2008年01月08日

トラック島慰霊の旅 8 平成20年1月23日

野中が、戻って来た。

島の外れまで、歩いて行ったと言う。

これで、多くの出会いがあった。


一人の男の子が、ガイド役になり、もう一つのホテルのビーチで、泳いで、叱られたらしい。プライベートビーチだった。


明日、一緒に行こうと、野中が、私を誘う。

私は、ゆっくりするつもりだったが、野中の話を聞いて、行くことにした。


村人たちが、集って、木の実を煮て、それを、餅のように捏ねたものを、ご馳走になったという。

村の人の家も、見せて貰ったと、感激していた。

そして、ガイド役の男の子が、Tシャツが欲しいらしいので、今着ているものを、明日、上げるという。

私も、一枚、Tシャツを用意していたので、それも、明日、上げることにした。


ただ、男の子は、ガイド料として、二ドルを要求したという。

野中は、彼に、二ドルを払った。

それを、聞いて、私は、急に、そのことに興味を持った。

ガイドをして、二ドルを貰うということである。


明日は、ホテルを、夜の11時に出る。それまで、十分に時間はある。


さて、今夜の食事を、どうしようかと思った。

いつもなら、必ず、どこかのスーパーに行く。ここでも、買い物をして、それを食べたいと思った。

野中に言うと、それでいいと言う。


六時前である。

外は、すでに、暗くなっている。

私たちは、近くのスーパーに、歩いた。


ところが、すでに、閉店である。早い。それでは、買い物をする場所はない。と、横を見ると、粗雑な板に、パンやバナナを乗せて売る店がある。

そこしか、買い物が出来ないと思い、近づいた。


男がいた。

パンは、二種類である。私は、二種類を買った。そして、量が多いが、小さなバナナである。日本から持ってきた、笹かまぼこがあるので、それで、夕食にすることにした。


水と、パンとバナナ、笹かまぼこで、十分になった。それでも、パンもバナナも、大量に余った。

あまり書きたくないことだが、食べ物が、不味い。

贅沢を言うのではない。すべて、アメリカンになっていて、肉料理ばかりなのである。そして、その肉の、質が悪い。そのために、味付けをしているのである。

胸が悪くなるような、料理が多い。

前日の夜も、量は多いが、肉料理で、油が多く、うんざりしたのである。そして、パンである。パンは、悪くは無いが、パンをニンニクの油で、焼いているのである。ガーリックトーストならいいが、やわらかいパンに、たっぶりと、油で焼いている。

