2016年07月11日

もののあわれについて823

きのふ例ならず起きい給へりしなごりにや、いと苦しうして臥し給へり。年ごろかかる物の折ごとに、参りつどひ遊び給ふ人々の、御かたちありさまの、おのがじし才ども、琴笛の音をも、今日や見聞き給ふべきとぢめなるらむ、とのみ思さるれば、しさも目とまるまじき人の顔どもも、あはれに見えわたされ給ふ。まして夏冬の時につけたる遊びたはぶれにも、なまいどましき下の心は、おのづから立ちまじりすらめど、さすがに情をかはし給ふ方々は、誰も久しくとまるべき世にはあらざなれど、まづ我ひとり行くへ知らずなりなむをおぼし続くる、いみじうあはれなり。




昨日は、いつになく起きておいでになったせいか、今日は、酷く具合が悪くて、横になっていらっしゃる。年来、こういう催しのたびごとに、参集して、演奏なさる方々のお顔や、ご様子、それぞれの才能も、琴笛の音も、今日のこの日が、聞き納め、見納めであろうと、そういう気持ちでいらっしゃるので、それほど目に留まらぬ人々の顔も、しみじみと、あはれに一人一人、御覧になる。
まして、四季折々の音楽会にも、遊びにも、何やら挑みあう競争心は、いつしか交じりもしたろうが、それでいて、お互いに親切にし合う方々に対しては、誰しも、長く住める世ではないとはいえ、先立って、自分一人が行方も知らず、消えてしまうことを、思い続けになるのが、言いようも無く、悲しいのであった。

あはれ、という言葉が、多くなる。
それは、死を目の前にしているからだろう。




事果てて、おのがじし帰り給ひなむとするも、遠き別れめきて、をしまる。
花散里の御方に、

紫の上
絶えぬべき 御法ながらぞ 頼まるる 世々にと結ぶ 中のちぎりを

御返り

花散里
結びおく ちぎりは絶えじ 大方の 残り少なき 御法なりとも

やがてこのついでに、不断の読経、せん法など、たゆみなく、尊き事どもせさせ給ふ。御修法は、異なるしるしも見えでほども経ぬれば、例の事になりて、うちはへさるべき所々寺々にてぞせさせ給ひける。




法会が終わり、銘々がお帰りになろうとする、それも、永久の別れの思いがして、名残が尽きない。
花散里の御方に、


これが、私の、この世で催す、最後の御法要とは思いますが、それでも、生々世々にかけて、あなたとの縁は、頼もしく思われます。

御返事
花散
世間普通の御法要でございましても、結ばれた縁は、深いものでございます。まして、今日のこの盛大な御法要会で結ばれました、私達の仲は、後の世まで、絶えることはありません。

そのまま、御法のついでに、不断経、せん法など、怠りなく、結構なことを、数々勤めさせなさる。
御修法は、これという、効験も現れなかったままに、長いことになり、常のことになって、引き続き、適当な、所々、寺々で、やらせになるのである。




夏になりては、例の暑さにさへ、いとど消え入り給ひぬべき折々多かり。その事と、おどろおどろしからぬ御心地なれど、ただいと弱きさまになり給へば、むつかしげに所せく悩み給ふ事もなし。さぶらふ人々も、いかにおはしまさむとするにか、と思ひよるにも、まづかきくらし、あたらしう悲しき御ありさまと見奉る。




夏の季節になると、例年の暑さでも、気を失いそうになられることで、今年は、いっそう、それが度々起こる。どこといって、取り立てて、お苦しみになることはないが、ただ、すっかり弱くおなりのご様子で、むさくるしさ、激しいお苦しみもないのである。お傍に控える女房たちも、この先、どうおなりになるのかと、考えると、もう目の前が、真っ暗になり、もったいなく、悲しいご様子と、拝する。




かくのみおはすれば、中宮この院にまかでさせ給ふ。東の対におはしますべければ、こなたにはた待ち聞え給ふ。儀式など、例に変わりねど、この世の有様を見はてずなりぬなどのみ思せば、よろづにつけてものあはれなり。名対面を聞き給ふにも、その人かの人など、耳とどめて聞かれ給ふ。上達部など、いと多く仕うまつり給へり。




このようなご容態なので、中宮は、二条の院に、ご退出あそばす。東の対に、ご滞在あそばすはずなので、寝殿でも、お待ち申し上げていらっしゃる。行啓の儀式など、いつもと変わらないのだが、紫の上は、若宮たちの将来も、見届けずに終わってしまうと、思うと、何かに付けて、物悲しい。名対面をお聞きになっても、あれは誰、これは誰と、つい耳をとめて、お聞きになる。
上達部が、大勢お供申し上げた。

中宮は、紫の上が、育てた、明石の子である。

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2016年07月08日

もののあわれについて822

楽人舞人などのことは、大将の君とりわきて仕うまつり給ふ。内、東宮、后の宮たちをはじめ奉りて、御方々ここかしこに御誦経、捧物などばかりの事を、うちし給ふだに所せきに、ましてその頃、この御いそぎを仕うまつらぬ所なければ、いとこちたき事どもあり。いつのほどに、いとかくいろいろ思しまうけけむ、げに、いそのかみの世々へたる御願にや、とぞ見えたる。花散里と聞えし御方、明石なども渡り給へり。南東の戸をあけておはします。寝殿の西の塗籠なりけり。北の廂に、方々の御局どもは、障子ばかりをへだてつつしたり。




