、生死の心に、語り掛けたという、法然の布教は、実に、時代精神である。

結果、既成の仏教団体の、有り様を否定するというまでに、高まった。当然、迫害が起こる。

しかし、今、法然を見つめれば、弥陀の本願という、無明に、迷ったものであり、心を深めて、更に心を見つめるという意味では、為るほどの、価値はあるが、それは、それで、終わった。

私が、法然を評価出来る事は、開祖にあるべき、自筆の書き物を、残さなかったこと。
そして、当時の、常識であった、加持祈祷、呪術、巫女や、行者や、修験道などの、病気治療や、現世利益的祈願を、排斥したことである。
迷信、宗教的習慣に、重きを置かない、一筋に、心の問題を、取り扱ったことにある。

信仰が、純化されたという、批評家もいる。

さて、それでは、現代の、浄土宗は、いかがであるのか。
伝統というものに、堕落した。
伝統とは、この場合は、言わないが、歴史が長いということでの、伝統という。

伝統とは、万葉集に象徴されるように、国民の、宝であり、なお、それが、今も、息吹をもっているということである。
古いが、いつも、新しいものである。

伝統に、堕落するというのは、その、教義という、教えに、単に無批判にして、唯々諾々として、既得権益をのみ、守るということをいう。

徳川家の菩提寺などということは、良い。
ただ、それは法然の、思想であり、宗教ではない、それが、色褪せているということである。

このことについては、いずれ、書くことにする。
時代精神ということについて、更に、ドーキンスと、進めてゆく。

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もののあわれ208

紫式部という、名前は、宮仕えをした時の、女房としての、名前である。

当時の女性の名は、皇室以外は、単に女と、言われた。誰々の女、である。
女房の名前は、父や夫の官職の名によって、付けられた。

紫式部は、父の為時が、かつて式部丞、しきぶのじょう、であることから、名付けられた。
何故、紫が、ついたのかには、定説は無い。

紫式部は、世界最初の小説である、源氏物語において、不滅となった。
今年、2008年は、源氏物語、千年紀である。

私は、源氏物語の、自然、風景描写から、もののあわれ、というものを、見るため、その前に、彼女の歌を、読み、その伏線としたいと、思う。

紫式部集である。

和歌、歌の道は、当然の常識だった。
つまり、いつ、いかなる時でも歌を詠むという、教養である。
当然、紫式部も、早くから、歌を読んだ。なにせ、彼女は、頭脳明晰で、漢学者の父が、弟の、惟規、のぶのり、に、漢籍を教える傍で、聞いていて、先に覚えてしまうほどだった。更に、宮仕えの時に、中宮に、漢籍「白氏文集」を進講するほどだったのだ。
この、素養が、源氏物語にも、結実したと、思う。

源氏物語には、794首の歌が、作られているが、紫式部集には、他人の歌も入れて、114首である。
しかし、そこには、娘時代のものから、晩年に渡る歌がある。
作者の、生涯に渡る歌である。

物語で、有名だが、彼女の歌を読むことで、物語への、理解が、更に深まると思う。また、彼女自身が、感じていたものを、歌を読むことで、察することが、出来る。

最も、これ以上に、歌を作ったのであろうが、現存するものは、室町期以降のものである。
それらに、関しては、素人の私であるから、他を参考に。

私は、紫式部の歌にある、もののあわれ、というものを、見つめてゆく。

訳は、私の勝手な訳である。


はやうよりわらはともだちなりし人に、としごろへて行きあひたるが、ほのかにて、七月十日の程に月にきほひてかへりにければ

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし よはの月かな


幼い頃から、友達になった人に、年頃になって、逢うことができた。少しの時間だったので、顔も、よく見ることができなかった。七月十日の宵の月と、争うように、帰ってしまった。

折角、お逢いしたのに、あなたなのかどうかと、分からないうちに、お帰りになり、夜の月が、雲に隠れるように、心残りでした。

巡りあいと、月とは、深い関係がある。この関係を、縁語という。
素直な歌である。

雲隠れする、夜半の月のようにという、あたりに、ほのぼのとした、心情を感じる。


その人、とほき所へいくなりけり。秋の果つる日きて、あかつきに虫の声あはれなり

鳴きよわる まがきの虫も とめがたき 秋の別れや なしかるらむ

その人は、遠い親に任地に、行くのである。秋の終わる頃、まだ夜明け前の、暗いうちに。
虫の鳴き声が、あわれである。

力なく、鳴く虫の声も、遠くへ行く、あなたを、引き止められないのです。秋の終わりの、この時期です。私と同じく、悲しかったのでしょう。

虫の鳴き音と、私を、共感させている。
私の心を、虫の音が、代弁するのである。
これは、日本人に理解できる、心情である。

物に、心を、重ねて観るという、心である。

私の哀しみが、虫の音に、託される。
擬人法の、最初である。
つまり、虫の音に、私が同化する。

それは、虫の音に、思いを込めるともいう。
自然と、共生、共感して生きた、日本人ならではの、感覚である。
これが、もののあわれ、に結実する。


「筝の琴しばし」といひたりける人、「参り御手より得む」とある返り

露しげき よもぎが中の 虫の音を おぼろけにてや 人の尋ねむ

筝の琴を、借りたいという人が、参上して、手ほどきを受けたいと言う、その時に

露の多い、よもぎの中の、虫の音を、聞きに来る人がいるでしょうか。同じように、こんな私の所へ手習いに来たいというのは。

どうして、私の所などに、琴を習いたいと言って来るのでしょうか、という。
教えるほどの者ではないと、いう。
おぼろけ、にてや
朧である、つまり、どこにでもありそうな、虫の音を、わざわざ、聞くなんて、という、気持ち。いいかげんな気持ちということになるのか。
人の尋ねむ
わざわざ、尋ねてくる人がいるとは。
謙遜しているのである。

