神仏は妄想である 20

田川健三氏の、宗教を越える、を、読み続ける。

近代的技術や資本の論理による暴力に対して立ち向かい、反撃し、克服するには、彼らが考えてもいない数多くの水準にわたって深く鋭い洞察力を持つことが必要なのである。

いよいよ、宗教というものの、姿が見えてくるのである。
宗教的思考とは、このようなことを言うのである。
誇大妄想の、云々ではない。
そういう意味では、日蓮など、当時の不安感と、恐れによる予言、立正安国論については、実に、理解する。ただし、彼は、遂に、ただ、唱えるだけの、詭弁になったということである。
軽薄だったのは、誤った神や仏を拝むから、日本は滅びるといったような、短絡思考である。結果は、田舎者の、戯言になってしまったのは、劣等感のみの故であることが、判明した。
しかし、今も、その日蓮のように、法華経を奉じる国でなければ、滅びるという、アホがいるから、世話がない。
国立戒壇を設けよと言うから、頭の程度を疑う。
日蓮正宗の、信徒の団体である。ケンセイ会といったようであるが、忘れた。
会員獲得のための、行為で、警察沙汰になったのは、昨年である。

確かに相手は暴力なのだから、それに立ち向かうにはこちらも持続する力を持たねばならぬ。ただの知性からは力は出て来るまい。しかし、その力は深く鋭い洞察によって支えられねばならぬ。この洞察を知性と呼ぶか、合理性と呼ぶかといったことは本当はどうでもよい問題である。ただ、合理主義ではだめだったから今度は非合理で行こうかとか、知性ではだめだったから感性で、というようなことでは、初歩的な力にはなっても、問題のひろがりは見えてこないのである。

大半が、この程度のところで、何とか、議論を続けようとするが、それでは、駄目だと言う。
問題の広がりと、田川氏は、言う。
問題の広がりこそ、宗教の務めであるが、宗教は、全く、逆である。
問題を、逆に狭めるのである。
宗教家が、特に、巨大教団のトップが、いくら、メッセージを発しても、何の役にも立たないのである。
それは、偏狭だからであり、全く、自分の身には、関係ないからである。
痛みを知るはずの、宗教家が、実は、一番、大衆の痛みを知らないのである。

感性と感性でむき出しに押し合ったら、少数者の感性がいかに正しくとも、暴力的に押し流されてしまう。いわゆる近代的合理主義が何のかのと言っても強いのは、決して感性を無視してそろばんづくで押し通しているからではない。むしろ多数の者、あるいは少なくとも何らかの意味で立場の強い者たちの感性をうまく自分の側にひきつけ、彼らの感性を実現する合理性を作り上げてきたからである。そろばんやコンピューターが知性なのではない。むしろそろばんやコンピューターこそが多数の感性を代弁する。

実は、地球が危ないと言って、様々な試みが、開始されているが、嘘である。
本当に危機感を感じているならば、事は、もっと、迅速である。
環境云々という話は、実に、荒唐無稽なものである。
私に言わせれば、今更、何を言うということである。
一々、例を上げないが、嘘だらけである。

多くの取り組みが成されているというが、その実、何も意味無いことかもしれない。
矛盾するが言う。
地球が、謀反を起こせば、すべては、無に帰す。

植林、緑の運動等々は、素晴らしい。
水没する島を救えというのもいい。

だが、肝心なことは、地球、すなわち自然の働きに、適わないということである。
何も、自然破壊を推し進めてもいいと言うのではない。

後戻り出来ない程、自然を破壊して、何を言うということである。

霊学から言えば、自然破壊は、自然汚染であり、それは、汚れである。汚れは、穢れである。穢れは、清め祓いが必要である。
それを、せずに、自然を守ると言っても、詮無いこと。

これは、たった一つ例であるが、日本の伝統は、まず、穢れ祓いから、始まる。
穢れを起こした、私が、まず、身を清めて、それから、取り掛かるのである。
目に見えない、自然の脅威と、自然の恵みに報恩感謝の行為である。
もう、この辺から、意味が解らなくなるだろうが、言う。

自然というものは、目に見えないものである。
山川草木という、目に見えるものの、後ろにある、目に見えない働きが、自然である。
その、目に見えない自然に対して、執り行う行為を、日本の伝統は、受け継いでいる。

植樹する前に、何をするのか。
日本の伝統は、祝いの言葉を、宣べるのである。つまり、祝詞である。
寿ぎの言葉、つまり、言霊があってはじめて、その行為が、目に見えない自然を、動かすということである。

もし、宗教というものが、私の概念での、宗教というものがあるとしたら、それである。

アフリカの、マータイさんという、おばさんが、もったいない運動を展開していると、喧伝するが、彼女は、もったいないという、心を知るはずがない。
もったいない、という言葉は、世界に発信するものではなく、言語同断に、実践するものだからである。
それで、有名になっているとしたら、嘘である。

実に、実のものは、秘するものである。

あれには、作為がある。
勿論、喧伝することには、何も問題は無い。
勝手にやっていれば、よい。それなのに、誰かが、それを、宣伝する。おかしい。
ある宗教団体が、特に、彼女を取り上げている。

他人の苦痛を共感しうるようになるためには、深く鋭い知性が必要である。というよりも、深く鋭い知性ならばそのように共感して動き出す感性にまでとどくはずだと思う。深いところでは、感性は知性によって動かされ、知性は感性によって支えられる。両者は混然として共鳴する。

そして、いよいよ、本題に入ってゆく。

圧倒的多数の人間は、地球の裏側の人々の餓死と自分自身の生活とが、感性的にすぐにつながって自分の胃袋がおのずと働かなくなる、というような感性の鋭さは持ち合わせていない。

そのために、知性の働きが必要だという。知性によって、感性の幅を広げることが出来るという。
これが、宗教の根本命題である。

仏陀の悟りというものも、知性が、感性を無限に拡大したものである。

既成の宗教は、知性を抑制し、感性を取り押さえて、本当の自分に、どこかで、引っかかるようにして、神や仏を、拝ませる。
更に、人権まで、蹂躙して、平然として、神や仏の名によって、信徒を、兵隊のように、扱うのである。
そして、支配する者は、神も仏も、全く意に介さないという、仰天である。

posted by 天山 at 00:00| 神仏は妄想である。第1弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トラック島慰霊の旅 平成20年1月23日

今、再び、何故、追悼慰霊なのか。


トラック諸島、現在のチューク島への追悼慰霊が、来週に迫った。


私の、親族が、なくなっている訳ではない。しかし、私は行く。

私の父の兄たちは、多く戦死している。しかし、もう、彼らが、どこで、亡くなっているのかを、知らない。

私は、具体的な、所属部隊も知らない。


せめて、生前の祖母に、聞いておけば、よかったと思う。しかし、もうそれは、いい。これから、出来る限りの場所に行き、追悼慰霊をする。


こういう活動をしていると、様々な情報や、話を聞くことになる。


バリ島。

バリ島には、現在、テラハウスを、建設中である。

最初に、バリ島に出かけたのは、今から、13年前である。

そして、昨年、久々に、バリ島に出かけて、その変化に驚いたものだった。


テラハウスは、借地である。

私の、お弟子さんの婚家先の、土地である。

当然、その家族の皆様との、付き合いも、はじまった。


いつも、そこに、お爺さんがいる。

言葉は、かわさないが、会釈する。向こうも、会釈をする。

昨年の四月、初めて、その家庭で、夕食をいただいた。

その時、お爺さんは、黙って、私たちの座に加わり、座っていた。

何も、言わない。


実は、つい最近、この話を聞いた。


バリ島にも、戦争時代の、記録が、残されている。

第二次世界大戦である。

日本の占領地に、バリ島もあった。それは、知っていたが、具体的なことは、知らなかった。インドネシアという、大枠で、考えていた。つまり、バリ島の人とは、それほどの、関係はないと。