楽人や、舞人、その他のことは、大将の君が特別に、お世話をして差し上げた。
主上、東宮、皇后方をはじめ奉り、六条の院の御方々も、あちこちで、御誦経、捧物などのようなことだけは、ご寄進なさるので、それだけでも、ご立派なことなのに、それどころか、その当時は、この御法会の御用を務めないところはなく、大変物々しいことが、多数あった。
いつの間にか、あれこれとご用意されたのか、まことに、遠くの昔からの、御願なのだろうと察せられる。
花散里と申し上げた御方、明石なども、お渡りになる。上は、東南の戸をあけて、御座なさる。寝殿の西の塗籠が、御座所であった。北廂に、御方々のお席が、つい立だけをしきりにして、しつらえてある。




三月の十日なれば、花ざかりにて、空のけしきなどもうららかにもの面白く、仏のおはすなる所のありさま遠からず思ひやられて、ことなる深き心もなき人さへ、罪を失いつべし。薪こる讃嘆の声も、そこらつどひたる響き、おどろおどろしきをうち休みてしづまりたるほどだに、あはれに思さるるを、ましてこの頃となりては、何事につけても、心細くのみ思し知る。




三月十日のことなので、花の盛りで、空の景色も、うらうらと面白く、仏のおわすという、極楽の有様も、このようなところかと思いやられ、格別信心の深くない人でも、罪障がなくなりそうである。
薪こる行道の声も、集まった大勢の僧たちの声が、あたりを揺るがし、やがてその声も、静まり返り、その寂しさを、あはれにお聞きになるが、まして、死後のことを、あれこれお考えのこの頃は、何事につけて、心細く感じられるのである。




明石の御方に、三の宮して聞え給へる。


惜しからぬ この身ながらも 限りとて たきぎつきなむ 事の悲しさ

御かへり、心細き筋は、後の聞えも心おくれたるわざにや、そこはかとなくぞある。

明石
薪こる 思ひはけふを はじめにて この世に願ふ 法ぞ遥けき




明石の御方に、三の宮をお使いにして、申し上げる。

紫の上
惜しくもない、この身とは思いつつ、これを最後に、薪の尽きることを思うと、悲しいことです。

お返事は、心細いことを、そのまま申し上げては、後々、気の利かない、歌詠みと非難されると恐れてか、当たり障りのないものであった。

明石
今日の結構な法会をはじめとしまして、この後、この世で願う仏法は、遥かなり、千歳も長く、お仕えなさいますことでしょう。




夜もすがら、尊きことに、うち合はせたる鼓の声絶えず面白し。ほのぼのと明け行く朝ぼらけ、霞の間より見えたる花のいろいろ、なほ春に心とまりぬべくにほひわたりて、百千鳥のさべづりも、笛の音におとらぬ心地して、物のあはれも面白さも残らぬほどに、陵王の、舞ひて急になるほどの末つ方の楽、華やかににぎははしく聞ゆるに、皆人の抜ぎかけたる物のいろいろなばも、物のをりからにをかしうのみ見ゆ。みこ達、上達部の中にも、物の上手ども、手残さず遊び給ふ。上下心地よげに、興あるけしきどもなるを見給ふにも、残り少なしと身を思したる御心のうちには、よろづの事あはれに覚え給ふ。




夜もすがら、読経の声に合わせて、打ち鳴らす鼓の音は、鳴り続けて、面白い。
やがて、ほのぼのと明け行く、朝ぼらけの霞の間から、様々な花の色が、矢張り、春に心がとまりそうに、一面に輝き、百千鳥のさえずりも、笛の音に負けない様子で、すべての悲しさも、楽しさも、ここに極まると思われたとき、陵王の舞は、急の調べに差しかかり、終わり近い楽の音が、華々しくにぎやかに聞えると、一座の人々の、脱いでは掛ける衣の色々も、折からの情景に溶け合い、いかにも、面白い。
親王たち、上達部の中でも、この道に堪能な方々は、技を尽くして、演奏される。身分の上下に関わらず、気持ちよさそうに、興じているのを、御覧あそばすにつけても、この世には、あとわずかと、思う心のうちには、何もかもが、悲しみを誘うのである。


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2016年07月07日

もののあわれについて821

御法 みのり

紫の上いたうわづらひ給ひし御心地ののち、いとあつくなり給ひて、そこはかとなく悩みわたり給ふこと久しくなりぬ。いとおどろおどろしうはあらねど、年月かさなれば、たのもしげなく、いとどあえかになりまさり給へるを、院の思ほし嘆くこと限りなし。しばしにてもおくれ聞え給はむことをば、いみじかるべく思し、みづからの御心地には、この世にあかぬことなく、うしろめたきほだしにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめまほしき御命とも思ほされぬを、年頃の御契かけ離れ、思ひ嘆かせ奉らむことのみぞ、人知れぬ御心の中にも、ものあはれに思されける。のちの世のためにと、尊き事どもを多くさせ給ひつつ、いかでなほ、本意あるさまになりて、しばしもかかづらはむ命のほどは、行ひを紛れなくと、たゆみなく思し宣へど、さらに許し聞え給はず。




