2008年06月01日

もののあわれ201

宮入らせたまふとて、しばしこなたの格子はあげず。おそろしとにはあらねどむつかしければ、宮「今から北の方にわたしたてまつらむ。ここには近ければゆかしげなし」とのたまはすれば、おろしこめてみそかに聞けば、宮「昼は人々、院の殿上人など参りあつまりて、いかにぞかくてはありぬべしや。近劣りいかにせむと思ふこそ苦しけれ」とのたまはすれば、女「それをなむ思ひたまふる」と聞こえさすれば、笑はせたまひて、宮「まめやかには、夜などあなたにあらむ折は用意したまへ。けしからぬものなどはのぞきもする。今しばしあらば、かの宣旨のある方にもおはしておはせ。おぼろげにてあなたは人もより来ず。そこにも」などのたまはせて、二日ばかりありて北の対にわたらせたまふべければ、人々もおどろきて上に聞こゆれば、北の方「かかることなくてだにあやしかりつるを、なにのかたき人にもあらず。かく」とのたまはせて、「わざとおぼせばこそ忍びていておはしたらめ」とおぼするに、心づきなくて、例よりもものむつかしげにおぼすれば、いとほしくて、しばしは内に入らせたまはで、人の言ふことも聞きにしく、人の気色もいとほしうて、こなたにおはします。


宮様が、この部屋にお出でになりますので、しばらく、部屋の格子は、上げずにいました。
恐ろしいわけでは、ありませんが、気が引けます。
宮様が、「すぐに、北の部屋に、移して上げましょう。ここでは、外に近くて、奥ゆかしさがありません」と、仰せになりました。
格子を、下ろして、密かに聞きました。
「昼は、女房たちや、院の殿上人などが集いますので、どうして、ここには、いられましょうか。また、昼間は、近くで、私を見ますので、がっかりすると思うと、切ないものです」と、仰せになります。
女は「そのことは、私も、心配していました」と申し上げますと、笑って、「私が、夜など、あちらの部屋に行っている時は、用心してください。怪しからぬ者たちは、覗いたりします。いま少ししましたら、あの宣旨の所へでも、行ってごらんなさい。並々のことでは、あららへは、人も近づきません。宣旨の部屋にも」などと、仰せになりました。
二日ほどして、北の対に、女と、お渡りになろうとされますので、女房たちは、驚いて、北の方に、申し上げますと、北の方は「このようなことがなくても、怪しいお振る舞いでしたのに、あの女は、特別に、得がたい女でも、ありません。それなのに、こんな酷いことを」と、考えて、不愉快で、いつもより、不機嫌になりました。
宮様は、気の毒に思えて、しばらくは、北の方の部屋には、入らず、人の噂も、聞くことなく、女の様子が、気がかりですから、女の部屋に、お出でになりました。


北の方「しかじかのことあなるは、などかのたまはせぬ。制しきこゆべきにあらず、いとかう、身の人げなく人笑はれにはづかしかるべきこと」と泣く泣く聞こえたまへば、宮「人使はむからに、御おぼえのなかるべきことかは、御気色あしきにしたがひて、中将などがにくげに思ひたるむつかしさに、かしらなどもけづらせんとてよびたるなり。こなたなどにもめしつかはせたまへかし」など聞こえたまへば、いと心づきなくおはせど、ものものたまはず。


北の方は、「これこれの事が、あったということですが、なぜ、お話になられないのですか。お止め申すこともありません。しかし、このような、人並みのことではなく、物笑いの種になって、恥ずかしゅうございます」と、泣く泣く、申し上げました。
宮様は、「人を、召し使うからには、あなたにも、お心当たりが、あるでしょう。ご機嫌が悪いので、中将など、私を憎らしく思うのも、煩わしく、髪など梳らせようと、あの女を、呼んだのです。こちらでも、お使いください」と、申されますが、北の方は、いたく不愉快に思われましたが、何も言いませんでした。


かくて日ごろふれば、さぶらひつきて、昼なども上にさぶらいて、御ぐしなども参り、よろづにつかはせたまふ。さらに御前もさけさせたまはず、上の御方にわたらせたまふことも、たまさかになりもてゆく。おぼし嘆くことかぎりなし。


このようにして、幾日か、経ちました。
邸の生活にも、慣れ、昼間も、宮様の、お側に仕え、お髪なども梳きまして、宮様も、何くれと無く、お使いになりました。
その上、宮様の前から、女を離れさせることなく、過ぎました。
北の方の、お部屋に渡ることも、稀になりました。
北の方の、お嘆きは、限りもありませんでした。


日記は、終わりに近づく。
最後は、北の方が、出て行くところで、終わる。
しかし、和泉式部の人生は、終わらない。

その後も、和泉式部は、愛する人を失い、その、喪失感と、空虚感に、生きなければならなかった。
そこには、歌のみが、残った。

年かへりて正月一日、院の拝礼に、殿ばら数をつくして参りたまへり。宮もおはしますを見まいらすれば、いと若ううつくしげにて、多くの人にすぐれたまへり。これにつけてもわが身はづかしうおぼゆ。


年の改まった、正月一日、冷泉院の拝礼の儀式に、朝臣たちが、多く集って参上しました。
その中に、宮様も、お出でになるのを、拝見しました。
大変、美しく、多くの人の中でも、すぐれて、おいでになると見ました。
それにつけて、女は、わが身が、気恥ずかしく思われるのでした。


上の御方の女房出でいてもの見るに、まづそれをば見で、女房「この人を見む」と穴をあけさわぐぞ。いとあさましきや。暮れぬれば、ことはてて宮入らせたまひぬ。御おくりに上達部数をつくしていたまひて、御遊びあり。いとをかしきにも、つれづれなりしふる里まづ思ひ出でらる。

北の方づきの、女房が出て見物しますのに、すぐには朝臣たちを見ずに、「この女を、見よう」と言い、障子に穴を開けて、騒ぎます。それは、大変浅ましく、思われました。
日が暮れ、式が終わり、宮様は、邸に、戻られました。
お見送りに、上達部が、大勢揃って来ました。
管弦の遊びがありました。
大変、面白いものです。
かつての、女の家の暮らしが、つれづれなるものであっと、思い出されるのでした。


かくてさぶらふほどに、下衆などのなかにもむつかしきこと言ふを聞こしめして、「かく人のおぼしのたまふべきにもあらず。うたてもあるかな」と心づきなければ、内にも入らせたまふこといと間遠なり。かかるもいとかたはらいたくおぼゆれば、いかがせむ、ただともかくもしなせたまはむままにしたがひて、さぶらふ。


このように、お仕えしているうちに、召使の間で、不愉快な噂をしているのを、宮様が、お聞きになり「このように、北の方が、女のことを、悪く思われていることを、言うべきではない。疎ましいことだ」と、思われていました。
そのため、北の方の部屋に、入られるのは、稀なことになりました。
女は、このようなことも、心苦しく、北の方が、気の毒に思われました。
どうしたらよいのか、解りません。
しかし、どうすることも出来ずに、ただ今は、兎に角、宮様のされるままに、お仕えすることだと、思いました。

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神仏は妄想である 80

しかし、その十字架を支える神学と懲罰理論は、それよりさらに悪いものだ。アダムとエバの罪は男系の系譜に沿って伝えられてきたと考えられている。―――アウグステイヌスによれば、精液によって伝達されることになっている。すべての子供に、生まれてくる前にさえ、はるかに遠い祖先の罪を受け継ぐように強調するというのは、いったいどういう種類の倫理哲学なのか? ついでながら、アウグスティヌスは当然のように、自らを罪に関する個人的な権威をもつ人間だとみなしていて、「原罪」という表現を造語した張本人である。彼以前には、それは「先祖の罪」と呼ばれていたのである。
ドーキンス

