2008年04月20日

神仏は妄想である 79

「新約聖書」神学の核心に位置するこの教えは、道徳的には、イサクを焼き殺す準備をしたアブラハムの物語とほとんど同じくらい胸くその悪いもので、またよく似ているーーーそれは、ユダヤ学の専門家、ゲザ・ヴェルメンシュが「イエスの変貌」で明らかにしているように、偶然ではない。原罪そのものは、「旧約聖書」のアダムとエバの神話から直接に由来するものである。彼らの罪―――禁断の木の実を食べたことーーーは、単なる叱責ですみそうな、軽微なものに思える。
ドーキンス

この、アダムとエバの、話は、よくよく、考えてみれば、如何に、聖書の神というもの、捻くれたものであるかが、解る。
旧約聖書の神が、どんな人格であったのかは、すでに、述べたが、手のつけられない、自作自演のものであることが、理解できる。

魔神、悪霊と、呼ぶに相応しい、これ以上の、魔神は、いないという存在である。

人間に、生まれ持った、原罪という罪があると、信じるという、精神異常は、計り知れない、妄想を、人間に抱かせた。


しかし、この実の象徴的な性質(善悪についての知識、実際上は、自分たちが裸だという知識であることが明らかになる)のゆえに、リンゴを盗むといういたずらが、すべての罪の源泉とみなされるのに十分だった。彼らとその子孫すべての子孫はエデンの園から永遠に追放され、永遠の命という天からの贈り物を奪われ、田畑と出産においてそれぞれ、何世代にもわたる苦痛に満ちた労働を強いられることになった。
ドーキンス

私も、更に、しかし、と言う。
田畑を耕すという、苦痛に満ちた労働を、強いた神は、それさえも、否定することになるのである。
それは、アダムとエバの子供である、カインとアベルの、話に出るものである。
これは、後で、書く。

旧約聖書、創世記から、神は、その正体を明かすのである。

まず、エバをそそのかした、蛇に神は言う。

「おまえは、このことをしたので、すべての家畜、野のすべての獣のうち、最も呪われる。おまえは腹で、這い歩き、一生、ちりを食べるであろう。わたしは恨みをおく、おまえと女のあいだに、おきえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、おきえは彼のかかとを砕くであろう」

そして、エバには、
「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」
そして、アダムに言う、
「神はあなたのために呪われ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る」

ここでは、呪い、恨み、苦しみ、という言葉が、ずらりと、並ぶ。
通常、呪いというのは、悪魔のすることである。
神は、呪うということを、しない。
あらゆる宗教の原点をみれば、呪うのは、悪魔、悪霊である。

旧約聖書に、悪魔というものが、出てこない。
何故か。
神が悪魔だからである。

余談であるが、ユダヤと、日本の関係が深いという、想像をもって、語る人々がいる。
旧約聖書と、日本の古代史の、接点や、統合である。
有り得ない。
事後預言と同じで、如何様にでも、意味をつける。想像、妄想できる。

ユダヤ十二支族の一つが、日本だという、大ばか者もいる。
文様や、言葉を取り出しての、接点である。
一つは、日本が先だ。一つは、ユダヤが先だと、言う。
妄想もほどほどにと、言っておく。

カインの捧げた、農産物より、アベルの捧げた、血の滴る羊の捧げ物を、何の意味も無く、アベルの捧げ物を、善しとしたのである。

はっきり言っておくが、日本には、血の滴るような、獣を神に捧げるという、伝統は無い。

そして、更に、神は、善良なカインに、弟を殺させるという、人類最初の殺人を犯させる。
この、捻くれた神は、そこでも、更に、カインを、追い詰める。

「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の上からわたしに叫んでいます。今あなたは呪われてこの地を離れなければなりません。この土地が口を開けて、あなたの手から弟の血を受けたからです。あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」

これは、完全な、イジメである。

地を耕せと言う。しかし、その実りを拒み、血の滴る獣を受け取る。更に、嫉妬を起こさせて、弟殺しをさせ、それで、更に、あなたが土地を耕しても、実を結ばないという。

完全に、人間を、捏ね繰り回している。

更にである。
まだ、ある。

カインは主にいった。「わたしの罰は重くて負いきれません。あなたは、今日わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならなければなりません。わたしを見つける人はだれでもわたしを殺すでしょう。主はカインに言われた。「いや、そうではない。だれもイカンを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」そして主はカインを見つける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。

善良なカインを、散々弄び、結果、カインは、ならず者として生きるしかなくなるという、おぞましい、話である。

善良なカインは、主から受けた、しるし、によって、今でも、その末裔は、殺戮を繰り返している。
それが、復讐という言葉に、現される。

神が、復讐を言うのである。

自作自演も、ここまでくれば、完全に狂っている。

勿論、私が、教会で、習った、カインとアベルの話の、意味合いは、全く別の解釈により、
神の本当の姿を、考えないようなものになっていた。

物語から、神の正体を逸らし、弟殺しをした、カインは嫉妬により、人類最初の殺人を犯した。すべての罪は、嫉妬からはじまった。
さらに、サタンという、悪魔も、神が人間を愛するのを、御覧になり、嫉妬を起こして、大天使だったが、サタンに落ちたと、教えた。

大天使ルチフェルが、悪魔サタンになった。
嫉妬で。

妬みの神と言ったのは、誰か。
最初に、嫉妬したのは、誰か。

神自身が、悪魔であることを、宣言しているのである。

復讐、報復という、言葉は、旧約聖書から、始まる。
これを、正典としている、ユダヤ、キリスト、イスラム教の、本当の姿が、解るというものである。


このあたりを見ると、あまりに容赦がなさすぎる。これは「旧約聖書」では当たり前のことだった。だが、「新約聖書」神学はそれに、その悪質さにおいて「旧約聖書」さえも凌ぐほどの、新しくサドマゾヒズムで仕上げをした不当な処置を付け加える。宗教が、しばしば首にかけられる聖なるシンボルとして、拷問と処刑の道具である十字架を借用しなければならないというのは、よくよく考えてみれば、驚くべきことである。
ドーキンス



posted by 天山 at 00:00| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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