ふっと、思いついたような、気持ちが、歌になるという、時代である。

現代も、和歌や俳句を、作る、詠う人がいる。
そういう人は、いつも、題材を探して、色々なものに、心動かされる。
毎日が、新鮮であるはずだ。
心の中に、新たに生まれる風景を、楽しみにする。

心の中に、多くの、掛け替えの無い風景を、持つ人は、矢張り、心豊かな人といえる。
私も、旅先で、歌を詠む時は、実に楽しい。
ふっとした、感情の綾を、見逃さない。つまり、内省である。
静かに、我が心に、聴く時の、静けさがいい。

方違へにわたりたる人の、なまおぼおぼしきことありて帰りにけるつとめて、朝顔の花をやるとて

おぼつかな それかあらぬか あけぐれの そらおぼれする 朝顔の花

方違えというのは、凶の方位に行くために、その方位を吉に変えようと、一時的に、別の場所に一泊して、出掛ける行為を言う。
なおおぼおぼしきこと
何を言いたいのか分からないという意味。
そうして、帰って行った。
つとめて
朝早くである。
朝顔の花をやるとて
朝顔に、男の朝の顔を、掛けている。

よく解りません。それかあらぬか、とは、私と姉とに、色々と、話しかけて、つまり、色めいたことを、語りかけて、明け暮れとは、早朝である。そらおぼれ、とは、空とぼけた感じで、帰った、朝の顔が、朝顔のようで・・・
朝顔と、朝の顔である。
遊び心、十分である。

返し、手を見わかぬにやありけむ

いづれぞと 色わくほどに 朝顔の あるかなきかに なるぞわびしき

返しは、誰の筆跡か、解らないようである。
返歌が、贈られてきたのである。

いづれぞと
どちらの方から、贈られた花かと、考えているうちに、朝顔の花が、しおれてしまった。
なるぞわびしき
切ないことです。
色わく
筆跡を見分けるが、花の縁から、色わくという、思い。

筆跡を、見分けることを、色わく、といい、それを、花の縁に、掛けるという、余裕である。

なんとも、のんびりしていて、いいものだ。
まだまだ、物語への、道は遠い。
その、萌芽も見えないのである。

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2008年06月09日

もののあわれ209

筑紫へ行く人のむすめの

西の海を おもひやりつつ 月みれば ただに泣かるる ころにもあるかな

筑紫は、筑前、筑後の国、現在の福岡県である。
また、九州全体を指す場合もあり。

筑紫へ行く人のむすめ
というのは、父が、官職を得て、赴任するのだろう。

これから行くと言う、西の海を、思い、月を眺めれば、ただ、泣けてくるこの頃です。

月は、遠くにある。遠くに行く人を、月の遠さに、掛けて言う。

人生は、ただに泣かるる、ということが、多い。
その、人生を、儚いと、観る。
また、浮世、憂鬱の、憂い世でもある。

この場合は、別れであるから、まだ、壮絶ではない。
だが、壮絶な、ただに泣かるる、ということも、多いのである。

愛する人を失うことなど。
死別は、最後の別れである。

別れにある心情もまた、もののあわれ、というものの、心象風景である。

死、というものにこそ、もののあわれ、というものは、極まる。


返り事に

西へ行く 月のたよりに たまづさの かきたえめやは 雲のかよいぢ

返歌に

月は、雲の道を西に行きます。その西へ行く私に、あなたの文が、途絶えることは、ありません。
たまづさ
手紙であり、文。
かきたえ、め、やは
書く文は、やは、反語である。

雲のかよいぢ
雲の間を通る道であり、これは、想像力である。
雲の通い路である。

君偲ぶ 雲の通い路 掻き分けて いざもろともに 恋の命を 天山
このように、詠むことが、できる。

風情である。
形の無いものにも、心が通うと、観たのは、日本人である。
それも、精霊信仰の一つと、言って、済ますことは、出来ない。
生活の中に、息づいていたのである。
生活、生きること、そのものに、風情という感覚があった。

信仰というより、それが、生活態度だった。

そして、更に、その行為を、奥ゆかしいと、言って、貴んだ。

雲の中に、一筋の道があると、仮定しての、人と人の、心の交わりである。
人をつなぐものを、携帯電話と、見立てることも、雲の通い路と、見立てることも、大差無い。
私は、雲の通い路を、取る。

子供は、色々と大人に問う。
神様っているの。サンタクロースっているの。等々。
いるよ、と答える。
いずれ、子供が成長して、それを、自分が決めることを、知っている。

夢を、与えるということは、想像力を、逞しくするということだ。それは、情感教育である。
いずれ、大人の現実の世界を知る時、その中で、苦難する時、新たな、夢を、描いて、生きられるように。
それは、決して、宗教を信じるというような、低級なものではない。
己を信じて、己の道を、見いだす力である。

それを、知性と言い、感性と言い、理性と言う。


はるかなる所に行きやせむ行かずやと思ひわづらふ人の、山里よりもみぢを折りておこせたる

露深く おく山里の もみぢ葉に かよへる袖の 色をみせばや

都から、遠くへ行こうか、行くまいか、迷う人。山里の、紅葉を、贈ってきた。

露の置く、紅葉は、色濃くあります。涙に染まる、紅葉の葉の色のような、私の袖を、お見せしたいものです。

木の葉が、紅葉するのは、露や時雨に染まると、考えられた。
袖が、紅葉の色、それは、血の色とも、思われた。
哀しみの極地にある心情とされる。

返し

あらし吹く 遠山里の もみぢ葉は つゆもとまらむ ことのかたさよ

嵐吹く、遠い山里の紅葉は、少しの間も、留まっていることは、難しいでしょう。散ってしまいます。そのように、あなたを、連れて行こうとする力に、抗うことは、できません。