この、アウグスチヌスというのは、カトリックでは、教父とされ、聖人である。
ちなみに、彼は、さんざん女遊びをして、飽きた。そこで、改心して、神の信仰に、のめり込んだ。
女の次に、神にである。
聖人の中には、そいう者、多数。
いい気なものである。

女と、365日セックス三昧で、三年も続ければ、飽きるに決まっている。
その次に、改心をして、神の信仰に生きたという。
これが、聖人という者の、定番である。

更に、悪いのは、そのセックスを罪、罪、罪、罪、更に、罪と、よく言うものである。

人の人生に君臨しようという人物にしては、なんという意地悪くけちくさい偏見であることか。サム・ハリスは、「キリスト教国への手紙」において、爽快なまでに手厳しい。
「あなたがたの主たる関心は、宇宙の創造主が、人間が裸でするような行為に腹を立てるだろうか、ということにしかないようだ。あなたがたのこの潔癖さが、日々、過激なほどの人間の悲惨さに貢献しているのだ」。
ドーキンス

宗教は、夫婦の寝室を、監視することで、成り立つという、不自然さである。
セックスに介入することで、人間を支配しようとする。

本能を、罪とするのだから、終わっている。

ちなみに、日本の古神道、及び、民族伝統宗教は、多く、本能を、恵みとして、捉える。
欲望を、恵みという、健康的なものとして、捉えるのである。
更に、欲望を、命の讃歌とする。
実に、真っ当である。

罪の意識を、抱いて、シコシコセックスするという、真似はしない。

さて、このキリスト教神学を作ったのは、イエスではない。
その弟子たちでもない。
イエスの死後に、一人の強迫神経症の男が、イエスに、突然改心したのである。
その名を、パウロという。

話をサドマゾヒズムに戻そう。神は、アダムから受け継いだ罪の贖いとして拷問され処刑されるために、人間イエスとして自らを顕現させた。パウロがこの不快な教義を説いて以来ずっと、イエスは私たちすべての罪の救い主として崇拝されてきた。アダムの過去の罪だけではない。未来の罪までも救うのだ。本来の人々がまだその罪を犯そうとしてもいないのに。
ドーキンス

ここで、主イエスの十字架により、我々の罪が許されているのだ、さあーー、遊び尽くせという、教義が、現れないのが不思議だ。
親鸞ならば、主イエスが、すでに、未来の罪も許している、私は罪人だから、どんどん、女と寝る。この、どうしょうもない、罪深い人間である、私は、主イエスに救われている。
南無イエスと、念仏、いや、念主を、作り上げるだろう。

手のつけられない、屁理屈を、作り上げるのが、宗教家の、得意技である。

それを、後世の人が、あんたら、こんたらで、こんたら、あんたら、である。と、解説するという、愚劣である。
深い迷いこそ、信仰の深さである、等々、しょうもない、屁理屈を、あたかも、考えているかのように、考えるという、頭の悪さである。

空海ならば、その悪魔の神を、縦横無尽に使い、護摩を焚いて、招霊し、おどろおどろしく、ヤーウェ曼荼羅を作り上げて、奇跡を行い、密教の上前を跳ねるだろう。

知能レベルが、低いほど、あの、曼荼羅というものに、曳かれるらしい。
さらに、宇宙を表すものだというから、呆れる。

芸術というなら、解るが、拝むものでも、奉るものでもない。

ユダの失われた福音書と称される写本が最近になって翻訳され、その結果、広く世間に知られることになった。その発見の状況には論争があるが、1970年代あるいは60年代のいずれかの時にエジプトで発見されたように思われる。それはパピルスに書かれた62ページのコプト語写本で、炭素年代決定法によって西暦300年前後のものとされるが、おそらくは初期のギリシャ語原本から写されたものである。著者が誰であれ、この福音書はイスカレオテのユダの視点から書かれたものであり、ユダがイエスを裏切ったのは、イエスが彼にその役割を演ずるように頼んだからこそであったことを証拠立てている。イエスが磔になったのはすべて、人類を救うための計画の一部だったのだ。この教義は胸くその悪いものであるが、ユダがそれ以来ずっとけなされてきたという事実は、不愉快さをさらにいっそう募らせるように思われる。
ドーキンス

私も、すぐに、ユダの福音書を読んだ。
その手の、危険な書物は、最初、日本語に訳される。
日本では、ユダヤ教もキリスト教も、騒がないからである。

ちなみに、「キリストの棺」という、本が出て、センセーショナルを巻き起こしている。勿論、キリスト教国である。
イエスの妻の、マリアと、息子との、墓が、見つかったというものである。
新約聖書に、出ている、マグダラのマリアが、妻だという。息子もいた。
その墓が、見出されたというものである。

科学で、実証されたものである。
しかし、すべての、キリスト教は、無関心を装う。
当然である。
すべてが、覆る。

イエスの死体は、無い。
昇天したからである。
今更、墓が、見つかり、死体があったなどと、認めるはずが無い。

事実は、どうでもいい。
宗教とは、妄想で、いいのである。


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タイ旅日記 1 平成20年6月

バンコクには、現地時間、深夜12時少し前に着いた。

日本では、午前二時である。


翌朝の、チェンマイ行きの飛行機を、空港で待つ。

朝、6:45発まで、いつもの空港一階で過ごす。


私は、冷房の効いた、室内から屋外へ、度々出る。タバコを吸うためである。

その時間帯は、ほとんど、警備の人の姿が目立つ。

乗り継ぎを待つ人々は、大半が、一階から、三階のロビーで、寝ている。


この旅の最初は、また、驚くべきことがあった。


一人の若い、警備員が、親しげに、私に話し掛けてくる。

英語が少し、日本語が少し、そして、タイ語である。

私が、外に出るたびに、声を掛けてくるのである。


三度目の時である。

彼は、私に、タバコを一本くださいと言った。私が、一本渡す。そして、ライターを彼に差し出した。

すると、彼は、いいと、手で示す。

その時である。

たかあまはら、と言った。


驚いた。

手を合わせて、高天原と言うのである。


私が驚くと、タバコは、清めてから吸うのだと言う。そして、手をかざす真似をする。

次に出た、言葉が、明主様、めいしゅさま、である。

即座に、救世教だと、解った。

世界救世教である。


熱海に本部があり、その団体からは、多くの新興宗教が出た。

救世教自体、大本教から出ている。


この、教派神道については、神仏は妄想である、に取り上げるので、内容は、省略するが、手かざしで、清めるというのが、特徴である。


彼は、空港の近くに住み、家族が信者であり、彼は、世話役であるという。日本語は、すべて、その教団の言葉だった。


明主様、明主様と、彼の口から出るたびに、私は頷いた。

チェンマイで、小西さんに言うと、チェンマイの郊外に、教団の支部があったが、バンコクにあったとは、知らなかったと言う。

タイには、その他に、創価学会、真如苑などが、教線を張っている。


私も、小西さんも、同じ考えであるが、仏教国、更に、小乗を持っての、国王からも仏教徒のタイに、布教するという、根性である。また、タイの、胸の広さである。それらの、活動を赦している。また、キリスト教、特に、プロテスタントの布教も、激しい。