紫の上は、大変な病気をなさってからは、酷く、病弱におなりになって、どこということもなく、優れないご容態が、ずっと続けている。特に、重症ということではないが、長い年月になるので、望みなさそうに、益々弱々しくなられているので、院、源氏のご心痛は、この上もない。
暫くの間でも、後に残ることを、堪え難く思いであり、ご自身は、この世の栄華を見尽くした気になる、御子たちさえない身の上ゆえ、しいて、この世に生き続けたい寿命とも、思わないのである。だが、長年のお約束を違えて、お嘆きをおかけ申すことになるのだけが、人知れぬ胸の内にも、お悲しみを誘うのである。
後の世のためと、仏事を、様々にお営みになりながらも、何とかして、矢張り出家の本意を遂げたいと、少しでも続く命の限りは、勤行一途に暮らしたいと、始終お考えであり、仰せもなさるが、院は、どうしても、お許しにならないのである。




さるは、わが御心にも、しか思しそめたる筋なれば、かくねんごろに思ひ給へるついでに催されて、同じ道にも入りなむと思せど、ひとたび家を出で給ひなば、かりにもこの世をかへりみむとは思し掟てず。のちの世には、同じはちすの座をも分けむと、契りかはし聞え給ひて、たのみをかけ給ふ御中なれど、ここながらつとめ給はむほどは、同じ山なりとも峰を隔てて、あひ見奉らぬ住みかにかけ離れなむ事をのみ思しまうけたるに、かくいとたのもしげなきさまに悩みあつい給へば、いと心苦しき御ありさまを、今はと往き離れむきざみには捨てがたく、なかなか山水の住みか濁りぬべく、思しとどこほるほどに、ただうちあさえたる、思ひのまま道心おこす人々には、こよなう後れ給ひぬべかめり。




それというのも、院ご自身の、お心にも出家は、ご決心されていることなので、こう熱心にいられるのを機会に、同じ修行の道に入ろうとも、思いになるのだが、一旦、家を出て、仏門に入る以上、仮にも、この世に思いを残すことがあってはならないと、かねての覚悟なのである。
あの世では、一つの蓮の座を分かとうと、お約束なさり、それを頼みにしていらっしゃる、御仲ではあるが、この世での、修行の間は、同じ山にお入りになるにせよ、峰を隔てて、顔も見られぬ住まいに、別々に、住むものと考えるので、かように、頼りないご様子で、病の床に、臥していられると、この気の毒なお姿を、いよいよ、世を逃れて、家を出ようという場合には、捨てにくくて、かえって、清い山水の住まいが、濁るであろうと、ためらっておいでのうちに、ほんの浅い考えで、思うままに、道心を起こす人々に比べて、随分と立ち遅れてしまうことである。




御許しなくて、心ひとつに思し立たむも、さま悪しく本意なきやうなれば、この事によりてぞ、女君は恨めしく思ひ聞え給ひける。わが御身をも、罪軽かまじきにや、と、うしろめたく思されけり。




御許しなく、ご一存で、思い立ちになるのも、体裁が悪く、不本意のようでもあるので、この一事により、女君は、源氏を恨めしく思うのである。そして、ご自分をも、罪障が軽くないのではないかと、気がかりに、思うのである。




年ごろわたくしの御殿にて、書かせ奉り給ひける法花経千部、いそぎて供養じ給ふ。わが御殿と思す二条の院にてぞし給ひける。七僧の法服などしなじな賜はす。物の色縫目りはじめて、清らなること限りなし。おほかた何事も、いといかめしきわざどもをせられたり。ことごとしきさまにも聞え給はざりければ、くはしき事どもも知らせ給はざりけるに、女の御おきてにてはいたり深く、仏の道にさへ通ひ給ひける御心のほどなどを、院はいとかぎりなしと見奉り給ひて、ただおほかたの御しつらひ、何かの事ばかりをなむ、営ませ給ひける。




長年の、発願で、お書かせになった、法花経千部を、急いで供養される。
ご自分の御殿と思う、二条の院で、なさった。七僧の法服など、それぞれに相応しく、お与えになる。その色合い、仕立て方をはじめとして、美しいことは、言いようもない。誰が見ても、万事たいそう厳かに仏事をされたのである。
大げさなようには、申し上げならなかったので、院、源氏は、詳しいことは、ご存知ではなかったが、女の指図としては、行き届いており、仏道にさえ通じていられる、お心のほどを、源氏は、どこまでも、出来たお方と、感じになり、ほんの少しの、飾りつけや、何かのことだけを、お世話なさった。





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2016年07月06日

生きるに意味などない15

さて、フェニックスに戻る。
意味の領域・・・副題は、一般教育の考察、である。
つまり、教育学というもの。

何でも、学をつければ、いいというものではないが・・・
学者は、好きなようで・・・

学問の種類も、多岐に渡る時代である。
心理学などは、何でもかんでも、・・・心理学と名づけている。
呆れる。

教育課程の作成には、学習の範囲と順序に加えて内容の選択と組み立ての原理が必要である。習得するために入手できる莫大な量の知識があるので、教育者はこの文化の全蓄積からわずかな部分を学習計画に取り入れるために選択する仕事に直面している。・・・
知識の過剰は現代社会の欲求不満と無意味性の原因の一つである。素材の団塊を、理解できる大きさに還元できる確かな標準ができるならば、それは意味の探求に大きな貢献しなる。
フェニックス

ここでは、大嘘を書いている。
まず、教育者が、膨大な知識を得ているなどとは、あり得ない。
教科書で、精一杯である。
また、その指導要領など・・・

知識の過剰が、欲求不満と無意味性の原因の一つ・・・
嘘である。

この本を選んだのは、単に、書棚にあったからである。
別に、作為はない。

教育学で、まともに、このような本を読んでお勉強するという、愚かさ。

一人の人間の知識など、たかが知れたものである。
まして・・・教師・・・
教師にしかなれないから、教師になる。
あるいは、教師としてしか、生きられないから、教師になるのである。