胸焼けする。

兎に角、こってり料理なのである。


さて、後は、寝るだけである。

何も、することがない。今回は、本も持ってこなかった。

テレビも見ない。


エアコンの室外機の音と、潮騒を聞いた。


実に、不思議な日だった。

目的の追悼慰霊は、一時間で済んだのだが、それは、時間の問題ではなかった。質の問題だった。その質は、あまりに、重く、厚い。


ホテル前の通りは、真っ暗である。

私は、九時頃に、ベッドに着いた。そのまま、眠った。


帰国の日の朝、というか、帰国の飛行機は、深夜便であるから、翌日になるが、ホテルを出るのは、夜の11時である。


七時まで、寝ていた。信じられない程、長く寝た。


野中と、レストランに出て、コーヒーを飲んだ。

腹が空かない。昨日のパンもあり、何も注文しなかった。


コーヒーと、水を飲み続けた。

水は、水道水ではない。飲み水として、別に分けられてある。

部屋にも、大きな、水のタンクが置いてある。

ミネラルウォーターを買ったが、インドネシアのものだった。

1,5リットルで、一ドルである。


水道水は、色がついている。

シャワー以外は、使用出来ない。


一時間ほど、レストランで過ごした。


部屋に戻り、出掛ける準備をする。

食べ物を、すべて持った。昼に、食べようと思う。


島の先までは、歩くと、30分以上はかかるというので、タクシーに乗ることにした。しかし、そのタクシーは、中々来ない。

歩きつつ、通る車に手を上げる。

タクシーと、そうではない車を、見分けられないのだ。

タクシーは、運転席の前のフロントに、タクシーと、手書きで書いてある。


一台の車が、止まった。

タクシーではないが、乗っていいと言う。

後部座席に、二人の母娘が乗っていた。

私は、その母娘の後ろに乗った。

途中で、母娘が降りた。


野中と運転の男が英語で、まくし立てるように、話をする。

そこで、印象に残ったことがある。

道路である。

何故、道路の舗装がなされないのかということである。

結局、政治家が、支援金を、自分たちの、いいように使うからだという。

そこで、あの高校生の、男の子の、政治家になりたいという言葉が、思い出された。


どこの国でも、支援される国の政治家、いや、支援する国の政治家も、結局は、自分たちの、都合の良いように、支援金を使うのである。

勿論、学校教育は、無料であり、子供たちの医療費も無料である。

だが、多くの支援金は、有耶無耶になること、多々あり。


政治家になれば、お金を得られるということになる。


主要産業としては、農業の、ココナツ、タロイモ、バナナ等。そして、水産業であるが、全くなっていない。

漁師が、魚を捕らないのである。水産業も何も無い。


一時期、ココナツオイルの、工場があったというが、閉鎖されている。


日本との、貿易額を見ても、2005年では、輸出が190万ドル、輸入が899万ドルである。あまりにも、歴然としている。

地場産業を作らないのである。

収入を得るためには、海外に出稼ぎに出るしかないのである。


ただ、言えることは、環境破壊が無いということである。

それだけは、見事である。しかし、これからの、島の人の生活を考えると、何かの手立ては、必要である。


車は、島の先端の、ホテルに入った。

私たちは、車を降りて、写真を撮るために、浜に出た。

向こうに、夏島が見える。右手には、竹島である。

白い砂が、眩しく輝く。


ホテルの従業員が、声を掛けて来た。日系人である。

日本人が、懐かしいらしい。

皆で、写真を撮る。


車に戻り、昨日、野中が行った村に、行くことにした。

デコボコの道を、ゆっくりと、車が走る。

暫く、逆戻りすると、村に着いた。


そこで、男が、教会のミサに出るということで、車を返すことにした。

料金である。通常のタクシーは、50セントであるが、彼は、10ドルと言う。

野中が、交渉する。10ドルは、高いと。

すると、5ドルになった。それでも、高い。しかし、私は、もういいと思い、5ドルを出した。

男の言い分は、ガソリンが高いと言うのだ。

収入の無い人には、出来る限りお金が欲しいと思うのは、当然である。

5ドルは、大金である。

10ドルから、半額になるのも、おかしいが、タクシーではなく、好意で、乗せてくれたと思い、支払った。


収入の無い、島の人の、買い物は、一ドル以内である。セント単位の買い物である。

しかし、それも、ままならないのである。

だが、その貧困を、支援する理由にすることは、無い。

それが、島の経済システムである。

支援は、それを、破壊しないようにしなければならない。

つまり、持てる者と、持たない者との、差を作ってはならないのだ。


何でもかんでも、金を出せば良いということではない、ということだ。

島の人の、自立を促し、島の人の生活を、破壊しない、支援である。

実に、慎重にならざるを得ない。




posted by 天山 at 16:41| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

もののあわれ 378

いとつれづれに眺めがちなれど、何となき御ありきも、物うくおぼしなりて、おぼしも立たれず、姫君の何事もあらまほしう整ひはてて、いとめでたうのみ見え給ふを、似げなからぬ程に、はた見なし給へれば、けしきばみたることなど、折々聞え試み給へど、見も知り給はぬ気色なり。





大変に、所在無く、物思いに沈む。
どうでもいいような、出歩きは、したくもない。
ところが、姫君が、申し分なく、整い、大変立派に成長している。
これは、不釣合いではないと、意味ありげに、ことを申してみるが、そんなことは、全く解らないようである。

要するに、男と女の関係である。

けしきばみたることなど
何となく、それと、解ることを言うのである。




つれづれなるままに、ただこなたにて碁うち、偏つきなどしつつ、日を暮らし給ふに、心ばへのらうらうじく、愛敬づき、はかなきたはぶれごとのなかにも、美しき筋をし出で給へば、おぼし放ちたる年月こそ、たださる方のらうたさのみはありつれ、忍び難くなりて、心苦しけれど、いかがありけむ。人の、けぢめ見奉り分くべき御中にもあらぬに、男君はとく起き給ひて、女君はさらに起き給はぬあしたあり。人々「いかなればかくおはしますならむ。御ここちの例ならずおぼさるるにや」と、見奉り嘆くに、君はわたり給ふとて、御硯の箱を、御帳のうちにさし入れておはしにけり。人間にからうじて頭もたげ給へるに、引き結びたる文、御枕のもとにあり。何心もなく、引きあけて見給へば、