プロテスタントの、布教の様が赦せないのは、タイの仏教を、悪魔のものであるとする、教えである。

自分たちが、悪魔から出てるということを、知らずに、タイの国教である、仏教を悪魔からのものとして、断定する、その、根性である。

下手な芝居のような、霊能、それを、聖霊と言うが、聖霊が、降臨するなどと、まことしやかに、タイの若者を、騙すのである。


白人の一神教というのは、手がつけられない。

自分たちが、理解出来ないものは、すべて、悪魔からのものだと、考えるという、単細胞である。


その、考え方が、多くの民族を殺し続けたという、事実は、歴史をみれば、一目瞭然である。


さて、救世教である。

旅日記に、相応しくないので、簡単に書くと、手かざしにより、浄霊するという、考え方をする。その、浄霊は、教団のペンダントを必要とする。

今は、どのようになっているのか、知らないが、兎に角、教団から、浄霊の赦しを受ける。それは、自動的に、会員、信者になるということである。


祝詞を、教祖、岡田茂吉が作った。

最初は、たかまがはら、と、言った。

たかあまはら、とは、正統的な読み方である。

が、という濁音が入ると、祝詞が、乱れる。教団の分裂が始まった時に、それに気付いたと、みえて、読みを、たかあまはら、としたはずである。


教団の背後霊団は、稲荷系である。つまり、きつねである。

稲荷は、農耕の神として、伊勢神宮外宮の、豊受大神の眷属である。

だが、単独に、働く場合は、単なる、狐の霊団となる。


狐の霊団は、分派してゆくのが、激しい。

ある、大型教団も、もう少しすると、分派を始める。


その警備の若者は、私に、得意になって、明主様と、連呼した。

私は、その後、タバコを吸うために、二階の外に出ることにした。

一度、エスカレーターで、二階に上がり、外に出るという、繰り返しである。


明主様の、お話を聞かされては、たまったものではない。

まして、その内に、私を清めるなどと、言い始めたら、迷惑である。

子狐に、清められては、具合が悪くなる。


こうして、今回の旅の、はじまりである。


漸く、朝の便の搭乗手続きが、はじまり、私たちは、四階に上がり、国内線乗り場に、出た。

チェンマイまでの、約一時間、私は、眠った。


チェンマイでは、更に、メーホンソーンに向かうために、二時間を過ごした。

そして、10:10発の、メーホンソーン行きに乗る。


約、30分で、メーホンソーンに到着。

待ち時間を入れて、約20時間である。


疲れた。


トゥクトゥクを見つけて、市内のゲストハウスに向かう。

予約は、していない。

しかし、池のような湖の前の、ゲストハウスは、空いていた。

ゲストハウスとしては、高級である。

一泊、600バーツ。約、2000円である。エアコン、ホットシャワー付きである。

二泊することにしていた。


丁度、昼の時間帯である。

部屋に、荷物を置き、町の中に出て、食事をした。

タイ風、イタリア料理の店に入り、パスタと、ピザを頼んだ。


それから、ベッドで、うとうとして、休んだ。

乗り物の、疲れは、格別である。体が、ゆらゆらする。


夕方、フットマッサージをするのが、精一杯であった。


雨季であり、気温が高い。

部屋の前の、ベンチに座っていても、汗が出る。

ただ、山間部であるから、夕方は、少し涼しくなる。


その夕方から、ゲストハウスの前に、バザールが開かれる。

食べ物から、民芸品などが、並ぶ。

御祭りのような雰囲気である。


みかんを山盛り買ったが、15バーツである。約、50円。

焼き鳥、焼肉類は、食中りすると、怖いので、止めた。


明日、一日しか、追悼慰霊の日程を組んでいない。食中りで、一日寝ていられないのだ。


夜の食事は、地元の人が行く、食堂で、ビールを一本飲み、カレーと、お粥にした。

ビールは、コップ一杯で、酔った。

飛行機に乗った後は、すぐに酔う。


そのまま、ゲストハウスに戻り、すぐにベッドに着いた。

同行の野中も、疲れて、出掛けなかった。


夜は、虫の音だけになり、それが心地よい。

バリ島、ウブドゥの夜に似ていた。


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2008年06月02日

神仏は妄想である 81

私はここまで、キリスト教の中心教義である贖罪が悪質で、サドマゾヒズム的で、不快なものであると述べてきた。それがあらゆるところに身近なものとして存在し、私たちの客観的なものの見方を曇らせてきたということさえなければ、狂人の遠吠えとして片付けてしまえたかもしれない。もし神が私たちの罪を赦したいと望んでいるなら、なぜ、その代償として自分が拷問を受け、処刑されたりせずに、ただ赦さなかったのか。ついでに言えば、神がそんなことをするから、ユダヤ人のはるか未来の世代までも、「キリスト殺し」として虐殺と迫害を受けるべく運命づけられてしまったことになるのだろう。この連綿と受け継がれる罪も、精液を通じて子孫に伝えられるものだと言うのか。
ドーキンス

実際、イエスの、原始キリスト教とは、ユダヤ人のイエスキリストであった。
しかし、それが、ユダヤ人のキリスト教徒は、皆殺しされて、ローマカトリックが、正統とされた。
勿論、権力によってである。
ドーキンスも、後で言うが、イエスの教えは、ユダヤ人に向けてのものである。
隣人愛という、教えも、ユダヤ人に、与えられたものである。
それが、何故、こんな、歪な世界宗教になったのか。
すべては、フランク王国時代からの、いや、それ以前からの、ゲルマン人の野蛮さによる。

彼らは、インド大陸においてさえ、インドの伝統と、宗教を徹底的に、壊して、滅茶苦茶にしたのである。
バラモンなどは、彼らからのものである。
野蛮極まりない教えである。

大航海時代に、野蛮な彼らは、キリスト教の十字架を、未開の地に、掲げて、その土地の民族を皆殺しにして、平然と、侵略行為を行い、我らこそ、神に選ばれた者であるという、実に、傲慢な意識で、好き放題にやったのである。

イエスが、ユダヤ人ではなく、白人に、変容させたのも、彼らである。

イエスは、ユダヤ人である。


パウロは、・・・・
血を流さずして贖罪はないという古いユダヤ教的な神学原理にどっぷり漬かっていた。実際、彼は「ヘブライ人への手紙」において、それに等しいことを言っている。だが、今日の進歩的な倫理学者は、いかなる種類の応報刑論も擁護しがたいものであると考えており、とすれば、罪人の犯した罪の代償として無実のものを処刑する、いわゆる身代わり説などは論外ということになる。いずれにせよ、神はいったい誰のためにアピールしようとしていたのか。(という疑いを禁じえない)? おそらく彼自身であろうーーーなにしろ彼は、処刑される犠牲者であると同時に、判事でも陪審員でもあったのだ。挙句の果てに、原罪に手を染めた張本人と想定されているアダムは、そもそもけっして存在しなかった。この、なんとも無様な事実―――パウロが知らなかったとは仕方が無いが、全能の神(そしてもしイエスが神だと信じるならばイエスも)おそらく知っていたーーーは、このもってまわった、胸くその悪くなる理論全体の前提を根本的に突き崩すものである。
ドーキンス

これで、キリスト教の根本教義は、成り立たなくなる。
全人類の罪の贖いによる、十字架というもの、である。

キリスト教徒は、本当に、聖書というものを、読んでいるのか。
読んではいない。
旧約聖書から、真っ当な感覚で、読み進めば、その、知性と理性によって、おかしいと、気付くはずである。
要するに、惰性と、習慣、慣習によって、成り立ったもの、それが、キリスト教である。
だが、それは、手加減して言うことである。

すべては、教会という、お化けが、人を支配するために、掲げた、教えである。

ローマが、突然のように、キリスト教を、国教と、公認したのは、皇帝の支配に善しとしたゆえである。更に、ローマに、教会を建てた、カトリックは、皇帝と結んで、人の心の支配を、確実にした。

そして、そうだ、もちろんアダムとエバの物語は、象徴的なものでしかなかったはずだーーーあくまで象徴的な。ということは、自分自身にアピールするために自らを拷問し、処刑したイエスは、実在しない個人が犯した象徴的な罪のために、身代わりとして罰を受けたことになるのだろうか? 何度も言うようだが、これは狂人のたわごとであるだけではなく、不愉快この上ない言い草である。
ドーキンス

真っ当な、神経の者から、見れば、こういうことになる。

カトリック教会のみならず、すべての、キリスト教徒に言えることだが、信仰は、極めて個人的行為であるから、信じるというならば、言うことは無い。
ただし、それを、喧伝する、更に布教する、そして、宣教ということになれば、多くの混乱を、引き起こすこと甚大である。
聖書を、読むというのは、他人には、趣味のようなことである。

