2008年01月05日

トラック島慰霊の旅 5 平成20年1月23日

追悼慰霊の朝である。


八時頃に、ホテルのレストランに入り、朝食にする。

そこで、再度、おじさんに連絡して、駄目なら、漁師たちの所に行き、直接交渉しようということになった。


レストランの外に、海に面したコーナーがあり、そこで、分厚いパンと、サラダを食べる。

コーヒーを二度、お替りした。


その横に、ダイビング専門のショップがある。

私は、その店に近づき、周辺の海の図を見た。

艦船の沈んでいる場所に、赤い点がある。

夏島、竹島の付近に、それが多い。

さらに、日本の艦船だけではなく、ゼロ戦や、アメリカの飛行機、艦船も、沈んでいるのである。


その図の、写真を撮ることを、忘れたことが、残念である。


すると、一人の男が、来た。

ダイビングの店に入る。

一度、店の鍵を開けて、そして、出てきた。

私は、急いで、彼の元に向かい、話し掛けた。


少しの英語であるから、野中を呼んだ。

すると、色々と、説明してくれた。


海中を撮った、DVDもあるという。それを、見ると良いと、言われた。

そして、私は、遺骨を見ることを聞いた。


彼の話である。

遺骨を、見ることは、出来る。多くの遺骨のある場所もある。しかし、遺骨を見るための、ダイビングは、実に大変なことであると。

ダイビングの、経験が多くなければ、非常に危険であるという。

そこは、深い場所であり、また、艦船の中に入るので、迷路に入ることになり、一人では、無理だ。

遺骨を、見世物にしている場所もあるのかと、問うと、あるにはあるが、それも、知る人は少ないという。

チップを取って、見せるのかと、訊くと、ダイビングの案内は、料金がかかるという。当然である。それが、仕事であるから。


つまり、見世物にして、陳列しているという、意味にも、取れないこともないが、そこまで、ダンピングするには、相当の経験者でなければ、出来ないということだ。


単に、陳列して、見世物にしているという、表現は、当たらないのである。


一つの、有力な情報を得た。


DVDを、見るかと、いわれたが、時間がない。

私たちは、お礼を言い、部屋に戻った。

すでに、九時半近くになっていた。

おじさんとは、連絡がつかない。


私たちは、ホテルを出た。

港に向かう。


日差しが、どんどんと、強くなる。


港の前の、市場に行き、私は、花を探した。

しかし、花のみは無く、皆、花飾りである。

一ドルの、花飾りを二つ買った。


そして、すぐ横の漁師たちが、たむろする場所に行った。

皆、声を上げて、歓迎してくれる。

日本人かと、訊く。

頷くと、握手を求められる。


野中が英語で、海上に出たいと言う。

皆、オッケーと答えた。


一人の男が、バッジを出した。警察のバッジである。何か、免許のようなものなのだろうと、思った。

俺が行くという。

野中が、料金の交渉をした。

50ドルである。


野中が、30ドルでは、どうかと訊いた。

油が高いので50ドルでなければと、言う。

私は、それで、決めた。


船に乗ると、男が、油を買いたいので、先に、お金が欲しいと言う。

私は、すぐに、50ドルを渡した。


実は、漁師たちが、魚を捕らないのは、そういうことなのである。

魚を捕っても、油代にもならないのである。また、逆に赤字になるのである。

それより、ダイバーたちを乗せて、海に出ると、金になる。


実は、ホテルで、夕食に、シーフードと言ったが、魚が無いという。

不思議に思った。

目の前が海なのである。

魚がないことはない。

しかし、理由が解った。


男は、油と、缶ビールを10缶ほど買い、船に、戻った。


船外機が、大きな音を立てて、動き出した。

凪た海の上を、船がスムーズに滑る。


男が言った。俺は、船の沈んでいる場所を知っている、と。

そして、缶ビールをあおる。タバコを取り出して、私たちに、飲んでくれ、という。

勇ましい男である。


船は、春島から、夏島と、竹島の間に向かった。

ダイビングショップで見た、図の通りである。


ただ、私は、慰霊する場所は、私の、霊感、あるいは、勘で、決めたいと思っていた。


春島から、離れると、波が少しつづ、高くうねる。

それが、次第に、大きくなる。

船先が、どすんどすんと、落ちる。

前にいた私は、両側の、淵を掴んで、振り落とされないようにしていた。


20分程度、船が進んだ。

私は、あの辺りで、と、感じた。

目の前に、夏島が見える。

そこには、日本軍の多くの施設がある。皆、慰霊の人は、夏島に上陸して、慰霊碑に、向かうはずだ。


私が、ここでと、思い、後ろの男を見ると、男が、頷いた。

そして、指差し、浮き輪を指した。

白く丸い浮き輪である。


その下に、潜水艦が沈んでいるという。


その辺り一体が、戦場であった。


エンジンが止まり、男は、浮き輪に、船のロープを巻きつけた。


私は、すぐに、御幣と、日本酒、花を船先の、小さなスペースに置き、御幣を、持ち上げて、太陽にかざした。


そして、大声で、神呼びをした。

神呼びとは、皇祖皇宗である、天照大神、さらに、天津神、国津神、八百万の神、そして、この地の、産土の神、さらに、ここで散華した、多くの戦士たちの、命、みこと、である。

大祓い祝詞を唱える。

太陽に、その土地の、樹木の一枝を、掲げて祈るのは、伊勢神宮の所作である。

ただし、現在の伊勢神宮が、云々というものではない。

私の方法である。


太陽の、霊光を、願い、その力、霊力により、その場を、清めるのである。そして、さらに、祓うのである。


自然信仰の、そのままである。


祝詞を終えて、私は、静かに、申した。

ここに散華した、多くの命、みことに申すーーーーーー


波が荒く、体が、大きく揺れる。

両足に、力を入れて立つ。


どうぞ、靖国に、帰りたい方は、靖国に。故郷に、帰りたい方は、故郷に。母の元に、帰りたい方は、母の元に。次元を異にする霊界に、行く方は、霊界にとの、祈りの言葉を、宣る。