源氏
あやなくも 隔てけるかな 夜をかさね さすがになれし 夜の衣を


と書きすさび給へるやうなり。かかる御心おはすらむとは、かけてもおぼし寄らざりしかば「などてかう心うかりける御心を、うらなく頼もしきものに思ひ聞えけむ」と、あさましうおぼさる。





つれづれなるままに、つまり、何となく、所在の無い気持ちで、こちらの対にて、碁を打ち、偏つぎなどをして、日を過ごしている。
姫は、性質が利発で、愛嬌があり、少しの姿も、可愛いのである。
結婚を考えずにいた、年月は、ただ、幼い愛らしいと思っていたが、今は、その姿に、心引かれるのである。
姫には、気の毒なことだったのか・・・
人が、いつから、その区別を見分けて申し上げるという、仲ではない。
男君は、早く起きて、女君が、中々起きない朝があった。
女房たちは、どういうわけで、休んでいられるのか。ご気分が悪いのかと、案じるが、君は、自分かの部屋に戻られるとあって、硯の箱を、御帳台の中に、差し入れた。
人のいない時に、やっと、頭をもたげて、引き結んだ手紙が、枕元にある。
何気なく、引きあけてご覧になると

源氏
幾夜も、幾夜も、共に寝て、それでいて、何事もなく着慣れた夜の、衣は、わけもなく隔てられて、君と共に、しなかったことだ。
と、書き流してある。
こんなに心深いと、思わず、夢にも、考えなかったことである。
どうして、こんな嫌な、お方を、心の底から、頼みにしてきたのかと、呆れて、思うのである。

偏つき
一文字の偏を見せて、文字を当てさせる、遊び。

はじめて、姫は、男との関係を知ったのである。
初夜である。

結び文は、恋文である。
しかし、姫は、それを理解しない。




昼つ方渡り給ひて、源氏「悩ましげにし給ふらむは、いかなる御ここちぞ。今日は碁も打たで、さうざうしや」とてのぞき給へば、いよいよ御布引きかづきて伏し給へり。人々は退きつつ侍へば、寄り給ひて、源氏「などかくいぶせき御もてなしぞ。思ひの外に心うくこそおはしけれな。人もいかにあやしと思ふらむ」とて、御ふすまを引きやり給へれば、汗におしたして、ひたひ髪もいたう濡れ給へり。源氏「あなうたて。これは、いとゆゆしきわざぞよ」とて、よろづにこしらへ聞え給へど、まことにいとつらしと思ひ給ひて、つゆの御いらへもし給はず。源氏「よしよし。さらに見え奉らじ。いとはづかし」など、怨じ給ひて、御硯あけて見給へど、物もなければ、「若の御有様や」と、らうたく見奉り給ひて、日一日入り居て、慰め聞え給へど、解け難き御気色、いとどらうたげなり。






昼ごろに、こちらに、渡り、源氏は、気分が悪いそうですね。どんな具合ですか。今日は、碁も打たないので、つまらないと、顔を覗く。
すると、いよいよ、お召し物をひき被り、横になる。
女房たちは、引き下がって、控えているので、傍により、源氏は、どうして、こんな酷い、仕打ちなのか。案外に、嫌な方ですね。皆も、どんなに変だと思うでしょうと、布団を引き退けると、汗をかいて、額も髪も、濡れている。
源氏は、ああ、嫌だな。こんなにしているのは、大変縁起が悪いことですと、言い、いろいろいと、なだめすかすが、源氏を、嫌な人だと、思ってしまったようである。
一言も、返事をしないのである。
源氏は、よしよし、わかりました。もう、お会いしないようにします。会わせる顔を無いと、怨むのである。
硯箱を開けて、ご覧になるが、何も無い。
幼い方だと、愛らしくご覧になり、一日中、慰めるが、ご機嫌が解けない様子は、また、愛らしいのである。