自分の趣味を、人に押し付けるような、無礼な者は、いないであろうが、いるとするならば、それは、僭越行為以外の何物でもない。

全く、悪魔のような、神の思想と観念であること、真っ当な者ならば、知る。
いや、悪霊としか、いいようがない。

イエスが、悪霊に支配されていた、ということも、有り得るのである。
自作自演の、大芝居ならば、拍手を送るが、それを、正しい教えであり、人類を救うというのならば、認められない。

人間は、救われる、必要も無ければ、更に、仏教が言う、仏に成ることも無い。
人間は、人間であれば、いいのである。

救われるという、妄想、神の存在の妄想、果ては、仏に成るという、妄想は、如何に、人生が、暇つぶしであろうと、あまりに、愚かである。
何故、天国に入る必要があるのか、何故、仏に成る必要があるのか。

知恵を、得ることは、大切なことである。
それが、霊的能力を、目覚めさせるというなら、解る。
それが、生きるということを、肯定するというなら、解る。

旧約聖書、箴言の書に、神を恐れることは、知恵のはじめ、とある。
神という、妄想を、想定しなければ、考えることができないというほど、妄想の観念に、やられてしまうということ、である。

「旧約聖書」「新約聖書」の両方で一見推奨されているように見える、他者に対する道徳的配慮の多くが、もともとは非常に限定されたもので、そこに属する個人が帰属意識をもちやすい、いわゆる内集団に対してのみ適用されたものであったことを、キリスト教徒はほとんど認識していない。「汝の隣人を愛せよ」は、私たちが現在考えているようなことを意味するものではなかった。それは、「ほかのユダヤ人を愛せよ」という意味でしかなかったのである。この点は、アメリカ人の医師で進化人類学のジョン・ハートゥングによって、衝撃的な形で論証されている。彼は、内集団の道徳の進化と聖書における変遷について、その裏の側面―――外集団への敵意―――にも重点をおきながら、一つの注目すべき論文を書いたのだった。
ドーキンス

次に、この、ジョン・ハートゥングの論文を、見る。

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タイ旅日記 2 平成20年6月

タイ北部、チェンマイから、北西に、メーホンソーンがある。

今回の旅の、最大のテーマである、追悼慰霊の儀を行うために、私は、来たのだ。


インパール作戦の、最大のポイントが、メーホンソーンにある。

インド・インパールを陥落させて、イギリスからの支配権を奪うものである。

このことを書くには、膨大な量になる。

インパール作戦については、前回のタイ遥かなる慰霊の旅に書いている。


私が、慰霊を行った場所から、順に書いていくことにする。


メーホンソーンから、南に、車で二時間ほどのクンユアムという場所に向かう。

その途中で、ファイポンという村に立つ、慰霊碑に立ち寄ることにしていた。


一時間ほど、山道を走り、その曲りくねった山道に、忽然として、慰霊碑が立つ。

永井元陸軍通訳官が建立した慰霊碑である。


この永井通訳官は、日本の敗戦から、英語塾を経営し、ある日、突然のパニックに陥って、自分が、目にした、連合軍オーストラリアの兵士の拷問に、立ち会った時のことを思い出し、その時から、タイを訪問して、慰霊をしようと、決めた方である。

カンチャナブリにて、その、拷問を受けた、オーストラリア人と、再会したというから、驚く。


彼は、何度も、涙を流して、そのオーストラリア人に、謝罪したという。そして、二人は、深い友情を結んだ。

戦争がしたことである。

二人は、個人的恨みなどない。オーストラリア人は、もう、昔のことであり、忘れると言った。


慰霊碑は、2000年の建立であるから、まだ、八年前のことである。


道路の、向こうは、渓流である。

しかし、渓流は道からは、見えないほど深い。


私は、兎に角、チャーターしている車のこともあり、次々と、回らなければならないと、即座に、慰霊の儀を、執り行った。


慰霊碑の後ろに、思わぬ木が、倒れて、そこから、御幣にする、枝を取ることが出来た。日本から持ってきた、白紙を取り付けて、それを、依り代として、慰霊碑の前に、捧げた。


皇祖皇宗天照大神、そして、神々を、神呼びする。

更に、その地で、亡くなったといわれる、およそ200柱の、兵士の霊を、呼ぶ。


神呼びは、言霊の面目である。音霊にかけて、霊位を依り代に、御呼びする。


神霊、霊位は、音に乗るのである。


神呼びをし、大祓えの祝詞を唱える。

慰霊の儀の、私の大祓えの祝詞は、慰めの祝詞である。

更に、次元移動と、囚われからの解放である。行き先を、見失った霊位に、道をつける。

勿論、奇跡的なことは、起こさない。


祝詞を終えて、次に、神送りである。

その際に、普通の言葉で、話しかける。

この地で、亡くなった兵士たちに、私は、靖国に帰りたい方は、靖国に、故郷に帰りたい方は、故郷に、霊界に入りたい方は、霊界に、お送りすると、語り掛ける。

そして、最も大切な、清め祓いである。


神送りの音霊である。


その時、私は気付かなかったが、同行の野中が、私の神送りの時に、渓谷の方から、一斉に、蛙が鳴き始めたという。そして、私の神送りが、終わると、また、一斉に鳴き止んだという。その時、野中は、はじめて、向こうに川があることが、わかったと言う。