ところが、違った。


その、お爺さんの、年齢以上の人は、男は、皆、日本軍の奴隷にされたというのだ。


バリ島・ウブドゥの男たちは、自分たちの作った米を、日本軍に渡すために、海側まで、徒歩で、米を運び、さらに、船に乗り、使用されたという。


タイ・ビルマ戦線、インパール作戦も、そうだが、現地の人たち、男たちを、荷物運びの、クーリーとして、兵隊の数より、多くの中国人、タイ人を、使用したという。


勿論、兵士たちと、共に、亡くなっている人もいる。


愕然とした。


実は、日本人と結婚する、バリ島の男が多いが、その内実は、親族に必ず反対する人がいるという。昔の日本軍の有様を知る人たちだ。


ただ、救われているのは、バリ島の人、バリニーズたちの、心情は、過ぎたことは、忘れるという。

私の、お弟子さんが、夫に、お爺さんは、日本人を、憎んでいるだろうとね、と、尋ねると、いや、忘れたと言う、と、答えたという。

もう、過ぎたことだから、と。


日本の感覚で、言えば、水に流すということだ。


そして、私は、言われた。

これから、活動するバリ島でこそ、戦争犠牲者の、追悼慰霊を、行って欲しいと。


お弟子さんの、ご主人の、知り合いの、お爺さん、また、年老いたお父さんに、奴隷として、働いた人が多くいたという。

今は、皆、亡くなっている。


日本兵に、肩を斬られて、体が、歪んだまま、生きていた人もいるという。


バリ島の、観光地にも、戦争の記念館がある。

そこに行く日本人に、ガイドは、決して、その話をしないと聞く。


黙して語らないのだ。


これも、私が、戦争犠牲者の、追悼慰霊をしてるということを、言うからの、情報である。


そうであったなら、バリ島でも、時期を見て、戦争犠牲者の追悼慰霊を、行いたいと思う。いまだかって、バリ島の犠牲者の慰霊などした、日本人はいない。


さて、私の、トラック諸島への、慰霊の情報で、遠い記憶を思い出した方も、多い。忘れた振りをしていたのだ。

思い出さないようにしていたのだ。


実は、という、前置きで、話が始まる。


もう、戦争が終わり、戦争体験者も、多く亡くなってる。

その、孫たちの時代である。

話を聞いていた孫たちに、尋ねるしかない。


バリ島で、日本軍の犠牲になった方々の追悼慰霊をすると、決めた。


日本政府は、政府開発援助として、毎年、インドネシアに、一千億近い、支援をしている。それは、あまり、知られていない。

また、博物館や、建物の玄関の、横に、日本政府によって、戦争保障の云々という、看板が掛けられている。ほとんどの日本人観光客は、それを、見落とす。


国と国の、間では、そのように話し合いが行われるが、市民は、知らない。

それを、知らせるべきであると、共に、日本人が、慰霊の行為を、すること。それに、尽きる。


死ねば、終わりで、死んだ者が、損だというなら、それは、話にならない。

死んだ者の、気持ちを代弁する必要がある。


神仏は、妄想だが、人が死ねば、霊になる。

その、霊位に対する所作が必要である。


すると、矢張り、こうしては、いられないのである。


謝罪外交と、保障外交に、日本は、明け暮れた。

それでも、まだ、足りないのである。

つまり、最も、大切なこと。

慰霊を、行わないからである。


国の要人が、花輪を持って、追悼の行為をすることも、必要であるが、実際的に、祈りを持って、日本人の祈りを持って、行う必要がある。


先祖祭りを大切にする、日本人である。ならば、あちらの国の人も、そうである。

篤き思いを持って、それを行う時、本当に、謝罪という、言葉の重さが、成就できる。


トラック諸島にも、現地の人たちがいた。

その人たちも、犠牲者であり、亡くなった方もいる。


日本兵だけではない。

日本人だけではない。


戦争で、犠牲になった、すべの方々の追悼慰霊なのである。


人の思いから、念というものが、発せられる。

それは、念として、単独で、行為するものである。それが、多くの積もると、想念となる。

もし、恨みや、憎悪の、想念ならば。

再び、人の心に、戦争の種を蒔く。


平和を願う行為の一つに、追悼慰霊の行為がある。

口先では、最早、駄目なのである。


生きている方は、忘れてくれるという。

しかし、死者は、口無しである。

その、死者の思念を、感じ取る行為が、追悼慰霊なのである。


日本の伝統には、鎮魂の作法という、特別な、死者に対する作法がある。

勿論、それを、私が行うのではない。

私が行えるのは、追悼慰霊である。


鎮魂とは、御霊、鎮めである。

これは、高い次元の霊的存在の介入なしに、行為できるものではない。


私がする、追悼慰霊は、亡くなった方々に、哀悼の念を持って望み、それぞれの、霊的次元に、お戻り願うことを行為する。


霊の存在を否定する人には、理解できない。

もし、霊の存在を否定するならば、死者は、そのまま、放って置けばいということになる。

死んだら、終わりであるならば、死者のための行為など、必要ない。

何故、古代から、死者に対する所作があったのかは、霊が存在するからである。


勿論、私は、霊の存在を否定する人に、霊の存在があるということを、説得するものではない。


心の命ずるままに、行為するのみである。


私は、知っているからである。

霊が、存在することを。

posted by 天山 at 16:36| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トラック諸島慰霊の前に言う

戦争犠牲者、追悼慰霊の旅をする私は、太平洋戦争の様を、調べている。


この戦争は、日本が、追い詰められた故の、自衛の戦争であるという、良心的な、分析をする者もいる。それを、私も、支持する。しかし、その、犠牲者のことを思うと、矢張り、やり切れない思いを抱く。


誰かを、悪者にして、その、怒りを、静めるということも、ある。

犯人探しである。

それは、出来る限り、しないと、思いつつ、矢張り、この戦争に関して調べてゆくと、一人の人物に行き当たる。

東条英機である。


最後には、徹底した精神主義にての、東条の行為に、私は、ドイツの、ヒットラーを見るのである。

どのように、良く解釈しても、彼は、誤っていた。


彼は、ある時、子々孫々に、政治家などになることのないようにと、呟いたそうであるが、それは、彼が、政治と、軍事に関わるということを、是とせず、非としたということである。