つゆもとまらむ ことのかたさよ
露も止まらぬ 事の堅さである。
都に留まることは、困難である、という意味になる。
紅葉が散ることを言う。

紅葉に置いた露は、紅葉と共に、散るのである。

また、その人の
もみぢ葉を さそう嵐は はやけれど 木のしたならで 行く心かな

紅葉を、散らせる、風は速いものですが、木の下でない場所に、行く気には、なれません。

連れて行こうとする力は、強いが、行く気になれないという。
木の下とは、親の元であるのか。

多くの言葉を、使わず、和歌にして、思いを伝える時代である。
言葉に対する、感性が、鋭敏な時代と言える。
これが、日本の文化の大元である。

言葉に託すとしても、多くを、語らない。
また、物に託すこともある。

以心伝心という心情は、日本人の特徴でもある。

ピンと、くるものがなければ、歌詠みなど、出来ない。
感性の磨きの、最高のものである。

感性の、在り処はと、聞かれたら。
もののあわれ、と、答える。

多く語らず、多くを語るもの、それが、歌の道であった。
今は、それが、廃れて、久しい。

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神仏は妄想である 88

時代精神ということについて、ドーキンスの文を引用して書いている。

アメリカのイラク侵攻は、市民のあいだに犠牲者を出したがゆえに広汎な非難を受けているが、しかしそうした犠牲者の数値は、第二次世界大戦において同様の状況で得られたであろう数字と比べれば、桁違いに少ない。ここには、道徳的に許容できることに関する基準の、着実な移行があるように思われる。ドナルド・ラムズフェルは現代でこそこの上なく酷薄でおぞましいことを言っているように聞こえるが、もし彼が第二次世界大戦中に同じことを言ってたとすれば、なにかといえば事を大袈裟に危惧してみせるリベラル派のように見られるだけのことだろう。この数十年に何かが移り変わってしまったのだ。それは私たちすべての中で移り変わっており、宗教とはなんの関連もない。どちらかと言えば、それは宗教のゆえに起こったのではなく、宗教があるにもかかわらず起こるのである。
ドーキンス

宗教があるにも関わらず起こる、という言葉に、同感する。
それが、時代精神である。

時代精神は、宗教を超えたものである。
いかなる、宗教といえども、それには、敵わない。
逆に、宗教のみの、価値観が、時代精神というものに、対立している、または、逆行している。しかし、宗教は、多くの善なることにおいて、それは、我々のゆえのものだと言うはずである。
宗教というものは、厚顔無恥だからである。

時代精神の移行に関して、ドーキンスは、

この移行には、はっきりと認められる首尾一貫した方向性があり、その方向性を私たちの多くは改善と判断するだろう。悪の外延を前人未到の領域まで推し進めたとみなされているアドルフ・ヒトラーがチンギス汗よりも多くの人間を殺したことは疑いないが、彼は20世紀の技術を思うままに使うことができたのだ。そしてヒトラーといえども、チンギス汗が公然としたように、犠牲者の「涙にくれる愛しい近親者」を見て無上の喜びを得ただろうか? 私たちはヒトラーの悪の程度を現在の基準によって判定するが、道徳に関する時代精神もテクノロジーと同様、カリギュラの時代以来移り変わってきたのだ。ヒトラーは、私たちの時代のより慈悲深い基準で測られればこそ、格別に邪悪に見えるのである。

と、言う。

これ以上に、語ることが、あるだろうか。
ドーキンスは、神は妄想である、との、論旨であり、私は、神仏は妄想であるとの、論旨である。

ドーキンスの主は、聖書を聖典とし、その神を奉ずる、ユダヤ、キリスト、イスラム教を、言うが、私は、それに、仏教、とりわけ、日本仏教の、仏を、加えるのである。

勿論、時代精神に、現れても、なお、残存している、宗教というものの、ある意味での、価値というものも、無視してはいない。
しかし、その価値は、教義にあるものではなく、その外側、つまり、芸術、文化的行為にあるものである。
それなくしては、成り立たなかった、芸術作品等々である。
それを、破壊せよとは、言わない。
タリバンのように、破壊しないのである。
そういう意味である。

明治に、廃仏毀釈が、行われた。
その時に、重要な、文化財としての、仏像なども、破壊された経緯がある。
美術工芸としての、価値までも、破壊するという、傲慢な、行為は、無い。

長野の善光寺は、国宝である。
しかし、タリバンなどによると、偶像となり、破壊される。
歴史は、そうして、他宗教、それは、他民族にもなるが、それらを、破壊しつくして、支配が成り立ったが、さて、現代は、どうだろうか。
最早、そのような、時代精神ではない。

果たして、漢訳された、仏典を、漢語で、読経するという、呆れた状態に、時代精神は、合うのだろうか。

例えば、般若心経を、見る。
玄奘訳である。

かんじざいぼさー
ぎょうじんはんにゃはらーみーたーじ
しょうけんご おんかいくう どいっさい くやく

様々な人々によって、解釈がなされ、ハウツー物で、満足する、大勢の人。
知った振りになって、読経し、写経するという。

更に、その深遠な、解釈に酔う。
深遠と、思うのは、単に理解できないということであるが、それを、深遠であると、認識する程度である。
だから、国語能力の無い者が、多く騙される。

それらに、ついてゆけない者は、新興宗教の、耳障りの良い言葉に、騙される。
修行という言葉の意味さえ、知らずに、修行を求めるという、豚のような教祖に騙される。

何の所作も、なくても、感受性の強い者には、簡単に、理解されることが、特別なものになるという、宗教的行為というもの。

文学としての、芸術評価とされるべきものを、信仰するという、仰天である。

時代精神、時代性というものを、理解するならば、宗教の、無知蒙昧に、気付き、騙されることはない。
要するに、解らないことを、解るように、神や仏の名に、すり替えているということに、気付くぺきだが、解らないのである。
そして、神や仏の名において、解った、つもりになるという、傲慢である。