そして、太陽の霊を頂いた、この地の枝で、清めたまえ、祓いたまえと、繰り返した。


暫くの、私の所作である。花飾りを海に投じ、日本酒を撒きつつ、清め祓いを行った。


最後に、神送りの、言霊である、音霊を、唱えた。


そして、すべてを、皇祖皇宗に、お返しするため、御幣を海に投じた。つまり、すべては、皇祖皇宗のお力であるという意味だ。


すべてを、終えて、男を見た。

呆然として、私を見ていたようである。

私が頷くと、男も、頷き、浮き輪から、ロープを離した。


オッケーと、言うと、男は、エンジンを掛けた。ゴーバック。


船は、元の道を戻る。

私は、船先にいて、また、しっかりと、両側の淵に手を掛けた。


船が速度を上げた。

すると、私の口から、念仏が出る。

その、念仏は、三種類の、唱え方だった。

繰り返し、繰り返し、念仏が口から出る。


どうしたのか。

冷静になりつつも、口からの念仏を、私は聞いた。

なむあみだぶつ なむあみだーぶ なむあみだんぶー

なむあみーだーぶ

それは、島に着くまで、続いた。



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2008年01月06日

トラック島慰霊の旅 6 平成20年1月23日

岸に着く頃、私の念仏も、終わっていた。


男は、大仕事をしたような、顔付きをしていた。

ただ、私が握手を求めると、私と目を合わせないのである。

あまりに、驚きの行動だったのかもしれない。野中とは、言葉を交わしていた。


何ともいえぬ、疲労感を覚えた。

少し、放心したのかもしれない。


漁師たちが、皆、声を掛けてくれる。

何となく、頷き合うから、面白い。


昨日の約束通りに、ツゥジィーさんの店に向かう。

時間は、正午前だ。約、一時間の間である。


ツゥジィーさんの店に向かう途中、男の子が、声を掛けてきた。

日本人ですかと、英語で言う。

そうだというと、嬉しそうに笑った。

年は、16歳で、高校生である。

私と野中と、交互に話をした。私は、片言の英語で、会話した。結構、うまく話が進む。

将来の希望を訊くと、政治家と言うから、驚いた。

その訳は、後で、解ることになる。

彼は、暫く、私たちと、歩きつつ、話をした。一緒に、何か食べようかと誘うと、バスが来るからと、別れた。


ツゥジィーさんの店に行くと、店員が、出ていた。

私たちを見ると、笑顔で、迎える。

ツゥジィーさんは、まだ、来ていなかった。


昨日と、同じ部屋に通された。

お客は、私たちしか、いない。


私は、ポークカレーを、野中は、チキンカレーを注文した。

そして、アイスティーである。

これは、何倍飲んでもいいということで、ツゥジィーさんが、勧めてくれた。


半分ほど食べていると、ツゥジィーさんが、やって来た。

今度は、すぐに、椅子に腰掛けた。

マアマに、私たちのことを、話したと言う。

すると、色々な話を、ツゥジィーさんにしたという。


日本の軍人は、素晴らしかったという。

ある、艦船は、沈没することが解って、皆で、船と共に、見事に死んだという。

その船を、ダイバーが見に行くと、船長室では、皆、椅子に座ったままに、死んでいた。

そんな話を、多く聞いた。


日本が戦争に負けた時、自分たちが、負けたように思ったらしい。


1945年に、太平洋戦争が終結すると、アメリカの占領が始まる。

二年後の、1947年には、国連の太平洋信託統治領として、本格的にアメリカの統治政策が、始まった。


島の至るところが、攻撃されて、穴ぼこだらけであった。

何もかもを、失ったのである。

後で、書くが、文明から、逆行するような、生活の様になる。


日本の統治時代に出来た街は、破壊されて、皆、散り散りになった。

夏島の人々は、現在のモエン島、春島にやって来た。

今の夏島は、原始生活のようであるという。勿論、モエン島の大多数の人の生活も、そうである。


1965年、ミクロネシア議会発足。太平洋信託統治地域に関する日米協定終結。ミクロネシア協定である。

1969年、信託統治終了後の政治的地位に関し、アメリカとの、交渉が始まり、その後、北マリアナ、マーシャル、パラオ、現在のミクロネシア連邦が、それぞれ別個に、アメリカと交渉することになる。


現在の、ミクロネシアは、四州に分かれている。

チューク、ポンペイ、ヤップ、コスラエ、総称して、カロリン諸島である。

首都は、ポンペイの、バリキール。


1978年、四州で連邦を構成する憲法草案が住民投票で、承認される。

翌年、憲法施行。自治政府が発足し、初代大統領に、日系のトシオ・ナカヤマ氏が、就任する。

この、ナカヤマの、姓が、実に多いことに、驚く。


日本もアメリカの下にあるが、ミクロネシアも、同じく、アメリカの下にある。

国防を見ると、米・ミクロネシア自由連合盟約により、ミクロネシアの安全保障、国防上の権限は、アメリカが持つ。

市民が、アメリカ軍の兵士に採用されている。

2003年のイラク戦争では、ミクロネシア出身の兵士も参加した。

ただし、米軍の軍事基地は無い。


2005年の一人当たりの、GNPは、2,300ドルであるが、今は、もっと少ない。

仕事が無い。全くの無収入が、島民の大半である。

すべて、仕事は、出稼ぎになる。


そこで、どうして、生活出来るのかといえば、島にある物を、食べて、暮らしを立てているのである。

山に住めば、野生の物で、十分に食べられるという。

翌日、私は、それを、この目で、見ることになる。


国内の生産性は、実に低く、生活必需品の多くを、輸入に頼る。

貿易収支は、恒常的に、赤字である。

連邦政府歳入の約七割は、アメリカとの、自由連合盟約による、財政支援である。

そして、日本である。2005年までの、日本からの無償支援額は、144,11億円である。また、技術協力では、61,28億円を、日本が支援している。


国際航空の、建物、道路が、日本の支援で成ったという。

その時、日本の企業が来て、島人を、雇用し、大変喜ばれたという。


兎に角、貧しいのである。

しかし、不幸ではない。環境破壊の無い、自然の中で、自然の物を食べて暮らしているという、贅沢さである。

一見すると、勘違いするが、貧しさが、不幸ではないという、証を見るのである。


さて、ツゥジィーさんとの、会話は、実に楽しいものだった。


一つ、面白いと、思ったことは、日本の神社を、神様というのである。

今は、キリスト教徒だが、神様といえば、神社のことを言う。

それでは、キリスト教の神様を、何と呼ぶか。イエズス様である。

プロテスタントでは、ジェイズスという。


天皇陛下を、どう思うかと、訊きたかったが、今更なので、止めた。


カレーの量が多かったせいもあり、突然の、眠気が襲う。

私は、ホテルに戻り、すぐに、ベッドに寝た。


野中は、出掛けて行った。

これで、また、色々な情報を仕入れてくるのである。

posted by 天山 at 16:40| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月07日

神仏は妄想である 26

宗教が慰めをもたらすからといって、宗教が正しいということにはならない。たとえ、どれだけ大きな譲歩をしたとしても、たとえ、神を信じることが人間の心理的・情緒的幸福のために絶対不可欠なものであることが決定的に実証されたとしても、たとえ、すべての無神論者は情け容赦なく、果てしなくつづく苦悩によって神経症に苛まれ、自殺に追い込まれるとしても---これらのどれ一つとして、宗教上の信念が正しいということを証拠立てる上で、毛ほどの役にも立つまい。ただし、神がたとえ存在しなくとも、存在すると確信するのが望ましいということを証拠立てる上では有益かもしれない。

存在するのが望ましいということを証拠立てる上では、有益、かも知れないという。
ドーキンスの場合は、主に、一神教の世界の神に対しての、語りである。

例えば、仏陀の教えは、人は、成仏できるという、人間の存在によって成る、仏であることを言う。
勿論、大乗仏教になると、一神教のような、教えを帯びて、仏、如来、というものが、神のように扱われる。

対立するもの、神として、崇める、拝むという行為は、原始体験である。
それを、原始宗教体験といって、よいのか、どうかは、躊躇うところだが。

人類の集合意識にある、畏敬の思い。それは、多く、自然対する思いである。
例えば、太陽信仰、水、風、そして、火の発見によって得た、火に対する畏敬などである。
集合意識は、潜在意識の中で、宗教的なものを、神なるものを、求めさせているとも、考えられる。

だが、仏陀の場合は、唯一、そういう意識ではなく、私が、完成したものになるという、考え方である。
何かに、帰依するという意識は、本来ないものである。
しかし、大乗仏教の多くは、帰依を説く。あるいは、信仰を説く。

仏陀の臨終の言葉は、わが身を頼み、真理の法を拠りどころとせよ、である。

とすれば、信仰を説く仏教は、仏陀の教えではないということになる。
つまり、特に、日本のような、大乗経典を主にする、仏教とは、仏陀と、何の関わりも無いのである。


要するに、「主よ、私は信じます。信仰のない私をお助けください」(マルコによる福音第九章二十四節)である。信徒は、確信していようといまいと、信仰を告白することを勧められる。ひょっとしたら、同じことを十分なだけ繰り返せば、それが真実であると自分自身を確信させることだってできるかもしれない。宗教上の信仰というものには好意的で、それを攻撃する者にかみついたりするくせに、自分ではそんなものをもちあわせない人というのがいることを、私たちはよく知っている。

この前の、文には、
信仰を信じるとは、たとえその信仰自体は誤りでも、それを信じることが望ましければ信じる、という態度だ。
と、ある。

さらに、神を信じることと、信仰を信じることの区別という、言葉もある。

彼らは信仰を信じているのだ。「Xは真実である」と「人々がXは真実であると信じるのが望ましい」のあいだのちがいがわからないらしい人があまりにも多いのは驚くべきことである。あるいはひょっとしたら、彼らはこの論理的誤りに実際に騙されてはいないのだが、単純に、人間の感情に比べれば真実など重要ではないとみなしているのだろうか。人間の感情を非難したいとは思わない。しかし、はっきりさせておきたいのは、私たちが何について語っているのかということである。感情についてなのか真実についてなのか。両方とも重要かもしれないが、この二つは同じものではない。

