2008年05月01日

もののあわれについて196

かくのみたえずのたまはすれど、おはしますことはかなし。雨風などいたう降り吹く日しもおとづれたまはねば、「人ずくななる所の風の音をおぼしやらぬなぬりかし」と思ひて、暮れつ方聞こゆ。


霜かれは わびしかりけり 秋風の 吹くには萩の 音づれもしき

と聞こえたれば、かれよりのたまはせける、御文を見れば、
宮「いとおそろしげなる風の音、いかがとあはれになむ。


かれはてて われよりほかに 問ふ人も あらしの風を いかが聞くらむ

思ひやりきこゆるこそいみじけれ」とぞある。


このように、絶えず、御文は、下さいますが、お出でになることは、なかなかありません。
雨や風が、激しく吹く日でさえ、お訪ねくださいませんので、「人の少ない、私の家に、吹く風の音が、わびしくあることを、思いくださいますか」と、思い、夕暮れ時に、お手紙を、差し上げました。


しもがれは わびしかりけり あきかぜの ふくにははぎの おとづれもしき

草葉が、枯れてゆくのは、心寂しいことです。
秋風が、吹く頃は、萩のさやぎも、聞こえて、宮様が、お訪ね下さったことを、思い出します。

と、申し上げますと、お返事がありました。
御文には「激しく、恐ろしいような、風が吹きましたが、その音を、どのように聞いているのかと、しみじみと、思っていたました。


かれはてて われよりほかに とふひとも あらしのかぜを いかがきくらむ

誰からも、忘れられ訪ねる人もいない、あなたは、どのように、この風の音を、聞くのでしょうか。

思うだけで、お訪ねすることが、できないのが、切ないことです」とありました。


のたまはせけると見るもをかしくて。所かへたる御物忌にて、忍びたる所におはしますとて、例の車あれば、今はただのたまはせむにしたがひてと思へば、参りぬ。

私を、求めていらっしゃるということが、嬉しゅうございました。
宮様は、方違えのために、別の場所に、人目を、忍んだ所にいられます。
いつものように、車の、お迎えがありました。
今は、何もかにも、仰せのままにと、車に乗り込みました。


心のどかに御物語起き臥し聞こえて、つれづれもまぎるれば、参りなましきに、御物忌過ぎぬれば、例の所に帰りて、今日はつねよりもなごり恋しう思ひ出でられて、わりなくおぼゆれば聞こゆ。


つれづれと 今日数ふれば 年月の 昨日ぞものは 思はざりける

御覧じて、あはれとおぼしめして、宮「ここにも」とて、


思ふこと なくて過ぎにし 一昨日と 昨日と今日に なるよしもがな

と思へど、かひなくなむ。なほおぼしめし立て」とあれど、いとつつましうて、すかすがしうも思ひ立たぬほどは、ただうちながめてのみ明かし暮らす。


心のんびりと、起きても寝ても、物語をしまして、つれづれの侘しさも、まぎれることでした。いっそ、宮様の、お邸に、参ろうとか、思いましたが、宮様は、物忌が、明けましたので、住み慣れた我が家に、戻りました。
その日は、いつもより、宮様が、恋しくて、名残尽きない気持ちでしたので、歌を詠みました。


つれづれと きょうかぞふれば としつきの きのうぞものは おもはざりける

つれづれのままに、今日は、お逢いした年月を、数えてみました。
昨日だけは、なんと、物思いの、満たされた日でしたでしょう。

宮様は、歌を御覧になり、いじらしい女と、思われ、「私も同じ思いです」とお書きになり、


おもふこと なくてすぎにし おととひと きのうときょうに なるよしもがな

なんの思いもなく、過ぎた日は、一昨日と昨日でしだか、その満たされた思いは、今日になって、無くなることは、ないでしょう。

と、思うのですが、どうすることも、できません。
私の邸に、来てくださいと、ありましたが、いたく気兼ねがあります。
決心がつくまでは、物思いを、するばかりで、暮らしました。