それは、例えば、仏陀の、教えた、憎冗漫であると、気付かない、傲慢さである。
すでに、教義自体に、行為自体に、傲慢があるということに、気付かないのである。

万事休す。

ただ、人間は、見えない物、感じない物、知らない物に、興味を曳かれる。
それが、結果は、神や仏という妄想と、結びつく。
占いというのが、廃らないのも、それである。
占いの、基本は過去を見るというものである。が、それが、未来を見るというものに、変質しても、気付かないでいる。
過去を見るから、未来が見えるという、基本があった。それが、いつしか、未来を予言する、予知するものとして、占いを、誤解して、今まで来た。

宗教も、同じである。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイ旅日記 9 平成20年6月

子供たちと、別れて、気分良く、家に戻った。


道端には、黒豚の子豚が、遊ぶ。犬が、寝ている。鶏が、走る。

時々、オートバイが走る。

しかし、皆、共生している。


不思議な光景だった。


夕食まで、家の周辺を見て周り、写真に収めた。


夕方、お父さん、お祖父さんが、帰ってきた。

しかし、お祖父さんは、自分の家、つまり、奥さんの家に帰る。

ここの、長男は、結婚して、妻の家に入った。

女系なのである。


夕食の前に、小西さんが、今夜は、特別な、お祭りがあるという。

昨年の米の収穫を祝い、それで出来た、酒を、男衆で、飲み交わす儀式という。また、それは、今年の、米の豊作を祈るものでもある。


だからと、小西さんが、どんな酒なのかと、私たちに、勧めてくれた。

家々で作る、米の酒、つまり、日本酒と同じである。

口に含むと、焼酎に似た感覚である。


この、麹は、いつの時代からのものか、解らないほど、代々伝えられているものという。

ぬか漬けと同じく、ぬか床が、代々伝わるという感覚である。


口当たり良く、スイスイと、飲んだ。

度数も、それぞれの家によって、違う。


今夜は、皆の家から、酒を持って、それぞれ代表者の家を回り、飲みあげてゆく儀式である。


これは、普段見ることのできないものである。

私は、野中に、フイルムの本数を確認した。

出来る限り、その光景を、写真にしたいと、思った。


夕食の、おかずは、なまずだった。

なまず、というものを、初めて食べる。

焼きなまずで、脂がのって、実に、旨い。

そして、二種類の、香辛料を混ぜたものである。

日本で言えば、漬物に似たものだと、小西さんが言う。


甘い辛さで、ごはんに合う。

ごはんを、腹一杯、食べた。


それから、徐々に、酒の酔いが、回ってきた。


私は、日本にいると、毎日、酒を飲むが、旅に出ると、疲れて、飲めなくなる。

その日は、三日振りに、酒を飲んだ。


夜の闇がおりる。

この闇が、非常に感動のものである。

それは、深夜に、解る。


食事の時、女たちは、座に加わらない。

男だけで、食事をする。

これは、バリ島のウブドゥでも、そうだった。

女たちは、後で、食べるようである。


儀式のある、お祖父さんの家に向かう。

歩いて、10分程度の場所に、お祖父さんの家がある。

高床式の、大きな家である。


二階に上がると、お婆さんがいた。二人暮しである。

お婆さんの顔は、威厳に満ちている。

頭に、伝統のカブリ物、今では、バスタオルのような布を、巻いている。女たちは、皆そうする。意識し始めた子供も、するようになる。


私たちが、最初である。


今は、皆で、それぞれの家を回っているという。

次第に、男が、増えてゆく。

待っている間、茶でもということで、出されるのは、噛み茶である。

最初、私は、何なのか、解らなかった。

それは、茶葉と、塩で噛む、お茶なのである。


真似て、噛んでみた。

そのうちに、目が冴えてくる。

茶葉を、そのまま、噛むのであるから、カフェインが、そのまま出る。


どんどん、男が、集ってきた。

しかし、まだ、待つ。


小西さんが、野中に、イダキの演奏を、皆に聞かせて欲しいと言う。

小西さんは、以前、オーストラリアにいた頃から、イダキが好きだったという。

日本語教師の資格を、取るために、オーストラリアに滞在していたのである。


イダキは、好評だった。

皆、見よう見まねで、吹いた。


今度は、私の番で、歌を披露して欲しいと、言われた。

私は、立ち上がり、童謡の、海を、歌った。


まだ、長老たちが、到着しないので、更に、私は、扇子を出し、黒田節を歌い、舞う。

その時、入ってきた、男が、何と私と一緒に、踊るではないか。

最後まで、私と一緒に、踊った。


非常に楽しい、おじさんである。

勿論、私も、おじさんであるが、おじさん、と言うのが、ぴったりである。


少し、イッている。

皆の、ピエロ役なのであろう。実に、楽しい。言葉は、解らないが、楽しいのである。


漸く、長老たちが、やって来た。

座が、少し緊張する。


皆の座と、向かい合わせに、何人かの、長老が、座った。

酒を、用意する者。

お猪口が、八つほど、並べられた。

皆の人数に比べたら、少ない。


三人の、長老に、酒が注がれた。


その、お猪口を持って、少し、前かがみになり、何やら、呪文のようなものを、唱え始めた。

その間、皆は、手を合わせる。

しかし、私語も、聞こえる。

カレンの儀式は、緊張感と、共に、リラックスしたムードもある。不思議な、儀式だった。


長老たちが、祈り終えると、それを、少し口に含み、皆で、回し飲みする。

全員が、飲み終わると、次に、酒を注いで、一人一人と、一気に飲み干す。


私たちには、その、一気に飲み干すものが、与えられた。

それからである。

何度も、それが、繰り返される。

酒がなくなるまで、続くのだ。


これは、酒に強くないと、大変である。

しかし、皆、淡々とこなす。

普段は、酒を飲まない男たちであるが、儀式の時は、このうよにして、飲む。

ただし、体調の良くない者は、隣の人に助けてもらう。

少しだけ、残して飲んでもらい、残ったものを、飲み干す。


私は、儀式に、緊張していたから、酔いは、あまり感じなかったが、家に戻り、安心すると、酒の酔いが、回ってきた。


約、一時間ほどの、儀式が続き、ようやく、終わった。


皆、適当に、帰り始める。

若者もいる。


実は、待っている、間、私は、二人の男の、簡単な治療をした。

本当は、書かないつもりだったが、書くことにする。


