2008年02月12日

タイ・ラオスへ 12

バンコクの空港で、約、八時間を過ごさなければならない。
何という、接続の悪さか。
しかし、私たちのような人が、大勢いた。

一階のロビーに降りて、そこに荷物を置く。
館内の冷房がきつくて、外に出た。荷物も、持ってである。
ベンチを一つ占領して、そこに、陣取る。

外だと、タバコが吸えるし、暖かい。夕方から夜は、涼しく、実に過ごしやすい。
何度も、眠った。
ベンチで寝るという、経験は、格別である。
旅をしているという、気分が、最高潮に達する。

水がなくなり、上の階に買いに行く。
二階にも、売り場があったので、そこで、7バーツの水を求めた。
すると、40バーツと言われた。
四倍以上の値段になっている。
約、130円である。日本より、高い。

怒りようがない。
しょうがないのである。

野中と、一度、食事に、三階に上がった。矢張り、料金は高い。
丁度、その頃になると、私の腹は、複合的に、食あたり状態になりつつあり、食欲があまりないので、飲み物だけにした。

日本に戻り、その食あたりの状態は、三日続いた。
下痢と、発熱である。一時的に、38度以上の熱も出た。
風邪でも、そんなに熱を出すことは無い。
風邪用の、抗生物質を貰っているので、それを飲む。

帰国の翌日は、コンサートで、歌ったから、私も大したものである。と、自画自賛する。

さて、旅行記の最後に当たり、タイ国王のことを、少し書いておく。

国王は、民主化を進めて、政治的発言を控えているし、極力、関与しないようにとの、行動であるが、政変がある度に、その調停の様が、世界に報道される。
国王の政治的影響力を無視出来ないのが、タイという国柄である。

1993年の、五月の暴虐では、国王の前に跪く、スチンダー首相と、チャムローン反スチンダー派代表の姿が、世界中に、報道された。
流血の事態を、調停した、国王の権威が、示されたのである。

2006年の、反タクシン運動の発生と、クーデターでも、調停役として、国王に注目が、集まった。

実は、これは、新しい伝統なのである。
国王に対する、国民の敬愛と言う、形である。

1932年の、立憲革命は、絶対王政に反対する国民の不満からの、ものである。
その際に、国王、王室の、権威は失墜させられたのである。

しかし、前回書いた、ピブーン首相時代の、ナショナリズムにより、歴代の王に対する、認識が高められた。

歴代の国王の像が、各地に、建設されたのである。

その後、更に、国王に対する、権威高揚が、図られた。
それには、共産主義思想に対する、牽制もあった。

現国王の、プーミポン王は、若い頃から、その政策に、積極的に参加した。
そして、国王一家は、頻繁に、地方行幸を行い、国民の辛苦を見て、慰めと、励ましの言葉を送った。
国王自身、僻地の地域開発に、関心を示し、具体的な、施策を提言した。
更に、国王が、行幸しなかった地域には、新聞、テレビが、国王の動向を伝えた。

現在も、夜八時からは、各局が、王室関係のニュースを流している。
その日の、王族の、公務が、報道されているのである。

こうして、国民の王と王室に対する、敬愛の情を深めての、現状なのである。
新しい伝統と、言える。

立憲革命以後は、基本的に、国王の政治権力は、無いのであるが、どういう訳か、ここ一番という時に、国王の言動が、大きな影響を与えるのである。

それは、国民の信頼ゆえのものだろう。
国王が、善しと言えば、国民も善しとする。否と言えば、国民も、否とするのである。

ただ、国王自身は、政治権力を求めてはいない。
中立的な、存在としてあろうとするのである。
その意思が、国民に見えるというのも、特徴である。
だから、こそ、国民も信頼するのだろうと、私は思っている。

日本の天皇が、国民の祈りの存在でありたいと、仰せられるように、タイ国王も、国民の平和と、幸せを祈る存在でありたとの意思であろう。

国王は、また、熱心な仏教徒でもある。
若い頃の出家の写真が、タイの至るところの、寺院に、飾られてある。
勿論、国王夫妻の写真も、至る所に、掲げられてある。

国政は、タクシン派の政党が、首相を選出した。
その、政策も、タクシンの、政策を継ぐものに、見える。

高齢の国王の存在が、タイの自制心である、とみる。
次の時代を、どのように、拓くのかは、未知であり、それは、世界も同じである。

タイが、好きで、これから、タイでの活動を考えている私には、国王の存在は、実に良き存在である。
私もタイ国民と、共に、国王の長寿を願いたい。

また、日本の高齢者が、これから、益々、タイにお世話になることと、思う。
相互扶助の精神で、タイの人々と、共存出来れば、素晴らしいことであると、思っている。

日本が、苦境に立たされた時に、助けてくれる国の一つであると、私は思っている。

朝、四時に、搭乗手続きである。
何度も、寝たので、元気だった。

一月の、チューク諸島の慰霊から、一週間後のタイの旅である。
矢張り、少し疲れたようである。

飛行機が、飛び立つ前に、私は眠った。
目覚めた時は、機内食の時間だった。
不味い機内食である。辛いだけの、焼き飯である。しかし、残すことなく、食べた。贅沢を言える身分ではない。

ちなみに、アメリカの航空機である。
勿論、格安チケットである。

いずれ、バンコク空港の、顔馴染みになりたいと思っている。

日本の空港まで、足袋を履いているが、その後は、裸足である。
着物姿で、裸足。これは、一度で、覚えられる。

今回は、多くの歌を詠んだが、すべてを載せてはいない。
いずれ何かの機会に、書きたいと思う。

成田に到着して、それ程の寒さを感じなかったのは、ノーン・カーイが、寒かったからであろう。

雪が降ったようだったが、バスが走っているというので、バスにした。

次に、タイに行くのは、六月、チェンマイそして、追悼慰霊は、メーホンソンを計画している。
追悼慰霊と、児童の学習支援である。
残り少ない人生を、何かのために、生きたいと思う。しかし、それは、また、自分のためでもあるのだ。
千年の日本のためにと、大げさなことを言いつつ、我が身のためにしているということである。

尽くしては また戻り我 に賜る 行幸はそれ ただ有り難き



posted by 天山 at 12:27| H20.02 タイ・ラオスへ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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