人は、成りたいものになるのではない。
成らざるを得ないものに、成る。

無意味性の他の原因は現代生活の急激な変化であり、また学習した多くのことが、すぐに時代おくれになることが想起されるであろう。ここでもまた教育課程の内容が変化することが一般化したさなかにあって、ある程度の恒常性をもてるような選択ができるならば、意味の拡充に著しい貢献ができる。
フェニックス

時代は、いつも、激動している。
この人の、論調では、化石になってしまうだろう。

意味より、何故、無意味性を追求しないのか・・・
不思議だ。

世代間の差は、著しいのである。
一歳と、十歳を比べてみると、いい。

低年齢の場合は、まだ、救いがある。
しかし、次第に、年齢が高くなってくると、その差は、益々、開く。

世代間、そして、個々の人で、全く違う。
日本の教育では、飛び級などないが・・・
飛び級のある、国もある。

当然である。
個人差である。

平等などという、へんてこな言葉に騙されて・・・
皆、一緒くたにしてしまうのである。

平等などという言葉に、意味は無い。
ただ、幻想である。

たとえば、自由と平等・・・
これくらい、おかしな言葉もない。
それが、あると、信じられているから、また、おかしい。

自由で、平等などという世界が、何処にある。
自由なら、個人差を求める。が、平等なら、個人差を認められないのである。

全く対立する概念を、当たり前のように、考えている。または、考えさせられたのである。私は、笑う。

運動会に、皆、一等だという、平等主義が、いかに、おかしいか。
それでは、自由は、何処に消えた。

学者は、分析が得意であるから、この人の、学習内容の分析も、見ることにするが・・・

一体、誰の策略に乗って、このへんてこな、概念を組み合わせたのか。
一度、真剣に考えてみる価値はある。

私に言わせれば、自由も、平等も、何処にも無いのである。
そして、それが、理想的だという神経も、わからない。

そうすると、哲学の世界に飛ぶ。
だが、哲学の世界も、実は、無意味性については、お手上げである。
何故か・・・

哲学の世界こそ、意味付けの世界である。
七転八倒して、意味を見出す行為が、哲学である。

その哲学の、未熟児が、神学という、学問とは、言い難いものである。
それについては、これから、延々と書きつけることにするが・・・

結果、終わらないエッセイになる。
そんなことは、解って、書いている。


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2016年07月05日

生きるに意味などない14

岸田氏の論調を、私が言えば、人間が大脳化したことにより、神経症に陥ったということになる。

無益な大脳化である。

しかし、後には戻られない。
そこから、出発するしかないのである。

人類は、七転八倒して、生きる意味を探してきた。
そして、辛うじて、蜃気楼のような、意味を見出して、自分に言い聞かせて、生きて来た。ご苦労なことである。

一番手っ取り早いのは、神仏という、妄想であるが、別エッセイで、神仏は妄想である、を書いているので、あまり、それには、触れないで書くことにする。

神仏を取り入れると、すんなりと、意味を見出すことが出来る。
また、宗教の開祖の言葉を信じきって、生きれば、なんとなく、生きられる。

それが、ウソでも、何でも言いのである。
それに、しがみついていれば、何とかなるのである。

輪廻転生という、考え方も、まともであるが、実際、それがあっても、ここ、ここに生きる私は、ただ、一人なのである。
来世があるとしても、今の私は、ただ一人の私である。

宗教の次に、主義というものがある。
これも、実に、妄想である。
そんなものは、無い。あるはずが無い。

民主主義・・・共産主義・・・
本当に、機能していると、考えているのだろうか。
それらに、属すると思っている人たちは、単なる、宗教の信仰と変わらない。

つまり、主義を信仰しているのである。

民主にせよ、共産にせよ・・・
一体、実態は、あるのか。無い。

だが、それで、意味付けを行うという、愚かなことをしている。
政治家・・・
悲しいことに、気づかない。
いや、気づいても、後には戻れないのである。

辛うじて、それを信仰する振りをして、政治家をしている人もいるだろう。
だから、政治資金に、いつも、問題が付きまとう。
自らを律しなければ、政治家など、やっていられない。
そして、彼らは、ウソをつく。

何も、韓国、朝鮮人、中国人だけが、嘘つきなのではない。
世の中の、政治家は、皆々、嘘つきである。

勿論、学者も、その仲間。

そんなことは、皆々、解っていて、解ったことを知らせず、世の中の権威に従う。というか、権威も、実は、無いのであるが、権威を付けるという、演技を演ずる。

何も意味のないことに、意味を見出す人間の性である。
この、性とは、さが、と読む。
性とは、そのようである、そのように生まれついた、のであるという意味。

人間は、その性から、逃れることは、出来ない。
つまり、絶望的な生き物なのである。

全く、生きるに意味などない、のである。

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2016年07月04日

生きるに意味などない13

われわれは、まず「食べられるもの」という範疇に入れた上でなければ、何も食べることができないし、そもそも食欲が起こらない。料理とは、栄養物を「食物」という概念に入れるための作業である。「恋愛」という言葉を知らないうちは恋愛することができない。
生まれてきた赤ちゃんを「自分の子」という概念に入れてはじめて愛情がわく。
相手を「敵」とか「悪人」とかの概念に入れてはじめて攻撃行動を起こすことができる。
要するにわれわれは、言語がなければ何もできない。
人類が自然的世界から逃げ出し、文化をつくり、社会を築いたということは、いいかえれば、自然的世界から言語化しにくい部分を排除し、言語化しやすい人工的世界をつくったということである。
岸田 改行は私