男女の交わりは、結婚であった。

普通は、女の元に、出掛けるが、姫の場合は、源氏が、後見人でもある。


初夜の歌を、もう一度見る。

あやなくも 隔てけるかな 夜をかさね さすがになれし 夜の衣を

あや、かさね、は、衣の縁語である。

幾夜も、一緒にあった衣、着慣れた衣である。
しかし、それは、隔てられてあった。
今までは、である。
本当は、隔てなく、共に、したかったのである。
衣は、姫君である。


夜という文字を、よ、よる、と読ませている。

結論を急がないが、果たして、これは、紫式部の筆であろうか。
源氏物語には、矛盾が多い。
この筆は、紫式部のものか、否かを、後で、問うことにする。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 27

リチャード・ドーキンス
神は妄想である。
第四章 ほとんど確実に神が存在しない理由、より。

ダーウィン主義を深く理解することで私たちは、設計が偶然の唯一の代案であるという安易な決めつけに走ることなく、ゆっくりと複雑さを増大させていくような斬新的な斜路を探すことを学ぶ。

彼は、科学者として、多くの言葉を用いて、ダーウィンの進化論についてを、語る。
そして、その、人間の好奇心というものから、宗教の誤りを説く。
つまり、好奇心は、宗教の概念をこえるのである。

私たちは自分が暮らしている北半球優越主義が無意識のうちにあまりにも深く染み込んでおり、場合によっては北半球在住でない人間さえ、それはいきわたっている。

要するに、オーストラリア、ニュージーランドの地図は、南極が上にあるものであるという。上は、北極であるという、北半球の人間の無意識を、取り上げている。
「無意識」こそ、意識の高揚がなされる領域という。
面白いのは、言葉である。
男性名詞、女性名詞などの言葉で、歴史を見ると、そこには、男性名詞のみが、まかり通っている。
人間という時、それは、男性を指すのである。
そこから、ドーキンスは、話を展開させる。

意識を高めることの効果をフェミニズムが示してくれたので、私はその手法を、自然淘汰にも借用してみたい。自然淘汰は生命のすべてを説明するだけはなく、「組織化された複雑さが、いかなる意識的な導きもなしでどのようにして単純な発端から生じるか」を説明できるのだが、その意味では、科学に対する私たちの意識も高めてくれる。

ドーキンスの、利己的な遺伝子を読んで、無神論に転向した、ダグラス・アダムズの言葉が、印象的だ。

それが私の心にかきたてた畏怖の念は、正直に言って、宗教的な体験に敬意を表して語る人々の畏怖の念など比べるのも馬鹿馬鹿しく思えるほどのものでした。それ以来、どんなときでも私は、無知ゆえに畏怖することよりは、理解ゆえに畏怖することを選択してきました。

科学者の冷静さというものを、私は、尊敬する。
科学者の好奇心によって、どれほどの、無知蒙昧が、解明されたかは、計り知れない。
ただ、誤っては、いけないのは、素人たちが、使う、科学的という言葉である。
私も、含めて、科学的という言葉を使う時、それは、科学を知らないが、科学であるようなものという意識で、科学的という。
それで、多くの人が、騙される。

科学的に、実証されましたという、宣伝文句を、どれだけ、聞いたことか。
それに、準じて、医学的という言葉もある。
その知識、無知ゆえに、科学的とか、医学的という言葉に、安心を求めるのである。

それは、宗教家の、意識と、変わらない。

そして、科学的ということで、一件落着し、終わる。
宗教家も、最後に、神や仏で終わる。
しかし、科学者は、無限の可能性、終わらない、好奇心に支えられて、進む。

科学で無限に知る可能性を、知る、ということは、人間に、無限の可能性を観るということだ。

私は、すべてに、おいて、素人である。
ゆえに、私のエッセイで、解決せずに、これを、機会に、どんどんと、知識の海へ出ることである。

宗教家の限界は、聖アグスチヌスの言葉に表れている。

より大きな危険をはらんでさえいるかもしれない、もう一つの誘惑が存在する。好奇心という病である。それは、私たちを、自然の秘密に挑み、発見させるように駆り立てる。そうした秘密は私たちの理解を超えたものであり、私たちにとって何の役にも立たないものだから、知りたいと願うべきではないものなのだ。