自然の生き物に、霊位が、乗り移り、その意思を、示すことがある。

驚くことは無い。


神送りの時に、私は、慰霊碑を離れて、渓谷に対処していた。体が、そちらに、引かれるのである。


清め祓いとは、想念の清めであり、祓いである。

苦しきことも、哀しきことも、切なきことも、すべてを、祓う。

風が、流れを清めるように、水が、流れを清めるように、すべてを、流す。

それを、日本人は、音霊によって、成した。自然の様を真似たのである。


音は、音楽ではない。歌でもない。

歌は、和歌の歌の道を言う。

音は、清めのものである。


黙祷が、最も正しい祈りであるとは、以前に書いた。

少しの黙祷が、霊位を慰める。


私は、素人であるから、鎮魂の儀は、行えない。

鎮魂帰神という、儀は、私が神になり、私を通して、霊位を、その場から離す行為である。私は、それを行うことが出来ない。


私は、一人の人間として、対座する。

死ぬまで、神になど、なることはない。


鎮魂帰神の境地も、妄想である場合が、多々あることを、知っている。

人間は人間であって、善しとする。


名残惜しいが、次の場所に行くために、早々に、その場を立ち去る。


兎に角、道が、くねくねと、体の休む間もない。

ここも、日本軍が、作った道である。


クンユアムの町に入り、その先の、トーペー寺に向かう。

戦中戦後、ビルマのケマピューを通り、撤退してきた龍部隊の兵士が、駐屯した寺である。

この寺では、203名の兵士が亡くなっている。


寺の中に、慧燈財団が建立した、慰霊碑が建つ。


まず、私は、寺の中に入り、礼拝した。


一人の、老僧が出迎えてくれた。

私の和服に、日本人かと、問う。頷くと、笑顔で迎えた。

後で、ここの地域の人々と、日本兵が、深い関わりを持ったことを書く。

実に、平和的友好を築いたのである。


慧燈財団の建てた、慰霊碑は、平成七年であるから、12年前である。

石碑ではなく、木である。それは、次第に朽ちていた。


先ほどの、依り代を、そのまま持ち込み、同じように、慰霊の儀を行った。

まず、乱れが無いことである。

この寺の、僧たちによって、ねんごろに、葬られたのであろう。


何より、兵士のために、寺では、慰霊塔を建てていた。

ここで、毎日、経を上げてくれる。

まして、顔見知りの僧たちである。

霊位は、安心したであろう。


私は、清め祓いをして、感謝の祝詞を上げた。

ここでの、大祓えの祝詞は、感謝であった。

神送りをして、私は、寺の横を流れる川に、依り代の御幣を、流した。


日が照ったので、丁度、そこで、天照を拝した。


太陽を、アマテラスと、御呼びしてきた、日本人である。

太陽は、どこにでも、姿がある。

太陽をアマテラスと、御呼びしたのは、大和朝廷以前の、富士王朝の一人の、神皇による。

それは、天山通信の、日本の歴史に書いてある。


宇宙が神殿であり、太陽がご神体ということになる。

それは、壮大な、神観念である。

そして、実に、正しい。

自然の大元である太陽を、神と、御呼びして、奉るという、実に、理に適った感覚である。


私も、それを、そのままに、太陽を神として、崇める。

どの民族信仰も、それに対しては、抵抗しない。

皆、私たちと、同じだと言う。

拍手を打ち、太陽を拝すると、彼らも、同じように真似るのである。


後の作法は、瑣末なものである。


野中が、一本の、草花を慰霊碑に捧げて、写真を撮った。

その、淡い紅色の花は、輝いた。


蛙鳴く 虫も鳴くなり 追悼の いしぶみ超えて 天を突くなり

                          天山

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2008年06月03日

神仏は妄想である 82

ハートゥングの聖書解釈が示すところによれば、聖書はキリスト教徒のあいだにおけるそのような独善的な自己満足に、何の根拠も提供しない。イエスは自分によって救われる内集団を厳密にユダヤ人に限定しており、その点で彼は「旧約聖書」の伝説を継承しているのであって、それが彼の知っていることのすべてだった。
ドーキンス

それは、私も、そう考えた。
二千年前の、あの地方の世界の情報が、如何なるものであるかを、知ることである。世界という、意識が、どのようなものであったのかをである。

当時のユダヤは、ローマの属国である。
ローマの、情報を得て、細々と、ユダヤ人は、ユダヤ教を信奉して暮らしていた。実に、偏狭な教えに、縛られていたのである。
どのような、情報が、もたらされるのか。
その中での、イエスの宣教である。

最初、イエスに従った者たちは、イエスが、ローマからの独立を目指す、指導者になると、信じていた。
その程度である。

そして、ハートゥングは「汝殺すべからず」というのはもともと、現在の使われ方とはまったく異なった意味で用いられていたということを、明快な形で示す。つまり、それは非常に特異的に、汝ユダヤ人を殺すべからずということを意味していたのだ。そして「汝、隣人を」と言及されたあらゆる戒律は、同じように排他的なものだった。「隣人」というものは仲間のユダヤ人を意味するのである。12世紀の高い尊敬を受けていたラビで医師であったマイモニデス(モーシェ・ベン・マイモーン)は、「汝、殺すなかれ」が厳密にはどういう意味であるか次のように解説している。「もし、誰かが一人のイスラエル人を殺せば、彼は禁止命令に違反したことになる。なぜなら、聖書は汝、人殺しをするなと言っているからである。もし誰かが目撃者のいるところで故意に殺人をなせば、彼は刃にかけて殺されることになる。言うまでもないことだが、その人間がもし異教徒を殺したのであれば、殺されることはない」。言うまでもない、ときた!
ドーキンス
ハートゥングとは、進化人類学者である。

驚くべき、頑迷であり、明確な、蒙昧である。
イスラムと、同じようなことを、言う。
異教徒は、殺せ、である。

更に、キリスト教徒は、未開の部族、キリスト教徒ではない、民族を、人間とは、思わないという、仰天である。

イギリスは、植民地時代、アフリカの黒人を、奴隷として、アメリカ大陸に送った。
アメージング・グレイスという歌は、その、奴隷船の船長が、罪悪感を痛切に感じて、聖職者になり、作った歌である。
今では、民謡のように、黒人霊歌のように、歌われている。

罪悪感を感じて、聖職者になるという、ズレた行為であるが、事実である。

この章は、「よい」聖書と移り変わる「道徳に関する時代精神」というテーマである。

結果的に、ドーキンスは
宗教を信じようと信じまいと、私たちの道徳心は聖書とは別の源泉からやってくるのであり、そしてその源泉というのは、それが何であれ、宗教のちがいや宗教をもたないことにかかわりなく、私たちの誰もが手にすることのできるものである。
と、言う。

宗教による、と、思われている、道徳感覚は、実に、偏狭なものであり、それ自体が、歩き出すと、宗教の違いで、大きな、摩擦、あるいは、紛争、闘争を伴うものである。
人類は、宗教ではなく、別のもの、を、道徳の源泉として、知るものである。
ドーキンスは、それを、言う。

それは、進化の過程における、生き延びるための、方法だった。
何のことは無い、実に、単純明快なものである。

道徳の、一つの側面として、礼儀作法というものがある。
それを、一つとっても、その地域、その国の、伝統や、習慣、慣習による。そして、それによって、摩擦はあっても、互いに知るということで、摩擦を、避けることができるのである。しかし、宗教によれば、それは、戦いに成る。

一歩も、譲ることのない、宗教というものの、愚昧で、偏狭な教義では、最早、平和裏に事を行えない。

宗教間の、対話という、茶番が、時々行われて、理解を深め、互いに、尊重しあうということが、まことしやかに、行われるが、単なる、世間へのアピールに過ぎない。
そんなことが、本気で、行われることはない。

それが、行われれば、こんな事態にはなっていないのである。

宗教から、抜け出すというのは、麻薬中毒の人が、麻薬から抜け出すのと、同じ程度に、大変なことである。

一見して、平和的に見える、宗教団体の活動も、すべて、偽善である。
それは、道徳的でも、平和的でも、無い。
単なる、宗教の宣伝である。
それも、実に、心の狭い、教義に絞られたものである。

ドーキンスも、言うように、生きるための、ある情熱の誤作動による、信仰という行為を、軌道修正して、人間の知性と、感性を育て、理性により、行為するという、人間教育が必要である。
それは、まず、疑うこと、考えることから、はじまる。

価値観の、先入観を取り除くという、実に、大胆な手術が必要である。

先入観とは、神仏が、存在するという妄想である。

キリスト教徒は、虚心胆管に、聖書を読むということが、大事である。
そして、聖書を、検証すべきである。

教会の教えではなく、自分で、読んで考えるべきである。

ちなみに、信じるということから、発する行為は、愚昧である。

聖書というのは、旧約や、新約と言われるように、契約のことである。
神との、契約なのである。一見、何事もないように、思えるが、契約とは、取引である。何と何を、取引するのであろうか。
相手は、悪霊である。

神というものは、神と、名乗ることはない。神は、いないからである。

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もののあわれ203

和泉式部日記を、読み終えて、そこにある、もののあわれ、というものを、見つめてみた。

平安期の、王朝文学の、担い手は、女性である。
それは、漢字平仮名交じり文にある。
正式文書が、漢字であり、漢詩が、また、正式な表現方法とされて、男が、成すものという、意識があった。

平仮名は、女子供のものという、意識にあり、そこでの、書き物は、男の興味のものではなかった。
それが、変わったのが、源氏物語による。

源氏物語は、フィクションである。
私は、その、物語の、伏線に、和泉式部日記を、見た。
それは、現実である。
現実に生きたものを、書いたという、点で、物語より、説得力がある。勿論、源氏も、別な意味で、説得力がある。

いずれにせよ、その底に流れるものが、もののあわれ、というものである。

文芸の者、それは、家系の伝統であり、世襲制でも、あった時代である。
その中で、女文学は、その一点、もののあわれ、というものを、観た。
また、求めた。

決してそれは、単なる、感傷文学ではない。
この世に、救いなどないが、辛うじて生きられる、心の有り様というものがある。
それを、和泉式部は、観ていた。

敦道親王との、恋は、その邸に、上がり、その前後は、五年間である。
親王は、27歳で死去した。式部は、34歳であった。

日記に、親王の邸に、上がるということを、
つれづれもまぎるれば、参りなまほしきに
と、ある。

燃える恋をいしている式部が、親王の邸に、上がることを、このように、捉えているということに、驚いた。
燃え上がる恋心とは、別の視線がある。
つれづれの、何が、紛れるのか。
つれづれ、とは、所在無い、侘しいのような、意味とみる。