それならば、あれ程の、犠牲を出すことなくの、方法を取れたはずである。


実に、軽薄で、実に、愚かで、実に、無駄な、人生である。


絞首刑は、最もであった。


その、孫に当たるという者が、東条の行為を、正当化する云々を言うが、有り得ない。

完全完璧に、間違っていた。


御前会議という、天皇を前にしての、東条の傲慢は、極まりない。

実に、不敬である。


彼は、天皇さえも、自分の意思に従わない場合は、殺したのである。


それが、実に、よく、理解できた。

ドイツのヒットラーを、見る思いである。


自害せずに、絞首刑になるとは、また、実に、恥ずかしいことである。

自分が、言ったことを、忘れているのである。


捕虜になり、辱めを受けるより、自害せよとは、東条の言葉である。


そして、天皇に責任が及ばないように、と、自分が、すべての責任ある者のように、振舞ったということ、実に、偽善である。

最後まで、演じたのであろが、愚かである。


日本の法律で、A級戦犯などという、罪は無いが、彼は、最上級の、戦犯である。


天皇、日本国、日本人を、舐めている。


誰も言わないので、私が言う。

彼は、地獄が、住処である。


単なる、野心にのみ、行為したのである。

勿論、政治家というものは、皆々、野心に行為する。


本当に、何かを変えたいと、思えば、私のように、政治家にならず、実際的、行為を行うのである。

少しばかり、名が知れると、政治家を目指す。つまり、顕示欲である。野心である。


政治家になるなら、有名になればよい。

ただ、それだけである。


さて、トラック諸島のことである。


1943418日ソロモン諸島の、前線基地を視察の、山本五十六連合艦隊司令長官が、米軍戦闘機16機による、待ち伏せ攻撃にて、機上で、戦死した。


米軍の日本軍の、暗号解読の成果である。

情報戦による、日本の敗北を意味する。


実は、この年、二月に、ガダルカナルを撤退している。

その敗北を、ニューギニアで、埋め合わせしようと、したのである。

ニューギニアに、兵力の増強を始めて、それは、うまく進んだ。

しかし、最も、兵力を増強する必要のあった、ラエ、サラモアへの第51師団の輸送は、その三月、連合軍機の攻撃によって、阻止され、輸送船八隻、護衛の駆逐艦四隻を失うという、大損失を蒙った。

ダンピールの悲劇と言われる。


この時、米軍、豪軍の戦闘機は、漂流する日本兵を、数日かけて、機銃掃射を繰り返して、出撃した魚雷艇が、海上を捜索して、日本兵を、射殺した。


漂流中の、無抵抗の日本兵を、射殺するというのは、戦争犯罪である。


ニューギニア戦線では、米軍の攻撃に、次第に、日本軍は、後退する。

何より、悲劇であることは、食料などの、補給がされず、多数の将兵が餓死したのである。


ニューギニア第18軍の戦没者は、約10万人である。そのうちの、約9万人が餓死である。


銃撃されて、死ぬのではない。餓死で、死ぬのである。


霊など、存在しないという者に言う。

その場に、行けと。

その場に行って、霊の存在の無いことを、確認せよと。

餓死した者の、霊の苦しみは、未だに、終わらないのである。


その場に、行けば、喉が渇き、兎に角、無性に、物が食べたくなるのである。

一時的に、霊が憑依する。


トラック諸島慰霊に、一ヶ月を切った夜、私は、多くの香りで、目覚めることになった。

そして、激しい、怒りと、悲しみである。

切なくなった。

それは、線香の匂いと、様々な花の匂いだった。


しかし、私は、霊能者ではない。

その姿を見ることはなかった。


何故、私のところに、コンタクトするのかは、私が、単に慰霊に行くからである。その、思い、すでに、飛んでいる。ただ、私の思いに、感応しているのである。

霊は、思いをのみ、受け取るのである。

その存在を知る者に、思いを送るのである。


勿論、私は、私の妄想であると、心得ている。


私の心が、トラック諸島に、広がっているのである。その心に、感応するのである。それは、私のみのもの。それを、信じて貰う何物も無い。故に、妄想である。


さて、海軍は、ソロモン諸島の、確保に、固執していた。

この地域が、突破され、ラバウルが、占領されると、連合艦隊の、最大の拠点である、トラック諸島が、米軍大型爆撃機の、行動範囲に入るからである。


そして、山本五十六の戦死である。


1943年の5月には、アリューシャン列島の、アッツ島が、全滅する。

敗戦に向かって、一直線に進んだ。

12月は、タラワ島、マキン島の全滅。

翌年、クェゼリン島、ルオット島の全滅である。


19439月の、御前会議は、茶番であった。

9月は、イタリアが、連合国に降伏したのである。


以後、無謀な戦いが、続く。


御前会議で、決定した、絶対国防圏の強化が、進まない。

それは、海軍が、トラック諸島の、確保を依然として重視し、圏外に位置する前方要塞の放棄に、踏み切れなかったからである。


米軍が、前方要塞に進軍し、全滅する。


その頃になると、海上輸送の、低下が、甚だしい。

船舶の喪失が、急増して、兵員輸送用の、輸送船すら、不足するのである。


1944年初頭、大本営は、中部太平洋の、防備強化を決定した。

3月から5月にかけて、サイパン、トラック諸島、グアム、硫黄島、ペリリュー島への、緊急優先輸送を開始した。


1月から、6月にかけて、中部太平洋に、輸送された兵士は、42千名。

このうち、潜水艦などによって、沈没した人数は、12千名。うち、戦死者は、3600名である。


1944年、米軍は、2月に、マーシャル諸島の、クェゼリン・ルオット島に、さらに、ブラウン環礁に上陸し、全滅させる。


217日から、18日にかけて、米軍の機動部隊が、トラック島を攻撃して、日本軍は、航空機270機、艦船40数隻を失うという、大損害であった。

これにより、トラック諸島は、完全に米軍に掌握された。


このような状態でも、大本営は、インパール作戦を開始したから、愚かである。

それが、タイ・ビルマ戦線である。


トラック諸島には、艦船だけではない。民間船、つまり、輸送船200隻あまりも、沈んでいる。

乗組員は、生き残ることは、出来ない。海底に、残されたままである。

地上戦の場合は、生き残ることもあるが、海上である。


イルカの背に乗って、助かるということは、ほとんどない。

全員、死亡である。


戦後、僅かばかりの、遺骨が、収集された。

後の遺骨は、今も、海底にある。


そして、世界のダイバースポットとなり、ダイバーが、日本軍の兵士たちの、遺骨を見るために、海に潜る。

それが、私の父や兄弟たったらと、思うと、ただ事では、いられない。


今、何故、追悼慰霊なのか。

心、斜めに構えている者には、決して、解らない。


靖国神社に参るが、遺骨眠る場所に、追悼慰霊には、行かない。

靖国に、戻られる霊は、少ない。

行き場を失っている。

故郷にも、帰られない。

行き場を失っている。

各々の信仰する、宗教の天国や、極楽にも、行くことが出来ない。

行き場を失っている。


そこに、漂うばかりである。

気を失ったままに、漂う霊もある。


追悼慰霊とは、彼らを、目覚めさせる行為である。

霊的存在であることを、目覚めさせる行為である。


多くの人類が、殺されてきた。

宗教の、発生は、それに大きく負う。

追悼慰霊の行為にあった。


目に見えない存在をもって、宗教的行為が、成された。

しかし、現在、宗教を見渡して、それをするもの、皆無である。

いやいや、供養をしています。追悼をしています。と言うだろう。それが、すべて、生きている側からの、満足感であるということに、気づかない。

死者を扱う宗教の、欺瞞は、計り知れない。


ローマ法王が、スペイン統治の南米の一億人を殺した、追悼慰霊をするなど、見たことも無い。

精々、信者の戦死者を、追悼する程度である。


それでは、日本仏教団体は、どうか。

農協さんのように、安楽な旅は、するが、金にならない、追悼慰霊、あるいは、供養などしない。

それでいて、したり顔で、お釈迦様の、教え云々と言う。呆れる。


皆々、宗教の大嘘に、気づくべきであろうと、思うが、騙されたいという方が強く、皆々、騙されて、念仏したり、題目を上げて、地獄行きの行為を、続けている様、つくづくと、哀れである。


