2008年01月04日

トラック島慰霊の旅 4 平成20年1月23日

私たちは、個室で食事をした。

ツゥジィーさんは、話に熱が入ると、私たちと一緒に椅子に座り、話を続けた。


ツゥジィーさんの、おじいさんである、日本人が、戦争中に、日本に戻った。そして、敗戦である。

母親の、兄弟である、長男が、父を訪ねて、日本に渡る。そして、見たものは、東京の焼け野原である。

父の居場所も、解らない。連絡も取れない。

皆で、日本で暮らそうとしたらしいのである。


しかし、ツゥジィーさん曰く、天皇陛下が、駄目だと、言ったと。

つまり、日本には、住めないということ、なのだろう。

ツゥジィーさんの口から、何度も、天皇陛下という言葉が出た。

彼女に取って、天皇陛下は、非常に親しみのある、それでいて、権威ある方なのであろうと、感じた。


その後は、父と離れ離れの生活である。

つまり、彼女のおじいさんである。

彼女の、母親の、上の兄弟たちは、皆、日本語を読めて、書くことが出来るという。


印象的だったのは、彼女の母親が話す、日本統治の頃の、チューク諸島の、素晴らしさである。現在のグアムより、凄かったという。


デュプロン島、日本名、夏島が、その当時、日本統治の主たる島であり、街が出来て、暮らしも、豊かであった。

今は、見る影も無いという。

その、夏島は、戦争時に、日本軍の様々な施設が、作られた。それは、現在も、跡地として、残っている。


戦争末期の悲劇は多い。

食べ物がなくなり、島民は、甚だしい食糧難に、直面した。

その時、多くの悲劇が起こった。


当時、中国、朝鮮からの、移民も多かった。

それらは、日本統治下にあり、日本人としての、入植である。

食糧難になると、中国人、朝鮮人が、現地の人を、借り出して、農地を開拓させて、働かせたという。

そこで、空腹の者が、働けなくなると、生きたまま、手足を縛り、生き埋めにして、殺したというものである。

それが、日本軍が、行ったと言われることもあるという。


また、現地人を、食べるというものである。

その犠牲になった家族が、戦後、日本に保障を求めた。

それは、中国人が、日本軍が、現地人を食べたという、噂を流したからであるという。

日本の、ある団体は、その家族に、大枚な、保証金を払ったという。どこの団体なのかは、察しがつくが、ここでは、省略する。


スペインからドイツ、そして、日本と、統治が変わったことにより、混血が、多く生まれた。しかし、中でも、日本人の血を持つ人は、日本人であるということで、誇りを持っているという。

