2008年04月16日

神仏は妄想である 74

アブラハムよりむしろモーセのほうが、三つの一神教信者にとっての役割モデルになれそうである。アブラハムは最初の家父長であったかもしれないが、もし誰か一人を、ユダヤ教およびそれから派生した宗教の教義上の始祖と呼ばなければならないとすれば、それはモーセである。
ドーキンス

ここで、実に、不思議だと思うことを書く。
いずれにせよ、聖書の神は、ユダヤ人、セム族の神なのである。
それが、何故、世界宗教にまで、発展し、今では、全世界を、救うなどという、巨大宗教になったのかということである。

例えば、イスラム、アラブの始祖は、アブラハムの、妾の子である、イシュマエルである。
彼は、聖書の中で、はっきりと、野蛮な人種とされている。

そして、ユダヤの十二支族は、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨハネの、子孫である。それが、ユダヤ教である。

新約の、イエスから、キリスト教が、生まれたが、それも、ユダヤ人の宗教だった。

何故、ユダヤ人の宗教、神を、このようにして、信じて、拝むようになったのか。
一民族の、神を、すべての人の、世界の人の、神とすることには、無理があると、思うのである。

侵略して、キリスト教、イスラム教を、布教するということは、理解するが、例えば、日本の場合は、全く関係が無いのである。

ところが、カトリック、プロテスタント、そして、日本の新宗教の中でも、聖書の神を、すべての人の神として、喧伝するのである。

本当に、内容を知ってのことかと、思うが、知っても、知らなくても、どうでもよくて、兎に角、それらしき、神というものを、拝みたいのか。

私の場合は、小学四年の時から、学校の図書館から、伝記物を借りて読むようになり、その中に、キリスト伝もあり、更に、六年生の時に、犬飼道子の、聖書物語を読み、感動して、中学の時に、近くのカトリック教会に行った。本当の聖書を、読みたかったからである。

本当の聖書を、手にしたのは、バルバロ訳だった。
それを、暗記するほど、読んだ。
そして、15歳の時に、洗礼を受ける。

熱心な、カトリック教徒だった。
しかし、それから、勉強などせず、他の宗教の本を、読むようになる。
キリスト教との、相違を知るためである。

ゆるやかに、変化が、起こったのは、二十歳を過ぎた頃である。

感動したのは、文学としての、鎌倉仏教である。
見事なものだった。
私は、多く、文学を、鎌倉仏教の開祖たちから、教えられた。

仏教経典も、読経するようになる。
宗派、問わずである。

疑うことなく、邁進した。学ぶことにである。

更に、新興宗教の、経典、聖典様々なものを、読んだ。
更に、今で言えば、心霊研究である。
こういう変転を、過ぎている。

さて、何故、ユダヤ人の神を、拝むのか。

一つの例を、上げる。
イギリスの産業革命により、時代が変わったと、教えられた。
それは、見事なものだった。
授業では、イギリスの素晴らしさを、学んだ。
そこから、日本も、明治期に、多くを学び、新しい時代が始まったと、ここまではいい。

それから、イギリスの産業革命の、裏を知ることになる。
多くの、植民地からの、搾取により、成ったものであること。
大英帝国は、単なる、搾取の国である。それも、甚だしい、人種差別を行い、黒人を奴隷として、売り渡していた。
イギリス、オランダ、ポルトガル、スペイン等々、皆、植民地からの、膨大な利益により、成ったのである。
それはそれは、とんでもない、人権無視の様である。

さて、そこである。
未開の地に行く。その時に、必ず同行したのが、宣教師である。
まず、神の教えを、伝えるべくの、行動である。
植民地政策に、信仰は、欠かせないのである。

キリスト教が、絶やした民族の数は、数知れない。
従わない民族、部族は、皆殺しにしたのである。

そして、更に、ローマ法王の、物という意識である。
豊臣秀吉が、それに、気付いての、キリシタン禁止であった。
このままでは、ローマの属国にされると、政治家の勘である。

もし、キリシタン禁止をしていなければ、今の日本は無かったかもしれない。
ローマ法王を、戴く国になっていたかもしれない。

要するに、ユダヤ人の神を、拝ませるべくの、行為があったということである。
勿論、武力、暴力によりである。

南米は、大半がカトリックである。
それは、上記のことゆえである。

未開の部族に、正しい神というものを、伝える使命を、宣教師は、持ったのである。
勿論、支配のためである。
宗教による、支配、それは、政治による支配に、成る。
政教分離など、有り得ないのである。
今も、そうである。

日本統治時代にも、日本は、神社などを、作ったし、それを、拝ませたが、ユダヤ人の神の教えとは、根本から違った。
根こそぎ、その地域の伝統を、壊滅させることはなかった。
また、日本の神の総称、天照大神を、布教、宣教するという、アホも、いなかった。

ただし、仏教の中には、アホがいて、少しばかり、布教をしたものもいる。

今でも、仏教国といわれる、国に行き、仏教の、それも偽物の仏教を、布教、宣教する、馬鹿馬鹿しい、新宗教もある。

武力と、暴力によって、ユダヤ人の神を、拝むように、仕向けられた多くの民族、部族である。

今では、その信仰が、浸透して、神もどきの神を、信仰し、拝んでいるという状態である。
ちなみに、日本の場合は、キリスト教徒は、人口の3パーセントである。
多くも、少なくもなく、推移している。

クリスチャンで、神社の神主をしている者もいて、驚くが、神社は、お勤めである。
仕事の感覚で、ある。
それが、御祓いなどをするから、終わっている。

何を、どう説教しても、キリスト教の、教えには、無理がある。
ユダヤ人の神を、一部族の神を、拝むというのは、どう考えても、おかしい。
勿論、彼らは、世界人類の神と、信じている。

その神が、どんな神かを、知らないのは、聖書を、読んでいないからである。

聖書を、読まずに、信じているということは、考えられないが、読んでいないのである。これは、致命的である。

ちなみに、クリスチャンに、旧約、新約聖書の、すべてを、読んだのかと、尋ねてみるとよい。ほとんどが、読んでいないだろう。

また、それほど、主イエスに、命懸けの信仰を持っているとしたならば、新約聖書など、すべて、暗誦できるはずである。

しかし、私は、未だかつて、そんな、キリスト教徒を、知らない。
これからも、知らないだろう。

私の方が、暗誦しているはずである。
よくよく、言っておく、知らないものは、語れないのである。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第2弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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