言語化しやすい、人工世界の中で生きているということ。
それは、また、つまり、我が内でも、そのように言語化しているということである。

言葉がなければ、始まらない。
そして、その言葉は、イメージなのである。

そのイメージが、幻想、妄想に近づく。
恐ろしいことに、我が内でも、幻想、妄想が現実的に、感じられるという、障害を身につけている。

そんな中で、言葉を捏ね繰り回すと、どういうことになるのか・・・
哲学思想というものも、蜃気楼になる。

ただし、日本人は、民族的に、自然に近い、生活を送ってきた。
自然は、対立するものではなかった。
それが、日本の精神に生かされている。

上記の、岸田氏の、論調は、特に強く、欧米の文化を表現していると、思われる。
勿論、日本人も、今では、それに陥る。

言葉巧みな人は、それに陥り、それが元で、どこかで、失敗する。
賢い馬鹿という人たちは、特に、その穴に落ちる。

どこからでも、論理矛盾を突かれることになる。

ただし、私には、論理矛盾は、ない。ただ、論理破綻があるだけである。

言葉の世界は、最初から、実は、破綻しているのである。

要約すれば、言語は、現実との直接的接触を失い、現実の対象への直接的反応ができなくなり、現実と遮断されたエスのなかでばらばらなイメージを増殖させたわれわれが、それらのイメージを材料に、失われた現実へ戻る代理の通路として構築したものである。
はじめにわたしが、言語は人類の根源的な神経症的症状であると言ったのは、このことを指している。

言語こそが人類の神経症の一時的症状であって、それとの比較で言えば、一般に神経症的症状と呼ばれているものは二次的症状に過ぎない。
別の観点から言えば、言語とは、その意味を了解する他者が存在する神経症的症状である。
ラカンは、無意識の言語のように構造化されているといったが、むしろこの関係は逆であって、神経症的症状としての言語が無意識(エス)のように構造化されているのであり、エスのイメージから発した言語がそうであるのは当然のことである。
岸田 改行は私

言語の起源、という、岸田氏の、論文を借用したが・・・

あえて、説明は不要である。

言語化されないということは、共同化されないということ・・・
つまり、孤独に陥る。
だが、それは幻想だったのだ。

単なる思い込みの、共同化である。
実際は、絶対孤独の中にあるのが、人間である。

生きるに意味などない、というのは、実は、言葉が、幻想、妄想であり、そこから発する言葉による、意味付けというものは、無益なものなのである。

だから、この、生きるに意味などない、という、私の考えを、延々と続けて、検証していく必要がある。

その前提が、言葉というものに対する、了解度である。

ただし、人間のイメージというものは、実に恐ろしく、それによって、人類は、様々な、発展を生成してきた。

最初に、イメージなのである。
イメージを言語化することは、神経症の症状を生むが、芸術行為にある、イメージは、また違った価値観を持つと、私は、言う。

もう一つ、岸田氏の、論文からは・・・
言語的表現には、その字句の何倍もの意味が、隠されている、背後に控えている、という発言である。

その際たるものが、日本の和歌、俳句の世界だろう。

極めて、言語化の局地まで行き渡り、言語化の、ギリギリのところまで、追い詰めて、描いた言葉の世界である。

和歌の一つを、延々と説明するのが、西欧の思想である。
言葉を重ねて、更に重ねて、説明を尽くすが、それでも、まだ足りないのである。

あるいは、禅などの思想も、語り尽くすということをすれば、逆に、迷路に入り込む。

本当は、単に、シンプルと言えば、済むことだが、済まない人たちがいる。

万葉集の一種を、説明尽くす努力をしている、外国人を知る者だが、本当に、ご苦労なことと、察するのである。

語れば、語るほど、真相とは、掛け離れる。

言葉とは、そういうものである。
何せ、イメージなのであるから。

posted by 天山 at 05:48| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月01日

生きるに意味などない12

言語は、イメージを言語化すると同時に現実を言語化し、両者を同じ言語の土俵にのせることによって両者のあいだの裂け目をつなごうとする試みであるが、前述のようにイメージは中途半端にしか言語化し得ないし、言語化された現実はあくまで言語のスクリーンに投影された現実であって、本来の現実ではなく、いわば擬似現実に過ぎない。
岸田

これが、我が精神の中でも、行われている。
人と人の、関係ではなく、私の中でも、行われているという、意識である。

そうすると、話は、また、どんどんと深くなる。

本来の現実ではない、擬似現実で、七転八倒している、人間である。

最初から、岸田氏は、神経症と名づけているので、よく理解出来る。

それでは、私は、当然そのようであり、人間は、実は、現実というものを、感得しているのかと、思われる。
しかし、世界では、様々な紛争、戦争により、厳しい現実を生きる人たちがいる。
そこから、遠く離れた日本の人たちは、彼らの現実を感得することは、難しい。