一人は、あの、面白いおじさんである。

右足の膝が、痛いという。

手当てをして、痛みを取る。


もう一人の、おじさんも、足が痛むというので、痛みを、取る。

しかし、それは、一時的なものである。

根本的、治療ではない。

もっと、その原因を、調べる必要がある。


何故、そんなことをしたかといえば、小西さんが、私を、日本の神様を、奉る人だと、紹介したからである。

それは、つまり、彼らには、司祭という意識になり、祈祷によって、病を、治すのが、普通であるから、私に、それを、求めたのである。

村には、祈祷で、病を、治す人もいる。

勿論、治らない人もいる。


昔と、違い、色々な、細菌が出ているので、祈祷だけでは、済まなくなった。


儀式が、終わった後で、おじいさんも、セキが出て、止まらないと言う。

一応、手当てをしたが、翌日、私は、咳止めの薬を、届けた。


旅の時には、必ず、風邪薬と、抗生物質、その他、常備薬を、持って出る。

皆、医者から、処方してもらうものである。

おじさんには、咳止めを、半分にして、飲むように言った。

薬を、飲まない地域の人である。効き過ぎることもある。


家に戻り、小西さんは、奥さんに、寝酒を、出させて、私たちに、ご馳走した。

しかし、もう、すべてに、酔っているのである。


小西さんの、日本革命の壮大な話を肴に、また、少し飲んだ。

楽しい。実に、楽しい酒だった。


深夜を過ぎて、ようやく、床に就くことにした。

私たちの、寝床は、蚊帳が吊られていた。

そして、枕元に、電池の電灯が、置かれていた。

家のすべての、電気が消された。真っ暗闇である。

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2008年06月10日

もののあわれ210

物思ひわづらう人のうれへたる返り事に、霜月ばかり

霜こほり とぢたるころの 水くきは えもかきやらぬ ここちのみして

物思う人とは、悩みにある人である。その人に、何か手紙、文を書こうと、思う十二月のこと。

凍てついた霜が、流れを閉ざしているように、私の文では、慰める文を、書けない思いがします。

えも、かきやらで
凍てついた流れを、掃けないと、文を書けないと、掛けている。

水くきは
川や池から流れる、細流。


返し

ゆかずとも なほかきつめよ 霜こほり 水のそこにて 思ひながさむ

たとえ、筆が進まなくても、書いて欲しい。あなたの文で、凍てついた心が、慰められるでしょう。

えもかきやらで、と言えば
なほ、かきつめよ、と言う関係である。

心温かいものが、流れるのである。つまり、それは、凍てついた心も、解かすのである。

人と人の関係ほど、尊いものは、無い。
人は人によって、人に成る。

もののあわれ、とは、人の人による、人のための、心象風景である。
そこには、観念としての、何物も無い。

それが、仏教の無常感覚を超えるのである。
そして、それは、美感であり、美観であった、というのが、私の言いたいことである。
いずれ、また、それには、触れる。


加茂にまうでたるに、「ほととぎす鳴かなむ」といふあけぼのに、片岡の木すえをかしう見えけり

ほととぎす 声まつほどに 片岡の 森のしづくに 立ちやぬれまし

加茂神社に詣でた時に、「ほととぎすが鳴けばいい」と思ったのです。片岡とは、傾斜した丘のことである。
片岡の梢が、おかしう見えた。おかしう、とは、面白く見えたのである。美しく見えたのであろう。

ホトトギスが鳴くのを、待つ間、片岡の森の中に立ち、露に濡れていましょう。

森のしづくに 立ちや、ぬれまし
佇んで、濡れていましょう。

当時の楽しみは、自然の中にあった。
花を愛で、鳥の声、虫の音を、聞く。それは、いつしか、聴く行為になっていった。
それらが、皆、心を、写すものになっていた。

精霊信仰ではない。
感性と、知性による、自然理解であり、自然解釈である。
それが、言葉になる時、精神というものが、生まれる。

女房文学と言われるもの、実は、漢字かな混じり文の、はじまりであり、それが、日本の精神を、形作ることになる。
その最初が、女房たちの、日記であった。
最初の、土佐日記は、男の手によるが、あとは、すべて、女たちによる。
それでも、土佐日記の、最初は、「女もすなる日記というものを」との、書き出しである。
平仮名を使うのは、女だったのだ。
だが、紫式部の、源氏物語によって、平仮名に、日本人の精神の、本来のものがあると、知ることになる。


やよいのついたち、河原に出でたるに、かたはらなる車に、法師の紙を冠にて博士だちたるを憎みて

はらへどの 神のかざりの みてぐらに うたてもまがふ 耳はさみかな

ついたち、とは、一日を言う場合も、月の上旬を言う場合もある。
三月のついたち、河原で祓えをする。上巳の祓えという。じょうしのはらえ、つまり、巳の日である。
加茂川の河原に、法師が、坊主頭に、紙冠をつけて、あたかも、陰陽師のように、振舞っている。
本当は、祓えは、陰陽師が、するものであったが、法師も、内職で、することもある。
法師陰陽師という。
神官ではない。

祓戸の神の、神前に、飾った御幣に似た、紙冠をつけた法師ですね。

少しの、皮肉がある。
神前の御幣と、髪飾りとの、相関を歌うのである。

神の飾りと、髪飾りを、掛ける。

当時の、陰陽師の、立場が解る。
神官の役目を、担っていたようである。博士というから、公に、認められていたのであろう。

古来の神道と、中国思想の、特に、道教の影響を受けている。
陰陽道とは、呪術を主にする。
その、是非は、ここでは、問わないでおく。

平安期は、空海の、真言宗の、加持祈祷、更に、山伏の加持祈祷、そして、陰陽師の、呪術という、おどろおどしいものが、主流だったといえる。

素直に、それを、受け入れていた時代であるが、やや、冷ややかに、見つめていた人々も、いるのである。
時代性である。

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神仏は妄想である 89

私の目的にとっては、それが宗教からはやってこないのは確かだとわかればそれで十分である。もしどうしても一つの理論として展開せよといわれれば、私は次のような線に沿ってアプローチするだろう。私たちは、道徳に関する変わりゆく時代精神が、非常に数多くの人々のあいだでそれほどひろく同調が見られる理由を説明する必要があり、またその比較的首尾一貫した方向性についても説明する必要がある。
ドーキンス