色々に見えし木の葉も残りなく、空も明こう晴れたるに、やうやう入りはつる日かげの心細く見ゆれば、例の聞こゆ。


なぐさむる 君もありとは 思へども なほ夕暮れは ものぞかなしき

とあれば、


夕暮れは たれもさのみぞ 思はゆる まづ言ふ君ぞ 人にまされる

と思ふこそあはれなれ、ただ今参り来ばや」とあり。またの日のまだつとめて、霜のいと白きに、宮「ただ今のほどはいかが」とあれば、


起きながら 明かせる霜の 朝こそ まされるものは 世になかりけれ

など聞こえかはす。例のあはれなることども書かせたまひて、


われひとり 思ふ思ひは かひもなし おなじ心に 君もあらなむ

御返り


君は君 われはわれとも へだてねば 心心に あらむものかは

かくて、女かぜにや、おどろおどろしうはあらねどなやめば、時々問はせたまふ。


色々に、紅葉して、色づいた木の葉も、残り少なくなり、空も、晴れた日に、静かに沈んでゆく、夕日を見ていました。宮様に、いつものように、申し上げました。


まぐさむる きみもありとは おもへども なほゆうぐれは ものぞかなしき

慰めてくださる、宮様が、おいでですが、やはり、夕暮れは、悲しく思うものです。

と、書かれてありました。


ゆうぐれは たれもさのみぞ おもほゆる まづいふきみぞ ひとにまされる

夕暮れは、誰もが、悲しく思います。それを、誰よりも、先に思うあなたは、一番、悲しいでしょう。

そう思いますと、あなたが、可愛そうです。今すぐにも、伺いたいとの、お返事がありました。


おきながら あかせるしもの あしたこそ まされるものは よになかりけれ

起きたままで、お出でをお待ちして、夜を明かした、霜の朝の風情ほど、世の中に、悲しいものはありません。

などと、お手紙を、交わしました。

宮様は、いつものように、しんみりと書かれ、


われひとり おもふおもひは かひもなし おなじこころなに きみもありなむ

私ひとりで、あなたを、恋い慕うのは、いたし方ありませんが、私と、同じ心で、あなたも、恋い慕ってください。

お返事に


きみはきみ われはわれとも へだてねば こころこころに あらむものかは

あなた、あなたと、私は私と言われる、区別は、しません。二人の心は、別々にありません。

こうしているうちに、女は、風邪を引いたようです。
それほどてもありませんが、気分が勝れません。
宮様は、時々、お見舞いに来ました。


なぐさむる 君もありとは 思へども なほ夕暮れは ものぞかなしき
ものぞかなしき
心が悲しい。
もの、とは、心である。
もののあわれ、とは、心の、あわれ、であること。

日本人は、物にも、心を、観た民族である。
物は、心であった。

ここで、もののあわれ、というもの、心のあわれ、であり、心のあわれ、を、もののあわれ、ということに、漸く至った。

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2008年05月02日

もののあわれについて197

よろしくなりてあるほどに、宮「いかがある」と問はせたまへれば、女「すこしよろしうなりにてはべり。しばし生きてはべらばやと思ひたまふこそ罪ふかく。さるは、


絶えしころ 絶えねと思ひ 玉の緒の 君によりまた 惜しまるるかな

とあれば、宮「いみじきことかな、返す返すも」とて、


玉の緒の 絶えむものかは ちぎりおき しなかに心は 結びこめてき


よくなってきた頃、宮様が「気分は、どうですか」と、お尋ねになります。
「少しは、よくなりました。しばらくは、生きていたと思いますが、罪深いことでございます。それにしても、