ただ、知ることは、テレビ、新聞などで報道される、写真、記事である。
それも、言語であるから、本当に、彼らの現実を知ることは出来ない。

あえて言えば、少しばかりの、想像である。

また、地震災害などの、被災地である。
そこに、ボランティアとして出掛けて、少しは、現実の様子を知る。しかし、被災した人たちの心の内までは、解らない。

岸田氏は、そういうことを言うのではないが・・・
人類の基本的な、疾患として、言語を捉えている。

更には、その現実にいても、現実を理解出来ない場合もある。
あまりにも、悲劇であり、心、精神が受け付けない。

ただ、不安に恐れおののいているだけである。

動物の叫び声の種類とくらべて人間の言語の語彙がべらぼうに多いのは、言語の豊かさの証ではなく、貧困さ、機能不全の証である。
本当に欲しいものなら一つですむが、それが得られないので代用品をたくさんかき集めるかのように・・・
岸田 改行は、私

人間の精神活動である、言葉の世界は、そのようである。
代用品を沢山つくる。

そして、その代用品の言葉が、本当のものだと信じる。
そして、意味付けする。

意味付けする前から、もう、実は、終わっているのだ。

一番、手っ取り早いのは、神、仏などという、極めて抽象化された、モノである。
神の御心、仏の思し召し等々・・・
あっさりと、精神世界を、それらに明け渡す。

それで、勝手気ままに、意味付けを行う。
勿論、皆々、幻想、妄想なのであるが・・・

実に、救われない、人間の有様である。

しかし、贅沢は言っておれない。われわれは言語化された現実しか知り得ない。言語を失えば、われわれにとって現実の世界は崩壊する。われわれの行動は支離滅裂に分解する。というのも、われわれはイメージにしか、そしてイメージを基盤として成り立った言語にしか反応し得ないからである。
岸田

恐るべき、真相である。

posted by 天山 at 05:54| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月30日

生きるに意味などない11

言うまでもなく、まず言語は、対象そのものではなく、イメージと結びつくのである。最初の言語が、それが指示する対象が不在のときに発せられたことは間違いない。言語が指し示すのはイメージである。
言語は、現実の対象を記述するためではなく、各人それぞれ勝手な方向に歪んだばらばらのイメージ、私的幻想から何とか共通の要素を抽象して共同の一般的イメージをつくり、各人のあいだのコミュニケーションを可能にするため、そして、それらの共同の一般的イメージをまとめて共同幻想とし、それを足がかりとして、いったん見失った現実を取り戻すために発明されたのである。
岸田 改行は私

見失った現実・・・
何故、見失うことになったのか。

二本足で、立ち上がり始めた人類が・・・
過酷な自然を相手にして、生きてゆくうちに、大脳化により、イメージを持つことになった。
そして、イメージから、共同幻想としての、言語を発明する。

更に、文化、文明化により、人類は、高度な言語体系を作り上げた。
と、そこまでは、よい。

言語が先行し、イメージが先行して、より遠く現実から、離れてゆく。

しかし、現実とは、何か・・・

最初の言語が、それが指示する対象が不在のときに発せられたことは間違いない・・・
との、指摘であるが・・・

その最初から、人類の悲劇が始まる。

私的幻想から何とか共通の要素を抽象して共同の一般的イメージをつくり、各人のあいだのコミュニケーションを可能にするため・・・
そして、不安定なコミュニケーションを取り始めた。

誤差が生じても、通じる言葉の意味・・・
だが、それは、いつか、破綻する時が来る。
両者の利害が一致しない場合など。

よく売れる本が、多くの人に共感されたというが・・・
単なる、勘違いもある。
更に、読み込む人の想像が逞しく、幻想が逞しく、ということもある。

書いた本人よりも、より深く、言葉を味わう人もいる。

言語は、ある程度この役割を果たしたが、もちろん完全には成功していない。完全に成功することはあるまい。個人のもつイメージをあますところなく言語化することはできない。つねに言語化されない部分が残る。言語化されないということは、共同化されないということ、現実から遮断されたままであるということである。
岸田

ところが、これが、我が内の中でも、起こるのである。
私のテーマは、それである。

個人の持つイメージを、あますところなく、言語化することは、出来ない、というならば、我が内でも、そうなのである。

赤ん坊が、言葉に出来ない思いを、泣くという行為に委ねる。
大人でも、そうである。

心の内を、すべて説明し尽くすことが出来るのか。

生きるに意味などない、とは、このことである。
必死になって、生きる意味を見出す行為は、賞賛に値するが・・・
実は、徒労に終わることである。

残る行為は、ただ、何物かに、我が身を、我が心を任せるという、信仰状態である。
信じるという、嘘偽りの行為である。

勝手気ままに、救われるという、感性である。

ただ救いはある。

言語的表現には、つねに、その字句通りの何倍もの意味が隠されて背後に控えている。言葉はつねにその字句通りの意味を裏切る。時が経つにつれて言葉の意味がずれていったりするのは、そうした背後の意味の方へ引きずられるからである。
岸田

言うに言えない思い、という感覚がある。
だから、一つの民族には、それを鑑みての、言葉が出来る。

日本の場合は、あはれ、という言葉である。

もののあはれ
その言葉に、言葉の背後の思いを託すのである。

その背後の思いを託す言葉の意味を、云々という人たちがいる。
それも、意味を問うというものである。

実に、愚かしい。

蜜蜂のコミュニケーションに誤解はあり得ないが、人間の言語的コミュニケーションは誤解に満ちている。
岸田

各人がそれぞれ独特なばらばらのイメージをもっており、そして、言語がイメージを基盤として成り立っているかぎりにおいて、誤解なき言語的コミュニケーションはあり得ないであろう。
岸田

私は、それが、我が内でも、成されるという。

簡単に言えば、泣いている人は、泣いていない、自分というものを、見ている、ということである。

posted by 天山 at 06:19| カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月29日