ドーキンスは、実に饒舌に、噛み砕いて、説明している。それほど、彼は、神が妄想であることを、いいたいのである。

私は、この書の、最初に戻り、ドーキンスと一緒に、聖書の神、旧約の神について、徹底的に、書くことにする。

神は、真実である、と、信じることが、望ましいのか、真実なのかという、問いかけは、皆に、冷静さを、呼びかけているように、思われる。

一度、妄想の網に、引っかかった者は、そこから、抜け斬ることは、難しい。何となれば、一つの神を捨てると、新しい神を、拝みたくなるのである。

ある、新宗教の、集会に行き、一人の男が、信仰宣言のような話をした。
曰く、天理教にも、行った。立正佼成会にも、行った。あちらにも、こちらにも、行った。しかし、救われなかった。何も、良いことがなかった。
こちらに来て、やっと、本当のものに、出会い、人生が変わった。と、言うのである。

それは、単に、時間の問題であろうと、思うが、信仰という、網の中に入った、彼には、最早、囚われの身となり、思考停止の状態になってしまったのである。

カトリックから、改宗しても、信仰を止めない夫婦を、知っている。
新・新宗教の元に、駆けつけているのである。どうしても、信じるモノが、欲しいのである。
何かを、拝みたくて、しようがないのだ。
そして、拝む対象が、空想なのであるから、救いようがない。

無神論者が、不幸で、不安にかられ落胆に向かう何らかの一般的傾向をもつという証拠が存在しないのを私は知っている。幸福な無神論者はいるし、惨めな人もいる。同じように、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒のなかにも惨めな人もいるし、幸福な人もいる。幸福と信仰(あるいは幸福と不信心)のあいだに相関があることを裏付ける統計的な証拠が存在するかもしれないが、どっち向きにであれ、それが強い影響をもつというのは疑わしいのではないだろうか。それを言うなら、神と無縁な生活を送ったら気が滅入るべき何らかの理由があるのか、こう問うほうがもっとも興味深いと思う。私は逆に、控え目に言っても、超自然的な宗教などなくとも幸福で充実した人生を送ることができるという主張をもって、本書を締めくくるつもりである。

宗教とは、基本的に、迷いである。
迷いの中にて、救いがあると、勘違いするという、性質を人間が持つということだ。
それが、人間の、本質である。

自己完結をして、泰然としていれば、神仏は、必要ない。
たとえ、神仏が、存在するとしても、私が、認証しなければ、神仏は、全く関係ない存在なのである。

何せ、神仏という、次元と、質が違う世界なのである。

隣にいても、関係ないのである。

それは、無いことと、同じである。


posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第1弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トラック島慰霊の旅 7 平成20年1月23日