しまいに、お遍路さんである。

弘法大師と同行二人で、四国を歩くという、おめでたさである。

自分を見つめる旅とは、笑わせる。

四国を、歩いて、自分など、見つめられる訳が無い。

それなら、隣近所の、ゴミ拾いでもした方が、実りある。


実に、愚かなことである。


さて、私は、心の命ずるままに、追悼慰霊を行為する。


トラック諸島全域を、追悼慰霊し、清め祓いを行う。


そして、霊位に、言う。

靖国に行きたい人は、靖国に。故郷に戻りたい人は、故郷に。母の元に戻りたい人は、母の元に。

天国や、極楽に行って下さいとは、口が裂けても、言わない。

霊界に、そんな場所は無い。


さらに、次元の別にする、世界へ、お戻りくださいと言う。


清め祓いとは、日本の皇祖皇宗に、お願いして、その、御霊を、御霊に、ある、悪しきものを、清め、祓い、本来の姿に戻ることをいう。

ただ今、皇祖皇宗を、総称して、天照御大神と、お呼びする。

これは、伝統行為である。


追伸

当初は、予算の関係で、海上慰霊を考えていなかった。

現地日本人の方が、慰霊の手配などを手がけていることは、知っている。しかし、私一人では、金額的に無理である。

そこで、同行の野中が、現地の漁師さんに、お願いするといいのでは、という話になり、現地で、交渉し、海上慰霊も、行うことにした。

浜辺で、トラック諸島全域に渡る追悼慰霊と、思ったが、矢張り、海上まで出て、行為することにした。

海上慰霊をし、浜辺での追悼慰霊を行うということになる。


ある夜、お香の匂いと、次に花々の匂いがして、目覚めた。

いいようもない、気持ちがした。

すでに、霊位にある方々が、コンタクトをしてきていると、感じた。

その場に行くこと自体に、慰霊の行為がある。

すなわち、家から出掛ける時から、慰霊の行為が、始まるということである。

思念は、時空を超える。しかし、その場に出掛けるという行為が、この次元に留まる霊位には、絶大なる影響を与えるのである。

こちらが、それに掛ける、様々な苦労を伴っての行為であることが、彼らの慰めになるのである。

この世は、行為の世界である。

だから、私は、行くのである。

posted by 天山 at 16:37| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トラック島慰霊の旅 1 平成20年1月23日

トラック諸島 慰霊の旅


慰霊の前日から、書くことにする。


朝から、横浜には、雪が降った。それは、十時頃まで、続いた。

しかし、寒さは、いつもより、感じない。それよりも、切なさと、悲しみが、心を覆う。


これは、思い出のせいだろうとか、思った。

札幌から、こちらに、内地に出て、十二年目を、向かえる。

ホームシックであろうか。

だが、雪深い、北海道には、戻りたくないのである。

雪の無い、冬の生活に慣れて、心地よく過ごしている。


何故、悲しいのか、切ないのか。


明日、トラック諸島に向かうのである。

グアムで、乗り返して、翌朝、チューク島に着く。

時間が無いので、すぐに、現地の漁師さんを見つけて、海上慰霊の話をつけなければならない。丸一日のみが、与えられた時間である。

一日のうちに、すべての、追悼慰霊の行為を終えるべく、即座に行動しなければならない。


サイパンの時もそうだが、観光地化された、場所に行くという、趣味も、楽しみも、無い。また、見出さない。

そんな暇は、無い。


確かに、バリ島や、タイのチェンマイに行くと、日常の瑣末な、出来事から離れて、自由な時間が出来る。それは、大変、心地よいものだが、観光地に行き、遊びたいという感覚は無い。


私には、何も魅力がないのである。

旅の目的が無いものは、全く、興味が無い。


トラック諸島も、慰霊の一点のみ。


バリ島で、トラック諸島に出かけたという、一人の女性に、話を聞くことが出来たが、それは、現地の様子であり、ダイビングの観光客が多く、食べ物は、不味いということだけだった。そして、すべて、ドルであるということ。