玉砕135

聖断を受けて、外務省は、日本の宣言受諾意思を、海外、特に連合軍将兵に、早く知らせる必要があると、同盟通信および日本放送協会首脳の同意を得て、10日夜、ひそかに、海外に向け放送した。

この海外向け放送は、発信後二時間たらずで、まず米国の反響を得て、数時間後には、全世界に波及したことが、認められた。

8月12日午前零時45分頃、外務省、同盟通信および、陸海軍の海外放送受信所は、米国の回答を傍受した。
そのなかで、
天皇および日本国政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施のためその必要と認める措置をとる連合軍司令官の制限のもとに置かれるものとす
と、あり、および、その他の個所が、政府および軍首脳のあいだに、再び、波紋を投げかけた。

当初は、外務省ですら、連合国側の回答を、明確なる意思表示を避けて、解釈、および推測を受け取る側に任せた点が多いとみた。
しかし、結局は、すべての条件を呑むしか術はなかった。

であるから、陸海軍両統帥部の反応は、いうまでもなく、強硬であった。
即時、受諾反対を決めて、梅津参謀総長、豊田郡司令部総長は、12日午前、国体護持の見地から、受諾不能を、列立上奏した。

阿南陸相も、同日午前、鈴木首相に、妥協反対を申し入れ、更に、平沼枢密院相も鈴木首相に、同様の主張をした。

ついに、異例中の異例である、二回目の御前会議が開かれる。

問題は、
天皇及び日本政府の国家統治の権限は・・・連合国軍最高司令官に制限の下におかれるものとする・・・最終的な日本国の政府の形態は・・・日本国民の自由に表明する意志により決定すべきものとする・・・
である。

天皇の存続に関しては、触れずに、国民の自由な意志で決める、としていること、天皇は、総司令官に従属するという言葉だった。

政府は、従属を、制限の下におく、と、和らげて訳していたが、陸相、両総長は、
これは日本を属国とすることである。国体に変更を加えないことを絶対条件にせよ
と、譲らないのである。

天皇は、阿南陸相に、
阿南、心配するな、朕には確信がある
と、優しく宥めた。

アメリカは、日本の天皇の存在を知らない。
国民が敗戦後に、天皇を見捨てると考えたのだろう。
白人の、浅はかなところである。

統治形態を国民の自由な意志で決めるという点に関しても、天皇は、
たとい、連合国が天皇統治を認めてきても、人民が離反したのでは、しょうがない。人民の自由意志によって決めてもらって、少しも差し支えないと思う
との、お言葉である。

この、お言葉に、歴代天皇の御心がある。
人民が離反する・・・
それは、天皇には、考えられないのである。
いつも、人民の側に立って、為政者に意見してきた天皇の、歴史である。
力によって、天皇の地位が成り立ったのではない。

見えざる権威が、天皇を天皇たらしめたのである。

二度目の御前会議には、新たに、陸海軍省の軍務局長、内閣書記官長らも加わり、首相以下、11名である。

ここに重ねて聖断をわずらわし奉るのは罪軽からずと存じますが、反対の者の意見も親しくお聞き取りの上、重ねて何分の御聖断を仰ぎたく存じます。
首相の言葉に、抗戦派は、最後の機会と、必死になり、涙さえ交えて、訴えた。

特に、阿南陸相は、溢れる涙を拭きもせず、ときに慟哭して、降伏反対を唱えた。
なみいる一同は、寂として、声なく、天皇もたびたび眼鏡を持ち上げて、白手袋を目蓋にあてた。

陸相発言のあと、静まり返る席上を見渡して、天皇は、決然と語り始めた。

ほかに別段の発言がなければ、私の考えをのべる。これ以上、戦争の継続は無理だと考えている・・・国体についての不安はもっともなことだが、先方も相当好意をもつと解釈し、そう疑いたくない・・・自分はいかようになろうとも国民の生命を助けたい。

この際、私になすべきことがあれば、何でもいとわない。私はいつでもマイクの前に立つ。将兵の動揺は大きいだろうが、陸海軍大臣は努力して、よく納めてほしい。

諄々と説く天皇に、一同は、嗚咽しつつ、聞き入っていた。
そして、
自分がいかようになろうとも・・・
と、声を震わせた天皇が目頭を押さえると、全員、号泣して、天皇の声が、かき消されるほどだった。

ここで、再度言うが、日本の天皇とは、君臨すれども、統治せず、なのである。
つまり、日本の民主主義の、あり方である。

天皇は、国民の様々な意見を取り入れて、そこで決定したことを、承認されるという、形である。

アメリカにより、民主主義が輸入されたと、考えるものではない。
日本が持っていた、民主主義なのである。

天皇を、テンノウと読むのは、漢語である。
すめらみこと、と、大和言葉では、読む。

すめら、とは、頭、かしら、である。
であるから、その前身は、大政頭、おほまつりごとかしら、である。
それでは、民の代表は、政頭、まつりごとかしら、である。

また、すめら、とは、統べる、すべる、とも意味する。
みこと、とは、お言葉を発する人である。

御言、みこと、である。

政頭が、揃って話し合い、決まったことを、承認し、伝える御立場が、天皇の姿である。

王でも、皇帝でもない、天皇なのである。
大和言葉によって、はじめて、日本のことが、解るのである。

posted by 天山 at 06:09| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月28日

玉砕134

天皇は、報告に来た東郷外相に、
このような新兵器が使われるようになっては、もう戦争を続けることはできない。不可能である。有利な条件を求めては時期を失するから、速やかに終戦に向けて努力せよ
と、厳命した。