たえしころ たえねとおもひし たまのおの きみによりまた おしまるるかな

宮様の、お出でが、絶えました頃、もう、命途切れてもいいと、思いました。
しかし、宮様を知りまして、再び、命が、惜しくなりました。

と、申し上げると、宮様は、「たいそうよいことです。返す返すも、嬉しいことです」と、仰せられ、


たまのおの たえむものかは ちぎりおき しなかにこころは むすびこめてき

あなたの命が、絶えてしまうものですか。
約束をし、契った二人です。しっかりと、心は、結び込めています。


かく言ふほどに、年ものこりなければ、春つ方と思ふ。十一月ついたちごろ、雪の降る日、


神代より ふりはてにける 雪なれど 今日はことにも めずらしきかな
御返し


初雪と いづれの冬も 見るままに めづらしげなき 身のみふりつつ

など、よしなしごと明かし暮らす。

このようにしているうちに、年も残り少なくなりました。
邸に、参るのも、春の頃に、なると、思っていました。
十一月の、初め頃、雪がいたく、降ります日に、


かみよより ふりはてにける ゆきなれど きょうはことにも めづらしきかな

神代から、降り続いた雪ですが、今日の雪は、ことに、珍しく思われます。

お返事

はつゆきと いづれのふゆも みるままに めづらしげなき みのみふりつつ

初雪が降ったと、毎年くるたびに、見ていましたが、目新しいことのないままに、わが身だけが、古びてしまいます。

など、歌のやり取りをして、暮らし明かしていました。


御文あり。宮「おぼつかなくなりにければ、参り来て思ひつるを、人々文つくるめれば」とのたまはせたれば、


いとまなみ 君来まさずは われ行かむ ふみつくるらむ 道を知らばや

をかしとおぼして、


わが宿に たづねて来ませ ふみつくる 道も教へむ あひも見るべく

つねよりも霜のいと白きに、宮「いかが見る」とのたまはせたれば、


さゆる夜の かずかく鴫は われなれや いく朝霜を おきて見つらむ

そのころ雨はげしければ、


雨も降り 雪も降るめる このごろを 朝霜とのみ おきいては見る


宮様からの、御文がありました。
「お目にかかることなく、ご無沙汰していますので、お訪ねしようかと、思ったのですが、人々が、漢詩を作る集いがありますので」と、仰せになりましたので、


いとまなみ きみこまさずは われゆかむ ふみつくるらむ みちをしらばや

暇無くて、宮様が、お出でにならないのならば、私の方から、伺います。
漢詩を作る道と、お邸への、通い道とを、知りたく思います。

宮様は、面白く思われて、


わがやどに たづねてきませ ふみつくる みちもおしえむ あひもみるべく

私の所へ、お出でなさい。漢詩を作る道も教えます。また、お逢いできるのですから。

いつもより、いたく、霜が白く置いていますので、宮様は「この霜を、どのように、御覧になっていますか」と仰います。


さゆるよの かずかくしぎは われなれや いくあさしもを おきてみつらむ

寒さの、厳しい夜に、羽を掻いて身じろぎしている、鴫は、私の姿なのでしょうか。
お訪ねにならない朝を、幾日も、明かして、霜を見たことでしょう。

その頃、また、雨が激しく降りました。


あめもふる ゆきもふるめる このごろを あさしもとのみ おきいてはみる

雨も降り、雪も降ります、この頃を、お出でになりませんので、起き明かしてばかりいて、朝の霜を、見ていました。


最後の歌。
雨も降る 雪も降るめる このごろを 朝霜とのみ おきいてはみる
上記の訳になるが、これは、相手ある歌である。

恋の切なさを、歌う。
朝霜とのみ おきいてはみる

それは、相手の愛情を確認する意味で、言うのである。
眠られずに、起きて、朝になり、そして、朝の霜を眺めるというのである。

このごろを 朝霜とのみ おきいては 君待つ我の ものぞかなしき
のように、続くものと、思う。

おきいては 君待つ我の かなしみは 今ひとたびの 逢瀬に解けむ

しかし、直接的、表現を避けるのである。

私の、戯れ歌は、そのまま、直接的であるから、単なる、戯れ歌である。

三十一文字に、託す言葉の世界は、実に、豊かである。
削り取った後の、花のような、言葉の深さを、有する。
一輪の花に、すべての花を、託す思い。

和歌の道とは、歌の道とは、もののあわれ、に、貫通するのである。


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2008年05月03日

もののあわれについて 198

その夜おはしまして、例のものはかなき御物語せさせたまひても、宮「かしこにいてたてまつりてのち、まろがほかにも行き、法師にもなりなどして、見えたてまつらば、本意なくやおぼざれむ」と心細くのたまふに、「いかにおぼしなりぬるにかあらむ。またさようのことも出で来ぬべきにや」と思ふに、いとものあはれにてうち泣かれぬ。


その夜、宮様は、お出でになられ、いつものように、取り留めないお話をなさるにつれ、「邸にお連れした後、私が、他所へ移ったり、法師にでもなりまして、お目にかかれなくなったら、残念でしょう」と、心細く、仰せられます。
「いったい、どうして、そのような気持ちになられるのでしょう。それとも、そのようなことを、なさろうとするのでしょうか」と、思いますと、非常に、あわけに思えて、悲しみ、泣いてしまいました。