現地の人の様子は、それでは、解らない。

島には、ホテルが、二つのみ。

別の島には、ホテルのような、宿泊施設があるのだろうが、そんなに、移動している時間はない。


出発前日の、悲しみと、切なさの理由は、ただ、慰霊する人々の声なき声を、感じているのではと、思うようになった。


月末の、支払い等のこともあるが、部屋から出ることさえ、億劫になる。

兎に角、胸が沈むのである。

心が、沈むのである。


戦争で、死ぬということは、何か。


そして、生きるということは、何か。


様々な、思想、哲学等、また、戦争肯定の思想もあり、その理屈も、知るものだが、矢張り、納得出来ないのである。

何故、戦争で、死ぬことになるのか。


誰のために。

彼らは、国のためにと、命を捧げたが、その国とは、誰か。

愛する、家族や恋人、友人、その他、縁する多くの人が住む国、日本のために、死ぬと、心に決めて、死ぬために、出掛けたのである。


それが、私だったらと、考えて、思考停止になる。


国の命令で、戦地に行け、そして、死ねと、言われて、さて、どうするのだろうか。

あまりにも、不本意で、不合理で、滅茶苦茶な、命令である。


徴兵制を言うだけで、侃々諤々の議論が起こる、国、日本である。

それでは、戦争で命を捧げた人を、損した人だと、思うのだろうか。

もう、関係ないのだと、思うのだろうか。


あの、時代に生まれたことが、不幸だったと、その一言で、片付けられる問題だろうか。


口を開けば、戦争反対と、言うが、それでは、その反対するために、何をしているというのだろうか。

世界の状況を、鑑みて言うとは、思えないのである。


湾岸戦争も、イラク戦争も、実際に起こっている。


日本の周辺には、核兵器を持つ国が、取り巻いている。

いずれ、核兵器が、日本に、再投下されると、私が言うのは、根拠がある。

この、今の日本人の、無意識である。


もう、そんなことはないだろうという、おめでたい、信仰である。

世界で、唯一、被爆した日本に、再度あるわけがないだろうと。

違う。

だから、あるのである。

原爆投下されたという、事実がある。

一番、原爆投下しやすい国になっているのである。


経済大国第二位の日本という国は、最も、テロリストたちの、狙いやすい国である。そして、再投下は、世界中を、震撼とさせる。

そして、最大のことは、キリスト教徒、イスラム教徒が、実に、少ない国である。

殺しても、世界を震撼とさせるのが、罪悪感は、少ない。


キリスト教国の中には、多くのイスラム教徒もいる。

同胞を殺す可能性が大きいのである。


それならば、最も適当な国は、日本である。


また、北朝鮮を見ても、アメリカと、取引するための、最後の手段として、日本攻撃がある。核兵器を使用して、その意思を示すことが出来る。

侵略の国、ロシアも、反日の国、中国も、日本を取り巻いている。


その民族性は、野蛮である。

自国民を、平気で殺すことが出来る民族である。それでは、他民族など、物の数ではない。


状況が、揃えば、いつでも、日本攻撃が、できるのである。


その時、国のためと、私は、命を投げ出すことが出来るのか。


そんなことを、考える間もなく、原爆によって、死ぬだろうが、もし、戦う必要があれば、殺される前に、相手を殺すと、銃を持つだろうか。


そんなことを、考えて、私は、トラック諸島の慰霊に向かうために、荷物の準備をする。


散華した、多くの霊位の声を聴くべくの、慰霊である。

死人に口なしという。

死者は、話さないという。

死ねば、終わりで消滅するめと、真顔で、言う者もいる。

それならば、なお、彼らの死は、何だったのか。


私は、散華した霊の声を聴く。

何故生きるのか。

死とは何か。

国を愛するとは、何か。


彼らの、思いを聴くのである。


人間の頭で、捏ね繰り回した、理屈を聞くのではない。

宗教や、哲学や思想の、言葉を聞くのではない。

実際、死を体験した、霊になられた、彼らの話を聞くのである。


私は、トラック諸島の慰霊のための、祝詞を書くことを、しない。

大祓祝詞を唱えるだけである。

私は、祝詞ではなく、話しかけるだろう。


清め祓いをするというのは、その場に留まり、無念の思いに、満ち満ちている霊位を、清め、そして、祓う。

清めは、その、満ち満ちる無念の思いを、浄化させ、祓いは、皇祖皇宗の元に、お戻しするという行為である。


しかし、靖国に行きたい霊位は、靖国に、故郷に戻りたい霊位は、故郷に、母の元に戻りたい霊位は、母の元に、である。

それ、以外の行為は、私には、出来ない。


宗教が言う、供養だの、天国にだの、極楽にだのという、妄想、妄語は、言わない。

供養の意味が違う。

天国や、極楽など、霊界には、無い。

あるという者は、嘘をついているか、勘違いしているのである。


霊界は、霊の世界であり、神も仏も無い。

在る訳が無い。


あると言う者は、人霊が、浮遊する人霊が、思い込んで言うのを、信じるからである。


人生は、後始末が、大切である。

しかし、戦争で、散華した人は、後始末が、出来ずにいる。


篤き思いにて、彼らに、哀悼の意と、追悼の意、慰霊の所作を行うことで、後始末として、貰いたいと思うのである。


彼らは、お隠れになったのであり、消滅したのではない。


イスラムの兵士は、アッラーのために、死ねば、天国にて、二十人の乙女が、待っていて、彼女たちが、世話をするという。

それは、現世の欲望を、来世にて、満足させえるという、実に、勝手なお話である。


それを、信じられるという、実に稚拙な、知能の程度である。


日本の伝統は、自然の中に隠れるとみる。

自然のうちに、あらゆるものが、隠れて在るということを、見抜いていた民族である。


それでは、行くのみである。

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2008年01月02日

トラック島慰霊の旅 2 平成20年1月23日

定刻通り、成田を午後八時40分に出発した。

グアムに向かう。グアムで、乗り継ぎするのだが、その待ち時間は、約八時間である。


グアムに到着したのは、深夜一時過ぎである。

それから、朝のチューク行き、8:20まで待つ。


グアムでは、一度入国審査を受ける。そして、更に、手荷物検査を受けるという、面倒さである。

乗り継ぎの場合は、そのまま、搭乗口に行けると思っていたが、それで、とんでもないことになる。


再度の、手荷物検査で、私の体が、どうしても、ビーと鳴ってしまうのだ。

何度、通っても、音が鳴る。

検査員の検査を受けることになり、通りの横にある、ブースに入る。


そこでも、棒が、反応する。

なんじゃ、これは。

検査員の鬼のような顔付きと、何度も、鳴る棒に、私は、キレた。


羽織を脱ぎ、日本は冬であるから、袷の厚い着物を脱ぎ、さらに、私は、逆上して、襦袢も脱いで、言った。

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実は、私は、少し、寝ぼけていた。

深夜であるから、飛行機では、眠っていた。眠ったまま、入国審査を受けて、再度の、手荷物検査である。

スムーズに行かないことが、腹立たしいのである。


危険物など、持っている訳が無い。

それは、今まで、和服を着ていて、疑われることもなく、特別扱いのように、丁重に扱われていたせいもある。


同行の野中が、向こうから見ていた。

私が、パンツ一つの姿になった時、俄かに、検査員たちが、どよめいたという。そして、検査官ではなく、事務所の方から、警官も来たという。

大変なことになったようである。

つまり、検査のことではなく、別の刑法違反になるのだそうである。

裸になったことに、対してである。


一人の男が、何かを言う。

私は、野中の方を見た。

「特別室に、って、言っているよ」


私は、それを聞いて、襦袢、着物、羽織と、着た。

そして、どうなるのかを、待った。

すると、一人の女性が、私のチケットを、差し出して、どこかへ行けと言っているようである。私は、航空会社に行けと言われていると、思った。

イッ ヒァー

と、下を指差した。

女は、頷く。


でも、よく解らない。

すると、黒人の検査員が、私を連れた。

私のチケットを持って、また、別の職員に渡して、何かを言う。

特別室に、行くのではなかった。


何をするのか、解らないのである。

黒人は、職員に、何か言うが、職員は、私のチケットを見て、「ああ、まだ、時間あるねー」と、日本語で言う。


少しの間があった。

どうするのか。


すると、再び、黒人の検査員が戻ってきた。

そして、渡したチケットを、また、取り、私に「こっちにきて」と、日本語でいう。


後に続くと、「こっちにきて」とまた、言う。

そして、再び、手荷物検査の場所に行き、私を通した。

そして、また「こっちにきて」と言う。


ビニールで仕切られた、ブースに入った。

「上着を脱いで」と英語で言う。

更に、着物も、脱げという。

襦袢だけになると、棒を取り出して、私の体を検査し始めた。

今度は、どこに、あてても、音はならない。

前や後ろと、検査して、異常無しである。


オッケー

あの、騒ぎは、なんだったのか。

黒人の検査員は、神妙に、私に話しかけた。私は、頷いて聞いたが、何を言うのか、解らない。野中が、来て、黒人と、話した。


要するに、黒人は、私が、裸になったから、いけなかったという。検査員の言う通りに、従っていればよかったのだ、と。


野中が、また、おかしな、英語を言ったらしい。

彼は、心臓が悪いので、少しのことで、カーッとすると。しかし、黒人は、野中の、ハートというのを、心が、悪いと、勘違いしたようである。


そのせいか、黒人は、私に、子供に話すように、何やら、やさしく説教をしているようだった。勿論、意味は、解らない。


このことは、グアム空港の、話題になったようで、帰りに、矢張り、乗り継ぎの待ち時間を、レストランで、お茶を飲んでいると、警察官が行き来して、何と、私たちに、話しかけるではないか。