ベッドに寝て、暫く、放心していた。

うとうとしたが、眠ることは、なかった。


不思議な感覚である。

今まで、どこに旅しても、感じなかったことである。


追悼慰霊は、目的を達することが出来て、良かったが、私の方に、何か、問題がある。

私の満足感であると、客観的には、言える。


実は、慰霊の際に、嫌な気分、変な気を、全く感じなかったのだ。

逆に、私が、清め祓いされているような感じだ。


そして、部屋に戻った私の、心境である。

世の中、つまり、世界のこと、日常のこと、私の属する社会のこと。それらが、どうでもいいことに、思えた。

そして、それが、実に、明確なのである。


このまま、日本に戻らなくても、いい気持ちなのである。

これは、つまり、一つの、死である。

死の感覚である。


戦争で無くなった方は、すでに、清められている。

納得して、死んだ。その時、納得出来ずとも、今は、納得している。

何故か。

日本兵の幽霊が出るという、噂も無いという。

自然である。

自然が、彼らの霊を、清め祓ったのである。


美しい珊瑚の海と、朝風夕風の清らかさ。潮の流れによる、清め祓いである。


清め祓いの私の方が、清められ、祓われていた。


膨大な数の方が亡くなっていれば、海難事故が起きる。しかし、世界中からダイバーが来て、海に潜っても、何も無い。安全である。

要するに、気が、いいのである。

数知れない、遺骨があっても、である。


日本の寺や、それに属する、納骨堂に入っても、その気が、乱れ、濁るのであるが、それが、全く無いのである。


他の慰霊する、土地とは、違う。


改めて、私は、日本の伝統にある、自然と共生、共感する、古神道の、考え方を、得心した。

死は、隠れることなのである。

消滅することではない。


ここで、少し霊というものについて、説明が必要である。

古神道では、四位一体なのである。つまり、一霊には、四つの、魂がある。

三位一体という、キリスト教の教義は、無い。神学という、言葉遊びの世界で、成り立ったものであり、父と子と聖霊とという、一体は、こじ付けである。


和、荒、奇、幸、の、四つの、魂により、霊というものがある。

数霊、かずたま、というものが、言霊を支える重要なものである。

それが、四である。

偶数であるということは、分離するということである。

奇数は、分離しない。偏るのである。

中国思想も、三という、数を、完成の数であり、安定の数とするが、違う。


さて、四つの、魂の、荒魂、あらみたま、が、最後に、この世に残る。

昔の人は、49日は、あらみたま、なので、と、慎重に過ごした。それは、仏教ではなく、日本の伝統の考え方である。


荒魂が、活動すれば、幽霊にもなる。不思議な力も、現す。

それが、無いのである。


そして、私が感じた、死という感覚である。

追悼慰霊をした、私は、彼らに、死という感覚を、教えられていた。


簡単に言えば、私が、この海に来て、私の属する社会生活すべてを、捨てても、いいと思う。どうでもよくなる。その感覚に、死というものが、似ているということ。

最終の自己完結なのである。


これで、よろしいという、思い。

つまり、完結したのである。


彼らの、御霊が、そのようであるということ。


それには、どれ程、多くの人の、祈りがあったか、知れないのである。

彼らの、親兄弟から、親族、友人、知人と、彼らに対する篤い思いは、距離を超えて、きた。その、祈りに、彼らは、満足した。更に、自分の死をも満足した。


国のために、死んだ、という、明確な意味意識である。

大義というものが、如何に、必要かということだ。


だから、テロ行為も、終わらない。

大義があるからだ。

明確な、死ぬことの、意味意識があるからだ。

勿論、テロ行為のそれは、誤りである。だが、大義という、意味では、同じである。


私は、とんでもない、感覚に、立ち往生した。


本当に、このまま、死んでも、良いと、思った。


一霊四魂、ということを、観念として、理解してもよい。

私は、それを、説明する必要を、感じないからだ。

知らなくていいのである。


死ねば、解る。


ここでは、総称して、霊という。


一般に、言われる霊というものは、幽体の霊のことで、肉体に似た姿であるから、幽霊というのである。

そんなものは、即座に脱ぎ捨てて、霊になったのである。


それは、覚悟の問題である。

未練なく、死を受け入れたのであるから、当然、即座に霊になる。

見事である。


若くして命を捧げた彼らの、救いは、国のために死ぬという、一点にあった。それは、国という言葉で、彼らの思いを、総称したのである。


太平洋戦争で、最も、意識したものは、国である。

日本史上、初めての体験である。

国とは、何か。


我らの部落でも、我らの町でもない。

国というものである。


その、国というイメージの、幻想を、天皇という存在が、支えていた。

軍国主義というが、それは、一部の人のことである。

多くの兵士に、軍国主義などない。


軍部が、教育した、国家神道、そして、天皇陛下の、現人神などは、吹けば飛ぶようなものであった。


父や母に、続く、先祖、そして、長い年月の先祖の歴史に、天皇という存在を、置いたのである。

皆、天皇を、天子様として、奉じていた。

そして、国という意識、幻想を作り上げていた。


この戦争で、その国という意識が、明確になった。

国とは、私のことであったという。


世界では、類を見ない、国家幻想を作り上げていた日本という国を、改めて、意識したのである。


軍というものは、暴力であった。

暴力の何ものでもない、存在である。

それにも、耐えられたのは、国が、私だったからだ。


その私には、父や母、兄弟や、友人、愛する人、すべてが、含まれていたのである。


そして、彼らは、死んだ。


朝風、夕風を受けて、美しい珊瑚礁の海で、清められ、祓われて、先祖に続く者として、上昇した。


そして、追悼慰霊に来た私に、死という感覚を教えた。


死者は、言葉にしない。

ただ、伝えるだけである。


遺骨は、一つの物となった。

自然の中に、同化して、何事も無い。

それで、善し、なのだ。


今回、私は、日本人の慰霊のみを、行為した。

多くのアメリカ人も亡くなっている。

共に、国のために、戦った。

大義のために、戦った。

同士である。


憎みあう必要の無い者同士が、国のために、戦った。

平和であれば、友人にも、なれよう。

皆々、演じて生きた。


死を前にした時、人間は、真実を知る。


以下省略。

posted by 天山 at 16:41| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月08日

神仏は妄想である 27

リチャード・ドーキンス
神は妄想である。
第四章 ほとんど確実に神が存在しない理由、より。

ダーウィン主義を深く理解することで私たちは、設計が偶然の唯一の代案であるという安易な決めつけに走ることなく、ゆっくりと複雑さを増大させていくような斬新的な斜路を探すことを学ぶ。

彼は、科学者として、多くの言葉を用いて、ダーウィンの進化論についてを、語る。
そして、その、人間の好奇心というものから、宗教の誤りを説く。
つまり、好奇心は、宗教の概念をこえるのである。

私たちは自分が暮らしている北半球優越主義が無意識のうちにあまりにも深く染み込んでおり、場合によっては北半球在住でない人間さえ、それはいきわたっている。

要するに、オーストラリア、ニュージーランドの地図は、南極が上にあるものであるという。上は、北極であるという、北半球の人間の無意識を、取り上げている。
「無意識」こそ、意識の高揚がなされる領域という。
面白いのは、言葉である。
男性名詞、女性名詞などの言葉で、歴史を見ると、そこには、男性名詞のみが、まかり通っている。
人間という時、それは、男性を指すのである。
そこから、ドーキンスは、話を展開させる。

意識を高めることの効果をフェミニズムが示してくれたので、私はその手法を、自然淘汰にも借用してみたい。自然淘汰は生命のすべてを説明するだけはなく、「組織化された複雑さが、いかなる意識的な導きもなしでどのようにして単純な発端から生じるか」を説明できるのだが、その意味では、科学に対する私たちの意識も高めてくれる。

ドーキンスの、利己的な遺伝子を読んで、無神論に転向した、ダグラス・アダムズの言葉が、印象的だ。

それが私の心にかきたてた畏怖の念は、正直に言って、宗教的な体験に敬意を表して語る人々の畏怖の念など比べるのも馬鹿馬鹿しく思えるほどのものでした。それ以来、どんなときでも私は、無知ゆえに畏怖することよりは、理解ゆえに畏怖することを選択してきました。

科学者の冷静さというものを、私は、尊敬する。
科学者の好奇心によって、どれほどの、無知蒙昧が、解明されたかは、計り知れない。
ただ、誤っては、いけないのは、素人たちが、使う、科学的という言葉である。
私も、含めて、科学的という言葉を使う時、それは、科学を知らないが、科学であるようなものという意識で、科学的という。
それで、多くの人が、騙される。

科学的に、実証されましたという、宣伝文句を、どれだけ、聞いたことか。
それに、準じて、医学的という言葉もある。
その知識、無知ゆえに、科学的とか、医学的という言葉に、安心を求めるのである。

それは、宗教家の、意識と、変わらない。

そして、科学的ということで、一件落着し、終わる。
宗教家も、最後に、神や仏で終わる。
しかし、科学者は、無限の可能性、終わらない、好奇心に支えられて、進む。

科学で無限に知る可能性を、知る、ということは、人間に、無限の可能性を観るということだ。

私は、すべてに、おいて、素人である。
ゆえに、私のエッセイで、解決せずに、これを、機会に、どんどんと、知識の海へ出ることである。

宗教家の限界は、聖アグスチヌスの言葉に表れている。

より大きな危険をはらんでさえいるかもしれない、もう一つの誘惑が存在する。好奇心という病である。それは、私たちを、自然の秘密に挑み、発見させるように駆り立てる。そうした秘密は私たちの理解を超えたものであり、私たちにとって何の役にも立たないものだから、知りたいと願うべきではないものなのだ。

アグスチヌスから、今まで、宗教の態度は、変わらない。
真実を晒しては、いけない。
神の存在が、危うくなるのである。

それこそ、アグスチヌスが、無意識に、恐れたことであろう。

兎に角、無知蒙昧で、いいのである。
後は、神が、すべてを、処理するというのだ。

科学は、何もまだ、知ってはいない。
という、宗教家は、大勢いる。
その通りで、ある。科学は、まだ、何も知ってはいない。
しかし、知りえたことで、人間は、多く、その恩恵を受けている。

今時、ローマ法王でさえ、病を、祈りで、癒すと、考えないだろう。
病院で、手当てを受ける。

病になれば、祈りで、癒すことである。
キリストは、一粒の信仰さえふあれば、山をも動かすと、言った。
強迫神経症タイプの、教祖は、皆、そのようなことを、言う。

奇跡を起こさないような、信仰なら、信仰が無いのと、同じである。

私は、二年続けて、同じ時期に、胃に激痛を受けて、24時間眠ることもできないほどの、体験をした。
病院を四件回ったが、痛みは、取れなかった。
唸りつつ、私は、祈った。
神や仏にではない。
私の胃にである。
長年、酷使したこと、済まなかったと。申し訳なかったと。

痛みが、引くまで、待つしかなかった。
その時、死を思った。
このような中で、死を迎えるのは、良くない。痛みで、死を味わうことが無い。死ぬ痛みは、麻薬でもいいから、取り除き、痛み無く、死を迎えたいと。

また、逆に、亀井勝一郎氏のように、癌の手術で、麻酔無しを希望するという人もいる。
その、痛みを知ることにより、思索の、至らぬことを知るというものである。
人間とは、実に、素晴らしい生き物である。
親鸞に帰依したというが、帰依したいと思いつつ、どこかで、その信に、不信を感じていたのである。

信じ切れないもの。
信じる切るというのは、実は、欺瞞であり、惰性なのである。

ドーキンスの引用した、あるブログの言葉である。

なぜ神が、何かについての説明とみなされるのだろう? それは説明ではないーーそれは単に説明不能というメッセージであり、肩をすくめる仕草となんら変わらないもので、「ワカンナイ」という言葉を儀礼的なチピリチアリズムで粉飾しているにすぎない。もし誰かが何かを神のせいにすれば、それが意味するのはたいがい、その人間が何の手がかりももっていないので、手もとどかず理解不能な存在である天の妖精のせいにしているということだ。そして、そいつはどこから来たのだと説明を求めればおそらく、「それはつねに存在してきた」とか、あるいは自然の外側にいるものについての漠然とした、擬似哲学的な答えが返ってくることだろう。もちろん、それは何の説明にもなっていない。

膨大な神学という、哲学的思考による、妄想に、科学は、王手を打つ。
無知ゆえに、想像した、膨大な妄想の数々。勿論、それは、芸術に、持ち上げられてもよい。

少年の頃、カトリック教会の司祭と共に、夏のキャンプをした。
星空を眺めて、司祭は、神に祈りを捧げた。
それは、素晴らしい、情緒教育であった。
知りえないものに対する、畏敬の思いを、私は、そこで、学んだ。

あなたは、この美しい星空を作り、私たちに、その栄光を、お示しになっています。
私も、素直に、その祈りを、敬虔に聞いた。
そして、それは、誤りではない。
実に、正しいことである。
しかし、それは、神の存在と、関係無いことである。