いとものあはれにてうち泣かれぬ
この場合は、あはれ、が、身に沁みて、深く心に動揺を与える意味である。

あはれ、の、心象風景である。


みぞれたちたる雨の、のどやかに降るほどなり、いささかまどろまで、この世ならずあはれなることをのたまはせ契る。

みぞれの雨が、静かに降る時でした。
いくらも、まどろむこともなく、この世のことだけではなく、来世のことも、話されて、契りました。


「あはれに、なにごとも聞こしめしうとまぬ御有様なれば、心のほども御覧ぜられむとてこそ思ひも立て、かくては本意のままにもなりぬばかりぞかし」と思ふに悲しくて、ものも聞こえで、つくづくと泣く気色を御覧じて、
宮「なほざりのあらましごとに夜もすがら、とのたまはすれば、
女「落つる涙は雨とこそ降れ、御気色の例よりもかびたることもをのたまはせて、明けぬればおはしましぬ。


あわれに、何事も、聞き入れてくださる、宮様の、ご様子でしたから、私の心の中も、お知りいただきたいと、決心いたしました。
宮様が、出家ならるのでしたら、私は、尼になってしまいましょう」と、思いますと、悲しく、切なく、何も、申し上げられません。
しみじみと、泣きました。
その様子を、見て、宮様は、「取りとめも無い、先の予想を、申しました。夜通し、と、仰せになりました。
女「落ちる涙は、雨のように、降っています。
宮様は、いつもより、頼りないことを、色々と話して、夜が明けますと、邸に、帰って行きました。

ここでの、あはれ、は、宮様の有り様を言う。
つまり、あはれなお方である。それは、情け深い、思いやりのある、等々。
人の心の、機微を言う。

あはれ、なにごとも聞こしめしうとまぬ・・・
あはれに、何事も、聞いて下さる。
うとまぬ
疎く思わないのである。

心の、細やかさ。優しさ。
すべて、あはれ、という。

心の有様、行動すること、所作までも、あはれ、という言葉に、生かされる。

この、あはれ、というものを、日本人は、捜し求めてきた。
そして、今でも、捜し求めているのである。

最もよく、もののあわれ、というもの、知り得る場面は、恋である。
恋愛の、様々な、心模様と、その、所作に、あわれ、というものが、表されるのである。

もの、は、こころ、であった。
こころ、は、あわれ、であった。

もののあわれ、というのは、こころ、が、あわれ、なのである。
人事百般における、日本人の所作と、心にあるものは、もののあわれ、というものに、貫かれてある。人生に、貫かれてあるもの。それで、ある。

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2008年05月04日

もののあわれについて199

なにの頼もしきことならねど、つれづれのなぐさめに思ひ立ちつるを、さらにいかにせましなど思ひ乱れて、聞こゆ。


うつつにて 思へば言はむ 方もなし 今宵のことを 夢になさばや

と思ひたまふれど、いかがは」とて、端に



しかばかり 契りしものを さだめなき さは世の常に 思ひなせるとや

くちをしうも」とあれば、御覧じて、宮「まづこれよりとこそ思ひつれ、


うつつとも 思はさせらなむ 寝ぬる夜の 夢に見えつる 憂きことぞそは

思ひなさむと、心みじかや、


ほど知らぬ いのちばかりぞ さだめなき 契りてかはす 住吉の松

あが君や、あらましごとさらにさらに聞こえじ。人やりならぬ、ものわびし」とぞある。


何という、頼みになることは、ありませんが、つれづれの、侘しさを、慰めるために、邸に参ることを、決心しました。
今更に、どうしょうかと、思い乱れますことを、宮様に、申し上げました。


うつつにて おもへばいはむ かたもなし こよいのことを ゆめになさばや

現実の、この身のことを、思うと、悲しみは、言いようもありません。
昨日のことは、夢にしたい気持ちです。と、考えましたが、どうして、夢にできるでしょう。
と、書いて、その端に

しかばかり ちぎりしものを さだめなき さはよのつねに おもひなせとや

忘れがたく、契りましたものを、宮様は、私を残して、出家されてしまわれることは、定めのない、この世の常として、諦めよ、ということなのでしょうか。

口惜しく、思います。と、書き添えました。
宮様は、「まず、私の方から、お手紙を、差し上げようと思っていました。


うつつとも おもはざらなむ いぬるよの ゆめにみえつる うきことぞそは

現実のことと、思わないでください。共寝をした、夜の夢に浮かんだ、憂きことの、出来事なのです。

無常な、世の中のことと、思われるのでしょうか。短気なことです。

ほどしらぬ いのちばかりぞ さだめなき ちぎりてかはす すみよしのまつ

寿命の解らないのは、命ばかりで、不安定です。
しかし、契った仲は、住吉の松のように、幾代を経ても、変わりません。
愛する君よ。
あの話は、二度と、しません。
自分から、出家のことなど、話して、切なく思います。
と、便りを、されました。