命を賭けた恋でも、つれづれの、となるのである。
これは、知性である。

つれづれと 今日数ふれば 年月の 昨日ぞものは 思はざりける

昨日は、何と物思いの、無い、満たされた日。
今までは、物思いばかりの日だったというのである。

一体、和泉式部は、何を、物思っていたのか。
生涯、物思いに明け暮れていたと、見る。

面白い話が、残っている。
栄華物語、大鏡にも、書かれるほど、奇異なことだった。

寛弘二年四月、加茂の祭りが行われ、その祭りに、親王と式部が、車に乗り、見物した。
宮は、牛車の御簾を高く巻き上げた。
式部は、御簾を垂らして、その隙間から、紅の裳だけを出して、その裾に、赤い幅広い紙をつけて、何と「忌中」と書いて、地に曳いていたという。

人の噂になっていることを、十分に承知での行為である。

この大胆不敵な行為は、つまり、私は、忌中、死んだということである。
恋に死んだ。
そういうことである。
そして、式部は、いつも、恋に死んだ。

若き日、性空上人のもとにて道しける
暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月

という、名歌を詠んいる。

仏の教えを受けたところから、山の端の月とは、仏の光、救いの慈悲ともみるが、しかし、そうではなかった。
そんなものは、救いにも、何にもならなかった。

式部は、ただ、もののあわれ、というものを、見つめて生きるしかなかった。
それは、知性である。
歌は、感性による。

命懸けの恋にも、つれづれなぐさむ、という、実に醒めた目をもって、臨んでいたのである。

紫式部は、身持ちの固い女であった。
和泉式部は、自由奔放な女であった。
一人は、散文で、物語を、一人は、歌で日記を書いた。
そして、二人が、共に観たものは、もののあわれ、であった。

和泉式部は、多くの人の、死に出会っている。
我が娘の亡き後に、詠んだ歌がある。

置くと見し 露もありけり はかなくて 消えにし人を なににたとへむ

置くとすくに、消える露さえ、このように、消えずに残っているというのに、それより儚く消えた娘を、何にたとえましよう。

さらに、親を亡くした孫に歌う。

この身こそ このかわりには 恋しけれ 親恋しくば 親をみてまし

この私こそ、あなたの親の代わりです。母が恋しい時は、その母の親を見るとよいのです。

和泉式部の、別な一面である。

人生というものを、様々な観念、言葉で、捉えるが、言い表すことが、出来ない、日本人の心情にある、もののあわれ、というものを、見定めて、生きた一人が、和泉式部であったという。

一応、和泉式部日記は、終ります。

posted by 天山 at 00:00| もののあわれに第5弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイ旅日記 3 平成20年6月

トーペー寺を出て、来た道を戻り、最後の慰霊の場所、クンユアムに向かった。


まず、クンユアムの戦争博物館の前にある、ムェトウ寺である。

そこは、日本軍の病院跡である。

現在は、寺のみである。

そこに、慰霊碑がある。


病院で亡くなった兵士たち、約300名をその前の、クンユアム博物館のある場所に、埋葬したという。


私は、再度、木の枝を取り、依り代を作った。

慰霊碑の前に、それを、捧げて、神呼びを行い、祝詞を上げる。


暑いせいで、汗だくになる。


慰霊碑の前には、小さな、塔婆があり、南無妙法蓮華経と、書かれてある。

どなたか、日蓮宗の方が来たのであろう。


祓い清めをして、そのまま、クンユアム戦争博物館に歩いて行った。


運転手が気を利かせて、博物館へ案内するが、私は、まず慰霊の儀を執り行いたいのだ。しかし、しかたなく、博物館に入ることにした。


最初に、ビデオを見せられた。タイ語なので、意味は、解らないが、画面を見て、想像が出来た。また、その部屋には、タイだけではなく、サイパンの戦争犠牲者、バンザイクリフから、身を投げる人の写真などもあり、サイパン慰霊の旅を、思い出していた。


展示されている物は、日本兵の遺品である。

即座に、この場も、清め祓いが必要だと感じた。

物に、想念が溜まっている。それが、全体を、重苦しくしている。


だが、この博物館は、なんと、タイ人によって、作られたものである。

地元、クンユアム警察署長に就任した、チェーチャイ署長が発起人となり、開設されたのである。


彼は、署長に就任してから、地元の家々に、日本兵の遺品が数多くあることに、驚き、更に、地元民と、日本兵の友好の様に感動して、これらを集めて、戦争記念館を創設しようと、尽力したのである。