ツガイトガイスト、時代精神という意味である。
道徳が、宗教からではなく、時代精神から、発しているのであると、言う。
同感である。

道徳教育とは、その時代精神を、見つめる行為であるということが出来る。
具体的に言えば、社会で起こる様々な、問題を、考えることによって、自然と、時代精神というものを、身につけてゆく。
批判や、同調から、様々な感情を、抜き出し、それを、次に知性により、判断し、理性により、行為する。
勿論、そこには、柔軟な感性を要する。
更に、感性が、実に、素晴らしい感受性を生み出し、それを、芸術行為にまで、高める者も、出るだろう。

これは、理想であろうか。
理想ではなく、現実である。

宗教による、講話のような形から、何がしか、人の道なるものを、探るという、行為は、時代精神から、すでに、掛け離れたものになっている。
しかし、まだ、出版物などを、見ていると、宗教家が、あたかも、人の道を、説くかの如くのイメージを持つ。

私個人として、言えば、宗教家より、精神科、精神医療に関わる人の、エッセイや、論文、などを、読むことで、人の道というものを、考えた経緯がある。
人間の心に関する、深い洞察力は、精神科医の、特に、人間性溢れる方々によって、多く理解した。


第一に、なぜそれほど多くの人々のあいだで同調が見られるのか? 道徳に関する時代精神というものは、バーやディナーパーティーにおける会話を通して、本や書評を通じて、新聞や放送を通じて、そして現代ではインターネットを通じて、人の心から心へひろまっていく。道徳的風潮の変化は、論説で、ラジオのトークショーで、政治演説で、コメディアンのしゃべりで、メロドラマの台本で、議会に提出された法案の投票で、そしてそれを解釈する判事の判決に示されている。それを表す一つの方法は、ミーム・プール内におけるミーム頻度の変化という観点からのものになるだろうが、私はそれに深入りするつもりはない。
ドーキンス

神というものに、また、聖典とされる、聖書により、道徳観念というものが、生まれるのではないという。
ここで、私は、時代の進化という言葉を、用いる。
時代は、進化しているのである。

例えば、仏陀在世当時は、ブッダの言葉が、時代精神として、生かされた。
生き物を、殺すななどである。殺生禁止である。
それは、また、普遍的な、道徳感情になったが、それを行為するのは、時代精神である。

如何に、殺生禁止であろうが、人間は、戦い続けてきた。
日本に、仏教が伝来した時でさえ、それを、取り入れるか否かで、争いが起こり、さらに、仏教の教えが、伝統化されてきた時代でも、争いは、絶えなかった。
仏に祈りつつ、人を殺した。
今、現在も、そうである。

そういう、普遍的な、道徳の指針に対しては、あれかし、という、希望であるが、生活の中にある、様々な問題解決は、時代精神が、受け持つ。

輸血拒否するという、エホバの証人、ものみの塔という、キリスト教新興宗教があるが、最も、愚かしいことに、気付くこともない。
聖書に、輸血を禁止しているからだとの、説明と、解釈は、時代精神に、逆行している。
結果、医療の現場では、成人以外の、子供の場合は、人道的に、輸血をする。
当然である。

頑なさを、戒める聖書の教えもあるが、彼らは、それに、気付くこともない。
輸血しないという、喧伝により、逆に、彼らの宗教を、宣伝するかの如くである。
カトリックや、プロテスタントに、大きな批判の声を上げるが、根は、同じものであることに、気付かないのは、蒙昧だからである。

要するに、話にならないのである。

私たちのなかには、道徳に関する変わりゆく時代精神の進歩の波に遅れている人もいれば、わずかに先を行く人もいる。しかし、二十一世紀に生きている私たちの大部分はは一団をなしており、中世、あるいはアブラハムの時代、あるいは1920年代という最近の人間と比べてさえもずっと先を行っている。波そのものは絶えず先へと動いており、前世紀の先駆者でさえ(T,Hハクスリーはその顕著に例)、一世紀後の遅れた人々よりも自分が後方にいることに気付くだろう。もちろんこの進歩はなめらかな上昇をたどるわけではなく、鋸の歯のように蛇行しながら進むのである。
ドーキンス

試行錯誤をしつつ、人類は、道徳というものを、考え続け、訂正し、修正し、時代精神に合わせ、築いてきた。
そして、それは、終わることなく、続けられる。

昔の人とは、ここでは、老人のことを言う。
自分たちの時代と、違い、道徳観が、失われた、礼儀が失われた云々と言う。それは、いつの時代も、そうであった。
若者は先を行き、老人は、自分たちの、若者の頃を、言う。
しかし、大きな断絶にはならない。
その、相違から、若者と、老人は、語り合うことも出来た。

最も、愚かなことは、宗教の教えにあることからの、道徳教育である。いや、道徳的教育、つまり、洗脳である。
今でも、キリスト教会は、性行為は、正上位で、行えと、教えるのであろうか。
今でも、マスターベーションは、罪であると、教えるのか。
異性を、同性も、含めて、性欲を覚えるのは、罪であると、教えるのか。

新約聖書の中の、イエスも、思いだけでも、姦淫を犯すという。
余程、好き者が、そのセクトにいて、自分の性欲に、恐れおののき、イエスに言わせたのであろう。自らの、戒めとして。