勿論、彼女も、日本人の血が流れているゆえの、言葉であろう。

ドイツの血を持つ者は、ドイツに、誇りを感じているだろう。


さて、私は、遺骨の見世物について、尋ねた。


当然あるという。

ダイビングで、いくらでも、見ることが出来るという。

彼女は、見世物という言葉に、抵抗しなかった。


そして、この話は、多くの、現地人が、言うことであった。

遺骨は、見ることが出来る。

ただし、私が、産経新聞で、読んだ記事にあるようなものなのかは、まだ、確定してはいない。

更に、調べる必要があると、思った。


島の人は、遺骨を見ることを、簡単なことであるという。

そして、見世物という言葉にも、抵抗しなかった。


問題は、そこである。

当然と、島の人が言うのである。


その、当然という意味を、調べる必要がある。


私たちは、明日、慰霊を終えて、また、来ると、約束して、ツゥジィーさんと、別れた。


驚くべきことは、多かった。

それは、戦争、遺骨などの、ことだけではない。

この島の人々の暮らしに関してもだ。


ホテルに戻りつつ歩くと、皆々、私たちに、声を掛ける。

日本人かという声もあった。

日本人に対する、好意的な、声掛けは、凄いものだった。


後で知ることになるが、島民は、日本人に、実に友好的、好意的なのだそうだ。

当然である。

彼らの多くがに、日本人の血が流れている。

多くの言葉が無くても、何となく通じるということからも、それが、解る。

後半、特に、それを感じる出来事が、あった。


ホテルに戻り、少しの休憩をする。


私は、明日の追悼慰霊の、準備をした。

といっても、御幣を作る紙を取り出し、日本酒を用意して、今回は、祝詞だけの、慰霊の儀を行うと、決めていた。

経本のたぐいは、一切持って来なかった。


夕方になったので、野中が、海上慰霊をしてくれるといった、おじさんに、連絡するために、電話を掛けた。

部屋から掛けたのだが、出ない。

そこで、フロントに行き、そこの、公衆電話を使ったが、出ないという。


夜に、もう一度、連絡したが、出なかった。


私が、ホテルで、休み、準備をしている間に、野中は、ホテルの先、島の先端に向かって歩いたらしい。

そこで、出会った人々に、食事をご馳走になり、一人の男の子が、ガイド役で、着いて来てくれたという。

ガイド料が、二ドルであった。

彼は、それで、家計を支えていたということを、後で解る。


野中の話を聞きつつ、ホテルのレストランで、夕食を取った。

八時過ぎである。

ビールを注文した。

何と、アサヒビールが置いてある。

私たちは、バドワイザーを二つ頼んだ。

缶ビールである。350である。


その夕食は、二人で、30ドル以上、つまり、三千円以上であった。とても、料金が高いのである。

現地の人には、手が出せない料金である。

だが、私は、その時まで、それが、高いものだとは、知らない。当たり前に感じていた。


缶ビールは、日本でも、150円前後であるが、その倍以上の料金であった。


野中が、朝のうちに、慰霊をした方がいいという。

太陽が、まだ、登り切らないうちにしなければ、とんでもないことになると言う。

日焼けに慣れていない。

朝九時頃に、出掛けようということになった。

しかし、あの、おじさんと、連絡がつかないのである。


私たちは、もし、まだ、連絡がつかないようなら、直接、漁師たちの所に行き、交渉しょうということになった。

市場の横に、漁師たちが、たむろしていたからだ。


こんなに、早く寝ることはないと思いつつ、十時を過ぎて、私は、ベッドに着いた。


エアコンを切り、窓を開けた。

夜風が、ともて、心地よい。


少しの電灯で、外は闇だ。

ベッドから、丁度、満月に近づく月を見た。


兎に角、風が心地よいのだ。



posted by 天山 at 16:39| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神仏は妄想である 23

宗教は「反合理主義」の場に逃げ込んだのだが、それは決して宗教の衰退を意味しなかった。はじめのうちこそ(18世紀から1960年ころまで)、「最高知」の王座を追われた宗教はぐんぐんと衰退していくように見えたが、うまい逃げ場にはいりこんで、逆に今ではかえって活気づいている。近代社会がそういう逃げ場を必要としているからである。近代合理主義の「知」は、その対立物としての「宗教」をかえって必要としたのである。近代合理主義がつきつめられればつきつめられるほど、それでは覆い切れない人間性が痛みはじめる。だから「逃げ場」の価値が高まる。

これは、特に欧米、そして、日本などの先進国に言える。
後進国、東南アジアなどの、宗教は、そうではなかった。
貧しさゆえの、伝統的行為としての、宗教であり、それによって、生活に救いが、見出せた。
富める者が、痛むのであった。貧しい者は、痛みを感じない。すでに、貧しいという、無意識の痛みを感じているからだ。

何を言いたいのかといえば、豊かさによって、人は、満足しないものであるということだ。
合理主義がつきつめられればと、田川氏が言う。
それは、先進国の富める人々のことである。

今日、明日の、食う、寝る、という、生活の中にある人々は、近代合理主義から、逃れていたというか、捨て置かれていた。

合理主義の、人間性を無視する、進み方に、人は、反合理主義の、宗教に、心のある場所を、許した。そうでなければ、皆々、精神病に陥る。
かろうじて、宗教という、妄想に身を委ねて、誤魔化すのである。

そして、その「逃げ場」がうまく温存される方が、近代合理主義も安心していられる。合理主義では割り切ることのできない領域には、合理主義は手をつけませんよ、というたてまえ上の保障を与えることによって、ほかのすべての領域では近代合理主義は横暴をきわめて暴れまわることができた。宗教の方も、「人間性の深み」という架空の領域を確保してもらうことによって、自分たちは、近代合理主義の横暴がその分を越えて「人間性の深み」にまで踏み込まないように監視しているのだぞ、という自負心を持つことができた。