カンチャナブリにある、戦争博物館に、私は立ち寄ることがなかった。それは、見なくても、日本軍の残虐さを、語るべくのものだと知っているからだ。


戦争に、残虐さは、つきものである。

しかし、それを、表現する時、それぞれの民族の方法で、解釈する。

特に、カンチャナブリは、中国系の人によると、思われる。ということは、中国人の野蛮さと、残虐さによって、解釈される。

本当のところは、解らないのだ。

勿論、残虐行為は、多くあったが、中国人がする、残虐さで、解釈されれば、それを理解するのに、誤るのである。


この、クンユアムの博物館は、タイ人の好意的な、日本軍の解釈である。更に、地元民との、友好的な、付き合いを主にした解釈である。


チェーチャイ氏は、それまでの日本軍の有様とは、別の日本軍の有様を、ここで、見せてくれた。


日本人として、深く深く感謝する。


私は、一通り見て回り、すぐに、慰霊の儀をはじめた。

まず、チェンマイの小西さんに言われた、埋葬された、場所である、博物館の裏手に出た。

そこは、空き地になって、草が生えている。


何も無い、空き地で、私は、神呼びと、祝詞を唱えた。

祖国のために、戦い、そして、祖国に帰ることも出来ず、この地で、斃れた兵士たちの、霊位に、深く感謝と、慰霊の思い充ちての、祝詞である。


そして、そのまま、博物館の前の、慰霊碑に向かった。

そこでも、同じように、神呼びをして、祝詞を上げた。

この日、私は、大祓えの祝詞を、四度唱えたことになる。


最後に、太陽が出たので、依り代を、陽にかざし、皇祖皇宗を御呼びして、全体を祓い清めて、念じた。


靖国に、帰りたい方は、靖国に。故郷に帰りたい方は、故郷に。霊界に赴きたい方は、霊界に、行き給え。


気付くと、汗だくになっていた。

兎に角、暑い。


更に、館内に戻り、あまり大袈裟にならぬように、館内を、祓い清めた。


特に、軍刀の展示場所は、異様な気が充満しているのである。

人を斬って殺したであろう刀。


この展示物を見る人に、その想念が、及ばないようにと、清めた。


殺される前の人間が発する気は、恨み、悲しみ、憎みである。それを、まともに受ければ、どうなるかを、私はよくよく、知っている。


余談だが、戦争当時、日本軍が統治していた場所で、現地の人の、恨みを受けた人の子孫が、祟られている状況を見た。

三代前の、祟りである。

それは、如何ともし難いものであり、通常の祈りや、清め祓いでは、どうにも出来ないのである。


最低最悪の人生を送るべくの、呪いである。

呪いというものを、知らない人は、無いものである。また、そんなものは、信じないとい人は、呪われていないから、言える。

呪われている人は、言葉も無いのである。


最悪なのは、家系が絶えることである。

呪いは、そこまでやる。


男の子が、何人いても、必ず子孫が絶えるのである。


想像を絶する。


それを、解く、宗教家は、一人もいない。

勿論、霊能者もである。


民族の怨念を受けても、続く組織は、それはそれは、悪魔の組織、団体である。

これ以上は、省略する。


追悼慰霊の儀を終えた、私は、清清しい思いをしたか。

清清しい思いではなく、今、現在の日本を憂いだ。

ただ、憂いに、沈む。


戦争など、昔のことである。

そんなことで、死んだ者など、どうでもいい。兎に角、金を得て、楽しい人生を、送られればいいのである。


更に、私のように、追悼慰霊を行う者を、あろうことか、右翼系、右派と、言う者までいるのである。


私は、右でも、左でもないと、何度言っても解らない。

私は、上である。

カミである。

つまり、伝統行為を持って、追悼慰霊の儀を行っている。


何故か。

人は、目に見えないものによって、生かされて生きるのである。

目に見えるものだけを、見ていては、事の本質が見えない。

見えないものを、見て見よと、言う。


最新の心理学では、自由意志があるという、考え方に、疑問を呈している。

つまり、自由に意思を実行しているように、思えるが、実は、それは、あるモノによって、決めている。または、決められていると、考えるというのである。


その、モノとは、何か。


サブリミナル効果というものがある。

目には、見ない速度で、一定のメッセージを流すのである。

すると、何か飲みたくなるとか、何かの行動をとりたくなるのである。


その、サブリミナル効果に、近い感覚で、私たちは、目には清かに見えないモノに、支配されているのである。


それを、仏教では、因縁というが、そんなものではない。

または、業とも言うが、そんなものではない。


決定されているものである。

努力によって、変えられる人生とは、大嘘である。


何にも変えられない、宿命として、厳然としてあるものである。


それは、罪でもない。


遺伝子解明によって、それに、少し近づいている。


人は、生きるべきようにしか、生きられない。考えるべきようにしか、考えられないのである。


だから、私は、今、現在の日本を憂いでいる。


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2008年06月04日

もののあわれ204

もののあわれについて、を書いている。
それは、藤岡宣男の歌にある、もののあわれについて、を、言うために、書いている。

万葉集から、古今集、そして、和泉式部日記を、書いた。

これから、更に、進むために、一つ、どうしても、もののあわれに、影響を与えた、無視できないもの、仏教といものを、少し見渡すことだと、思っている。
しかし、仏教史を、書くわけに行かない。

本来は、仏教を、語ることなく、進むはずだったが、どうしても、もののあわれ、というものの、陰影を、見るためにも、仏教に影響されつつ、ジグザグに、進まざるを得なかった、もののあわれ観というものを、見なければならない。

紫式部も、日記、源氏を書きつつ、浄土信仰に、傾いた。
色好みから、王朝を舞台にした、源氏の物語であるが、矢張り、そこに、多くの問題意識と、我が身の、心の置き所を、当時流行の、浄土信仰というものに、曳かれてゆくのである。また、言葉の世界である。
仏教にある、言葉の世界に、救いというものを、見いだそうとする。

それは、また、日本人の精神史の上からも、検証することは、必要である。

歴史家の、誤りは、事柄のみに、捕らわれて、その、根底にある、精神というもの、つまり、言霊の信仰や、仏教に傾倒する心の問題、深層心理に触れない。
歴史は、精神である。
精神は、言葉である。
そして、言葉は、意識である。

そういう意味でも、、仏教の言葉の世界を、無視できない。

もののあわれ、というものを、側面から理解するためにも、仏教全盛の、流れを少し、俯瞰することにする。

仏教伝来から、宗派というものが、発生したのは、南都六宗からである。
それは、現在、廃れずとも、細々と、奈良に、残滓を留める。
ちなみに、奈良の仏教は、檀家を置かない。布教もしない。ゆえに、金にならないから、入場料を、徴収する。それは、理解する。
葬式もしないはずだか、どうなったのか。

日本仏教の、転換は、最澄と、空海である。

天台宗、真言宗、真言宗は、それに、密教と、わざわざ付け加えた。それは、天台宗の最澄も密教の要素大であるが、空海は、最澄を超えるということからの、密教である。

彼らの、加持祈祷というものが、いかに、重要視されたかは、自然災害から、病気治癒までを、取り扱ったのを、見れば解る。
その、無力にあるものに、加持祈祷は、一つの、解決手段を与えた。

天台からは、多くの新興宗教、鎌倉仏教が、生まれた。
しかし、空海の真言密教は、その体系が、重層であり、やすやすとは、新興宗教に、分派できなかったといえる。

空海については、天才的宗教家といえるので、それを、解説することは、実に、膨大な言葉が必要である。
それを、簡単に言うということは、僭越であるが、ここは、もののあわれ、に、焦点をあてているので、理解して欲しい。

空海の最初の、著作は、24歳の時の、三教指帰である。
それは、儒教、道教、仏教の三教を検討し、優劣を論じたものである。
結果的に、仏教による救いに、至るというものである。

その後、空海は、最澄と、共に、唐に渡る。
桓武天皇の延暦23年、804年である。30歳であった。

空海の、20歳過ぎから、唐に行くまでの、10年間は、不明である。
一人、仏道の修行をしていたと、察する。
頭脳明晰と、行動力は、並外れていた。

山岳は彼にとって「法身の里」であったということは、孤独に沈滞して禅定をこころみる場であったということだ。・・・死との対決の場であったと言ってよい。無常観は生を凝視するとともに死を凝視する眼であり、「死」眼を通じて生の意味をさぐる行である。それは同時に自己の空無の確認である。
そういう心を携えて今度は世間に還り、世間の煩悩や紛糾を携えて山岳へ環るという、この循環に空海の「行」があった。換言すれば、このような「行」を通して、彼は常に惰性からの脱却をこころみたと言ってもよかろう。
日本人の精神史 亀井勝一郎

空海の、目的は、究極の救いであり、国家の導きという、希望だった。
それは、壮大な目的である。
空海の著作を、検証している、暇は無いので、結論から言う。
野心である。
救いを、国家を、導く壮大な思想である。

空海の、想像力の最大のモノは、大日如来であった。
究極の、理想の如来であった。
勿論、大日如来とは、観念である。
しかし、今は、その、云々に触れない。

実は、大日如来は、仏教というより、古代インドの太陽信仰による。
光明遍照とも、訳されている。
それを、仏性の根源とした、空海である。
つまり、空海は、新しい宗教を、創造したのである。しかし、当時の状況から鑑みて、それは、仏教の一派でなければならなかった。

仏性即我
これは、大乗仏教の教えであるが、空海は、それを、実践したところが、偉大である。
著述、詩作、書における、造形指導、私学経営、社会事業等々。
仕事といえば、膨大な量である。

既成の仏教が、成さなかったことである。
そして、今でも、空海を、超えての、行動をする、宗教家は、いないと、断言できる。
宗教的巨人といってもいい、存在である。

彼は、その行動を、身秘密を生ず、と、言い切るのである。
密教信仰の、秘密信仰の、所以である。

さて、問題は、空海の密教は、当時の人々に、どのように、受け入れられていたのかである。
人の心に、何をもたらしたのか。

国家安泰と、自然災害、そして、個々人の幸福、不幸に関した、現世利益の、加持祈祷を成すものである、という意識で、受け入れられた。
呪術の一言に、尽きる。
それを、空海は、最大限に演出したのである。

当時は、画期的な試みであり、創造行為である。

秘密荘厳心というもの、目に見えるものとして、表現した。
造形と、言語表現、祈祷の、総合芸術である。
言語表現は、声と言葉と、文字による。
声明という、音楽芸術である。