我見ても 久しくなりぬ 住吉の 岸の姫松 いく世経ぬらむ
古今集 読み人知らず より


女はそののち、もののみあはれにおぼえ、嘆きのみせらる。とくいそぎ立ちたらましかばと思ふ。昼つ方御文あり、見れば、


あな恋し 今も見てしが 山がつの 垣ほに咲ける やまとなでしこ

女「あな物狂し」と言はれて、


恋しくは 来て見よかし ちはやぶる 神のいさむる 道ならなくに

と聞こえたれば、うち笑ませたまひて御覧ず。このごろは、御経習はせたまひければ、


あふみじは 神のいさめに さはらねど 法のむしろに をればたたぬぞ

御返し、


われさらば 進みてゆかむ 君はただ 法のむしろに ひろむばかりぞ

など聞こえさせ過ぐすに、雪いみじく降りて、ものの枝に降りかかりたるにつけて、


雪降れば 木々の葉も 春ならで おしなべ梅の 花ぞ咲きける

とのたまはせたるに、


梅ははや 咲きにけりとて 折れば散る 花とぞ雪の 降れば見えける

またの日、つとめて


冬の夜の 恋しきことに 日もあはで 衣かたしき 明けぞしにける

御返し「いでや、


冬の夜の 目さへ氷に とぢられて 明かしがたきを 明かしつるかな

など言ふほどに、例のつれづれなぐさめて過ぐすぞ、いとはかなきや。
女は、その後、何を見ても、もののあわれ、を思い、嘆いてばかりいました。
早く、お邸に参ることを、決心し、準備をしていればと、思いました。
その昼頃、宮様から、御文がありました。


あなこいし いまもみてしが やまがつの かきはにさける やまとなでしこ

恋しいものです。今すぐにでも、逢いたい。山里に住む人の、垣根に咲く、大和撫子のように、美しいあなたに。

女は、「ああ、狂おしいほどの気持ちです」と、言われ


こいしくは きてもみよかし ちはやぶる かみのいさむる みちならなくに

そのように、恋しく思われるなら、私を訪ねて来てください。
男女が、逢い合う事は、神様が禁じている道では、ありません。

と、申し上げると、宮様は、にこやかに、微笑み、御覧になられました。
近頃は、お経を、習われていていましたので、


あふみぢは かみのいさめに さはらねど のりのむしろに をればたたぬぞ

逢うことは、神さまが禁じていることでは、ありませんが、今の私は、仏法の席におりますゆえ、お逢いに、行かないのです。

お返事

われさらば すすみてゆかむ きみはただ のりのむしろに ひろむばかりぞ

それでは、私の方から、お逢いするために、行きます。
宮様は、仏法の道を、公布していられれば、いいのです。
などと、申し上げて、日が過ぎました。

雪が降り、木の枝に降りかかりました。
その枝に、御文を、つけて、宮様から、


ゆきふれば きぎのこのはも はるならで おしなべうめの はなぞさきける

雪が降りました。春ではありませんが、まるで、梅の花のように、見えます。

と、御詠みになりましたので、


うめははや さきにけりとて おればちる はなとぞゆきの ふればみえける

梅の花が、もう咲いたかと、思い、手折ってみますと、散ってしまいました。
雪が降るのは、花のように、見えます。

次の日、朝早く、宮様から、


ふゆのよの こいしきことに ひもあはで ころもかたしき あけぞしにける

冬の夜、恋しさに、目を合わせもせず、眠らずにいて、お逢いできない夜の、片袖を敷いて、一人寝をしました。

お返し、「まあまあ」と、


ふゆのよの ひさへこおりに とちせられて あかしがたきを あかしつるかな

冬の夜の、寒さで、一人寝る切なさに、涙で濡れる目が、凍って閉ざされてしまいました。
開けにくい目を、ようやく開けて、明けにくい、冬の夜を、明かしました。

などと、詠んでいますと、いつものように、つれづれの侘しさを、紛らわしているようでしたが、思えば、なんと、儚いことでしょうか。


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2008年05月31日

もののあわれについて200

いかにおぼさるるかあらむ、心細きことどものたまはせて、宮「なほ世の中にありはつまじきにや」とあれば、


呉竹の 世々のふるごと おもはゆる 昔がたりは われのみやせむ

と聞こえたれば、


呉竹の 憂きふししげき 世の中に あらじとぞ思ふ しばしばかりも

などのたまはせて、人知れずすえさせたまふべき所などおきて、「慣らはである所なれば、はしたなく思ふめり。ここにも聞きにくくぞ言はむ。ただわれ行きていていなむ」とおぼして、十二月十八日、月いときよきほどなるに、おはしましたり。