ドイツから、始まった、ダッチワイフの、性能は、実に、素晴らしいものである。
今では、マスターベーショングッズの、性能の素晴らしさに、私は、感嘆している。

相談者の中に、相手の男性が、自分をイカせた後に、グッズで、イクのですが、という相談を受けたことがある。
グッズは、それほど、性能が良くなっている。

一人暮らしの人の、生前の部屋を整理処理する、業者に聞くと、驚くほどの、大人のオモチャがあるという。
実に、大人のオモチャの、世界は、飛躍的に、発展した。

激しい、欲望を、オモチャで解消できるというなら、言うことは無い。

何故、宗教は、性欲を怖れたのか。
いずれ、書くことにする。

私の言いたいことは、個人の、非常に個人的な、情緒に、入り込む宗教というものの、傲慢を言うのである。
尻を拭くことから、指導したいとする、宗教とは、何か。
ほどほどに、いたせ、と言う。

人を一律にして、家畜のように、扱う宗教団体というもの、世の害毒である。

時代精神については、もう少し、続ける。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイ旅日記 10 平成20年6月

夜の闇。


私は、二度、目が覚めた。

目が覚めて、目を開ける。しかし、本当に目を開けているのだろうかと、思った。

何も、見えない。


闇である。

自分の手すら、見えない。


どこにいるのかすらも、解らない程、深い闇。


私は、枕元の、奥さんが用意してくれた、電灯を探した。

それを、取り、スイッチを入れる。

光の線が、走る。


当てた部分だけが、照らし出される。

私は、蚊帳から出て、部屋を抜けて、階段を下った。

そろそろと、降りた。

電灯の光のみが、便りである。


このような、闇を、私は、知らない。


山の中の闇。一つの光も無い。皆無。

物の姿も、勿論、見えない。

私は、階段を下りた、すぐ側で、小便をした。

トイレに行くまでもない。

近いはずのトレイが、遠くに思えた。


目の前の、ハバナの木も見えない。

電灯を消してしまうと、何も、見えないのである。


私は、足探りで、また、階段を上がった。

蚊帳に入り、また、体を横たえた。

横に寝ている、野中も、光を消すと、見えない。


そして、時計を見ると、3:30である。

次に、目覚めたのは、5:30である。

まだ、闇だった。


再度、私は、電灯を持って、下に降りた。

矢張り、闇である。

同じように、小便をした。

その時、トイレの方から、水音がする。

まさか、誰かが、水浴びをしている、はずない。


だが、確かに、その音を、聞いた。それは、何度も、聞こえた。

朝方、霊が動くという、昔の話を、思い出した。

だが、もしや、この家の、おかあさんが、水浴びをしているのかもしれないと、思いつつ、また、階段を上がった。


次に、目覚めたときは、朝の六時である。

日が登り、闇は、消えた。


私は、すぐに、下に降りた。

奥さんが、朝ごはんの仕度をしていた。

鶏が、凄まじく鳴く。

これ見よがしに、鳴く。

隣近所の鶏も鳴く。兎に角、煩いくらいに鳴く。


一羽の鶏が、籠に入られていた。

私は奥さんに、これは、どうしてですかと、問い掛けた。

奥さんは、おかあさんに、声を掛けて、聞いている。

しかし、私にすぐに、答えない。

私は、もしかしたら、食べるのと、尋ねた。

奥さんが、浅く頷く。


私は、昨日、ここの鶏や、ヒヨコを見ていると、もう、ここの鶏は、食べられないと言った。それを、奥さんが、気にしていると、思った。


一度、その場を離れて、戻ると、鍋に、蓋がしてある。

そろそろと、鍋を開けた。

鶏の、頭があった。口を開けていた。

これが、朝のごはんの、おかずになるのである。

伝統的な、鶏のスープである。


香辛料の役目をする、山菜が、幾種類も、入っている。


野中と、小西さんは、酒の飲み過ぎか、中々、起きてこない。

私は、その辺を、周り、時々、鍋の蓋を開けて、中を見た。

お湯の色が、変わってゆく。

鶏の出汁が出ているのだ。


食事である。

おとうさんと、小西さんと、私たち二人が、鶏のスープを囲んで座る。

私と、小西さん、野中の前に、別の一つの椀があった。

インスタントの、味噌汁だった。


折角なので、私は、鶏のスープを試した。塩で、味付けしただけである。ハーブが利いて、美味しい。そこで、一つ、肉を取り出して、食べた。悪くない。もう一つ、食べた。

朝、殺した、締めた、鶏である。

人は、命を頂いて、命を繋ぐという、当たり前のことを、実感した。


その後は、ご飯を、半分にして、味噌汁で、食べた。


こんな、貴重な体験は無い。

バリ島、ウブドゥの、朝ごはんも、地元の人は、塩をかけるだけで、食べるという。

おかずが、何種類もある、日本の朝の食卓とは、雲泥の差である。

どちらが、云々ということではない。


私は、日本の、メタボなどという言葉など、どうでもいいと思っている。

食べられるのである。

何でも、食べる。

世界の三分の二が、飢えているという。

体脂肪が、云々とは、何事かと、思っている。

これ以上になると、とんでもなく、過激になるので、省略する。


本日の朝、それは、結婚式のある朝である。そして、私たちが、バンコクへ向かう日である。


夕方四時頃に、この村を、出なければならない。

貴重な一日が、始まった。


朝ごはんを食べて、私は、顔を洗うために、トイレに行った。

水瓶が用意されて、そこから、桶で、水を掬い、顔を洗う。

非常に、不便である。

私は、日本の生活に慣れている。


ただ、水で、顔を洗うだけである。髭も、そらない。

そして、初めて、大便をした後、左手で、尻を拭いた。

右手で、水桶を持ち、尻に水を落としつつ、左手で、尻を洗う。

尻の穴を触る。

自分の、糞を触る。それを、水で流す。


感動。


これこそ、エコであろう。


何も言うことが無い。


自分が、糞をしない者のような、顔をして生きている者、多く、その匂いも、即座に消臭するという、文明社会。いいではないか。しかし、私は、糞小便をする者であることを、明確にしたのである。