アグスチヌスから、今まで、宗教の態度は、変わらない。
真実を晒しては、いけない。
神の存在が、危うくなるのである。

それこそ、アグスチヌスが、無意識に、恐れたことであろう。

兎に角、無知蒙昧で、いいのである。
後は、神が、すべてを、処理するというのだ。

科学は、何もまだ、知ってはいない。
という、宗教家は、大勢いる。
その通りで、ある。科学は、まだ、何も知ってはいない。
しかし、知りえたことで、人間は、多く、その恩恵を受けている。

今時、ローマ法王でさえ、病を、祈りで、癒すと、考えないだろう。
病院で、手当てを受ける。

病になれば、祈りで、癒すことである。
キリストは、一粒の信仰さえふあれば、山をも動かすと、言った。
強迫神経症タイプの、教祖は、皆、そのようなことを、言う。

奇跡を起こさないような、信仰なら、信仰が無いのと、同じである。

私は、二年続けて、同じ時期に、胃に激痛を受けて、24時間眠ることもできないほどの、体験をした。
病院を四件回ったが、痛みは、取れなかった。
唸りつつ、私は、祈った。
神や仏にではない。
私の胃にである。
長年、酷使したこと、済まなかったと。申し訳なかったと。

痛みが、引くまで、待つしかなかった。
その時、死を思った。
このような中で、死を迎えるのは、良くない。痛みで、死を味わうことが無い。死ぬ痛みは、麻薬でもいいから、取り除き、痛み無く、死を迎えたいと。

また、逆に、亀井勝一郎氏のように、癌の手術で、麻酔無しを希望するという人もいる。
その、痛みを知ることにより、思索の、至らぬことを知るというものである。
人間とは、実に、素晴らしい生き物である。
親鸞に帰依したというが、帰依したいと思いつつ、どこかで、その信に、不信を感じていたのである。

信じ切れないもの。
信じる切るというのは、実は、欺瞞であり、惰性なのである。

ドーキンスの引用した、あるブログの言葉である。

なぜ神が、何かについての説明とみなされるのだろう? それは説明ではないーーそれは単に説明不能というメッセージであり、肩をすくめる仕草となんら変わらないもので、「ワカンナイ」という言葉を儀礼的なチピリチアリズムで粉飾しているにすぎない。もし誰かが何かを神のせいにすれば、それが意味するのはたいがい、その人間が何の手がかりももっていないので、手もとどかず理解不能な存在である天の妖精のせいにしているということだ。そして、そいつはどこから来たのだと説明を求めればおそらく、「それはつねに存在してきた」とか、あるいは自然の外側にいるものについての漠然とした、擬似哲学的な答えが返ってくることだろう。もちろん、それは何の説明にもなっていない。

膨大な神学という、哲学的思考による、妄想に、科学は、王手を打つ。
無知ゆえに、想像した、膨大な妄想の数々。勿論、それは、芸術に、持ち上げられてもよい。

少年の頃、カトリック教会の司祭と共に、夏のキャンプをした。
星空を眺めて、司祭は、神に祈りを捧げた。
それは、素晴らしい、情緒教育であった。
知りえないものに対する、畏敬の思いを、私は、そこで、学んだ。

あなたは、この美しい星空を作り、私たちに、その栄光を、お示しになっています。
私も、素直に、その祈りを、敬虔に聞いた。
そして、それは、誤りではない。
実に、正しいことである。
しかし、それは、神の存在と、関係無いことである。

畏敬の思いを、何と呼んで賛美してもいい。

偶然にしては、出来すぎている自然の、あらゆるもの。それに、畏敬の念を抱く。そして、それは、遂に、私自身に、戻る。
生まれて、生きること、それ自体が、奇跡であると。
一時間先のことも、知らないのである。
暗闇の中を歩いているような、人生である。
しかし、生きられるのである。だが、知らないゆえにとは、言わない。

暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月
和泉式部

生まれたのも、暗く、生きるもの、暗いのである。
せめて、遥かにでも、いい。照らして下さい。仏というものが、いるならば。

神や仏を、光と、言う人の心が、痛い程解る。
しかし、神や仏は、光であるという観念は、捨てた方がよい。
大嘘だからだ。
神を光だということは、そのまま、闇だと言うことだと、知らない、無知である。

光は、闇によって、光と、認識される。
あえて、言うならば、神や仏は、闇である。
全く、先行き見えない闇が、神や仏の正体である。

闇の中に、光を見るというのは、幻覚、幻想である。

あれかし、という、強い思いが、それを、生む。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第1弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。