私は、日本史上、稀有な存在として、空海を、認識している。
その、良し悪しは、別であるが。

天皇をはじめ、貴族、支配者たちのための、壮大な祈りの場を提供した。しかし、それに、参加することは出来ない。ただ、その、修法に、従うのみである。

空海に帰依する以外に、それに、参入することが出来ないのである。
凄いことである。
それだけの、モノを、空海は創造したのである。

そこには、もののあわれ、というような、微妙繊細な心の、有り様は、入り込む余地はない。

もののあわれ、というものを、破壊するに足りる行為行動であったと、私は理解する。

究極的に、空海は、日本人ではないといえる。
もののあわれ、というものに、身を置かない、普遍的人間というものを、演じきったといえるのだ。

それは、別物だと、私は、考えている。
良し悪しは、言わないと、言った。

空海の、もたらした、脅しは、今も生き続けている。
空海の弟子たちに、更に空海のエネルギーがあれば、世界宗教にも、高めることが、出来たと思う。

日本の言霊でさえも、空海は、語密とした。
徹底した、オリジナルである。
それについては、大いに評価する。

たゆたう、もののあわれの、はかなさ、というものを、空海は、結果的に、否定したと、思える。

いずれ、別の場所で、空海については、論じたいと、思っている。

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神仏は妄想である 83

タマリンがこの実験において導入した、面白い対照郡がある。168人の別のイスラエルの子供の集団に「ヨシュア記」からとった同じテキストが与えられたが、ヨシュアという名前が「リン将軍」に、「イスラエル」が「3000年前の中国の王国」に置き換えられていたのだ。すると、結果は正反対になった。つまり、わずか七パーセントだけがリン将軍の振る舞いを是認し、七五パーセントが不同意だった。言い換えれば、ここで得られた数字からユダヤ教への彼らの忠誠心を取り除けば、このイスラエルの子供たちが示した道徳上の判断は、大部分の現代人が共有する道徳上の判断と一致するのである。ヨシュアがしたことは、野蛮な大量虐殺という所業である。しかし、宗教的視点からはまったくちがったものに見える。そして、この区別は人生の早い時期に植えつけられる。大量虐殺を非難する子供と容認する子供のあいだのちがいをつくるのは、宗教だったのだ。
ドーキンス

宗教という、迷いがなければ、真っ当な判断が出来るのである。
しかし、宗教の観念が入ると、それは、邪になる。
つまり、判断基準を、宗教が洗脳するのである。

無いものを、掲げて、一体、宗教というものは、何を望んでいるのだろうか。
人間の救いを説くが、一向に人間を救うことないもの、さらに、人間を、愚昧の行為に走らせる宗教というものは、何か。

日本でも、一神教に似た、日蓮宗系の信者は、宗旨が違うというたでけで、嫌悪の表情になる。
宗旨が、違えば、親の仏壇にも、手を合わせないという、強情さである。
手のつけられない、傲慢な、連中となる。
同じ地域、町内に、住んでも、単に宗旨が違うということだけで、対立する。

その、あまりに単細胞化した、心の様には、唖然とする。

要するに、宗教団体の兵隊になっている状態なのである。
仲間に出来そうだと、見れば、その親切は、限りなくなる。
同胞には、天使であるが、そうでない者には、悪魔になるという、矛盾である。

ある大学に入学し、同じ研究グループにいた者たちが、一人のS会の会員に、折伏されて、順に会員になった。残った一人は、最後まで、それを、拒んだ。
すると、イジメが始まった。
ついに、大学にいられなくなり、退学した。
このような、話は、実に多い。
兵隊になった信者は、後先が見えない。ただ、上の命令に従うだけである。
我を失い、我ならぬ者に、指揮されて、行為する。

更に、驚くのは、選挙運動まで、功徳を積むものだと、言われて、選挙運動させられる者たちである。

宗教団体になると、タブーというものが、なくなるという、よい見本である。

信じてしまうと、支配者の思うままである。
こうして、人生を騙されて送るという、一連の哀れな人々がいるのである。
勿論、賢い人は、近づかない、また、賢い人の中には、支配者に、取り入って、利益を得るために、画策するという者もいる。

ハートゥングは論文の後半で、「新約聖書」に話を移す。彼の論旨を簡単に要約すれば、イエスは、「旧約聖書」において自明のこととされていたのと同じ、内集団で通用する道徳意識―――外集団に対する敵意と表裏一体のものーーーへの帰依者であった、ということになる。イエスは愛国的なユダヤ人だったわけだ。ユダヤ教の神を非ユダヤ教徒が取り入れるという発想をひねりだしたのは、むしろパウロだった。ハートゥングはこのことを、私なら躊躇しそうなあからさまな言い方でこう述べる。「イエスは、もしパウロがその計画をブタにまでひろげることを知っていれば、墓の中で吐き気を催していたことだうろ」。
ドーキンス

要するに、キリスト教神学というもの、パウロなしでは、有り得なかったということである。イエスの、教えが、神学となったのではない。パウロである。
強迫思想のパウロによる、神学である。
パウロが、理屈づけした、考え方を、教義として、掲げたのである。

ハートゥングは、「黙示録」の二つの節に注意を喚起する。そこでは「刻印を受けた」(エホバの証人など、一部の宗派は、それを”救われた”を意味するものと解釈している)人間の数は14万4千人に限られている。ハートゥングの論点は彼らはすべてユダヤ人だったにちがいないということである。12の部族それぞれから1万2千人ずつというわけだ。ケン・スミスはさらに踏み込んで、この選ばれた14万4千人は「女に触れて身を汚したことのない者」だったことを指摘する。このことは、おそらく彼らのうちの一人として女ではありえないことを意味する。まあ、これは予想される類の事柄である。
ドーキンス

ユダヤ人の神を、世界人類の神として、崇めるという、キリスト教の狂いというものが、何故起こったのかということである。
パウロという、一人の男の妄想からである。
最初、パウロは、イエス集団の迫害者だった。それが、いつしか、というより、聖書には、イエスが現れて、パウロを改心させるという、お話になっている。
初期、イエス集団を、取りまとめて、公広流布させるべくの妄想である。
彼から、異教徒への、布教が始まった。
聖書は、内集団特有の道徳意識の青写真であり、外集団の虐殺と奴隷化、および世界支配のための指示といった必須要素が完備されたものだ。しかし聖書は、そういった目的をもっているから、あるいは殺人・虐待・強姦を賛美することまでしているから邪悪なのではない。それを言うなら、多くの昔の著作はみんなそうだーーーたとえば、「イーリアス」アイスランド・サガ、古代シリアの物語や、古代マヤの碑文などを見てほしい。しかし、「イーリヤス」を道徳の手本として売りこんでいる人間は誰もいない。そこに問題がある。聖書は、人々がどう生きるべきかの手引きとして売り買いされている。そしてそれは、世界でつねに郡を抜いたベストセラーなのである。
ハートゥング

ドーキンスは書く。
伝統的なユダヤ教徒がもつ排他性が宗教のなかで特異なものだと思われてはいけないので、英国の作詞家、アイザック・ワッツの賛美歌から確信に満ちた次の一節を見てみよう。
主よ、私はそれを、あなたの恩寵のゆえとします
偶然のせいにはしません、ほかの人間たちのように。
私がキリスト教徒の人種に生まれたことを
異教徒やユダヤ教徒の人種に生まれなかったことを。

すさまじい、独善である。
こう考えて、いる人と、どのように、話し合いが出来るだろうか。

この一節で私を困惑させるのは、そこに現れた排他性そのものというよりも、その論理である。他の多数の人がキリスト教以外の宗教のなかに生まれたのだから、神は、本来においてどの人種がそのような恵まれた生を受けるのかを、どのようにして決めたのか? なぜ神は、アイザック・ワッツと、彼が自分の賛美歌を歌っていると思い描いた人々に恩恵を与えるのか? いずれにせよ、アイザック・ワッツが受胎される前は、いったい何に対して恩恵が授けられたのか? これらは深刻な問題だが、神の声に耳を傾ける精神にとっては、それほど深刻ではないかもしれない。ワッツの賛美歌は、正統派で保守派(改革派ではない)の男性ユダヤ教徒が暗唱するように教えられる三つの日々の祈り、「私をキリスト教徒にしなかったことであなたを祝福します。私を女としなかったことであなたを祝福します。私を奴隷にしなかったことであなたを祝福します」を思い起こさせる。
ドーキンス

本当に、吐き気がする。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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