畏敬の思いを、何と呼んで賛美してもいい。

偶然にしては、出来すぎている自然の、あらゆるもの。それに、畏敬の念を抱く。そして、それは、遂に、私自身に、戻る。
生まれて、生きること、それ自体が、奇跡であると。
一時間先のことも、知らないのである。
暗闇の中を歩いているような、人生である。
しかし、生きられるのである。だが、知らないゆえにとは、言わない。

暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月
和泉式部

生まれたのも、暗く、生きるもの、暗いのである。
せめて、遥かにでも、いい。照らして下さい。仏というものが、いるならば。

神や仏を、光と、言う人の心が、痛い程解る。
しかし、神や仏は、光であるという観念は、捨てた方がよい。
大嘘だからだ。
神を光だということは、そのまま、闇だと言うことだと、知らない、無知である。

光は、闇によって、光と、認識される。
あえて、言うならば、神や仏は、闇である。
全く、先行き見えない闇が、神や仏の正体である。

闇の中に、光を見るというのは、幻覚、幻想である。

あれかし、という、強い思いが、それを、生む。

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もののあわれ 378

いとつれづれに眺めがちなれど、何となき御ありきも、物うくおぼしなりて、おぼしも立たれず、姫君の何事もあらまほしう整ひはてて、いとめでたうのみ見え給ふを、似げなからぬ程に、はた見なし給へれば、けしきばみたることなど、折々聞え試み給へど、見も知り給はぬ気色なり。





大変に、所在無く、物思いに沈む。
どうでもいいような、出歩きは、したくもない。
ところが、姫君が、申し分なく、整い、大変立派に成長している。
これは、不釣合いではないと、意味ありげに、ことを申してみるが、そんなことは、全く解らないようである。

要するに、男と女の関係である。

けしきばみたることなど
何となく、それと、解ることを言うのである。




つれづれなるままに、ただこなたにて碁うち、偏つきなどしつつ、日を暮らし給ふに、心ばへのらうらうじく、愛敬づき、はかなきたはぶれごとのなかにも、美しき筋をし出で給へば、おぼし放ちたる年月こそ、たださる方のらうたさのみはありつれ、忍び難くなりて、心苦しけれど、いかがありけむ。人の、けぢめ見奉り分くべき御中にもあらぬに、男君はとく起き給ひて、女君はさらに起き給はぬあしたあり。人々「いかなればかくおはしますならむ。御ここちの例ならずおぼさるるにや」と、見奉り嘆くに、君はわたり給ふとて、御硯の箱を、御帳のうちにさし入れておはしにけり。人間にからうじて頭もたげ給へるに、引き結びたる文、御枕のもとにあり。何心もなく、引きあけて見給へば、


源氏
あやなくも 隔てけるかな 夜をかさね さすがになれし 夜の衣を


と書きすさび給へるやうなり。かかる御心おはすらむとは、かけてもおぼし寄らざりしかば「などてかう心うかりける御心を、うらなく頼もしきものに思ひ聞えけむ」と、あさましうおぼさる。





つれづれなるままに、つまり、何となく、所在の無い気持ちで、こちらの対にて、碁を打ち、偏つぎなどをして、日を過ごしている。
姫は、性質が利発で、愛嬌があり、少しの姿も、可愛いのである。
結婚を考えずにいた、年月は、ただ、幼い愛らしいと思っていたが、今は、その姿に、心引かれるのである。
姫には、気の毒なことだったのか・・・
人が、いつから、その区別を見分けて申し上げるという、仲ではない。
男君は、早く起きて、女君が、中々起きない朝があった。
女房たちは、どういうわけで、休んでいられるのか。ご気分が悪いのかと、案じるが、君は、自分かの部屋に戻られるとあって、硯の箱を、御帳台の中に、差し入れた。
人のいない時に、やっと、頭をもたげて、引き結んだ手紙が、枕元にある。
何気なく、引きあけてご覧になると

源氏
幾夜も、幾夜も、共に寝て、それでいて、何事もなく着慣れた夜の、衣は、わけもなく隔てられて、君と共に、しなかったことだ。
と、書き流してある。
こんなに心深いと、思わず、夢にも、考えなかったことである。
どうして、こんな嫌な、お方を、心の底から、頼みにしてきたのかと、呆れて、思うのである。

偏つき
一文字の偏を見せて、文字を当てさせる、遊び。

はじめて、姫は、男との関係を知ったのである。
初夜である。

結び文は、恋文である。
しかし、姫は、それを理解しない。




昼つ方渡り給ひて、源氏「悩ましげにし給ふらむは、いかなる御ここちぞ。今日は碁も打たで、さうざうしや」とてのぞき給へば、いよいよ御布引きかづきて伏し給へり。人々は退きつつ侍へば、寄り給ひて、源氏「などかくいぶせき御もてなしぞ。思ひの外に心うくこそおはしけれな。人もいかにあやしと思ふらむ」とて、御ふすまを引きやり給へれば、汗におしたして、ひたひ髪もいたう濡れ給へり。源氏「あなうたて。これは、いとゆゆしきわざぞよ」とて、よろづにこしらへ聞え給へど、まことにいとつらしと思ひ給ひて、つゆの御いらへもし給はず。源氏「よしよし。さらに見え奉らじ。いとはづかし」など、怨じ給ひて、御硯あけて見給へど、物もなければ、「若の御有様や」と、らうたく見奉り給ひて、日一日入り居て、慰め聞え給へど、解け難き御気色、いとどらうたげなり。






昼ごろに、こちらに、渡り、源氏は、気分が悪いそうですね。どんな具合ですか。今日は、碁も打たないので、つまらないと、顔を覗く。
すると、いよいよ、お召し物をひき被り、横になる。
女房たちは、引き下がって、控えているので、傍により、源氏は、どうして、こんな酷い、仕打ちなのか。案外に、嫌な方ですね。皆も、どんなに変だと思うでしょうと、布団を引き退けると、汗をかいて、額も髪も、濡れている。
源氏は、ああ、嫌だな。こんなにしているのは、大変縁起が悪いことですと、言い、いろいろいと、なだめすかすが、源氏を、嫌な人だと、思ってしまったようである。
一言も、返事をしないのである。
源氏は、よしよし、わかりました。もう、お会いしないようにします。会わせる顔を無いと、怨むのである。
硯箱を開けて、ご覧になるが、何も無い。
幼い方だと、愛らしくご覧になり、一日中、慰めるが、ご機嫌が解けない様子は、また、愛らしいのである。

男女の交わりは、結婚であった。

普通は、女の元に、出掛けるが、姫の場合は、源氏が、後見人でもある。


初夜の歌を、もう一度見る。

あやなくも 隔てけるかな 夜をかさね さすがになれし 夜の衣を

あや、かさね、は、衣の縁語である。

幾夜も、一緒にあった衣、着慣れた衣である。
しかし、それは、隔てられてあった。
今までは、である。
本当は、隔てなく、共に、したかったのである。
衣は、姫君である。


夜という文字を、よ、よる、と読ませている。

結論を急がないが、果たして、これは、紫式部の筆であろうか。
源氏物語には、矛盾が多い。
この筆は、紫式部のものか、否かを、後で、問うことにする。


posted by 天山 at 00:00| もののあわれ第9弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トラック島慰霊の旅 8 平成20年1月23日