あの日の、人だねと、野中に言うのである。


あーあ、である。

一度で、覚えられたのである。


さて、兎に角、不愉快な気持ちで、私は、搭乗口のロビーに行き、薄い毛布を広げて、休むことにした。

まだ、誰もいない、搭乗口前のロビーで、寝るなどとは、初めての経験である。


実は、余計なことだが、私は、観光地に旅行するという、あの手の旅行が嫌いである。

何もかも、揃って、準備万端、それに、乗せられて、楽しんでいる雰囲気を、楽しむという旅行である。

パックツアーにあるものである。

グアム行きは、そういう、若者で、溢れていた。

それらの、会話を聞いていると、ホント、具合が悪くなる。

グアムは、すべて作られている島である。観光客の金を目当ての、あからさまな架空の観光地である。

勿論、否定はしない。


ただ、私の趣味に合わないだけである。


どうしても、グアム経由しかないので、仕方なく、乗るのである。

飛行機は、寝るのが、一番であるから、寝る。


搭乗口のロビーで、寝て、何度か起きた。トイレに立った。

野中は、椅子で、寝ている。


朝、六時を過ぎたあたりから、人がポツリポツリと、入ってきた。

それでも、体を横にしていた。

七時になると、俄然、人が溢れてきた。

私は、起き上がり、椅子に座ることにした。


飛行機は、定刻通りに、出発した。

晴天である。

海の上を飛ぶ。

チュークに近づいて、下を覗いて、驚いた。

環礁の島々の海の、美しさである。


自然の脅威に触れると、本当に感動という言葉のみになる。

美しさは、脅威である。


それぞれの島の、浅瀬が、エメラルドグリーンに、輝いている。


こんな、場所で、軍艦や、大砲、飛行機による、戦いが、行われたというのが、信じられなかった。


着陸する飛行機は、海面すれすれに、飛んだ。

くらくらと、機体が揺れる。海に突っ込むのではと、思われた。

しかし、無事、着陸した。

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2008年01月03日

神仏は妄想である 22

それまでは「知」の最高形態としての位置を確保していた宗教が、いつのまにか「知」の対立物として、「知」の虚妄の意味を打破するはずの「感性」として登場するようになったのか。答えは簡単である。近代になって、知の領域においては宗教はとても近代科学にたちうちできなくなった。知に関しては、近代科学がそれまでの宗教のしめていた位置にとって代わった。その結果宗教は逆に、「知」に対立する領域へと逃げ込んだのである。それまでは、宗教知を克服すべきものとして出てきた「霊」も、やはり宗教的なものであった。つまり、「知」も「知の克服」も宗教の枠内にとどまった。ところが近代においては、領域が分断されて、近代科学が「知」の領域を、そしてその対立、克服の課題は「宗教」が担うようになった。近代科学は「知」の領域では宗教にとって代わることに成功したが、かつての宗教のように全人間的な支配の座につくことはできなかったからである。

田川健三氏は、一言も言わないが、宗教というものは、妄想であるから、どうにでも、理屈をつけることができるのである。あちらが駄目なら、こちらで、という風に。
兎に角、労働は、しないが、その代わり、屁理屈だけは、三人前である。

近代的な、合理主義に対して、宗教は、感性と、結びつけて、そこにこそ人間性と、宗教の根源的な、何かがあるというような、大嘘を言うのである。
宗教の本体は、虚、である。
虚、であるがゆえに、何とでもいえる。

その点、田川氏も、宗教にそのようなものを期待する、というところに近代の病根があるという。

その期待を、病根を裏返しに投影した虚像という。
病根を取り除けば、虚像も、自然消滅するという。

ここまで、分析されても、宗教家たちが、理解するのは、難しい。
要するに、彼らも、洗脳されているからである。
自己洗脳である。
一度、信じたものを、捨てる訳には、いかない。
疑惑が起こっても、安楽な生活を捨てられないのである。そして、今のところ、宗教は、潰れない。破産しないのである。

勿論、過疎地域の寺等々、田舎の寺は、廃墟になっているところ、多々ある。
また、新宗教に、取られて、信徒少なく、維持できないという。

巨大な、信徒の団体であったものを、破門した、日蓮正宗などは、最早時間の問題で、壊滅する。
トラック何台で、運んで来ていた、布施金の団体であった。
今更、悔やんでも、どうしようもない。
それのみか、宗門の方は、墓穴の堀り続けである。

その団体は、口汚く、宗門を攻撃するから、同じ穴の狢である。

要するに、座主からはじめ、信仰など、露ほどもないのである。
単に、支配欲と、金目当てである。
そんなことは、100年も前から、解っていたことである。

信仰と唱えていれば、それで、事足りた時代とは、少し変化している。
時代は、宗教の本質を、見極めてきたのである。

しかし、それだらかといって、霊感なるものも、矢張り時間の問題である。

オーラ測定器が出来て、オーラを見れるという人が少なくなった。
もう、誰も、有り難がることがない。
ただし、医者がそうであるように、矢張り人間の体温というものが、必要である。
その体温をあるように、見せかけて、詐欺をする者が、多数出てくる。
霊感、霊能商法である。

田川氏の論文は、一部のインテリに向けたものであり、下々の、騙される大衆には、効果が無い。

要するに、思考力が、非常に低く、知能のレベルも、低い故に、考えることが出来ないのである。
信じていれば、楽だから、信じるというのが、精々である。

すべてを、神に任せないさい。
髪の毛一本も、人間はどうすることも出来ない存在です。しかし、イエス様は、云々かんぬんと、勝手放題を言うのである。それに騙される者。

後々で、キリスト教全般に渡って、徹底的に、書くが、兎に角、カトリック、プロテスタント、聖書主義、新宗教等々、まあ、あれ程、勝手なことをよく、言うと思うのである。
その、聖書自体に、作為があり、イエスの言葉ではないと知ったら、どうするのだろうか。
しかし、大丈夫。
信じる者は、確実に、騙されるのである。

