2008年01月06日

トラック島慰霊の旅 6 平成20年1月23日

岸に着く頃、私の念仏も、終わっていた。


男は、大仕事をしたような、顔付きをしていた。

ただ、私が握手を求めると、私と目を合わせないのである。

あまりに、驚きの行動だったのかもしれない。野中とは、言葉を交わしていた。


何ともいえぬ、疲労感を覚えた。

少し、放心したのかもしれない。


漁師たちが、皆、声を掛けてくれる。

何となく、頷き合うから、面白い。


昨日の約束通りに、ツゥジィーさんの店に向かう。

時間は、正午前だ。約、一時間の間である。


ツゥジィーさんの店に向かう途中、男の子が、声を掛けてきた。

日本人ですかと、英語で言う。

そうだというと、嬉しそうに笑った。

年は、16歳で、高校生である。

私と野中と、交互に話をした。私は、片言の英語で、会話した。結構、うまく話が進む。

将来の希望を訊くと、政治家と言うから、驚いた。

その訳は、後で、解ることになる。

彼は、暫く、私たちと、歩きつつ、話をした。一緒に、何か食べようかと誘うと、バスが来るからと、別れた。


ツゥジィーさんの店に行くと、店員が、出ていた。

私たちを見ると、笑顔で、迎える。

ツゥジィーさんは、まだ、来ていなかった。


昨日と、同じ部屋に通された。

お客は、私たちしか、いない。


私は、ポークカレーを、野中は、チキンカレーを注文した。

そして、アイスティーである。

これは、何倍飲んでもいいということで、ツゥジィーさんが、勧めてくれた。


半分ほど食べていると、ツゥジィーさんが、やって来た。

今度は、すぐに、椅子に腰掛けた。

マアマに、私たちのことを、話したと言う。

すると、色々な話を、ツゥジィーさんにしたという。


日本の軍人は、素晴らしかったという。

ある、艦船は、沈没することが解って、皆で、船と共に、見事に死んだという。

その船を、ダイバーが見に行くと、船長室では、皆、椅子に座ったままに、死んでいた。

そんな話を、多く聞いた。


日本が戦争に負けた時、自分たちが、負けたように思ったらしい。


1945年に、太平洋戦争が終結すると、アメリカの占領が始まる。

二年後の、1947年には、国連の太平洋信託統治領として、本格的にアメリカの統治政策が、始まった。


島の至るところが、攻撃されて、穴ぼこだらけであった。

何もかもを、失ったのである。

後で、書くが、文明から、逆行するような、生活の様になる。


日本の統治時代に出来た街は、破壊されて、皆、散り散りになった。

夏島の人々は、現在のモエン島、春島にやって来た。

今の夏島は、原始生活のようであるという。勿論、モエン島の大多数の人の生活も、そうである。


1965年、ミクロネシア議会発足。太平洋信託統治地域に関する日米協定終結。ミクロネシア協定である。

1969年、信託統治終了後の政治的地位に関し、アメリカとの、交渉が始まり、その後、北マリアナ、マーシャル、パラオ、現在のミクロネシア連邦が、それぞれ別個に、アメリカと交渉することになる。


現在の、ミクロネシアは、四州に分かれている。

チューク、ポンペイ、ヤップ、コスラエ、総称して、カロリン諸島である。

首都は、ポンペイの、バリキール。


1978年、四州で連邦を構成する憲法草案が住民投票で、承認される。

翌年、憲法施行。自治政府が発足し、初代大統領に、日系のトシオ・ナカヤマ氏が、就任する。

この、ナカヤマの、姓が、実に多いことに、驚く。


日本もアメリカの下にあるが、ミクロネシアも、同じく、アメリカの下にある。

国防を見ると、米・ミクロネシア自由連合盟約により、ミクロネシアの安全保障、国防上の権限は、アメリカが持つ。

市民が、アメリカ軍の兵士に採用されている。

2003年のイラク戦争では、ミクロネシア出身の兵士も参加した。

ただし、米軍の軍事基地は無い。


2005年の一人当たりの、GNPは、2,300ドルであるが、今は、もっと少ない。

仕事が無い。全くの無収入が、島民の大半である。

すべて、仕事は、出稼ぎになる。


そこで、どうして、生活出来るのかといえば、島にある物を、食べて、暮らしを立てているのである。

山に住めば、野生の物で、十分に食べられるという。

翌日、私は、それを、この目で、見ることになる。


国内の生産性は、実に低く、生活必需品の多くを、輸入に頼る。

貿易収支は、恒常的に、赤字である。

連邦政府歳入の約七割は、アメリカとの、自由連合盟約による、財政支援である。

そして、日本である。2005年までの、日本からの無償支援額は、144,11億円である。また、技術協力では、61,28億円を、日本が支援している。


国際航空の、建物、道路が、日本の支援で成ったという。

その時、日本の企業が来て、島人を、雇用し、大変喜ばれたという。


兎に角、貧しいのである。

しかし、不幸ではない。環境破壊の無い、自然の中で、自然の物を食べて暮らしているという、贅沢さである。

一見すると、勘違いするが、貧しさが、不幸ではないという、証を見るのである。


さて、ツゥジィーさんとの、会話は、実に楽しいものだった。


一つ、面白いと、思ったことは、日本の神社を、神様というのである。

今は、キリスト教徒だが、神様といえば、神社のことを言う。

それでは、キリスト教の神様を、何と呼ぶか。イエズス様である。

プロテスタントでは、ジェイズスという。


天皇陛下を、どう思うかと、訊きたかったが、今更なので、止めた。


カレーの量が多かったせいもあり、突然の、眠気が襲う。

私は、ホテルに戻り、すぐに、ベッドに寝た。


野中は、出掛けて行った。

これで、また、色々な情報を仕入れてくるのである。



posted by 天山 at 16:40| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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