野中が、戻って来た。

島の外れまで、歩いて行ったと言う。

これで、多くの出会いがあった。


一人の男の子が、ガイド役になり、もう一つのホテルのビーチで、泳いで、叱られたらしい。プライベートビーチだった。


明日、一緒に行こうと、野中が、私を誘う。

私は、ゆっくりするつもりだったが、野中の話を聞いて、行くことにした。


村人たちが、集って、木の実を煮て、それを、餅のように捏ねたものを、ご馳走になったという。

村の人の家も、見せて貰ったと、感激していた。

そして、ガイド役の男の子が、Tシャツが欲しいらしいので、今着ているものを、明日、上げるという。

私も、一枚、Tシャツを用意していたので、それも、明日、上げることにした。


ただ、男の子は、ガイド料として、二ドルを要求したという。

野中は、彼に、二ドルを払った。

それを、聞いて、私は、急に、そのことに興味を持った。

ガイドをして、二ドルを貰うということである。


明日は、ホテルを、夜の11時に出る。それまで、十分に時間はある。


さて、今夜の食事を、どうしようかと思った。

いつもなら、必ず、どこかのスーパーに行く。ここでも、買い物をして、それを食べたいと思った。

野中に言うと、それでいいと言う。


六時前である。

外は、すでに、暗くなっている。

私たちは、近くのスーパーに、歩いた。


ところが、すでに、閉店である。早い。それでは、買い物をする場所はない。と、横を見ると、粗雑な板に、パンやバナナを乗せて売る店がある。

そこしか、買い物が出来ないと思い、近づいた。


男がいた。

パンは、二種類である。私は、二種類を買った。そして、量が多いが、小さなバナナである。日本から持ってきた、笹かまぼこがあるので、それで、夕食にすることにした。


水と、パンとバナナ、笹かまぼこで、十分になった。それでも、パンもバナナも、大量に余った。

あまり書きたくないことだが、食べ物が、不味い。

贅沢を言うのではない。すべて、アメリカンになっていて、肉料理ばかりなのである。そして、その肉の、質が悪い。そのために、味付けをしているのである。

胸が悪くなるような、料理が多い。

前日の夜も、量は多いが、肉料理で、油が多く、うんざりしたのである。そして、パンである。パンは、悪くは無いが、パンをニンニクの油で、焼いているのである。ガーリックトーストならいいが、やわらかいパンに、たっぶりと、油で焼いている。

胸焼けする。

兎に角、こってり料理なのである。


さて、後は、寝るだけである。

何も、することがない。今回は、本も持ってこなかった。

テレビも見ない。


エアコンの室外機の音と、潮騒を聞いた。


実に、不思議な日だった。

目的の追悼慰霊は、一時間で済んだのだが、それは、時間の問題ではなかった。質の問題だった。その質は、あまりに、重く、厚い。


ホテル前の通りは、真っ暗である。

私は、九時頃に、ベッドに着いた。そのまま、眠った。


帰国の日の朝、というか、帰国の飛行機は、深夜便であるから、翌日になるが、ホテルを出るのは、夜の11時である。


七時まで、寝ていた。信じられない程、長く寝た。


野中と、レストランに出て、コーヒーを飲んだ。

腹が空かない。昨日のパンもあり、何も注文しなかった。


コーヒーと、水を飲み続けた。

水は、水道水ではない。飲み水として、別に分けられてある。

部屋にも、大きな、水のタンクが置いてある。

ミネラルウォーターを買ったが、インドネシアのものだった。

1,5リットルで、一ドルである。


水道水は、色がついている。

シャワー以外は、使用出来ない。


一時間ほど、レストランで過ごした。


部屋に戻り、出掛ける準備をする。

食べ物を、すべて持った。昼に、食べようと思う。


島の先までは、歩くと、30分以上はかかるというので、タクシーに乗ることにした。しかし、そのタクシーは、中々来ない。

歩きつつ、通る車に手を上げる。

タクシーと、そうではない車を、見分けられないのだ。

タクシーは、運転席の前のフロントに、タクシーと、手書きで書いてある。


一台の車が、止まった。

タクシーではないが、乗っていいと言う。

後部座席に、二人の母娘が乗っていた。

私は、その母娘の後ろに乗った。

途中で、母娘が降りた。


野中と運転の男が英語で、まくし立てるように、話をする。

そこで、印象に残ったことがある。

道路である。

何故、道路の舗装がなされないのかということである。

結局、政治家が、支援金を、自分たちの、いいように使うからだという。

そこで、あの高校生の、男の子の、政治家になりたいという言葉が、思い出された。


どこの国でも、支援される国の政治家、いや、支援する国の政治家も、結局は、自分たちの、都合の良いように、支援金を使うのである。

勿論、学校教育は、無料であり、子供たちの医療費も無料である。

だが、多くの支援金は、有耶無耶になること、多々あり。


政治家になれば、お金を得られるということになる。


主要産業としては、農業の、ココナツ、タロイモ、バナナ等。そして、水産業であるが、全くなっていない。

漁師が、魚を捕らないのである。水産業も何も無い。


一時期、ココナツオイルの、工場があったというが、閉鎖されている。


日本との、貿易額を見ても、2005年では、輸出が190万ドル、輸入が899万ドルである。あまりにも、歴然としている。

地場産業を作らないのである。

収入を得るためには、海外に出稼ぎに出るしかないのである。


ただ、言えることは、環境破壊が無いということである。

それだけは、見事である。しかし、これからの、島の人の生活を考えると、何かの手立ては、必要である。


車は、島の先端の、ホテルに入った。

私たちは、車を降りて、写真を撮るために、浜に出た。

向こうに、夏島が見える。右手には、竹島である。

白い砂が、眩しく輝く。


ホテルの従業員が、声を掛けて来た。日系人である。

日本人が、懐かしいらしい。

皆で、写真を撮る。


車に戻り、昨日、野中が行った村に、行くことにした。

デコボコの道を、ゆっくりと、車が走る。

暫く、逆戻りすると、村に着いた。


そこで、男が、教会のミサに出るということで、車を返すことにした。

料金である。通常のタクシーは、50セントであるが、彼は、10ドルと言う。

野中が、交渉する。10ドルは、高いと。

すると、5ドルになった。それでも、高い。しかし、私は、もういいと思い、5ドルを出した。

男の言い分は、ガソリンが高いと言うのだ。

収入の無い人には、出来る限りお金が欲しいと思うのは、当然である。

5ドルは、大金である。

10ドルから、半額になるのも、おかしいが、タクシーではなく、好意で、乗せてくれたと思い、支払った。


収入の無い、島の人の、買い物は、一ドル以内である。セント単位の買い物である。

しかし、それも、ままならないのである。

だが、その貧困を、支援する理由にすることは、無い。

それが、島の経済システムである。

支援は、それを、破壊しないようにしなければならない。

つまり、持てる者と、持たない者との、差を作ってはならないのだ。


何でもかんでも、金を出せば良いということではない、ということだ。

島の人の、自立を促し、島の人の生活を、破壊しない、支援である。

実に、慎重にならざるを得ない。


posted by 天山 at 16:41| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月09日

神仏は妄想である 28

神仏は妄想である、という、エッセイを書いている。

それは、神仏であり、宗教家、及び、信徒の批判ではない。
純粋、神仏というものの、思想的批判である。

多くの宗教家、それらは、特に、潜めて、素晴らしい行為行動を行っていることを、知っている。

宗教に、救いはあるか、未来は、あるかといえば、彼らの行為行動により、あると、言える。

それは、人間主義、人間愛に、元ずく、行為行動であり、言論ではない。

行為により、宗教には、救いがある。

宗教家が、実践家として、活動をした事実は、歴史を見れば、よく解る。

私も、多くの宗教家の、人間愛に満ちた、人道的行為行動を見てきた。今も、見ている。

ただし、問題は、その行為行動にあるものである。
人間愛に元ずく、行動には、それ以上のものがない。
例えば、布教、宣教、折伏等々である。

キリスト教徒は、福音宣教といい、善行を行うとしたなら、誤りである。行為自体が、すでに、それであるから、それ以上の言葉は、必要ではない。

それを、行うこと、それで、よい。
人を助けて、それでは、この教えを、信じなさいと、言えば、その行為は、嘘になる。結局、宗教入信のための、手段としての、行為である。
行為は、目的であるはずだ。

この時代であるから、特に、それは、必要なことである。

宗教の役割が、これほど、大きな時代はない。

ある僧侶が、自殺防止のために、手紙相談を始めたという。
実に、真っ当な、宗教家としての、活動である。

私が、追悼慰霊に行く、タイ・チェンマイから北部タイにかけての、戦争犠牲者遺骨収集と、その、追悼慰霊碑を建立したのは、佐賀県の、浄土真宗の僧侶たちである。
そこで、私は、古神道による、追悼慰霊を行った。
浄土真宗の方法でとは、言わない。