そして、9日のソ連参戦である。

精強を誇り、暴戻を極めた関東軍も、相次ぐ南方への兵力送出で、抜け殻となっていた。
各前線において、ひとたまりもなく、消え去り、満州は、たちまち、ソ連の手の中に入った。

将兵の大半は、ソ連へ拉致され、劣悪な条件化で歳月を重労働に駆り出された。
また、一般人も、掠奪され、婦女子は暴行を受け、母子は、離散した。

これは、民族のある限り、語り継ぐべき汚辱であり、悲劇である。

ソ連、現在のロシアは、その謝罪も、一切していない。

私は、その一般人が受けた様々な、悲惨な状況を知るが、ここに書くことは出来ない。それは、あまりに、残酷、無残であるからだ。

信じられないような、悲劇が繰り広げられたのである。

一体、ソ連にそこまでされる、理由は無い。

ソ連以前の、ロシアという国柄は、ただ、ただ、侵略を国是とする国である。
絶対に、油断できない、国であり、相手である。

鈴木首相は、最高戦争指導会議を招集して、ポツダム宣言への、対処を討議した。
総勢六名である。
三時間に渡る白熱の議論だったが、意見の一致を見ないのである。

天皇の地位を変更しない、即ち、国体護持を条件として受諾する、という点では一致するが、陸相と、両総長は、更に、三点の条件をつけると、主張したからである。

占領軍が日本に上陸しない、在外の日本軍は、無条件降伏の形ではなく、自発的に撤兵する。
戦犯の裁判は、日本側が行う。

東郷外相は、そんな虫のよいことが通る段階ではないと、反対したが、条件派は、譲らない。

条件派の面々は、敵がそれを飲まぬのは、百も承知であり、結局、徹底抗戦派なのである。

なお、安南陸相は、死中に活を求め、本土決戦で一億が火の玉となって戦えば、敵側の出血も多くなり、我が方がチャンスを捉えることもできる。その時に、和平を持ち込めば、少なくとも、条件和平が可能であるとの、意見である。
両総長も、それに賛同する。

結局、首相、外相、海相が、無条件派で、他の三人が、反対するという。

今度は、閣議で同じ議題をはかったが、矢張り、陸相の反対で、紛糾し、決着がつかない。閣議は、二時半から、夜十時まで、一時間の夕食をはさみ、六時間半にも、及んだが、堂々巡りであった。

首相と、陸海相は、午前十時からはじまった、最高戦争指導会議から、続いての会議であり、延べ十二時間に近く、鈴木首相は、疲労困憊のきわみにあった。

しかし、なお、気力を絞り、夜十一時五十分からの、御前会議に移った。

新たに、平沼枢密院議長が加わり、七人が、御文庫付属の地下防空室で、天皇の前に列座した。

鈴木首相は、それに先立ち、閣議の様子を天皇に報告していたが、陸相と、両総長の頑固さから、通常の手段では、これまでの二の舞必至と見極めて、御前会議では、一応意見が出尽くしたところで、首相がすかさず立ち上がり、天皇に決をとっていただくという、戦法を編み出して、天皇の内意を求めた。

天皇は、この日一日、会議や閣議が紛糾しているので、四度も、木戸を呼んで、その模様を報告させ、焦燥を深くしていた。
故に、首相の提案で、決をとる以外に、道がないことを、悟った。

御前会議は、東郷外相が、ポツダム宣言受諾のほかにない旨を、述べる。
すると、阿南陸相は、本土決戦を唱えて、譲らない。

平沼枢密院議長も、外相に賛成したが、作戦上の理由があるなら、なお戦争継続も可として、明確ではない。

両総長は、陸相に与して、結果は、予想通り、三対三であり、侃々諤々として、いつ果てるとも、知れない。

そこで、首相が立ち上がり、天皇の前に立ち、
すでに二時間半近くになりますが、いまだに、議決にいたりません。もはや事態は、一刻の猶予もない状況にあります。まことに異例で恐れ入りますが、かくなる上は、聖慮によりて、会議の決定といたします。
と、深々と頭を下げた。

六名は、意外な展開に、唖然として、凝視していた。
天皇は、待っていたかのように、
それでは、自分の意見を言うが、自分は外務大臣の意見に賛成する。
との、お言葉である。

更に、
本土決戦というが、肝腎な九十九里浜の防備も、決戦師団の武装さえも不十分である。飛行機の増産も予定のごとく進まず、計画はいつも実行がともなわない。
これで戦争に勝てるだろうか。忠誠な軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰等のことを思うと、実に忍び難いものがあるが、いまは忍び難きを忍び、耐え難きを耐えねばならない。明治天皇の三国干渉のさいのご心中を偲び、自分は涙を飲んで外相案に賛成する。
そして、
自分一身のこと、皇室のことを心配しなくてもよいとのお言葉である。

鈴木首相は、椅子から立ち上がり、
ただいまの有りがたい思し召しを拝し、これをもって会議の決定といたします。
と、有無をいわせぬように、宣言した。
一同は、天皇に向かい、深く頭を垂れた。

8月10日午前2時20分である。

これが、日本の民主主義である。
天皇は、皆々の意見を聞いて、その裁決に任せ、そして、決定したことを、承諾するのである。

この、裁決は、例外中の例外であった。

posted by 天山 at 05:44| 玉砕3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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