子供の頃、私の田舎では、喧嘩した後などに、糞して寝ろ、という言葉を吐いた。

何と、やさしい、罵倒であろうか。


糞して、寝ろ、である。


お前は、糞をする者である。

私は、糞をする者である。


これ、最高の哲学であり、思想であり、実存である。

糞が、出なくなったら、死ぬ。

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2008年06月11日

神仏は妄想である 90

アメリカでは、人種的平等という理由は、有能なマーティン・ルーサー・キングのような政治的指導者、およびポール・ロブソン、ジドニー・ポワチエ、ジェシー・オーウェンズ、ジャッキー・ロビンソンのように、芸能人やスポーツ選手、その他の有名人や役割モデルとなるような人物によって育まれたのである。奴隷と女性の解放はカリスマ的な指導者に多くを負っている。そうした指導者のうちには信仰をもった人間もいたし、そうではない人間もいた。ある者は、自らが信仰をもつがゆえに正しい行いをした。別の場合には、彼らが宗教を信じていたのは付随的なことだった。マーティン・ルーサー・キングはキリスト教徒であったが、彼の非暴力的な市民的不服従の哲学はガンジーから直接受け継いだものであり、ガンジーは宗教を奉ずる人間ではなかった。
ドーキンス

宗教を持ち出すような人は、いなかったのである。
実に、素晴らしい。
人間としての、行為である。そこには、宗教の教義等々、なんらの欠片も無い。
人間性というものの、尊さである。

それを、神や仏というものを、持ち出すと、汚れる。

何が、素晴らしいかと言って、人間性というものほど、素晴らしいものはない。

霊性というものを、持つから、人間が素晴らしいのではなく、人間性というものを、持つから素晴らしいものなのである。
霊性とは、付随的なものである。

霊主体従といって、のうのうとしている、宗教ではなく、霊も体も、同じく主なのである。
何故、肉体を持つのか。
肉体が素晴らしいからである。
そして、肉体の持つ欲望により、生きられるのである。

さて、創価学会は、ガンジー・キング・池田展というものを、世界的に開催している。
この、恥ずかしき行為は、目に余る。
ガンジー・キング・池田と、並べる傲慢は、甚だしい。
会員にとっては、鼻高々であろうが、他の日本人には、穴があったら、入りたくなるほど、恥ずかしいことである。

世界的指導者として、池田という人物を、掲げるが、単に、信者会員の、金を、思う存分に使えるというだけの、話である。

生きているうちに、どうしても、名誉というものが、欲しいのである。宗教家というより、野心家であり、更に、アホである。

あまりの、軽薄短小さに、愕然とする。

裏千家という、千利休を流れを汲む、茶道の家元が、青年の船というもの、毎年開催し、中国青年との、交流等々を、行っている。
勿論、会員からの、金集めである。
世に喧伝して、裏千家という、華麗なるペテンの、家元制を、喧伝するために、行う。
それと、何の変わりもない。

内容が、空洞である。

その、中国の反日感情を、彼らは、何がしか、緩和させたか。
そのような事実は、一切無い。
すべて、金で、中国側の、称賛の声を集めて、紹介する。
金で、称賛を買うのである。

話にならない。

さて、ドーキンスを、続ける。

それから、教育の改善というものも推進力の一環であり、とくに、私たちのそれぞれが他の人種や異性の人間性を分かちもっているーーーどちらも生物化学、とくに進化論に由来するもので、まったく聖書とは縁が無いーーーという知識の増大がある。黒人や女性が、そしてナチスドイツの時代にはユダヤ人やジプシー「差別用語なので、現在はロマと呼ばれている」が酷い扱いを受けたのは、一つには彼らが完全な人間とは認められてなかったからだ。倫理学者のピーター・シンガーは、「動物の解放」という著書において、私たちはいま、「ポスト種差別主義」の段階へと移行すべき時期を迎えているのだという見解を、きわめて雄弁に主張している。ポスト種差別主義というのは、人間が人間らしく扱われるような、しかるべき扱いを、自分がそう扱われたことを評価できる知性をもつすべての種にまで適用すべきだ、という考え方である。ひよっとしたら、これは道徳上の時代精神が、本来の世紀において向かうべき方向を示唆しているのかもしれない。それは、奴隷制の廃止や女性の解放といったかつての改革からの自然な延長ということになる。

聖書の中からは、決して、起こりえない、考え方であると、私は思う。
ポスト種差別主義とは、画期的である。

神は死んだ。そして、人間が生まれたのである。

時代性、時代精神が、それを、示すのである。

神の知性よりも、人間の知性が、勝るということを、知るものである。
勿論、神と呼ばれるモノは、人間の変形したものである。が。


道徳に関する時代精神が、大まかに一致した方向を目指して動いていく理由についてこれ以上深く追求するのは、私のアマチュア哲学や社会学の範囲を超えている。私の目的にとっては、観察された事実として実際にそういう動きがあり、またそれが宗教によってーーー聖書によってではないことはまちがいがないーーー推進されていないということがわかるだけで十分である。それはおそらく重力のような単一の力ではなく、コンピューターの能力が指数関数に増大することを表現したムーブの法則のように、さまざまな力の複雑な相互作用なのであろう。その原因が何であれ、時代精神の前進という明らかな現象の存在がわかっただけで、私たちが善人であるために、あるいは何が善であるかを判断するために神が必要だという主張を突き崩すのには十分である。
ドーキンス

私は付け加えて、仏典でによってでもないことは、間違いなと、言う。
さらに、コーランによってでも、ないことは、間違いないと、言う。

神や仏の名において、道徳を、説くという、傲慢不遜な態度は、更に、改めた方がよい。
それは、人間の知性によって、説かれ、感性によって、感得させられ、そして、理性によって、行為されるものである。

あと、一回で、ドーキンス氏と、お別れすることにする。



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