宗教に救いがあるというのは、その行為行動にある。

そして、宗教家、宗教団体だから、出来る行為行動である。

真実、教えが、正しいものならば、行為行動以外に無い。

そして、宗教の、行為行動する、範囲は、他のものが、手出し出来ないところのものである。

日本の社会でも、それらの活動が期待される、場面は、多くある。

会員数の多さから、商売をしている団体も多い。
他の分野が行うことを、平気でするのである。
一々例は、上げない。

善行を持って、会員獲得のために、行為するのであれば、すでに、邪である。魔である。
その勢力、拡大のために、する善行というものは、単なる、偽善になる。

宗教に、フィティフィティは、無い。

与えることによって、与えられているからである。
もし、本当に彼らが、神や仏を、信じているならば、すでに、与えられているのである。
それ以上に、何が必要か。

孤立無援で、行為行動出来る力を持つのが、宗教である。

日本で最初に、唐に渡り、玄奘三蔵法師の、弟子になった、道昭は、矢張り、福祉事業を行っている。
師匠の玄奘は、膨大な、仏典の翻訳に、後の生涯をかけた。
何かに、奉仕することによって、その信仰の、証とする。

その、玄奘の、思いは、億万の衆生を救うという、命題だった。
晩年は、天竺行きの、高山病から、肺を病む。
しかし、最後の最後まで、翻訳をし、成し遂げた。

衆生の、救いは、彼の仏典翻訳という、大業に、結実した。

今、日本で、学ばれている、仏典の多くは、彼が翻訳したものである。

道昭は、玄奘の、法相宗を持って、日本の仏教に寄与した。

当時の時代が、要求していたものを、提供した。

そして、現代である。
宗教というものの、本質が、問われている。

教派を、超えて、行為行動をという、動きも、10年以上前から、はじまっている。
教派を、超えることは、実に簡単である。
共に、神や仏という幻想の、ものを、掲げているのであるから、教派を、超えられる。

宗派の、共同幻想である。
なんとなれば、この世のもの、移り行くものである。
宗派の、教えも、移り行くものである。

天動説から、地動説に、変更を余儀なくされたのである、カトリックは。
真実が、明らかにされれば、当然、それを、受け入れる。
宗教の寛容さである。

無知を、そのままに、神に託すことではない。

宝くじに、二度当たった、僧侶は、すべてを、寄付した。当然である。必要ないからだ。
彼には、仏の教えという、黄金の教えを持っている。金は、手段である。
勿論、金を目的とする、宗教団体は、数多い。

キリストは、汝の隣人を愛せよと、宣教した。
しかし、狭義の、隣人愛であった。
それを、広義の隣人愛にまで、広げて活動することで、キリストの教えを、更に、推し進める。

私の、友人、そして、その、指導司祭は、日本にて、アジア人の留学生の、支援をしている。様々な宗教を持つ人々を、分け隔てなく、支援する。
キリストの、隣人愛を、拡大した、行為行動である。

宗教の強さは、そこにある。

神仏は、妄想であるという、エッセイを通して、私は、宗教的行為にある、もの、そして、宗派を超えるもの、そして、教えを、変容させるものを、観るものである。

万教一致を唱える、生長の家という、宗教がある。
実に、正しい。
だが、その、団体が、何を行っているのかで、その、裏づけがある。

すべての、宗教を認めるという。
そして、どんな宗教に入信していても、生長の家の、聖典を唱えることが、出来るというものだ。
だが、教祖が信仰していた元の宗教のことは言わない。イスラムについても、言わない。

しかし、それさえも、言わず、他を受け入れる、古神道、民族宗教は、数多い。
伊勢神宮は、誰もを、受け入れる。
日本の神社は、誰もを、受け入れる。
バリ島、バリヒンドゥーも、然り。
他の、民族宗教も、然り。

タイ・チェンライの寺院に行った時、僧侶に、こちらの、お祈りの言葉を教えてくださいと、言うと、無いという。
私は、日本では、波阿弥陀仏や、南無法蓮華教という、マントラがあるというと、それで、いいという。