私は、実に、信仰深い者であるが、神仏は、妄想であることを、知っている。
神仏のみに、信仰という姿勢があるかといえば、全く違う。

神仏を信じて、騙されることが、信仰ではない。

信仰とは、生命への畏敬であり、それは、自然への、畏敬であり、全人的なものへの、畏敬である。

追々と書くことにする。

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トラック島慰霊の旅 3 平成20年1月23日

飛行機が、着陸すると、一人の男が、おじさんである、が、声を掛けてきた。

野中が話をした。

慰霊のために来たというと、どこですると聞く。

海上でと言うと、それなら、協力するということになり、彼は、名刺を取り出し、電話番号を書いた。

それでは後で、連絡するということで、私たちは、入国審査に向かった。


その、いかつい、おじさんは、大きなダンボールを担いでいた。グアムで、物を仕入れて来たのであろうと、察した。


平屋の鰊番屋のような、建物だった。

入国審査は、すぐに済んだ。

日本人は、私たちの他に、三人のダイバーがいた。

その三人とは、送迎の車で、一緒だった。

話はしなかった。


ホテルまでの道路である。

舗装されているところが、少ない。後は、ボコボコである。

大きな、水溜りもある。車は、大きな穴と、水溜りを避けて走る。

州都のある、島である。にもかかわらずの、道路である。

島の経済状態が、解るというもの。


最初に、私たちのホテルに、到着した。

チューク諸島の、ここは、モエン島、日本名、春島である。

モエン島には、二つのホテルがある。

もう一つ、ホテルの名があるが、現在のホテルは、二つだけなので、閉鎖しているのかもしれない。


料金は、私たちのホテルの方が安い。といっても、最低でも、一泊105ドル、一万円以上であるから、島の人から見ると、破格の金額である。


朝の11時頃である。


大きな、ベッドが二つある、また、大きな部屋だった。

テラスからは、海が見える。

しかし、安いのは、理由があった。

エアコンの室外機の音である。それで、ホテルのすべてのエアコンを、まかなっている。

ただ、その音には、慣れた。

それに、波の音が混じり、何とも不思議な音のハーモニーになった。


タイパンツと、Tシャツに着替えて、昼の食事のために、出かけることにした。

一番、心配していた、海上慰霊の準備が、思わぬところで、叶ったので、安心した。


空港から来た道を、歩いた。ホテルから、空港へ向かう道が、街である。

品揃えの少ない、小さな店、倉庫のような、スーパー、カトリック教会があり、私たちは、教会に、入った。


飾り気の無い聖堂である。

島には、カトリック、プロテスタントの教会のみ。島民は、100パーセント、キリスト教徒である。

キリスト教の歴史は長い。

スペインが、ミクロネシアに、来航したのが、1500年代である。

それから、統治の歴史がはじまる。

1886年に、スペインは、マリアナ諸島、カロリン諸島を含み、領有権を、宣言する。


当然、カトリックの信仰を持ってきた。


1899年に、スペインは、ドイツに、ミクロネシアの島々を売却する。

島には、スペイン人の血と、ドイツ人の血が入る。


統治、売却も、完全勝手な解釈である。


1914年に、第一次世界大戦が始まり、日本が、現在のミクロネシア連邦、パラオ、マーシャル、北マリアナを含む、ミクロネシア、南洋群島を占領する。

さらに、1920年には、国際連盟から、日本の委任統治が、認められる。

1945年の太平洋戦争終結まで、日本の統治下にあった。

おおよそ、30年間である。


チューク諸島の人々の、九割は、混血である。

最も多いのは、日本人である。

今は、その子、孫、ひ孫がいる。


私たちは、孫、ひ孫の人に、多く逢い、話を聞くことが出来た。


教会を出て、また、歩いた。


港の前の市場の前を通る。

だが、市場といっても、三枚ほどの板の上に、品物を乗せているだけである。

驚いたのは、海のものでは、カニだけである。

魚がないのである。

椰子の実、バナナ、ハバナの葉で包んだもの、花飾りという、程度である。


一人の、ばあさんが、私に、カニカニと言って、売ろうとする。

しっかりと、葉に包んでいるカニは、立派だった。


漁師の小屋が、立ち並ぶ。

港を眺めて、進んだ。

レストランなど、あるような雰囲気ではない。


港の外れの、倉庫のような、スーパーの前に来た。

その前に、レストランの文字がある。

オープンという看板が、掛けてあるので、そこに入ることにする。


韓国料理の雰囲気であるが、メニューを見ると、アメリカンが多い。

一番無難な、ハンバーガーを頼む。

私は、日本では、決して食べない。


その時、対応してくれたおばさんが、ツゥジィーさんという方である。

その方が、多くの情報を提供してくれた。

その母親が、日系一世であった。

六人兄弟の一番下の、娘だったという。


ツゥジィーさんは、時々、私たちの部屋に来て、アイスティーを、注いでくれた。

そのうちに、色々と、話が、始まった。


ツゥジィーさんが、子供の頃、そして、母親の時代、さらに日本統治時代と、戦争、戦後の話になった。

私たちは、身を乗り出して聞くことになる。

posted by 天山 at 16:39| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月04日

神仏は妄想である 23

宗教は「反合理主義」の場に逃げ込んだのだが、それは決して宗教の衰退を意味しなかった。はじめのうちこそ(18世紀から1960年ころまで)、「最高知」の王座を追われた宗教はぐんぐんと衰退していくように見えたが、うまい逃げ場にはいりこんで、逆に今ではかえって活気づいている。近代社会がそういう逃げ場を必要としているからである。近代合理主義の「知」は、その対立物としての「宗教」をかえって必要としたのである。近代合理主義がつきつめられればつきつめられるほど、それでは覆い切れない人間性が痛みはじめる。だから「逃げ場」の価値が高まる。

これは、特に欧米、そして、日本などの先進国に言える。
後進国、東南アジアなどの、宗教は、そうではなかった。
貧しさゆえの、伝統的行為としての、宗教であり、それによって、生活に救いが、見出せた。
富める者が、痛むのであった。貧しい者は、痛みを感じない。すでに、貧しいという、無意識の痛みを感じているからだ。

何を言いたいのかといえば、豊かさによって、人は、満足しないものであるということだ。
合理主義がつきつめられればと、田川氏が言う。
それは、先進国の富める人々のことである。

今日、明日の、食う、寝る、という、生活の中にある人々は、近代合理主義から、逃れていたというか、捨て置かれていた。

合理主義の、人間性を無視する、進み方に、人は、反合理主義の、宗教に、心のある場所を、許した。そうでなければ、皆々、精神病に陥る。
かろうじて、宗教という、妄想に身を委ねて、誤魔化すのである。

そして、その「逃げ場」がうまく温存される方が、近代合理主義も安心していられる。合理主義では割り切ることのできない領域には、合理主義は手をつけませんよ、というたてまえ上の保障を与えることによって、ほかのすべての領域では近代合理主義は横暴をきわめて暴れまわることができた。宗教の方も、「人間性の深み」という架空の領域を確保してもらうことによって、自分たちは、近代合理主義の横暴がその分を越えて「人間性の深み」にまで踏み込まないように監視しているのだぞ、という自負心を持つことができた。

巨大企業と、手を結ぶ宗教であると、思えばよい。
国家が、宗教を保護するのは、国民の、ストレス、苛立ち、激しい国家政策への不満を、分散して解消するために、ある、と言う、賢い者がいる。
人間性の深み、という、架空の領域を確保して、という、田川氏の見識は、正しい。
宗教を、人間性の深みとして、容認する、ずるい、大企業であると、思えばよい。

ところが、架空の領域を、許された、宗教が、何を勘違いしたのか、その気になって、布教、伝道をして、他の精神世界を、犯すという、過ちを繰り返すのである。

布教、伝道、折伏等々の、宗教的行為は、その、潜在意識が、不安と、恐れに満ち満ちていることを、知らないゆえのものである。
つまり、架空のもの、妄想を、一つでも、多くの人と、分かち合いたいと思うもの。

信仰とは、自己完結の、何ものでもない。
自己完結出来ない不安と、恐れを持つ人が、他の精神世界を犯しても、自分たちの、妄想の神を、伝えるという、行為に、おいて、少しの安心を得るという図である。

世界に広がる、何々宗と、喧伝して、安心するという様である。
教祖をはじめとして、そう思い込む。
教えが広がる、イコール、正しい信仰、正しい宗教と、思い込み、安心する。

教えが広がる程、魔的な、集団だとは、思わないのである。

隠れておいでになる、神を、喧伝するという、愚かしさ。

仏教国タイにおいての、プロテスタント等の、キリスト教の、布教などをみても、笑う。
まして、日本の偽仏教の、さらに、その亜流の新宗教などが、信者を獲得するために、布教する様は、滑稽を通り越して、悲劇である。

現地在留日本人を信者にして、更に、現地人を、信者に、獲得しようとする様、実に、見苦しい。

一神教のキリスト教などは、混乱を撒き散らすのである。
手のつけられない、アホな手法を持って、タイの若者を、騙すのである。
キリスト教の神以外の、神や、仏は、悪魔からのものであると、平然として教える。勿論、悪魔は、自分の方である。

キリスト教については、後で、徹底的に書く。

さて、田川氏の、文を続ける。

ニュートンだのアインシュタインだの、やや落ちるが湯川秀樹だのという「優秀な」自然科学者が、実に安っぽく愚劣に宗教を崇拝し、持ち上げる発言を繰り返した理由はそこにある。

そこととは、
近代合理主義の克服という課題そのものが虚妄なのではない。その看板を宗教に担わせたから、かえって、克服されるべきものと克服の課題であるはずのものが助けあって共存しはじめたのである。

本当のところ、近代合理主義で割り切ることのできる領域と、そうではない宗教的な「人間性の深み」の領域とを、分けることなどできはしない。人間にかかわるいかなる領域であろうと、「合理主義」で割り切り、ぶった切ってよい、などということはありえない。そういうことをしてよい領域は、一点たりとも存在しないのである。だから、そのように領域を分けることができると思ったこと自体が、大きな虚妄だったのである。そして、近代合理主義の側が実を取り、宗教が虚についた。