巨大企業と、手を結ぶ宗教であると、思えばよい。
国家が、宗教を保護するのは、国民の、ストレス、苛立ち、激しい国家政策への不満を、分散して解消するために、ある、と言う、賢い者がいる。
人間性の深み、という、架空の領域を確保して、という、田川氏の見識は、正しい。
宗教を、人間性の深みとして、容認する、ずるい、大企業であると、思えばよい。

ところが、架空の領域を、許された、宗教が、何を勘違いしたのか、その気になって、布教、伝道をして、他の精神世界を、犯すという、過ちを繰り返すのである。

布教、伝道、折伏等々の、宗教的行為は、その、潜在意識が、不安と、恐れに満ち満ちていることを、知らないゆえのものである。
つまり、架空のもの、妄想を、一つでも、多くの人と、分かち合いたいと思うもの。

信仰とは、自己完結の、何ものでもない。
自己完結出来ない不安と、恐れを持つ人が、他の精神世界を犯しても、自分たちの、妄想の神を、伝えるという、行為に、おいて、少しの安心を得るという図である。

世界に広がる、何々宗と、喧伝して、安心するという様である。
教祖をはじめとして、そう思い込む。
教えが広がる、イコール、正しい信仰、正しい宗教と、思い込み、安心する。

教えが広がる程、魔的な、集団だとは、思わないのである。

隠れておいでになる、神を、喧伝するという、愚かしさ。

仏教国タイにおいての、プロテスタント等の、キリスト教の、布教などをみても、笑う。
まして、日本の偽仏教の、さらに、その亜流の新宗教などが、信者を獲得するために、布教する様は、滑稽を通り越して、悲劇である。

現地在留日本人を信者にして、更に、現地人を、信者に、獲得しようとする様、実に、見苦しい。

一神教のキリスト教などは、混乱を撒き散らすのである。
手のつけられない、アホな手法を持って、タイの若者を、騙すのである。
キリスト教の神以外の、神や、仏は、悪魔からのものであると、平然として教える。勿論、悪魔は、自分の方である。

キリスト教については、後で、徹底的に書く。

さて、田川氏の、文を続ける。

ニュートンだのアインシュタインだの、やや落ちるが湯川秀樹だのという「優秀な」自然科学者が、実に安っぽく愚劣に宗教を崇拝し、持ち上げる発言を繰り返した理由はそこにある。

そこととは、
近代合理主義の克服という課題そのものが虚妄なのではない。その看板を宗教に担わせたから、かえって、克服されるべきものと克服の課題であるはずのものが助けあって共存しはじめたのである。

本当のところ、近代合理主義で割り切ることのできる領域と、そうではない宗教的な「人間性の深み」の領域とを、分けることなどできはしない。人間にかかわるいかなる領域であろうと、「合理主義」で割り切り、ぶった切ってよい、などということはありえない。そういうことをしてよい領域は、一点たりとも存在しないのである。だから、そのように領域を分けることができると思ったこと自体が、大きな虚妄だったのである。そして、近代合理主義の側が実を取り、宗教が虚についた。

学者で、このような、明晰な分析をする人かいることが、救いである。

学者というものは、どちらかの、太鼓持ちになるのである。
決して、危険な発言はしない。
金にならないからである。
要するに、堕落している。勿論、堕落しているなどとは、思わない。だから、救いようがない。

田川氏の、論文は、宗教を越えるもの、である。

今こそ、知性を、総動員して、宗教を超えなければ、先が無い。

この、妄想を越えなければ、超えるともいう、そうしなければ、新世紀を生きられないのである。
その最大の、事は、戦争の虚である。
宗教とは、戦争の理由に、他ならないのである。

戦争反対を掲げるならば、宗教と、それに準ずる、イデオロギー、主義を、徹底検証しなければ、ならない。
それらは、虚であり、虚妄であり、妄想だからである。

人間を幸せにする、主義は、未だかって、現れていない。
民主も、社会も、共産主義も、支配者のためのもの。

人間を幸せにするものとは、食って、寝ることが、出来るということである。
それが、安心して、成るということである。
すべの、国で、である。
勿論、これは、私の祈りである。



posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第1弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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