宮様は、どのように、思し召しされるのでしょう。
心細いことを、仰せになって、「やはり、世の中に、生き通せないのではないか」と、お書きになっていますので、


くれたけの よよのふるごと おもほゆる むかしがたりは われのみやせむ

何代も、語り継がれてきました、故事を思わせますが、私と宮様の、思い出は、私一人で、思い起こして行くことが、できるでしょうか。

と、申し上げますと、


くれたけの うきふししげき よのなかに あらじとおもふ しばしばかりも

呉竹の、節のように、疎ましいことの、多い世の中です。
生きていたくないと、思うのです。

などと、詠まれて、密かに、女を置くべき、場所を決められて、「慣れないところですから、きまり悪く思われるでしょう。邸の者も、聞きづらいことを、申し上げるでしょう。今は、私が行き、女を、連れてきましょう」と、思し召して、十二月十八日、月が、大変美しく、清らかな夜でしたので、宮様は、女の家に、お出でになりました。


例の、
宮「いざたまへ」とのたまはすれば、今宵ばかりにこそあれと思ひてひとり来れば、宮「人いておはせ。さりぬべくは心のどかに聞こえむ」とのたまへば、「例はかくものたまはぬものを、もしやがてとおぼすにや」と思ひて、人ひとりいて行く。


いつものように、宮様は、「さあ、おいでなさい」と、仰せになりましたので、女は、今宵だけの、外出だとばかり思い、車に、一人で乗りますと、宮様は、「誰か、人を連れてお出でください。許されることならば、落ち着いて、ゆっくりと、お話をしましょう」と、仰せになります。
「いつもは、誰か、連れよとは、仰せになりませんのに、もしや、このまま、邸に、落ち着くことになるのでは」と、思い、侍女を、一人連れて、参りました。


例の所にはあらで、忍びて人などもいよとせられたり。さればよと思ひて、「なにかはわざとだちても参りらまし。いつ参りしぞとなかなか人も思へかし」など思ひて、明けぬれば、くしの箱など取りにやる。


いつもの所ではなく、密かに、侍女などを置いて、住みなさいと、いうような風情に、しつらえてありました。
やはりと、思い、「何か、わざと、仰々しく邸に、参上する必要がありましょうか。人が、いつ、邸に、上がったのかと、思われた方が、いいと、思いました」
夜が、明けましてから、家に、櫛の箱など、取りにやらせました。


宮の歌
呉竹の 憂きふししげき 世の中に あらじと思ふ しばしばかりも

この歌は、すでに、憂鬱症である。

呉竹のように、つまり、竹の節のように、憂き事の多い、世の中というのである。
あらじと思ふ
ここに、いたくないと思うのである。

しばしばかりも
つかの間でも、いたくないという。

ほとほと、現実の生活が、嫌だというのだ。

貴族社会の中にあっての、発言である。

雅の精神にあって、退廃し、腐敗する、貴族社会の有様を、端的に言う。
一見して、戦の無い、平和な時代である。
しかし、危機意識皆無の中での、貴族の生活に忍び寄る、危機的意識を、宮は、持っていた。
このままでは、駄目になる。
何が、駄目になるのか。
それは、自分自身である。

当時、貴族の間に、流行していた、浄土信仰でも、宮の心は、救われなかったということである。

何をして、憂い心を、見つめていた。
少しの救いは、女との、恋である。
しかし、それも、すべてを、救うものではなかった。

すでに、現代に続く、病を、このこのから得ていたのである。

生きることは、憂いことなのである。

その時代の中で、源氏物語が、生まれる。
女房文学と、言われる。つまり、女が、書くもの。
当時は、女が書くものは、正式に認められるものではなかった。女子供のもの、それが、平仮名だった。

ところが、どうであろう。
平仮名によって、日本人の心の有り様である、もののあわれ、が、表現されるのである。

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