要するに、仏は、無限大の存在である。
祝詞を唱えた。
それで、善し。

無節操であることは、無限定であること。
寛容な宗教、伝統宗教は、皆、そうして、他宗教の者を、受け入れる。

御祭りする、神や仏は、人の心を頂くのである。
規則、作法は、それぞれに、任せるのである。

伝統宗教の場に行き、不快な思いをすることは、なかった。

私は、宗教に期待する。
そして、救いを観る。
更に、平和を、もたらせば、神や仏も、その、妄想は、共同幻想として、実に、有意義なものである。

そう、そのうちに、死ぬのである。
人間には、死という、救いが、確実にある。


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トラック島慰霊の旅 9 平成20年1月23日

見渡すと、バラック小屋が多い。

手作りの小屋である。


野中の後を、歩いた。

昨日来たと言う、村に向かっている。


まず、昨日ご馳走してくれた、村の主の家に行く。

丁度、主人が寝ていた。

声を掛けると、家族皆が、出てきた。

野中が、お礼を言い、プレゼントを持ってきたと言うと、食べ物かと、問う。

私たちは、タバコを五箱買っていた。

現地のタバコである。

それでも、喜んで、受け取ってくれた。

息子と思える男の子から、小さな子まで出て来たので、写真を撮る。


再び、道路に出て、先を歩いた。

ガイド役をしてくれた子の家に向かった。

ところが、野中の記憶が、曖昧で、立ち止まった。


その時、声を掛けられた。

コーヒー、コーヒーと言う男がいる。

野中は、声を上げた。昨日逢った男だった。


私たちは、コーヒーを頼んだ。

一杯、25セントである。集った人にも、ご馳走することになり、四つ、注文した。

男は、そこに、腰掛けてくれと言う。

手作りの、棒で出来た、椅子である。

横には、子供が、裸で寝ていた。


どんどんと、人が集まってくる。子供たちも来た。


私は、パンを食べようと、袋から取り出すと、野中が、まず、こちらが食べてから、皆に渡すといいと言う。

そのようにした。すると、渡した者が、他の者に、分け与えるのである。

子供にも、渡す。すると、その子は、他の子に、半分、分け与える。

それが、自然なのである。

こんな、風景は、見たことがない。


私は、すべてのパンを、皆に与えた。それが、次々と、人から人へと、渡るのである。

こういう、礼儀は、自然に出来上がったものなのだろう。


その内に、ガイド役の子が来た。ジュニオという、名だった。

13歳で、小学校の七年生である。日本だと、中学一年生である。

だが、日本の子供より、小さい。日本の10歳程度の子供のようだ。


野中が、ジュニオに、Tシャツを渡す。

ウァーと、声を上げて喜んだ。

さらに、私のものも、渡す。

ジュニオは、二枚のTシャツを、両肩に掛けた。


その間にも、子供たちが、大勢、集ってきた。


コーヒーを飲み、主人と、話をした。

その中で、私は、子供服などは、どうしているのかと、訊いた。

無いという。

確かに、小さな子は、裸だった。

お金が無いので、皆、出稼ぎに行っている家族や親戚から、送ってくるのである。


着の身着のままである。


私は、次に来る時、子供服を持ってくると言うと、近くにいた、大人が、皆、お礼の言葉を言う。それが、本当に、心ある言葉なのである。

意味がよく解らないが、何を言うのかは、理解した。


主人が、村を案内すると言う。

そこで、私たちは、お願いした。

しかし、それがまた、大変なことになるのだ。


山の中を行く。道無き道を行くといった、感じである。

子供たちも、着いて来た。

彼らには、当たり前だが、私には、山道である。

すぐに、汗だくになった。何度も、着物の、袖で、汗を拭いた。そして、また、汗が出る。


遂に、山の上まで来た。

そこにも、家があるという、驚き。

そして、山の上の風である。その、心地の良さは、格別だった。

その家の、おばあさんが、木の元に、ゴザを敷いて、寝ていた。


私たちが行くと、起き上がり、笑顔で挨拶する。

すぐに、日本人だと、解ったのは、私の着物である。


歓迎に、小さなミカン、日本で言うと、カボスに似たものを、出してくれた。

それは、酢のように、すっぱい。

皆で、それを、食べた。

その家の子も、出て来た。


暫くすると、その家の子が、主人に何か言う。

向こうに、日本軍の大砲があるというのだ。それを、私たちに見せたいと言う。


野中が、着物で、行けるかと、訊くと、大丈夫だと言う。しかし、付いて行くと、そこは、ジャングルである。

引き返すことも出来ず、私は、皆に付いて行った。


だが、主人も、子供たちも、兎に角、親切である。

足場の悪いところを、整えて、私を歩かせる。手を取る子もいる。


漸く、日本軍の要塞を発見し、大砲を見た。


その付近には、大きな穴が多くあった。攻撃された跡だと言う。


肩で、息をしつつ、写真を撮った。

そして、そこからの眺めである。絶景だった。


子供たちには、山が、庭のようなものである。

その有様にも、感動した。


大砲に上がる子供たちである。

誘われたが、私は、上がらなかった。

下から、見上げるだけである。

戦争当時の様を、想像した。

ここで、毎日、敵を発見しては、攻撃していたのであろう。

山の上に、要塞を築き、大砲を設置しての、苦労を思った。


そして、戦争とは、何と無益なことかと、溜息をついた。


また、誰も日本人が、こんな所まで来て、見ることは、ないだろうと思えた。

貴重な資料である。


暫くして、戻ることにした。

子供たちの身に軽さは、脅威であった。

しかし、私を先に先にと、歩かせる。

必ず先導する子がいる。


最初の山の上に戻った。


私は、子供たちの人数を訊いた。

七名である。

一人、二ドルを渡すことにした。

一人の子に、それを渡すと、その子は、満面の笑みを浮かべた。

感謝の気持ちである。

そして、主人には、案内のお礼として、20ドルを渡した。


少し休み、下山することにする。

主人が、折角なので、私の家族に会ってくれと言う。

私は、オッケーと、答えた。


主人の家は、山の中腹にある。

奥さんが、赤ん坊を抱き、二人の娘がいた。

一間の小屋で生活している。

どんな風に寝ているのか、想像がつかないのである。


実に、貴重な体験をして、私たちは、皆と、別れた。


ジュニオだけは、ホテルまで、着いて来ると言うので、三人でホテルへの道を歩いた。

posted by 天山 at 16:42| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月10日

神仏は妄想である 29

有神論者は、神が宇宙をセッティングしたときに、宇宙の基本定数を精妙に調整し、それぞれが生命を生み出せるゴルディロックス帯のなかに収まるようにしたのだと言う。まるで、神はひねることのできる六つのノブをもっていて、それぞれがゴルディロックス値になるように慎重に調整したかのようである。しかし、有神論者の答えがひどく満足のいかないものであるのはいつも通りだ。なぜなら、彼らが神の存在を説明しないままでおくからである。六つの値について計算することができる神というものは、少なくとも、精妙に調整された数字の組合せそのもの同様にありえないものだろうし、ということは、きわめてありえないというレベルの話になるーーーそして、その「きわめてありえない」存在というのが、私たちがこれまで延々とつづけてきた議論の出発点であった。したがってここから、有神論者の答えは、目の前の問題を解決するため、いささかの前進ももたらさなかったという結論が導かれる。それを退ける以外の代案が私には思いつかないが、同時に、多くの人間がこの問題を理解せず、「神がノブをひねっている」という論証に心底から満足しているように見えることに驚嘆している。

神は妄想である。第四章、ほとんど確実に神が存在しない理由、より。
リチャード・ドーキンス

要するに、信じる者は、確実に、自己洗脳して、信じ込むという、愚劣に陥るということである。
そして、安心する。
実に、愚かな、安心である。
信じるという、安易なムードに、自分を乗せるのである。それは、実に、心地よいのだろう。すべて、思考を捨てるのである。
そして、信じるという行為に、酔う。
酔い知れる。
神という妄想に、委ねて、人生を流すのである。それを、また、善しとするから、おめでたい。

ある日の決闘に出かける、宮本武蔵は、祠の前を通る。
その時、その祠の神に、勝負の祈りをの、誘惑を覚える。
そして、自分を叱咤した。
俺は、この勝負を、この祠の神に、祈ろうとしている。何という、馬鹿馬鹿しいことだ。闘うのは、この俺である。在るか無きかの神に、祈る俺は、剣の道に遠い、と。
武蔵は、そのまま、そこを、通り過ぎる。

五輪書を書いた武蔵は、観世音菩薩を、奉じて云々という、解説者がいるが、武蔵のことを、知らない。
武蔵が、観音様を奉じたのは、見る目と、観の目を、見抜いたゆえの、観世音菩薩であった。観音に、観の目を、あてただけである。
合理主義の武蔵が、拝む対象の観音様を、奉じる訳が無い。
方便である。
書いたものを、そのまま、信じるという、アホな真似をするのであるから、呆れる。

さて、有神論者は、特別の考えなど無い。
信じていれば、事足りる。

本当の意味で法外である「神がいる」という仮説と、見かけ上法外なように見える多宇宙仮説のあいだの決定的な相違は、統計学的なありえなさの相違である。多宇宙は、いかに法外なものに思えようとも、単純である。しかし神は、あるいはどんな知的で、意思決定し、計算する作用者であれ、それによって説明される事柄とまさに同じ統計学的な意味で、高度にありえないものだと言わざるをえない。多宇宙は、そこにかかわる宇宙の数という点だけからすれば法外なように見えるかもしれない。しかし、そうした宇宙の一つ一つは、その基本において単純であり、高度にありえないものを何一つ仮定してはいないのである。しかし、神仮説で想定される知性については、事情はまさに正反対だとしか言いようがない。

ドーキンスは神学者に言う。
私たちの求める第一原因は、自力で自らを高め、最終的に世界を現在のような複雑な存在まで上昇させる一種のクレーンの単純な基礎であったにちがいない。

神学者たちは、繰り返し言ったという。
「何かがないことにではなく、何かが存在することに対し、その理由がなければならないのだ」
そして、それに神という名を与えてもいいのではないか、と。

実に、面白いやり取りをしている。
どうでも、いいことに、互いにムキになるところが、いい。

世の中は、神も仏も、どうでもいいと、思う者が、多数である。
それは、イスラム圏、キリスト教圏、ユダヤ教権、仏教圏、等々である。
誰も、真実、それほど、神や仏に必死になってはない。
知能レベルの低い者が、真剣になるのである。

例えば、死期迫る者が、突然のように、洗礼を受ける。親鸞に帰依する。密教に入信する、という、程度である。
それは、麻酔代わりである。

実に、愚かなことである。

人間が霊的存在であると、知れば、そんなことをする必要は無い。

死後の世界の未知に、不安になるだけである。
死後、霊になると、知らないのだ。

さて、ドーキンスの、論舌は続く。果てしなく、続く。科学者の頭は、実に良い。
分厚い本である。神は妄想である。

私は、第一章に戻り、これから、キリスト教の聖書について、ドーキンスの言葉と、共に、徹底的に、検証し、大嘘であることを書く。

ちなみに、私は、カトリックの洗礼を受けている。
少年の頃から、勉強をせずに、神学、キリスト教を、学んだ。そして、準じて、宗教である。勿論、キリスト教の側からの、宗教であるから、実に、偏ったものである。

私の、主イエスは、何も変わることなくある。
しかし、神という、キリスト教が教える存在については、別物である。
また、主イエスに関しても、新約聖書というものが、どのようなものであるかを、知ることによって、実に、冷静に対処できるものである。

熱心な、クリスチャンほど、罪深い者はない。
余程、前世の因縁が悪いのだろう。
そのせいか、熱心なクリスチャンほど、冷酷無残である。
または、確実に、愚かである。
その証拠に、知らないはずの、聖書を人に説くのである。

教会が、教える神というものは、教会の神であり、それこそ、妄想である。
そして、キリスト教の霊性というもの、すべては、魔界から発するものである。
悪魔より、怖い魔界である。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第1弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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