学者で、このような、明晰な分析をする人かいることが、救いである。

学者というものは、どちらかの、太鼓持ちになるのである。
決して、危険な発言はしない。
金にならないからである。
要するに、堕落している。勿論、堕落しているなどとは、思わない。だから、救いようがない。

田川氏の、論文は、宗教を越えるもの、である。

今こそ、知性を、総動員して、宗教を超えなければ、先が無い。

この、妄想を越えなければ、超えるともいう、そうしなければ、新世紀を生きられないのである。
その最大の、事は、戦争の虚である。
宗教とは、戦争の理由に、他ならないのである。

戦争反対を掲げるならば、宗教と、それに準ずる、イデオロギー、主義を、徹底検証しなければ、ならない。
それらは、虚であり、虚妄であり、妄想だからである。

人間を幸せにする、主義は、未だかって、現れていない。
民主も、社会も、共産主義も、支配者のためのもの。

人間を幸せにするものとは、食って、寝ることが、出来るということである。
それが、安心して、成るということである。
すべの、国で、である。
勿論、これは、私の祈りである。



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トラック島慰霊の旅 4 平成20年1月23日

私たちは、個室で食事をした。

ツゥジィーさんは、話に熱が入ると、私たちと一緒に椅子に座り、話を続けた。


ツゥジィーさんの、おじいさんである、日本人が、戦争中に、日本に戻った。そして、敗戦である。

母親の、兄弟である、長男が、父を訪ねて、日本に渡る。そして、見たものは、東京の焼け野原である。

父の居場所も、解らない。連絡も取れない。

皆で、日本で暮らそうとしたらしいのである。


しかし、ツゥジィーさん曰く、天皇陛下が、駄目だと、言ったと。

つまり、日本には、住めないということ、なのだろう。

ツゥジィーさんの口から、何度も、天皇陛下という言葉が出た。

彼女に取って、天皇陛下は、非常に親しみのある、それでいて、権威ある方なのであろうと、感じた。


その後は、父と離れ離れの生活である。

つまり、彼女のおじいさんである。

彼女の、母親の、上の兄弟たちは、皆、日本語を読めて、書くことが出来るという。


印象的だったのは、彼女の母親が話す、日本統治の頃の、チューク諸島の、素晴らしさである。現在のグアムより、凄かったという。


デュプロン島、日本名、夏島が、その当時、日本統治の主たる島であり、街が出来て、暮らしも、豊かであった。

今は、見る影も無いという。

その、夏島は、戦争時に、日本軍の様々な施設が、作られた。それは、現在も、跡地として、残っている。


戦争末期の悲劇は多い。

食べ物がなくなり、島民は、甚だしい食糧難に、直面した。

その時、多くの悲劇が起こった。


当時、中国、朝鮮からの、移民も多かった。

それらは、日本統治下にあり、日本人としての、入植である。

食糧難になると、中国人、朝鮮人が、現地の人を、借り出して、農地を開拓させて、働かせたという。

そこで、空腹の者が、働けなくなると、生きたまま、手足を縛り、生き埋めにして、殺したというものである。

それが、日本軍が、行ったと言われることもあるという。


また、現地人を、食べるというものである。

その犠牲になった家族が、戦後、日本に保障を求めた。

それは、中国人が、日本軍が、現地人を食べたという、噂を流したからであるという。

日本の、ある団体は、その家族に、大枚な、保証金を払ったという。どこの団体なのかは、察しがつくが、ここでは、省略する。


スペインからドイツ、そして、日本と、統治が変わったことにより、混血が、多く生まれた。しかし、中でも、日本人の血を持つ人は、日本人であるということで、誇りを持っているという。

勿論、彼女も、日本人の血が流れているゆえの、言葉であろう。

ドイツの血を持つ者は、ドイツに、誇りを感じているだろう。


さて、私は、遺骨の見世物について、尋ねた。


当然あるという。

ダイビングで、いくらでも、見ることが出来るという。

彼女は、見世物という言葉に、抵抗しなかった。


そして、この話は、多くの、現地人が、言うことであった。

遺骨は、見ることが出来る。

ただし、私が、産経新聞で、読んだ記事にあるようなものなのかは、まだ、確定してはいない。

更に、調べる必要があると、思った。


島の人は、遺骨を見ることを、簡単なことであるという。

そして、見世物という言葉にも、抵抗しなかった。


問題は、そこである。

当然と、島の人が言うのである。


その、当然という意味を、調べる必要がある。


私たちは、明日、慰霊を終えて、また、来ると、約束して、ツゥジィーさんと、別れた。


驚くべきことは、多かった。

それは、戦争、遺骨などの、ことだけではない。

この島の人々の暮らしに関してもだ。


ホテルに戻りつつ歩くと、皆々、私たちに、声を掛ける。

日本人かという声もあった。

日本人に対する、好意的な、声掛けは、凄いものだった。


後で知ることになるが、島民は、日本人に、実に友好的、好意的なのだそうだ。

当然である。

彼らの多くがに、日本人の血が流れている。

多くの言葉が無くても、何となく通じるということからも、それが、解る。

後半、特に、それを感じる出来事が、あった。


ホテルに戻り、少しの休憩をする。


私は、明日の追悼慰霊の、準備をした。

といっても、御幣を作る紙を取り出し、日本酒を用意して、今回は、祝詞だけの、慰霊の儀を行うと、決めていた。

経本のたぐいは、一切持って来なかった。


夕方になったので、野中が、海上慰霊をしてくれるといった、おじさんに、連絡するために、電話を掛けた。

部屋から掛けたのだが、出ない。

そこで、フロントに行き、そこの、公衆電話を使ったが、出ないという。


夜に、もう一度、連絡したが、出なかった。


私が、ホテルで、休み、準備をしている間に、野中は、ホテルの先、島の先端に向かって歩いたらしい。

そこで、出会った人々に、食事をご馳走になり、一人の男の子が、ガイド役で、着いて来てくれたという。

ガイド料が、二ドルであった。

彼は、それで、家計を支えていたということを、後で解る。


野中の話を聞きつつ、ホテルのレストランで、夕食を取った。

八時過ぎである。

ビールを注文した。

何と、アサヒビールが置いてある。

私たちは、バドワイザーを二つ頼んだ。

缶ビールである。350である。


その夕食は、二人で、30ドル以上、つまり、三千円以上であった。とても、料金が高いのである。

現地の人には、手が出せない料金である。

だが、私は、その時まで、それが、高いものだとは、知らない。当たり前に感じていた。


缶ビールは、日本でも、150円前後であるが、その倍以上の料金であった。


野中が、朝のうちに、慰霊をした方がいいという。

太陽が、まだ、登り切らないうちにしなければ、とんでもないことになると言う。

日焼けに慣れていない。

朝九時頃に、出掛けようということになった。

しかし、あの、おじさんと、連絡がつかないのである。


私たちは、もし、まだ、連絡がつかないようなら、直接、漁師たちの所に行き、交渉しょうということになった。

市場の横に、漁師たちが、たむろしていたからだ。


こんなに、早く寝ることはないと思いつつ、十時を過ぎて、私は、ベッドに着いた。


エアコンを切り、窓を開けた。

夜風が、ともて、心地よい。


少しの電灯で、外は闇だ。

ベッドから、丁度、満月に近づく月を見た。


兎に角、風が心地よいのだ。

posted by 天山 at 16:39| トラック島慰霊の旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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